牧師館の娘 デーヴィッド・ハーバート・ローレンス

第十五章


明くる日の夕刻、牧師館を訪れようと身なりを整えていた彼は、この訪問がどんな意味を持つかを深く考えず、ただ予め定められたことのように感じていた。彼はこの訪問を、重大なものと考える気にはなれなかった。彼は、ルイーザと結ばれることに、何の疑義も抱いておらず、二人の結婚は宿命に似て彼を従わせる。避け得ぬ運命に、祝福されたかのような感情が、彼を充たしていた。この宿命の流れには、彼も、ルイーザの家族の者たちも、逆らえず、誰の意志もそれを変えられるはずはない、と彼は思っていた。

リンドリー家の者たちは、火の気のない書斎に彼を案内した。まもなく牧師が部屋に入って来た。彼の声ははじめから冷淡で、敵意を帯びていた。

「何の用かな、アルフレッド君?」

しかし彼は訊ねずとも、相手が何を望んでいるのか、すでに知っていた。

デュラントは水兵が上官に対するような仕種で、相手を見上げた。下級兵の節度が、彼には身に付いていたのだ。だが彼の心際は澄謐だった。

「リンドリーさん、僕は、お願いしたいことがあって──」と、謙恭に彼は言おうとして、途端に、彼の顔はすっかり色を失った。今、彼が言おうとしていることが、一種屈辱のように感じられたのだ。彼は一体、ここで何をしようとしているのか? だが彼は疑念を堪えた、彼はただ為すべきことを為そうとしているのだから。彼は、自身の不覊と自尊の心をしっかりと抱えた。彼は曖昧であってはならない。まずは浅薄な自分の感情を殺すことだ、この申し入れは、彼の個人的な嗜好などを、遥かに越えたことなのだから。何も感じてはならない。これは彼に課せられた気高き義務なのだ。

「何を、望んでいるのかな──」と、牧師は言った。

デュラントの唇は乾きに乾いていたが、彼はしっかりした声で答えた。

「ルイーザさんを。ルイーザさんは──僕と結婚することを約束してくれました──」

「君は、ルイーザに、君と結婚するつもりがあるかどうかと、訊いたんだね?──ふむ──」と牧師は、あらためるように言った。よく考えてみると、まだ自分がルイーザにそう訊ねていないことに、デュラントは気づいた。

「もし、ルイーザさんが、結婚を望んでいるのでしたら──それを、どうか、構わないとおっしゃってください──」

デュラントは微笑した。美男子である彼に、牧師は目を惹かれざるを得なかった。

「それで、家の娘は、君と結婚したいと思っているんだね?」

「そうです、」とデュラントは真剣に言った。しかしその言葉は、彼を痛みのように刺した。彼とこの年配の男とのあいだに、否応なく、敵意が交錯するのを、彼は感じた。

「こちらへ来なさい、」と牧師は言った。メアリーと、ルイーザと、リンドリー夫人が集まった、居間に、彼は導かれて行った。マッシーも部屋の片隅に、ランプを手にして坐っていた。

「ルイーザ、彼は、おまえのことで来られたんだね?」とリンドリーは言った。

「ええ、そうです、」と言ったルイーザの目は、姿勢を正して立っているデュラントに、注がれた。彼は怖れて彼女の方を見なかったが、彼女の存在は敏く感じていた。

「坑夫と結婚したがるなんて、馬鹿な娘だよ!」と、癇声でリンドリー夫人が叫んだ。肥った彼女は、ゆるやかな濃い灰色のガウンに包まれ、寝椅子に不如意に横たわっていた。

「そんなことは言わないものよ、母さん、」と、メアリーが、静かに抑えた声で、厳しく言った。

「あなた、どうやって、娘を養っていくつもりなの?」と、婦人は不作法に問いただした。

「どうやって!」と、デュラントは不意を打たれたように応えた。「稼ぎは、十分だと思うのですが。」

「そう、で、どのくらい?」と、無遠慮な声が飛んだ。

「一日に、七シリングと、六ペンスです、」と青年は応えた。

「いずれは、それよりもっと稼げるようになるということ?」

「ええ、おそらくは。」

「それで、これからもあの狭苦しい家で暮らすつもりなの?」

「そうですね、」とデュラントは言った、「それで差し支えなければ。」

デュラントは、彼らが、自分を婿として十分と見なしていないことに、さほど気を害さず、少し怯んだだけだった。彼ら一家の見方からすれば、自分はふさわしい相手ではない──それは彼も自覚していた。

「それじゃ、いよいよ馬鹿げたことだわ、娘があなたと結婚するなんて!」と、母親は乱暴に、自分の見解を投げつけるように叫んだ。

「でも母さん、結局は、これはルイーザの問題なのよ、」と、メアリーは冷静に言った。「だから、せめて私たちは──」

「自業自得ってわけね!──でも、いずれ後悔することになるのさ、」と、リンドリー夫人は遮って言った。

「それに結局は、」とリンドリーは言った、「私たち家族の意向を無視して、ルイーザが何でもかんでも意のままに決めるということは、できないね。」

「じゃ、お父さんは、私にどうして欲しいの?」ルイーザは、鋭く訊ねた。

「私が言いたいのは、要するに、もしおまえがこの青年と結婚したら、私の立場にとって大分都合が悪いことになる、ということだよ。とりわけ、おまえがこの教区に居続けるのならね。もし別の土地へ行って暮らすのならば、事はそう難しくない。だがここに留まって、私の目と鼻の先の、あの坑夫小屋に住むとなると──ちょっと面目が立たぬことになりはしないかね。私には、自分の立場というものがあるし、それを軽く考えてもらっては困るんだよ。」

「アルフレッドさん、こちらへ来なさい、」と、やはり不躾な声で、母が言った、「隠れてないで、あなたの姿をちゃんと見せてちょうだい。」

ぱっと顔を紅潮させて、デュラントは前に進んで、突っ立った──自分の手をどこへやったらよいか迷うほど、緊張して、妙な姿勢になっていた。彼がそんな風にへりくだって、従順に振舞ったことに、ルイーザは憤った。もっと男らしく振舞ってほしいのに!

「ルイーザを連れて、どこか私たちの目の届かないところで、暮らしてくださる?」と母は言った。「その方があなたたちにとっても、賢明ですよ。」

「ええ、そうしてもいいんです。」

「本当に、そうしたいの?」と、メアリーがはっきりした声で訊ねた。

彼は顔を向け変えた。メアリーの姿は、印象強く、まったく厳かだった。彼は赤面した。

「皆がそう望んでいるのでしたら、それに従います。」彼は言った。

「あなた自身ではどうなの。本当はここに居たいのではないですか?」と、メアリーは言った。

「あの家は、私の家です、」と彼は言った、「私の生まれ育った家です。」

「それなら、」──メアリーはきびきびと両親の方に向き直り、「お父さん、私は、彼にそんな風な条件を押しつけることに、賛成できないわ。彼には彼の権利があるし、ルイーザが彼と結婚したいと望むのであれば──」

「ルイーザが! まったく、なんてことだ!」もはや我慢ならずに、父は大声で言った。「なんでルイーザが、常識を弁えないのか、ごく普通にしてくれないのか、私には分らん。なんでルイーザは、自分のことしか考えないんだ、なぜ家族のことを顧みないんだ? 問題はそこなんだ、娘なら、少しでも家族のために尽くそうと努力するべきなのに! それを──」

「お父さん、でも私は、彼を愛してるのよ、」とルイーザは言った。

「なら、おまえがついでに両親も愛することを、そして両親にできる限り名誉を──いや、できる限り両親の体面を汚さぬよう、お願いしたいね。」

「ええ、私たちは別の土地へ行って暮らすことにしますわ、」と言ったルイーザの頬を、堰を切ったように、涙が伝った。彼女は真実傷ついていたのだった。

「そう、そうしよう。簡単なことさ、」とすぐさま応じたデュラントは、青ざめて、心を痛めた。

部屋に死のような沈黙が降りた。

「それが最善だろうな、」と、牧師は、気を鎮めて呟いた。

「それこそ賢明なことですよ、」と病人が、無愛想な声で言った。

「でも、こんな風なお願いをしてしまって、アルフレッドさんに申し訳ないわ、」と、メアリーは勿体らしく言った。

「いえ、そんなことありません、」とデュラントは言った。「これでみな上手く収まるんですから。」彼はこの問題にもう煩わされない方が、喜ばしかった。

「で、すぐにでもここの教会で結婚の公告をしましょうか、それとも、もう戸籍の届け出に行きましょうか?」彼ははっきりした声で、挑むように訊ねた。

「戸籍の届け出に行きましょう、」と、ルイーザが思い切るように言った。

またもや死のような沈黙が部屋に充ちた。

「そうね、進むべき自分の途があるのなら、やりたいようにやるべきね、」と、母親は他を圧する声で言った。

マッシーは始終、影の薄いまま、誰からも気遣われず部屋のひと隅に坐っていた。だがこの機になって、不意に彼は立ち上がり、そして言った。

「メアリー、赤ん坊が泣いてる。」

メアリーも立ち上がり、堂々とした物腰で部屋を出て行った。小柄な夫が、静かな足取りでその後に従った。その繊弱な小男が歩くのを、デュラントは不思議そうに見つめた。

「で、何処で──」と、牧師は親しげに訊ねた、「君は結婚したら、何処へ行くつもりなんだね?」

デュラントは、ふと身じろぎした。

「僕は、外国に移住しようと思ってたんですが──」と彼は言った。

「カナダかい? それとも別の国?」

「そうですね、カナダです。」

「ほう! それは大変結構なことだ。」

ふたたび沈黙が降りた。

「そうなると、義理の息子のあなたと、あまり顔を合わせることはなくなるのね、」と、やはりぞんざいに、しかし譲歩した態度で、母は言った。

「そうなりますね、」と彼は言った。

彼が暇乞いすると、ルイーザが門のところまで彼を連れて行った。彼の前に立った彼女は、胸を痛めていた。

「気にしないでちょうだいね、ああしたこと──」と、彼女はおずおずと言った。

「気にしないよ。どうせ向うだってこっちのことを気遣ってやしないんだから。」と彼は言った。そして立ち止まって、彼女に接吻した。

「早く、結婚しましょう、」と彼女は、濡れた眼で囁いた。

「ああ、」と彼は応えた。「明日にでもバーフォードへ行こう!」


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