グリーン・ゲイブルズのアン, ルーシー・モード・モンゴメリ

グリーン・ゲイブルズで迎える朝


アンが目を覚ましベッドから起き上がると、すっかり陽が上っていた。はっとして見つめた窓からは、陽気な日差しが差し込んでいた。窓の外には、何か白いふわふわしたものが揺れており、それをすかして青い空がちらちら見えていた。

しばらくの間、今どこにいるのか思い出せずにいた。始めに思い出したのは、嬉しくてぞくぞくしたこと、そう、何だかとても楽しかった、そして、身の毛もよだつ記憶。ここはグリーン・ゲイブルズ、二人ともあたしが要らないの、男の子じゃないから!

だけど、今は朝なんだもの。そう、あれはサクランボの木、窓の外では、あたしのために満開の花が咲いているわ。ぽんとベッドから飛び出して、ぱたぱたと部屋の反対側に駆け寄った。窓枠を押し上げると、ずっと開けたことがなかったように、堅くてキーキー音がした。事実そうだったのだ。窓枠はきつくて押さえていなくても良かった。

アンは膝を床について、窓から見える6月の朝に浸っていった。その目は感動できらきら輝いていた。ほんと、奇麗じゃない? 素敵なところよね? あたしはここに居られるわけじゃないんだった! でも居られると想像するのよ。ほら、ここでは、こんなに想像が広がるよ。

窓の外には、大きなサクランボの木が枝を伸ばしていた。その木は窓に近く、枝が建物をかするように揺れていた。花がびっしり咲いていて、葉っぱがほとんど見えないくらいだった。建物の左右にはひとつながりの果樹園が広がっており、一方はリンゴの果樹園、もう一方はサクランボの果樹園で、どちらを向いても花の雨だった。木々の下の草地は、タンポポをあちこちに散らしていた。窓の下の庭では、ライラックの木々が紅藤色の花を咲かせ、目眩がするほど甘い香りが、朝の風に乗って窓辺まで漂っていた。

庭の下手の青々とした畑にはクローバーが生い茂り、坂になって窪地に続いていた。窪地には、小川が流れ、何十本もシダレカンバが生い茂っていた。シダレカンバが元気よく飛び跳ねて生えている下生えは、シダやコケなど森の植物が一通り生えているかしれないと、楽しい想像をかきたてた。窪地のさらに向こうは丘が続き、エゾマツとモミで、緑色の小さな羽毛がびっしり生えているように見えた。丘の森の切れ目からは、輝く水面の湖の反対側からも見えていた、小さな建物の灰色の破風屋根の端がのぞいていた。

そのちょっと左には大きな納屋があり、さらに向こうの、みずみずしい緑のなだらかに畑を下った先には、光輝く紺の海がかすかに見えていた。

アンの目は、美しいものを求めて、窓から見える風景を散策しながら、どれ一つとして見逃さず、手にとるように見入っていた。この子の人生の中では、美しいとは言いがたい場所が多すぎた。不運な子である。だが、目の前の風景は、夢に見てきた風景と同じくらい美しいものだった。

ひざまずいたまま、ただただ美しいものに埋もれて、夢中になっていた。と、そのとき、肩にかかる手を感じて、ハッと飛び上がった。マリラが部屋に入ったのが、この小さな夢見る人には聞こえなかったのだ。

「着替える時間だよ」実も蓋もなく言った。

マリラは実際どんな風にこの子に話し掛けたら良いのか検討がつかなかった。それで、どうすれば良いか分からなくて居心地が悪く、そのつもりがなくとも、つい、つっけんどんでそっけない言い方になるのだった。

アンは立ち上がって、今まで息を止めていたかのように、大きくひと呼吸した。

「ねえ、夢のようね?」そう言って、外に広がるこの気持ちの良い世界全体を、手で大きく示した。

「確かに大きな木さ」とマリラ。「花は大したもんだが、実はそんなにならないんだよ、小さくて虫食いでね」

「あ、木だけじゃなくて、もちろんこの木も素敵よ、そうね、輝かんばかりに素敵よ、素敵に咲こうとしてるみたい、でもあたしが言ったのは何もかもがよ、この庭に、あの果樹園、あそこの小川も森も、この愛しい世界全体がよ。こんな朝には、世界がどうしようもなく魅力的に感じない? あたしには小川が笑いながらここまで流れて来るのが聞こえるわ。小川が陽気な性格だって知ってた? いつも笑ってるの。冬の時期でも氷の下から聞こえてくるわ。グリーン・ゲイブルズのそばに小川があってとっても嬉しい。たぶん、おばさんは、あたしを置くつもりじゃないから、大した違いじゃないと思うかもしれないけど、違いはあるのよ。これからは、いつでも、グリーン・ゲイブルズに小川があったことを懐かしく思い出すことになるわ、もう二度と見ることがなくてもね。もし小川がなかったら、何かひとつ足りないって落ち着かない感じに付きまとわれると思うの。今朝は、絶望の深みにはまってなんかいないの。朝はそんなこと無理だもの。朝があるって、素晴らしいことよね? でも悲しくなっちゃう。今までずっと想像してたんだもの、おばさんがほんとに欲しがっていたのは実はあたしで、ここにずっとずっと居ることになるって。想像している間は、とっても元気が出たわ。でも、想像の最大の欠点は、いつかやめなきゃいけない時がくることなの。傷つくのよね」

「さっさと着替えて、下に下りて来るんだね、あんたの想像の世界なんか心配してないで」マリラは言った。ようやく話しに割り込む隙間を見つけたのだ。「朝ご飯の準備ができてるよ。顔を洗って、髪を梳かして。窓は上げといたままでいいよ、布団はベッドの足元に畳みなさい。さっさと手際良くね」

目的がはっきりしていると、アンが手際が良いのは疑いがなかった。10分後には既に階下に下りて来ていた。服はきちんと着ていたし、髪を梳かしてみつあみにして、顔も洗った。マリラの要求通りにできたので、気分も上々だった。と言いたいところだが、布団を足元に畳むのは忘れていた。

「今朝はおなかペコペコ」マリラが引いてくれた椅子にすべりこみながら、そうのたまった。「この世界は、夕べみたいな、獣吠えるパレスチナの荒野って感じじゃないわ。からっと晴れた朝で、とっても嬉しい。でも雨の朝も、結構捨てがたいわ。どんな朝でも面白いわよ、そう思わない? 今日一日何が起こるか分からないもの、だから想像がどんどん広がるのよ。でも今日は雨でなくて嬉しいな、だって晴れてる日のほうが、元気に心の苦悩を支えやすいんだもん。ようし、頑張るぞって感じ。悲しいことを思って、自分がヒロインみたいに、その悲しみを乗り越えるんだって想像するのもそりゃあ良いんだけど、その悲しいことが実際本当になると、そんない良いもんじゃないもの、そうでしょ?」

「頼むから、あんたの舌はしまっといとくれ」とマリラ。「子供のくせに、あんた、ほんとにしゃべりすぎだよ」

直ちに、アンは舌をしまった。あまり素直で徹底して黙りこくっているから、なんだかわざとらしくて、かえってマリラの勘に障った。マシューも同様に舌をしまっていたが、こちらはわざとではなく、ごく自然だった。そんなわけで、朝ご飯はとても静かなものだった。

食事が進むに従って、アンはだんだんと、心ここにあらずといった調子になっていった。機械的にのどに流し込みながら、大きな目は、脇見もせず、かといって何か見ているようでもなく、窓の外の大空にしっかりと向けられていた。これがまた、輪をかけてマリラの気に障った。どうも落ち着かないね、この変な子の体は、このテーブルの前にあるっていうのに、心は遠く離れて、どこか遥か遠くの空にそびえる雲のお城まで、想像の翼にのって空高く運ばれていったみたいじゃないか。誰がこんな子を自分の家に欲しいかね?

未だに、マシューはこの子を置きたがっている、全くわけがわからないね! マリラには薄々分かっていた。マシューは夕べと同じく今朝になっても置きたがっている。その先も変わらないだろうと。マシューらしいやり方さ。何か気まぐれを思い付くと、それにかじりついて離れないだから。黙りこんだら頑固一徹、大したもんだね。頑固に黙ってられると、言いたいことを言われるより、十倍もたちが悪いよ。

食事が終わると、自分だけの夢想の世界から帰って来たアンが、皿洗いを手伝うと申し出た。

「ちゃんと皿を洗えるんだろうね?」疑わしげにマリラが聞いた。

「結構上手よ。子守りの方が上手なんだけど。子守りの経験は豊富なの。おばさんとこの子を子守りできなくて、ほんと残念だわ」

「あたしは、目の前の子の他に、子守りしなきゃいけない子を欲しいだなんて思わないよ。正直言って、あんただけでも、十分手に余ってるんだよ。あんたをどう扱ったら良いのか、検討がつかないよ。マシューもほんとおかしな人だね」

「おじさんはいい人だと思うな」とアンは反論した。「すごく気が合ったもの。あたしがどれだけおしゃべりしても嫌がらなかったし、気に入ったのかも。同じ波長の人だって、一目でピンと来たわ」

「確かにあんたたち二人とも変わってるよ、『同じ波長』っているのがそういう意味ならね」マリラは鼻で笑った。「そうだった、お皿を洗ってもらおうかね。たっぷりのお湯で、ちゃんと乾かすんだよ。午前中にたくさんやっておくことがあるんだよ、午後にはホワイト・サンズに出かけてスペンサーさんに合わなきゃいけないし。あんたも一緒に行くんだよ、スペンサーさんとあんたの処置を決めるんだから。お皿を洗い終わったら、二階に上がってベッドを直しといで」

アンの皿洗いはなかなか手際良く終了し、一部始終を厳しく評価していたマリラの眼鏡に適うものだった。そのあとのベッドの直し方は、あまり上出来ではなかった。羽根枕と格闘する術を身につけていなかったのだ。それでもとりあえずは枕のでこぼこも丸く収まった。それからマリラは、厄介払いするため、アンにお昼ご飯まで外で遊んできて良いと言った。

アンは戸口まで飛んで行った。顔は晴れ晴れ、目は爛々である。ところが敷居に足をかけたところでアンは急に立ち止まり、くるっと向きを変えて戻ってくると、テーブルの椅子に座りこんでしまった。光も炎も、だれかがアンにろうそく消しをかぶせたみたいに消え去った。

「今度はいったい何だっていうの?」マリラの忍耐も限界である。

「怖くて外にでられないの」とアン。地上の喜びを棄てた殉教者の口調である。「ここにいられないなら、グリーン・ゲイブルズを好きになってもしょうがない。だって、もし外に出て、森や庭の花や果樹園や小川や何もかも全部と知り合いになったら、どうしようもなく好きになってしまうもの。今でも十分つらいの。だからもうこれ以上つらくしない。外に出たい、とっても。みんなあたしを呼んでるみたい『アン、アン、出てらっしゃい。アン、アン、一緒に遊ぼう』でも出ていかない方が良い。もしいつか引き裂かれるんなら、何かを好きになってもしょうがないもの、そうでしょ? ここに住むことになるって思った時、あたしが嬉しかったのはそういうわけだったの。好きになって良いものが、うんとたくさんできたんだ、もう誰にもじゃまされないんだって思ったのよね。でも、そんな束の間の夢ももう終わり。いい加減に諦めて、あたしの定めに従うことにするわ。だから外に出ようなんて考えない、きっとまた諦められなくなるもの。窓のところの、あのゼラニウムの名前は何ていうの?」

「あれはリンゴの香りのゼラニウムだよ」

「あ、そういう名前のことじゃないの。おばさんが自分でつけた名前のことを言ったのよ。名前をつけていなかったの? あたしが名前をつけても良い? 名前をつけて良いなら、そうねぇ、ボニーが良い。あたしがここにいる間、これをボニーって呼んで良い? ね、そう呼ばせて!」

「わかったわかった、あたしはかまわないよ。だいたい、ゼラニウムに名前をつけようなんて、どこから思い付いたんだね?」

「そうね、あたしは何でも愛称を付けるのが好きなの、たとえゼラニウムでもね。愛称があると人間みたいに感じるわ。ただのゼラニウムとだけ呼ばれて、他に名前がなかったら、ゼラニウムが気を悪くするかどうかなんて、誰もわからないでしょう? おばさんもただの女っていつも呼ばれたら嫌だと思うわ。だからその花をボニーって呼ぶのよ。あたしが寝ていた寝室の窓の外にあるサクランボの木にも、今朝名前を付けたわ。すごく真っ白だから、雪女神と名付けたの。もちろん、いつでも花が咲いてるわけじゃないけど、そう想像することはできるでしょ?」

「あの子みたいな子は、生まれてこのかた見たことも聞いたこともないね」マリラはブツブツ言った。ジャガイモを取りに地下室へずんずん降りた時は、階段が退却の太鼓を鳴らしていた。マシューの言う通り、確かにあの子はどこか面白いね。気がつくと、次はいったい何を言い出すんだろうって考えてるんだから。あの子は、あたしにも魔法をかけるつもりだね。マシューにはもう魔法をかけおわったからね。出がけにあたしを見てるあの顔、夕べ言ったことも言わなかったことも、同じことが書いてあったよ。普通の男みたいに、言いたいことがあれば、言ってくれればいいのに。こっちだって言い返せるし、理屈も通せるってのにね。でも、言いたいことを顔に出すだけの男に、どうしろっていうのさ?

アンは夢の世界へと再び堕落していた。頬は両手の杖の中、瞳は遠く空の上、マリラが地下室への巡礼の旅から戻ると、そんな有り様だった。マリラに放って置かれたアンがこちらの世界に戻ってきてみると、早めの昼ご飯がテーブルに準備できていた。

「午後から雌馬と馬車を使っても良いでしょう、マシュー?」マリラが言った。

マシューは頷いて、名残惜しそうにアンの方を見た。そんなマシューの視線を遮り、マリラは冷たく言った。

「じゃ、ホワイト・サンズまで出かけて、この件のけりをつけてくるから。アンは連れて行くわよ。スペンサーさんは、たぶんこの子をノヴァ・スコシアにすぐ送り返すよう、手配してくれるでしょう。兄さんの分の夕飯は出しときます。牛の乳しぼりの時間までには戻るわ」

それでもマシューは何も言わず、マリラは言葉と息の無駄遣いをしたように感じた。何も言い返さない男ほど癪に障るものはない。女でも似たようなものだが。

出かける時間までには、マシューは栗毛の馬を馬車に繋ぎ終え、マリラとアンは出発した。マシューは二人のために庭の門を開けた。ゆっくり門を通り抜ける時に、マシューは誰ともなく言った。

「島の入り江のところからジェリー・ブートの坊主が今朝やってきてな、夏の間、雇うかもしれんと言っておいたよ」

マリラは返事をせず、栗毛をピシっと強く鞭打って、不幸な馬に八つ当たりした。この太った馬は、こんな仕打ちに慣れていなかったので、怒りもあらわに、不安を覚えるペースで小径をビュンビュン走りだした。マリラは、小径を飛び跳ねる馬車から、一度だけ振り返った。癪の種のマシューが門にもたれかかって、一心に二人を見送っているのが見えた。


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