ジョージ・オーウェル

あの楽しかりし日々 第五章


聖シプリアン校では提示されるさまざまな行動規範は言外に示されるそれらの指示に従おうとすると……宗教的にも、社会道徳にも、知的にも……互いに矛盾してしまうものだった。その本質的な不一致は十九世紀の禁欲主義的な伝統と現実に存在する一九一四年以前の時代の豪華さ・高慢さの間にあった。一方の側は低教会派低教会派:イギリス国教会の教派のひとつ。プロテスタント的傾向が強く、聖職の権威や形式よりも福音を重視する。の聖書的キリスト教、性に対する清教徒主義、勤勉であることへのこだわり、学問的分野への敬意、自己中心主義への反対であり、もう一方の側は「頭でっかち」への侮蔑、スポーツ熱、外国人と労働階級への侮蔑、ほとんど神経症的な貧困への恐怖、とりわけ金と特権を重要視し、さらには働いてそれらを得るよりもそれらを相続する方が好ましいという考え方だ。おおまかに言えば、キリスト教徒であることと社会的成功者であることを同時に目指す必要があり、それは不可能なことだった。当時の私は、私たちの前に設定されたさまざまな理想が互いに打ち消しあうものであるということに気がついていなかった。ただ自分の関心があるものに関して、それら全て、あるいはほとんど全てが達成不可能であることを理解していただけだった。なぜならそれらは全て、何をおこなったかだけでなく何者であるかに依存していたからだ。

とても幼い頃、まだ十歳か十一歳の時、私は結論に達した……それは誰に教えられたものではないが、一方で自分自身の頭だけで考え出したものでもなく、いわば私の呼吸する空気の中にあったものだ……十万ポンドを手にしていない限り優秀とは言えない。私がこの特定の額に注目したのはおそらくサッカレーを読んだ結果だ。十万ポンドからの利息は年に四千ポンドにはなるだろう(四パーセントは固いと思ったのだ)、そして真の上位カースト、カントリーハウスに住む人々の一員であれば、この額は最低限の持っていなければならない収入であるように私には思えたのだ。しかしその楽園に至る道を私が決して見つけ出せないことは明らかだった。その身分に生まれない限りは真にそこに属することはできないのだ。「シティシティ:ロンドン中心部に位置する金融街。転じてイギリスの金融業界を指す言葉。へ行く」と呼ばれる謎めいた作戦を駆使してもせいぜい金を稼げるだけだ。十万ポンドを勝ち取ってシティから戻ってきた時には太った老人になっていることだろう。しかし一流の人間の真に羨まれるところは彼らが若いのに裕福であることなのだ。私のような人間、つまり野心を抱く中流階級であり、試験を通過してきた者にはわびしい、骨の折れる成功しかできない。奨学金のはしごを上に向かって昇れば役人か、インドの役人、あるいは法廷弁護士にはなれる。そしてもしどこかで「なまけたり」、「下手を打ったり」してはしごの一段を踏み外せば「年収四十ポンドの使いっぱしりの少年」になるのだ。しかし開かれている一番高い場所へ昇ったところで、依然として本当に重要な人物の下僕、取り巻きにしかなることはできない。

たとえもしこのことをサンボやフリップから学ばなかったとしても私は他の少年たちからそれを学んだことだろう。振り返ってみると私たち全員がなんと高慢に慣れ親しみ、熟知していたかに驚く。名前と出身地についてなんとよく知っていたか、アクセントや立ち居振る舞い、服の形の小さな違いになんとすばやく気がついたことか。わびしい、みじめな冬学期の半ばでさえ、その毛穴から金を滴らせているように見える少年たちもいた。学期の始めと終わりにはとりわけスイスやスコットランドやその地のギリー狩りの案内人やすばらしい原野、「僕のおじさんのヨット」や「田舎の方の僕らの地所」といった生まれ持った高慢に彩られたおしゃべりが繰り広げられた。あるいは「僕のポニー」や「僕の親父のツーリングカー」だ。私が思うに、このようにあけすけで露骨な富の蓄積がそれをあがなう貴族的な上品さ無しにこれほど誇示されたことは世界の歴史を見ても一九一四年以前の時代には決してなかったことだろう。それは、つばがカーブしたシルクハットを被り、薄紫色のベストを着た奇矯な億万長者がテムズ川に浮かんだロココ調のハウスボートでシャンパン・パーティーを開く時代、空中独楽とホブルスカートの時代、灰色の山高帽を被り、燕尾服を着た「クヌート」の時代、「メリー・ウィドウ」、サキの小説、「ピーターパン」や「虹の果てるところ」の時代、人々がチョコレートやタバコ、すばらしいもの、最高のもの、天の国に属するものについて語り、ブライトンでの陽気な週末旅行に出かけ、トロガデロでおいしいお茶をする時代だったのだ。一九一四年以前のまるまる十年、品のない育ちの悪い種類の贅沢の匂い、ブリリアンティーン整髪オイルクレーム・ド・マントはっか入りリキュールとクリーム入りチョコレートの匂い……言ってみればイートン・ボート・ソングの調べの中、緑の芝生の上で果てることなくストロベリーアイスを食べているような雰囲気はますます強くなっていったように思われる。驚くべきは皆が、イギリス上流階級、上中流階級のしたたる膨れあがった富は永遠に続き、それを物事の道理の一部だと当然視していたことである。一九一八年以降、同じことは二度と起きなかった。確かに高慢と高価な習慣は戻ってきたがそれらは自覚的で守勢に立たされたものだった。戦前、金銭への崇拝は全体的に見てどのような道義心からも省みられたり、問題視されたりすることはなかった。金銭は健康や美しさと同じように良いものであり、輝く自動車や爵位、たくさんの使用人は人々の頭の中で現実の道徳的美徳という概念と分かちがたく結びついていた。

聖シプリアン校では学期中には全員が憂鬱な生活をある程度は民主的に強いられていた。しかし休暇中の話、あるいは自動車や執事、カントリーハウスの自慢競争の結果によって不意に階級区別の存在があらわになることがあった。この学校には奇妙なスコットランド崇拝が広がっていて、それが私たちの価値基準に根本的な矛盾を呼び込んでいた。フリップは自分にはスコットランド生まれの祖先がいると主張していた。スコットランド生まれの少年たちは彼女のお気に入りで、彼らは学校の制服の代わりに伝統的なタータンチャックのキルトを着ることを推奨されていたし、彼女は自分の一番下の子供にはゲール風の名前を付けることさえしていた。表向き、私たちはスコットランドを称賛するよう求められていたが、それは彼らが「恐ろしげ」で、「禁欲的」であり(おそらくキーワードは「厳格」だろう)戦場では抵抗し難い人々だからだ。大教室にはワーテルローの戦いでのスコットランド・グレイ連隊の突撃を描いた鋼板彫刻があり、そこに描かれた彼らはあたかも突撃をすみずみまで楽しんでいるように見えた。私たちのスコットランドに対するイメージは日に焼けた肌、丘陵、キルト、ポシェット、クレイモア両刃の大刀、バグパイプ、オートミール粥による精力増強、プロテスト主義、寒冷な気候と何かしらの形で結びついたあらゆるものだった。しかしその根底にあるのはまったく異なるものだった。スコットランド崇拝の本当の理由は、極めて豊かな人々だけがそこで夏を過ごすことができるためだった。そしてスコットランド人の優越性という信念を装うのはイングランド人による占領の罪悪感を覆い隠すためだった。イングランド人は鹿狩りのための森を作るために高地の小作農をその農場から追い払い、彼らを召使いに変えることでそれをあがなったのだ。スコットランドについて語る時、フリップの顔には決まって無知な高慢が表れていた。彼女はときどきスコットランド風のアクセントを真似ることさえした。スコットランドは、わずかな新入りだけがそれについて語り、部外者にはさして感動を呼ばない内輪だけの楽園だった。

「今度の休暇はスコットランドに行くの?」

「たぶんね! 僕らは毎年、行ってるから」

「僕の親父は川を三マイル、手に入れたんだ」

「僕の親父は十二歳のお祝いに新しい銃をくれた。行くとこにすごくいいクロライチョウがいるんだ。おい、出ていけよ、スミス! 何、聞いてるんだ? おまえはスコットランドに行ったことないじゃないか。賭けてもいい、おまえはクロライチョウの雄がどんな風かも知らないだろう」

その後に続くのはクロライチョウの鳴き声や雄鹿の遠鳴き、「僕らの狩りの案内人」のアクセントといったものの物真似だ。

さらに社会的出自の定かでない新入りの少年がときどき尋問を受けることもあった……実に驚かされる浅ましく念入りな尋問だった。審問官がたった十二歳か十三歳だったことを思えばなおさらである!

「君の親父は何歳だ? ロンドンのどこに住んでいた? ナイツブリッジか、ケンジントンか? 家にはバスルームがいくつあった? 使用人は何人雇ってた? 執事はいたか? それから、料理人は? 服はどこ製だ? 休暇には何回、芝居を見に行った? 金はいくら持ってきた?」と言った具合である。

私は、まだ八歳にもなっていないような幼い新入りの少年が、こうした尋問にたいして必死に嘘をついているのを見たことがある。

「おまえの家には自動車があるか?」

「うん」

「どんな自動車だ?」

「ダイムラー」

「何馬力だ?」

(しばしの沈黙のあと、思い切った様子で)「十五」

「ライトはどんな種類だ?」

その幼い少年は途方に暮れた。

「ライトはどんな種類だ? 電気式か、アセチレン式か?」

(長い沈黙のあと、再び思い切った様子で)「アセチレン式」

「おいおい! こいつの親父の自動車にはアセチレン式のランプがついてるらしいぞ。そんなもん、何年も前になくなったのに。とんだおんぼろだ」

「くだらん! こいつ嘘をついてるんだ。自動車なんか持ってないのさ。こいつの親父はただの土方だ。おまえの親父は土方だろ」

こうした具合だった。

私の周りで主流だった社会的基準から言えば、私は優良ではなかったし、まったくもって優良になりようもなかった。しかし他のあらゆる種類の美徳は謎めいた相互の関係を持っていて、その多くが同じ人々に属していたように思われた。それは金銭が関わる問題だけに留まらなかった。力強さや美しさ、魅力、スポーツ熱、そして「根性」や「人格」と呼ばれる、実のところ他者に自分の意思を押しつける力を意味するものについても同じだった。私にはそうした資質はどれも無かった。たとえばスポーツの試合では私はまったく無能だった。水泳はかなり得意だったしクリケットはそれなりにできたが、それらには敬意を払われるだけの価値は無かった。なぜなら少年たちは力強さと勇敢さを要求するスポーツにしか重きを置かないからだ。重視されるのはフットボールで、それに関して言えば私は弱虫もいいところだった。私はそいつが大嫌いだったし、楽しくもなかったし得意でもなかったのでフットボールで勇敢さを披露するのは私にとって実に難しいことだった。私にはフットボールは、ボールを蹴って楽しむ遊びというよりはケンカの一種のように思われた。フットボールの愛好者は体の大きな乱暴で貴族的な少年たちで、彼らはやせて小柄な少年たちを殴り倒して踏みつけにするのが得意だった。それは学校生活の縮図……繰り返される強い者の弱い者に対する勝利だった。善は勝利した側にあった。それがあるのは他の者よりも大きく、力強く、顔立ちが良く、裕福で、人気があり、優雅で、不道徳である方…他の者を支配し、いじめ、痛めつけ、馬鹿にし、あらゆる点で彼らに勝る方にあったのだ。生活は序列的なものであり、それが何であろうと実際に起きたことが正しいことだった。一方には強者がいて、彼らは勝つにふさわしく常に勝つ。もう一方には弱者がいて、彼らは負けるにふさわしく常に負ける。それが果てしなく続いていくのだ。

私は主流的な基準に対して疑問を持たなかった。それは目の届く範囲に他の基準が無かったからだ。裕福で、頑健で、優雅で、洒落ていて、力の強い者がどうして間違っていようか? 世界は彼らのものであり、そこに彼らが定めたルールは正しいものに違いないのだ。それにも関わらず、極めて幼い頃から内心での服従が不可能であることに私は気がついていた。私の心の中心では常に内なる自分が目覚めていて、道徳的義務と心理的事実との間の違いを指摘し続けているようだった。それは現実世界、空想世界のあらゆる問題について同じだった。宗教を例に挙げてみよう。神を愛することを求められ、私はそれに疑問を抱かなかった。十四歳になるあたりまで私は神を信じていたし、神に関して与えられた説明が真実だと信じていた。しかし私は自分が神を愛していないことをよくわかっていた。反対に私は神を嫌っていた。同じようにキリストとヘブライの族長も嫌っていた。旧約聖書の登場人物に共感を覚えるとすれば、それはカイン、イザベル、ハマン、アガグ、シセラだった。新約聖書に私の友がいるとすれば、それはアナニヤ、カイアファ、ユダ、ピラトだった。しかし宗教に関わる物事全ては心理的不可能とともにあるように思えた。たとえば聖公会祈祷書は神を愛し、恐れよと教える。しかしどうして恐れている相手を愛することができるだろう? 内心の感情についてもそれは同じだ。何を感じるべきかは多くの場合、十分明確にされていたが、その適切な感情を命令によって引き出すことはできなかった。フリップとサンボに対して感謝の念を抱くことは明らかに私の責務だった。しかし私は感謝などしていなかった。同じように人は父親を愛すべきことは明らかだったが、自分が自分の父親をひどく嫌っていることを私はよくわかっていた。私が八歳になるまで彼はめったに姿を見せず、私にとってはずっと「駄目だ」としか言わない、しわがれ声の年配の男でしかなかった。適切な資質を得たくないだとか、正しい感情を抱きたくないというわけではなく、それができないのだ。善良なことと可能なことは決して両立し得ないように思われた。

ある詩の一行がある。実のところを言えば聖シプリアン校にいた時ではなく、それから一、二年後に出会ったものだが、それは私の心を打って鉛のように重い残響を残した。それは「不変の法則を持つ大群」というものだ。私が完全に理解したところでは、それはルシファー、つまり敗北、それも公正な敗北を期し、復讐の可能性を持たない者の手によるものだった。鞭を持った教師たち、スコットランドの城を持った大富豪たち、巻き髪のスポーツマンたち……彼らは不変の法則を持つ大群だった。当時はそれらが実際には変わり得るものだと気がつくことは容易ではなかった。そして法則によれば私は永遠に呪われていた。金は無く、体は弱く、醜く、人望は無く、慢性の咳持ちで、臆病で、臭かった。付け加えておかなければならないが、こうしたイメージはまったくの嘘でもなかった。私は魅力の無い少年だった。もし以前はそうでなかったとしても聖シプリアン校がすぐに私をそうした。しかし自身の欠点に対する子供の思い込みというものはあまり事実に影響されないものだ。たとえば私は自分が「臭い」と信じていた。しかしそれはたんに一般的な可能性に基づいたものでしかなかった。不愉快な人々は悪臭を放つと悪名高かったので、おそらく自分もそうなのだろうと推測したのだ。また、学校を永遠に離れるまで私は自分が異常なまでに醜いと信じ続けていた。それは同級生が私に言ったことであり、それについて言葉をくれる権威者は他にはいなかったのだ。自分は成功者になれないという確信は、成人後、ずっと後になるまで私の行動に影響を与え続けるほど大きなものだった。三十歳あたりまで私は、大きな仕事はどれも失敗する運命にあると仮定して常に人生を計画していたし、それだけでなく生きられるのはせいぜいあと数年だろうとしか期待していなかった。

しかしこうした罪や避けがたい失敗の感覚は別のものによって補われていた。それは生存への本能である。弱く醜く、臆病で臭く、更生の道も残されていない生き物であっても依然として自らのやり方で生き残り、幸福になろうと欲するのだ。既存の価値基準を反転させたり、自らを成功者へ変えることはできなかったが、自身の失敗を受け入れ、最善を尽くすことはできた。私は自分が自分であることを放棄し、学校での日々を生き延びようと努めた。

生き残ること、あるいは少なくともなんらかの独立を保つことは本質的には犯罪だった。なぜならそれは、その者自身が受け入れている規則を破ることを意味するからだ。私のことを数か月にわたってひどくいじめていたジョニー・ヘイルという名の少年がいた。体が大きく力の強い粗野で顔立ちのいい少年で、顔がとても赤く、黒い巻き髪をしていた。彼はいつも誰かの腕や耳をねじったり、乗馬鞭で引っぱたいたりし(彼は六年生のひとりだった)、またフットボールの試合では驚異的な活躍をしてみせた。フリップは彼を愛していたし(彼が普段から洗礼名で呼ばれていたことがそれを裏付ける)、サンボは彼を「優れた人格を持った」「秩序を保てる」少年であるとほめていた。彼はご機嫌取りの一団を引き連れていたが、彼らは彼のことをストロング・マンというあだ名で呼んでいた。

ある日、私たちが更衣室で外套を脱いでいた時にヘイルがなにか理由をつけて私をいじめたことがあった。私は「彼に口答えをした」すぐさま彼は私の腕をつかんでねじりあげ、ひどく痛めつけるように私の前腕を逆さに曲げた。その顔立ちのいい、嘲りの表情が浮かんだ赤い顔が自分の顔に迫ってきた様子を今でも憶えている。彼は私より年上だったはずで、その上、力もずっと強かった。彼が私を解放した時には恐ろしい邪悪な決意が私の胸の中で形作られていた。彼が予期していない瞬間に彼を殴って仕返ししてやろうと思ったのだ。タイミングが重要だった。「散歩に出ていた」教師がすぐにも戻ってくるだろう。そうなればケンカはできない。私は一分ほど待ってから、できるだけ敵意を隠してヘイルに歩み寄り、全体重を乗せて拳を彼の顔に叩き込んだ。その一撃で彼は背後に吹っ飛び、その口からは血が流れ落ちた。いつもは血色のいい彼の顔が怒りでほとんど黒といっていい色に変わる。彼はその場を離れ、洗面台で口をすすいだ。

「いいだろう!」まるで教師が私たちを追い払う時のように歯の間から声を出して彼が私に言った。

この出来事の後の数日、彼は私を追い回してはケンカを挑んできた。私は取り乱して怯えながらも粘り強くケンカを拒否した。顔へのあの一撃は彼への正当な報いで、あれで終わりであると私は言った。奇妙なことに彼はその場ですぐに襲いかかってはこなかった。皆はおそらく彼がそうするだろうと考えていたのだ。結局、事態は次第に尻すぼみになり、ケンカにはならなかった。

さて、私は間違った振る舞いをしたがそれは彼に劣らぬひどい規範に従ってのことだった。不意を突いて彼を殴ったことは間違いだった。しかしその後で、ケンカになれば彼が私を打ち負かすであろうことを知りながらケンカを拒否したこと……こちらの方がずっとひどい間違いだった。それは臆病からでた振る舞いだった。もし拒否した理由がケンカをよしとしないためだったり、この問題を終わらせるべきだと本当に感じてのことであれば、全く問題は無かっただろう。しかし私が拒否した理由はたんに怖かったからなのだ。私の復讐の正当性はその事実によって空虚なものになった。思慮の無い暴力に捕らわれて私は一撃を加えた。ずっと先にどうなるか慎重に検討せず、ただ今回こそは仕返しをしようと決めて破滅的な結果を招いた。自分のしたことが間違っていると気がつくだけの時間はあったが、それは自らを満足させる犯罪のようなものだった。今や全てが無駄になった。最初の振る舞いには勇敢さとも言うべきものがあったが、それに続いた自らの臆病さにそれは拭い去られてしまったのだ。

私がさして気がつかなかったのは、ヘイルは正々堂々と私にケンカを挑んだが実際に私に襲いかかったりはしなかったということだ。実のところ、その一撃を受けた後、彼が私をいじめることは二度となかった。そのことが持つ意味に気がついたのはおよそ二十年が経った後のことだ。当時の私は、世界の弱者は強者によって支配され、その規範を打ち破るか、さもなくば滅びるしかないという提示された道徳的ジレンマ以上のことには気がつかなかった。もしそうした状況であれば弱者には自分たちのための別の一揃いの規範を作る権利があるということに気がつかなかったのだ。なぜなら、もしそうした考えが頭に浮かんでも、私の置かれた環境にはそれを承認してくれる者は誰もいなかったからだ。私は少年の世界、何も疑問を持たずに強者の論理を受け入れて自らの屈辱を自分より幼い者へと手渡すことで復讐を果たす群生動物の世界に生きていた。私が置かれた状況は無数の他の少年と同じだった。もし彼らの大部分よりも潜在的に私に反逆的なところがあったとすれば、それはひとえに少年の持つ基準から見た時に私が劣ったサンプルだったからだろう。しかし私が反逆的だったのは感情面においてのことだけで知性面ではそうでなかった。頭の足りない利己心、無力さ……もちろん自らを卑下していたわけではなかったが、自分自身を嫌っていたことは確かだ……生存への本能の他には自らを助ける手段を私は何ひとつ持っていなかった。

ジョニー・ヘイルの顔面を殴ってから一年ほどして私は聖シプリアン校を卒業して、以来、戻ることはなかった。それは冬学期の終りのことだった。暗闇を抜けて日の光の下に出てきたような気持ちで、旅支度をするように私は卒業生用のネクタイをつけた。その時の解放感をよく憶えている。まるでそのネクタイが人間であることの証しであり、フリップの声とサンボの鞭から逃れるための魔除けであるかのようだった。私は隷属から抜け出したのだった。パブリックスクールで、聖シプリアン校よりもましな状態になれるとは予測していなかったし、そうあろうとさえ思ってはいなかった。それでも私は抜け出したのだ。パブリックスクールであればもっとプライバシーがあり、放っておかれること、もっと怠けたり、好きに振る舞ったり、堕落するチャンスがあることを私は知っていた。何年もかけて私は決心していた……最初は無意識に、しかし次第に意識的に……ひとたび奨学金を勝ち取ったら、「だらけて」、詰め込みの勉強などもうしないのだ。実際、この決心は完全に実行に移され、私は十三歳から二十二、三歳になるまでの間、避けがたい勉強ですらめったに真面目に取り組むことはなかった。

フリップは手を振って別れの挨拶をした。その時に彼女は私を洗礼名で呼ぶことさえした。しかし彼女の顔と声にはほとんど嘲りともいえる、ある種の恩着せがましい態度があった。彼女がさよならと言うその声の調子は、小さな蝶に彼女がさよならと言っている時のそれに近いものがあった。私は二つの奨学金を勝ち取ったが私は敗北者だった。成功者は何をしたかではなく、何であるかによって測られるのだ。私は「育ちのいい少年ではなかった」し、この学校に金をもたらすこともできなかった。人格も、勇敢さも、健康も、力強さも、金も、良い礼儀や紳士として見られる力さえも持ち合わせていなかったのだ。

「さようなら」フリップの別れ際の笑顔はこう言っているように見えた。「今となっては言い争う価値もありません。聖シプリアン校で過ごした間にあなたはたいした成果も生まなかった。そうでしょう? だからパブリックスクールでもたいしてうまくはいかないと思う。私たちは時間とお金をあなたにかけるという大きな失敗を犯しました。あなたのような出自と態度の少年にはこうした教育はたいして役に立たなかった。あら、私たちがあなたを誤解しているなんて思ってはいけませんよ。あなたが頭の中で考えていることは全て知っているし、私たちが教えたこと全てをあなたが信用していないことも知っています。それに私たちがあなたにしてあげたこと全てにあなたがこれっぽっちも感謝していないことも知っています。だけど今となってはそれを言い立てても仕方の無いことです。もはや私たちはあなたに何の責任もありませんし、二度と会うことも無いでしょう。あなたが私たちの落第生のひとりであることを潔く認めて、わだかまり無くお別れしましょう。それではさようなら」

少なくとも彼女の顔から私が読み取ったものはそれだった。しかしそれでも、その冬の朝、首に巻かれた光沢を放つ新しいシルクのネクタイ(記憶が確かなら暗緑色、淡い青色、黒だったはずだ)とともに列車に揺られながら何とうれしかったことか! 世界は私の目の前でわずかに開かれ、まるで青色の細い裂け目の入った灰色の空のようだった。パブリックスクールは聖シプリアン校よりもずっと楽しかったが、根本的には同じように私はよそ者だった。最も重要な生活必需品が金銭や爵位を持つ親戚、スポーツ熱、注文仕立ての服、きちんとブラシをかけられた髪、魅力的な笑顔であるような世界では私は何の価値もない人間だった。私が手に入れられたのは息をつくための空間だけだった。ちょっとした静けさ、気ままさ、詰め込みの勉強からの小休止……その後に続くのは破滅だ。その破滅がどのようなものなのか、私は知らなかった。おそらくは植民地か、事務所のスツール、おそらくは刑務所か、早死にだろう。しかしそこでの最初の一、二年はファウスト博士のように「だらけて」、罪悪の恩恵を享受することができる。私は自分の呪われた運命を固く信じていたにも関わらず、実に幸福だった。瞬間に生きるだけでなく完全な意識を保ったまま未来を予測し、しかもそれに悩まないでいられるのは十三歳であることの長所だ。次の学期に私はウェリントン校に行く予定だった。イートン校でも奨学金を勝ち取っていたが、空きがあるかどうかが定かでなかったのでまずはウェリントン校に行くことになったのだ。イートン校では自分の部屋を持つことができる……中で火を使うことだってできるような部屋だ。ウェリントン校では壁で仕切られた自分の区画を持つことができ、夜には自分でココアをいれることができる。プライバシーは大人と変わらない! さらにぶらつくための図書館もあるだろうし、スポーツの試合から逃れて夏の午後を過ごすことや田舎をひとりでうろつくこともできはずだ。しかも引率の教師無しだ。一方で休暇のこともあった。前の休暇に買った二十二口径のライフル(クラックショットと呼ばれるもので値段は二十二と六ペンスだった)があったし、クリスマスは翌週に迫っていた。満腹になるまで食べられるという喜びもあった。私は自分の住む町にある店でひとつ二ペンスで買える、ある魅惑的なシュークリームのことを考えた(これは一九一六年のことで食糧配給制度はまだ始まっていなかった)。旅費の計算を少しばかり間違えて一シリングほど余った……旅路の途中のどこかで予定にないコーヒーを一杯とケーキをひとつ、ふたつ買うのには十分だ……というほんのささいなことさえ私を喜びで満たすのには十分だった。私の未来が閉ざされる前に少々の幸福な時間が残されていた。しかし未来が暗いことはよくわかっていた。失敗、失敗、失敗……背後には失敗が横たわり、眼前には失敗が待っていた……それは群を抜いて深く根差した確信で、私はその考えに心を奪われていたのだった。


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