職業としての科学, マックス・ウェーバー

科学観の変遷


この点で過去と現在は、まったく好対照をなします。プラトンのポリティア第七巻のはじめにある素晴らしい描写を思い出しましょう。鎖につながれた穴居人たちが石壁の方に顔を向けており、後ろには彼らが見ることのできない光源が置かれている。彼らは光がつくりだす影にのみ注意を向け、それら相互の関係を理解しようと努めている。結局、最終的に、ひとりが鎖を解くことに成功し、うしろを振り返り、そして太陽を目にする。目をくらまされ、彼は手探りで自分が見たものを、とつとつと語る。ほかの者は、彼の言うことは誤りだという。しかし次第に、彼は光の中でものを見ることを学ぶ。かくして使命として、彼は穴居人たちのもとへと降りていき、彼らを光ある上方へと導く。彼は哲学者です。そして太陽とは科学的真実であり、それのみが、幻影や仮象ではない、真の実在をとらえます。

だが今日、だれがこのように科学をみるでしょうか。今日では、まさに若者の感じからすると、むしろ逆です。科学的思考が描く像は、人為的抽象物からなる裏の世界のものです。それは、乾いた手で現実生活の血と汁を捉えようとは努めるものの、いつだって手に入れることはできません。しかしこの生の中にこそ、プラトンにとっては洞窟壁での影絵遊びだったものの中にこそ、真の現実が脈打っています。この他のものといえば、生の派生物か、生をもたぬ幽霊か、さもなければ無です。この変化はどこから生じたのでしょう。

ポリティアにおけるプラトンの熱狂は、概念という、あらゆる科学的認識の最大の手段を、最終的に、はじめて自覚的に発見した事実によって説明されます。その意義は、すでにソクラテスにより発見されていました。発見したのが世界中で彼ひとりだったというわけでもありません。インドにおいても、アリストテレスのものとよく似た論理の萌芽を見出すことができます。しかし、ここでいう概念の意義の自覚は、ほかで見出すことはできません。ギリシャにおいてはじめて、論理のネジによって、手際よくひとを押さえこむ手段が生まれました。こうして、何人に対しても、無知を認めさせるか、さもなければ、ほかでもないこれが真理だと、盲目なひとの行いのように消え去ることのない永遠の真理だと、認めさせられるようになりました。これはソクラテスの弟子たちを啓発するすさまじい体験でした。こうして、もし美や善、あるいはたとえば、勇気、魂、その他なんであれ、正しい概念をみつけさえすれば、その真の実在を把握できることになる、とおもわれたのです。しかも逆にこのことは、生活上正しく行動する術や、とりわけ、一市民としてふるまう術を知り、かつ教える道をひらくようにもおもわれました。というのも、ギリシャ人にとっては、この問題こそがすべてであり、思想とは政治的思索であったからです。かれらはこのような理由で学問にたずさわりました。

ギリシャ精神の発見とともに、ルネッサンスの申し子として生まれた科学研究の第二の道具があります。それは合理的実験です。経験を信頼できる仕方で制御する手段として、実験なくして、今日の経験科学は不可能であったでしょう。実験はより以前にもありました。たとえば、インドでは禁欲主義的なヨガの技術に対する奉仕として生理的実験がなされました。古代ギリシャでは戦争技術を目的として、中世においては採鉱を目的として、数学的実験がなされました。しかし、実験を研究の原則にまで高めたことはルネッサンスの業績です。彼らは偉大な革新者、実験の先駆者であり、レオナルドや彼のような人々、とりわけ実験的ピアノを用いた十六世紀音楽界の実験家によって、その特徴がよく示されています。これら集団を通じて、とりわけガリレオによって、実験は科学に取り込まれ、ベーコンによって理論に取り入れられました。そしてその後、実験はヨーロッパ大陸、なかでもイタリアやオランダの大学において最初に、様々な学科の厳格な専門家へと受けつがれていきました。

では、これら近代初期の人々にとって、科学とはなにを意味したのでしょうか。レオナルドのような芸術界の実験家や音楽界の革新者にとって、これは真の芸術への道を意味し、そして同時に、真の自然への道をも意味しました。芸術は学問の地位に並び称せらるものであり、同時になにより、芸術家は社会的にも、人生の意味の上でも、博士の地位にまで高められるべきものでありました。これはたとえば、レオナルドの画本の基礎を支える野心でもあります。では、今日では? 「自然への道としての科学」――若者にとって、これは神への冒涜のように響くでしょう。いやそうではない、逆だ。科学的主知主義からの解放、個々の自然へ、そしてすべての自然へと回帰するために! 芸術への道としては? まったく議論の余地なし。

しかしひとは、精密自然科学が成立した時代には、科学に対して、より多くのことを期待しました。スワンメルダムの名言を思い出しましょう。「ここにわたしは、一匹の虱の解剖によって、あなた方に神の摂理を証明する」ここには、その頃、(間接的に)新教、そして清教主義の影響下にあった科学研究が、固有の課題として想定していたものを見てとることができます。それは神への道です。これは、当時にあっては、哲学者やその観念、そして推理によって見出されるものではありませんでした。中世人が試みたように、この筋にそって神を見出すことなどできないことは、当時のあらゆる敬虔主義神学者、とりわけシュペーナは知っていました。神は隠れており、神の道はわれわれの道ではなく、神の思想はわれわれの思想ではない。しかしながら、神の仕事を物理的に把握できる精密自然科学においては、世界に対する神の意図の痕跡をたどることができるものと期待されました。では、今日ではどうでしょうか? まさに自然科学の世界でみられる大きな子供は別としても、誰が今日、天文学的、生物学的、あるいは物理学的、化学的な認識によって、世界の意味について学べると、あるいは、そうした「意味」があるとして、その痕跡をたどれると信じるでしょうか。もしそれにみあうものがあるとすれば、世界の「意味」のようなものに対する信仰を根こそぎ抜き去ることでしょうか! ましてや、科学が「神への」道だというのは? この、格別に神とは無縁の力が? 認めようが認めまいが、科学がこういうもので、これからもこうであろうことは、今日心の底では誰も疑いはしません。科学の合理主義や主知主義からの解放は、神とともに生きる共同体の基本的前提になります。あるいは、似たようなことは、今日、一般に宗教的傾向をもつ者や、宗教的体験をもとめる若者たちの基本的なスローガンとして、よく耳にします。しかもこれは宗教や、なにより、体験に限ったことではありません。奇妙なのは、いまや選択されつつある道です。ここでは、これまで主知主義が触れたことのない唯一の世界、まさしく非合理の世界が意識の上にのぼらされ、ルーペの下で詳細に調べあげられます。現実的に考えて、これが非合理的なる現代の主知主義的浪漫主義が最終的にたどりつくところだからです。このように主知主義からの解放をめざす道は、これを歩むひとたちが目的として思いえがくものとは、まったく正反対の方向へと導きます。

最後に、科学、あるいは、科学にもとづき生を支配する技術を幸福への道として称賛する素朴な楽天主義については、「最後の人々」「幸福を作った最後の人々」に対するニーチェによる徹底的批判にしたがい、完全に無視して差し支えないでしょう。だいたい、教壇や編集室の大きな子供は別として、そんなことを信じるひとなどいるのでしょうか。

話をもとにもどしましょう。「真の実在への道」、「真の芸術への道」、「真の自然への道」、「真の神への道」、「真の幸福への道」が、すべて過去の幻として埋没したいま、これら内的な前提のもとで、職業としての科学とは何を意味するのでしょうか。トルストイの言葉が最も簡単な答を与えています。「それは無意味だ。なぜなら、わたしたちは何をすべきか、いかに生きるべきかという、わたしたちにとって最も重要な問いになにも答えないから」科学がこれに答えない事実は、まったくもって論争の余地がありません。ただ、どのような意味で「なにごとも」答えないか、そしてそれにもかかわらず、正しく問いをたてる者に対しては、なんらかの役を果たすのではないか、ということが問題になります。


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