モロー博士の島, ハーバート・ジョージ・ウェルズ

獣人たちに関して


私は朝早く目覚めた。起きた瞬間にモローの説明したことが私の脳裏にはっきりとよみがえった。ハンモックを出ると鍵がかかっていることを確かめにドアの所まで行った。それから窓の格子をゆすり、しっかりと固定されていることを確かめる。あの人間に似た生き物は実際のところは獣に過ぎないのだ。たんなるグロテスクな人間のまがい物なのだ。彼らに対する漠然とした不安が私の心を満たした。それははっきりそれとわかる恐怖よりもはるかに恐ろしいものだった。

ドアがノックされ、ミリングの粘つくようなアクセントの声が聞こえた。私はリボルバー拳銃をポケットに忍ばせ(それを握ったまま)、ドアを開けて彼を通した。

「おはようございます」彼はそう言うといつものハーブが添えられた不味そうなウサギ料理を運び込んだ。その後ろからモンゴメリーが入って来た。落ち着きのないその目が私の腕の置かれた位置を見たかと思うと彼は顔を歪めて笑った。

ピューマの回復を待つためにその日は一日、休日となっていたがモローは一人でいることが癖になっていて私たちに加わることは無かった。あの獣たちがどのように生活しているのかはっきりさせるために私はモンゴメリーに積極的に話しかけた。とりわけ知りたかったのはどうやってあの人間ならざる怪物たちがモローとモンゴメリーを襲撃することや、互いに殺し合うことを防いでいるのかということだった。彼の説明によるとモローや彼自身が比較的安全であるのはあの怪物たちの精神的自由度を制限しているおかげなのだと言う。知能が向上したり、動物的本能が復活し始めるとそれに応じてモローによってその脳に植えつけられた暗示が強く彼らを束縛し、それによって彼らの想像し得る範囲は強固に制限されるのだ。つまり彼らは特定の行動について不可能であるとか、おこなうべきでないと洗脳を受けているのだ。その禁忌は脳皮質の奥深くに織り込まれるため、それに従わないだとかそれを疑うなどということは思いもつかないのだ。

しかし事柄によっては古い本能とモローの教えが対立し、安定的な状態を乱す。そこで掟と呼ばれる一連の教義(私は既に彼らがそれを詠唱するのを聞いていた)が彼らの頭の中の奥底に居座って反抗し続ける動物本来の欲望と戦うのだ。彼らは絶えずこの掟を唱え、また時に掟を破る。モンゴメリーとモローは彼らが血の味を知ることが無いように細心の注意を払ってきた。それが引き起こす避けられない事態を恐れていたのだ。モンゴメリーが語ったところによると、掟の力は夕暮れ時になると途端に弱くなるのだという。特に猫科の獣人ではそれが顕著だった。夕暮れ時に動物たちの獣性は最高潮に達し、冒険心が強くなる。日中には夢にも思わないようなことをしでかす。私がこの島に来た晩に豹男に付け回されたのはそのためだ。しかし私が滞在している間でも最初のうちは掟を破るにしても夜中に密かにおこなうだけだった。日中はあの様々な戒律を尊重し、守るという雰囲気が存在したのだ。

ここでその島と獣人たちについて概略を述べておいた方がいいだろう。島は不規則な海岸線で縁取られ、広々とした海に浮かんでいた。面積はおよそ七、八平方マイルと言ったところだろう(この説明は全ての点でノーブルズ島と一致する……編者註)。火山活動によって出来た島で現在では三方をサンゴ礁で囲まれていた。北側にあるいくつかの噴気口と温泉が太古にこの島を作りだした自然の力の数少ない名残だった。ときたまかすかな地震を感じたり、水蒸気が騒音と共に煙の筋になって立ち上ることもあったがそれだけだった。モンゴメリーが説明したところによるとこの島にはモローの作品である奇妙な生き物が六十頭以上も住んでいるという。その中には下生えに住む人間の姿をしていない小さな怪物は含まれていない。彼は今まで合計で百二十頭近くの怪物を作りだしたが多くは死んだ。他にも……彼が私に語った足の無いやつのように……壮絶な最後を遂げたものもいるという。実のところ子供を産む者もいたが子供はたいてい死んでしまう、とモンゴメリーは私の質問に答えた。生きている場合はモローが連れてきて人間の姿形を与えるのだ。彼らの獲得した人間の性質が遺伝することを示すものは全くない。女の数は男の数より少なく、あの掟が一夫一妻を命じているにもかかわらず密かに襲われる傾向がある。

あの獣人たちの細かな様子を描き出すのは私には不可能だ。私はそういった訓練を受けていないし、残念ながらスケッチも苦手だ。おそらく彼らに共通して言える特徴は足の長さと胴の長さのアンバランスさだろう。しかし……私たちの美しさに対する考え方というものはとても相対的なものだ……私は彼らの姿を見慣れてしまい、ついには自分の長い足が不恰好なものに思える様になってしまったほどだった。他の点としては頭を前方に突き出すようにした姿勢やいびつに曲がった人間離れした背骨があげられるだろう。猿人間ですら人間の姿を美しく見せるあの内側へと曲がるしなやかなカーブは持ち合わせていなかった。ほとんどの者は肩を醜くすぼめ、短い腕を力なく脇にたらしていた。目立って毛深い者はほとんどいなかった。少なくとも私が島にいる間はそうだ。

次に目につくのは彼らの顔の醜さだ。ほとんど全ての者の下顎が飛び出していたし、耳の形は歪み、鼻は大きく隆起し、毛皮か剛毛のような髪をしていた。中には奇妙な色の目をした者や、目の位置がおかしな者もいた。声を上げて笑うことのできる者は一人もいなかったがあの猿人間だけは忍び笑いができた。これら一般的な特徴を除くと彼らの頭部に関しての共通点は少ない。それぞれの種の特徴がそのまま現れているのだ。いびつに作りあげられた人間的特徴は存在するが豹や雄牛、雌豚といった元になった動物の特徴は隠しきれていない。声も非常に多様だ。手について言えば奇形でない者はいない。彼らの中の何人かは意外なほど人間に似た形をしているがほとんどの者には指の数の欠損が見られ、爪の形も不恰好で触覚も欠けている。

動物人間の中でも特に恐ろしげな姿をしている者が二人いて、一人は豹人間、もう一人はハイエナと豚から作られた人間だった。体の大きさでいうとボートの所で述べた三人の雄牛人間がとりわけ大きかった。その次があの掟の口述者である灰色の毛深い男、ミリング、猿と羊からできたサテュロスサテュロス:ギリシャ神話に登場する半人半獣の精霊。上半身は人間、下半身は山羊という姿で描かれることが多い。のような者だった。豚男が三人と豚女が一人、雌馬と犀の合成人間、元の動物が定かでない女が数人いた。狼人間も何人かいたし、熊と雄牛の合成人間やセントバーナードから作られた男もいた。猿人間については既に説明した。特に不愉快な(そしてひどい悪臭だった)者に雌狐と熊の合成人間である老女がいた。彼女を見た瞬間から不愉快でたまらなかった。彼女は熱心な掟の信奉者だと言われていた。体の小さいものとしてはまだら模様の若いやつらとあのナマケモノ人間がいた。しかし動物人間の紹介はもう十分だろう。

最初のうち、私は獣たちに怯え、彼らが依然として野獣であると強く感じた。しかし次第に彼らにも慣れていった。さらにモンゴメリーの彼らに対する態度も私に影響を与えた。彼は彼らと長い時間を過ごし、もはや彼らに対してほとんど普通の人間と変わらない態度で接していた。ロンドンでの日々は彼にとって栄光ある、二度と戻ってこない過去だった。年に一度だけ彼はモローの代理人と会うためにアリカへ行き、動物を買ってくるのだ。スペインとの混血児が作った船乗りの村では高尚な人間に出会うことは難しかった。最初のうち、私が獣人を見た時に感じた奇妙さと同じ奇妙さを彼は船乗りの男たちに感じたと教えてくれた……不自然な足の長さ、扁平な顔、広い額、疑り深く凶暴で薄情な性格。実際のところ、彼は人間嫌いだった。彼が私の命を救ったので私に対しては親しみを感じるのだと彼は思っていた。彼はあの姿形を作り変えられた獣の一部に対する密かな親切心や、彼らに対して感じる歪んだ共感を私に気付かれまいとしていたのだと私は思う。

私が最初に出会った獣人であり、モンゴメリーの使用人である黒い顔のミリングは島の他の者とは一緒に暮らさず、囲い地の裏手にある小さな犬小屋に住んでいた。猿人間ほどは知能が高くなかったが、はるかに従順で獣人たちの中でも最も人間に近い容姿をしていた。モンゴメリーは彼に食事の準備の仕方を教え込んだ。もちろん必要とされるこまごました家事雑務から解放されるためだ。彼はモローの恐るべき技術による手間のかかった成果物であり……熊に犬と雄牛を混ぜあわせたのだ……モローの人造人間の中でも最も精巧にできた作品の一つだった。彼は異常とも思えるかいがいしさと献身でモンゴメリーに仕えた。ときどきモンゴメリーはそれに気づいて、肩を叩いたり、ふざけ半分に呼びかけたりした。そうすると彼は有頂天になって喜ぶのだ。時にはひどい扱いをすることもあった。特にウイスキーを飲んだ後には蹴りつけたり、殴りつけたり、石や燃えさしのマッチを投げつけることがあった。しかし扱いが良かろうが悪かろうが、モンゴメリーの近くにいられれば彼はそれで満足だった。

私は獣人たちに慣れた。たくさんの不自然で不愉快なこともすぐに自然で当たり前のことに変わった。全ての物事は周りの平均的な色相によって異なる色合いを帯びるものなのだろう。モンゴメリーとモローはあまりに奇抜で個性的で私は人間一般に対する今までの考え方を改めざるを得なかった。あのランチボートで働いていた不恰好な牛人間の一人が下生えの中を重い足取りで歩いているのを見たこともあったが、工場での労働を終えて重い足取りで家へ向かう人間の労働者とどれほどの差があっただろうか? あるいは狐と熊の合成人間である女の狡猾そうで胡散臭い顔やずる賢そうな素振りの妙に人間じみた様子。私は以前それをどこかの街の裏道で見たような気さえした。

しかし時には獣性が疑念や拒絶を超えて私に激しく吠え立てることもあった。背中を丸めた見るからに原始人じみた醜い男があの住処の入口の一つに居座り、腕を伸ばしてあくびをする。突然、目に飛び込んで来るカミソリのように鋭い切歯とサーベルのような犬歯。まるでナイフのように鋭く輝くのだ。あるいは細い小道で出くわした白い布をしなやかな体に巻きつけた女の目に光る挑戦的な一瞬の光。私は突然(発作的嫌悪感と共に)彼女の瞳が切れ長であることや布が巻きつけられている彼女の爪のゆがみに気づくのだ。ついでながらあの奇妙な生き物……つまりあの女たちだが……が私の滞在期間の初めのころには自身の姿の醜さを本能的に感じ取り、結果として人間以上に慎みや礼儀作法を重んじ、様々な服装を身に付けていたことは非常に興味深かった。今でも私にはその現象を上手く説明することができない。


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