英国科学協会ベルファースト総会での演説 ジョン・ティンダル

英国科学協会ベルファースト総会での演説


原始人は生まれながらに持っている衝動から、その考えや疑問を早くから自然現象の原因に向けてきました。この同じ衝動が受け継がれ、強められて、今日の科学的活動の動機となっているのです。この衝動に決定づけられて、経験からの抽象化という操作によって、私たちは物理理論を作ってきました。この理論は経験の範囲の外にあるのですが、すべての自然の出来事が一つの原因に基づいているのを見たいという知性の欲求を満足させるのです。事物の起源という考えをつくるにあたって、私たちの歴史上最初の祖先(無論、先史時代の祖先を加えてもよいでしょう)も、知力の許す限り、おなじ筋道をたどったのです。彼らもまた経験に立ち返ったのですが、次のような違いがありました。つまり彼らの理論の素材を提供する個々の経験は、自然の探求からではなく、もっと彼らの手近にあるもの、すなわち人間の観察から引き出されたものだったのです。したがって、その理論は神人同形説的な形をとりました。「力があり目に見えないとはいえ、おそらく人類の中から現れ、人間の感情と欲望をすべて持ったままの、人間以外のなにものでもない」[1]超感覚的存在に、自然現象の支配と統御を委ねたのです。観察や省察によって検証してみると、こういう初期の概念は長期にわたっては、人類のもっと洞察力に富んだ知性を満足させることはできませんでした。歴史のはるか昔から、一般大衆とは異なった例外的能力をもった人間がいて、こういった神人同形説的な概念を拒否して、自然現象をその物理的原理と結び付けようと努めてきました。しかしこういう理解を深めようとする純粋な努力のずっと以前から、商人たちは国外に乗り出し、哲学者を存在可能にしたのです。商業が発達し、富が蓄積され、旅行や思索のための余暇が確保されました。一方で、異なった状況のもとで教育を受け、したがって異なった知識と才能をもつ様々な種族が相互の接触によって刺激され賢くなっていったのです。古代ギリシアの商業的貴族制が東方の近隣種族と混じり合う地域で、自由に考える勇敢な人々によって、科学は生み出され、育まれ、発展したのです。移り変わる事物の状態は、ヒュームが引用したエウリピデスの一節から得ることができるでしょう。「世界には何物もない。何の栄光も、何の繁栄も無い。神々はすべてを混乱の中に放り込み、何もかもその反対物と混ぜ合わせるのだ。それで、我々は皆、自分の無知と不確かさから、神々をよりいっそう崇拝し敬意を払うのだ。」さて、科学は気まぐれを根本的に廃絶し、自然の法則に絶対的な信任を置くことを要求しますから、科学的概念の発達とともに、理論の領域からこういった神々の暴走を払拭し、自然現象をそれ自身にもっと合致した基礎の上に据えようという要求と決意も大きくなったのです。

以前は上のほうから取り上げていた問題を、今では下のほうから攻めるようになったのです。つまり理論的な作業が感覚を超えたものから感覚の下にあるものへと移行したのです。イデアの宇宙を構成するには、その構成部分、つまりルクレティウスが後に「最初の始まり」と呼んだものの概念を持つことが必要であるように感じられます。またもや経験を抽象化して、科学的思索の指導者たちはついに原子や分子という創意に富んだ学説に到達したのです。この学説の最近の展開については、英国科学協会のこの前の会合で力を込めて明瞭に説明しました。思考は、おそらく、この学説が、デモクリトス[2]の頭の中で得たような精密さと完璧さを獲得するまでには、長い間そのまわりで躊躇していたことでしょう。デモクリトスという哲学者には、しばらくの間私たちの注意を留めておきましょう。非唯物論者のランゲが、その優れた著書『唯物論の歴史』、この本にはその精神でも内容でも恩恵を受けていますが、その中でこう言っています。「デモクリトスほど歴史が意地の悪い扱いをした偉人はほとんどいない。非科学的伝統を通して私たちにもたらされた歪められたその姿には、『笑う哲学者』という名前以外に彼に残されたものはほとんど何もないのだ。一方では、それよりも計りきれないほど重要性の小さな人物が私たちの前で十分手足を伸ばしているというのに。」よく精通したベーコンの編集者で伝記作者である、私の優れた友人のスペディング氏のおかげで知った広汎な例証によれば、ランゲはベーコンのデモクリトスにたいする高い評価のことを言っているのです。実際、ベーコンがデモクリトスをプラトンやアリストテレスよりも重要な人物だと見なしていたことは明らかです。たとえプラトンやアリストテレスの哲学が「学校では、教授の仰々しい虚飾の中で、名を広め讃美されている」としても。原子論哲学を破壊したのは、ゲンセリックやアッティラや蛮族ども以外の誰でもありませんでした。「というのは、あらゆる有識の人々が難破したとき、アリストテレス哲学やプラトン哲学といった板材は、軽くて膨脹したもののように、保存されて私たちもとにもたらされたが、もっと中味のつまったものは沈んで、ほとんど忘れ去れたからなのだ。」

富裕な農場主の息子デモクリトスは相続した全財産を自分の知力の修養に使い果たしました。彼は至るところへ旅行し、ソクラテスやプラトンがいたころのアテナイにも訪れましたが、自分のことを知られる前にアテナイを退去しました。

実際、ソクラテスが大喜びだった弁証的論争は、デモクリトスにはまったく魅力のないものでした。デモクリトスは「進んで反駁し多くの言葉を費やす人は、何か本当に正しいことを学ぶのには不向きである」と思っていたのです。彼はソフィストのプロタゴラスを見出し教育したと伝えられていますが、樵だったプロタゴラスが薪束をゆわえるやり方と同じくらい、その会話の聰明さに感銘を受けたのです。旅行から貧窮のうちに帰郷したデモクリトスは、兄弟に支援されて、ついに『ディアコスモス』と題された偉大な著作を書き上げ、故郷の町の人々の前で公然と読み上げました。彼は故国の人々の尊敬をさまざまに受け、高齢で穏やかに亡くなりました。

デモクリトスが明確に述べている諸原理は、彼が自然現象を神々の気まぐれから導き出そうとする人々に屈することなく対抗してきたことを明らかにしています。それを簡略にまとめると次のようになります。

1.無からは生じるものはなにもない。存在するものは消滅することはない。あらゆる変化は分子の結合と分離によって起こる。

2.偶然に生じるものはなにもない。あらゆる出現には原因があり、そこから必然的に生じる。

3.原子と空虚な空間だけが存在する。それ以外は臆見にすぎない。

4.原子は無数で形態も無限にさまざまである。原子は互いにぶつかり、そうして生じた左右の運動と回転が世界の始まりである。

5.事物の多様性は、数でも、大きさでも、集成でも、その原子の多様性に基づいている。

6.霊魂は、火の原子のような、繊細でなめらかで丸い原子から構成されている。この原子はすべてのものの中で最も動きやすい。この原子は全身にいきわたっており、その運動で生命現象が生じる。

最初の5つの命題は原子論哲学にかなり一般的な陳述です。それは現在もそうなのです。6番目の命題に関しては、デモクリトスは彼の繊細でなめらかな原子に神経系の役割を果たさせようとしたのです。神経系の機能は当時は知られていませんでした。デモクリトスの原子は個々には知覚されません。原子は機械的法則にしたがって結合します。そして有機的形態だけでなく、感覚や思考といった現象も原子の結合の結果なのです。

「有機体のひとつの部分が別の部分や生命の状態に絶妙に適合していること」、特に人体の構成においてはさらにうまく適合しているという大きな謎には、デモクリトスは解決しようという試みを一切していません。もっと激情的で詩的な気質のエンペドクレスは、原子の結合と分離を説明するために、原子の間の愛と憎しみという概念を導入しました。エンペドクレスは、デモクリトスの学説のこの間隙に気がつくと、原子の結合のまさに本質において、その結合が維持されるには、その結合がその目的に適っており(要するにその環境と調和しており)、一方非適合な結合は、固有の住処を持たずに、急速に消滅するという、洞察に満ちてはいますが、なにか突飛な思索と結びついた考えを押しこんだのです。こうして二千年以上も前に、「適者生存」という学説、それは今日では曖昧な臆測ではなく、実証的知識に基づいて、非常に重要なものとなってきましたが、そういう学説がともかく不完全とはいえ表明されたのです。[3]

エピクロス[4]はサモスの貧しい教師の息子と言われていますが、原子論哲学の歴史で次に現れた指導的人物でした。彼はデモクリトスの著作を修得し、アテナイで講義を受け、サモスに戻り、その後、諸国を放浪しました。最後に彼はアテナイに戻り、そこで庭園を買い取って、生徒を集め、彼らに囲まれて高潔で平穏な生活を送り、穏やかに死を迎えました。デモクリトスは人間の高められる部分として魂に気をかけていました。たとえ美しくても理性を欠けば獣性を帯びていると考えたのです。エピクロスも肉体より精神が上だと見なしていました。肉体の快楽は一瞬の快楽だが、精神は未来の快楽も過去の快楽も楽しむことができると思っていたのです。エピクロスの哲学はデモクリトスの哲学とほとんど同じものでしたが、デモクリトスの味方とも敵とも言われることはありません。エピクロスの主要な目的は世界を迷信や死の恐怖から解放することでした。彼は死を無頓着に扱いました。死は単に私たちから感覚を奪うだけです。私たちが存在するかぎり、死は存在せず、死が存在すれば私たちは存在しないのです。生存していないことが不運ではないという心持ちになれば、その人にとっては生は災厄をもたらさないのです。彼は神々を崇拝しましたが、一般的なやり方でではありませんでした。ちゃんと浄められた神的力という観念は、人を高めるものだと考えたのです。「大衆の神々を拒否した者は不信心なのではなく、むしろ大衆の神々を受け入れる者が不信心である。」と彼は説き続けました。彼にとって神々は永遠で不死の存在ですが、その恵みは、いかなる種類であれ配慮や占有という考えをいっさい排除しているのです。自然は永遠不滅の法則にしたがってその過程をたどり、神々は決してそれに干渉しません。神々が現れるのは次のような場所なのです。

世界と世界の輝く狭間
雲もたなびかず風も吹かず
一番小さな雪の白い星形も降らず
一番低い雷の轟きも鳴らず
人の悲しみの声も
神々の聖なる永久の平穏を破らぬ所[5]

ランゲはエピクロスの神々に対する関係は個人的なもので、おそらくは彼自身の本質の倫理的必要を示しているものだと考えています。私たちは、眼を見開いて歴史を読み取ったり、人間の本性を徹底的に調べたりできませんし、こうした必要をはっきりと理解することもしかねます。人は理性だけの操作や産物で満足することは、これまでもありませんでしたし、これからもないでしょう。だから、物理学は人間の本性の要求をすべて扱うことはできません。しかし、こういう要求を満足させようという努力の歴史は、概して言えば誤りの歴史と言えるでしょう。その誤りは大部分、不動性を、流動的で、私たちが変化するつれて変化し、私たちが粗野なときには粗野で、私たちの能力が拡がるにつれてだんだん抽象的で高尚なものとなっていくものに、帰したことにあるのです。重要な点は、エピクロスの心は平穏であったことです。彼は神々に対する関係から個人的な利益を得ようと求めたり期待したりしたことは決してなかったのです。そして思考の高邁や平静は、こういう種類の利益という観念をまったく含まない考え方によって増進されるということは、確かな事実なのです。かつてある著名人が私に言ったことがあります。「事物の核心に知性が宿っていると信じていなければ、私のこの世の人生は耐えがたいものとなったでしょう。」と。私の意見では、この発言者の意見を引き出したのが、今ここでの倫理的調和の必要性であって、将来の個人的利益という考えではないという事実によって、この発言者は高潔さを損なったのではなく、高めているのです。

世の中にはもっとも高い知的範囲に入らないばかりか、もっとも低い知的範囲にもはいっていない人たちがいて、その人たちにとっては、説明が完全に明らかだということは、深遠さが欠けているということなのです。彼らは抽象的で学識のある言葉使いに気休めと啓発を見出すのです。こういう人々に対して、エピクロスは何の苦痛も与えないよう、朦朧として混乱したものを追求する自分のやり方をやめ、まさにそのために、浅薄に見えたのです。しかしエピクロスには、師匠の明晰さに到達しようと日夜努力することは無意味な仕事ではないと思い、ギリシアの哲学者はエピクロスの名声が広まり不滅となることのおかげを大いに蒙っているとする一人の弟子がおりました。エピクロスの死から一世紀半後に、ルクレティウス[6]は『事物の本性について』という優れた詩を書き、その中で、ローマ人の彼は、たいへん熱心にギリシアの先人の哲学を展開したのです。ルクレティウスは友人のメンニウスを説き伏せてエピクロス学派に引き入れたくて、将来の報酬が与えられわけでもなく、その目的がまったく実りのないものに思えるのに、使徒の熱をこめて友人に説いたのでした。彼の目的は、その偉大な先駆者と同じく、迷信を破壊することです。そして人間は神々からの直接の警告としてのあらゆる自然の事象の前で震えており、また苦痛が永遠に続くものと予想されていると考えると、ルクレティウスが目指す自由は、おそらく確固とした善行なのかもしれません。「心のこの恐怖と闇は、太陽の光線と昼のきらめく光ではなく、自然の様相と法則によって、はらわなければならない。」と彼は言うのです。彼は無からなにかが生じることができ、あるいは一度生じたものは無へ帰ることがあるという考えに反駁します。一番原初のもの、つまり原子は不滅で、最後には全てのものが原子へと分解されるのです。肉体はある部分は原子であり、ある部分は原子の結合です。しかし原子は何物も消し去ることができないのです。原子は切れ目のない単一の状態では強固であり、それをもっと緻密に結合することですべてのものはぎっしり詰めこむことができ、永続的な強度を示すことができるのです。ルクレティウスは物質を無限に分割できることを否定します。私たちはついには原子に到達するのですが、消滅することのない基礎としての原子がなければ、事物の生成と発展のあらゆる秩序は壊れてしまうでしょう。

原子の機械的衝突は、彼の見解では、事物の全く十分な原因であったので、彼は自然の成立ちはなんらかの仕方で知的な設計によって決められているという考えと闘いました。計りしれないほど長い間の原子の相互作用であらゆる種類の結合様式が生じました。このなかで適合した結合は生き残り、不適合な結合は消滅したのです。思慮深い熟考の末に原子はその相応しい場所に配置されるのでも、またどんな運動をとるのか取り決めるのでもありません。永劫の時間をかけて原子はいっしょに集まり、あらゆる種類の運動と統合を試みた後で、ついに現在の事物の体系が形成されてきた配置へと収まったのです。「もしあなたがこういう事物を理解し心に留めおくなら、自然は直ちに自由となり、不遜な支配者から解き放たれて、神々の干渉なしにそのあらゆる事物を自ずとあるように為していくのだとわかるでしょう。」[7]

彼の原子は見えないではないかという反論にあうと、ルクレティウスは荒々しい嵐について述べ、目に見えない空気の粒子が目に見える水の粒子と同じように振舞うことを示します。さらに、私たちは事物のさまざまな臭いに気づきますが、しかし決して臭いが私たちの鼻に来ているのは見えません。また波の打ち寄せる岸辺の上に吊した服は湿ってきますが、太陽の下に拡げておくと乾きます。けれども目には水の粒子が近寄ってくるのも出ていくのも見えません。長く指につけた指輪は細くなり、水の雫が石をくりぬき、鋤の刃は畑で削りとられ、通りの舗装は足で穿たれます。しかしどの瞬間にも消えていく粒子を私たちは見ることができません。ルクレティウスが力強い科学的想像力を持っていたことは、先に述べたことが証明しています。この点で彼の力量をよく示しているのは、動きまわる原子からなる体が見かけは静止していることの説明です。彼ははねまわる仔羊のいる羊の群れを想像してみると、遠くから見ると個々の仔羊がはねるのは見えず、ただ緑の丘の白い斑点でしか無いことで、説明するのです。

永遠に空間を貫いて落ちていく原子というルクレティウスの漠然として壮大な概念は、初めて星雲説を提案したカントにそれを示唆したのです。私たちの可視界の範囲をはるか離れたところに、原子は数えられないほどあって、それは決して結びついて体を形成したことはなく、もし一旦結びついても、また四散し、無限の時間と空間を音もなく落ち続けるのです。森羅万象のいたるところで同じ状態が繰り返され、それでまた同じ現象が繰り返しているにちがいないのです。だから私たちの上にも、下にも、横にも世界は際限はないのです。そしてこのことは、考えてみると、神々による宇宙の歪曲というあらゆる考えを追い払うにちがいありません。限りのない空間から新しい原子を引き寄せ、あるいはその粒子を四散させて、世界は現れては去っていきます。一般に言われているルクレティウスの死は、テニソン氏の高貴な詩の基礎となっていますが、彼の哲学に完全に合致して、簡素で高潔なものでした。

この三人の哲学者の最初の人から最後の人までにわたる数世紀の間、人間の知性はむしろ他の分野で活発でした。ソフィストたちがその活躍期を駆け抜けて行きました。アテナイではソクラテス、プラトン、アリストテレスが現れ、ソフィストを破滅させましたが、その支配力は現在もまだある程度まで損なわれずに残っています。この時代にはまたアレキサンドリア学派が成立し、ユークリッドが『原論』を書き、光学に多少の進歩をもたらしました。アルキメデスは挺子の原理と静水力学の理論を提示しました。ピュタゴラスは調和的音程の実検を行い、また天文学はヒッパルコスの発見で非常に豊かになりました。その後には歴史的にはもっと有名なプトレマイオスが続きました。解剖学が科学的医療の基礎となり、ドレイパー[8]によれば、その当時に生体解剖が始まったということです。実際、古代ギリシアの科学は世界から、自然現象によって神々が気まぐれに影響を及ぼすという奇想天外なイメージをすでに払拭していたのです。それは「心のなかだけの内的な光によって」むなしく経験を超え、窮極の原因という知識に達しようとする不毛な詮索から逃れたのです。それは、偶然の観察のかわりに、目的をもった観察を導入し、感覚を補助するために道具を使いました。そして科学的方法は帰納と実験の結合によってほとんど完成したものとなったのです。

それでは、何がこの勝利に満ちた進歩を止めたのでしょうか。なぜ科学的知性は枯渇した土壤のように、肥沃さと力に必要な要素を再び集めるまで、二千年近くも休耕されなければならなかったのでしょうか。ベーコンがすでに原因の一つを教えてくれました。ヒューウェルはこの停滞期の四つの原因を思考の曖昧さ、奴隷根性、不寛容な気質、狂信的な性向とし、それぞれに際だった例を示しています。[9]しかしこういう特徴は時代状況のなかにその前例があったのです。ローマ帝国のローマやその他の諸都市は道徳的に腐敗していました。キリスト教が現れて、貧民に福音をもたらし、禁欲生活ではないにしても節度ある生活で実践的に時代の不品行に異議を申し立てたのです。初期のキリスト教徒の受難と彼らがこうむった残虐な拷問[10]にたいして勝利に導いた異常な精神的高揚は、簡単には消えない痕跡を残しました。彼らは「天国の永遠不滅の人の手で作られたのではない神の家」という考えからこの世のものを軽蔑しました。彼らの精神的必要を満たす聖書は、また彼らの科学の基準でもありました。たとえば有名な対蹠地問題が議論されるようになったとき、聖書は多くの人にとって窮極の上告裁判所でした。紀元400年に活躍したアウグスティヌスは、地球が球形であることを否定しませんでしたが、「聖書にはアダムの子孫の中にそういう種族の記録がないから」という理由で、反対側に住人が存在する可能性を否定しました。大司教ボニフェキウスは「魂の救済の手が届かない人間の世界」という仮定に衝撃を受けました。こうして手綱をゆるめ、科学はそう進歩をしなくなったようでした。後に、教会と世俗政権との間の政治的で神学的な紛争が、ドレイパーが効果的に描き出したように、研究を窒息させるのに大きな役割を果たしたにちがいありません。

ヒューウェルは中世の精神に関して多くの賢明で大胆な論評をくわえています。それは卑屈な精神でありました。自然の知識を求める者は、流れ出づる水の源を見捨て、観察と実験で自然に直接問いかけることなく、先達の観念を巧みに扱うことをあきらめてしまったのです。それは、思考が卑屈となり、単なる権威を受け入れると科学ではいつもそうなるのですが、そのことで知性が死に至った時代でした。自然の出来事は、物理的原因まで探究されるのではなく、道徳的原因のせいにされました。その一方で、ほとんど今日の心霊術と同じくらい退廃した気紛れの働きが、科学的な思索の位置を占めたのです。こうして荘厳であるけれど幻想的な抽象概念を伴った中世の神秘主義、魔術、錬金術、新プラトン主義哲学が現れました。それらのせいで、人間は自らの肉体を恥らいながら、それを創造主の祝福のうちへと被造物を同化することの障害物とみなすようになったのです。最後に、ランゲによれば、アリストテレスの未成熟な概念と西欧キリスト教の融合物である、スコラ哲学が現われました。その成果は知的な停滞でした。霧の中の方位磁石をもたない旅人が、道を進んだつもりで長い間さまよい、徒労のはてに出発点にいるのに気付くのと同じように、スコラ学者たちは、「同じ結び目を結んでは解き、同じ雲を沸き立たせては払って」、なん世紀もたってから、自分たちが古い立場に立っているのに気づいたのでした。アリストテレスが中世に及ぼし、またそれほどでないにしても今なお及ぼしている影響に関しては、一言意見を述べさせてください。どの分野かで人間の知力が偉大なことを成し遂げ、非凡な能力があることを示すと、他のどの分野でも同じような能力があると思い込む傾向があります。こうして神学者たちは、ニュートンが啓示の問題を扱っているという考えに慰めと安心を見出してきたのですが、彼が人生で一番脂ののりきった時期にまるで異った種類の考えにその力を注いだことで、神学的で歴史的な問題を扱うには当然資格を失しなったのはもちろん、それを扱う能力を増大させるどころから小さくさせる傾向にあることを彼らは忘れているのです。ゲーテは詩人としての確固たる名声から出発し、さらには博物学での彼の独断的な発見から出発して、ニュートンの色彩についての理論を打破しようと試みた『色彩論』を出版してドイツの画家たちに多大な影響を与えました。このニュートンの理論はあまりにも明白に不合理だと思えたので、ゲーテはその著者をペテン師だと見なし、相応の激しい言葉で非難したのです。博物学の分野ではゲーテは十分重要な発見をなしており、それで私たちは、彼が科学の側にも全霊を捧げて、詩人として得た名声と比肩しうるだけの名声に科学でも到達したにちがいないと、思いこんでしまっても当然です。観察が鋭いことや、たとえどんなに関係が薄く見えても、類比を発見すること、見分けられた類比にしたがって事実を分類し組織化することにおいて、ゲーテは比類のない能力を持っていました。科学的研究におけるこうした要素は詩人の修練に似つかわしいものです。しかし、その一方で、博物学の方面で才能豊かな精神は、もっと厳密に物理学とか力学といわれる科学の関しては、ほとんどその才能を奪いとられているのです。ゲーテはこうした状況にあったのです。彼は明確な力学的概念を定式化できませんでした。彼は力学的推論の力を理解できなかったのです。そして、こういった推論が支配権をふるう領域では、ゲーテはただその追従者を惑わす鬼火にすぎませんでした。

アリストテレスとゲーテを比較してみると、このスタゲイロス人が事実を集積し総合することにかけてはほとんど超人的な能力を持っていることは認めますが、しかしまさにゲーテが不完全であるような精神の側面に彼は致命的な欠陥があると思います。ヒューウェルは、アリストテレスの誤りを、事実を無視したことではなくて、「事実にふさわしい概念、つまり、力学的原因という、力であり、単に空間的関係や不思議だと思う情念だけを含んだ曖昧で応用のきかない観念に置きかわる概念を無視した」ためだとしています。このことは確かに真実でありましょう。しかし「無視する」という言葉は単に知力の見当違いを意味しているのですが、アリストテレスやゲーテにおいては、私が思うに、その誤りの根底にあるのは、見当違いではなくて、正真正銘の自然科学についての無能力なのです。物理学者としては、アリストテレスは私たちが現代の物理研究者のもつ最悪の特質だと思うもののいくつかを示しています。それは、概念の不明瞭さ、精神の混乱、自信に満ちた言葉使いといったもので、そのせいで彼が自分の主題に本当に精通しているという、人を欺く観念に導かれるのですが、そのじつ彼はこれまでのところはその要素についてさえ理解しそこねてきました。彼は事物のかわりに言葉を、客観のかわりに主観を置いたのです。彼は帰納法を行なうことなくそれを唱道し、特殊から一般へと進むかわりに、一般から特殊へと進むことで、探究の本来の順序を逆さまにしました。彼は宇宙を閉じた半球とみなし、その中心に地球を固定し、そのことを一般原理から証明して、それ以外に宇宙はありえないと自分自身を納得させ、また二千年近くも世界中を納得させてきたのです。彼の運動の概念は全く物理的ではありませんでした。自然なものであれ不自然なものであれ、より優れたものであれ劣ったものであれ、穏かなものであれ激しいものであれ、彼の精神の底にには、運動の概念に関して真に力学的概念などまるでなかったのです。彼は真空は存在しえないと断言し、もし真空が存在すれば、真空中での運動は不可能であることを証明しました。彼は先験的に動物の種が何種類存在すべきか結論を下し、またなぜ動物がこれこれの器官を持たねばならないかを一般的原理に基いて示したのです。優れた現代の哲学者は、こうした種類の誤りからは隔絶しているのですが、こうした先験的方法の誤用を思い起すとき、いわゆる先験的真理を容認することに関して、物理学者たちの警戒心を考慮していくことができるでしょう。アリストテレスの細部での誤りは、オイケンやランゲが示したように、深刻で多大なものです。彼は、人間にだけ心拍があるとか、左半身のほうが右半身より冷たいとか、男のほうが女より歯の数が多いとか、どの人間の後頭部にも虚ろな空間があるとか主張したのです。

物理学的概念には必須の特質が、アリストテレスやその追随者には完全に欠けているのです。私はそれを、連想的意味で汚されていない一語で表わしてみたいと思います。それが示しているのは、精神の現前に筋の通った図像を提示する能力なのです。ドイツでは図像を描き出す行為を表象する(vorstellen)という語で表現し、図像を表象(Vorstellung)といいます。イギリスでは私たちが求めるものに近い言葉は構想力という言葉をおいてほかありません。しかも、この言葉は適当に限定されていて、求めることをうまく満しています。でも、暗に示されているとおり、この言葉は連想的意味に染まっていて、それで異議を唱える人もいます。この精神における表象という能力に関して、ポンプの中を水が上昇することは自然が真空を嫌うせいだとしたアリストテレスと、ピュイ・ド・ドーム山に登ることで大気圧の問題を解こうと提案したパスカルを比べてみましょう。前の場合は、説明の言葉が物理的な印象と辻褄が合うことを拒んでいますが、後の場合は印象が明瞭です。気圧計の上昇と下降は、変化し相反する二つの圧力のつり合いとして、明確に理解されるのです。

キリスト教国が中世の枯渇状態にあったとき、ドレイパーが力をこめて示したように、活発だったのはアラブの知識人でした。彼が言うには、ムーア人のスペイン侵入とともに、秩序も学問も教養も敵にとってかわられました。病気にかかると、キリスト教徒の農民は聖堂に助けを求めましたが、ムーア人の農民は訓練を受けた医師に助けを求めたのです。アラブ人たちはギリシアの詩人ではなく、ギリシアの哲学者の翻訳を奨励しました。彼らはうんざりして「私たちの古典時代の神話に背を向け、汚らわしいオリンポスのジュピターと至高神とのあらゆる関係を許しがたい冒涜として糾弾した」のです。ドレイパーは、ヒューウェルよりさらにつっこんで、私たちの科学用語の中にアラビア語の要素を明かにし、現在も淑女の衣服の下に隠れるようにアラビア語の名前が残っていることを指摘しています。彼はアラブの科学者がなしとげたことの事例をあげているのですが、特にアルハゼンについて詳しく述べています。この人は目が光線を放つというプラトン的観念の過ちを正した最初の人でした。彼は大気の屈折を発見し、太陽や月が沈んだ後も、私たちがそれを見ていることを指摘しました。彼は太陽や月が水平線に近いところでは大きく見えたり、このどちらの天体も垂直方向の直径が縮んでみえたりするわけを、説明しました。また、高度が上昇するにつれ大気の密度が下ることに気づき、大気の高さが581/2マイル(約9万4千メートル)であると実際に確定しました。「知恵の均衡の書」で、彼は大気の重さとそれに伴って増加するその密度との関係を述べています。彼は希薄な大気の中と濃密な大気の中では体重が異ること示しました。彼はより重い媒質によって投げ込まれた体を浮上させる力を考慮したのです。彼は重心という考えを理解しており、それを天秤と棹ばかりの研究に応用しました。彼は重力を力だと認めていましたが、重力は距離が増大するほど単純に減少するとし、また純粋に地球上のものとした点では誤っていました。彼は落下体の速度と時間と空間の間の関係を知っており、また毛管引力について明確な考えを抱いていました。彼は比重計を改良しました。アルハゼンのやり方で測定された物体の密度は、私たちのやり方で測定したものに極めて近いのです。「私は付け加えよう」とドレイパーは言っています。アルハゼンの敬虔な祈りに「審判の日に万物に慈悲深き神がアブール・ライハーンの魂に憐みをかけて下さるように。なぜなら彼は人類最初の比重表を作成した人なのだから」と。もしこれが歴史的真実なら(それに私はドレイパー博士に全面的に信頼を置いているのですが)、彼が「ヨーロッパの文芸がマホメット教徒にたいする私たちの科学上の恩義を無視している組織的やり方を遺憾に思う」[11]のも無理ないのです。

停滞期の間の超世俗的なものへと向い、手近なある問題を無視しようとする精神の緊張が、反発を惹き起したのは確かです。しかしこの反発は漸進的なものでした。というのは、土台は危険なもので、権力はあまりに遠くへと行き過ぎた批判派を圧殺するだけの力を手にしていたからです。この権力の目をのがれ、それでも意見を表明する機会を手にするために、「二重真理」という学説が発明されました。これにしたがえば、「神学上」はある意見を主張しつつ、「哲学上」はその反対の意見を主張することになります[12]。こうして13世紀には、6日間の世界創造や、聖トマス・アクィナスが明瞭に確言した個々人の魂の不変性は、どちらも哲学上は否定されながら、カトリックの信仰条項としては真実だとされました。プロタゴラスが、自分が罵倒される原因となった「相反する主張は同等に正しい」という格言を述べたとき、彼が言いたかったんは単に、人間は互いに非常に異っているので、ある人にとって主観的に正しいことが別の人には主観的に正しくないことだということでした。この偉大なソフィストは、同一人が主張している二つの相反する主張のどの一方も、なんとか嘘であることを免れうると言って、真実を弄ぼうとしたのではけっしてありません。信念についてのこの二重の扱いを生み出したのは、「詭弁術」ではなく、神学的報復にたいする恐れでした。この種の術策の使用に長けた人にとってどれほど長い間それが可能だったか知ってみると、びっくりします。

停滞期の終りに近づくと、人々の精神は、そう表現してよければ、言葉にうんざりした気分で一杯になっていきました。キリスト教世界はスコラ哲学とその言葉の不毛という病にかかっていました。それはただ知性を絶え間のない朦朧とした状態にするという問題だけをひき起したのです。あちらこちらで耐えきれず荒野で呼ばわる者の声があがりました。「我らは宇宙の知識を求めんがため、アリストテレスでもなく、狡猾な仮説でもなく、教会や聖書や盲目の伝統でもなく、観察と実験による自然の直接的探究へと向かわねばならぬ」と。1543年に天体の軌道についてのコペルニクスの画期的な著作が現われました。その結果、アリストテレスの地球を中心とする閉じた宇宙は全面的に崩壊し、「地球は動く」というのが知的な自由人の間で一種の合言葉となりました。コペルニクスはエルメラント主教区にあるフラウエンブルクの教会の参事会員でした。彼は23年間、世間から身を隠し、太陽系についての彼の偉大な図式を組み上げるのに身を捧げたのです。彼はその版木を不滅のものにしました。それを恐れ、それを打ち壊したいと望む人たちにとってさえ、それは見るからに頑丈であったので、それに手を出すのをしばらく控えたほどでした。コペルニクスの生涯の最後の年にその本は公刊されました。聞くところでは、この老人は死の数日前にその刷本を一部受けとり、それから安らかにこの世を去ったということです。

イタリアの哲学者ジョルダーノ・ブルーノは最も早く新しい天文学に転向した者の一人です。彼は、ルクレティウスを手本にして、世界の無限性という概念を復活させ、それをコペルニクスの学説と結びつけて、無数の恒星や太陽が宇宙空間に撒き散らされ、それらが、太陽にたいする地球、地球にたいする月と同じ関係にある、取り巻きの星々を引き連れているという、壮大な総合概念に到達したのです。これは超越的な意味の拡張でしたが、しかしブルーノはそれ以上に私たちの現在の考え方に近いところに来ていました。彼は、有機体の生成と維持という問題に直面し、十分に考え抜いて、自然はその産出物において人間の技術を模倣するのではないと結論づけました。自然の過程はもつれたものが解け、折りたたんだものが広がっていくようなものなのです。物質が現われるときにとる形態が限りないのは、外部の職人によって押しつけられたのではなくて、それ自身の内在的な力や効能によってもたらされたものなのです。物質とは、哲学者が思い描いてきたような、単なる剥きだしの空虚な受容能力ではなく、自身の胚胎の果実としてすべてのものを生み出す普遍的な母なのです。

この腹蔵なくものを言う人物はもともとドミノコ派の僧でした。彼は異端のかどで告発され、逃亡せざるをえず、保護を求めてジュネーヴ、パリ、イギリス、ドイツを転々としました。1592年彼はヴェネツィアで異端審問の手に落ちました。彼は多年にわたり拘禁され、審問を受け、罷免され、破門された後、穏やかに「流血なしに」処遇するという要求を付して世俗権力に引き渡されました。この意味することは火刑に処すということであり、これにしたがって、彼は1600年2月16日に火刑に処されたのでした。33年後、同様の運命から逃がれるため、ガリレオは跪き、聖書に手を置いて、真実と知りつつも太陽中心説を公然と撤回しました。ガリレオの後にはケプラーが現われました。彼はドイツの母国からアルプスの向こうの権力に反抗しました。彼は既存の観測結果から惑星の運動法則を引き出しました。こうしてニュートンのための素材は準備されました。彼はこうした経験的法則を重力の原理によってまとめ上げたのです。

17世紀に哲学の修復家としてベーコンとデカルトが続けて現われました。受けた教育も授かった才能も異なっていたので、その哲学的傾向も異っていました。ベーコンは帰納法を堅持し、外的世界の実在を固く信じ、集積した経験をあらゆる知識の基礎としました。数学の研究によってデカルトは演繹法に傾きがちでした。彼の基本原理はプロタゴラスのそれと同じようなものでした。プロタゴラスは個人を万物の尺度にしたのです。「我思うゆえに、我有り」とデカルトは言いました。自分自身の自己同一性だけが彼には確実なものであったのです。この体系の発展から、外的世界を単なる意識現象に解消する観念論がもたされました。デカルトの同時代人で、現在よくその名を聞くガッサンディは、直ちに、個々人が実在するという事実は、思うという行為と同様、他の行為を示すことによってもうまく証明されることを指摘しました。「我食うゆえに、我有り」や「我愛すゆえに、我有り」も全く同様に確実というわけです。リヒテンベルクは、証明すべきことそのものが、「我思う」という最初の言葉の中に不可避的に仮定されており、仮定から推論されたことは、どうあっても仮定そのものより強くなることはありえないことを、示しました。

しかし、デカルトは奇妙なことに、その基本原理に含まれていた観念論から逸脱しました。彼は率先して、心に表れたものについてのテストによく耐えうるようなやり方で、生命現象を純粋に力学的原理に還元したのです。恐れたためか愛していたためか、デカルトは良きキリスト教徒でした。それで、彼は原子という概念を拒否しました。なぜなら、神がそう望まれているのに、原子を分割できないと仮定するのは、不合理だからです。彼は原子のかわりに、小さな丸い粒子と軽い破片を置き、それから有機体を構成したのです。彼は驚くべき物理的洞察力をもって、生命活動を説明するような、水を動力とする機械について概略を述べています。彼は、こうした機械が消化、摂取、呼吸という過程や心臓の挙動を実行できる能力をもつことを、頭の中で明らかにしたのです。この機械は、外部感覚器から印象を受け取り、心象と記憶に蓄積し、欲求と情念という内的運動を通じて四肢の外的運動を行う能力を持つでしょう。彼はこの機械のこうした機能を、時計やその他自動機械の動きが錘や歯車から導き出されるように、この機械の器官の配置から導き出します。「こうした機能に関するかぎり」とデカルトは言います。「心臓の中で絶え間なく燃え、非生物の物体にある火とまるで異なることのない火によってかきたてられた血と活力以外には、他の成長力があったり感受性のある魂とか、運動や生命についてのなにか他の原理を理解する必要はない」と。デカルトが蒸気機関のことを知っていれば、その動力として、水の落下のかわりに、蒸気機関を採用したことでしょうし、体内の食物の酸化と火炉の中の石炭の酸化の間の完璧な類比を示したことでしょう。彼は確かに、心臓が散布する血液を「生命というランプの油」と呼ぶことではメイヤーに先んじていました。そして蒸気機関の運動が石炭の燃焼から導き出されるように、あらゆる動物の運動をこの油の燃焼から導き出したのです。しかし、目下のところ、それに時代の状況を考えれば、彼が生命の原動力という問題を把握していた大胆さや明確さ、精確さは、知力というものの驚くべき例証となっているのです。[13]

中世の間は、原子説はどうみても議論から消え去ったように思われました。おそらくは、分別があり思慮に富んだ人たちの間にはその思想の基盤は残っていたのですが、教会や世間が寛容をもってその学説を聞くだけの準備が整っていなかったのです。一度、1348年にこの学説ははっきりした表現を取りました。しかしその直後に強制的に撤回させられ、こうして意気消沈させられ、17世紀まで休眠していたのでしたが、17世紀にはホッブスやマルメスベリーの同時代人で友人であり、ディーニュの正統なカトリックの主席司祭であったガッサンディによって復活したのです。しかし、彼とエピクロス派の学説との関係を言う前に、科学に関して、ヨーロッパ諸民族の間に一神教が一般に採用された効果について、若干述べておいたほうがよいだろうと思います。

「人間が」とヒュームは言います。「自然の業をじっくり考えることで、目に見えない知的な力を理解するようになれば、単一の存在がいて、この巨大な機械を存在させ秩序づけて、その部品すべてを調整して一個の規則正しい体系にまとめているという考え以外は、おそらく思い浮ばなくなるだろう」と。異教徒の状態を言えば、彼らは個々それぞれの自然の事象の背後に一人づつの神を見て、こうして世界に気紛れこの上ない何千もの存在を登場させるのですが、ランゲはこうした概念と、不変の法則と因果関係の仮定の上でことを進める科学の概念の間には、妥協がありえないことを示しました。「しかし」と彼は独特の洞察力で続けます。「統一体として宇宙に働きかける唯一神という偉大な考えが納得できると、因果の法則に一致した事物の接続が考えられうるものになるというばかりか、仮定から導かれる必然的な帰結となる。というのは、私が動いている一万の歯車を見ていて、しかもその歯車すべてが一者によって動かされていることを知っているか信じているかするなら、私の目の前にあるのが、各部分ぼ動きが全体の計画にしたがって決定されている一個の機械であることを知っていることになる。そう仮定すると、その結果、私はその機械の構造や、その部品の様々な動きを研究しようとするだろう。だから、当面のところ、この概念は科学を自由にしておくだろう。」言い換えると、各歯車の周囲や各レバーの端のそれぞれに気紛れな神がいるとしたら、機械の動きは科学の方法では予測できないでしょう。しかし、こうした部品のすべての動きが、それらの接続や関係によって厳格に決定されており、しかもこれらが単一の自動動輪によって動かされているのなら、たとえこの最後の原動力が私の目から巧妙に隠されているとしても、私はそれでもその原動力が動かしている機械を理解できます。私たちはここで、ある人には完全に受けいれられるが別の人にはまるで耐えられない、自然のその創造主にたいする関係という概念を抱くようになります。ニュートンとボイルは幸福にもこの概念の影響のもとで生き活動しました。ゲーテはこれを激しく拒絶しました。カーライルもこれを受けいれることに嫌悪感を示しています。[14]

人間の精神の分析的傾向も綜合的傾向も歴史全体を通じて示されており、偉大な著述家たちは時には一方の、また時には他方の立場をとってきました。熱い感情と精神を持つ人々は全体としての自然によってもたらされる高揚感に共感しやすく、それで、論理的なものより倫理的なものに満足し、綜合的な面に傾きがちです。一方、分析的なものは、理解する上での満足を求めるもっと精確でもっと力学的な傾向のある人ともっとも調和します。ある形態の汎神論は前者の人々が採用するのが普通だし、一方、多かれ少なかれ人のやり方にしたがって振舞う超然たる創造主はたいてい後者が想定します。ガッサンディをそのどちらかに分類するのはほとんどできません。公式には神を偉大な第一原因と認めながら、彼はさっさとその考えを捨て、既知の力学の法則を原子に応用し、そこからあらる生命現象を導き出します。彼はエピクロスを擁護し、その学説だけでなくその生涯の純粋さを強調します。エピクロスが異教徒なのは真実ですが、アリストテレスも異教徒でした。エピクロスは迷信と宗教を攻撃しましたが、適切に言えば、真の宗教を知らなかったゆえなのです。神々は褒めも罰しもしないと考えていましたが、神々が完璧であるということから純粋に崇拝していたのです。ここにあるのは、ガッサンディが言うように、奴隷の恐怖心ではなくて、子供の崇敬の念なのです。エピクロスの誤りは訂正しよう、彼の真理の本体は維持しよう、そうしてからガッサンディは、異教徒がやるように、原子や分子から世界を、そしてその中のすべてのものを、創り上げようと取りかかるのです。神は大地と水、植物と動物を創ったのですが、まず最初に限られた数の原子を生み出し、これを万物の種子としたのです。そこから現在も進行しており、将来も続く、一連の結合と分解が始まったのです。すべての変化の原理は物質の中にあるのです。人工の生産物では、動かす原理が、それを作り上げている素材とは異ります。しかし自然においては動作主は内部で働き、素材そのものの中のもっとも活動的で可動性のある部分なのです。こうして、この大胆な聖職者は、教会や世間の非難を受けることなく、見事にダーウィン氏を凌駕しているのです。宇宙から創造主を引き離したのと同じ気質から、彼はまた魂を肉体から引き離しました。もっとも、魂がほとんど不要のものとなるのが拡大するに応じて、彼は影響を及ぼすものが肉体だとしているのですが。彼の見解では理性からの逸脱は物質的な脳の問題です。精神的な病は脳の病なのです。しかしまた、不滅の理性は病とは無関係で、病に冒されることはないのです。狂気の誤りは道具の誤りであって、それを使う人の誤りではないのです。

これまで述べてきたガッサンディの考えが、クラーク・マクスウェル教授が昨年ブラッドフォードで行った非常に優れた講義で表明した考えと、実質的には同じだというのは、単に教育の結果というよりも、おそらくこの二人のより深い精神的な構造に関わっているのだろうと思います。この二人の哲学者にしたがえば、もし私が正しく理解しているなら、原子というのは、最高者の技量で形成され、その後に続くその相互作用により物質世界のすべての現象を生み出すよう用意された素材なのです。しかしガッサンディとマクスウェルの間には次のような違いがあるように見えます。それは、その第一原因を、ガッサンディは前提としているのに、マクスウェルは推論しているという点です。彼が原子とよぶ、その「加工品」の中で、マクスウェル教授はカントが到達できないと考えた哲学上の頂点をよじ登り、原子からその創造者へと論理的段階を踏むことを可能にしてくれる帰納法の基礎を見出しているのです。

カントの指導を受け入れるなら、マクスウェルの論理が妥当かどうか疑わしいところです。しかし、彼の講義が最後にもたらす倫理的な昂揚は感じないわけにはいきません。そのうえ、彼が原子の確実性を語る際の雄弁には非常に高貴な調子があります。それはこんな具合です。「我々が知っているように、自然の原因は作用しつづけ、ついには破壊するということになるのでなければ、地球や太陽系全体の配置や規模に変化をもたらそうとする傾向がある。しかし、時を経るにしたがって天界に大異変が起きてきたし、これからも起きるであろうとはいえ、また古い体系が解体してその廃墟から新しい体系が生まれ出てくるとはいっても、こうした体系を作り上げている分子、つまり物質的宇宙の基盤は、壊れることも磨り減ることもなく残っているのだ。」

全体としてであれ部分的であれ、原子説はベーコン、デカルト、ホッブス、ロック、ボイルおよびその後継者に受け入れられ、ついには化学上の倍数比例法則によってドルトンがそれにまったく新しい重要性を与えるまでになりました。現代では、この理論から離れていく動きもありますが、それは依然として確固としています。ロシュミット、ストーニー、ウィリアム・トムソン卿が原子の大きさを決定しよう、というかむしろその大きさがどの範囲にあるのか確定しようとしてきました。一方、ウィリアムソンとマクスウェルの講演で一流の科学者にたいしてこの学説が及ぼしている現在の支配力を明らかにしたのは、つい去年のことです。実際、この基本的な概念を欠いて、物質的宇宙の理論が科学的に説明できるかどうかは疑わしいものです。

ガッサンディの90年後、いわゆる肉体用具説はバトラー司教のもとで多大な重要性を担ってきました。この司教は、その有名な著書『宗教の類比』の中で、独自の観点から、またこの上ない聡明さをもって、同様の考えを展開しています。司教は今なお優れた人たちに影響を与えています。そしてしばらくの間、自分の考えを詳しく語っては、私たちに報いてくれることでしょう。彼は私たちの真の自我と肉体用具との間にはっきりと区別をつけます。彼は、私の覚えている限りでは、魂という言葉を使っていません。おそらくは、この用語は彼の時代にはそれ以前に何世代にもわたり使い古されていたためでしょう。そうではなくて、「生命力」「感知力」「知覚力」「動作主」「我々自身」という言葉を私たちが魂という用語にあてているのと同じ意味で使っています。彼は、四肢をもがれ、不治の病に肉体が冒されても、精神はほとんど死の瞬間まで明晰なままであるという事実を詳しく語っています。彼は睡眠や気絶について、「生命力」が一時停止されるが、破壊されるのではないと言っています。彼は、肉体の中の存在と同じくらい容易に、肉体の外の存在を想像できると思っているのです。つまり、肉体全部の解体がもはや私たちの真の自我を消滅させるようなものではなく、あるいは「我々がそこから印象を受けたり、普通に生存するためにそれを利用したりする、なにか本来のものではない物質の解体という以外には、私たちから生存能力、つまり知覚し行動する能力を奪うものではない」のに、私たちは肉体が持続するよう力をつくしているのかもしれないと、思っているのです。「我々の組織化された肉体は、我々のまわりのその他の物質以上のものではない」というのが、司教の見解のキーなのです。このことを証明するのに、彼は眼鏡の使用ということに注意を促します。眼鏡は、眼が果しているのと全く同じような知覚力のために用意された物体です。眼そのものはもはや眼鏡以上に知覚力のあるものではなく、眼鏡と同じように、真の自我にとっては用具にすぎず、また真の自我にとっては異質なもでしかないのです。「そして、我々が眼で見るのは、眼鏡で見るのと同じようだとしたら、我々の感覚全部について、類推から同様なことが結論されるのは当然だろう。」

ご存知の通り、ルクレティウスは正反対の結論にたどり着きました。そして私たち全員にとって、彼が司教の推論とは反対に何を主張しようとし、主張しえたのかを知るのは、役に立たないまでも、確かに興味深いことです。この点を簡単に議論しておけば、ある重要な問題の意味が私たちにわかるようになるので、ここでルクレティウスの弟子に司教の立場の強みを試してもらい、その後に、司教には、できるのであれば、その主張を押し戻すために、ルクレティウスの問題点を応酬してもらうことにしましょう。

このやり方で議論を進めてみましょう。「精神への提示(表象)というテストを課してみると、名高き司教様、あなたの見解は、克服しようのない困難がなければ、多くの者の精神に偉大なことを示しておられることになりましょう。あなたは『生きる力』『知覚力』『我々自身』について語られる。しかし、それを通じて作用すると考えられる生命体から切り離して、これらのもののどれかを心に思い描くことは可能でしょうか。正直にご自身を試してみて、あなたがそうした概念を形成することができる能力があるかどうか調べてください。真の自我は実際には我々個々の者に存在しており、このように居場所が限定されているなら、形を持つはずがないのでしょうか。もし形があれば、それはどんな形でしょうか。これまで一瞬でもそれを実感したことはありますか。脚を切断したら、体は二つに分かれますが、真の自我はその両方にあるのでしょうか、それとも一方にあるでしょうか。トマス・アキナスは両方にあると言っているのですが、あなたはそうではない。というのは、あなたはその一方が自我と無縁な物質であることを示して、二つの部分のもう一方に意識が結びついていると主張しているのですから。では、意識は真の自我の不可欠な要素なのでしょうか。そうだとしたら、意識を奪われた全身という場合には、あなたの言っていることは何なのでしょうか。そうでなければ、切断されて四肢には真の自我のどんな部分もないという根拠は何なのでしょうか。あなたのすばらしい本(そして私以上にその分別ある長所を賞賛する人はいないでしょう)の初めから終わりまで、一度たりとも脳髄や神経組織に言及がないのは、非常に奇妙に思えます。あなたは体の一方の端から始めて、その各器官が知覚力を損なうことなく除去できることを示します。もし反対の一方から始めて、脚の代わりに頭脳を除去したとしたら、どうなるのでしょうか。前と同じように、体は二つの部分に分割されます。しかし今やどちらの部分も苦境に陥ります。そしてどちらも、他方が無縁な物質であることを示して、それにに意識が結びついているとは主張できなくなります。さもなければ、脳髄そのものの除去までするかわりに、その骨ばった覆いの一部を除去し、軟らかい実質に一連のリズミカルに圧迫を加えたりそれを緩めたりしてみましょう。圧迫するたびに『知覚能力や行動能力』は消え、圧力を緩めるたびにその能力が回復します。圧力をかけている間には、知覚力はどこにあるのでしょうか。私は一度思いもかけずライデン電池の放電流が体内を通り抜けたことがありますが、そのときは、感じ取ることのできる間隔で、単に意識が飛ぶ以外、何も感じませんでした。その間、私の真の自我はどこにいたのでしょうか。雷撃から回復した人間は、もはや同じ状態ではありません。また実際、通常の脳震盪の場合、いかなる経験も意識に残らないうちに数日が過ぎることもあります。無感覚の期間はその人自身はどこにいるのでしょうか。私が人間に意識がなくなっていると思い込んでいて、実際にはずっと意識があり、単に自分に起こったことを忘れているということに疑問を投げかけているのだと、あなたは言うかもしれません。これには次のように答えましょう。私が言うことができるのはただ、迷信がこれまでそう感じさせそう思い込ませておけばよいとして創作した最悪の責め苦から、だれも尻込みする必要はないということだけです。あなたの道具説が、かりにも事物の基底にあるとは、私には思えません。電報のオペレータはその道具を持ち、それを使って世界中と交信します。私たちの肉体は神経組織を持ち、それが知覚力と外部の事物との間で同様の役割を果たします。オペレータの配線を切断し、その電池を破壊し、電針を消磁してみなさい。こうした手段でオペレータと世界は接続しています。しかし、これらは実際の道具であるけれど、それを破壊することでそれを使う人間に影響することにはなりません。オペレータは生存しており、自分が生存していることを知っています。人間という組織体系で、頭脳という電池が無感覚となるほど支障を来たしたり、完全に破壊されたりしたときに、こういうオペレータが意識をもって生存しているということに対応するのは何であろうかと問いたいのです。

「あなたも少しは考えたでしょうが、別の考慮すべき事柄が多少無理やり私のうえにのしかかっています。頭脳が健康状態から病的状態に変化して、そうした変化によって、もっとも模範的な人物が放蕩者や殺人者に変わってしまうかもしれません。私の非常に高貴でお墨付きの善良なる師は、あなたも知っての通り、嫉妬深い妻の媚薬によって頭に沸きだす猥褻なことに脅かされ、こうした低劣な刺激が屈する危険が生じるとすぐ、自殺したのでした。もし真のルクレティウスが以前同様に残っているのなら、こうしてルクレティウスの我が身を手にかけることが、どうやって可能だったのでしょうか。頭脳は不滅の理性の介入なしに、こんな調子の狂ったやり方で、作用できるのでしょうか、それともできないのでしょうか。できるとしたら、頭脳を合理的に自動化することが、健康な規範だけを必要とする原動力なのであり、あなたの不滅の理性の見せかけの必要性はまるで不要となります。できないのであれば、不滅の理性は、壊れた道具に作用する有害な作用によって、考えられる限りの無節操や犯罪を犯すという栄誉を担ってしまいます。私が思うに、こう言ってもよろしければ、もっとも由々しき帰結はあなたの肉体にたいする評価から生じているように思えます。あなたがやったように頭脳を支えや眼鏡だとみなすのは、頭脳の神秘、すなわち、頭脳の状態と私たちの意識の相互関係や、頭脳の血流のちょっとした過剰や不足があなたも触れているような気絶を引き起こすという事実、頭脳に関しては、私たちの食事や飲み物、空気、運動が完全に超常的な価値や重要性をもつという事実から眼を閉じており、このことをすべて忘れるのは、思うに、私たちの生活習慣に数え切れない過ちへの道を開き、場合によっては、まさに病気の元となり、さらに助長して、結果として精神を荒廃させるかもしれません。この神秘的な器官のより賢明な理解が、そうしたことを回避してきたのです。」

司教はこうした議論を聞いた後でも思いやりがあることだろうと私は思います。彼はこうした観点からの考察に付き合わされて怒り出すような人物ではありません。よく反省した後、自分が慣れ親しんだ事実を、不利な事実にさえ正当な評価を与えたいという欲求も含めて、誠実に熟考することで自説を補強して、司教は次のように論を進めるだろうと思います。「あなたが親切にも言及してくれた『宗教の類推』のなかで、私は何事も完全に証明すると公言しているのではないこと、それに宇宙の全体系に関しては、私たちの知識の小ささ、というより私たちの無知の深さについて、再三にわたり認めもし、強く主張してきたことを思い起こしてください。私の目的は、自然とその支配者の美しさと恩恵について雄弁に語りながら、キリスト教的理論体系のいわゆる不合理にたいする軽蔑しか抱いていない理神論者の友人に、彼らもまた私たちよりもましな状態にあるわけではなく、私たちの立場に見出される困難のそれぞれに応じて、彼らの立場にも同じくらい重大な困難があるということを、示すことでした。ここで、お許しいただければ、同じ論法を使ってみようと思います。あなたはルクレティウス派で、感覚力のない原子の結合と分離から、有機体やその現象を含めて、ありとあらゆるこの世の事物を導き出される。まず第一に言わせてもらえば、あなたに同調するにはどれほど心構えをしておけばよろしいのでしょうか。分子の力のこのふるまいから結晶体を作りだせること、ダイアモンド、アメジスト、雪の結晶がこうして作り出される真にすばらしい構造であることは、認めるとしましょう。さらに進んで、木や花でさえこのようにして作り出されるというのも承認しましょう。いやそれどころか、あなたが感覚のない動物というものを私に示すことができるのなら、それが分子の力の適切なふるまいによって組織されるというあなたの主張に同意してもよいのです。

「こうして私たちのやり方は明確になりますが、ここで問題が生じるのです。あなたの原子は個々には感覚がなく、ましてや知性のないものです。そこで、お尋ねしますが、次のような問題については、あなたはどう扱うのでしょうか。あなたの生気なき水素原子、生気なき酸素原子、生気なき炭素原子、生気なき窒素原子、生気なき燐原子、その他微塵にほども生気のないありとあらゆる原子をもってきて、それから頭脳を形成するという問題なのですが。それらが分離していて感覚なきものと想像し、それらが一緒に運動しながら思いつくかぎりの結合を形づくるのを観察してみましょう。こうした過程は、純粋に力学的過程として、頭では理解可能です。しかし、この力学的作用により、こうした個々の生気なき原子から、どうやって感覚が、思考が、そして情動が生じてくるのか、あなたは見たり夢想したり、あるいはなにか想像したりできるのでしょうか。サイコロをガチャガチャ振ればホメロスの詩句が出てきたり、玉突きの玉を一突きして微分法が生まれたりなんてことがありそうだと思うのですか。私はあなたの言うこの表象能力をまるで失ったわけではりませんし、我が同胞の多くと同じように、科学的知識に関しては単なる真空となるわけでもありません。私は麝香の分子が嗅覚神経にとどくまでそれを追跡し、音波の振動が内耳路の液体にとどき耳石とコルティ繊維を動かすまでそれを追跡することができるのです。また、エーテルの波動が眼球を横切って網膜にあたるにしたがって、それを視覚化できます。いやそればかりか、こうして抹消神経に伝えられた運動を中心器官にまで追跡し、振動しているまさに頭脳の分子を形相の中に見ることができるのです。私の洞察はこうした物理的過程で困惑させられることはありません。私を困惑させ当惑させるのは、こうして物理的振動から、それとは全く不釣合いな感覚や思考、情動といったものが引出されうるという考えなのです。あなたは、原子の衝突から意識が生れるのは、酸素と水素の結合から閃光が出ることと同じように不釣合なことではないと言ったり、思ったりするでしょう。しかし、言わせてもらえば、それは不釣合いです。というのは、閃光がもつような不釣合いというのは、私が今無理やりあなたの注意を引いたようなものなのですから。閃光は意識の出来事であり、その客観的な対応物は物理的振動です。それはあなたの解釈によってのみ、閃光であるのです。あなたこそがその明白な不釣合いの原因なのであり、あなたこそが私を困惑させるものなのです。偉大なライプニッツが私の感じている困難を感じており、死から生を引き出すというこの途方もない演繹を免れるために、あなたの原子を自分のモナドに置きかえたこと、このモナドというのは多かれ少かれ宇宙の完全な鏡であり、感覚的、知的、情動的といった、あらゆる生命現象がそこから現れると彼が仮定したものの総和と統合からなるということを、あなたに思い起させる必要はないでしょう。

「さて、あなた認めてくださるでしょうが、あなたの困難は私の困難と同じほどに重大なのです。あなたは分子過程と意識現象との間の論理的関連の点で、人間の知性をそれが求めるほどには満足させていません。これは唯物論が完全な生命の哲学であるふりをすると、不可避的に乗り上げる暗礁なのです。我がルクレティウスの徒よ、道徳とは何でしょうか。あなたも私も不機嫌なままこの大問題に取り組もうとは思わないでしょうが、そこには率直な意見の相違を入れる余地があるように見えます。しかしどちらの陣営にも理解力に乏しく頑迷な人々(私は謙遜して言っているのですが)がいて、いつでもこうした議論に怒りと罵倒を混ぜようと身構えているのです。例えば、今日注目すべき影響力のある著述家で、羞じらいもなく、偉大な論理学者の「深刻な個人的罪」が神学的教義を信じない原因だとする者がいます。我が祖先の作りあげ、私たちへと相続された偉大な聖書を大切にしている私たちは、必然的に偽善的で不誠実なのだと言う者もいます。こうした人々は否認し反対して、私たち双方の主張の善であり真であるものは人類の福利のために残り、不善あるいは偽なるものはすべて消え失せるだろうという確固たる信念を抱いていきましょう。」

私は司教の推論は反論の余地がないと思いますし、その公平無私な点はまねるだけの価値があると思います。

一点だけ司教がその時代の産物であったことは、注目するだけの価値があります。その時代以前には長きにわたって霊魂の本質は人気のあるありふれた話題であり、パリ大学の学生が新任教授の学識を知りたければ、直ちに霊魂についての講義を求めたほどでした。バトラー司教の頃には、この問題は世の関心を集めたばかりか、広範なものとなっていました。この領域に足を踏み入れた明晰な理解力のある人にわかったのは、その最良の議論の多くが獣と人間に等しく適応されているということでした。司教の議論もこの特色を帯びています。彼はそれを理解し、承認し、その帰結を受け入れていました。そして、大胆にも、動物界全体を彼の不死の体系になかに取り込んだのです。

バトラー司教は確固たる信念をもって旧約聖書の年代学を受け入れ、それを「よく知られた歴史家や大地の状態、後の芸術や科学の創案から集められた、自然史と文明史によって確証されたもの」だと述べています。これらの言葉は進歩を示すものですが、今日の司教の後継者にはなにかしら陳腐に思えるにちがいありません[15]。彼の時代の以降に博物学の領域がとてつもなく拡大したこと、つまり太古の地球の生命についての驚くべき発見を伴った地質学という科学の全体が生まれてきたことは、あなたがたに伝える必要はほとんどないでしょう。古い概念の頑迷さは緩み、6千年とか6万年とか6億年とかではなく、測り知れないほど年月を含む永劫の期間、この地球は生と死の舞台となってきたのだという考えに世間は寛容になってきました。岩石の謎は、先カンブリア紀の深みから今日の海洋底を越える厚みの堆積物まで、地質学者や古生物学者が読み解いてきました。ご存知のように、石の本のページには、歴史のインキで書かれたものより平明で確実な文字が刻まれていて、それが、バトラー司教が満足して見るのを止めた期間に比べると、はるかな過去の深淵へと精神を連れ戻るのです。

一度発見の鉱脈を掘り当てると、かつては活動的であった生命の石化した形態は数を増して膨大なものとなり、分類が必要になりました。それらは、その相互間に見られる類似性の度合によって属や種、亜種に分類されたのです。こうして混乱は回避され、各物件は、同じような形態学的あるいは生理学的特徴というそれやその仲間に適切な整理棚に置かれることになりました。すぐに、単純な生命形態は下の方にあり、累積する地層を上の方へいくにつれて、より完成された形態が現われるという、一般的な事実が判明しました。しかし、形態から形態への変化は連続的なものではなく、小さい場合もあれば大きな場合もあるのですが、段階的なものです。ハクスリー氏は「100フィートの厚さの切断面には、それぞれ異なる高さに1ダースもの種のアンモナイトが見られるが、そのどれもその特有の石灰岩層あるいは粘土層を越えて上の層や下の層に移ることはない。」と言っています。こういう事実があると、次の疑問を避けるわけにはいきません。それは、半端な期間であり、多くの不規則性を伴っているとはいえ、この明らかな一般的な進歩を示しているこうした形態は、発展や変化の継続的法則に従っているのではないかということです。私たちの受けた教育は純粋に科学的であり、他の領域では高尚なものだとはいえ、物理学の領域に因子として持ち込めば必ず障害となり誤りの原因となるのが明らかな影響力からは、十分に距離を置いてきたので、科学的精神は発展法則の探求から逸れたり、継起する地層を古い種との関係全体から新しい種を作り出すための機械工の作業台のようなものとみなすような神人同形説を受け入れたりすることは、ありえません。

しかしながら、大多数の博物学者は、その以前に受けた教育による偏見から、生命体の新しい群が出現するたびにその説明として特別な創造行為を持ち出すのです。これは全く説明になっておらず、実のところ、大きな困難を持ち込むことで、小さな問題を説明しようとする試みだということに気づいている頭脳明晰な人は、疑いもなく数多くいました。しかし、説明についてはなにも提示しないことで、彼らの大多数は平穏を保ったのでした。今でも、人間のことをよく考えてみようという考えは当然にもまた必然的に問題の周辺でくすぶりつづけています。ニュートンの同時代人のド・マイエは「生命形態が変わりうるという考えを持った」人としてハクスリー教授の注目を惹いてきました。私が教授としょちゅうかわした会話の中で言ったのですが、大いに哲学精神にあふれた故ベンジャミン・ブロディ卿のおかげで私は幾度となく、早くも1794年にはチャールズ・ダーウィンの祖父がチャールズ・ダーウィンの先駆者となっていたという事実に注目してきましたを示すものですが、今日の司教の後継者にはなにかしら陳腐に思えるにちがいありません[16]。有名なラマルクは、『創造の痕跡』の著者がその見解を強固に解説したことで、世論に深い印象を与えてきましたが、1801年以降、種の発展は習慣や外的条件の変化から生じることを熱心に示そうとしてきました。1813年には、今日の露理論の提唱者であるウェルズ博士は、イギリス王立協会で読み上げた論文の中で、ダーウィン氏の言葉を使って、「彼は自然選択の原理を明確に理解しているが、これはこれまで示された中で最初の理解である」と述べています。ウェルズがその研究を行なったさいの徹底主義と技量、それに見るからに独立独歩の性格から、ずっと前から私は彼のことがお気に入りでした。それで、彼の洞察に次のような付加的な証拠をみつけたことはとてもうれしいことです。グラント教授、パトリック・マシュー氏、フォン・ブーフ氏、『痕跡』の著者、ダーロイ氏、その他の人々[17]が多かれ少なかれ明瞭で間違いのない意見を述べていることで、1858年のずっと前から問題が発酵していたことが示されているのです。この1858年は、ダーウィン氏とウォーレス氏が同時に、しかし独立にこの問題についての非常に一致した見解を、リンネ協会に提出した年です。

この論文に引き続いて、1859年に『種の起源』の初版が刊行されました。偉大な事物はみな、ゆっくりと生まれ出づるものです。述べましたように、コペルニクスはその偉大な研究を33年間も熟考しました。ニュートンは重力という概念を20年近く暖めていましたし、また20年間、導関数の発見を熟考しており、ライプニッツに追いつかれていることに気づかなければ、個人的な考察の対象にしつづけていたにちがいありません。ダーウィンも22年間、種の起源という問題を熟考していて、ウォーレスに追いつかれていることに気づかなければ、おそらく熟考しつづけていたことでしょう[18]。その成果が、濃縮されているけれど、十分で説得力のあるその労苦の梗概でした。この本は決して平易なものではありませんでした。読み通そうとする人には、おそらくどこも容易ではなく、この本に重要な意義があるとしても、それを理解する能力がなかったのです。私はただ彼らの面目をつぶそうとして、こんなことをいっているのではありません。というのは、当時は本当に傑出した科学者でも、一般世論の先入見の熱気に完全に乗って、科学が提供する結論を何でも喜んで受け入れて、それが事実や議論によって十分支持されている見なし、ダーウィン氏の見解を全く取り違えた人もいたのです。実際には、この著作には解説者が必要なのですが、ハクスリー氏はそういう解説者の一人なのです。私の知る限り、科学的解説としては、種の起源についてのハクスリー氏の初期の記事ほど見事なものはありません。彼は問題の真に重要な点を示すことで、議論の紆余曲折を一掃し、深い独自の見解や考えで自分の解説を補強し、何ページにも及ぶまとまりの悪い意見を、簡潔な一文にまとめることもしばしば行っています。しかし、どんな判りやすい解説でも伝えられない、この本そのものがもたらす印象があります。それは、その成果に含まれている、観察の点でも思考の点でも費やされた多大な労力という印象です。その原理を一瞥しておきましょう。

いわゆる品種と言われるものが絶えず作り出されていることは、誰しも認めるところです。その規則にはおそらく例外というものがありません。どの雛も子も、あらゆる点で、その兄弟姉妹とそっくりということはありません。そうした違いに、「品種」の発端があるのです。この変異がどの程度まで起るのか、博物学者は誰も言うことができません。しかし、その大多数が、かなりの程度の内的あるいは外的な変化やその混合によっては、同じ祖先の子孫が、異なる種となるほどお互いにずれることはありえないと思っていました。実験主義的哲学者の機能は、自然の諸条件を結合して、その成果を創り出すことにありますが、これがダーウィンの方法[19]でした。彼は、品種を創り出すやり方で確実にできることについて、よく知っていました。彼はハトの飼育者と知合いになり、彼の得た各系統を買ったり、もらい受けたり、預かったり、観察したりしました。共通の系統から由来したとしても、こうしたハトの多様性は、「選択によるものなのだが、鳥類学者が野生の鳥だと言われて見せられたら、明確な種だと分類するに違いない」ようなものなのです。ハトの飼育者を導く単純な原理は、畜産家を導く原理と同じで、気に入った変種を選択することと遺伝によってこの変種を殖やすことです。増大させたいと思う特定の外観にじっと注目して、子孫の血統に再現するようなものを選択し、親のタイプとはびっくりするほど異なるまで、増加を重ねるのです。この場合、飼育家は品種の要素を創り出しているのではありません。ただ、そうした要素を観察し、求める成果が得られるまで、選択によってそれを付加しているだけなのです。ダーウィン氏はこう言っています。「誰も、普通より少し尾が発達したハトを見るまでは孔雀尾のハトを作ろうとしたりしないし、通常より素嚢の大きなハトをみるまではふくれっ面のハトを作ろうとはしないものだ。」こうして自然が手掛かりを与え、人がそれに基づいて行動し、遺伝の法則によって逸脱が大きくなるのです。このように疑いようのない事実によって、動物や(まったく同じ扱いを植物に加えることによって)植物の組織がある程度可塑的であるということに納得すると、彼は家畜化された品種から、自然状態の変種へと向かうのです。これまでは、人間の意図的選択によって小さな変化が累積していくことを扱ってきました。自然はこうした選択を行えるのでしょうか。ダーウィン氏の答えは「確かに自然は選択できる」というものです。生み出された生物の数は、養える数をはるかに超過します。だから、生物にはその生涯のあれこれの時期に、生存のための闘争があるのです。その確実な結果は何でしょうか。もしある有機体が強さや技量、敏捷性の点で他のものの完全なコピーであれば、外的条件が決定権をもつでしょう。しかしこの場合はそうではありません。前の事例では人間に変種が売り込んだように、ここでは変種が自然に売り込むという事実があります。少なくとも周囲の環境にうまく対処する能力のある変種は、必ずやもっとも能力をもったものへと至る道を手にするのです。諺を使えば、弱者必敗ということです。しかし勝利を収めた部分も、その生存を保障する性質を伝えながら、過剰繁殖しますが、それが伝わる度合いは異なっています。食物にたいする闘争もまた並存しており、有利な性質が過剰に伝えられたものが確実に勝利するでしょう。容易にわかるように、個体にとって有利な性質の付加増強していくことは、家畜の場合より厳格に実施されます。というのは、不利な種は自然に選択されないだけでなく、滅亡するからです。これがダーウィン氏の言う「自然淘汰」であって、「それぞれが保存される存在とって有利な、小さな遺伝する変化の保存と累積によって作用する」のです。この着想を使って、彼は自分や他人が収集した膨大な事実を相互に浸透させ発酵させたのです。私たちは、恐怖や先入見から目を閉じていなのなら、ここでダーウィンが扱っているのが、想像上の原因ではなく、真の原因であることを見誤ることはないし、十分長い期間には自然淘汰によってどんなに大きな変化がもたらされるのか認識しそこなうことはないでしょう。個々の個体の増大は数学者が「微分」(無限に小さな量)と呼ぶものに似ています。しかし、実際上は無限な時間を通して、こうした極微量の集積によって、はっきりとした大きな変化が明らかに生じてくるはずです。

もしダーウィンが、ブルーノと同じように、人間のやり方にならって作用する創造の力という概念を拒否するとしたら、それは、この超自然的な職人という考えが基礎を置いている数多くの絶妙な適応を知らなかったためではないのは確かです。彼の本は、この説明についての驚くべき事実の宝庫なのです。クリューゲル博士から彼が引用している信じられない観察をとりあげてみると、あるランは噴出口として働く開口部のあるバケットの形をしたものがあります。ミツバチが花にやって来ると、熱心に巣の材料を捜して、互いにバケットの中に押し込みますが、噴出口による無理矢理の水浴びから、びしょ濡れびなったハチが逃れ出ます。ここで、ハチは背中を花のねばねばした柱頭にこすりつけ、粘着物が付着します。それから花粉塊にこすりつけるので、こうしてそれはミツバチの背中にはる着き運ばれていくのです。「そうだとすれば、ミツバチが別の花へ、あるいは同じ花へ二度目に飛んできて、仲間にバケットの中に押し込まれ、それから通路をはい出るとき、背中の花粉塊は必然的にまずねばねばした柱頭に接触し」柱頭に花粉がつくのです。これがランが受精する方法なのです。もう一つカタセトゥム属の場合をみてみましょう。「ミツバチが唇弁を噛りにこの花を訪れるが、こうすることでハチは不可避に長い、先細りの、動きやすい突起に触る。この突起は、触ると、刺激というか振動をある種の膜に伝え、するこの膜は直ちに破れて、バネを解放するので、花粉塊はまっすぐ矢のように発射され、そのねばねばした先端でミツバチの背中にはり着く。」こうして受精のための花粉は四方に散布されるのです。

この精神は、このように神学者に最適な素材で一杯だけれど、神学を拒否し、こうした驚異を自然な事例だとしようとするのです。彼によれば、こうした驚異は、人間のような職人の「技巧」ではなく、自然のとる手法を説明しているのです。花の美しさは自然淘汰のおかげなのです。まわりの緑の葉から鮮かに目立つ色の花は、直ちに見分けられ、もっともよく昆虫が訪問し、もっとも受粉しやすく、それで自然淘汰によってもっとも有利なのです。色の着いた漿果もすぐに鳥や獣の注意を惹き、その餌となり、その成熟した種子は広く散布され、こうした漿果をつける木や灌木は生存競争でより大きなチャンスに恵まれるのです。

深遠な分析的な技術や綜合的な技術をつかって、ダーウィン氏はミツバチの巣穴を作る本能を研究しました。それを取り扱う彼の方法は典型的なものです。彼はより完成された本能からあまり完成されていない本能へ、ミツバチから自分たちの繭を巣穴として使うマルハナバチへ、中間的な技能をもつハチの仲間へと後戻りし、もっとも未発達のものからもっとも発達したものへと段階的にどのように推移していったかを示そうと努めるのです。ハチの経済では蜜蝋の節約がもっとも重要な事柄です。1ポンドの蜜蝋を分泌するには乾燥した砂糖が12から15ポンド必要とされています。ですから蜜蝋に要する蜜は莫大なものにちがいありませんし、また、蜜蝋の節約になるような建設本能の改良はどれも昆虫の生活の直接的利益となるのです。そうでなかったら蜜蝋を作るのに使われる時間が、今や冬の食料として蜜を集め蓄えるのに使われます。彼は粗野な巣穴を作るマルハナバチから、もっと芸術的な巣穴を作るオオハリナシミツバチ属を介して、驚くべき建築物を作るミツバチへと移っていきます。ミツバツは蜜蝋の上に等間隔離れてとまり、選ばれた地点のまわりを同じ球形に払いのけて掘削します。球は交差し、交差面を薄い膜板で作り上げます。六角形の巣穴はこうやって作られるのです。こうした問題を取り扱うこのやり方は、前にも言ったように、典型的です。彼はいつも。より完成した複雑なものから、あまり完成されていない単純なものへと撤退し、それから完成していく諸段階を進みながら、微少な変化をしだいに増大し、こうしてあなたの感じる抵抗感をしだいに取り除いて、全体の絶妙な頂点は自然淘汰の成果かもしれないと認めるようにするのです。

ダーウィン氏はいかなる困難も回避しません。彼はあるがままの問題を、自分の思考に染み込ませて、自分の理論の強み同様、弱点についても批評家よりもよく知っていることでしょう。もちろん、彼が永続不朽といういう意味での真理を確立しようというかわりに、論証上の一時的勝利を目的としているのであれば、これはたいして役に立たないでしょう。しかし、彼は自分が認める弱点を苦労して隠そうとはしません。いやむしろ、彼はその弱点を白日の下にさらそうという努力を惜しみません。彼の莫大な資料のおかげで、彼は自分自身や他人が始めた異論に対抗できるのですが、そのことで、たとえそれらの異論に完璧に答えられないとしても、それらが確かに致命的なものでないという最終的な印象を、読者の精神に残すことができるのです。その否定的力はこのように破壊的ですが、彼があなたたちの前に提出できる多くの肯定的な証拠の山から影響を受けるのは自由です。この知識の膨大さと資料の使い易さのおかげで、ダーウィン氏は対抗者にとってもっとも恐るべきものとなっています。熟達した博物学者は彼に深刻で持続的な批判を向けきましたが、それはいつでも彼の理論に正当な評価を下したものというわけではなく、その弱点だけを曝け出そうという明確の意図をもったものでした。このことは彼を苛立たせはしません。彼はどの異論も、バトラー司教でさえ見習われたことを自慢に思うほど、冷静にかつ徹底的に扱い、それぞれの事実を適切な詳説で取り囲み、その固有の関係に置き、たいていは、それが孤立しているかぎりでは見えてこない重要性をそれに付与します。まるで怒りを見せず、これを行なうのです。彼は氷河のような冷静な力強さで問題をかたづけるのですが、岩を砕くことがいつでも反対論者の論理的粉砕に似ているわけではないのです。

この巨大なテーマを扱う際に、あらゆる情熱が沈静化しているとしても、ダーウィン氏の本を特色付け魅力あるものにしている新しい真理を知ることに付随した知的な感情が存在します。彼の成功は偉大なものでしたが、それは彼の研究が堅実だということだけでなく、こうした新事実にたいして世論の準備も整っていたことを意味しています。この種のものでは、アガシの見解が私には他にぬきんでて印象深いものでした。神学者の一族の出身のこの著名人は最後まで自然淘汰の理論と闘いました。私は米国で何度も彼とお会いしましたが、そのうち一度はボストン近郊のブルックリンにあるウィンスロップ氏の美しい邸宅でお会いしました。昼食会の席を立ち、まるで共通の衝動にかられたかのように窓の正面で立ち止まり、私たちは食卓で始まっていた議論を続けたのです。楓は秋の美しさ盛りでしたが、私のとっては、外の景色のこの上ない美しさも知的な活動を邪魔することなく染入ってくるかのようでした。真剣に、ほとんど悲しげな様子で、アガシは振り向き、周囲の紳士たちにこう言いました。「告白するが、私は当代一流の知識人が受け入れたみたいには、この理論を受け入れる用意がないんだ。その成功は私が思った以上に大きいんだね。」

私たちの時代には大きな一般化が達成されてきました。種の起源の理論もその一つにすぎません。かなり広く理解されもっと根源的な重要性をもつこうした一般化の別の例としては、今のところ漠然としか理解されていない究極の哲学問題である、エネルギー保存の学説があります。この学説は、これまで認められていた以上に「自然を宿命的に固く結びつけ、」どの前提からもそれと同等の結果を引き出し、どの結果からもそれと同等の前提を求め、物理現象だけでなく生命現象も、人間の理解力が今まで洞察した限りでは、自然界のどこでも主張されたきた因果関係の法則の支配の下に置くのです。問題についてのどんな明確な実験よりもずっと先立って、物質の不変性や不滅性が主張され、その後のあらゆる経験がこの主張を正当化してきたのです。後に研究が力の不滅性という特性を拡張しました。この考えは、最初は非有機的な自然の事例に適用されたのですが、すぐに有機的自然も含むようになりました。植物界は、その栄養物を目に見えない源泉から引き出すけれども、物質でも力でも新たに生成することはできないことが証明されました。その物質は大部分が気体が変わったものであり、その力は太陽の力の変形なのです。動物界も同様に創造的ではなく、その動力エンジンはすべてその食物の酸化燃焼であることが証明されました。総じてそれぞれの動物の活動は、その分子の転換した活動であることが証明されています。筋肉は力学的力の貯蔵所であり、その力は神経によって開錠されるまでは潜在力となっており、開錠されると筋肉が収縮することで発現することが示されました。メッセージが神経をあちこちに伝わる速度は決まっていて、以前に思われていたように、光や電気と同じ速度ではなく、飛翔する鷲よりも遅いことが判明しました。

これは物理学者の仕事でしたが、次いで、最下等の植虫類から人間にいたる全ての生物学的連鎖の中の各動物の構造や各器官の機能を明らかにする比較解剖学者や生理学者の征服地となりました。神経系は深遠で持続的な研究の対象となり、肉体的、精神的な全体としての有機体に神経系が行使している、素晴らしく、また根本的には神秘的な統制力がしだいに認知されるようになってきたのです。思考を大いに示唆的な話題から遠ざけているわけにはいかなくなりました。ダーウィン氏が扱った肉体的生命に加えて、同じような漸次的変化を示す精神的生命があって、同様に解決を求めているのです。精神の様々な段階や秩序をどのように説明できるでしょうか。私たちの惑星の上では理性を頂点とするこの神秘的な力の成長の原理は何なのでしょうか。これらは、無理やり世論の注目に浴びようとするわけではないにしろ、多くの思慮深い人たちの心を占めてきたというだけでなく、「種の起源」が現れる以前に、その中の一人が公式に持ち出した問題でした。

入手した物理学者と生理学者が提供する多くの材料を使って、ハーバート・スペンサー氏は、20年前に、この土台のうえに心理学の体系を移植しようとしました。そして2年前には彼の研究の第二の大幅に拡張した版が現れました。プラトーの美しい実験に心奪われた人は、油と同密度のアルコールと水の混合液に浮遊するオリーブ油の二つの小球が一緒にしたとき、それらが直ちには一体とはならないことを思い出すでしょう。何か薄膜のようなものが油滴のまわりにつくられて、その膜が破裂した直後に小球は一つに合体するのです。生命活動がこの油滴のようにほとんど純粋に物理的なものであるような有機体が存在します。こうした有機体から別の有機体へと次第に高くなり、さらにそれから別の有機体へと次第に高くなって、ずっと上昇していく連鎖を上っていくところから、スペンサー氏はその議論を進めます。ここで考慮しておくべき二つの因子、生物とそれが生きる媒質、あるいはよく言われるように、有機体とその環境とがあります。スペンサー氏の基本原理は、この二つの因子の間には絶えず相互作用があるということなのです。有機体は環境によって刺激され、環境の要求に遭遇して変更を受けます。彼が定義する生命とは「内的関係を外的関係に継続的に適合すること」なのです。

最下等の有機体では体全体に拡散したある種の触覚があります。それで、外部からの圧感とそれに応じた調節によって、表面の特定の部分が他の部分より刺激により敏感になります。感覚はいま発生しようとしているところであり、2300年前に賢人デモクリトスが感覚の共通の祖と認めたように、単純な触覚が感覚すべての基礎なのです。光の作用は、まず第一に、動物の組織の中の化学処理の単なる阻害であるように思われます。植物の葉で生じていることも同様です。次第に、作用は少数の色素細胞に局所化し、周囲の組織よりも光に敏感になります。ここに眼の起源があるのです。最初は、それはただ、間近に迫る物体がつくる光と影の変化を感じ取ることができるだけでした。たいていの場合、光が妨害された後には間近の不透明な物体との接触が起こるので、この状態では視覚は一種の「予期接触」となります。調整過程は続き、色素顆粒の上で表皮がわずかに膨れ上がることが生じます。レンズの起源です。そして、計り知れない調整という操作によって、ついには鷹や鷲に示されているような完成に至るのです。他の感覚も同様です。それらは元々は全体にわたる漠然とした感応する組織が特殊化したものです。

感覚の発達とともに、有機体と環境の間の調整はしだいに空間的に拡大し、経験の増大ととそれに応じた行動の修正が生じます。調整はまた時間的にも拡大し、絶えずより大きな間隔をカバーするようになっていきます。こうした空間的、時間的拡大にともなって、動物の様々な段階を通じて、調整は特殊化や複雑化でも増大していき、理性の領域まで到達するのです。接触感覚が知性の発達に及ぼす影響に関するスペンサー氏の見解は非常に特徴的です。この感覚は、言うなれば、すべての感覚の母語であり、あらゆる感覚は有機体の役に立つにはこの接触感覚に翻訳されなければなりません。その重要性はここに由来するのです。鸚鵡は鳥の中ではもっとも知性が高く、その触覚の力も最大です。この感覚から、鸚鵡は足を手のように使うことのできない鳥では獲得できないような知識を得るのです。象はもっとも賢い四足獣です。そのすばらしく融通の利く鼻のおかげで有するその触覚できる範囲と技能、およびその結果得られる経験の増大は、象の聡明さの基礎となっているのです。同様の理由から、ネコ科の動物は有蹄類より賢いのです。ただ馬の場合は、敏感で物をつかむのに適した唇をもつことで、ある程度までは埋め合わせされているのですが。霊長類では知性の進化と触覚力のある腕の進化は、同一歩調で進みました。もっとも知性の高い類人猿では、触覚できる範囲も繊細さも大いに増大し、こうして知識への新しい大通りが動物に開かれます。ここで人類は、その操作力のおかげだけでなく、経験の範囲の莫大な拡大を通して、補足的感覚や補足的四肢として役立つ精密な用具を発明することによって、殿堂の頂点に立っているのです。これらの相互作用が細かく記述され、説明されています。私がダーウィン氏に関連して述べた鍛えられた知的な感情は、スペンサー氏にはありません。彼の説明は、時には、過度の生彩と力を帯びています。こうした場合の彼のやり方からは、この理知の伝道書の神経節は時に生まれ出ようとする詩的な興奮の病巣となっていると思わざるえません。

最初は実行するのに困難な労苦や慎重な配慮さえ要した行動も、習慣によって自動的なものになることは、とても重要な事実です。子供がゆっくりと文字を習い、その結果、成人になって読む能力を得るという例を見ると、単語を作っている文字群が直ちに、苦労もなく単一の概念と融合します。玉突きをする人の例では、その技芸が完成すると、手の筋肉と眼は無意識に調整されます。音楽家の例では、練習によって、聴覚や触覚や筋肉といった多くの組合せが自動的な楽器演奏の過程に融合できるようになるのです。こうした事実を遺伝的伝達の学説と結びつけると、本能の理論に到達します。卵から孵化した雛は、適切にバランスをとり、走りまわり、餌をつつき、こうして、明確な目的に向かって運動する能力を持っていることを示します。雛はどうやって眼うあ筋肉や嘴のこういう非常に複雑な調整を学んだのでしょうか。個別に教えられたのではありません。その個体的経験は無なのです。しかしそれは先祖伝来の経験という恩恵を受けているのです。その受け継いだ組織には、誕生の時に示した能力がすべて記録されています。すでに述べたミツバチの本能に関しても、同様なのです。昆虫が半球を掻き出し巣穴を作るときに、離れてとまる距離は、「器官によって記憶されて」いるのです。

人間もその祖先からの肉体的組織がついてまわるのは、それに密接に結びついた遺伝的な知性と同様です。幼年期や青年期に知性が欠けているのは、人生の初期には大脳組織がまだ未完成だということよりも、個人的経験が不足しているせいです。完成に必要な期間は、人種や個人により様々です。銃口から発射されるとき無施条弾のほうが施条弾より速いように、子供時代には下等な人種のほうが高等な人種より早く成長します。しかし結局は高等な人種は下等な人種に追いつき、射程内で凌駕するのです。個人に関しては、青年期の早熟がいつも成熟期の精神能力にまで続くというわけではありません。また子供時代の愚鈍さが後年の知的エネルギーと著しい対照をなすこともあります。ニュートンは、少年の頃、虚弱で、学校では特別の素質を見せませんでしたが、18歳の時にケンブリッジに入り、すぐその後、幾何学問題を扱う能力で教師を驚かせたのでした。全くの青年期には、彼の頭脳は後に示したエネルギーをもつ器官となる準備をゆっくり整えていたのです。

(ルクレティウス派の言葉を使えば)多数の打撃によって、外的世界の像や銘が有機体に意識の状態として押しつけられますが、その圧痕の深さは打撃の数によって決まります。環境において二つ以上の現象がいつもきまって一緒に起きるとき、それは同じ深さ、あるいは同じ起伏の痕跡を残し、永続的に結合します。ここで私たちは大問題の戸口に入るのです。どうやっても空間と時間の意識から解放されることがないとわかると、カントはそれらが「直観形式」であることが必然で、私たちの直観が投げ込まれる鋳型は私たち自身に帰属しており、客観的存在の範囲外にあると想定しました。思いもよらぬ力と成功で、スペンサー氏は、彼の主張する遺伝的経験の理論を、この問題と関係させました。「あらゆる有機体がその覚醒している生活のどの瞬間にも経験するような、ある外的関係が、つまり無条件に一定で普遍的な外的関係が存在するなら、相応する無条件に一定で普遍的な内的関係が確立されるだろう。私たちがこうした関係をもつのは、空間と時間の関係の中なのだ。客体についてのその他すべての関係の基層として、それには自我におけるその他すべての関係の基層であるような概念が対応しなければならない。それらは変ることなく無限に繰り返される思考要素であるから、それらは自動的な思考要素、つまり逃れることのできない思考要素、「直観形式」でなければならない。」

「不可分連想の法則」のこの応用と拡張の間ずっと、スペンサー氏は独自の立場に立って、個人の経験ではなく、人種に書き込まれた経験を引き合いに出しています。私が思うに、彼は徹底的に経験が個人的なものだとする制限を覆しました。そういう制限は、各個人が最初からもっている経験を組織化する能力を無視しています。それは、この能力の度合が、人種が異なれば異なり、また同じ人種では個人が異れば異なることを無視しています。人間の頭脳に経験に先行する潜在能力がないとしたら、犬や猫も人間と同じように教育が可能なはずです。これらの前もって決定されている内的関係は、個人の経験から独立しています。人間の頭脳は、「生命が進化してきた間の、というより人間という有機体に至るまでの一連の有機体の進化を通して、受け取ったかぎりない経験の組織立った記録簿なのだ。こうした経験のうちもっとも一様でよく起る経験は次から次へと伝えられ、重要性と影響力をもち、幼児の頭脳に潜んでいる高い知性へと次第に高まっていく。それで、ヨーロッパ人はパプア人より20から30立方インチ大きい頭脳を遺伝的に受け継ぐことになる。それで、劣等な人種にはほとんど存在しない、音楽といった能力を、優秀な人種は先天的にもつことになる。それで、自分の指を数えることができず、名詞と動詞だけからなる言語を話す野蛮人から、ニュートンやシェークスピアが現われることになる。」

この演説の発端で、経験の外にある物理法則が経験から抽象化の過程によって導き出されると述べました。この観点から、新しい概念が継起して導入されることに注目しておくのは有益です。重力の引力作用という考えより前に、磁石が鉄を引きつけ、擦った琥珀が軽い物体を引きつけることが観察されていました。磁力や電気の極性は感覚に訴え、こうして、原子や分子がはっきりした、引きつけたりや斥けたりする極を持っているという概念の起基礎となりました。その作用で結晶構造の一定の形が作られるのです。こうして分子の力は構造的なものとなります。その働きを有機的自然に拡張し、分子力の中に植物と動物の双方を作り上げる作用を認めるのに、大胆な発想は必要ありません。このようにして、経験から完全に超経験的な概念が生じるのです。古代の原子論者はだれ一人、分子の極の力のこの働きについての概念を抱くことはありませんでしたが、落体が示す重力は経験していました。このことから抽象して、彼らは自分たちの原子が、空虚な空間を永遠に落ちるものとしました。デモクリトスは大きな原子が小さな原子より速く動き、大きま原子が小さな原子に追いついて、結合できるのだと想定しました。エピクロスは、空虚な空間では運動にたいする抵抗はありえず、すべての原子は同じ速度をもつと主張しました。しかし、このような環境の下では原子はけっして結合できないという結果を見落していたようです。ルクレティウスは物理の領域をすっかりあきらめて、原子がくっつくのはある種に意思によるのだとすることで、難問を解決しました。

こうしてルクレティウスが自分自身の原理を踏みはずしたのは、まったく直観のせいだったのでしょうか。祖先の数がしだいに減少して、ダーウィン氏はとうとう一つの「原初形」にまでたどり着きました。しかし、私の憶えているかぎり、彼はどのようにしてこの形態が導入されたと思っているのか、語ってはいません。彼は「神が少数の、他の必要な形態に自己発展する能力をもった原初形態を創造したと信じるのは、神の法則の作用で生じた真空を埋め合せるため、神は新な創造の御業が必要だと信じるのと同じく、すばらしい神の概念なのだということを、しだいに理解することを学んだ」ある高名な著述家にして聖職者の言葉を満足げに引用します。生命の導入についてのこの見解についてダーウィン氏がどう思っているのか、私にはわかりません。しかし、神人同形説は、それを拒絶するのが彼の目的であるように思えるのですが、少数形態の創造にも、多数形態の創造にも同じように緊密に結びついています。ここでは私たちに必要なのは明晰さと徹底性が必要です。進む道筋で可能なのは二つあり、二つだけしかありません。気楽に創造の御業という概念へのドアを開くか、それとも、それを捨てて、物質の概念を根本的に変えるか、どちらかなのです。もしデモクリトスが思い描き、何世代にもわたって科学の教科書で定義されたようなものとして物質を見るなら、それから何が出現するのであれ、なんらかの生命形態という概念は全く想像もできません。バトラー司教が口にする議論は、私の意見では、こうした唯物論を粉砕するのに十分です。しかし、こうした物質の定義を作り上げたのは、生物学者ではなく、数学者であり、その努力は彼らの公式で表現できるような偶発的性質や特性にだけ向けられてきました。彼らが力学の探究に没頭しているまさにそのことが、彼らの思考を生命科学から逸らせているのです。彼らの不完全な定義が、私たちの現在かかえている不安の真の原因ではないのでしょうか。敬虔に、しかし公正に、問題を直視しましょう。物質を離れて、どこに生命が見つかるのでしょうか。私たちの信仰が何を言おうが、私たちの知識はそれらが分ちがたく結びついていることを示しています。私たちが食べる食事、飲む飲物のそれぞれが、物質による精神の神秘的な制御を明かにしているのです。

生物の系統をたどり返し、それが純粋に物理的な状態と言われるものにますます近づいていくのを見てみましょう。ついには、アルコールと水の混合液に浮遊する油滴にたとえられるような有機体にたどりつくでしょう。私たちはヘッケルのプロトジーンに達っするのですが、そこには、「微細な粒子的特性によってだけ卵白の断片から区別できるような型」が認められるのです。私たちはここで立ち止まることができるでしょうか。磁石を破砕すると、その破片のそれぞれに二つの極が見つかります。破砕の過程を続けると、どんなに小さな部分でも、それぞれが、弱くなったとわいえ、全体の極性を帯びているのです。そして、もはやこれ以上破砕できなくなったとき、知的洞察を磁子にまで延長するのです。生命の場合は、同じようななにものかにまで延長するよう駆り立てられはしないのでしょうか。「自然は神々の干渉がなくても、自発的にそのすべてのことを成すように見える」と主張したルケレティウスに、あるいは物質は「哲学者が描いてきたような単なる空虚な容器ではなく、自らの子宮の果実として万物を絞り出す宇宙の母である」と断言したブルーノに、なに程か近づきたいという誘惑にかられないでしょうか。自然の連続性を信じているかぎり、私は顕微鏡が使えなくなるところで、突然止めることなどできません。ここでは頭腦の洞察力が、権威を持って、眼の観察力を補完するのです。知性の必要によって、私は実験的証拠という制約を越え、知性の必要から、私は実験上の証拠という境界を越え、私たちが、その潜在力を知らず、またその創造者へ畏敬の念を抱きながらも、これまで軽蔑で覆い隠してきた物質に、あらゆる地球上の生命となる有望さや可能性を認めるのです。

なんらかの生命形態が、実証できる先行する生物がなく、物質から発展したことを証明する最小限の証拠があるのではないのかと尋ねられれば、私の答は、多くの人たちが全く確実だと思う証拠は示されてきたし、それに、私たちはこの問題をじっくり考えてきたのですが、その中には、ごく普通の実例を追い求めようとしたり、それが私たちの信念と一致するという理由から、私たちもまた問題となっている証拠に熱心に取り組むべきただという信仰告白を受諾する人もいるということになります。しかし真の科学者には、自分の信念を堅持したいという願望より強い願望、つまりその信念が真実であって欲しいという願望があります。この強い願望が原因で、自分の信念が誤りによって価値を損うかもしれないという理由があれば、妥当な支持を拒絶することになるのです。私がこの問題の研究をしてきたと言っている人たちは、「自然発生説」に有利な証拠が出てくるということが、このように価値を損なっていると信じるので、それを受け入れることができません。現在、化学者たちが、ちょっと前には生命力の産物としか考えられなかった、おびだただしい数の物質を無機物から製造していることは、彼らは十分にわかっています。彼らは結晶化現象で立証されている物質の構造的な力についてよく知り抜いています。彼らは、適切な条件下では、物質が有機体を産み出すことが可能だという信念を、科学的に正当化できます。しかし、あなたの疑問に答えるなら、彼らは、実証できる先行する生命から以外に、生命が発展できるという満足のいく実験的証明を示すことができないことを率直に認めるでしょう。すでに指摘したように、彼らは最高の有機体から、より下等な有機体を介して最下等な有機体へと、線を引き、そして、知性によって感覚の範囲を超えてその線を延長することが、ブルーノが大胆にもはっきり表明した[20]結論へと彼らを導いていくのです。

ここで言明されている「唯物論」は、あなたが思っているものとは大きく異っているかもしれません。その点は、ご容赦願って最後まで我慢してください。J.S.ミル氏は「外的世界の問題は形而上学の主戦場だ。」[21]と言っています。ミル氏自身は外的現象を「知覚可能性」に帰着させています。カントは、すでに見たように、時間および空間の「形式」を私たちの直観から作り出しました。フィヒテは、まずは、その理知力の冷徹な論理によって、自分自身が自然の中で厳格に成り立つ永遠に続く因果関係の連鎖の単なる連結環にすぎないことを証明しておいて、自然とそれが継承しているすべてのものが、自分自身の精神の幻影だとすることで、連鎖を荒々しく引きちぎりました[22]。そして、こうした概念の闘うのは決して生易しくはありません。というのは、私が、あなたを見たと言い、そのことは微塵も疑わしくはないと言うとき、その応答は、私がほんとうに意識しているものは、私の網膜の作用だということになるからです。私はあなたに触れることで、私があなたを見ていることを検証できると主張すれば、私は同様に事物の境界を超えている、というのは私がほんとうに意識しているのは、あなたがそこにいることではなく、私の手の神経が変化を受けたということなのだからと、応酬されるでしょう。私が見、聞き、触れ、味わい、嗅ぐすべてのものが、私自身の状態の単なる変化だと主張されます。その向こうには、私たちは髪の一筋ほども行くことができないのです。私たちの印象の対応しているなにかが、私たち自身の外部に実在しているというのは、事実ではなくて、推論です。そのことにたいする妥当性は、バークリーのような観念論者やヒュームのような懐疑論者によって、まるで否定されています。スペンサー氏はまた別の路線をとります。彼にとっては、無学な人と同じように、外的世界の実在に関しては、なんの疑念も問題もありません。しかし、彼は無学な人間とは違います。無学な人間は、世界は実際に意識がこうであると表現したとおりなのだと考えているのです。私たちの意識の状態は、意識を生み出しその継起の順序を決定している外部の実態の単なる象徴であり、その実際の本質は決して知ることができませんた[23]。実際、進化の全体の過程は、人間の知性にはまるで不可解な力の顕現です。私たちの時代もヨブの時代と同様に、捜し求めてもこの力を見つけ出すことは、ほとんどできません。そこで、根本から考察してみると、不可解な神秘の作用によって、地上の生命は進化し、種は分化し、はかり知れない過去に精神がその優性の要素から姿を現したのです。お気づきになるでしょうが、ここには胸の悪くなるような唯物論はまるでありません。

進化論の強さは、実験的証明にあるのではなく(というのは、この問題はこの証明法をほとんど利用できないのですから)、それが科学的思考と全般的に調和するところにあるのです。そのうえ、対比からそれは多くの相対的強さを引き出します。一面では、この演説の冒頭で述べた理論と同じく、自然の研究からではなく、人間の観察から導き出された(礼儀正しく言えば)理論、つまり可視的宇宙にその裳裾を見せている力を、人間をモデルにして、人のふるまいと同じように中途半端な努力でふるまう職人に転換する理論を導き出します。また別の面では、私たちの周囲に見えるすべてのものと自分の内に感じるすべてのもの、つまり物理的自然の現象および人間精神の現象は、その隠れた根源が、あえて用語をあてはめれば、宇宙規模の生のうちにあり、そのうちの極く微少な期間が人間の探究に供されているという概念も導き出されるのです。そしてこの期間さえ部分的にしか知りようがないのです。私たちは神経系の発展を跡づけることができるし、感覚と思考の平行現象と神経系の発展との相互関係を示すこともできます。それらが手を携えて進むのは、疑いもなく確かなことです。しかし、その間の関連を理解しようとした瞬間、私たちは真空中を舞い飛ぼうとすることになります。ここで求められているアルキメデスの支点は、人間の頭脳では制御できません。そして問題を解決しようとする努力は、高名な我が友人の喩えを借りれば、自分の腰帯をつかんで自分を持ち上げようとする人の努力のようなものなのです。ここで言われたことはすべて、この根本的真理との関わりで生じます。「生成しつつある感覚」について語るとき、「最初は至るとこでぼんやりと繊細であった組織の分化」について語るとき、これらの過程を「環境による有機体の変化」と結びつけるとき、接触がなく、また接触しようと近づくことさえないのに、同じ平行現象が暗示されているのです。対象としての人間は主体としての人間から、感覚なき深淵によって、分たれています。論理的に断絶せずに、一方から他方へとそれを移すための動力エネルギーは知性の中には存在しないのです。

さらに、進化論は全体としての人間を、計りしれないほどの過去からの有機体と環境との相互作用から引き出します。例えば、人間の理知力は、スペンサー氏は巧みにその理知の能力をそれ自身の祖型へと方向を転じたのですが、それ自体は宇宙的な時間の経過の中で有機体と環境の間で働きかけ合った成果なのです。処方が抵抗できないほどの主張を供してきたかは、けっして定かではありません。しかも、人間の理知力に加えて、ものの見方のありようとしては、その理知の力そのものとまるで同じほど強力なものが数多く人間には付随しているのです。例えば、砂糖は甘く、アロエは苦いし、ヒヨスの香りはバラの芳香とは異なっているということも、有機体と環境の作用の成果なのです。こうした意識についての事実は(ちなみに、その適切な理由はわかっていませんが)、理知力とまったく同じくらい古いものなのです。その他の多くのものが、同等に古い起源を誇ってもよいのです。スペンサー氏はどこかで、もっとも強力な情念、すなわち愛欲の情念を、最初に出現したとき、それはどんな相関する経験より先行したと言っています。そして私たちはその主張が少なくとも理知力と同じほど古く妥当だと認めます。そうして人間という織物には、畏れや崇敬や驚きといった感情や、今言われた性愛だけではなく、自然や詩や芸術における美しいもの、自然なもの、道徳的なものへの愛といったものが織り込まれているのです。また歴史の最初の曙以来、おそらくはあらゆる歴史に何世代も先立って、世界中の宗教に組み込まれている、根の深い感情があります。こうした宗教から知性の冷徹な光の中へと逃れ出れば、そうした感情を嘲笑するでしょう。しかしそうしたところで、嘲笑しているのは単にたまたまの形式にすぎず、人間の本性にある宗教的感情の確固たる基盤には手を付けそこなっています。この感情に合理的満足を与えることは、現代における問題中の問題なのです。科学的文化との関わりでは、世界の多くの宗教は奇怪なものであったし、現在もそうであり、自由人のもっとも大事な特権にとっては、いくつかの宗教は疑いもなく危険であったし、宗教がその気になれば危険なものになるように、危険であり、いやそれどころか破壊的であるので、宗教は強制力を持つ形態であって、知識の領域へ押し入れば有害なのだと認識しておくのが賢明です。宗教は知識の領域にたいしては統御力がないのですが、情緒の領域では崇高な成果をもたらすものと考えられます。そしてその領域が宗教に相応しい高貴な分野なのです。

宗教的理論や綱要、体系はすべて、宇宙論的概念を受け入れるか、さもなくば科学の領域に踏み込みので、宗教がこうしたものである限りは、科学が統制するのを甘受し、科学を統制しようという思想をまったく放棄すべきです。

そうでない振る舞いは過去には破滅的でありましたが、今日では単に愚かしいものとなっています。あまりに頑なに環境に順応した有機体の運命を逃れようとするなら、どのシステムも知識の成長が求める範囲で柔軟でなけれななりません。この真理が完全に理解できれば、硬直性は緩み、排他性は縮小し、今、本質的と思われているものが断念され、今、拒絶されているものが同化吸収されるようになるのです。生命が高揚することが本質的な点であり、独断論や熱狂や不寛容が排除されるかぎり、さまざまな様式の影響力が生命をさらに高い段階へと引き上げるのに使われるでしょう。科学そのものが超科学的な源泉から動力を引き出すことは、よくあることです。ヒューウェルは熱狂気質を科学の妨害物として語っていますが、彼が意味しているのは低能どもの熱狂のことです。科学が味方とする強固で毅然たる熱狂もあるのです。円熟した科学者の生産性を低下させるのは、知的洞察力を弱体化させることよりも、むしろこの火を弱めることなのです。バックル氏は、知性が達成するものを、道徳の力から引き離そうと努めてきました。彼は重大な過ちを犯しています。というのは、知性を行動に駆り立てる道徳の力がなければ、その達成するものは実に貧弱なものとなるのですから。

科学は文学と絶縁していると言われてきました。しかし、この所説は、その他多くの所説と同様、知識の欠如から生れたのです。科学の指導者たち、ヘルムホルツやハクスリーやドュ・ボワ-レーモンのあまり技術的でない著述を一瞥すると、彼らが意のままにしている文学的な文化の幅の広さがわかります。文体の明晰さと力強さの点で、彼らを凌ぐ現代作家がどこにいるでしょうか。科学は孤立を求めているのではなく、人間の境遇を改善しようとするあらゆる努力と自由に結びつきたいと願っているのです。独力で、外部の共感による支援がなく、内なる力だけで、全体としての人間が求める多くの部屋からなる家の、少なくとも大きな一翼を、科学は築いてきました。粗壁やはみ出てた垂木の端で、もう一面の建物がまだ未完成だとわかるなら、すでに変更不可能に建てられた建物と必要とする部分をうまく結合するしか、完成を望むべくもないのです。既に完成したものと、まだ為されなければならないものとの間に、避けがたい不調和は一切ありません。ソクラテスの道徳的熱情、それを私たちはその燃焼によって感じとるのですが、その中には、ソクラテスが著しく軽蔑した、けれど今日であればそうは軽蔑しなかったであろうアナクサゴラスの自然学と、両立しえないものはなにもないのです。

ここで私は、私たちの中の一人の人物を思い出します。白髪だが、それでも強健で、およそ30年前の予言の声は、当代の誰よりも遠くまで聞こえ、生命のすべてを解き明かし、もっとも能力に恵まれた精神に高貴さを潜めた人物、ソクラテスかマカイボスのエレアザルとともに立ち、彼らが苦しみ立ち向かったことすべてに立ち向かい苦しむ能力のある人物、かつて彼がフィヒテを評して言ったように「ストアの教師であるに相応しく、アカメディアの園で美と徳について語るに相応しい」人物のことを。その友ゲーテが持っていなかった、また訓練が全面的に欠けていたとしても萎縮しなかった、物理的原理を理解する能力をもちながら、彼が壮年期に科学に積極的に関心を寄せもせず、共感も覚えず、科学の帰結するところを、人類への彼のメッセージに含めなかったことは、世界の損失です。彼は大いに才能に恵まれ、心の面でも理知の面でも同じように能力を持っていたので、両方の主張を調停し、今後それらを精神の中に統合し、平穏に結びつけておく方法を、もっと私たちに教えてくれればよかったのにと、思います。

さてこの演説も終わりにさしかかりました。もっと時間があり、あるいはもっと力と知識があれば、ここで話したことはもっとうまく語れたことでしょうし、ここでは無視した価値ある事柄も適切な表現を得たことでしょう。しかし、信念から実質的に逸脱したことはまったくありませんでした。私に関して言えば、信念は一日にして成長することはありません。また、あなたに関して言えば、否応なしに、急速にあなたを取り囲み、あなたの役割を調整することが必要となる関係にある環境を知っておくべきだと思います。しかし、ハムレットのほのめかしは、私たちに、どうやれば日常生活の困難を終わらせることができるのか、教えてくれます。あなたや私が知性の死という代価で知性の平穏を購えば、完全にそうすることが可能です。この世にはこうした隠れ家はありませんし、また自分の避難所を探し求め、他人にも同じことをするよう説得する人に事欠くことはありません。不安定な意志や弱い意志によってこの説得が生じ、彼らには真理よりも休息のほうが心地よいのです。しかし、私はあなたに、差し出された避難所を拒否し、低劣な休息を軽蔑し、もし選択を余儀なくされれば、沈滞よりも騒乱を、沼地の静穏より激流の噴出を受け入れるよう、強くお勧めします。

私はこの演説の中で、論争の的となっている問題に触れ、危険な立場と思われているところにあなたを導きました。これには、こうした問題に関して、科学は無制限の探求する権利を主張しているということを、あなたに伝えたいという意図が多少はあります。ルクレティウスやブルーノの、ダーウィンやスペンサーの見解が間違っているかもしれないと言うことが話の核心ではありません。これらの見解が修正をこうむるのは、まったく確実だと思われることは、あなたの言うとおりでしょう。しかし肝心なのは、正しかろうが間違っていようが、それを討議する自由が必要だということなのです。しかし、科学に関しては、排他的な主張は一切なされません。それを格上げして偶像に祭り上げるよう迫られはしないのです。知識の途上の人間の理知の否応もない進歩と、理知が満足しえない人間の道徳的な、また感情的な本性の抑えようもない要求とが、同じように示されます。世界はニュートンだけでなくシェークスピアも、ボイルだけでなくラファエルも、カントだけでなくベートーベンも、ダーウィンだけでなくカーライルも、喜んで受け入れるのです。そのどちらか一方ではなく、その全部に、人間の本性全体があるのです。彼らは対立するのでなく補完しあい、相互に排除しあうのでなく、両立するのです。そして、彼ら全員に満足できずに、人間精神が、はるか彼方の故郷を求める放浪者の憧れを抱いて、人間が現れ出てきた秘蹟へと向い、人間を形造るとともに、思考と信念を統合しようと努めるなら、そして、いかなる不寛容も頑迷ももたないというだけでなく、概念の究極の永続性はここでは得られず、後に続くどの時代にも、人間自身の秘蹟を造り出す自由があるべきだという賢明な認識をもって、この努力がなされるかぎりは、唯物論についての制約をすべて振り払って、私はこの努力が、人間のもつ知る能力と対比される、その創造する能力と呼ばれるものの壮大な演習場なのだと断言します。

「汝が心、それをもて満たせ」とゲーテは言いました。「しかして、それに汝の望むまま名づけよ」と。ゲーテ自身はこれを翻訳不可能な言葉で行ないました[24]。ワーズワースはそれをイギリス人ならだれもが知っている言葉で行ないましたが、それは最新で深遠な科学的真理の予見であり宗教的な活性化だとみなせましょう。

なんとなれば、ぼくは学んだのだから。
思慮のない若輩の時とちがって
自然をみつめることを。けれどしばし聞こえるのは
人たることの静かで悲しい楽の音。
荒々しくはなく、軋りもせず、気を鎮め宥める
力に満ちたその調べ。そしてぼくは感じた。
気高き思いの喜びでぼくの心を騒がせる
存在を。ますます深く染み入ってくる
なにものかの崇高なる感覚を。
その住まいとするは沈む日の光、
丸い大洋、そよぐ大気、
青い空と人の心。
それは運動と精神であり、
あらゆる思考するもの、あらゆる思考のあらゆる対象を
駆り立てては、あらゆる事物の中を駆け抜ける。[25]

原註

[1]:ヒューム『宗教の自然史』

[2]:紀元前460年生まれ

[3]:ランゲ、第二版23ページ

[4]:紀元前342年生まれ

[5]:テニソンの『ルクレティウス』

[6]:紀元前99年生まれ

[7]:モンロの訳。ContemporaryReview,1867のこの作品に対するその批評では、ハイマン博士は、ルクレティウスの推論が、誤っているとしても、依拠している本当に適切で微妙な知識がわかっていないように思えます。

[8]:『ヨーロッパの知的発展史』295ページ

[9]:『帰納的科学の歴史』第1巻

[10]:ルナン『アンチクリスト』に恐ろしいほどいきいきと表現されています。

[11]:『ヨーロッパの知的発展史』359ページ

[12]:ランゲ第2版181,182ページ

[13]:ハクスリのすばらしいデカルト論『俗人説法』364,365ページを参照

[14]:ボイルの宇宙モデルは外部に細工師のいるストラスブール時計でした。ゲーテは、「世界はその内にて動かされ、自然自身が自然の中で自らを育むのが相応しい」と歌っています。またカーライル『過去と現在』第5章を参照。

[15]:何人かにとってだけですが。というのは、今日でさえ、地球の岩石でできた地殻は天地創造の時に人間のために建築材料として準備されたと言う高位聖職者がいるのですから。

[16]:『Zoonomia』第1巻500-510ページ

[17]:1855年、ハーバート・スペンサー氏(『心理学の原理』第2版第1巻465ページ)は、「あらゆる形態の生命は途切れない進化によって、自然な原因と言われるものの助けを介して生じたという信念」を述べています。

[18]:この問題に関連したウォーレス氏の態度は極めて品格のあるものでした。

[19]:実験的な証明向けてだけ、第一歩が踏み出されたのです。今始まった実験は、これから数世紀をかけて、計りしれない価値をもつデータをもたらすでしょうが、それは将来の科学に供給されるべきなのです。

[20]:ブルーノは「汎神論者」であって、「無神論者」や「唯物論者」ではありませんでした。

[21]:『ハミルトンについての考察』154ページ。

[22]:『人間の使命』

[23]:Longmans出版のヘルムホルツの講義録に含まれている『視覚理論の近年の進歩』と題された、好評でもあり深遠でもある論文には、私たちの意識状態についてのこの象徴性も詳説されています。感覚の印象は外的事物の単なる象徴です。この論文で、ヘルムホルツは、空間の認識が生得的なものだという見解と断固として闘っています。そして彼は、雛が前もって練習しなくても穀粒をついばむ能力があることには、明らかに疑念を抱いています。この点について、さらに実験が必要だと彼は言っているのです。こうした実験は、その後、スポールディング氏によって行われてきましたが、私の信じるところでは、彼の観察にはいくつか、教養があり深く哀悼されたレディー・アンバーリーの手助けがあったようです。そして彼らは、雛が立ち上がり、走り、目の筋肉を統御し、つつくのに、一瞬たりとも教育を要しないことを最終的には証明したと思われます。しかし、ヘルムホルツはあらかじめ準備された調和という概念と闘っているのですが、人種や血統の経験の組織化に関しての彼の見解については、私は存じません。

[24]:『神と世界』への緒言

[25]:『ティンターン僧院』


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