君主, ニッコロ・マキャヴェリ

あらゆる君主国の兵力をどう測るべきかについて


これらの君主国の性格を吟味するのに別の観点から考察することも必要です。それはつまり、必要な場合には、自分の力量で自らを維持できるような支配力を持っているのか、それとも常に他国からの支援を必要とするのか、という点です。この点を完全に明確にしておくために言いますと、私が思うに、自分の力量で自らを維持できる者というのは、人材や資金が豊富で、誰であれ攻撃を加える者とは戦闘を交じえるだけの軍隊を召集できる者だと思います。また、常に他国を必要とする者は、戦場で敵の前に姿を見せることができず、城壁にかげに隠れることでしか、身を守ることができないでしょう。第一の場合については、すでに論じてきましたが、立ち返る必要があれば、再度語りましょう。第二の場合は、そうした君主には、自分の町に食糧を備蓄し防備を固め、決してその領土を守ろうとしないよう勧めるしか、言いようがありません。そうして、自分の町の防備を固め、その臣民に関する他の事柄については、上に述べ、また何度も繰り返し述べるやり方で運営するなら、慎重を期すこともなく攻撃を加えられることは決してありません。というのは、人間というものは困難だと見てとれる企図には反対するものですし、自分の町の防備をきちんと固め、人民から憎まれていない君主を攻撃するのは容易なことではないと分るのですから。

ドイツの諸都市は完全に自由で、周辺にほとんど領土を持たず、自分たちに都合がよければ皇帝に服従しますが、そうでなければ、皇帝も近隣のいかなる諸勢力も恐れません。なぜなら、これらの都市を攻撃して手に入れるは厄介で困難だと、誰もが思うようなやり方で防備を固め、適切な溝や城壁を備えており、十分な火砲を持ち、公共倉庫には常に一年間分の食糧、飲料、燃料を備蓄しているからです。さらにそれ以上に、人々を平静に保ちながら国家が損失を蒙らないよう、都市の生命にして活力である労働者に公共作業を与えるという手段を持ち、それで人々が生活の糧をまかなうようにしているからです。また軍事教練を名誉あるものにし、その上、こうした教練を維持するために多くの法令を用意しているのです。

だから、強力な都市を持ち、憎しみを買わないようにしてきた君主は、攻撃を受けることはないでしょう。たとえ誰かが攻撃したとして、追い払われて恥をかくだけです。また、この世の事柄は移ろいやすいものなので、なんの邪魔だてもなく丸一年の間、出兵したままでいることなど不可能です。これに反論して、人々が市外に財産を持っていて、それが焼き払われるのを見たら、忍耐し続けることができず、長期の包囲戦と私利私欲から君主を見捨てるだろうと言う人がいるかもしれません。これに対しては、強力で勇敢な君主はその臣民に、あるときは災いは長くは続かないという希望を与え、またあるときは敵は残忍だという恐怖を与えて、彼にはあまりに向う見ずに思える臣民を巧みに避けて、こうした困難をすべて克服するだろうと、答えておきましょう。

さらに言えば、敵は当然にも、到来するや直ちに領土内を焼き破壊するでしょうが、その時には人々の気持はまだ熱く防衛の覚悟ができています。だから、それだけ一層、君主は二の足を踏むべきではありません。なぜなら、しばらくすれば、気持が醒め、すでに損害を受け、災難を蒙り、もはや修復のしようがないからです。それだから、人々は、君主を守るために自分の家を焼かれ、その財産を破壊された今こそ、君主は彼らに恩義を感じていると思い、ますます自分たちの君主と一体化しようという覚悟を固めるのです。というのも、人間の本性というものは、受けた恩恵と同様、施した恩恵にも束縛されるものですから。ですから、すべてをよく考えてみると、賢明な君主にとって、市民を養い守ることに失敗しなければ、その市民の気持ちを徹頭徹尾、確固としたものにしておくのは、困難なことではないのです。


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