共産党宣言, カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス

ブルジョワとプロレタリア


これまで存在したあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史です。

自由人と奴隷、ローマの貴族と平民、領主と農奴、ギルドの親方と職人、一言で言えば、抑圧者と被抑圧者が不断に対立しあい、中断することなく、ときには暗に、ときには公然と闘ってきたのですが、この闘いは大規模な社会の革命的な再編成で終るか、さもなければ、あい闘う階級がともに没落して終ったのです。

歴史の初期の時代には、社会はさまざまな階層、社会的な地位の多様な序列へと複雑に編成されていました。古代ローマでは、貴族、騎士、奴隷がいましたし、中世には、封建領主、封臣、ギルドの親方、職人、徒弟、農奴がいました。そしてこうした階級のほとんどすべてにわたって、さらに副次的な序列にわかれていたのです。

封建社会の没落から出現した現代のブルジョワ社会は、階級対立を終らせたのではありませんでした。それは、古いものにかえて、新しい階級、新しい抑圧状態、新しい闘争形態をつくりあげたにすぎません。

私たちの時代、ブルジョワジーの時代は、けれども、次のようなはっきりした特徴をもっています。それは階級対立を単純化したということです。社会は全体としてますます、敵対する二大陣営に、互いに直接対抗する二大階級、ブルジョワジーとプロレタリアートに、分かれていくのです。

中世の農奴から、初期の都市の特許市民が生まれました。こういう市民から、ブルジョワジーの最初の構成部隊が発展してきたのです。

アメリカの発見と喜望峰の回航は、勃興するブルジョワジーに新たな大地を開きました。東インドと中国の市場、アメリカの植民地化、対植民地貿易、交換手段と全般的な商品の増大は、商業や航海術や工業に、前代未聞の衝撃を与え、それによって、ぐらつく封建社会の革命的要素を急激に発展させたのです。

封建的な工業の体制では、工業生産は閉鎖的なギルドによって独占されていたのですが、新しい市場の増加する要求にはもはや十分ではありませんでした。工場制手工業がそれにとってかわったのです。ギルドの親方は、工場制手工業の中産階級に押しやられ、異なるギルド集団間の分業は、それぞれ個々の作業場内の分業の前に姿を消しました。

その間、市場はずっと成長を続け、需要は増加し続けていました。工場制手工業でさえ不十分となりました。その結果、蒸気と機械が工業生産を革命的に変えたのです。工場制手工業に巨大な近代工業がとってかわり、工業の中産階級に工業の百万長者、工業の軍隊の全軍の指導者、つまり近代的ブルジョワがとってかわったのです。

アメリカの発見は世界市場への道を開いたのですが、近代的工業はこの世界市場を確立したのです。この世界市場は商業、航海術、陸上交通にはかりしれない発展をもたらしました。この発展がこんどは工業の拡大に反作用しました。工業、商業、航海術、鉄道の拡大に比例して、ブルジョワジーは発展し、その資本を増やし、中世から受け継いだあらゆる階級を背景に押しやったのです。

こうして私たちは、近代的ブルジョワジーそのものが、長い発展コースの産物として、そして生産と交換の様式の一連の革命の産物として、どんなふうに生じてきたかを見てきました。

ブルジョワジーの発展の各段階には、それに対応したこの階級の政治的進歩が伴ってきました。ブルジョワジーは封建貴族支配下での被抑圧階級、あるいは中世的なコミューンの武装した自治的な連合でした。この場合は独立した都市共和国(イタリアやドイツのように)であり、そして前の場合は君主制のもとでの課税されうる「第三身分」(フランスのように)だったのです。その後、工場制手工業本来の時代には、半封建的君主制や絶対王制において貴族に対する平衡力という役割を果たしました。事実、大君主制一般の礎石となったのです。そしてブルジョワジーはついに、近代的工業と世界市場を確立して以来、近代的代議制国家において、独占的な政治支配を勝ち取ったのです。近代国家の執行権力とは、ブルジョワジー全体に共通する問題を管理する委員会にすぎないのです。

ブルジョワジーは、歴史的には、もっとも革命的な役割を演じてきました。

ブルジョワジーは、支配力を握ったところではどこでも、あらゆる封建的で家父長的で牧歌的な関係を終らせました。それは、人をその「当然な上位者」とつないでいる色とりどりの封建的絆を容赦なくひきちぎり、人と人の間に、むきだしの自己利益以外の、冷淡な「現金払い」以外のいかなる関係も残しませんでした。宗教的情熱や騎士道的熱狂や俗物的感傷の天上的な陶酔は、自分中心の打算の氷のように冷たい水の中で溺れ死にさせられたのです。ブルジョワジーは人格的価値を交換価値に解消してしまい、数多くの取り消されない特に許された自由のかわりに、ただ一つの良心なき自由、自由交易を据えたのです。一言でいえば、宗教的で政治的な幻想で覆いかくされた搾取を、むきだしの、恥知らずで、直接的で、粗暴な搾取と取り換えたのです。

ブルジョワジーは、それまであがめられ、尊敬をこめた畏怖をもって見られてきたあらゆる職業から、その後光をはぎ取りました。医者、僧侶、詩人、学者を、自分たちの賃労働者に変えてしまったのです。

ブルジョワジーは家族から感傷的な覆いを引きはがし、家族関係をただの金銭的関係にしてしまいました。

中世においては活力が荒々しく示されることを、反動家たちはたいそう賞讃しているのですが、それをぴったりと補完しているのが怠惰なのらくら生活であることを、ブルジョワジーは暴いたのです。ブルジョワジーはまっさきに、人間の活動がどんなことを成し遂げられるのかを示しました。エジプトのピラミッド、ローマの水道、ゴチック式の大聖堂をはるかにしのぐ驚異を成し遂げ、以前の民族移動や十字軍がみんな色あせるような遠征に乗り出したのです。

ブルジョワジーは、たえず生産用具を革命的に変え、そのことによって生産関係を革命的に変え、それにより社会関係全体を革命的に変えることなくしては、生存することができません。それとは反対に、古い生産様式をその形を変えることなく保持することが、それ以前のすべての産業階級の第一の生存条件でした。たえず生産を革命的に変え、間断なくあらゆる社会状態をかき乱し、果てしなく不安定にし動揺させ続けることが、ブルジョワ時代をそれ以前のあらゆる時代から区別する特徴となっています。古めかしく敬うべき偏見や意見をひきずった、あらゆる固定し堅く氷ついた関係はさっさと廃止され、新しく形成された関係はみんな固定化するまえに古くさいものとなってしまうのです。あらゆる堅牢なものが溶けて霧散し、あらゆる聖なるものが世俗のものとなり、人はついには自分たちのほんとうの生活状態および仲間との関係に、醒めた感覚で直面せざるをえなくなります。

自分たちの生産物のためのたえず拡大する市場に対する必要性から、ブルジョワジーは地球の全表面を駆り立てられます。ブルジョワジーはどこにでも巣をかけ、どこにでも住み着き、どことも関係を確立しなければならないのです。

ブルジョワジーは、世界市場の開発を通して、どこの国でも生産と消費に世界主義的性格を与えます。反動家にははなはだお気の毒ですが、ブルジョワジーは産業の足元から、それがよって立っていた国民的基盤を掘り崩しました。古くからあった国民的な産業すべては破壊されてしまったか、あるいは日々破壊されています。そうした産業は新しい産業に押しのけられ、新しい産業を導入することはすべての文明諸国の死活問題となっています。産業はもはやその土地の原料を使うだけではなく、はるか遠く離れた地域からもってきた原料を使い、その生産物は国内だけでなく、世界のいたるところで消費されるのです。その国の生産物で満足していた古い欲望にかわって、満足させるには離れた土地や風土の生産物が必要な新しい欲望があらわれます。古い局地的で国民的な隔離と自足にかわって、あらゆる方面との交易が、諸国民の普遍的な相互依存があらわれるのです。そして物質的生産と同じことが、知的生産においても生じます。個々の国民の知的創造は共有の資産となります。国民的な一面性や偏狭さはますます不可能となり、多くの国民的な局地的な文学から、一つの世界文学があらわれるのです。

ブルジョワジーは、あらゆる生産用具を急激に改良することで、限りなく便利になった交通手段によって、あらゆる国民を、たとえもっとも野蛮であっても、文明へとひきいれるのです。商品の安い価格は、野蛮人のひどく頑固な外国人嫌いも屈伏させる重砲隊なのです。ブルジョワジーはあらゆる国民に、滅亡を覚悟し、ブルジョワ的生産様式の採用を強制し、そのど真中にいわゆる文明を導入すること、すなわちブルジョワそのものになることを強制します。要するに、ブルジョワジーは自分の姿に似せて世界を創造するのです。

ブルジョワジーは農村を都市の規則に服従させました。ブルジョワジーは多数の都市をつくりだし、農村人口に比べ都市人口を著しく増加させ、そうやって人口のいちじるしい部分を農村生活の白痴状態から救い出したのです。農村を都市に依存させたのと同じように、ブルジョワジーは野蛮および半野蛮な国を文明国に、農業国をブルジョワ国に、東洋を西洋に依存させたのです。

ブルジョワジーは、人口、生産手段、財産の分散した状態をだんだん廃止していきます。人口を密集させ、生産手段を集中し、財産を少数の手に集めてしまいました。このことの必然的結果は政治的中央集権でした。ばらばらの利害、法律、政府、課税制度をもつ独立した、ないしゆるく結び付いた地方は、集まって一つの政府、一つの法体系、一つの国民的階級利害、一つの国境、一つの関税をもつ一つの国民となったのです。

ブルジョワジーは、その百年に満たない支配の間に、先行する世代のすべてを合わせたよりも、もっと大規模な、もっと膨大な生産力を作り出しました。自然の力を人間に服属させること、機械、工業や農業への化学の応用、蒸気船、鉄道、電信、全大陸を耕作のために掃き清めること、河川を運河とすること、魔法で地から涌き出たような全人口、以前のどの世紀も、社会的労働のふところにこのような生産力がまどろんでいるということを、予想すらしませんでした。

そこで、わかったのは、ブルジョワジーが立脚している土台である生産手段と交換手段は、封建社会の中で生まれたということです。こういう生産手段と交換手段の発展がある段階になると、封建社会の生産や交換がおこなわれてきた諸条件、農業と工場制手工業の封建的組織、要するに、封建的所有関係は、既に発展している生産力とはもはや両立できなくなり、足枷となりました。こういう関係は粉々に粉砕しなければならなくなり、粉々に粉砕されたのです。

そういう封建的関係があったところには、自由競争が入り込み、それとともに、それに適した社会的および政治的制度と、ブルジョワ階級の経済的および政治的支配があらわれたのです。

同じような運動が私たちの目の前で進行しています。ブルジョワ的生産関係、交換関係、所有関係をもつ近代的ブルジョワ社会、このように巨大な生産手段や交換手段を魔法のように呼び起こした社会は、自分の呪文で呼び出した地下世界の力をもはや思うようにできなくなった魔法使いのようです。ここ数十年の歴史は、近代の生産条件に対する、ブルジョワとその支配の生存条件である所有関係に対する、近代の生産力の反乱の歴史にほかなりません。周期的にぶり返しては、ブルジョワ社会全体を審判に付し、度重なるごとに激しくなっていく、商業恐慌のことをあげておけば十分でしょう。こういう恐慌では、今ある生産物だけでなく、これまでに作り出された生産力の大部分が、周期的に破壊されるのです。こういう恐慌では、以前のどの時代でも馬鹿げていると思われたような疫病、過剰生産という疫病が突発します。社会は突然、一時的な野蛮状態に逆戻りし、まるで飢饉とか全般的荒廃戦争であらゆる生活手段の供給が途絶えたかのようになり、工業も商業も破壊されたように見えます。なぜでしょうか。あまりに文明化しすぎ、あまりに生活手段が多すぎ、あまりに工業も商業も発達しすぎたからです。社会が自由にできる生産力は、もはやブルジョワ的所有の条件を促進しようとはせず、反対に、生産力はこういう条件には強力になりすぎ、生産力は足枷をかけられるのですが、生産力が足枷を乗り越えるとたちまち、ブルジョワ社会全体に混乱をもたらし、ブルジョワ的所有の存在を危機にさらすのです。ブルジョワ社会の条件は、それが作り出す富を容れるのには狭すぎるのです。ではブルジョワジーはこの恐慌をどうやって乗り越えるのでしょうか。一方では、大量の生産力を強制的に破壊することによって、もう一方では、新しい市場を獲得し、古い市場をさらにいっそう掘りつくすことによってなのです。言うなれば、もっと広範囲でもっと破壊的な恐慌への道を開くことによって、恐慌を避ける手段を縮小することによってなのです。

ブルジョワジーが封建制を打ち倒すのに使った武器が、今ではブルジョワジーそのものに向けられているのです。

ブルジョワジーは自分たちの死をもたらす武器を鍛えただけではありません。その武器を使いこなす人々、近代的労働階級、プロレタリアを生み出したのです。

ブルジョワジー、つまり資本が発展すればするほど、プロレタリアート、すなわち近代的労働階級も発展します。労働者の階級は、仕事が見つかるかぎり生きていき、そしてその労働が資本を増やすかぎり仕事を見つけるのです。この労働者たちは、自分自身を切り売りしなければならないので、他の売り買いされる品物と同じく、商品であって、その結果、あらゆる競争の転変にさらされ、あらゆる市場の変動にさらされるのです。

機械の利用が拡大したことや、分業のおかげで、プロレタリアの労働は個人的性格をすべて失い、その結果、労働者にとっての魅力をすべて失ってしまいました。労働者は機械の付属物になり、労働者に求められるものは、もっとも単純で、もっとも単調で、もっとも簡単に習得できるコツだけになります。だから労働者の生産費用は、ほとんど、自分の維持や自分の種族の繁殖に必要な生計手段に限られます。しかし商品の価格は、したがって労働の価格も、その生産費用に等しいのです。それだから、労働の嫌悪感が増せば増すだけ、賃金は減少します。そのうえ、機械の利用と分業が増大するにつれ、労働時間の延長によるにせよ、一定の時間に強いられる労働の増加や機械の速度の増加等々によるにせよ、労苦の負荷も増加するのです。

近代的工業は、家父長的な親方の小さな作業場を、産業資本家の大工場に変えました。工場の中にひしめく労働者の大群は、兵士のように組織されます。産業軍隊の兵卒として、労働者たちは完全に階層化された将校や軍曹の指揮下に置かれます。労働者はブルジョワ階級の、そしてブルジョワ国家の奴隷であるというだけではありません。日々刻々、機械によって、監督者によって、とりわけ個々のブルジョワ工場主自身によって、奴隷化されているのです。この専制が利得はその究極目標であるとあからさまに公言すればするほど、それはいっそうみじめで、有害で、苦々しいものとなっていきます。

手作業の労働の熟練と力作業が少なくなればなるほど、言い換えると、近代的工業が発達すればするほど、男の労働は婦人労働にとって代わられます。年齢と性別の違いは、労働者階級には区別するだけの社会的妥当性をもはや持っていないのです。すべてが労働の用具であって、年齢と性別によって使用する費用が多少するだけなのです。

工場主による労働者の搾取が終って、労働者が現金で賃金をうけとるとすぐに、ブルジョワジーの他の部分、家主、小売店主、質屋等々が労働者に襲いかかります。

中間階級の下層、つまり小商い人、小売店主、一般に引退した商工業者、手職人、農民はだんだんとプロレタリアートに落ちぶれていきます。その理由の一部は、その小さな資本が近代的工業を営むには規模的に不十分で、大資本家との競争で圧倒されるからですが、一部にはその特殊化した技能が新しい生産様式によって無価値なものになるからです。こうしてプロレタリアートは人口のあらゆる階級から補充されるのです。

プロレタリアートは様々な発展段階を通過していきます。その誕生とともにブルジョワジーとの闘争が始まります。最初は個々の労働者によって、次には一つの工場の労働者たちによって、次には一地域の一業種の工員によって、彼らを直接搾取している個々のブルジョワとの闘いが行われます。彼らはその攻撃を、ブルジョワ的生産条件にではなく、生産用具そのものに向けます。彼らは自分たちの労働と競争している輸入品を破壊し、機械を打ち毀し、工場を焼払い、中世の職人という消え去った地位を力ずくで復活しようと努めるのです。

この段階では、労働者はまだ全国に散らばったまとまりのない集団をなしているだけで、お互いの競争で分裂してしまいます。もし労働者が団結してもっと緊密な団体をつくったとしたら、それは彼ら自身の能動的な団結の結果ではなくて、ブルジョワジーの団結の結果なのです。ブルジョワ階級は、自分たちの政治的目的を達成するためには、全プロレタリアートを動員せざるをえず、しかもまだしばらくの間はそうすることができるのです。だから、この段階では、プロレタリアはその敵と闘うのではなく、その敵の敵と、つまり絶対王制の残り滓、土地所有者、非産業ブルジョワ、プチ・ブルジョワと闘うのです。こうして歴史的運動全体がブルジョワジーの手の中に集中され、獲得された勝利はどれもブルジョワジーの勝利となるのです。

しかし工業の発展とともに、プロレタリアートは数において増加するだけではなく、もっと大きな集団へと集中され、その力は増大し、その力をますます感じるようになってきます。機械が労働の違いを消し去り、ほとんどいたるところで賃金を同じ低い水準に引き下げるにつれて、プロレタリアートという階層内の様々な利害と生活条件はますます一様化します。ブルジョワの間の激化する競争と、その結果生じる商業恐慌は、労働者の賃金をますます動揺させます。機械のますます進む改良は、非常に急速に発展し、労働者の生計をますます不安定にします。個々の労働者と個々のブルジョワとの間の衝突は、二つの階級の間の衝突という性格をますます帯びていきます。その結果、労働者はブルジョワに対して徒党(労働組合)を組み始めます。労働者は賃金率を維持するために協力しあうようになります。こういうたまに起きる暴動に前もって備えるために、労働者は永続的な結社を創設するのです。そこかしこで闘争は突如として暴動にまでなるのです。

ときには労働者が勝つことがあっても、一時のことにすぎません。その闘いの本当の果実は直接的な成果の中にあるのではなくて、絶えず拡大していく労働者の団結の中にあるのです。この団結は近代的工業が生み出した、異なる地域の労働者を互いに接触させてくれる、改良された交通手段によって促進されるのです。同じ性格を持つ、多くの地方的な闘争を、一つの国民的な階級間の闘争に結集するには、この接触こそが必要だったのです。しかし、どんな階級闘争も政治的な闘争です。中世の都市民が、みじめな街道を使って、数世紀もかけて達成した団結を、近代のプロレタリアは、鉄道のおかげで、数年で達成するのです。

こうしたプロレタリアを階級へと組織化し、結果として政党へと組織化することは、労働者自身の間の競争によって、繰り返し無に帰します。しかしこの組織化は、たえず何度も復活し、そのたびにより強く、より堅固に、より広大になっていくのです。この組織化は、ブルジョワジー自身の間の分裂を有利に使って、労働者の特定の利害を法的に承認するよう迫ります。こうしてイギリスでは十時間労働法が実施されたのです。

概して、古い社会の階級間の衝突は、さまざまなやり方で、プロレタリアートの発展の進行を促進します。ブルジョワジーは自分たちが、絶えず続く戦闘に巻き込まれているのに気がつきます。最初は貴族政治と、後には、工業の進歩と利害が相反しているブルジョワジー自身の一部と、そして常時、外国のブルジョワジーと戦闘しているのです。こういう戦闘のすべてで、ブルジョワジーはプロレタリアートに訴えかけて、その助力を求めざるをえないのですが、そうやってプロレタリアートを政治の闘技場へとひきずり込むのです。だからブルジョワジー自身がプロレタリアートに、自分たちの政治的また一般的な教育の諸要素を供給し、要するに、プロレタリアートにブルジョワジーと闘う武器を提供するのです。

さらに、既に見てきたように、支配階級の全般的な部隊がプロレタリアートに突き落とされ、あるいは少なくとも生存条件を脅かされています。こうしたことも、プロレタリアートに啓蒙と進歩の新しい要素を供給するのです。

最後に、階級闘争が決定的な時期に近づくと、支配階級内部で進行してる分解過程、実際には古い社会の全領域で進んでいる分解過程は、暴力的でどぎついまでの性格を帯び、支配階級の小さな一部が自ら結び付きを離れ、革命的階級、その手に未来をつかんでいる階級に加わっていきます。それはちょうど以前に貴族の一部がブルジョワジーの側についたように、今やブルジョワジーの一部が、特に、歴史運動の全般を理論的に理解したブルジョワ理論家の一部が、プロレタリアートの側につくのです。

今日、ブルジョワジーと対峙しているあらゆる階級の中で、プロレタリアートだけが正真正銘の革命的階級なのです。その他の階級は、近代工業に直面して、没落し最終的には消え去ります。プロレタリアートは近代工業の特別なもっとも重要な産物なのです。

下層の中間階級、つまり小工業者、小売店主、職人、農民、こういう人たちはみな中間階級の分派としての存在を消滅から救おうとしてブルジョワジーと闘います。したがって革命的ではなく、保守的なのです。それどころか反動的なのです。というのも、彼らは歴史の車輪を逆に回そうとするからです。もしたまたま彼らが革命的なら、それは自分たちがプロレタリアートへと移行するのが差し迫っていることを考慮してそうしているのです。したがって現在の利害ではなく、将来の利害を守っているのであり、自分たち自身の立場を捨てて、プロレタリアートの立場に立っているのです。

「危険な階級」、社会の屑、古い社会の最下層から投げ出される、なすがままに腐敗していく群衆は、ときにはプロレタリア革命によって運動に投げ込まれることもあるけれど、それ以上に、その生活状態から買収されて反動的陰謀の道具になりやすいのです。

プロレタリアートの状況では、古い社会全般の生活条件は既に実質的に窮地に陥っています。プロレタリアは財産を持たず、妻や子との関係はもはやブルジョワ的家族関係と共通するものはありません。近代的な産業労働、近代的な資本への服属はイギリスでもフランスでもアメリカでも同じで、プロレタリアから国民的性格の痕跡を一切はぎとるのです。法律、道徳、宗教はプロレタリアにとってはブルジョワ的偏見であり、その背後にはブルジョワ的利害が待ち伏せしているのです。

支配権を握ったこれまでの階級はみんな、社会全般を自分たちの専有状態に服属させることで、既に獲得した地位を護り固めようとつとめました。プロレタリアは、自分自身の先行する専有様式を、それだからまたあらゆる先行する専有様式を廃絶することなしには、社会の生産力の主人となることができません。プロレタリアは確保し護らなければならないような自分のものを一切持っていません。その使命は、これまでの個々人の財産の保全や保障をすべて破壊することなのです。

これまでの歴史的運動というのはみんな、少数者の運動か、少数者の利害のための運動でした。プロレタリアの運動は、大多数者の、大多数者の利害のための、自覚的で独立した運動なのです。現在の社会の最下層であるプロレタリアートは、公的社会におおいかぶさる全階層を空中に跳ね飛ばさなければ、身動きすることも、起き上がることもできません。

内容は違うけれど、形式上は、プロレタリアートのブルジョワジーとの闘争は、まずは国民的闘争です。個々の国のプロレタリアートは、もちろんなによりもまず、その国のブルジョワジーと片をつけなくてはならないのです。

プロレタリアートの発展のもっとも一般的な諸段階を描写するなかで、私たちは現存する社会で荒れ狂う、多かれ少なかれ隠された内乱を跡づけて、内乱が公然たる革命を勃発させ、ブルジョワジーの暴力的打倒が、プロレタリアートの支配の基礎を築くところにまで、到達しました。

既にみてきたように、これまで、あらゆる社会形態は、抑圧階級と被抑圧階級の対立に基礎を置いてきました。しかし、ある階級を抑圧するためには、少なくとも奴隷的生存を続けることができるだけの条件が、その被抑圧階級に保証されなければなりません。農奴制の時代に農奴はコミューンの成員にまで成り上がり、同じように、プチ・ブルジョワは、封建的絶対主義の軛のもとで、なんとかブルジョワへと発展したのでした。反対に、近代的労働者は、工業の進展とともに勃興するのではなくて、自身の階級の生存条件はますます沈み込んでいくのです。労働者は貧困者となり、貧困状態は人口や富の発展よりも急速に発展します。そしてここに、ブルジョワジーがもはや、社会の支配階級であり、自分たちの生存条件を支配的法則として社会に押しつけるには、不適格であることが明らかになるのです。ブルジョワジーはその奴隷制の奴隷に生存を保証する能力を欠き、奴隷から養われるかわりに、奴隷を養わなくてはならないような状態にまで奴隷を落とさざるをえないのだから、支配するには不適格なのです。社会はもはやブルジョワジーのもとで生きていくことができません。言い換えると、ブルジョワジーはもはや社会と両立できないのです。

ブルジョワ階級の存在と支配の本質的条件は、資本の形成と増大です。そして資本の条件は賃労働です。賃労働はもっぱら労働者の間の競争を当てにしています。ブルジョワジーは不本意ながら工業の進歩の促進者なのですが、この工業の進歩は、競争による労働者の孤立を、結社による革命的連携で置き換えます。だから近代工業の発展は、ブルジョワジーの足元から、ブルジョワジーが生産し生産物を専有してきた基盤そのものを取り除きます。ですからブルジョワジーが生産したものは、なによりもまず、自分の墓掘り人なのです。ブルジョワジーの没落とプロレタリアートの勝利は、等しく避けられないことなのです。


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