グリーン・ゲイブルズのアン, ルーシー・モード・モンゴメリ

道の途中の曲がり角


マリラは翌日町にでかけ、夕方になって戻ってきた。アンは果樹園坂までダイアナと出かけていたが、帰ってみるとマリラが台所にいるのに気がついた。椅子に座りこんで、テーブルに肘をつき頭を支えている。どこか様子がおかしい。意気消沈した姿に、アンは急に寒気を憶えた。これほどぐったりと弱々しいマリラは初めてだった。

「だいぶ疲れてるんじゃない、マリラ?」

「そうだね――いや――どうだろう」とマリラ。見上げる顔が疲れ切っている。「疲れたんだろうね、でも気が付かなかったわ。そんなんじゃないの」

「眼科の先生には診てもらったんでしょ? 何か言ってた?」アンが心配して訊ねた。

「ええ、診てもらったわ。先生が目を検査してくれたの。そしたら、読んだり縫ったりするのはすっかり止めて、目の負担になるような仕事も止めて、泣かないように気をつけて、先生のくれた眼鏡をかけて、それができたら、今以上に悪くならないかもしれないし、頭痛も直るんじゃないか、と言われたわ。でも、それができなければ、六ヶ月で完全に失明だって。失明よ! アン、考えてもみて!」

「そんな!」と狼狽して叫んだきり、しばらくの間アンは口がきけなかった。声を出そうとしても出てこない。それから懸命に口を開いたが、言葉につまって思うようにしゃべれない。

「マリラ、そんな風に考えないで。希望があると言ってくれたのよ。注意さえすれば、全然目が見えなくなることはないのよ。それに、眼鏡で頭痛が直るんなら、たいしたものじゃない」

「どれほどの希望だっていうの」マリラが苦々しく言った。「何のために生きていけば良いの、読んだり縫ったり、何もできなくなるのよ? 目が見えない方がまだまし――死んだ方がましだわ。何が泣かないようによ、寂しくなったらどうしようもないじゃない。だけど、まあ、こんなこと言ってても良いことないわ。お茶を入れてもらえると有り難いんだけど。くたびれちゃってね。とにかくこのことは、しばらく黙っておいて。押しかけられて、あれこれ聞かれたり同情されたりするのはご免だから」

マリラが軽く食事を済ませると、アンはベッドで休むよう促した。それから、アンは東の切妻に重い足を運び、窓のそばに腰を下ろした。真っ暗で一人きり。涙が溢れて心が重く沈んでいく。悲しいほど何もかも変わってしまった、家に戻ってここに座ったあの晩を最後に! あの時は、溢れる夢を追いかけて舞い上がっていた。バラ色の未来が約束されているように見えたのに。あの日から何年もの年月が流れたような気がする。けれど、ベッドに入る頃には、口元に笑みがよみがえり、心には平穏が戻っていた。勇気を持って正面から見据えてみると、義務と仲良くなれることが分かったのだ――率直につきあえば、いつでも義務とはそんな関係になれるものだから。

それから数日が過ぎたある午後に、マリラが庭から重い足取りで戻ってきた。今までそこで客と立ち話をしていたのだ――客の男は、アンも顔を見かけたことがある、カーモディーのジョン・サドラーだった。いったい何の話だったんだろう、マリラの表情がただ事じゃない。

「サドラーさん何だって、マリラ?」

マリラは窓辺に座り込んでアンを見た。眼科医から禁止されたにも関わらず、もうどうにでもなれとばかりに目に涙を浮かべ、途切れ途切れにこう言った。

「グリーン・ゲイブルズを売る話を聞きつけたのよ。ここを買いたいと言ってたわ」

「ここを買う! グリーン・ゲイブルズを買う?」アンは耳を疑った。「そんな、マリラ、嘘でしょ、グリーン・ゲイブルズを売るなんて!」

「アン、他に手が無いのよ。あれこれ考え抜いたわ。もし目さえ悪くなければ、ここに居て、ちゃんとした雇い人を雇って、家のことを面倒みたり、なんとか暮らしていけるのよ。でもこんなありさまじゃ、それもできない。すっかり目が見えなくなるかもしれないもの。いずれにせよ、とてもじゃないけどやっていけないわ。ああ、あたしの目の黒いうちに、自分の家を売る日がくるとは思わなかった。だけど、後になるほど条件は悪くなる一方だろうし、買いたい人がいなくなってからでは遅いのよ。うちのお金は一セント残らずあの銀行に預けてたからね。それに、去年の秋にマシューが振り出した未払の手形も残ってる。リンドさんが、農場を売ってどこかに下宿したらと言ってくれたわ――あたしの家に下宿しろ、ということかもしれない。一緒に住ませてもらうことになるんでしょうね。うちの畑と家じゃそれほどお金にならないのよ――狭いし建物が古いから。でも、あたし一人が世話になるには充分でしょ。奨学金を取ってくれて助かったわ、アン。済まないわね、大学の休みに帰る家がなくなって。気掛かりはそれだけよ。だけど、あんたならきっと上手くやれるわ」

マリラが激しく泣き崩れた。

「グリーン・ゲイブルズを売っちゃ駄目」アンがきっぱり言い切った。

「ああ、アン、それに越したことはないわ。だけど、あんただって分かるでしょ。あたし一人でここに居るなんてとても無理。心配で寂しくて気が変になっちゃうわよ。それにきっと目が――きっとそうなるわ」

「一人でここにいなくて良いのよ、マリラ。あたしが一緒にいるんだもの。あたし、レドモンドにいかないことにしたの」

「レドモンドに行かない!」マリラは覆っていた両手から顔を上げて、アンを見つめた。「それ、どういうこと?」

「今言った通り、そういうこと。奨学金の権利は放棄するつもり。マリラが町から帰った晩に決めたの。マリラを一人でほったらかして苦労をかけるなんて思わないでね、マリラ、あんなにあたしのために尽くしてくれたじゃない。あたしね、これからどうしたら良いか、ずっと考えてたの。あたしの立てた計画を説明するね。バリーさんが、来年用に農場を借りるつもりなの。だからこの件はこれ以上悩まなくて良いわけ。それから、あたしは学校で教えるつもり。ここの学校に申し込んでてね――だけど取れそうにないの、理事会はギルバート・ブライスと契約したって聞いてるから。でもカーモディーの学校なら取れるわ――ブレアさんがゆうべお店でそう言ってたもの。そうなればもちろん、アヴォンリーの学校で教えるみたいに楽でもないし、行き来も便利じゃないけどね。でも、家から通えるし、カーモディーまでなら自分で馬車を操って行き来できるわ。少なくとも暖かいうちは大丈夫。それに、冬になっても金曜には帰ってこれるもの。だから馬は売らないことにしようね。ね、どこにも漏れがないように計画したのよ、マリラ。マリラに本や新聞を読んであげたり、元気づけたりしてあげる。つまらないとか寂しいとか感じないで済むわ。そしたら、ここで一緒に楽しく幸せに暮らせるのよ、マリラもあたしも」

マリラは黙って聞いていた。まるで夢のような話だった。

「ああ、アン、あんたがここにいてくれるなら、本当に楽に暮らせるのは確かだわ。でも、あたしのためにあんたを犠牲にするなんて、とてもできない。ひどすぎるわ」

「馬鹿馬鹿しい!」元気にアンが笑った。「犠牲なんかじゃない。グリーン・ゲイブルズを放りだしてしまうのが何より悪いことよ――これほど辛いことはないの。いままでずっと暮らしてきたこの素敵な場所を、二人で守らなきゃ。あたし決めちゃったわよ、マリラ。レドモンドには行かない。それから、絶対ここに居て教師をする。あたしのことはちっとも心配することないの」

「しかしね、あんたの夢が――それに――」

「夢は捨ててない。今までと同じよ。ただね、夢の方向を変えただけ。素敵な先生になるの――あと、マリラの目の負担にならないように、あたしがマリラの代わりをする。それから、家で勉強して、自費で大学の短期講座を取ってみるつもり。ああ、やるべき事は山ほどあるわ、マリラ。ここ一週間、そのことばかり考えてたの。ここで全力で生きていくつもりだし、それだけ何か得るものがあるはずよ。クイーンを卒業した時、未来は、ここからどこまでも伸びてゆく、真っ直ぐな一本道のような気がしてた。道沿いに、目指すべきたくさんの道しるべが見えるものだと思ってた。だけど今、途中で曲がり角にぶつかったの。この曲がり角の向こうに、何が待っているのか分からない。けど、信じてみようと思うの、全力を尽くせばきっと報われるって。人を引きつける何かはそこにも、その曲がり角にもあるのよ、マリラ。この道は角の向こうでいったいどこにつながっていくんだろう――燃え上がる緑と、柔らかい光と影の綾織りの世界なのか――見知らぬ景色か――あるいは未知の絶景――なだらかな斜面や小山や窪地が遠くまで続いているのかもね」

「せっかく取れたのに、無理に諦めさせちゃ悪いわ」と、マリラが奨学金のことを持ち出した。

「そんなこと言っても止められないんだから。あたしはもう十六歳半、『頑固でラバみたい』なの、リンドさんが前に言ってた」と笑うアン。「ねえ、マリラ、可哀想なんて思わないで。可哀想がられるのは好きじゃないし、必要も無いの。あたし心底嬉しいのよ、何と言っても愛しのグリーン・ゲイブルズに居られるんだもん。誰でもない、マリラとあたしが一番ここを大切に思ってるんじゃない――それなら二人で守らなくちゃね」

「あんたは、あたしには過ぎた娘だわ!」とマリラが折れた。「あんたは、あたしに人生をやり直させてくれた気がする。本当ならここで頑張って、大学に入れてやるべきところなんだろうね――でもそれが無理なのは分かってるし、だから無理を通すのはやめるわ。でもきっといつか、この埋め合わせはするわよ、アン」

じきに、アヴォンリー中にあれこれとうるさい噂が広がった。何でも、アン・シャーリーが大学に進むつもりだったのをやめて、家に居残って教師をするらしい、とのことだ。すると、村中で大いに議論が盛り上がった。気の良い村人達のほとんどは、マリラの目のことを知らなかったから、口には出さずにアンの馬鹿さ加減を嘆いていた。そんな中で、アラン夫人は例外だった。夫人から、私は賛成だと告げられると、アンは嬉しくて泣けてきた。気の良いリンド夫人も例外の一人だった。ある日の夕方、夫人が来てみると、アンとマリラが正面玄関の所に座っていた。まだ暑い、花香る夕暮れ時のことだった。二人とも、夕暮れが近づく頃に、そうして座っているのが好きだった。黄昏が近づいて、庭で白い蛾が飛びまわり、さわやかなそよ風にミントの香りが満ちていた。

レイチェル夫人は、玄関のそばの石のベンチの上に、よっこらしょと存在感のある体を落ち着けた。その背中の向こうに見えるのは、背の高いピンクと黄色のタチアオイ。疲れてほっとしたのか、大きくため息をついた。

「やっと座れて嬉しいことだわ。一日中立ちっぱなしだったの、二百ポンド[訳注:約九十キログラム]の重さを、二本足でえっちらおっちら運ぶのはえらく骨だわ。太ってないのはとても有り難いことよ、マリラ。あんたは感謝した方が良いわね。それで、アン、大学に進もうなんて気まぐれはよしたそうね。それを聞いてほんとに嬉しかったわ。あんたはもう充分教育を受けたんだからね、これ以上受けても女には荷が重いだけよ。娘が男に混じって大学に行ったり、ラテン語とかギリシャ語とか他の馬鹿なことを頭に詰めこむのは、どうかと思うわ」

「でもラテン語とギリシャ語はこれまで通り勉強するのよ、リンドさん」と笑うアン。「このグリーン・ゲイブルズにいたまま文学コースを取るつもりだし、大学で取るつもりだった科目もみんな勉強するわ」

リンド夫人は、何を考えてるんだかこの娘は、とあきれて両手を上げた。

「アン・シャーリー、それじゃあんた死んじゃうわよ」

「ちっとも心配無いわ。ちゃんと上手くやっていけるから。あのね、何も無理しようって言ってるんじゃないの。『ジョサイア・アレンの奥さん』の言葉を借りると、『度を越さねえ』ようにするつもり。でも長い冬の晩なら充分時間は取れるし、だいたい手芸なんかに向いてないもの。ほら、あたし向こうのカーモディーで教えることになってるから、ちょうど良いじゃない」

「ちょうど良いか怪しいものね。あんたはこのアヴォンリーで教えることになると思うわ。理事会はあんたを取ることに決めたのよ」

「リンドさん!」アンが叫んだ。あんまり意外で思わず立ちあがってしまう。「うそでしょ、ギルバート・ブライスと契約したって思ってたのに!」

「その通り。だけどギルバートは、あんたが申し込んだって聞いて、すぐに理事会に顔を出したのよ――昨夜は学校で打ち合わせがあったじゃない――自分の申し込みは取り下げることにしたので、あんたのを受理したらどうかって説得したわけ。ホワイト・サンズで教えることにするので、こっちは問題ないからってね。もちろん、取り下げたのはあんたのため以外の何ものでもないわ、どれほどあんたがマリラと居たいか分かってるからね。ほんとに親切で思いやりがあるじゃないの、全くそう思うわ。本物の自己犠牲でもあるわよ、ホワイト・サンズで下宿する分、お金がかかるんだし、自力で稼いで大学を目指しているのは誰でも知ってることだもの。そんなわけで、理事会はあんたを取ることに決めたのよ。トマスが帰ってきて話してくれた時は、もう嬉しくて居ても立ってもいられなかったわ」

「そんなの、はいそうですかって受けられるわけないよ」アンが呟く。「えっと――ギルバートにそんな無理させるなんて悪いわ、それも――それも、あたしのために」

「今更元には戻せないと思うわ。ホワイト・サンズの理事会との契約はサイン済みよ。だから、あんたが受けるのを嫌がってみても、それでギルバートの得にはならないの。いいから、ここの学校を受けなさい。問題なくちゃんとやれるわ、もうパイ家の子はいないんだから。ジョージーが一番最後だったし、いなくなってせいせいするわね、全く。あっちのパイ、こっちのパイと、ここ二十年ずっとアヴォンリーの学校に来続けたものよ。あの子達の使命は、学校の先生達に繰り返し思い知らせることじゃないの、地上は安らげる場所ではないとね。あらまあ! いったい何をしてるんだろう、バリーの切妻でチラチラ、ピカピカしてるじゃない?」

「ダイアナが信号を送ってるの、あたしに来て欲しいんだって」と笑うアン。「前からこうしてたのよ。ちょっとご免ね、何があったか行って確かめてくるから」

アンはクローバーの斜面を鹿のように駆け降りて、呪いヶ森のモミの木陰に消え去った。リンド夫人がその背中を見送り、しょうがない子ねと笑った。

「まだずいぶん子供っぽい所があるわね」

「それよりも大人びた所の方がずっと多いわよ」と言い返すマリラ。一瞬、昔のつっけんどんな口調が戻る。

しかし、つっけんどんな所は、もはやマリラの特徴としては目立たなくなっていた。その晩、リンド夫人がトマスにこう語ったように。

「マリラ・カスバートは人当たりが柔らかくなったわ。いや全く」

次の日の夕方、アンはアヴォンリーの小さな墓地に出かけた。マシューの墓に摘んだばかりの花を手向け、スコッチ・ローズに水をやるためだった。アンは黄昏時までその辺りをぶらついていた。狭いながらも穏やかで静かなその場所は、立ち去りがたかった。ポプラの葉ずれは低く親しげで、気ままに茂った芝草が墓標の間で囁き交わしている。ようやくその場所を後にし、輝く水面の湖につながる、長く続く丘を歩いて下っていくと、日没の後に、アヴォンリー全体が目の前に夢のように残照に照らされた姿を現した――「いにしえの平和が宿る」その姿を。風がさわやかに香っていた。甘く香るクローバーの野原の上を吹き渡るそよ風のようだ。窓の明かりが輝いて、そちらこちらの農家の木々の間からのぞいていた。ずっと向こうには海が横たわり、かすんで紫に染まっている。耳に残る、止むことの無い波がざわめく。西の空が、柔らかな混じりあった色合いでさまざまに輝き、池の水鏡に映えて、静かで、より柔らかく微妙に移り変わっていく。何もかもが美しい。アンの心が震え、高揚する。感謝の気持ちに満ちて、世界に向けて魂の扉を開け放った。

「いつまでも愛しい世界よ」と呟く。「あなたはとても素晴らしい。あなたに懐かれて生きていけることを、嬉しく思います」

丘を下る途中で、背の高い若者に出会った。口笛を吹きながら、ブライス家の地所の前の扉を通ってやってくる。ギルバートだった。口笛が止んだ。アンに気が付いたのだ。礼儀正しく帽子を持ち上げたが、もしかするとそのまま黙って通り過ぎていたかもしれない。もしアンが立ち止まって手を差し出さなかったら。

「ギルバート」と、真っ赤に頬を染めるアン。「どうもありがとう、あたしのためにここの学校を譲ってくれたのね。こんなに親切にしてもらえるなんて――分かって欲しいんだけど、心から感謝してるのよ」

ギルバートが、待ち望んだその手を取った。

「別に大したことじゃないよ、アン。少しは役に立てたようで嬉しいね。これでもう友達だろう? 昔のこと本当に水に流してくれた?」

アンは笑った。握られた手を引っ込めようとしたがうまくいかない。

「あの日、池の舟付き場で水に流してたわ、あの時は気が付かなかったけど。もう、あたしって頑固で馬鹿よね。あたしずっと――なにもかも言っちゃうわ――あれからずっと後悔してたの」

「俺達、一番の友達になろう」とギルバートは嬉しそう。「二人とも生まれた時から友達になるはずだったんだよ、アン。運命に逆らうのはもう充分だろ。お互いにいろいろ助け合えるんだから。勉強は続けるよな? 俺もさ。行こう、家まで送るよ」

マリラは興味津々で、台所に入って来るアンを見つめた。

「小径をあんたと一緒に来たのは誰、アン?」

「ギルバート・ブライスよ」と答えるアン。もうっ、どうして赤くならなくちゃいけないのっ。「バリーの丘で会ったの」

「知らなかったわ、あんたとギルバート・ブライスって、ずいぶん仲良しだったのね。三十分も門のところで立ち話してたじゃない」とマリラ。さりげなく笑みを浮かべる。

「あたしたち別にそんな――あたし達、良い敵同士だったの。だけど将来は良い友達同士の方が意味があると考え直したのよ。本当に三十分もいた? 数分くらいの気がしてた。でも、五年も口をきいてなかったんだもの、取り返すのが大変なのよ、マリラ」

その夜、アンは長いこと窓辺に座っていた。足るを知ることが嬉しかった。サクランボの枝を抜ける風が柔らかく喉を鳴らし、ミントの息吹がここまで漂ってきた。窪地の尖ったモミの彼方に星々がまたたき、ダイアナの窓からもれる明かりが、いつものように森の隙間で小さくきらめいていた。

アンの洋々たる前途は、クイーンから戻ってここに座った晩を境に、限りある狭いものになっていた。しかし、たとえ歩むべき目の前の道が狭められるのだとしても、それでも道に沿って、ひっそりと幸せの花が咲いていると分かっていた。真摯に努力する喜び、価値ある目標を目指す喜び、気の合う仲間と友情を持つ喜び、どれも自分のものになるだろう。何物も、生まれながらの想像力や、夢に溢れる理想の世界を、奪い去ることはできはしないのだ。それに、いつだって道には曲がり角がつきものなのだから!

「『そう、神が天にあるのだ、この世の全てが好ましい』」そっと囁くアンだった。


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