メイカーズ コリイ・ドクトロウ 第一部

第三章


目を奪われているうちに午後の時間はあっという間に過ぎた。ペリーは浜辺の露店でよく売られている手書きの文字が書き込まれた貝殻で膝ほどの高さの関節がちゃんと曲がるフランケンシュタインの怪物を作っていた。貝殻にはアメリカに神のご加護をだとか、フロリダ記念だとか、ほら貝共和国などと書かれていてそれぞれ形に合うよう自作されたモーターが嵌めこまれている。

「完成したらトーストを焼けるようになる」

「トーストを焼くですって?」

「そう。パンの塊から一切れ切り取ってトースターの一段目に送り込み、レバーを押し下げた後、焼きあがるのを待つ。焼きあがったら取り出してバターを塗る。古いバックアップ用テープのとり込み装置を見ていてひらめいた。こいつとトースターはゆるやかに結合した一つのシステムとして機能するんだ」

「OK。最高にクールね。だけど一つつまらない質問をしなくちゃ。ペリー。なぜなの? なぜトーストロボットなの?」

ペリーは作業の手を止めて手についた汚れを払った。体つきはたくましく、シャギーカットにした髪が目尻の小じわの印象よりも彼を若く見せていた。彼は組立途中のモーターが中に入った貝殻をひっくり返すとThe Weather Is Here, Wish You Were Beautiful浮き沈みは世の習い、美しくあって欲しい と手書きされた文字を上にしてコマのように回転させた。

「ああ、うん。質問だな? 単純な答えはみんながそれを買うからさ。コレクターたちだ。楽しい趣味のビジネスってわけだ。だけど本当のところはそうじゃない。

つまりこういうことなんだ。エンジニアリングには制約が満ちている。何フィートのサイズとか、これこれの引っ張り強さの素材とか、絶対落ちない橋を作らなきゃならないとか、三十二キロワードに収まる八ビットコンソール用の面白いゲームを書くだとかな。最速、あるいは最大の積載量をもつ飛行機を作るとかでもいい。だけど最近は従来の意味での制約条件があまりない。エンジニアにとってもっとも危険な贅沢品である十分なリソースを俺は手に入れたってわけだ。必要なだけの計算機サイクル、簡単で高速なプロトタイピング、正確なツール。

まあ、このリソースを全て食い尽くしてさらに不足が生じるような仕事がどこかに潜んでいる可能性はある……たぶん俺は『時速六十マイルが機械の出し得る最高速度だ、恐るべきスピードだ』と言ってる機関車エンジニアみたいなもんなんだろうな。だが俺はこれであまり不便を感じないんだ……君には興味のない話だろうが。

だから今やっているこいつが俺の制約条件ってわけだ。自分自身への挑戦なんだ。拾ってきたものを使って、ここの全コンピューター能力を使い切るようなものを作る。知っての通りのくだらない問題さ。自動車運転エルモクラスターや貝殻製トースターロボットなんかだ。俺たちには相当のリソースがある。このくだらないもので使い潰せるくらい大量にだ。全てのリソースがジャンクリソースだ。つまり有り余ってるのさ。ジャンクヤードには宇宙開発計画を始められるくらい十分なリソースがあって、それは意図的に作りあげられたものなんだ。iPodを憶えてる? どうしてあれはあんなに傷がつきやすくて、ポケットに入れて持ち歩いて一年もすると薄汚れてしまうんだと思う? なんだってAppleはくそみたいになっちまう素材を使って携帯用デバイスを作るんだ? みんなが注目しているっていうのに。答えは一つ。iPodはわざと一年だけ保つように作られているからだ!

自動車のテールフィンみたいなものさ……テールフィンが流行した白亜紀の時代にはクールに見えた。だがファッションとして廃れ、最先端じゃなくなって視界から消えたらそう格好よくも見えないんじゃないか? おっともちろん例外はある。手入れの行き届いたランドヨットがハイウェイを走っているのをときどき見かけるがかっこいいものだ。それが物珍しいからってだけにしてもだ。だけど何か流行りものをデザインしようとすれば、計画的な陳腐化や流行の後に必ず起きる美的価値観の変化に備えた製品寿命戦略を持たなきゃならない。ほらこれを見て」

彼はトランプデッキほどの大きさの白いブロックを彼女に手渡した。しばらくそれがiPodであることに彼女は気が付かなかった。「なんて大きいの」彼女言った。

「ああ。まさにその通り。発売された時、こいつがどれだけ小さくて光り輝いていたか思い出せる? なんとポケットに一千曲が!」

彼女は思わず声を出して笑ってしまった。ポケットを探ってイヤホン型のMP3プレイヤーを取り出すと彼女はそれをM&Msが散らばるテーブルの上に置いた。「これにはたしか四万曲入っているはず。だけどまだ容量には余裕があるわ」

彼はそれをサイコロのように手のひらの上で転がした。「そのうち何曲入っているかもわからなくなる……俺は自分のやつに入れたオーディオブックが十万冊を超えた後は数えるのをやめたよ。議会図書館の資料も高解像度で大量に入っている。インターネットアーカイブのコピーやUsenetの全投稿も……。基本的にこいつらは無限に大きくなる。今、俺たちが使っているメディアのサイズに合わせてね」彼はMP3プレイヤーを作業台の上に転がして笑った。「そしてこれは通過点でしかない! 将来的に俺たちは新しいもっと充実したメディアやそれを使っておこなわれる新しい作業、そしてこいつを古いiPodと同じ立場に追い込む新しい記録媒体を手に入れるだろう。それが起きる前に君はこいつを使い古して傷だらけにしたくなるか、どこかで失くすだろうが……」

「いつも失くしてるわ。ひと月に一つのペースといってもいいくらい」

「もうそこに向かっているわけだ! iPodはそんな風に失くしてしまうには大きすぎた。だけどこいつらを見てくれよ」iPodのクロムめっきを施された表面はまるでガソリンスタンドのトイレの鏡のように引っかき傷で曇っていた。画面は傷だらけで読み取れないほどだ。「当時でも傷のつきにくい素材や硬質プラスチックはあった。あえて素材としてサランラップや錫箔を選んでいるのさ。翌年には容量は二倍に増える。その時にはすでに使い古してもう捨ててもいいと思うようにだ。

つまり俺は世界が大きな容量と能力を持つ消耗品で満ちあふれているから捨てられた時代遅れの技術を使ってテープ取り込み貝殻ロボットを作っているんだ。こいつらはまた使ってくれと叫んでいる。ポトラッチなんだ。俺は馬鹿げたがらくたに浪費できるくらい膨大な材料とコンピューターリソースを持っている。俺が考えるにコレクターがこいつを買う理由はそれだね」

「そうなるとあなたとコダセルとの関係についての質問に戻って来るわね。彼らは本当のところあなたを使って何をやりたいんだと思う?」

「そうだな、俺たちはずっと3Dプリンターなんかの大量生産技術を使って遊んできた。ケトルベリーが連絡してきた時、低価格で大量にものを作るためにスキャナーなんかの使用方法を知りたいと彼は言っていた。考えてみるとこいつはちょっとおかしい。ゴミ捨て場から拾ってきた時代遅れの技術の模造品を最新技術を使って作るっていうんだから。その模造品にしたって最後にはこのゴミ捨て場に戻ってくるっていうのに!」彼は笑った。目の周りに盛大に笑い皺ができる。「ともかくそれについてレスターと俺は長いこと話し合ったけど本当の所はよくわかっていない。小売の真似事はもうたくさんだった。彫刻一つに一万ドル払うようなコレクター二、三十人を相手に商売するのは我慢ならないだろう? 同じ物に一ドル払う一万人の顧客相手に商売したいっていう人間にとっては」

「だけど顧客相手の対応は全てあのティジャンの役目になるとは思わない?」

「そうなりゃ理想的だ。彼がビジネス面を取り仕切ってくれれば俺たちはハックする時間をもっと手に入れられる。みんなに利益がある。コダセルの連中は小さな営業代理店を手に入れたんだ。PR映像や出荷配送や小さな三人組の組織がうまくやっていくのに必要な全てのことの専門家だ。ティジャンが彼らとの窓口になって俺たちは自分の仕事をする。株主を儲けさせ、自分たちの取り分の株を手に入れる。いいこと尽くめだ。最悪もしうまくいかなくても俺たちはたんに立ち去って新しいゴミ捨て場を見つけ、コレクター相手の市場に戻ればいい」

彼は半分組み上がった貝殻を取り上げると作業場に据え付けられた巨大なレンズ付きライトを引き寄せた。「ちょっと待ってくれ。どうも具合の悪いところがあるのを見つけちまった」彼は小さなピンセットとプラスチック製の棒を手にとってしばらく何かを探っているようだったが、しばらくすると貝殻の内側にはんだを塗りつけていった。ピンセットを使って電源の接点にワイヤーを触れさせると貝殻からモーターの音がして突き出た金属の棒がリズミカルに動き始めた。

「これでよし」彼は言うとそいつを置いた。「来週を過ぎればこういうプロジェクトもそうそうできないだろう。こういう作品は大量生産できるようなものじゃないから」彼の姿はどこか寂しげでスザンヌはほほえみそうになってしまった。このフロリダのジャンクヤードに住むエンジニアはまさに苦悩する芸術家ではないか!

長い一日も終わりに近づくと彼らは夕暮れの涼しさの中、ジャンクヤードを散歩するために外に出た。日中のずぶ濡れになるような湿気は日が沈むにつれ落ち着いてきている。夕日から長く伸びる陽の光がクリスマス飾りでいっぱいの水が枯れた噴水を光の瞬く宝石箱に変えていた。

「今日はだいぶ作業が進んだ」レスターが言った。ステッキを手にして重い足を引きずるようにしている。「完全な機械式論理ゲートを一つの部品としてプリンターで出力させた。組み立て作業はほとんど無し。ボードの上でつなぐだけだ。それぞれのゲートをレゴブロック方式で次々につなぎ合わせる汎用のはめ込みシステムを作ろうとしているところなんだ。できあがればすごく簡単に生産量を上げられる」

「それはいいな」ペリーはそう言ってからプリンターや樹脂の引っ張り強さか何かについてスザンヌにはついていけない技術的な質問をした。時代遅れのテクノロジーの大きな山と建設途中のショッピングモールの間を早足に通り過ぎつつ、彼女がついていくには早口すぎる難解な細部の話を交えて二人は猛烈な勢いで話し合った。

彼らを先に行かせて考えをまとめようと彼女は立ち止まってあたりを見回した。その時、彼女の目にペリーとレスターのラボに忍び込もうとしている少年たちの姿が飛び込んできた。

「ちょっと!」デトロイト時代のような大声で彼女は叫んだ。「そこで何やってるの?」そこには全部で三人いた。マイアミ・ドルフィンズのジャージに剃りあげたスキンヘッド、小さな短パン。タフガイというよりイスラム法学者のドラッグクイーンのように見える最近流行りの妙なラッパースタイルだ。

彼らが彼女の方を向いた。大柄な体格で眉毛を脱色して金色にしている。ちょうどラボの通用口から忍び込もうとしているところで目立たないようにしている様はまるで三人組の修道女のようだった。

「消えなさい!」彼女は叫んだ。「ここから出ていくのよ! ペリー、レスター!」

少年たちが近づいて来る。動きは鈍く暑さであえいでいるが物騒なことを企んでいるのは明らかだ。彼女はハンドバッグに手を伸ばすと催涙スプレーを取り出して大げさに目の前に構えて見せた。しかし彼らは動きを止めずに近づいてくる。

突然、彼女が今まで聞いたこともないような大音量が周囲の空気をつんざいた。まるで霧笛の中に頭を突っ込んだようだ。彼女はたじろいで前方に催涙スプレーを噴霧してしまった。落ち着いてなんとか吹き返される催涙ガスから逃れようと後ずさったが遅すぎた。目と鼻が焼けるように痛みはじめ、涙と鼻水が流れる。音は鳴り止まずにずっと続いていた。その音に脳みそが頭蓋骨の中から飛び出し、歯がずきずき痛むようだった。三人の少年は動きを止めてよろめいた。

「大丈夫?」ひどく遠くから声が聞こえたように思ったがそれはすぐ眼の前にいるレスターの声だった。気づくとあの驚くべき轟音に耐えるように彼女は膝から崩れ落ちていた。

彼の助けを借りて彼女は立ち上がろうとした。「いったい」彼女は手で耳を押さえながら言った。まるで夜通しのレイヴの後のように耳鳴りがする。「なんなのこれは?」

「対人用ソニック・デバイスさ」レスターが答えた。彼は大声で叫んでいたがそれでもその声は聞き取りにくかった。「長期的な損傷は一切与えないが、たいていのやつは追っ払うことができる。たぶんあの小僧どもは今朝通ったバラック街に住んでいるやつらだろう。彼らの多くがギャングになる。俺たちの隣人なんだし撃ったりはしたくないんだ」

彼女は頷いた。耳鳴りは少し収まり始めていた。レスターが支え、彼女は彼に身を預けた。彼は大柄でしっかりしていた。彼のつけているコロンが自分の父親と同じものであることに彼女は気がついた。

彼から体を離すと彼女はショートパンツの皺を伸ばし、膝に付いた埃を払った。「あなたが作ったの?」

「オンラインで見つけた作り方を見ながらね」彼は答えた。「ここいらの小僧どもはがらが悪い。ちょっとした自家製の自衛用サイレンさ……頑丈だし安上がりだ」

彼女は両耳に指を突っ込んでむずがゆい耳鳴りの名残りを掻いた。それが済むと彼女の聴覚もほとんど元通りになった。「ケンブリッジに住んでいた時に上の階の人がとんでもなくうるさいステレオを持っていたけど……もう一度あんな目に合うとは思いもしなかった」

ペリーが来て二人に加わった。「ちょっと後をつけてみたけどいなくなったよ。一人はキャンプ場で見た憶えがあるな。フランシスに話してあいつらに説教してくれるか確認しておこう」

「前にも忍び込まれたことが?」

「何回かね。一番心配しているのはあのプリンターを壊されることだ。他のものなら替えが効くんだが。レスターの前の雇い主が破産した時にオークションであれを五十台ばかり買い取ったんだけど、どこに行けばもう一度同じものが手に入るかわからないんだ。コンピューターは安物だし、他のがらくたにしても本気で盗もうなんてやつはいないだろう」彼は輝くような自信に満ちた笑顔で彼女に笑いかけた。

「映画が始まるのは何時だ?」

レスターが自分の腕時計を見る。「日没の一時間後だ。今出発すればハイチ料理屋でちゃんとした夕食を食って、それからサンダーバードへ行ける。俺は後ろの席で毛布をかぶって隠れてるよ。そうすりゃ、入場料を節約できる!」

子供の頃には彼女も同じ事を何度もやった。毛布の下の彼女と彼女の兄弟がくすくす笑うと父親は静かにするようしーっと合図したものだ。巨体のレスターが同じことをしているのを想像して彼女は思わず笑ってしまった。「あなたの分も払えると思うけど」彼女は言った。

夕食は言うことなしだった……スパイスのよく効いた魚料理にすばらしい音楽、古びたティキ・バーのところどころ剥がれた芝生のような壁紙がどことなくハイチの雰囲気を醸し出している。とはいえウェイターの言葉はフランス語ではなくスペイン語だったが。彼女は自分に言い訳をしてビールを二瓶注文した……普段より一瓶半は多い量だ……が頭はさえていた。暑さと湿気が血液の中からすぐさまアルコールを洗い流してしまっているようだった。

ドライブインシアターに着いたのはちょうど日暮れの頃だった。彼女の記憶にある子供の頃に両親と一緒に行ったところとそっくりだった。駐車場の横にあるジャングルジムにはパジャマを来た子供たちがよじ登っている。自動車の列が巨大で薄汚れた白いスクリーン用の壁に向かって並んでいた。映画の前には踊るホットドッグが出てくる古くて傷だらけの「みんなでロビーに言ってごちそうを食べよう」という短い宣伝フィルムさえ上映された。

まるで風船が膨らむように彼女の胸に郷愁がこみ上げてきた。十歳になるまで彼女はコンピューターを見たことがなかったし、初めて見たコンピューターは大型冷凍庫ぐらいのサイズだった。しかもその計算能力ときたら今であれば香水とダイエットの広告が満載の安っぽいファッション雑誌に埋め込まれているようなICタグ一つよりも貧弱だったのだ。

この三十年の間に世界は何度もひっくり返るような変化を遂げてきた。文字通りめまいがするようだった……それとも今になってビールの酔いがまわってきたのだろうか? 突然、彼女が信頼し基盤とするもの全て……四〇一K、持ち家、プロの世界を適切な方法で渡っていく能力……がまるで砂上の楼閣のように思えたのだ。

三人が乗ってきたのはレスターの車だった。二台の電動スマートカーをミニセダンのような形につなぎ合わせたものをベースにしていて、レスターが運転席に乗り込んでもまだ余裕がある広さの自家製自動車だ。到着すると三人は折りたたみ式のいすを持ちだして車のそばに座り込み、自動車の窓を開けてスピーカーのボリュームを上げた。暖かい夜だったが昼間とは違って蒸し暑くはない。背の高い椰子の木の葉を揺らしてその葉音をドライブシアターに響かせる風は心地良く芳しかった。

映画は月を舞台にへまばかりしている探偵たちが活躍する見終わった瞬間に内容を忘れてしまいそうな代物だった。既に亡くなった役者がアニメーションで動きまわって全編で活躍する最近流行りの手法を使ったものの一つだ。人気スターを使えてしかも人件費を安く抑えられると好評なのだ。それ以外にも映画には実在しない役者が何人か出演しているようだった。正直に言ってこれまで彼女は現実逃避の手段として以外は映画を熱心に見たことはなかった。しかし本物の魔法と気晴らしがそのドライブインシアターには存在した。闇夜の中でスクリーンの上を揺れながら通りすぎてゆく魔法のストーリーを息を押し詰めて見入る人々の確かな気配、彼女の脳の奥にまっすぐに入り込んでくる何かがそこにはあった。それを感じ始めるのと同時に彼女のまぶたは落ち、気がつくと彼女はうつらうつらし始めていた。そうしているうちにレスターが彼女の頭の後ろにまくらをあてがい彼女はそいつに頭を預けて眠りに落ちていった。

起きた時には映画のエンドロールが流れていて彼女は自分がまくらをレスターの樽のような胸に押し付けていることに気がついた。彼女は飛び起きると気まずそうに彼にほほえみかけた。「やあ、おねむさん」彼が言った。「のこぎりを引くようないびきをかくんだな。自分で知ってた?」

彼女は赤面した。「うそよ!」

「本当だ」彼が答える。

「本当に?」

反対側にいたペリーが頷く。「本当だよ」

「なんてこと」彼女は言った。

「気にするな。レスターほどじゃない」ペリーが言った。「朝、こいつの部屋に行くと壁にかけてあった写真が全部床に落ちているんだ。振動で外れてな」

今度はレスターの顔が赤くなったように彼女には見えた。

「映画の邪魔をしてしまったのなら謝るわ」彼女は言った。

「気にすることはない」レスターが答えた。話の方向が変わったことに明らかにホッとしているようだった。「どっちにしろ下らない映画だった。聞くに堪えないせりふをかき消してくれたくらいだ」

「それならいいんだけど」

「さあ、作業場に戻ってあんたを車まで送り届けなきゃ。ここからマイアミまで一時間はかかる」

カプセルホテルの駐車場にレンタカーを止めた時には彼女の目もすっかり覚めていた。彼女はもがくようにしてカプセルに潜り込むと日中に熱された息の詰まるような空気を一掃するためにエアコンのボタンをひっぱたいて最大風速に設定した。

暗いカプセルの中で長いこと横たわっていると徐々に制御パネルの警告灯の光に目が慣れてくる。次第に自分が歴史も世界も、知るもの全てを背後に置き去りにして相対論的速度で宇宙を進むカプセルの中に横たわっているような気がしてくる。彼女は体を起こした。突然、西海岸時間に戻ったように目が冴え、今は眠ることができなさそうに思えた。しかし再び体を横たえるとようやく眠りが彼女に訪れたのだった。

目覚ましの音に起こされた時には五分ほどしか眠っていないように思えた。彼女は駐車場の周りを二、三周のろのろと歩きまわって足のストレッチをおこない頭をすっきりさせようとした……体内時計は午前四時を指しているが時間は東海岸時間の午前七時だった。太陽が昇り、その熱がありったけの水分を空気中に蒸発させ始めていた。ホテルを出発すると彼女はしばらくマイアミを走り回った。どこかで洗面道具をいくらか手にいれなければならなかったし、座って書類仕事ができるカフェも必要だ。前日にかなりの量の取材メモのツイートをし、ちょっとした記事を自分のブログにポストしていたが彼女の担当編集者は要約されたニュースを好む読者のためにもっと整理された記事を要求していた。

ペリーのジャンクヤードに着いた頃には日は傾き始めて午後になっていた。頭上からの直射日光もおさまって暑さも昨日よりはいくぶん和らいでいる。別の日に彼女は腰をすえて質問を交えながら彼らの仕事ぶりを見ていた。彼女が最終的にまとめたコラムは冷静な視点でこの二人がおこなっているクールな文化を描きだし、それが大量生産へのスケールアップの道を生き残れるかどうかを問うものになっていた。今度は彼らの進行中の仕事を調べる番だ。ほとんどのものは彫像と機械を扱ったものだったがどちらも全く使われていないものもあった。しかしいずれにしても彼らのものを作りあげる能力の大きさを示すものばかりだ。ケトルウェルはここにいる二人と同じくらい創造的な人々が千人も一万人もいて、見つけ出されるのを待っていると考えている。それは正しいのだろうか?

「もちろん」ペリーは答えた。「正しいに決まってるだろ? 俺たちがここにいるのは誰かさんが入り口をこじ開けてくれたからだ。二、三人の技術マニアにたくさんの材料を与えてやれば最先端物質科学の知識無しでも何かを作り出させることは可能だ。インターネットが始まった時もこんな風だったんじゃないかな?」

「あら」スザンヌは言った。「そういえば今気がついたけどあなたは当時のことをちゃんとは憶えてないのね。九十年代初めの頃を」

「いや憶えているよ。子供だったけどしっかり記憶している!」

彼女は自分がずいぶん歳をとったように感じた。「留年してでもperlとHTMLを学びたがっている文科系学生が大学に大勢潜んでいるなんて誰一人、本気で信じなかったものよ」

ペリーは頷いた。「ああ。そいつはアナログだな。ドットコムバブルが俺に残してくれた遺産はこの無料のインフラだ。とんでもなく安いネットワーク接続やホスティング会社。俺が思うにそいつはそれを使う意志を持った人々との複合体だ。俺には想像もつかないがメールやネットを怪しげなものだと思っている過去に囚われた人間が大勢いることは間違いない。そうだろ?」

彼女は彼に手を振ってみせた。「ペリー少年。あなたの思っている何倍もひどいわ。ラストベルトにはメールをプリントアウトしたり、テープレコーダーに吹き込んだ返事の入力と送信をするために緊急援助金を使って秘書を雇うような経営者がいまだにいる」

彼は濃い眉をしかめて言った。「冗談だろ」

彼女は自分の胸に手を置いた。「からかうつもりはないわ。デトロイトフリープレスのニュース編集室には知り合いが何人もいる。この国では全ての産業が前世紀から生き続けているの」

「とにかく俺にとってはドットコムバブルってやつの全てがお膳立てをしてくれたみたいなもんなんだ。俺みたいな人間が部品や組み立て手順書を手に入れたり、一緒に遊ぶハードウェアハッカーを見つけたりするのが簡単になった」

ペリーが貝殻の中の機械をいじるのに没頭し始めたので彼女はぶらぶらとした足取りでレスターの様子を見にいった。彼はこの前よりももっと大きな機械式コンピューターのためにバービー人形の頭をプリントアウトしている最中だった。「完成したら九十九以下の二つの数字の間での足し算と引き算、それに掛け算ができるようになるんだ」彼は言った。「同じことをできるマシンを真空管で作るのには何十年もかかった……俺はそいつをたった三つの回転部に付いたスイッチでやってのける。ざまあみろ、UNIVACめ!」

彼女は笑い声を上げた。彼はジュース缶をレーザー加工して作ったスイッチがたくさん入った大きな袋を見せてくれた。それを磨かれた自動車ドアから竹製の屋台まで、さまざまな基板の上にはんだ付けするのだ。彼女は近づいてはんだ付けの跡を見た。「まるで労働搾取工場のはんだ付けみたいね」

彼はとまどったようだったがやがて気づいて言った。「ああ! わかった。ペリーのやつだな。そう。この職人芸的クオリティのはんだの膨らみはロボットじゃだせない。ほれぼれしちまう。筆遣いが見て取れる絵画みたいに美しさを感じるだろう。だがペリーの言っていることは正しい。もしこんな風なはんだ付けが百万ヶ所もされているものを見たらその背後には奴隷まがいの賃金で働く子供と女性がいると思ってまず間違いない。どっかに閉じ込めて覚せい剤を無理やり打ったうえで五年以内に売春以外はできない体になっちまうような無茶な働き方をさせなきゃ百万ヶ所のはんだ付けを安い値段でロボットを使わずに手でやるなんことは無理だ。しかし見てくれ。こいつみたいに手製の一品物ってのは何かカーゴカルト的でネオプリミティブないい感じを与えてくれる。そう俺は思うんだ。鋤で耕した後の畑みたいな感じだな」

彼女は頷いた。その日、彼女はずっとコンピューターを持ち歩いて作業を見ながらもコメントやツイートを続けていた。しばらくの間、落ち着いた静寂の中で二人は並んで作業しながら過ごした。彼女は何千ものスパムを処分し、彼は何十ヶ所かのはんだ付けを片付けた。

「フロリダはどうだい?」背筋を伸ばして背中の骨を鳴らした後で彼が言った。

彼女は書くのに没頭していたメールからどうにか頭を切り替えながら答えた。「思ってた通りよ。いいところね」

「ちょっと足を延ばせばここいらじゃすごいものが見られるぜ。今夜、ちょっとあたりを案内しようか? なんてったって金曜日だ」

「いいわね。ペリーは大丈夫かしら」

彼が返事しないのに気がつくのにしばらくかかった。頭を上げて見ると彼は両耳の先まで真っ赤だった。「二人でどうかなって思ったんだけど。夕食をとってマイアミ・ビーチのアールデコの建物を見て回るのなんてどうだい?」

「あら」彼女は言ってからこの突然の出来事にしばらく真剣に悩んでしまった。デートやそれに類するものはここ一年近く縁が無いし、彼は本当にすばらしい男性だったから心惹かれるものはあった。しかしプロとしての職業倫理や色々なことが頭をよぎってそれを思いとどまらせた。

色々なこと、というのは彼が巨漢だということだった。彼の話によれば彼は四百ポンド近い体重がある。あまりに太り過ぎてそもそも性別不詳に見えるのだ。まるまるとして不定形でしまりがない。

そういったこと全てを瞬時に考えて彼女は口を開いた。「レスター聞いて欲しいの。これは職業倫理的な問題なの。私はここに取材に来ている。あなたたちは本当にすてきな男性だけど私はここでは客観的な立場でいなければならない。つまりデートはできない。すまないけど」彼女はIHOPでのおごりの申し出を断った時と同じきっぱりとした口調で言った。彼女が何かを断ることはよくあることだった。一杯のビールを「遠慮します。飲まないので」と断るという風に。そこに価値判断はなかった。

しかしほんのつかの間かもしれないが考えが表情に表れてしまったことは彼女にもわかった。レスターは体をこわばらせ、鼻の穴が左右に広がった。手のひらを太ももで拭うと明るい口調で彼は言った。「そうか。大丈夫。よくわかるよ。ちゃんと考えておくべきだったな。悪かった!」

「気にしないで」彼女は答えた。しばらくメールを書くのに没頭する振りをしてから彼女は言った。「さて、今日はこれで終わりにしようと思うんだけど。月曜日にティジャンが到着した時にまた来るわ。それで大丈夫かしら?」

「了解!」ちょっと明るすぎる声で彼は答え、彼女はこそこそと自分の車へと退散した。

週末、彼女はブログ書きと浜辺の散歩をして過ごした。浜辺にいる人々はハリウッドやマイアミ、ローダーデールの通りを歩く人々とはまるで違う生き物のように見えた。みんな異様なまでに完璧な体型をしているのだ。まるで人体解剖図やまんがにでてくるヒーローのような体型だ……とんでもなく筋肉質で陰影が浮き上がらんばかりだ。この完璧な人体標本を隅々まで確認したいという興味からヌードビーチに挑戦してみようかとさえ思ったが砂地でのストリップのマナーとして体毛を落とさないようにワックスで処理しなければならないことに気づくと怖気づいてしまった。

その場を立ち去る前には解剖学的に正確な肉体の細部もいくつか彼女の目に飛び込んできて穏やかでない欲求を呼び起こし、自分が最後にデートしてからずいぶん長いこと経っていることを彼女に思いださせた。肉に埋もれたかわいそうなレスターのことが彼女の頭に浮かんだ。そして自分が選んだ生活のことも。それはバランスをとる暇さえ与えずにその形を変えていく地面の上に作り上げられた奇妙な技術の世界を報道する生活だった。

そこで彼女はカフェでのブログ書きへと退散し、あの青年たちと過ごした時の様子やその時の印象を写真付きで書き込んだりした。彼女の読者はその内容に夢中で狂ったようにコメントをつけた。半分の人はその内容に胸をむかつかせているようだった……苦痛と浪費が満ちたこの世界でこの男たちはがらくたから一万ドルのおもちゃを作り出しているのだ、と。もう半分は自分たちがそいつを買うにはどこに行けばいいのか知りたがっていた。日曜も半ばを過ぎるとついにラップトップのバッテリーが切れ、週に一度の新鮮な電気の充電が必要になったので彼女は再びカプセルホテルへ戻って月曜日を待つことにした。それはペリーとレスターとコダセルにとっての新しい日の出となるはずだった……もちろん彼女にとってもそうだ。

会ってみるとティジャンは彼女が思っていたよりはるかに年配だった。彼女が思い描いていたのは二十八歳くらいでビジネススクールを出たての者によくいる賢くて育ちの良い経営の知識に満ち溢れた男だった。しかし代わりに現れたのは四十歳くらいの禿げかけて小腹のつき出た男だった。服装はまるでイギリスの大学教授といった感じのブルージーンズにチェックのシャツ、そしてマイアミ空港のターミナルを出て溶鉱炉のような熱風の中に踏み出した瞬間に脱いだと思われるツイードのジャケットだった。

みんなでレスターの大きくて風変わりな車に乗り込むとティジャンのスーツケースは押しつぶされて幾何学的なだまし絵のようになってしまった。気がつくと彼女はレンガが詰まっているとしか思えない大きなダッフルバッグを抱えてペリーの太ももの上に半分のりかかるような姿勢になっていた。

「中身は本です」ティジャンが言った。「小さな個人図書館ってところですね。紙の本を持ってまわるのは悪い習慣だと思うんですがやめられなくてね」その穏やかな声は少し気だるげな一本調子で本当にどこかの教授のようだった。

それからみんなでペリーとレスターの根城まで彼を連れて行った。そこは横っ腹に長いさびの筋が浮いた複合施設のフロアを間に合わせの壁で仕切って三つに分けたマンションだった。部屋には潮風で腐食した壊れそうなバルコニーがある。複合施設の目の前には守衛室もあるがシャッターを下ろしたまま放置され、落書きだらけだ。

ティジャンは車から降りると尻に手を当てて建物を凝視し、「こりゃペンキ塗りが必要だな」と言った。スザンヌは彼をじっと見つめた……あまりに無表情で何を考えているのか見当がつかない。しかし見られていることに気がついた彼は彼女にこっそりウィンクしてみせた。

「ああ」ペリーが言った。「その通りだな。まあ救いがあるとすれば広くて安いってことだ。それにプールもある。住宅市場の暴落のおかげでここの賃料もかなり安くなってるんだ。ここのマンション管理組合は四年ほど前に解散してるから公共スペースやそこにあるものの管理費を払う人間は一人もいない。いるのは数人のマンション所有者と賃貸物件に投資している投機家だけだ。まあ俺に言わせればいいカモさ。聞いた話じゃ俺たちが借りてる物件は今年だけで値段が半分になったそうだ。ここに住んでホームレスの不法侵入やがらくたの投棄を防ぐだけでやつらは俺たちに金を払うんじゃないかな」

家の中はジャンクヤードの作業場とほとんど見分けがつかなかった。分解途中の最新鋭のデバイスやその残骸、それに作品が散らばっている。その上にはIHOPとレストランチェーンのクラッカーバレルのロゴが入った大皿、小皿、コップが積み重なっていた。「リサイクルショップで手に入れたんだ」レスターが説明する。「早朝メニューを頼むような年寄りがよく盗むんだ。で、そいつらが死ぬと子供たちがリサイクルショップのグッドウィルに持ち込むってわけ。ここいらで食器を一揃い手に入れる一番安上がりな方法だ」

ティジャンはまるで犬がかごの周囲を周って検分するかのようにつなぎ合わされた長方形の室内を周って行き、最終的にまだ占領されていない主寝室を選んだ。部屋にはかびたカーテンがかかり、ベッドのヘッドボードの上には安ホテルにあるような抽象的な風景画がかかっていた。中国風たんすの模造品の上にスーツケースを置くと彼は言った。「さて、これでよし。仕事にとりかかろう」

それからみんなで彼を作業場に連れて行って案内した。そこにある驚異の詰まった保管庫を見ている間も彼の表情はほとんど変わらなかった。それが終わるとみんなでIHOPまで歩いていった。彼は考えられる中でもっとも慎ましいメニューを注文した。子供用メニューにあったピーナッツバターとジャムのサンドイッチだ……子供用メニューといっても大人があのキャンディーを注文するような場所の子供用メニューだ!

「それで」ペリーが言った。「それでティジャン、あなたは俺たちの新しい仲間なわけだが率直に言ってどうですか……俺たちの作品はお気に召しませんでしたか? お気に召しましたか? それとも理解に苦しみますか?」

ティジャンがサンドイッチを置いた。「あなたたちは非常に才能豊かです」彼は言った。「あの作品群はとても優れた発明品だと思います。コダセルとの相乗効果も存分に見込める。マーケティング、流通、包装についてもそれが言えるでしょう。オレゴンにコダセルが支援している小さなエアロゲルメーカーのスタートアップ企業があるんですがあなたたちが作品を出荷するときの緩衝材にはそこのものが使えるでしょう」

ペリーとレスターは彼が言葉を続けるのを待った。静寂を破ったのはスザンヌだった。「ティジャン。彼らが作っている作品に対する芸術面、あるいはデザイン面での感想はありませんか?」

ティジャンはサンドイッチをもう一口かじって、ミルクを飲んだ。「ああ、あれにそれぞれ名前をつけておく必要がありますね。区別できるように。それから商標のついてるものには注意する必要があるでしょう。知的財産がらみで弁護士が必要な事態になれば莫大な費用と時間が無駄になる」

またみんながその先を待った。「それだけ?」ペリーが言った。「デザイン自体には意見なし?」

「私は経営マネージャーです。これが意見の全てですよ。私は芸術には自閉症気味でね。私の仕事はあなたたちの設計作業を手助けすることじゃありません。あなたたちが設計したものを売ることです」

「俺たちが作るものが何かは問題じゃないのか? もしそいつが歯ブラシやホッチキスでも同じことだと?」

ティジャンがほほえんだ。「もしあなたたちがホッチキスを作っていたら私はここにいないでしょうね。ホッチキスで利益をあげるのは不可能です。競合相手が多すぎる。歯ブラシならまだ可能性はありますがそれもあなたたちが真に革新的なものを作れればの話だ。人間は年にだいたい一.六本の歯ブラシを買います。限界費用以上の十分な利益をあげる革新的なデザインを思いつく余地は存分にあります。まあ、それも二、三期もすればコピーされるか陳腐化するでしょうけどね。あなたたちが作っているものはエッジが効いてる。あなたたちにしかできないものだ。特注品で独特なものばかりです。同じようなものをうまいこと作り出せる競合相手が出現するまでしばらく時間を稼ぐことができると思います。その間に生まれたばかりの市場で人々の関心を一手に集めることができるでしょう。ここであなたたちが組み合わせて作り上げたものと同じものを作る方法を知っている人間はよそにはほとんどいない。このシステムでは商品の限界費用以上でものを売るのは難しい。真に革新的なアイデアを持っていない限りは、ということですが。そのアイデアの革新性もそう長くは保たないでしょうから日々、発明を繰り返し続ける必要があります。あなたたち二人はそれをおこなっているように見えます。あなたたちが作るガジェットの美しさやそれがどれだけ便利なものなのかについてははっきりしたことは私には何もわかりません。しかしそれがよそではお目にかかれないものであることははっきり理解できる。そしてそれが私がここにいる理由なんです」

到着してから今まで話した言葉を全て合わせたよりも長いセリフだった。スザンヌは頷いてメモをとり、ペリーは彼を上から下までじろじろと見た。

「前はコーネル大学のビジネススクールの教授か何かだったのか?」

「ええ。数年間ですがね。それからしばらく会社を経営していました。旧ソビエト圏の新興市場との貿易をやっていたんです」

「なるほど」ペリーが言った。「十八ヶ月ごとに新しい会社の経営に参加するみたいなことをやっていると?」

「まさか」ティジャンは言うと少し目を輝かせてわずかにほほえんだ。「六ヶ月ごとです。長い時でも一年。それが私のやり方でね。短期間集中型のビジネスマンなんです」

「なるほど」ペリーが答える。「ケトルウェルはそれについては何も言ってなかったな」

ジャンクヤードではティジャンはエルモが運転するスマートカーの周りを歩きまわってその内部を覗きこんだりエルモの集団が時々刻々動きまわっては声で合図を送り合ってバランスを取ったり位置を調整する様子を見つめたりした。「あなたたちは私と違ってこいつを見てもとまどったりしないんでしょうね」彼は言った。「あなたたちは一つのことだけに打ち込むのに向いた性格ではないようだ」

「すげぇ。もうお前のことを理解したぜ」レスターが笑って言うとペリーの肩をぴしゃりと叩いた。

スザンヌはティジャンをその日の夕食に誘った。「私の父親は貿易商でした。私たち親子はアジア中を旅し、それから旧ソビエトへ移り住みました。十六歳になると父はアメリカの学校を卒業させるために私をアメリカに送ったんです。特に迷わずにスタンフォードのビジネススクールへ入りました」

「そこでカリフォルニアの人間の仲間入りをしたわけですね」彼女は言うと自分のワインを一口飲んだ。二人がいるのは有名なマイアミ風アール・デコのレストランの一つだった。彼女の前に置かれた魚料理はまるで彫刻か何かのようでめっきでも施されているかのように見えた。

「まあ、私もカリフォルニアの人間らしく振る舞いますが……」

「……時と場合によっては」彼女は言ってから笑った。「カナダのジョークです。でもカリフォルニアにもよく当てはまると思います。それで、いつ頃ビジネススクールにいたんです?」

「九八年から二〇〇一年まで。シリコンバレーが非常に面白かった時期です。もちろんあなたのコラムも読んでいました」

彼女は自分の皿に目を落とした。当時は大勢の人間が彼女のコラムを読んでいた。技術畑では女性のコラムニストは珍しいし彼女も自分なりに技術系の記事を得意にしていた。「ドットコムバブルの実録記よりましな代表作ができればいいと思うんですが」彼女は言った。

「もちろんできますよ」彼が答える。「今回のが代表作になるでしょう……ケトルウェルとペリーとレスターがやっていることの記事がね」

「あなたもですよね?」

「ええ、もちろん。私もその一員です」

海岸沿いの歩道をローラーブレードをはいたロボットが駆け抜け、ときどき宙返りをしては向きを変えていく。「私は彼らがやっていく手助けをしなくちゃなりません」ロボットを振り返る人々を見つめながらティジャンは言った。ロボットは縁石に飛び乗ったり飛び降りたりしながら巧みな足さばきで散歩するカップルやちらほらいるホームレスの周りを走り回っていた。何か旗のようなものを持っていてそれが背後にたなびいている。キャプテンジャックのペイントボールとエアボートのツアー  撃ちまくってびしょぬれになれ  マイアミ   キーウェスト  ローダーデール

「彼らにできると思いますか?」

「もちろん」ティジャンは言った。「あの二人は何でも作ることができます。最近ではそれなりに熟達している行動家であれば誰でも好きなものを作り上げることができるんです。ほとんど費用をかけずにね。重要なのはそこです。昔はちがいました。みんなが必要とする金物は何であれ鍛冶職人が鍛冶場で一品物として作るしかなかった。私たちが今いる世界は違います。過去において全ての産業は工場を必要としていましたが今日では必要な物といえばガレージだけです。まさに根本原理の転換だ。今まで鍛冶職人全員を同じ目的を持った一つの合理的なネットワークに束ねることなど誰にもできませんでした。これは全く新しい事態ですし、これこそが私が目論んでいる混乱状況なんです。ドットコムバブルよりずっと大きな動きになるでしょう。それにずっと激しいものに……より大きな高騰と暴落です。まさに実録記を書くにふさわしい。今回のメインショーに比べればドットコムバブルがウォーミングアップに見えると思いますよ。

私たちはアーティストの新しい一団を作ることになります。彼らは一年前には思いもつかなかった新しい職業を作り出し続け、十ヶ月ごとに職を変えていくことさえできるでしょう」

「ずいぶん不安定な市場ですね」スザンヌは言ってから魚料理を口に運んだ。

効率的な市場です。私が考える良い市場を説明しましょう。良い市場ではあなたは何かを発明し、市場が耐えうる価格でみんなにそれを売ります。すると誰かさんがもっと安くそれをおこなう方法を見つけ出すか、もっと低い利潤でそれをおこなえると判断する……おわかりでしょうがこの二つは同じことではありません。前者はその誰かさんがより効率的だということですし、後者は彼らがより無欲か志が低いということです。彼らはそれを実行に移し、あなたはそれに立ち向かうために価格を下げざるを得なくなる。すると両者よりもさらに無欲か効率的な者が現れてあなたはまた価格を下げる。最終的に競争相手が消え去り、商品を生産してそれが商売になるためにはこれ以上は下げようがない価格になるまでそれが何度も何度も繰り返されます。なぜ虫ピンやネジ、それにコピー用紙がただ同然なのか。その製造で雀の涙ほどの利益しか上がらないのか。これが理由ですよ。

大きな利益を上げたければもう一度、最初から始めなければなりません。つまり何か新しいものを発明し、最初の模倣者が現れる前にできるだけ多くの金をそこから引き出すのです。これが繰り返されれば繰り返されるほど全てのものはより安く、より高品質になっていきます。私たちはそうやってここまでたどり着いた。システムというのはそのためにあるのです。私たちは今、純粋で完璧な状態に近づきつつあります。どんどん容易になっていく競争と発明によってね……その結果、見る者を驚かせるような超過剰とでもいうべき状態が生まれている。私の子供たちはその変化をうまく乗りこなしていますよ。六ヶ月ごとに自分自身を構築し直しているんです。新しいインターフェイス、新しいエンターテイメント。ありとあらゆるものを学んでいる。変化に波乗りしていると言った感じです……」次第に彼の声は小さくなっていった。

「お子さんがいらっしゃるんですか?」

「彼らの母親と一緒にセントピーターズバーグにね」

口調からすると聞かない方がいい質問だったらしい。彼はばつの悪そうな様子だった。「ああ、それじゃあイサカにいた時よりずっと近くなって良かったですね」

「なんですって? ああ。いやいや、ロシアのサンクトペテルブルクですよ」

「あら」彼女は声を上げた。

その後、しばらくの間は二人は食事に集中した。

「あなたも気がついていると思いますが」食後のコーヒーとデザートを注文したあと彼が口を開いた。「全ては豊かさに関わる問題なんです。私の子供たちには豊かな社会で育って欲しい。そして今進行中の事態がなんであれ、それは豊かな社会をよりいっそう豊かにしていっているのです。知っていますか? 個人向け倉庫産業はレコード産業よりも規模が大きい。彼らがやっていることは置き場所のない所有物の保管場所を提供することです……まさに超過剰だ」

「私もミルピタスにロッカーを持っています」

「ほらね。こいつは成長産業ですよ」そう言うと彼はコーヒーを飲んだ。車へ戻る途中で彼は口を開いた。「娘のレニチカは四歳、息子のサーシャは一歳です。彼らの母親と別れてから三年になります」彼は顔をしかめた。「サーシャについては複雑な事情があります。しかし二人ともいい子たちだ。母親とは大違いです。彼女はロシア人でいろいろと顔が効くんです……それが私との縁でもあったんですがね。私が貿易商に精を出していた時にいくつか良い人脈を紹介してくれたんです……離婚した後、子供の親権を私が取るなんてことは問題外だった。しかし子供たちはいい子だ」

「お子さんと会うことはあるんですか?」

「テレビ電話でね。遠距離離婚がテレビ電話のキラーコンテンツだなんて意外でしょう?」

「ええ」

その週、スザンヌは終始ツイートし続け、コラムを二つ仕上げた。それ以外にも一日にブログ記事を十以上も書いた。写真やレスター、ペリー、ティジャンの間で交わされた議論の断片、それにブギウギエルモの信じがたいパフォーマンスを撮影したビデオを二、三本。ブギウギエルモには熱狂的なファンができ、ハリウッドのごみの山にそのお宝が数千単位で埋まっていることが知れ渡るとコレクター市場での転売を目論んだ五、六人の巡礼者が飛行機で大陸を横断して現れた。ペリーは彼らから金を受け取ろうとはしなかった。「あのな」しつこく金を払おうとする転売屋の一人に彼は言った。「俺はこいつを四体持ってるんだぜ。五、六体なんて惜しくもない。いい功徳カルマを積んだと言ってくれ」

ティジャンはそのことを知るとしばらく唇をぎゅっと結び、それから言った。「もし誰かが私たちに金を払いたがったら教えてください。あなたの行動は正しいものだと思いますが私にも口出しする機会をください。いいですか?」

ペリーはキーホルダーのついたカメラでこのやりとりを撮影しているスザンヌの方を見た。ティジャンの方に向き直ると彼は言った。「ああ、それはもちろん。すまない……いつもの癖で。でも問題ないだろう?」

その夜、この場面の動画が視聴された回数は二、三百回といったところだった。しかし数人の有名なヘッドラインアグリゲーターによって動画がスラッシュドットで取り上げられると、とたんに彼女のサーバーは数十万のリクエストに悲鳴をあげ始めた。マーキュリー・ニューズのサーバーはそれを捌くだけの馬力を持っている。しかしあまり知られていないことだが時にウェブはある臨界点を超えて桁違いのトラフィックを生み出す。そうなると……過去にあったスラッシュドット効果に耐えるように設計された……サーバーシステムはぬれたティッシュのようにずたずたに引き裂かれるのだ。

From: kettlewell-l@skunkworks.kodacell.com
To: schurch@sjmercury.com
Subject: Re: 従軍記者はいかが?

すごい結果だ。本当にすばらしい! 給与支払い名簿に君を載せなくちゃ。おっと、気に触ったなら今の言葉は忘れてくれ。でも本当にそうすべきだと思っている。君はすばらしい観察眼をもっている。私は今まで自分の仕事について自分でも十分理解できていなかった。本当に誇りに思う! あの青年たちが行なっている仕事、そこで私が一役を担っていること、君のおかげで私はそれをとても誇らしく思うことができるようになった。

ケトルベリー

彼女はホテルのカプセルの中に座り込んでそのメールを読んだ。それはその日に書いたブログ記事とコラムに対して送られた数百通のメールの一つだった。彼女は笑い声を上げるとそのメールを要返信用フォルダにドロップした。もう深夜に近く、ケトルウェルとのやりとりを始めるには時刻が遅すぎたのだ。

しばらくすると彼女のコンピューターが呼び出し音をたて始めた……ネット電話だ。コンピューターが立ち上がっていてオンラインの時には携帯電話を転送するように設定してあるのだ。数年前、電話ソフトウェアが本格的に安定しだした頃から彼女はそうするようにしていた。それ以来、数百ドルあった彼女の電話代が二十ドルを上回ることはなくなっていた。手の届くところにいつでも電源の入ったコンピューターがあるわけではなかったがラップトップ経由で電話を受けると無料になるので彼女は必要な時以外はできるだけ自分からは電話しないようになっていた。

「もしもし、ジミー」彼女は言った……サンノゼにいる彼女の担当編集者だ。平日であれば太平洋時間での午後九時は彼にとってはまだ仕事時間中だった。

「スザンヌ」彼が口を開いた。

彼女は続きを待った。ケトルウェルからの短いメールと同じようなちょっとした褒め言葉のために電話してきたのかと少し期待していたのだ。彼女の担当編集者の中でもジミーが特に感情をあらわにするタイプという訳ではないが珍しいだけに彼の賞賛の声は貴重だ。

「スザンヌ」彼がもう一度言った。

「ジミー」彼女は言った。「こんな時間に何なの?」

「ええっと、聞いてくれ。君のレポートはいい出来だと思うんだがこれはシリコンバレーについてのニュースじゃない。マイアミのニュースだ。今朝、マクラチに三十パーセントのコスト削減を言い渡された。血の気が引いたよ。今日一日でニュース編集室の三分の一を解雇したんだ。君はすばらしいライターだし僕は自分に言い聞かせた。『彼女をくびにすることもできるし、戻って来てもらってまたシリコンバレーについての記事を書いてもらうこともできる』どちらの答えを選ぶべきかはわかっている。つまり君には戻ってきてもらわなければならない。仕事を切り上げて戻ってきてくれ」

そう言うと彼は黙り込んだ。気がつくと彼女はコンピューターの画面を凝視していた。ラップトップの縁を手が痛くなるほど強く握りしめ、歪み始めたマシンがキーキーと音を立てた。

「それはできない。ジミー。これはシリコンバレーが知る必要のある話なの。確かにシリコンバレーで起きていることじゃないかも知れない。だけど間違いなくシリコンバレーで起こりつつあることだわ」悪態をつくのは嫌いだった……そのつもりもない。「あなたの置かれている厳しい状況もわかる。だけどこれは今、この時に取り上げなければならない話なのよ」

「スザンヌ、僕はニュース編集室の三分の一のくびを切っている最中なんだ。僕らはこのオフィスから車で行ける範囲で起きている事件を扱ってそいつで未来を予測しなくちゃならない。そうする他ないんだ。君が今言ったことで僕が反対することなんて一つもない。だけどそれは関係ないんだ。君がそこに残ることを許せば僕は教育委員会と市議会を担当している青年を解雇しなくちゃならなくなる。それはできない。日刊紙の一編集者で終わってもいいなら別だがね」

「わかった」彼女は答えた。「少し考えさせてくれない?」

「何を考えるって言うんだ、スザンヌ? 今日は散々だ。君にこんなことを言わなければならないしな。だが考えなければならないことがあるとは思えない。この新聞社にはマイアミにもロンドンにもパリにもニューヨークにももはや特派員を置いておく余力はない。君が扱っている題材についてはブロガーたちやどこかの取材者たちが書くだろう……だがうちの社の人間が扱うことは金輪際ない。今日を境にね。君はうちの新聞社で働いているのだから戻ってくる必要がある。君が今やっている仕事はもはや存在しないんだから。君が私たちとともに仕事するのはここだ。夜のフライト便には間に合わないだろうが明日の朝には直通便がある。それに乗れば昼ごろには戻ってこられるからそうしたら落ち着いてこのことについて話しあおう。それでいいだろう?」

「私が考えているのは……」なんてことなのという気持ちが再び彼女を襲った。無性にトイレに行きたくなり、緊張がつま先から鼻先に向かって体を駆け上がる。「ジミー」彼女は言った。「私、休暇を取ろうと思うの。わかる?」

「なんだって? スザンヌ。君が有給休暇を貯めていることはわかっているが今はタイミングが悪い……」

「有給休暇じゃないわ。ジミー。六ヶ月の長期休暇。無給の」貯金を考えればなんとかなるだろう。ブログにバナー広告を出すこともできる。フロリダは物価も安い。カリフォルニアの家を賃貸に出してもいい。彼女は十秒ほどの間に計画の六段階を考えた。どこにも不備は無いように思える。去年知り合った出版エージェントと相談して、コダセルの本の宣伝を打てるかどうか確認できるはずだ。

「辞めるつもりか?」

「いいえ、ジミー……あなたがそうしろと言わない限りはそのつもりはない。だけどここにいる必要があるのよ」

「君がそこでやっている仕事はいい出来だ。スザンヌ。だけどこちらでの君の仕事を守るのはかなり厳しいし、君がいまやっている仕事がその助けになるとも思わない」

「何を言っているの?」

「もしマーキュリー・ニューズで働き続けたければ、君はサンノゼに戻ってこなければならない。そこがマーキュリー・ニューズが刊行されている場所だ。これ以上のことをはっきり言うことはできない」

そう、彼にはできないだろう。彼女は彼に同情した。マーキュリー・ニューズは彼女にかなりの高給を払っている。彼女をそのままにするということは二人の若い記者をくびにするということだ。彼は彼女を辞めさせるためにたくさんの細かな手順を踏んでいた……彼女が自分からシリコンバレーを去りたいと思うように仕向けていた。どちらにしても金はかかるが彼はたくさんの人間がそうならないようにリスクを取っているのだ。面倒事全てから歩み去るために彼女はあえて愚か者のように振る舞うことにした。

明日の朝には飛行機に乗っていると言うために口を開いたが口から出た言葉は違った。「ジミー、あなたが私のために骨を折ってくれたことには本当に感謝している。だけどこれは私が書かなきゃならない話なの。ごめんなさい」

「スザンヌ」彼が言った。

「ありがとう、ジミー」彼女は言った。「仕事が一段落したらカリフォルニアに戻っていろいろ整理する……社員カードや私物やらをね」

「自分が何をしているのかちゃんとわかっているのか?」

「ええ」彼女は答えた。「わかっている」

イヤホンを外した時になって首がひどく痛むことに彼女は気がついた。それは彼女に自分がアメリカに住む四十五歳の健康保険に入っていない女性だということを思い出させた。さらに言えば定期収入もない。どの報道機関にも属さないジャーナリストだった。

ケトルウェルに教えておかなければならない。彼が彼女に給料支払いを申し出ることは間違いないだろう。もちろんそれを受け取る気はなかった。中立性を維持するのは非常に難しい。経済的な問題については気にしないことにした。

カプセルから抜け出して塩気のする空気を吸い込む。生きたまま棺桶に入るのも楽じゃない。アパートか何かが必要だ。食事の支度ができるような台所のある場所が。ペリーのいる建物にたぶん空き室の一つや二つはあるだろう、そう彼女は目論見をつけた。


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