君主, ニッコロ・マキャヴェリ

君主は名声を得るためにどうふるまうべきか


偉大な企図やすばらしい手本を示すことほど、君主の評価を高めるものはありません。当代では、現在のスペイン王アラゴンのフェルディナンドがいます。この人はほとんど新興の君主ということができます。なぜなら彼は、名声と栄誉によって、とるにたりない王から、キリスト教国一の王に成り上がったのですから。それに彼の偉業を顧みれば、それがどれも偉大であり、そのうちいくつかは並はずれたものであることが分るでしょう。その治世の初めに彼はグラナダを攻撃し、この企図がその領土の基礎となりました。最初は控え目にことを進め、邪魔立てされる恐れもありませんでした。というのは、カスティーリャの封建貴族たちの頭を戦争のことで一杯にして、革新的なものをまるで懸念させなかったのです。こうして彼らは、このグラナダ攻撃という手段をつかって、王が自分たちにたいする権力と権威を手に入れたとは、知るよしもなかったのです。彼は教会の資金や民衆の資金をつぎこんで、自分の軍隊を維持できましたし、その長期にわたる戦争によって、それ以降彼を際立たせてきた軍事技術の基礎を築くことできたのです。さらに、もっと大きな計画に着手するため、いつも宗教を口実にしながら、宗教にかこつけた残虐さで、その王国からムーア人を駆逐し一掃することに専念しました。これほど見事でまれに見る事例はありません。同じ口実のもと、彼はアフリカを襲い、イタリアに攻め入り、ついにはフランスを攻撃しました。このように彼の成し遂げたことも計画したことも偉大でした。そしてその民衆の気をもませては感嘆させ、彼らはことの成行きに夢中になりました。こうして彼は次から次へと行動を起して、人々に落ち着いて反抗する時間を与えなかったのです。

さらに、ベルナーボ・ダ・ミラノ卿について語り草となっているのと同様な、内政問題での際立った実例を挙げることは、大いに君主の役に立つことでしょう。この人は、機会をとらえては、市民生活で、良きにつけ悪きにつけ、並はずれた行いをした者を、語り草となるような方法で褒めたり罰したりしました。そして君主は、なによりも、どんな行動をとるときも、偉大で注目に値する人物だという評判を得るよう努力すべきなのです。

君主はまた、真の友か全くの敵を持つと、つまり、なんの留保もなく、一方の党派に味方しもう一方には敵対することを鮮明にすると、尊敬されます。そうしたやり方は常に中立であるより有利なのです。なぜなら、近所の力自慢の二人が殴りあったとして、勝ったほうは、あなたにとって恐ろしい性格のやつかそうでないか、いずれかなのです。どちらの場合にも、自分の旗幟を鮮明にして、奮戦するほうが有利なのです。最初の場合には、自分の旗幟を鮮明にしてなければ、必ずや勝者の餌食となり、敗北した側を慰め満足させることになりますし、守もり庇護してくれるよう申し入れる理由もなく、そうしてくれるものもないのです。なぜなら、勝者は試練の時に助けにならない疑わしい友を必要とはしないし、敗者も、剣を手にして進んで運命を共にしなかったという理由で、その者をかくまおうとはしないでしょうから。

アンティオコスは、アエトリア人にローマ人を駆逐するための派兵を請われて、ギリシアに侵入しました。彼はローマの友邦であったアカイア人に特使を送って、中立を保つよう勧めました。その一方ではローマ人が彼らに武器をとるよう強く迫っていました。この問題はアカイア人の評議会で討議されることになり、その場でアンティオコスの使節は中立を守るよう説得しました。これに答えてローマの使節は「言われたことは、我らが戦争に介入しないほうが、諸君の国家にとってより良いし、有利だということだった。これほど誤っていることはない。なぜなら、介入しないままでいれば、恩顧もなく敬意も払われずに、勝者への褒美とされるのだ」と言いました。友人でない者が中立を要請し、友人が参戦を布告するよう頼むといったことは、常々起こることです。そして優柔不断な君主は、目先の危険を避けようとして、たいていは中立の道を採り、たいていは破滅します。しかし、君主が堂々として一方の側に味方することを明らかにすると、もし同盟した側が勝てば、勝者がどんなに強力で、彼がそのなすがままであったとしても、勝者は彼に恩義があり、友愛の絆を結びます。それに人間というものは、味方を抑圧して忘恩の記念碑となるほど、恥知らずではありません。勝者がなんの気遣いもせず、特に正義に配慮しなくてすむような、完璧な勝利など、そもそも、ありえないのです。また、同盟した側が負ければ、同盟者がかくまってくれるでしょうし、できうれば支援してくれるでしょう。そうして、いつかまた上向くかもしれぬ運命を共にする仲間となるでしょう。

第二の場合、つまり戦っているのが、どっちが勝とうが気にする必要もないほどの者だというときは、一方と同盟するほうが得策なのです。なぜなら、賢明なら互いに助けあうものなのに、その一方を支援してもう一方を滅ぼすのを手助けることになるのですから。そして、勝った場合は、支援がなければ勝てなかったのだから、支援した君主の意のままとなるのです。ここで留意しておいて欲しいのは、君主は、他国を攻撃するのに、上に述べたように、必要に迫られないかぎりは、自分より強大な国と同盟してはならないということです。なぜなら、もし勝てば、同盟した君主の意のままとなるからであり、そして君主は、できるかぎり他人の意のままになるのは避けなければならないからです。ヴェネツィア人はミラノ公に対抗するためフランスと結びました。この同盟はその破滅の原因となりましたが、この同盟は避けることができたものでした。しかし、教皇とスペインが派兵してロンバルディアを攻撃したときにフィレンツェに起ったように、同盟が避けがたいときは、前に述べたように、君主はどちらか一方の側の味方とならざるをえないのです。

どんな政府も完全に安全な政策を選択できると思ってはなりません。むしろ極めて不確かな政策をとらざるをえないと思うべきです。なぜなら、一つの困難を避けようとして、別の困難に陥ることは、普通の出来事ですから。そうではなくて、思慮分別というものは、困難の性質を見分ける方法を知り、より害の少いものを選ぶことにあるのです。

君主はまた、才能ある者の後援者であることを示し、あらゆる技芸でその熟達者に栄誉を与えなければなりません。同時に、その市民が、商業であれ農業であれあるいはその他の諸々であれ、平穏にその職業に専念するよう奨励して、取り上げられはすまいかと恐れてその財産を殖やすのをやめたり、税金を恐れて商売をやめたりしないようにすべきです。また、こうしたことをしたいと願い、なんとかしてその都市や国家が繁栄するよう目論む人に、君主は褒美を与えるべきなのです。

さらに君主は、一年のうち都合のよい時期に、祭りや見世物で人々を楽しませなければなりません。そしてどの都市も同業組合や地区組織[44]に分たれているので、君主はこうした団体を尊重し、ときにはそれらと会して、自分が寛大さと気前よさの手本であることを示すべきです。それでもやはり、いつも自分の地位の威厳を保ち、そのためには何事においても、その地位を低めるようなことを認めてはならないのです。

英訳の注

[44] 原文では"in arti o in tribu"。arti は手工業者や商人の同業者組合である。Florio:「arte は・・・都市や自治町の同業者全員からなる団体である」を参照。Edgcumbe Staley氏はこの主題を扱った著作(Methuen, 1906)の中で、フィレンツェの同業者組合がもっとも見事だと述べている。altel とよばれる、なにがしか似た性格をもつ制度が現代のロシアに存在している。Mackenzie Wallace卿の『ロシア』(ed. 1905):「子弟は・・・労働期間のあいだずっと artel のメンバーである。いくつかの大きな町にはもっと複雑な artel、大きな資本を持ち、個々のメンバーの行動に金銭的な責任を負う永続的な組合が存在している。」を参照。artel という言葉は、外見上は似ているにもかかわらず、Aylmer Maude氏が私に断言することによれば、ars や arte とはなんの関係もない。その語源は、誓約によって義務づけられるという意味の動詞 rotisya であり、これは一般には rota という別の形態でだけ許容されているが、この語は現在は連隊を意味する。どちらの語でも基礎をなす概念は、誓約で一体となった人の団体ということである。 tribu はおそらく、共通の血統によって一体となり、婚姻で結びついた個々人を含む、氏族集団であろう。多分、英語では septs や clans という語が適切であろう。


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