メイカーズ コリイ・ドクトロウ 第二部

第三章


ひと月後、ペリーはマイアミ国際空港のセキュリティーチェックを通りぬけた。長いズボンに革のビジネスシューズ、デニムのジャケットという格好をした彼はどこかぎこちなかった。ボストンはもう秋だったからビーチサンダルにハーフパンツというわけにもいかなかったのだ。セキュリティ担当者は荒れた肌の非対称な彼の顔をまじまじと見つめた。ペリーはまるで海賊のような笑みを浮かべておかしな形の眉をぴくつかせて見せてやったのだがそのおかげで目隠し板の後ろに連れ込まれて三十分ほどラテックスの手袋をした医者と過ごすはめになってしまった。

「いったい俺がそこに何を隠しているっていうんだ?」手すりをつかんで屈辱に耐えながら彼は尋ねた。

「失礼。手続きですので」

「ああ、実はひと月前にかかりつけの医者に前立腺がグアバぐらいに膨れあがっているって言われてね……プロとしての意見をうかがいたいな。小さくなっているか? 大きくなっているか? あんたがちょうど触っているとこなんだが」

TSA運輸保安局の男はその冗談をお気に召さなかったようだ。一分後、ペリーはベルトを締め直すと大げさながに股で小部屋を後にした。彼は遠ざかっていく警備員に見えない帽子を軽く上げてみせながら芝居がかった調子で「電話してね!」と叫んだ。

これから始まる四時間を思えばそれが最後の気晴らしだった。今から安チケットの乗客の循環されるおならとキーボードを叩く音、それに無駄な移動時間から数分でも取り返して生産性をあげようと携帯電話で話す日本人サラリーマンの声で満たされたブリキ缶に詰め込まれるのだ。

ボストンに到着して手荷物を受け取っている間、彼はまるで異星に降り立ったような気分だった。いつもの彼はとんでもなく落ち着いていて自制心……そして自信に満ちていた。しかし今、彼は神経質になり、少し怯えてさえいた。

彼はティジャンに電話をかけた。「荷物を受け取った」彼は言った。

「ちょうどそちらに着くところです」ティジャンが答える。「本当に会うのが楽しみだ」

ローガンの到着エリアには旅客よりも警官の方が多く、ティジャンが停車して小さなスポーツカーのドアを開ける様子を警官たちが用心深く見守った。

「こりゃ一体何だ、ポルシェか?」ぎこちない仕草でサンルーフからフロントシートに体を詰め込み、バッグを自分の膝の上に置きながらペリーは聞いた。

「ラーダです。輸入したんですよ……ロシアではそこらじゅうを走っている。最小限の材料で最大限の強度のシャーシを生み出すために進化的アルゴリズムが使用されています。それはそうとひさしぶりですね、ペリー」

「ああ、ひさしぶりだな、ティジャン」彼は答えた。まるでリュージュにでも乗っているかのように車の車高は低かった。ティジャンは容赦無い調子でギアを叩きこむとケンブリッジに向かってロケットスタートを切った。信号で停まる時を除けばあまりの速度にペリーは紅葉を鑑賞する時間もなかった。

キャンパスのあたりまで来ると二人の乗った車はマサチューセッツ通りにつながる地味な二階建てのレンガ造りの家が並ぶ並木通りへブレーキをきしませながら滑り込んでいった。ティジャンは並ぶ家々の一つの前に車を停めるとサンルーフをはね開けた。押し寄せるように入り込んでくる冷たい空気はアップルクリスプのように乾燥していた。フロリダに吹くそよ風とはまったく違う。フロリダでは空気はいつでもねばつき、まるで群れ住む動物相の湿った肺を通したかのようだった。

ペリーは小さなロシア製スポーツカーの上によじ登ると背骨がたわんで音をたてるまで背中をよじたり腕を頭の上にあげたりした。

ティジャンもそれにならった。それが終わると彼はリモコンを操作して車のエンジンを止めた。車は印象的な洗練されたクリック音の後で機械音を響かせ、ホイールの上に沈み込んでいった。最後にはマフラーが地面からほんの数センチのところにくるまで車体は下がった。

「さあ」ティジャンが言った。「君の部屋を見せましょう」

ティジャンの家のポーチはひどいありさまだった。数台の子供用自転車が三重の鍵で繋ぎ止められ、ポーチの表面は余り残さずチョークの落書きで埋め尽くされている。床板がきしんで足の下でしなった。

はね開けるようにドアが開き、小さなかわいらしい少女が現れた。歳は九歳か十歳くらいでブルージーンズとくるぶしまで届きそうなフード付きのセーターを着ている。長い袖はまるでビーチボールのように腕まくりされ、フードは尻のあたりまで垂れ下がっていた……ショッピングモールでも再流行している東海岸ギャングスタイルだ。

「パパ!」彼女は言うとティジャンの腰のあたりに腕を回してしっかりと抱きついた。

彼はその体を引き離すと脇の下に手を入れて目の高さまで抱え上げた。「弟に何をやったんだ?」

「なにも。その価値もないもの」えくぼを見せ、小さな鼻にしわを寄せて笑いながら彼女は答えた。

ティジャンが振り返ってペリーを見た。「うちの娘、レニチカです。弟をいじめてはいけないと学ぶまで石炭庫に閉じ込められそうになっているところです。レニチカ、こちらはペリー・ギボンズ。もう取り返しのつかないほど悪い第一印象を君が与えた相手だ」彼は優しく彼女をペリーの方にゆすった。

「こんにちわ、ペリー」くすくすと笑って片手を差し出しながら彼女は言った。そのアクセントは平坦でジェームズ・ボンドの映画に出てくる小柄でやせた悪女のようだった。

真面目な顔で彼は握手した。「はじめまして」彼は挨拶した。

「子供をこっちに呼んだんだな」彼女がいなくなってから彼は聞いた。

「学校がある間だけです。私と前の妻とでロシアの教育システムについて率直な話し合いをした結果、最終的にこうなったんです。九月から六月までは私が子供たちの面倒をみる。クリスマスとイースターの休暇は除きますがね。残りの期間は彼女のところですよ。彼女がウクライナの片田舎にある別荘に連れて行きます。そこなら私の最愛の娘もマフィアの小僧どもの影響を受けずに済むというのが彼女の意見でしてね」

「この状況を気に入っているんだろうな」ペリーは言った。

ティジャンの顔が真剣なものに変わる。「今までの人生の中で最高のできごとです」

「よかったな。俺も嬉しいよ。相棒」

彼らは裏庭でハンバーグの食事をとった。楽しい夏のアウトドアでの食事でたっぷりと煙にいぶされた電気グリルを使った料理だ。プラスチック製のテーブルクロスには色が塗られた石が重しとして置かれ、その端が気持ちのいい秋の風に揺れている。レニチカの小さな弟が現れたのはハンバーグがグリルの上で煙をたてながらぱちぱちといい始めた頃だった。歳は七歳で、光沢のあるメッシュがはいったズボンとレーザーソードを振り上げたコサックのイラストがついたシャツを着ていた。

「サーシャ、こちらはペリー」サーシャは顔を背けると大きな木に吊るされたタイヤ製のブランコに向かって走っていった。

「行儀のいい子たちだ」ピクニックテーブルの下のクーラーボックスから取り出したビールをティジャンに手渡しながらペリーは言った。

「まあね」ティジャンが答えた。ハンバーグをひっくり返すと彼は二人の子供の方を見た。レニチカはブランコに乗った弟を押してやっている。少しばかり勢いが強すぎるようだ。ティジャンはほほえむとハンバーグに目を戻した。

ハンバーグを半分に切り分けるとティジャンは子供たちの厳しい目に適うように取り分けた。子供たちはそれを互いの皿に押し付けあった後でそのうちのいくらかを口に運んだ。

「あのライドに関するあなたの説明資料は読みました」子供たちが食事を終えてデザートのチャツネ・オレオのパックを半分食べ終わった頃、ティジャンが言った。「ずいぶん変わった代物だ」

ペリーは頷くと二本目のビールを開けた。涼しい風が彼の調子を狂わせて洞窟を探し求める祖先の本能を目覚めさせるようだった。「まあな。とんでもなく変わってる。だが愛されているんだ。ギークだけじゃない。もちろんやつらも夢中だがな。あんたも一度見てみるべきだ。マニアどもにはまだ目をつけられていないが普通の人たちが数百人も来ている。彼らが出てくる時のセリフをあんたに聞かせたいよ『なんてこった。あの皿洗い機食器入れのことをすっかり忘れていたとは。あれは最高だった! ああいうのは今だとどこで手に入れられるんだろう?』ナイフで切り分けられるくらい重厚なノスタルジーってわけだ」

ティジャンは頷いた。「あなたのシナリオは調査しているところですが判断がつかないのは利益を上げることができるかどうかです」

「すまない。そいつが俺の悪いところだ。数字を追うのは得意なんだがそれをまとめて一つのわかりやすい絵にするのがちょっとな……」

「ええ、わかっています」ティジャンは遠くを見るような表情をした。「コダセルでの稼ぎはどうでしたか? 経済的には?」

「ライドを開業したり車を買ったりするには十分だ。失ったものは何もない」

「そうですね……」ティジャンは手にしたビールをいじった。「聞いてください。私は十分な金を得てウェスティングハウスを去りました。ここで買収して経営しているレストランで得た金ほどじゃないが二度と働かなくてもいいくらいの金は手に入れた。残りの人生をこの庭でハンバーグをひっくり返したり、子供の面倒を見たり、ポルノを見たりしながら過ごすこともできるのです」

「うーん。そういやあんたはスーツ野郎だったな。スーツ野郎は金持ちになるために働く。俺はうめくしなかないな」

ティジャンは少し恥じるような素振りで寛大に応じた。「だが問題がある。私は働く必要がない。ですがね、ペリー。もし働かなくなったら自分が何をしたらいいのか見当もつかないんです。子供たちは一日中、学校です。あなたは昼間やってるテレビ番組がどれだけくだらないか知っていますか? 株式市場で遊ぶのもまっぴらだ。あんなものただ数字が上下に動きながら進んでいくだけです。私は教育を受けた人間だ。つまり残りの人生をハンバーグをひっくり返して過ごさなくちゃならないってこともないと思うんですよ」

「何が言いたいんだ。ティジャン?」

「言いたいのは答えはイエスってことです」ティジャンは海賊のようににやりと笑いながら言った。「あなたの小さくて怪しげなホビービジネスに参加しようって言っているんです。ここでマサチューセッツの連中のためにライドを開業しましょう。あなたのフランチャイズ経営や手数料の徴収、収益化の手伝いをしましょう」

自分の顔がこわばるのがペリーにもわかった。

「どうしました? 喜ぶかと思いましたが」

「喜んでるさ」ペリーは言った。「だがあんたは何か勘違いしている。これは金になるビジネスにはならない。そんなのはもうたくさんだ。これはアートやコミュニティーみたいなものなんだ。博物館さ。レスターはこいつをヴンダーカンマーと呼んでる……驚異の部屋って意味だ。あんたが言うようなフランチャイズ経営はなしだ。経営は必要に応じてやる。これはみんなの間で合意されたプロトコルであってビジネス契約じゃない」

ティジャンがうなった。「合意されたプロトコルとビジネス契約の違いが私にはわからないな」ペリーがさらに何か言おうとするのを払いのけるように彼は手を上げた。「だがそれは問題じゃありません。無料で人々がフランチャイズに参加できるようにあなたがしようが構いません。誰にも無理やり何かをやらせるつもりはなく、フランチャイズのために彼らが自分自身でおこなうにまかせるとあなたが主張しても問題ない。私には関係ないことです。

ですがね、ペリー。あなたがいずれ理解しなくてはならないことがあります。ここからビジネスが生み出されないようにすることはほぼ不可能だということです。ビジネスというのは巨大なプロジェクトを管理するためのすばらしいシステムだ。それ無しというのは骨格を作り上げることなく歩けるようになろうとするようなものです。そんなことはまず無理だ。蛸のようにそれができる場合もまれにはあるでしょう。しかしほとんどの場合は骨格が必要になる。骨格というのはなかなかたいしたものなんです」

「ティジャン、俺はあんたに蛸を作る手助けをしもらいたいんだ」ペリーは言った。

「やってみましょう」ティジャンは言った。「だが簡単ではないでしょうね。すばらしいものを作り上げれば結局は金を生み出すことになるのです」

「そうだな」ペリーは言った。「金が生み出される。だがなるだけそれが少なくなるようにしよう。OK?」


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