明日の田園都市, エベネザー・ハワード

著者の序文


「反動の皮の下で静かに集結しつつある、新しい力、新しい渇望、新しい目標が、突然視野に飛び出してきた」――J・R・グリーン「イギリス人民小史」第10章

「変化は多くの場合、議論に議論を重ねて怒号がとびかって初めて生じるので、人々はそれが、ほとんどの人がまるで注意を払わなかった原因によって静かに影響を受けていたことに気がつかない。ある世代では、攻撃不可能に思えた社会的な仕組みがあっても、次の世代では勇敢な人々がそれを攻撃し、そして三番目の世代では、勇敢な人々がそれを弁護するかもしれない。あるときは、きわめて理にかなった議論が推進されようとしてもいっこうに進まず、それどころかそれを口にすることさえ許されなかったりする。別の時代には、実に子供っぽい哲学論だけで、まともな議論が糾弾されてしまったりする。そもそもそうした仕組みは、純粋な理論だけから見ると、おそらくは弁護しきれないのだろうけれど、その社会の意識的な習慣や思考様式にマッチしていたのだろう。次の段階では、それはもっとも鋭利な分析ですら説明できないような影響によって変化してしまい、息を吹きかけただけで、その構造をひっくり返すに十分となっている」――タイムズ、1891年11月27日

党派感情がとても強く、社会問題や宗教問題に大きな対立が見られる今日においては、国民生活と福祉に重要な関わりを持っていて、どんな政治党派や、どんな色合いの社会的見解を持った人であっても異論なく完全に同意するような、単一の課題を見つけるのはむずかしいと思うかもしれない。禁酒運動の話をすれば、ジョン・モーリー氏はそれが「奴隷制の廃止運動以来で最大の道徳運動」であると語るだろう。でもブルース卿はそれに対して「酒造産業は国庫に毎年4千万ポンドをもたらしているので、実際問題としては酒造産業こそがイギリスの陸軍と海軍を養っているといえるくらいだし、さらに何千人もの雇用を生み出している」――そして「絶対禁酒主義者でさえ、アルコール販売免許を持つ飲食店主に負うところが大きい、なぜならかれらがなければ、水晶宮のrefreshment barsはとうの昔に閉店してしまっていただろうから」と注意をうながすことだろう。阿片貿易を論じれば、一方では阿片がシナ人民の道徳律を急速に破壊しているという話が聞こえ、一方ではそんなのはまったくの思いちがいであり、シナ人たちは阿片のおかげでヨーロッパ人たちの想像もつかないような仕事をこなせるようになっていて、しかもその時の食物も、どんなに肝のすわったイギリス人でさえ嫌悪のあまり鼻をつまんで逃げ出すような代物ですむのだ、という議論も聞こえてくる。

宗教的な問題や政治的な問題は、しばしば人々を対立しあう党派にわけてしまう。このため、落ち着いた冷静な思考と純粋な気持ちこそが、正しい信念としっかりした行動原理に向かって進歩するために必須となるまさにその領域において、戦いの喧噪と、競り合う首長たちの抗争のほうが、いまだあらゆる人の胸をうつことが確実な真理への本当に真摯な愛や国への愛情よりも強力に、見守る人々におしつけられてしまう。

しかしながら、意見がほとんど分かれることのない問題が一つある。それはほとんどありとあらゆる党の人々が合意している。それもイギリスだけに限らず、ヨーロッパ中もアメリカも、われわれの植民地でも合意されていることだ。その問題というのは、人々がすでに過密となっている都市に相変わらず流入を続けており、そしてその一方で地方部がますますさびれていく、という問題である。

数年前に、ロンドン郡委員会の委員長を務めたローズベリー卿は、在任中にこの問題を特に強調してこう語っている。

ロンドンについて、わたしは内心で誇れるものはなにもない。わたしはいつも、ロンドンのひどさにうなされている。この高貴な川の岸辺に、まるで災害でもあったかのように、何百万人もがへばりついて、それぞれが自分のくぼみと独房の中で暮らし、お互いについての認識も知識もなく、お互いを気にかけることもなく、他人がどう暮らしているかについて、まったく見当すらついていない――数すら不明の何千人もの人々が、無思慮のままに傷ついているのだ。60年前に偉大なイギリス人コベットは、それをたんこぶと呼んだ。当時それがたんこぶだったなら、いまはなんだ? 腫瘍だ。肥大したシステムの中に、地方部の生命と血と骨の半分を吸い込んでいる象皮病ではないか」(1891年3月)

ジョン・ゴースト卿もその邪悪を指摘し、治療法を提案している。

「もしこの邪悪を永久に解決したければ、その原因を取り除くことだ。潮流を逆転させて、人々が街に流入してくるのをやめさせなくてはならない。人々を土地に戻すのだ。この問題の解決には、街自身の利益と安全がかかっているのだ」(デイリー・クロニクル、1891年11月6日)

ディーン・ファラーはこう語る:

「われわれは大都市の地となりつつある。村は停滞しているか、衰退しつつある。都市はすさまじく増大している。そして大都市がますます、われらが人種の肉体的な墓場となりつつあるというのが事実であるなら、家々がこんなに醜悪で、むさくるしく、排水も悪く、放置と汚物にまみれているのも不思議はないではないか」

人口学会議においてローデス博士は、「イギリス農村部から生じている移住」に注意を呼びかけた。「ランカシャーなどの製造業地域では、人口の35%が60歳以上であるが、農業地域ではそれが60%を越えている[訳註]。掘っ建て小屋の多くはあまりにひどい代物で、家とすら呼べないものだし、人々は肉体的に衰弱しきっていて、まともな体の持ち主ならできるはずの仕事量をこなせない。農業労働者たちを改善するために手をうたなければ、農村部からの脱出は今後も続き、それが将来どんな結果を生むかについては、かれは口に出そうとさえしなかった」(タイムズ、1891年8月15日)

訳註:後年の編集者の調べによると、この引用は原文のままだが、どうも小数点の位置がまちがっているらしい。1939年には、イングランドとウェールズの都市部における65歳以上人口比率は8.77%だったそうな。ロンドン大都市圏では8.33%で、地方部ではこれが10.3%だったとのこと。

マスコミも、リベラル派も急進派も、保守派ですらこの時代の深い病状について、同じ危機感を持って見ている。1892年6月6日のセント・ジェームズ・ガゼットはこう書いている:

「現代の生活における最大の危機に対し、まともな特効薬を提供する最前の方法はなにかという問題は、なみなみならぬ意義を持った問題である」

1891年10月9日の「スター」紙はこう書く;

「地方部からの移住をどう止めるかというのは、現代の大問題の一つである。労働者たちを土地に戻すことはできるかもしれないが、地方の産業をイングランドの田舎によみがえらせるにはどうしたらいいだろうか」

数年前に「デイリーニュース」紙も、「われらが村落の生活」と称して同じ問題を扱った記事シリーズを発表していた。

商業組合の指導者たちも、同じ警告を発している。ベン・ティレット氏曰く:

「手は仕事を求めて腹をすかし、土地は労働を求めて飢えている」

トム・マン氏の見解はこうだ:

「都市部の労働力過剰は、主に地方部から、土地を耕すのに必要とされた人々が流入してきたために生じている」

つまりこの問題が重大であることは、だれもが同意している。みんながその解決法をなんとか見つけようとしている。これに対してどんな解決策を提案しても、それについてみんながこれほどまで同意してくれると考えるのは、まちがいなく空想的ではあるのだけれど、これほどまでにきわめて重要とみんなが考えている問題について、出発点に関してはこうした合意があることを確認しておくのはきわめて大事なことだ。この現代における最も火急の問題に対する回答が、われらの時代における最高の思考家や改革者たちの才能をしばりつけてきた、ほかの多くの問題も比較的かんたんに解決するものであるということが示されれば――そしてそれは、本書で議論の余地なく示せると思う――なおさら特筆すべき、希望に満ちたしるしとなるだろう。そう、人々を土地に戻すにはどうしたらいいかという問題――あのわれらが美しき土地、空の天蓋、そこに吹き寄せる大気、それを暖める太陽、それを濡らす雨露――まさしく人類に対する神の愛を体現したもの――こそが、まさにマスターキーなのである。なぜならそれは、ほんのすこししか開いていないときであっても、不摂生や過剰な労働、いたたまれぬ不安、どん底の貧困といった問題に、光を大量に投げかける戸口への鍵と見なせるからだ。そして政府介入の真の限界、さらにはさよう、人間と至高の力との関わりといった問題にさえも。

一見すると、この問題――人々を土地に戻すにはどうしたらいいか――の解決に向けてとるべき第一歩は、これまで人々の大都市集中へと結びついた無数の原因について慎重に考えることだと思えるだろう。もしそうなら、最初にとても長期にわたる調査が必要になってくるだろう。だが著者にとっても読者にとってもありがたいことに、そのような分析はここでは必要とならない。その理由はとても簡単で、つぎのように表現できる:人々が都市に集まってくるとき、過去にどんな力が働いて、いまどんな力が作用しているにせよ、そうした原因はすべて「魅力」の一言にまとめてしまえるのである。だからしたがって、どんな対処方法であっても、それが人々(少なくともそのかなりの部分)にいまのわれわれの都市が持つより大きな「魅力」を示さなくては、有効に機能するわけがない。古い「魅力」を新しく作られる新しい「魅力」が凌駕しなくてはならないわけだ。それぞれの都市は磁石だと思えばいい。それぞれの個人は針だ。こういうふうに考えると、いまのわれわれの都市よりも大きな力を持つ磁石をつくる方法を見つけなければ、人口を自発的かつ健全に再配分するのには有効ではありえないことがすぐにわかる。

こうして見てやっても、問題は一見すると解決は不可能とはいわないにしても、とても困難に思えるだろう。みんなついききたくなるはずだ。「いなかを、市井の人々にとって都市よりも魅力あるものにするなんて、できるわけがない――賃金を、少なくとも物質的な快適さの水準を、都市よりいなかのほうが高いものにするなんて。大都市以上とはいわないまでも、それに匹敵するくらいの社会的交流の可能性を確保し、平均的な男女の向上の見込みを都市並に保つなんて!」この問題は、これときわめて似た形式でたえず持ち上がってくる。この問題は一般メディアでも絶えずとりあげられ、ありとあらゆる形式の議論の種となっている。その論調だとまるで、人類、少なくとも労働者は、一方では自らの人間社会に対する愛を押し殺すか――少なくとも、寒村で見つかるもの以上の人間関係は押し殺すか――さもなければもう一方では、いなかのすばらしく純粋なよろこびをほぼ完全にあきらめるか、そのどちらかの選択や代替案しかないし、これからもそれ以外はありえない、とでも言うようだ。まるで労働者がいなかに住みながらも、農業以外の仕事に従事することは、いまもこれからもまったく不可能であり、経済科学の終着点が混雑した不健康な都市だとでも言わんばかりであり、農業と工業の間にはっきりと分割線がひかれているわれわれの産業の現状が、いつまでも続くしかないとでも言わんばかりに、万人が思いこんでしまっている。

この誤謬は、目の前に出されたもの以外の代替案の可能性を完全に無視するという、よくあるまちがいなのだ。実際には、選択肢はみんながいつも考えているように、二つ――つまり町の生活といなか生活――しかないわけではない。第三の選択肢があり、そこではきわめてエネルギッシュで活発な町の生活の長所と、いなかの美しさやよろこびのすべてが完全な組み合わせとなって確保されるのだ。そしてこの生活を送れるという確実性が、われわれみんなの追い求める効果を生み出す磁石となる――人々は混雑した町を自発的に出て、優しき母なる大地の腹部に戻るのだ。そこは生命とよろこび、富と力の源となるだろう。だから町といなかは、二つの磁石と考えることができる。どちらも人々を引きつけようと努力している――このライバル関係に、両者の性質を兼ね備えた新しい生活形態が参加しようというわけだ。これは「3つの磁石」の図によって示せる。この図では、町といなかの主な長所が、それぞれ対応する欠点とともに描かれているが、「町・いなか」のメリットは、その双方の欠点から逃れているのである。

町、いなか、「町・いなか」磁石
図1:三つの磁石の図
いなか 町・いなか
自然の締め出し、社会的な機会、群衆の孤立、おもしろい場所、仕事場から遠い、高賃金職、高い家賃や物価、雇用機会、長時間労働、失業者の群、霧や渇水、高価な排水、汚い空気によどんだ空、明るい街路、スラムやジン酒場、豪壮な建築 社会生活なし、自然の美しさ、仕事のない人々、遺棄された土地、無断立ち入り要注意、林・草原・森、長時間労働に低賃金、新鮮な空気と低家賃、排水皆無、水たっぷり、娯楽なし、明るい太陽、公共心皆無、改革が必要、混雑した住居、廃村 自然の美しさ、社会的な機会、簡単にアクセスできる草原や公園、低家賃、高賃金、低い税金、やることいっぱい、低物価、ゆとりの仕事、起業の機会、資金の流入、きれいな空気と水、よい排水、明るい家と庭園、煙もスラムもなし、自由、協力
人々:かれらはどこへ行くだろうか?

町磁石は、ごらんのとおり、いなか磁石と比べて高賃金、雇用機会、魅力的な生活向上の見こみなどを提供するが、これは高い家賃や物価によってかなりうち消されてしまう。そこでの社会的な機会や娯楽場所はとても魅惑的だが、過酷な労働や職場までの距離、そして「群衆の中の孤独」が、こうした長所の価値を大幅に低下させてしまう。街頭の明るい街路は、特に冬場にはすばらしい魅力だが、日差しがますます閉め出され、そして空気があまりに損なわれているために、立派な公共建築がスズメともどもすぐに煤まみれになってしまうし、立派な彫像も泣いている。豪壮な大建築と、背筋も凍るスラムが現代の都市では相補的な特徴となっているのだ。

いなか磁石は、あらゆる美と富の源泉として名乗りを上げる。しかし町磁石は、きみは社交がなくてとても退屈で、資本がないからその贈り物もほとんど提供できないじゃないか、とバカにしたように指摘する。いなかには、美しい景色や荘厳な公園、スミレの香る森や新鮮な空気、流れる水の音がある。でも「侵入者は処罰される」というおっかない看板を目にすることも実に多い。地代は、エーカーあたりで計算すれば低いにはちがいないけれど、その低い賃料は、低賃金の自然な結果にすぎず、すばらしい快適さをもたらしてくれるものなどではない。一方で、長時間労働と娯楽の欠如のために、明るい日差しや澄んだ空気は人々の心を喜ばせない。唯一の産業である農業も、しばしば豪雨に苦しめられる。でも、この雲からくる雨というすばらしい収穫物がきちんと貯水されることはほとんどなく、渇水時には飲料水でさえ不十分になってしまうことも多い[原注]。いなかの自然な健全さも、きちんとした排水などの衛生状態が整っていないために、多くが失われており、ほとんど廃村化したところでは、残った少数の人々はしばしば密集して暮らし、まるで都市のスラムとはりあおうとしているかのようだ。

原注:1894年4月25日、チェスターフィールド・ガス・水道法についての下院諮問委員会において、ダービーシャー郡委員会保健医療担当のバーワイズ博士は、質問1873に答えて以下のように証言している:「ブリミングトン公立学校では、せっけんの泡だらけの桶がいくつか見られました。子どもたちが体を洗う水は、全員の分がそれだけだったのです。おなじ水で、交代に体を洗うわけです。もちろんギョウ虫かなにかのようなものをもった子がいれば、すぐに全員に伝染させることになります(中略)女教師の話ですと、子どもたちは汗をかいて遊び場からもどってきたときに、みんなこのきたない水を本当に飲むのが見られたそうです。のどがかわいていても、ほかに飲む水がないからなのです」

でも、町磁石もいなか磁石も、自然の計画や目的を完全な形で体現したものではない。人間社会と自然の美しさは、いっしょに楽しまれるべきものだ。この二つの磁石を一つにしなくてはならない。男と女が、異なる天分と機能によってお互いを補うように、町といなかも補い合うべきだ。町は社会のシンボルだ――助け合いと仲のよい協力、父性、母性、姉妹兄弟愛、人間同士の広いつきあい――広く拡大する共感――科学、芸術、文化、宗教のシンボルなのだ。そしていなかとは! いなかは人間に対する神の愛と配慮のシンボルなのだ。われわれであるもの、そしてわれわれの持つものはすべていなかからきている。われわれの肉体もそれで作られている。そして死ねばそこに戻る。それに養われ、服を与えられ、暖められて家屋を与えられている。その腹部にわれわれは休む。その美しさは、芸術や音楽や詩の源だ。その力は、産業のあらゆる車輪を動かす。あらゆる健康、あらゆる富、あらゆる知識の源である。でもそのよろこびと英知の全貌は、いまだに人類に明かされてはいない。そしてこの、社会と自然との不道徳で不自然な分離が続くかぎり、それが明かされることは決してないであろう。町といなかは結ばれなくてはならない。そしてこの喜ばしい結合から、新たな希望、新たな暮らし、新たな文明が生まれるだろう。本書の目的は、町・いなか磁石をつくることで、この方向への第一歩をいかにして踏み出せるかを示すことである。そしてわたしは読者に、これがいますぐここで実現可能なものであり、しかもその原理は倫理的にみても経済的にみても、きわめてしっかりしたものだということを納得してもらいたいと思っている。

そこでわたしは、「町・いなか」ではあらゆる混雑した都市で楽しまれているのと同等、いやそれ以上の社会的な交流がいかにして楽しめ、しかも自然の美しさが、そこの住民一人一人を囲み、包み込むようになるかを示すことにしよう。高賃金がどうすれば低い地代や物価と共存できるかを示そう。万人にとって、雇用機会がたっぷりあり、向上の明るい見通しも確保できる方法を示そう。資本が引きつけられ、富がつくられる方法を。最高に望ましい衛生状態を確保するやりかたを。万人に美しい家と庭を与える方法を。自由の領域が広がり、しかも同時に幸せな人々によって、協調と協力の最高の結果がもたらされる方法を示そう。

こうした磁石の建設は、もし機能するようにできれば、当然のこととして同じものがもっとたくさん作られるようになり、ジョン・ゴースト卿がわれわれにつきつけた火急の問題「潮流を逆転させて、人々が街に流入してくるのをやめさせなくてはならない。人々を土地に戻すのだ」に対する回答となるのはまちがいない。

このような磁石のもっと詳しい説明と、その建設方法を以下の章では述べる。


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