動物農場, ジョージ・オーウェル

出版の自由:「動物農場」前書き


その中心的なアイデアに関して言えばこの本の着想を得たのは一九三七年のことだったが、書き始めたのは一九四三年の終りだった。書き始めた時でもこの本を出版するのが非常に難しいだろうことは明らかだったが(本と名のつくものであれば間違いなく何であっても「売れる」という現在の本不足の状況にもかかわらず)結局、四つの出版社に出版を断られた。その中で思想的な理由で断ったのは一社だけだ。二社はずっと以前から反ロシア的な書籍を出版していたし、もう一社はこれといった政治色の見られない出版社だった。出版社のひとつは最初この本を受け入れたが、出版の準備が終わった後になって情報省情報省:第一次世界大戦末期、第二次世界大戦中に設立された情報機関。一九四六年に中央情報局へ改組された。におうかがいをたてることに決めた。情報省はこの本の出版に対して警告を発したか、少なくとも強く熟慮を求めたらしい。出版社からの手紙の一部を引用する。

情報省のある高官の動物農場への反応については述べたとおりです。この意見表明に私は深く考え込んでしまったことを告白しなければなりません……現時点での出版は不見識なものと見なされるだろうというのが今の私の考えです。もしこの寓話が独裁者全体と独裁体制一般に関するものであれば出版には何の問題もないでしょう。しかし私の見たところではこの寓話は間違いなくロシア・ソビエトの状況とそこにおける二人の独裁者をモデルにしていて、当てはまるのはロシアだけで他の独裁体制は排除されています。もうひとつあります。この寓話での支配階級が豚でなければもっと穏当なものになっただろうということです[下記注記]。支配階級として豚を選んだことは間違いなく多くの人々、とりわけ少々怒りっぽい人々には不快感を与えるでしょう。そしてロシア人がそうであることは疑いありません。

[注記:この修正案が某氏の独自のアイデアなのか情報省の発案なのかははっきりしないが、これに関しては公的な警告に思われる(オーウェルによる注記)]

こうしたことは良い兆候ではない。公的な資金提供を受けていない書籍に対して政府機関が多少たりとも検閲する力(戦時であれば誰も反対しないような安全保障のための検閲は別だ)を持つということは明らかに望ましいことではない。しかし現在、思想と言論の自由に対して起きている大きな危機は情報省やその他の公的機関による直接的な干渉ではない。出版社や編集者が特定のテーマを出版から排除するとすれば、それは起訴されることではなく世論を恐れてのことなのだ。この国では作家やジャーナリストが直面する最大の敵は知的な臆病さであるが、この事実に対してそれにふさわしいだけの議論がされているように私には思えないのだ。

報道の経験を持ち、公平に物事を判断する人物であれば誰しも今回の戦争の間、公的な検閲はそれほど厄介な問題になっていないということを認めるだろう。そうなってもおかしくはなかったかもしれない全体主義的な「調整」に私たちは従わずに済んでいる。報道はもっともな不満の声をいくらか漏らしてはいるが全体的に見れば政府はうまくことを運んでいるし、驚くほど少数意見に寛容だ。イングランドでの文学の検閲で不吉なのはその大部分が自発的におこなわれているということなのだ。

評判の悪い考えは沈黙させられ、不都合な事実が暗闇に閉じ込められる。それにはどのような公的な禁止令も必要とはされない。外国で長く暮らしたことがある者であれば誰しも衝撃的なニュース記事……本来の価値からすれば大きな見出しをつけられてしかるべきものが、イギリスでの報道から完全に排除されている例を知っているだろう。それは政府による介入ではなく、特定の事柄に関しては言及「すべきでない」という広がった暗黙の了解によるものなのだ。日刊紙のやり方を見ればそれを容易に理解することができる。イギリスの報道機関は極度に中央集権化され、そのほとんどは特定の重要なテーマに対して不誠実になる動機を十分に持った裕福な人物に所有されているのだ。しかし同様の隠れた検閲は書籍や定期刊行物でもおこなわれている。演劇や映画、ラジオも同様だ。どんな時でも正統な思想体系というものは存在し、正しい考えを持った人々であれば疑問の余地なくそれを受け入れるものだと考えられている。それについてとやかく言うことが明確に禁じられているわけではないが、そう「すべきでない」のだ。それはちょうどビクトリア時代のさなかには女性がいるところでズボンのことを口に出すのは「すべきでなかった」のと同じだ。広く受け入れられている正統に戦いを挑む者は誰しも自らが驚くほど効率的に沈黙させられることに気がつく。大衆紙だろうと高尚な定期刊行物であろうと、誠実で流行りに乗らない意見に耳が傾けられることはほとんどない。

現在、広く受け入れられている正統が要求しているのはソビエト・ロシアへの無批判な称賛だ。全ての者がこれを知っていてほとんどの者がそれに従っている。ソビエト体制に対する強い批判、ソビエト政府が隠しておきたいだろうと思われる事実を出版することはほとんど不可能な状態だ。そして私たちの同盟国へのお追従という国全体に広がるこの共謀は奇妙なことに知識人たちの心からの寛容を背景としているのだ。ソビエト政府への批判は神経の働きが許さない一方で、少なくとも自国への批判はある程度自由におこなわれる。スターリンへの攻撃を出版しようというものはほとんどいないがチャーチルへの攻撃はそれが書籍でも定期刊行物であってもまったく問題にならない。そして戦時の五年間を通して見ると私たちが国家の存亡をかけて戦っていたそのうちの二、三年の間は、譲歩して講和すべきであると主張する無数の書籍、パンフレット、記事が何の障害もなく出版されていた。さらに言えばそれらの出版にはたいして非難の声も上がらなかった。ソビエト連邦の威信に関わることでなければ言論の自由の原則はおおむね守られていたのだ。他にもタブーとなっているテーマはあるし、そのうちのいくつかについてここで言及してもいいが、ソビエト連邦に対する広く受け入れられている態度は中でもとりわけ深刻な症状を示している。それらは一貫して自発的におこなわれ、どのようなものであれ圧力団体によって強いられてのものではないのだ。

イギリスの知識人の大半が受け入れているこの奴隷根性と一九四一年以来続く繰り返されるロシアのプロパガンダには、もしそれに先立ついくつかの機会で彼らが同じように振る舞っていなければ実に驚かされたことだろう。次々に起きる議論を呼ぶ問題でロシアによる見解は検証されることなく受け入れられ、歴史的真実や知的な慎みを完璧に無視して出版された。ひとつだけ例を挙げるとBBCは赤軍の二十五周年をトロツキーに触れることなく祝った。これはネルソンに触れずにトラファルガー海戦の記念日を祝うことに等しいが、イギリスの知識人から抗議の声が上がることはなかった。さまざまな被占領国での内部紛争ではイギリスの報道機関はほとんどの場合においてロシアの意に適った派閥の側に立って反対の派閥を中傷し、時には都合の悪い物的証拠を隠しさえした。それがとりわけ目立った例がユーゴスラビア・チェトニックチェトニック:第二次世界大戦中にセルビア人将校を中心にユーゴスラビアで組織されたナチス・ドイツに対する抵抗組織の指導者だったミハイロヴィッチ大佐だ。独自のユーゴスラビア支援をチトー元帥に与えていたロシア人たちはミハイロヴィッチがドイツと手を結んでいると非難した。この非難は即座にイギリスの報道機関に取り上げられたが、ミハイロヴィッチの支持者たちに反論の機会が与えられることはなく、この非難と矛盾する事実は完全に印刷対象から取り除かれていた。一九四三年七月、ドイツはチトー捕縛に十万クラウンの懸賞金をかけ、ミハイロヴィッチ捕縛にも同様の懸賞金をかけた。イギリスの報道機関はチトーにかけられた懸賞金については「大きく」書き立てたが、ミハイロヴィッチにかけられた懸賞金について報じたのは一紙だけ(それも小さな記事だった)で、ドイツと手を結んでいるという告発はその後も続けられた。スペイン内戦でもとてもよく似たことが起きていた。その時もロシアが壊滅させることを決めた共和国側の派閥に対してはイギリスの左派報道機関から無根拠な中傷の声が浴びせられ、擁護の声はたとえそれが投書であっても公表を拒否された。現在ではソビエト連邦に対する強い批判は不適切であると考えられているだけでなく、そういった批判が存在するということさえもが場合によっては秘密のままにされている。例えばトロツキーは死ぬ少し前にスターリンの伝記を書いていた。それがまったく偏りのないものであると考える人間はいないだろうが、よく売れるだろうことは明らかだった。アメリカのある出版社が発行の準備をし、その本は出版された……書評用のコピーが送られてきたのだ……そしてソビエト連邦が参戦した。本はすぐさま回収された。この本については一語たりともイギリスの報道には現れなかった。そういった本が存在すること、そしてそれが隠されたことには明らかに数段落を費やすだけのニュース価値があるのにもかかわらずだ。

イギリス文学界の知識人たちが自発的に取り組んでいる検閲と圧力団体によって時に強いられる検閲を区別することは重要だ。「既得権益」が理由で特定のテーマについて議論できないことは有名だろう。最も有名な例は特許薬にまつわる騒動だ。またカトリック教会も報道に対してかなりの影響を持ち、自らへの非難をある程度までは口止めさせることができる。カトリックの司祭が関わるスキャンダルはほとんどおおやけになることはないが、英国教会の司祭がやっかいごとに巻き込まれた場合(例えばスティフキーの教区牧師スティフキーの教区牧師:1932年に起きたスティフキーの教区牧師であるハロルド・デイビッドソンによるスキャンダルを指す)は大見出しのニュースになる。それが何であれ反カトリック的なものが舞台や映画に現れることは非常にまれだ。どの役者に尋ねても言うだろう。カトリック教会を攻撃したり笑いものにしたりする劇や映画は報道からボイコットされやすく、多くは失敗に終わるのだと。しかしこれらはたいした害もないし、少なくとも理解可能なものだ。巨大な組織は可能な限り自らの利益に気を配るものだし、あからさまにおこなわれるプロパガンダは反対すべきものでもない。デイリー・ワーカー紙がソビエト連邦に関する不都合な事実を報じる可能性はカトリック・ヘラルド紙がローマ法王を非難する可能性とたいして変わらない。しかし思慮ある人であれば誰しもデイリー・ワーカー紙やカトリック・ヘラルド紙が何のためのものかは知っている。不安なのはソビエト連邦とその政策が関係する場合には賢明な批判は期待できないということ、さらには多くの場合そうであるように、意見を捻じ曲げようとする直接的な圧力の下にないリベラルな作家やジャーナリストのごく当たり前の公正ささえ期待できないということなのだ。スターリンは神聖不可侵であり、その政策の特定の側面について真剣な議論をおこなうことは許されない。一九四一年以来、このルールはほとんど全ての場所で観察されている。しかしこれまでときおり見られたよりもその程度が増しているとはいえ、それに先立つ十年の間もおこなわれていたことだ。当時からソビエト体制に対する左派からの批判は大変な苦労なくしては耳を貸してもらえなかった。反ロシア的な文学作品は大量に書かれていたがそのほとんど全てが保守の立場からのものであり明白に不誠実かつ時代遅れで、卑しむべき動機に基づくものだった。一方で同じくらい大量で、ほとんど同じくらい不誠実な親ロシアのプロパガンダの潮流もあり、極めて重要な疑問について成熟したやり方で議論しようとする者は誰であろうと排斥しようという動きもあった。確かに反ロシア的な本を出版することはできるだろうが、そうしたところで高尚な報道機関全体からは私のように無視されるか間違ったことを伝えられるだけだ。公的にも私的にも「そうすべきでない」と警告を受けることだろう。その発言は真実である可能性もあるが「不適切」であり、あれやこれやの反動主義者に都合のいいように利用されてしまうというのだ。こうした態度は普通は国際情勢、そして英露同盟の緊急の必要がそれを要求していることを理由に擁護される。しかしこれが言い訳であることは明らかだ。イギリスの知識人、その大部分はソビエト連邦に対するナショナリスティックな忠誠心を育んでいるが、彼らはスターリンの英知へ疑問を投げかけることをある種の冒涜行為であると心の中で感じているのだ。ロシアでの出来事と他の土地での出来事は異なる基準で判断される。一九三六年から一九三八年にかけての粛清での終わりなき処刑は生涯にわたる死刑反対論者によって称賛された。飢饉がインドで起きた時にはおおやけにし、ウクライナで起きた時には隠蔽する、それはどちらも同じように適切な振る舞いであると見なされた。戦争前の時期のこれらが真実であるとすれば、知識人たちの空気は間違いなく今も良くなってはいない。

しかし今は私のこの本の話に戻ろう。ほとんどのイギリス知識人のこの本に対する反応は実にシンプルなものだろう。「出版されるべきではなかった」だ。当然のことではあるが、中傷の技術に長けた書評者たちは政治的な背景でなく文学的な背景に対して攻撃をしかけることだろう。退屈で馬鹿げた本であり、恥ずべき紙の浪費だと言うことだろう。それは真実かもしれないが、それで終わる話でないことは明らかだ。ただ粗悪な内容であるというだけの本が「出版されるべきではなかった」と言われるはずがない。そもそも大量の駄作が毎日のように印刷されているが、それにいらだっている者などいないのだ。イギリスの知識人、あるいはそのほとんどがこの本に反対するのはこの本が彼らの指導者を非難し(彼らが考えるところでは)進歩の原動力に対して有害であるからなのだ。もしこれが逆だったら、明らかな文学的失敗が十倍あったところで何の声も上がらないことだろう。例えばここ四、五年にわたるレフトブッククラブの成功は、下品でぞんざいな著作にどれだけ彼らが寛容に振る舞うつもりかを示し、彼らが何を耳にしたいのかを教えてくれる。

ここで重要になる点は非常にシンプルなものだ。全ての意見は、たとえ評判が悪くとも……さらには馬鹿げたものである場合でさえも……聞くに値するものなのか? こうした形で質問すればほとんど全てのイギリスの知識人は「イエス」と答えるべきだと感じることだろう。しかし具体的な例を出して「スターリンに対する攻撃はどうか? 聞くに値するか?」と尋ねれば、たいていは「ノー」と答える。現在の正統に対して異議申し立てがなされている場合には言論の自由の原則もなおざりにされるのだ。さて、人が言論と出版の自由を求める時、それは絶対不変の自由を求めているわけではない。組織だった社会を維持する以上、ある程度の抑圧というものは必ず存在するし、いずれにせよ存在し続けるだろう。しかし自由とはローザ・ルクセンブルクローザ・ルクセンブルク:ドイツで活動したポーランド出身のマルクス主義思想家、革命家。ドイツ共産党創設者のひとり。が言うように「他者のための自由」なのだ。同じ原則はヴォルテールヴォルテール:フランスの哲学者、作家、文学者、歴史家。ルソーやロックとともに啓蒙主義を代表する人物のひとり。のあの有名な言葉「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」にも含まれている。疑いなく西欧文明の特徴のひとつであるこの知的自由が何がしかを意味するとすれば、それは全ての者が自らが真実と信じることを口にし、印刷し、コミュニティーの他の全員に害をなさない限りにおいて何らかのまったく間違いのないやり方で提供するということを意味しているのだ。資本主義民主主義、西欧版社会主義の両方がつい最近までこの原則を当然のこととして扱っていた。既に指摘したように私たちの政府はこの点についてはまだいくらかは配慮を示している。通りを行く普通の人々は……おそらく部分的には、それらに不寛容になるほどの関心がないせいもあるだろうが……漠然とだがまだ「誰しも自分の意見を持つ権利はあるものだ」と考えている。理論においても実践においても自由を嫌悪し始めているのは唯一、あるいは主に文学と科学に通じた知識人たち、まさに自由の守護者であるべきその人たちなのだ。

私たちの時代に特有な現象のひとつは自由主義に対する背信である。「ブルジョワの自由」は幻想であると主張するおなじみのマルクス主義者に加えて、民主主義を守れるのは全体主義的方法だけであるという議論が現在、広く見られる。その議論では、民主主義を愛しているのであればその敵を叩き潰すのに手段を選ぶべきではないとされるのだ。民主主義の敵とは誰なのか? 意識的な攻撃を公然としかける者だけでなく、誤った考えを広めることで「客観的」に危険を及ぼす者もそう見なされるのが常だ。この議論は例えばロシアでの粛清を正当化するのに使われた。熱烈なロシア愛好家のほとんどは粛清の犠牲者が全員、起訴された罪状全てで有罪であるとは信じていなかった。しかし異端的な意見を持つことで彼らは「客観的」に体制に害をなしているのであるから、間違った告訴理由で汚名を着せ、虐殺することはまったくもって正しいことなのだ。同じ議論はスペイン内戦でトロツキストとその他の共和派少数派に対して左派の報道機関がおこなった完全に自覚的な虚偽報道を正当化する際にも使われた。そして一九四三年にモズレーモズレー:オズワルド・モズレー。イギリスファシスト連合の指導者。が釈放された際に人身保護令状に対して吼えたてる理由として再び使われたのだ。

こうした人々が理解していないのは、もし全体主義的方法を推し進めればそれが自らに対して使われる時が来るかもしれないということだ。裁判なしでファシストを投獄することが当たり前になれば、その対象がファシストに留まることはおそらくない。デイリー・ワーカー紙への発禁処分が解除されたすぐ後、私はサウス・ロンドンの労働者向けの大学で講義をおこなったことがある。聴衆は労働階級と下位中流階級の知識人……レフトブッククラブの支部で出会うのと同じ種類の人々だ。その講義では出版の自由に触れていたのだが、講義の最後で驚いたことに数人の質問者が立ち上がって私にこう質問した。デイリー・ワーカー紙への発行禁止措置の解除は大きな誤りだと思わないか? なぜかと尋ねると、忠誠に疑問のある新聞であり戦時では許容できないものだと彼らは答えた。気がつくと私はひどいやり方で一度ならず私を中傷していたデイリー・ワーカー紙の弁護をしていた。しかしこうした人々はいったいどこでこの本質的には全体主義的であるものの見方を学んだのだろう? まず間違いなく彼らは共産主義者そのものからそれを学んだのだ! 寛容と礼儀正しさはイングランドに深く根ざしたものだが絶対破壊不可能なものではなく、なかば自覚的な努力によって生かし続けるべきものだ。全体主義的な教義を説くことによってもたらされるのは、何が危険で何が危険でないかを判断する自由な人々の直観の弱体化なのだ。モズレーの例がそれを描き出している。一九四〇年においては彼が実際に犯罪をおこなっていようがいまいがモズレーの拘禁は完全に正しいものだった。私たちは自らの命をかけて戦っていて、売国者である可能性がある者を自由にしておく余裕はなかった。一九四三年においては裁判なしで彼の拘禁を続けることは侵害行為だ。大勢の人間がこれを理解できないのは悪い兆候である。たとえモズレー釈放への反対運動であげられている不満の声には不自然なものともっともなものが入り混じっていることが真実であってもこれは変わらない。しかしファシスト的思考方法へと向かう現在の地滑りのどれほどが過去十年の「反ファシズム」とその不誠実さを原因としているのだろうか?

現在見られるロシアに対する熱狂は西側における自由主義の伝統の全体的な弱体化の現れのひとつに過ぎないことを理解することは重要である。この本の出版に対して情報省が口出ししたり最終的には禁止したりしたところで、イギリスの知識人の大半はそれに何ら不安を感じないだろう。ソビエト連邦に対する無批判な忠誠こそが現在の正統であり、ソビエト連邦の利害に関わるとなれば彼らは検閲だけでなく意図的な歴史の改竄でさえも容認するつもりなのだ。ひとつ例を挙げよう。「世界をゆるがした十日間」……この本はロシア革命初期を直接取材している……の著者であるジョン・リードが死んだ時、この本の著作権はイギリス共産党の手にわたった。リードが遺贈したのだろう。数年後、イギリス共産党は可能な限り完璧にオリジナル版を破壊し、事実をねじ曲げた版を出版した。トロツキーへの言及は消し去られ、レーニンによって書かれた前書きも省略されていたのだ。もしラディカルな知識人がまだイギリスに残っていれば、この偽造行為は全国の文芸誌の全てで暴露され非難されたことだろう。実際には抗議の声はほとんど上がらなかった。イギリスの知識人の多くにとってはそれは当然の行為に思われたのだ。そしてこの明白に不誠実な行為に対する寛容はロシアに対する称賛という当時の流行以上の意味を持つ。流行の一種であればそれがずっと続くことなどあり得ない。この本が出版される頃にはソビエト体制に対する私の見解が一般に受けいれられるものになっているかもしれない。しかしいったいそれに何の意味があるだろう? ある正統が別の正統へと変わることが常に進歩であるとは限らない。敵は蓄音機のような精神なのだ。その瞬間に演奏されているレコードの内容が同意できるものかどうかは関係ない。

思想や言論の自由に反対する議論について……そんな自由は存在し得ないという主張も、認めるべきでないという主張も……私はよく理解している。端的に言えばそれらが私を納得させることは無かったし、四百年の期間にわたる私たちの文明に至る過程は逆の理解を基礎としている。過去十年の全体にわたってロシア体制のあり方はだいたいにおいて邪悪なものだったと思うし、そう口にする権利を私は主張したい。たとえ私が勝利を望んでいる戦争で私たちがソビエト連邦と同盟を結んでいようとそれは変わらない。もし自身を正当化するための言葉を選ばなければならないと言うのであれば、ミルトンミルトン:ジョン・ミルトン。イギリスの詩人。の言葉を引用しよう。

古くからの自由のよく知られたしきたりによって。

「古くからの」という言葉は、知的自由は深く根差した伝統であること、それ無しで私たち特有の西欧文化が存続し続けるかは強く疑問であることを強調している。多くの知識人たちがこの伝統に背いていることは明らかだ。彼らはある本が出版されるべきか規制されるべきか、称賛されるべきか非難されるべきかはその本の持つ価値ではなく政治的都合によって決まるという原則を受け入れてしまったのだ。そして実際にはこの考え方を持っていない他の者たちはまったくの臆病からこれに賛成している。その例のひとつがロシアの軍国主義に対して広まる崇拝へ向かってイギリスの多くの声高な平和主義者が反対の声をあげられないでいるという事実だ。彼ら平和主義者によれば暴力は全て悪であり、降伏か、少なくとも講和を選ぶべきだと戦争の全ての段階で彼らは呼びかけてきた。しかし赤軍によっておこなわれている戦争も同様に悪であると唱えた者が彼らの中に何人いるだろうか? どうやらロシア人たちは自衛の権利を持つが、私たちが同じことをおこなえばそれは死に値する罪であるようなのだ。この矛盾を説明する方法はひとつしかない。多くの知識人との良好な関係を続けたいという臆病な欲求によるもので、その知識人たちは自らの愛国心をイギリスよりもソビエト連邦へと向けているのだ。イギリス知識人たちの臆病と不誠実に十分な理由があることはわかる。彼らが自らを正当化するために繰り広げた議論を私は暗記してしまったほどだ。しかし少なくともファシズムから自由を守るということについてこれ以上、馬鹿げたことを続けるべきではない。もし自由に何がしかの意味があるとすれば、それは人々が耳にしたくないことを彼らに告げる権利を意味するのだ。一般の人々は漠然とではあるがまだこの原則を受け入れ、それに従って行動している。私たちの国においては……全ての国で同じというわけではない。共和政フランスではそうではなかったし、現在のアメリカ合衆国でも違う……自由を恐れるのは自由主義者であり、知性を汚そうとするのは知識人たちなのだ。この事実に注意を促すために私はこの前書きを書いた。

1945年

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