地下室の手記 第二部 フョードル・ドストエフスキー

第二章


しかし僕の夜遊びの時期は終わり、僕はひどく気分が悪くなった。後悔も訪れたが、僕はそれを追いのけた。もう気分が悪すぎたのだ。だがそれでも、少しずつ僕はそれにも慣れていった。僕が何にでも慣れるのは、要するに慣れるというより、何となく自分から我慢することを受け入れたのだ。だが僕には何があっても手打ちにする出口があった。それは『すべての美しく崇高なもの』の中へ、もちろん、夢の中へと逃げ込むことだった。僕は恐ろしく夢想した、自分の隅に隠れて三ヶ月続けて夢想した、が、この瞬間の僕が、あの、臆病な心をかき乱しながら自分のオーバーコートの襟にドイツ製のビーバーを縫い付けた男とは似たところもないことは信じてもらっていい。僕は突然英雄になった。そうなったらあの大男の中尉がうちを訪ねてきたって入れやしない。そうなったらあんな男のことを思い浮かべることさえありえなかった。僕の夢想がどんなものだったのか、どうして僕がそんなものに満足していたのか、それを今言うのは難しいが、その時はそれで満足していた。といっても、今だって僕にはそんなものに満足するところがある。夢想は夜遊びの後にとりわけ甘く、力強く僕のところへやってくる、後悔と涙とともに、呪いと歓喜とともにやってくるのだった。完全に夢中になる瞬間、あまりに幸福な瞬間が訪れ、僕の内には冷笑などこれっぽっちも感じられなかった、誓ってもいい。あるのは、信仰、希望、愛だった。というのも僕はその頃盲目的に信じていた。何かの奇跡により、何らかの外的事情により、この一切が突然開ける、広がる、と。突然、相応しい活動、有益で美しく、そして何よりまず僕の登場を待つばかりの(正確にはどういうものなのか、僕はちっともわからなかった、が何よりまず、完全に準備ができているのだ)活動の地平が拓かれ、そこで僕は突然、白馬に乗り、月桂樹の栄冠を載かんばかりにしてよき御世に現れるのだ。二次的役割など僕には理解できず、だからこそ現実には落ち着きはらって最後尾を占めていたのだ。英雄か、泥まみれか、中間はなかった。これが僕をだめにしたのだ。時が来れば英雄になるんだし、英雄になれば過去の汚泥など覆い隠されてしまう、と考えて泥の中にいる自分を慰めていたからだ。いわく、普通の人間ならば泥にまみれることが恥となるが、英雄は、すっかり泥に汚れるにはあまりに高貴なものであり、従って泥にまみれてもかまわない、と。驚くべきことに、夜遊びをしている時にもこうした『すべての美しく崇高なもの』の波が訪れ、僕がまさしくどん底に落ちてしまった時にも、まるでフラッシュバックのように心に帰ってくるのだったが、しかし、それが現れたからといって夜遊びが台無しにはならなかった。それどころか、まるで、そのコントラストによってそこに生気を与えるために、うまいソース造りに必要な量だけ現れるかのようだった。このソースは矛盾と苦痛から、苦しい内的分析から成り、これらすべての苦悩やら激痛やらがある種ピリッとした風味、意義さえも僕の夜遊びに付け加え、要するに、うまいソースの役目を完璧に果たしたのだ。この一切にはある種の深みさえなくはなかった。それに僕が、単純で浅薄で直線的で役人式のけちな遊びと承知してこんなまったくの汚泥に耐えられただろうか!いったい何がその時僕をそこへと魅惑し、夜毎街へと誘い出しえたのか?いやいや、僕にはどんなことにでも高潔なる抜け穴があって・・・

だがどれほど愛を、諸君、どれほど愛を僕は、この夢想の中に、この『すべての美しく崇高なものへの逃避』の中に経験したことだろう。空想上の愛であり、現実にはどんな人間にも決して適用されることはなかったけれども、この愛はあふれるほどであったので、そうなるともう、現実にそれを適用する必要さえ感じなかった。これはもう余計な贅沢だったのだが。しかし、すべてがいつもきわめて見事に芸術へと、すなわち人生の美しい形式へとけだるく、うっとりと転化して終るのだった。有り体に言えば、まったく出来合いのものを、詩人や小説家から巧みに盗んできて、あらゆる用途や要求に合わせるだけのことだった。たとえば、僕はすべての戦いに勝利する。皆は、もちろん、ぼろぼろになって自分から僕がすべてにおいて完璧であると認めざるをえず、そこで僕は彼ら全員を許してやる。僕は有名な詩人となり式武官となって恋に落ちる。巨万の富を手に入れるが直ちにそれを人類に寄贈し、そこで、すべての民衆を前に我が恥辱を告白する、が、それはもちろん、単なる恥辱ではなく、そこには非常に多くの『美しく崇高なもの』、マンフレッド的なものが含まれている。みんなが泣いて僕にキスする(そうでなけりゃ彼らは何たる阿呆だろう)、だが僕は裸足で飢えながら新しい思想を説いて歩き、アウステルリッツで反動主義者を打ち負かす。そこでマーチが演奏され、特赦が発せられ、教皇はローマからブラジルへの遷都を受諾する。そして全イタリアのための舞踏会が、ボルゲーゼ家の邸宅、それもコモ湖畔で催される。というのもコモ湖はこのイベントのためにわざわざローマに移されているのだ。それから茂みの中の一幕などなど、などなど―ご存知でしょう?あのような歓喜と涙について自分から告白しておいて、こういうことをあらいざらい今ここで市場へ持ち出すなど、俗悪で下劣だと君たちは言う。だがどうして下劣ですか?僕がこういうことをすっかり恥じている、いくらいろいろあると言っても君たちの人生にはこんなばかげたことはひとつもない、そんなふうに思われては困る。それに信じてほしいのだが、決して悪くないできのものもあったし・・・全部がコモ湖畔の出来事ではない。だがしかし、君たちが正しい。実際、俗悪で下劣だ。それに何より下劣なのは僕が今、君たちの前で正当化し始めたことだ。いやもっと下劣なのは僕が今、こんな非難をすることだ。ああしかしもうたくさん、これじゃあ切りがない。いつまでたってもだんだん下劣になるばかり・・・

三ヶ月を過ぎると僕も夢想ばかりはしていられず、社会に飛び込もうという抑えがたい要求を感じ始めた。社会に飛び込むというのは僕の場合、上司のアントン・アントヌイチ・セトチキンを訪ねることを意味した。これは唯一、僕の生涯を通じて変わらぬ知人で、僕は今この事実に自分でも驚きさえ感じる。だが僕が彼のところへ行くのも、そういう時期が来て、僕の夢想による幸福が行くところまで行って、どうしても直ちに人間と、全人類と抱き合わなければならなくなる時に限るのだった。つまりそのためには少なくとも一人、現実に存在する人間が目の前に必要だった。しかしアントン・アントヌイチの所へ顔を出すのは火曜日(彼の面会日)でなければならないし、従って、全人類と抱き合う要求もいつも火曜日に合わせる必要があった。このアントン・アントヌイチはピャチ・ウグロフのそばの四階の、天井が低くどれもこれも小さく、まったく経済優先の黄ばんで見える四部屋に住んでいた。彼には娘が二人と、茶を入れてくれる彼女たちの伯母がいた。娘たちの一人は十三、もう一人は十四歳で、二人とも獅子鼻だったが、二人がいつも自分たちだけでひそひそ話をしてくすくす笑うので、僕はひどくきまり悪い思いをしていた。主人は通例、書斎の革張りのソファに、テーブルを前にして、誰だか白髪の客と一緒に腰掛けていた。それは我々と同じ、あるいは別の部局の役人だった。二、三人のいつも同じ客のほか、僕はそこで見たことがなかった。話していたのは物品税について、上院の競売について、サラリーのこと、昇進のこと、閣下のこと、気に入られる方法等、等。僕は、何によらず自分から話を始めることはあえてせず、またできもせず、ばかみたいに四時間もこういう人たちのそばにとどまって彼らの言うことを聞く忍耐力を持っていた。僕はぼんやりして、幾度か汗をかき始めたり、麻痺状態に陥ったりした。だがこれは結構だし有益だった。家に帰ると、僕はしばらくの間、人類と抱き合おうという欲望を先延ばしにした。

しかし僕にはもう一人、同窓のシモノフという、知人のようなものがあった。同窓生ならたぶん、ペテルブルグにたくさんいたのだが、僕は彼らと付き合わず、路上で挨拶するのさえやめてしまった。もしかしたら僕が勤めを別の部局に変えたのも、彼らと一緒にならないようにするため、と同時に憎むべき僕の子供時代をすべて断ち切るためかもしれない。あんな学校なんか、あんなひどい囚人のような日々なんかくそくらえだ!要するに、僕は娑婆に出るや直ちに、友達と絶交したのだ。僕がまだ出会えば挨拶はする、そういう人が二、三残った。その中にシモノフもいた。学校での彼は少しも目立たず、落ち着いて穏やかだったが、僕は彼の性格に独立心と誠実さを見分けた。実際、それほどばかな男だったとは思わない。僕と彼とはかって楽しく付き合った時期もあったが、長くは続かず、突然霧に閉ざされたようになってしまった。彼はどうやら、この思い出が重荷になっているらしく、僕が以前の調子に陥るのをいつも恐れているようだった。僕は、彼にひどく嫌な思いをさせているのではないかと思っていたが、それでも確かにそうとの確信もないので、彼のところへ出かけていた。

そんなある日、木曜日のこと、僕は孤独に耐えられず、木曜日にはアントン・アントヌイチのところも門戸を閉ざしているのがわかっていたので、シモノフを思い出した。四階の彼のところへ上りながら、この男は僕のことでうっとうしい思いをしている、僕はここに来たってしょうがない、と僕は考えていたものだ。しかし、いつでもこの類の考えはわざとのように、さらに僕をそそのかしてどっちつかずの立場に陥らせることになるのであり、結局僕は中に入った。その前、最後にシモノフに会ってからほぼ一年がたっていた。


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