ソクラテスの弁明 プラトン

英訳者ベンジャミン・ジョウェットによる序文


プラトンの『弁明』が実際のソクラテスの弁護とどういう関係にあるのか、はっきりさせる手立てはありません。確かに調子や特徴はクセノフォンの記述と一致しています。クセノフォンは『思い出』の中で、「もっと穏便に裁判官の温情を得れば」ソクラテスは無罪になっただろうにと言っています。またソクラテスの友人ヘルモゲネスの証言に関した別の節では、ソクラテスは生きる望みを失っており、また神のお告げが弁護を準備することを許さなかったとも、またソクラテス自身が、その人生の長きにわたって、この時に対する準備をしてきたという理由で、弁護の準備は不必要だといったとも伝えています。弁論は一貫して挑戦的な精神に満ちており(「判決をうけるのに、哀願者や罪人のようにではなく、まるで教師か主人であるかのようであった。」キケロ『雄弁家について』)、また気ままで取り留めのない話ぶりは、「広場や両替商の店先で」ソクラテスが話してきた「いつものやり方」にならったものです。『クリトン』での言及はおそらく、いくつかの部分が文字通りに正確だということのさらなる証拠として、引証できるでしょう。しかし概して言えば、それはプラトンのソクラテスについての概念にしたがった、ソクラテスの理想像と見なすべきです。それはソクラテスの生涯の最も偉大で最も公的な場面で、その偉業の絶頂において現れたものです。そのとき、ソクラテスは衰弱しきっていたのですが、しかし人類というものに最もよく精通していたのです。まるで偶然そうなったかのように、弁護の過程の中に、ソクラテスの生涯の事実が要約され、その性格の特徴が表われています。会話体というやり方、外観上必要とされた配置、アイロニー的簡明さが、ソクラテスの肖像という完璧な芸術作品を仕上ている|のです。

しかし、話題のいくつかは実際にソクラテスが使ったものであったでしょう。ソクラテスその人の言葉が思い起こされ、その弟子の耳で鳴り響いていたにちがいありません。プラトンの『弁明』とよく比較されるのは、トュキディデスの演説ですが、そこではトュキディデスは偉大なペリクレスの高遠な性格と政策についての自分の概念を具体化し、同時に歴史家という観点から情勢の解説を加えています。したがって『弁明』には文字どおりの真実というより理想化された真実があるのです。その多くが実際には言われなかったことであるし、状況についてのプラトンの見解にほかならないのです。プラトンは、クセノフォンとちがって、事実の記録者ではありません。彼はどの著作でも、文字どおりの正確さを目的にしていません。ですからプラトンをクセノフォンの『思い出』や『饗宴』で補う必要はありません。これらはまったく違った種類の著作なのです。プラトンの『弁明』はソクラテスが言ったことの記録ではなくて、実際は対話篇とおなじような、入念に仕上げた創作物なのです。おそらく師匠は弟子より優れているのだから、ソクラテスの実際の弁護はプラトン風の弁護よりずっとすばらしかったのではと、想像に耽ることさえあるでしょう。しかし、ともかくは、ソクラテスの使った言葉は覚えられており、また記録されたことのいくつかは実際に起こったことです。プラトンが弁護の場に居合わせたと言われていること(『弁明』)は、パイドンの最後の場面でプラトンはいなかったと言われているのと同じく、重要なことです。プラトンの意図が、一方には正真正銘真実だという印を打ち、もう一方はそうしないことにあったとするのは、空想にすぎます。特に、プラトンが自分のことを述べているのはこの二つの節だけだということを考えると、なおさらです。ソクラテスが申し出た罰金の支払いの保証人の一人にプラトンがなるとういう状況は、本当らしい外観を示しています。ソクラテスが、世の中を訊問するという彼のお気に入りの使命への最初のはずみとなったのが、デルフォイの神託から受けたという記述は、もっと疑わしいものがあります。というのは、カエレフォンが神託(謎)を求める以前に、ソクラテスはもう有名であったにちがいなく、またこの物語はいかにも創作されそうなものなのですから。全体として私たちは次のような結論にたどり着きます。『弁明』ではソクラテスの性格に偽りはないが、そのなかのどの記述がソクラテスが実際に話した通りなのかは示すことができません。ソクラテスの精神が息づいていますが、それはプラトンという鋳型で鋳なおされたものなのです。

ほかの対話篇には『弁明』と比較できるようなものはあまりありません。『共和国』で正しき人の受難を描いたとき、プラトンが思い浮かべていたのは師についての同じ思い出であったかもしれません。『クリトン』はまた『弁明』の付録とみることもできるでしょう。そこでは、ソクラテスは審判官を拒んでいますが、それにもかかわらず法律には誠実に従う人として描かれています。『ゴルギアス』では受難者の理想化がさらに進んでいます。そこでは「苦しむほうが悪事をなすよりまし」という命題が主張されています。そして修辞術は自責の目的に役立つだけだとされています。いわゆるクセノフォンの『弁明』に現れている類似性は注目する価値はありません。なぜなら、それが含まれている著作は明らかに偽作だからです。ソクラテスの裁判と死に関する『思い出』の記述は一般にプラトンと一致しています。しかしクセノフォンの語り口の中で、ソクラテス的なアイロニーの風味を失っています。

『弁明』つまりプラトン風のソクラテス弁護は三部に分かれています。最初はいわゆる本来の弁護、二番目は刑罰の軽減についてのわりと短い演説、三番目は予言的な非難と奨励という最後の言葉の三部です。

第一部はソクラテスの日常会話体についての言い訳から始まります。ソクラテスは、これまでもそうであったように、修辞の敵であり、修辞のことは知らないが、真理は知っているのです。彼は話術で自分の性格を偽ろうとはしないのです。それに続いて、自分の非難者を二種類に分けます。最初に名前のない非難者、つまり世評があります。世間は、すっと以前から、ソクラテスは若者を堕落させると聞いてきましたし、アリストファネスの『雲』で戯画化されたソクラテスを見てきたのです。二番目に公然たる告発者がいますが、彼らは他の人々の代弁者でしかありません。どちらの非難もある決まり文句にまとめることができます。最初の非難者は「ソクラテスは悪事を働くもので、好奇心の強い者であり、地下や天上の事物を探り、悪しき企てを良き企てと見せかけている。そして前述した教義を他の者たちに教えこんでいるのである。」と言いますし、二番目の告発者は「ソクラテスは悪事をなす者で、若者を堕落させ、国家の神々を信じず、自らの何か他の新しい心霊を奉じている。」と言います。この後のほうの言葉が実際の告発状であったようです(クセノフォンの『思い出』参照)最初の決まり文句は、世評を要約したもので、それを同じ法的な文体にしてみたものです。

答弁は混同を払拭することで始まります。喜劇作家の表現でも、大衆の意見でも、ソクラテスは自然科学の教師およびソフィストと思われていました。しかしそれは間違いでした。この両者にたいしてはソクラテスは開かれた法廷では尊敬すると公言していましたが、別の場所で彼らについて話している態度とは対照的です(『アナクサゴラス』『パイドン』『法律』を参照、また『ソフィスト』『メノン』『共和国』『ティマイオス』『テアイテトス』『ソフィスト』を参照)。しかし同時に、彼は自分がその一人ではないと示します。自然哲学については、彼は何も知りません。そういう研究を軽蔑したのではなく、それを知らず、なにも話せなかったというのが事実です。また彼は支払いを受けて教えを授けたことはなく、教師だというのもまた間違った見解なのです。かれは教えることなどなかったのです。しかし彼はエヴェノスに5ムナほどの「手ごろな」料金で徳を教えることを勧めています。「いつものアイロニー」というものは、おそらく大衆の耳の底で眠っているのでしょうが、ここにも潜んでいたのです。

ソクラテスはなぜこんな悪評がたったか説明を続けます。それは彼が自分に課した奇妙な使命から生じたのです。狂信的なカエレフォンが(多分受け取る答えを予想して)デルフォイへ行き、ソクラテスより知恵のある人がいるかどうか、神託を尋ねたのです。そして答えは、ソクラテスより知恵ある人はいないというものでした。これは何を意味しているのでしょうか。何も知らないが、何も知らないことを知っている者が、もっとも知恵ある者だと神託は言っているのでしょうか。この答えを思案して、ソクラテスは「もっと知恵のある人」を探し出して、これを論駁しようと決心しました。かれは、まず政治家、次に詩人、それから職人のところへ行きましたが、結果はいつも同じでした。彼らは何も知らないかソクラテスよりも知らないかであり、なにかしら優れた点がある場合でも、それは知識があるという自惚れで帳消しになったのです。ソクラテスは何も知らないが、何も知らないことを知っています。一方、彼らはほとんど知らないか何も知らないのに、すべてを知っていると思い込んでいるのです。こうしてソクラテスは人間の見せかけの知恵を見つけるという一種の使命に人生を費やし、この仕事にのめり込み、公事からも私事からも遠ざかったのです。金持ち階級の若者たちが同じ探求を気晴らしにするようになりました。それは「楽しくないはずがない」のです。こうして激しい敵意が生まれました。知識の教師たちは彼を若者を堕落させる不埒者呼ばわりし、無神論と唯物論と詭弁術についての決まり文句を繰り返すことで、溜飲を下げました。これはあらゆる哲学者にたいして、ほかに何も言うことがなくなると、決まって言われる非難でした。

二番目の告発には、ソクラテスはメレトスへの訊問で立ち向かいます。メレトスは出廷していて、訊問ができたのです。「ソクラテスが堕落させる者なら、誰が市民を善導する者なのか。」(メノンを参照)「どこにでもいる全員がそうなのだ。」しかしこれはなんと馬鹿げていて、類推に反していることでしょう。また、ソクラテスが市民とともに生活しなければならないのに、この市民をより悪いものにするというのも、まったく思いもよらないことではないでしょうか。これは確かに故意になされたことではありえません。故意でないなら、メレトスはソクラテスを法廷に告発するのではなくて、注意すればよかったのです。

しかし告発状の別のところでは、ソクラテスはアテナイ市が認める神々を認めず、別の新しい神を信じるように教えたと言っています。「ソクラテスはそうやって若者を堕落させるつもりだったのか」「そうだ」「ソクラテスは新しい神だけを信じたのか、それとも全く神を信じなかったのか」「全く神を信じなかった」「太陽や月さえも信じなかったのか」「そうだ、彼は太陽は石で月は土くれだと言っていた」ソクラテスはこれに答えて、それは昔からあるアナクサゴラスとの混同であって、アテナイの人々はソクラテスの考えの影響がどんなものなのか、劇で見ただけ、劇場で聞いただけなので、知ってはいないと言うのです。ソクラテスはメレトスが(かなり不当にも)告発状のこの部分に謎を混ぜこんだことを明らかにしようとします。つまり「神様はいない。けれどソクラテスは神々の子が存在すると信じている。これは不合理だ。」ということなのです。

メレトスがソクラテスに十分なだけ話すと、ソクラテスはメレトスを放免し、もともとの非難に立ち返ります。尋ねられている質問は、なぜソクラテスが死に至らしめるような仕事にずっと従ったのかということです。なぜでしょうか。なぜなら彼は神が彼に課した持ち場を離れてはならなかったからです。それはポティダイアでもアンピポリスでもデリオンでも将軍たちが与えた持ち場を離れなかったのと同じことなのです。それに加えて、自分は死が良いことか悪いことか知っていると思うほど物知りではないが、義務の放棄がわるいことは確かだと思っているというのです。アニュトスが、ソクラテスを放免するつもりなら起訴すべきではないと言ったのは、全く正しいのです。というのはソクラテスが人間にではなく神に従がうのは確実ですし、またあらゆる年代のあらゆる人々に徳と身の改善を説き続けるでしょうし、また彼の言うこと聴くのを拒めば、屈せずその人を非難し続けるでしょうから。これが若者を堕落させる彼のやり方であり、たとえ千回の死が待ち構えようと、神に従ってこのことを止めようとしないのです。

ソクラテスはアテナイ市民が自分を生かしておくよう願っていますが、それは自分自身のためではなくて、アテナイ市民のためなのです。なぜなら、彼は天がアテナイ市民に送った友であり(かわりになるような人は決してみつからないでしょう)、あるいはまた、彼がおどけて言うところでは、大きな馬を動くように奮起させる虻だからです。ではなぜソクラテスは一度も公的な事柄に携わらなかったのでしょうか。なぜならいつも聞こえる神的な声が彼をそうするのを妨げたからです。もし彼が公人となり、しかも正義のために闘えば、確かに多くの人と闘うことになり、そうなれば彼は生きていなかったでしょうし、したがって善行をおこなうこともなかったでしょう。公的な事柄でソクラテスは二度公正のために命を賭けました。一度は将軍たちの審判のときですし、もう一度は三十人委員会の専制的命令に抵抗したときです。

しかし、公人ではなかったとはいえ、ソクラテスは料金も報酬もなしに市民たちに教えて日を送ったのです。それが彼の使命でした。その弟子たちが良いほうに変わろうと悪くなろうと、ソクラテスは正当には責任を負えません。というのは彼らに何かを教えると約束したことはないからです。彼らは来たければ来ればよいし、来たくなければ来なければよいです。彼らが来たのは、知恵があるふりをした人が尋問されるのを楽しいと思ったからです。もし弟子たちが堕落したら、(自身でなければ)年上の身内が法廷に立ちソクラテスに不利な証人となるのは確かでしょうし、そういう人たちは、まだ出廷する機会があったのです。しかし弟子たちの父や兄は(「この」プラトンも含めて)みんな法廷に出てソクラテス側の証人となったのです。もしその身内が堕落したにしろ、少なくともこの人たちは堕落していないのです。「なぜこの人たちは証拠をあげて私を支持するのでしょうか。みんな、私が真実を言っており、メレトスが嘘つきだと知っているからなのです。」

ソクラテスの言うべきことは以上でほぼつきています。彼もまた「石と木」でできているわけではないのですが、審判官に助命を嘆願するつもりもなく、子供にすすり泣かせるような見世物を演じさせるつもりもありません。審判官のうちには、同じような場面でこういう振る舞いをした者がいたのかもしれませんが、ソクラテスは、彼らの先例に従わないことで自分のことを怒らないだろうと思っています。むしろソクラテスはこういう行為はアテナイの名を汚すと思っていますし、また審判官は正義を裏切らないと誓っており、自分自身が不敬の廉で裁判にかけられているのに、この誓いを破るよう審判官に頼むという不敬な行為を犯すことはできないと思っているのです。

ソクラテスが予期したように、またおそらく望んだとおり、彼は有罪となりました。ここでその弁舌の調子は、懐柔的なものにかわって、高遠で堂々としたものになります。アニュトスは死刑を提案しましたが、ソクラテスはどんな反対提案をするのでしょうか。それは次のようなことでした。ソクラテスは、自分はアテナイの人々に全生涯をかけて善をおこなった恩人であって、少なくともオリンピア祭の勝者の褒美である貴賓館でのもてなしを受けるべきなのだ。そうでないのなら、アニュトスの提案する死が禍福いずれかわからないのに、なぜなにか刑の反対提案をしなければならないか。投獄が禍であり、追放が禍であることは確かである。お金を失うのは禍だろうが、ソクラテスには出すものが無い。おそらく1ムナなら何とかなるだろう。それで1ムナか、友人たちがそうしてくれるなら30ムナの罰金刑にしよう、というのは友人たちはりっぱな保証人になるのだからと、言ったのです。

(ソクラテスは死刑判決を受けます。)

ソクラテスは既に老人であり、アテナイ人がその命を数年短くしても、彼らは不面目以外に得るところはありません。おそらくソクラテスが武器を捨て命乞いをすることを選んでいれば、助かったことでしょう。しかしソクラテスは自分の弁護のやり方を後悔したりはしません。彼は他の市民の流儀で生きるよりも、自分の流儀で死ぬほうを望んだのです。というのは不正義の罰は死よりもすばやく、まもなく彼が死のうとするときには、もうすでにその告発者の上に襲いかかっているのですから。

さて、ソクラテスは、死に臨む者として、アテナイ人たちに予言をします。彼らは自分たちの人生を考慮することから逃れるためにソクラテスを死刑にしたのです。しかし自分の死が「種子となって」、多くの弟子たちがアテナイ市民は不道徳な生活を送っていると確信し、弟子たちのほうが若くて思いやりがないので、もっと厳しい言葉で彼らを非難するようになるというのです。

ソクラテスは、時間のある間、自分を無罪にしようとした人たちに、もう少し話しをしようとします。かれは神的徴が自分の弁護の途中で邪魔立てしなかったことを知っておいて欲しかったのです。その理由は、彼の推測では、彼が赴こうとしている死が彼にとって良いことであって、悪いことではないからなのです。というのは、死は長い眠り、最上の眠りであるか、死者の魂が集う別の世界、その世界では昔の英雄たちに合える希望があり、そこには本当の審判官もおり、みんながもう死ぬことの無い世界への旅であるかの、どちらかだからです。彼の意見ではだれも死ぬことを恐れなくてよいのです。

善良な人には、生きているときも死んだ後も、悪いことは起こらないのですし、彼自身の死は神様がお許しになったことなのです。なぜなら、彼にとってはこの世を去るほうが良いからなのです。だから、審判官は彼になにか良いことをするつもりはないのでしょうが、なんの害を加えたわけでもないので、彼は審判官を赦すのです。

ソクラテスは最後に、自分の息子たちが徳よりも富やその他のことを優先したり、本当はなに者でもないのに、ひとかどの者であるようなふりをするなら、息子たちを罰し、私がみなさんを悩ませたように悩ませて欲しいと、要望するのです。

***

「ソクラテスが自分の弁護を違うようにやったらどうであったかということを知りたい人たちもいる。」ただこれには、ソクラテスの弁護がプラトンの言うようなものであったとして、ということを付け加えておかなくてはならなりませんが。この疑問には正しい解答はありえませんから、それは置いておくことにして、プラトンが『弁明』で、最後の偉大な場面でのその師の性格や行為にどんな印象を与えようと意図したかという疑問に進みましょう。プラトンはソクラテスを、(1)詭弁を駆使する人物として表そうと意図したのでしょうか、それとも(2)故意に審判官をいらださせる人物としてなのでしょうか。あるいは、こういった詭弁術は、ソクラテスの生きていた時代の風潮に帰するものでしょうか、それともソクラテスの個人的性格に帰するものでしょうか、この見かけの傲慢さはその地位を当然ながら持ち上げたことの帰結なのでしょうか。

たとえば、一人の人間が若者を堕落させる者で、世の中の残り全員が善導者であるという仮定は馬鹿げているとソクラテスが言うとき、あるいは一緒に暮らしている人を堕落させることは決してありえないと彼が議論するとき、あるいは神々の子供を信じているから神々を信じていると証明するとき、ソクラテスは真面目なのでしょうか、ふざけているのでしょうか。こういう詭弁術はメレトスに対する尋問ときに現れていることに気づきますが、メレトスは偉大な対話術の手の中で、簡単に煙にまかれ、いいように扱われています。おそらくソクラテスはその告発者は十分説得力を持つものと見なしていますが、ソクラテスは告発者を軽んじているのです。またその中にはアイロニーが多少含まれており、そのことがその弁論を詭弁術という範疇に入らないようにしているのです。(『エウテュプロン』参照)

ソクラテスが自分の弟子たちの生活について自分を弁護しているやり方は満足のいくものではないということは、否定しがたいものがあります。アルキビアデス、クリティアス、カルミデスという名は、アテナイ市民の記憶には新しく、新たに復活した民主制では当然のように嫌われていました。ソクラテスは彼らに何か教えると言明したことはない、だから彼らの罪について責められるのは不当だというのでは、明らかに十分な答えと言えません。しかし弁護がこのアイロニー的形式を取ると、彼の教えはその悪い生活のままでよいということでは全くないという、確かに穏当なものとなります。ここでは詭弁術は実質的なものというより、形式的なものとなっています。とはいえ、このように重大な問責にはソクラテスはもっと真面目に答えていればとは思うのですが。

実のところ、ソクラテスの特徴は彼の答えの別の点にありますが、その点でもまた彼は詭弁的だと見なされているのです。彼は「若者を堕落させたのなら、それはそうするつもりがなくて堕落させたにちがいない」と言います。しかし、もし彼の議論通りあらゆる悪事がそのつもりがないのだとすると、あらゆる犯罪は諭されるべきで、罰するべきではないということになります。この言葉では、明らかに悪事の不本意性というソクラテスの教説が示唆されるよう意図されているのです。ここではまた、前の例と同じように、ソクラテスの弁護は実際上は正しくないけれど、イデア的あるいは超越的意味では正しいかもしれないのです。もしソクラテスが若者を堕落させた廉で有罪なら、その身内の者が彼に対抗する証人になったにちがいないという、ありふれた返答のほうがずっと満足いくものです。

もう一度、ソクラテスが自分は神々の子を信じているのだから神々を信じていると議論したことに立ち返ると、この論駁が、「ソクラテスは国家の認めた神を信じず、別の新しい心霊を信じている」という十分首尾一貫したもともとの告発状に対するものでなく、ソクラテスが正真正銘の無神論者だと断じたメレトスが述べた解釈に対するものであることを、思い出さなければなりません。これに対してソクラテスは、当時の観念にしたがって、正真正銘の無神論者は神々の子や心霊的存在を信じることはできないと、まともに答えています。デーモンや下位の心霊が神々の子であるという考えはアイロニー的だとか詭弁的だとは思われません。ソクラテスはその時代の神話の概念にしたがって「感情に訴えて」議論しているのです。しかしソクラテスは国家の承認した神々を信仰していると言うのを控えています。ソクラテスは、クセノフォンが彼を弁護したように、その宗教的な活動に訴えることで、自分を弁護しようとはしていないのです。おそらく彼は一般的な神々を完全に信じていないかまるで信じていなのはないでしょうか。かれは神々について知る手段をなんら持っていないのです。クセノフォンだけでなく(『思い出』)プラトンによっても(『パイドン』、『饗宴』を参照)、ソクラテスは最低限の宗教的義務の実践には几帳面でした。それに自分の神託の徴を信じていたはずです。その徴は彼の内面的な証であったと思われます。しかし国家が承認したアポロンとかゼウスとかその他諸々の神々の存在は、彼には自己検証の義務や、宗教の基礎と思っている真実とか正義といった原理に比べれば、不確かでしかも取るに足りないものに思われたのです。(『パイドロス』『エウテュプロン』『共和国』を参照)

プラトンがソクラテスを審判官をものともしない、あるいはいらつかせるような人物として表現するつもりであったかどうかという、第二の疑問の答えもまた否定的です。「外見上ははそうは見えないが」彼のアイロニー、彼の卓越性、彼の豪胆さは、彼の置かれた状況の高遠さから必然的に生じたものです。彼は偉大な場面で役を演じているのではなくて、その全生涯を通じてそうであったもの、つまり「人々の王」であるのです。彼がそれを避けることができていれば(ouchosauthadizomenostoutolego)、むしろ傲慢には見えなかったでしょう。彼は自分の終焉を早めようと臨んでいたわけではないのです。というのは生と死は彼には単に区別のないものでしかなかったからです。しかし、審判官に受け入れられ、無罪放免を苦労して勝ち取るような弁護は、ソクラテスの本性からできないことでした。彼は審理の方向を誤らせるようなことは何ひとつ言ったりしたりしないでしょう。「死の渕にたたされて」さえ彼は自分の舌を縛りつけておくことはできません。彼は、生涯を通じてその詭弁術によってソフィストに応酬しながら、他の「若者の善導者」を受け流してきたのと同じように、自分の告発者を受け流し、もてあそぶだけです。自分の使命について語るとき、彼はまじめです。この使命は彼を他の人類の改革者から区別するものに思われますが、それはまた偶然に始まったものなのです。仲間の市民の善導に彼が献身したことは、彼が神託の評判を擁護して、また自分より知恵のある人を見つけ出すという空しい希望を抱きながら、それだけのために善行に励んだというアイロニー精神ほどには、目立つものではありません。しかし、彼の使命のこの珍奇でほとんど偶然ともいえる性格は、私たちの観念では、同じように偶然的で不合理な心霊的徴とよく呼応していますが、それにもかかわらず、彼はそれを自分の人生を導く原理として受け入れるのです。ソクラテスが自由思想家とか懐疑論者であると私たちに思わせるところはどこにもありません。彼があの世でトロイア戦争の英雄たちと出会い知り合う可能性について思い巡らすとき、彼の誠実さに疑念をはさむ理由はまるでありません。一方、不死という彼の願望は確実なものではありません。彼はまた死を長い眠りだとも考えており(この点は、パイドンと異なるところです)、少なくとも、神的意志を甘受し、生きているときも死んでからも善人には悪いことはおこらないと確信することに立ち戻っています。彼の絶対的誠実さは、これ以上積極的に断言することを妨げるのです。そして彼は神話や比喩表現についての無知を隠そうとはしませんでした。弁論の最初の部分の穏やかさは、結末の苛立たせるような、ほとんど脅すような調子とは、対照的です。彼はその性格上、修辞家としては話さない、すなわち、リュシアスや他の弁論家が彼のために用意するような、あるいは、いくつかの記述によれば用意した、型通りの弁護はしないという断りを言っています。しかしまず彼は懐柔の言葉で言い分を聞いてもらおうとします。彼はソフィストを攻撃しません。というのは、ソフィストは彼自身と同じ非難を受けているからです。彼らは同じように喜劇作家から嘲笑されており、ほとんど同じようにアニュトスとメレトスに憎まれていたのです。しかし偶然、ソクラテスとソフィストとの対立が明らかになります。ソクラテスは貧しくソフィストは金持ちです。ソクラテスが何も教えないという言明しているのは、ソフィストがあらゆることを教える用意があるというのとは正反対です。ソクラテスが市場で話すのたいして、ソフィストは私的に教授します。ソクラテスは母国に留まり続けるのに、ソフィストは都市から都市へと渡り歩きます。ソクラテスがソフィストにたいしてとる調子は、本当に親しげですが、またこっそりアイロニーが仕込んであります。アナクサゴラスは心や自然を学びたいというソクラテスの望みを挫くものでしたが、そのアナクサゴラスに対してはあまり親しげな感情を示していません。別の箇所(『法律』)を見るとプラトンの感情もそうなのでした。しかしアナクサゴラスは三十年も前に死んでおり、迫害の手は及ばないものとなっていたのです。

新しい世代の教師がもっと耳障りで激しい言葉でアテナイの人々を責めたり勧めたりするようになるだろうという予言は、私たちの知る限り、決して成就しなかったことが注意を引きつけてきました。ソクラテスに帰されるこの言葉が実際に話されたかどうかという確からしさについては、この状況からはいかなる推定も引き出せません。それには、哲学の最初の殉教者の、自分の後に多くの信奉者を残したいという熱望が、彼らが自分の統制から解き放たれたときは、言葉づかいでもっと猛々しく遠慮が無いだろうという、不自然とは言えない感情を込めて、表されているのです。

以上の注釈は、どの程度であれ確実なのは、プラトンのソクラテスだけに当てはめるべきだということを、理解しておかなければなりません。というのは、ソクラテスがこんなようなことを話したとしても、それが、たとえばクリティアスの知恵やソロンの詩やカルミデスの徳といったものと同じく、プラトンの想像によるものだという可能性を排除できないからです。『弁明』が裁判の最中に作られたと主張する人たちの議論は、何の証拠にも基づいておらず、まともな論駁も求めてはいないのです。プラトン風の弁護はソクラテスの言葉の正確な、ないしほとんど正確な再現である、なぜなら一部分はプラトンはその言葉を変えるような不敬の罪を犯さなかったからだし、また結局のところ、弁護の多くの点が改善され強められたのだから(英訳を見よ)、というシュライエルマッヘルの推理も同じです。ソクラテスの死がプラトンの心にどんな影響をあたえたか、私たちははっきりと断定できませんし、また彼がどんな状況で『弁明』を書こうと思い、あるいは書かなければならなかったのかを言うこともできません。よく見れば、アリストファネスがソクラテスに敵意を抱いているからといって、プラトンが彼らを親しい交際に加わるよう饗宴に招待することの妨げとはなりませんでした。また対話篇のなかには、アニュトスとメレトスを、アテナイの公衆の目に個人的に憎むべき者と映るようにする試みの痕跡も見つからないのです。


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