トロイア物語:都市の略奪者ユリシーズ アンドリュー・ラング 第二章

ユリシーズの時代の人々の暮らし


ユリシーズは、青年になると、自分と同じ階級の王女と結婚したいと思った。さてその時代、ギリシアにはたくさんの王がいた。その王たちがどのように生活していたかを教えてしんぜよう。どの王にも自分の小さな王国があり、それには都があって、大きな石で築いた巨大な城壁に囲まれていた。こういう城壁の多くがまだ残っているが、ほとんどの廃虚が生い茂る草に覆われている。後の時代には、そういう城壁は巨人が建てたにちがいないと信じられていた。それほど石は大きかったのだ。どの王も貴族を配下に抱え、富裕で、みな宮殿をもっていた。どの宮殿にも中庭があり、屋根を支える4本の彫刻をほどこした柱の間には、長い広間があり、その真ん中で火が燃えていた。王と王妃は火のかたわらの高い玉座に座っていた。玉座は杉材と象牙でつくられ、黄金の象眼がほどこされていた。その他に客用のたくさんの椅子と小さな卓があり、風と扉は青銅の板や金、銀、青ガラスの板で覆われていた。壁と扉には牡牛狩の絵が描かれる事もあったが、このような絵は、わずかではあるが、まだ見ることができる。夜には松明に火をともし、黄金の少年像の手に持たせた。だが火や松明の煙は屋根の穴から逃すようになっており、天井は煙で真っ黒になった。壁には剣と槍、兜と盾が掛けてあったが、ときには煙の汚れを落してやる必要があった。吟遊詩人が王と王妃の傍らにはべり、夕食の後でハープをかきならして、古えの戦の物語を歌った。夜になると、王と王妃はそれぞれの場所で、女たちは自分たちの部屋で眠った。王女は二階に部屋があり、若い王子には中庭にそれぞれべつべつに建てた部屋があった。

磨きあげた浴槽がある浴室があり、客人が旅から汚れて到着すると、そこで入浴した。客人は夜になるとポーチコ[訳注:柱で支えられた屋根つき玄関]のベッドで寝た。気候は暖かだったのでそれでよかったのだ。たくさんの召使がいたが、普通は戦争で捕らわれた奴隷であった。だがとても親切に扱われ、主人とは親しい間柄であった。鋳造貨幣は使われておらず、物を買うには、牛か重さを計った黄金のかけらで支払った。富裕な者らは金杯であるとか金の柄の剣、腕輪、ブローチをたくさん持っていた。王は戦時には指導者、平和なときは裁判官であった。それに王は牛、豚、羊を殺して、神への犠として捧げ、その後食事に供した。

彼らは簡単に、ほとんど足までとどく長い麻や絹の上っ張りを着ていたが、腰帯にたくしこんで、長くすることも短くすることもできた。喉元で留める必要があれば、金のブローチを使った。そのブローチは美しく仕上げられ、安全ピンがついていた。この服装はスコットランド高地人がベルトとブローチをつけてよく着ているプレード[訳注:格子縞の肩掛け]にとてもよく似ていた。天気が寒ければ、ギリシア人はその上から羊毛製の大きな外套を着たが、戦の時にはこういうものは使わなかった。戦の時は、上っ張りの上から胸当てを着け、体の下の方を覆う別の武具と「グリーブ」とよばれるすね当てを着けた。喉から踝まで全身を護る大盾はといえば、幅広の帯で首から吊して運んだ。剣は盾を吊った帯とたすきに掛けたもう一本の帯に吊した。平和な時は軽い靴をはいていたが、戦の時や国中を歩き回る時には、もっとたけが高くて重い長靴をはいた。

上っ張りを着るのに、女は男よりたくさんブローチや宝石を使ったし、頭はヴェールで覆うか、すっぽりと外套を被り、黄金と琥珀のネックレスやイヤリング、黄金や青銅の腕輪をしていた。着物の色はさまざまであったが、白や紫が主であった。喪に服しているときは、黒ではなく、とても暗い青い服を着た。どの武具も、剣の刃も槍の穂先も、鋼や鉄ではなく胴と錫の合金である青銅でつくられた。盾は何枚か重ねた皮でつくられ、その上には青銅の板がつけられた。斧や犁先といった道具は鉄または青銅製で、ナイフや短剣の刃もそうだった。

私たちには家や生活様式はとてもすばらしく見えるが、また他のことではかなり粗野な点もあった。宮殿の床は、少なくともユリシーズの家では、食糧として殺された雄牛の骨や脚が散らかっていた。けれどこれはユリシーズが長い間留守にしていたときの出来事。ユリシーズの家の広間の床は厚板を張ってはいなかったし、石を敷き詰めてもおらず、粘土でできていた。というのもユリシーズは小さな島の貧しい王であったのだからだ。料理は粗末で、豚や羊を殺しては焼き、すぐに食べていた。肉を煮たということは聞いたことはないし、また魚を食べていたに違いないが、肉が手に入らなかったとき以外に、魚を食べたということも聞いたことが無い。それでも魚を好んだ人がいたのは間違いない。なぜというに、この時代の貴石に描いたり刻んだりした絵には、半裸の漁夫が大きな魚をもって家に戻るところがあるのだから。

人々は黄金や青銅のすばらしい細工師であった。墓の中からは何百もの黄金の宝飾品がみつかっている。だが、これらはたぶんユリシーズの時代より二、三世紀前に作られ埋葬されたものだ。短剣の刃には、獅子との戦いや花が、さまざまな色合いの金や銀の象眼で描かれていた。これほど美しいものは今では作られていない。金杯には牡牛狩をする人の姿が描かれているが、それはすばらしく生き生きとしている。土器の花瓶や壺にはすてきな模様が描かれている。一言で言えば、それは生きるのにすばらしい世界であった。

人々は主神ゼウスの下、たくさんの男女の神々を信じていた。神々は人間より大きく、不死であるが、ほとんど人間と同じように生活し、荘厳な宮殿で飲んだり、食べたり、眠ったりすると考えていた。神々は善人には褒美を与え、誓いを破ったり、異邦人に不親切にした人々を罰すると考えられてはいたが、神々が気まぐれで、残酷で、利己的で、人に悪いお手本を示したという物語もたくさんあった。こうした物語がどれほど信じられていたのかは定かでないが、「誰でも神々の求めるものを感じとり」、神々は善行を喜び、悪事では不快になると考えていたことは確かである。けれども、人は自分の行いが悪かったと思ったときに、神々のせいにして、神々が自分を惑わせたのだいうことも度々だった。まあ、それは実際のところ「避けようがなかった」といっているにすぎないのだが。

王子が牛や黄金、青銅、鉄で、王女の父親から花嫁を買うという奇妙な習慣があったが、ときには何か非常に勇敢な行いの褒美に花嫁を得るということもあった。たとえ一番高い代価が差し出されようと、愛してもいない求婚者に娘をやるということはなかった。少なくとも、それが普通のきまりであったようだ。なぜかといえば、夫と妻はお互いも、また自分たちの子供もとても愛しており、また夫は妻が家を切盛りし、何事につけ助言をするのを許していたのだから。夫以外の男を夫以上に愛するということは、女にとって非常によこしまなことだと考えられており、そういう妻はほとんどいなかった。だが、そういうふしだらな妻のなかに、絶世の美女がいたのだ。


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