トロイア物語:都市の略奪者ユリシーズ アンドリュー・ラング 第一章

ユリシーズの少年時代と両親


はるかな昔、ギリシアの西の岸のイタケーという小さな島に、ラーエルテースという王がいた。その王国は小さく山がちであった。イタケーは「海に浮かぶ盾のよう」と言われたが、そう聞くと、あたかも平らな国のごとくに思われよう。だが、当時の盾は、極めて大きく、真ん中が二つの峰のように突きだして、その間がくぼんでいたのだ。であるから、イタケー島も、海の上から離れて望めば、二つの峰とその間に裂け目の谷があり、まさしく盾のごとくに見えたのだ。その国は起伏に富んでいたために、馬を飼ってはいなかった。なぜならば、当時は二頭立ての小さな軽い二輪戦車のうえに立って走らせていたからなのだ。誰も騎馬せず、戦にも騎兵はおらず、戦車に乗って戦っていた。イタケー王ラーエルテースの子、ユリシーズは長じても、戦車を持たぬゆえ、決して戦車では戦わず、常に徒歩だちであった。

イタケーには馬はおらぬとはいえ、家畜ならば豊かで、ユリシーズの父は羊や豚を幾群も飼っており、また丘や平地には野性の山羊や鹿、兎がいた。海には様々な魚が満ちあふれ、人々は網を使い、竿、糸、釣針を使っては漁をした。

かくもイタケーは住みよき島であった。夏は長く、冬はほとんどなくて、ほんの数週間寒いだけ。その後、燕は戻り、平地には菫、百合、水仙、薔薇といった野性の花々におおわれ、まるで庭のようであった。空も海も青く、島は美しかった。海辺には白い神殿が建ち、妖精の類であるニンフには石造りの小さな社があり、その上には野性の薔薇の茂みが垂れ下がっていた。

見えるかぎりに他の島々が、山々を戴き、次から次に重なりあって夕暮れの中に続いていた。ユリシーズは、その生涯にわたって、豊かな国や多くの人が住む都市をたくさん見てきたけれど、でもどこにいようと、その心はいつもイタケーの小さな島にあった。その島でユリシーズは、舟の漕ぎ方、帆走のし方、弓矢の射方、猪や牡鹿の狩り方、猟犬の操り方を習ったのだ。

ユリシーズの母はアンティクレイアという名で、ギリシア本土の山パルナッソスのそばに住むアウトリュコス王の娘だった。このアウトリュコス王はもっとも狡知にたけた人間だった。彼は盗みの達人で、人の頭の下から枕を盗むことができた。だが、それで悪い人だと思われていたわけではないようだ。ギリシア人にはヘルメースという名の盗人の神がいるくらいで、アウトリュコスもこの神を崇拝していた。それに人々は不正直の害より、狡知にたけた策略の巧みさのほうを重んじていたのだ。おそらく彼のこうした策略は慰みに行われただけなのだろう。とはいえ、ユリシーズも祖父と同じくらい策略に巧みになった。彼は人の中でもっとも勇敢であると同時に、もっとも狡知にたけていた。だがユリシーズは、私たちが聞くかぎりでは、戦のときに敵から一度盗みを働いた以外には、決して物を盗んだことはなかった。彼がずる賢さをみせたのは、戦の計略や、巨人や人食いどもから何度も不思議に逃げおおせた時であった。

ユリシーズが生まれるとすぐ、祖父が父母に会いにイタケーにやってきた。彼が夕食の席に着いていると、エウリュクレエイアという名の、ユリシーズの乳母が赤ん坊をつれてきて、アウトリュコスの膝にのせ、「お孫さんに名を付けられませ。このお子は多くの願い事をもった子ですから。」と言った。

「儂はは世界中の多くの男女に腹をたておるのじゃ。」とアウトリュコスは言った。「だからこの子の名を『怒りの男』にしよう。」この言葉はギリシア語ではオデュッセウスといった。それでこの子はギリシアの人々からはオデュッセウスとよばれた。だがこの名前は後にユリシーズと変化したので、私たちは彼をユリシーズと呼ぶことにしよう。

小さな少年だったころのユリシーズについては、よく父親と庭を走り回り、質問をし、「自分だけの」果樹が欲しいとねだったこと以外は、ほとんどわからない。ユリシーズの両親には他に息子がいなかったので、彼をとても溺愛していた。だから、父親は13本のナシの木と40本のイチジクの木をくれたし、びっしりと実におおわれた50株のブドウも約束してくれた。この果物をユリシーズは、庭師の許しがなくても、好きなときに食べられたのだ。それで彼は、祖父のように果物を盗もうなどとはしなかった。

アウトリュコスはユリシーズに名前を付けたとき、ユリシーズが大きな少年になったら、自分のところに来るように言っておいた。そうすればユリシーズはすばらしい贈物がもらえることになっていたのだ。ユリシーズはそう聞かされていたので、背の高い若者になると、海を渡り、戦車を駆って、パルナッソス山の老人の家へと向かった。誰もがユリシーズを歓迎した。そして翌日、ユリシーズは叔父やいとこたちと一緒に、朝早くから獰猛な猪を狩りにいった。おそらくユリシーズは自分の犬を連れていったのだろう。この犬はアルゴスという名で、一番よい猟犬だった。とても長生きしたので、ずっと後にもう一度その名を聞くことになるだろう。すぐに猟犬は猪をかぎつけ、人々は槍を手にその後をついて行った。そしてユリシーズは先頭を走っていた。それは、ユリシーズはもうギリシアで一番早い走者になっていたからなのだ。

ユリシーズは、大枝とシダがもつれあった茂みの中、陽もささず雨も降り込まないような暗い場所に横たわる大きな猪のところにやってきた。そのとき、騒々しい人々の叫び声や犬の吠える声で、猪は目を覚まし、跳ね起きると、背中の毛をすべて逆立て、目を炎のように輝かせた。ユリシーズは、突き刺そうと槍を掲げて、誰よりも先に、突進した。だが猪は彼にはあまりにすばしこっかった。迫って来ると鋭い牙を横にふって、ユリシーズのふとももを引き裂いた。しかし猪の牙は骨まではとどかなかった。ユリシーズは鋭い槍を獣の右肩に投げ、槍はきれいに貫き、猪は大きな叫び声をあげて、倒れて死んだ。ユリシーズの叔父たちは傷口を注意深くつなぎ、そのうえに魔法の歌を歌った。ジャンヌ・ダルクがオルレアン包囲戦で肩を矢で射抜かれたとき、フランスの兵士たちも彼女に同じようなことをしようとしたのだ。すると流れ出る血は止まり、ユリシーズの傷はすぐに治った。みんなは彼が優れた戦士になると思い、すばらしい贈物をくれた。そしてユリシーズは家に戻ると、出来事の一部始終を父母と乳母のエウリュクレエイアに語って聞かせた。しかし、彼の左すねには長く白い傷跡がずっと残り、その傷跡については、ずうっと年月を経たあとで再び聞くことになるだろう。


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