新年叙勲者リストの写真に目を通していて、そこに載っている顔の実に並外れた醜さと下品さに私は(いつものように)強い印象を覚えた。まるで「ファルコンタワーのパーシー卿」と自称する権利を得るような人物は良くて食べ過ぎの居酒屋主人、悪ければ十二指腸潰瘍を患った収税人に見えなければならないという規則でもあるかのようだ。しかしこれは私たちの国に限った話ではない。はさみと糊の扱いに長けた者であれば誰でも「我らの統治者」と題された、この地球の大物たちの公表されている写真だけから構成されたすばらしい本を編むことができるだろう。こうした考えが初めて頭に浮かんだのは、演説をしているビーヴァーブルック(マックス・エイトケン初代ビーヴァーブルック男爵(一八七九年五月二十五日-一九六四年六月九日)。カナダ出身のイギリスの実業家、政治家。新聞「デイリー・エクスプレス」の経営者として知られる。)の「スチール写真」をピクチャーポスト誌で目にした時だった。まるで枝の上の猿のように見え、あえて猿の真似をしている人間を除けば彼以上に猿に似ている者はいないように思えた。
総統たち――実際にその地位にあったり、それを目指している者たち――のコレクションをひとまとめにしてみると、いくつかの特徴がその一覧に繰り返し現れることに気がつくだろう。まず気がつくのは彼らが全員老人であることだ。若々しさはあらゆる場所で口先では賛美されているが、五十歳より若くして真に指導的立場にいる人物などというものは存在しない。二番目はほとんど全ての者が小柄であることだ。五フィート六インチを超える背丈の独裁者はめったにいない。そして三番目はほとんど普遍的に、時にはかなり常軌を逸したほどの醜さを持っていることだ。このコレクションには青筋を立てたシュトライヒャー(ユリウス・シュトライヒャー(一八八五年二月十二日-一九四六年十月十六日)。ドイツ・ナチ党の政治家。反ユダヤ主義の新聞『シュテュルマー」の経営者として知られる。)やヒヒの物真似をしている日本の戦争指導者、見苦しい喉の贅肉を垂らしたムッソリーニ、あご無しド・ゴール(chinless(あご無し)とCharles(シャルル)をかけている。)、太っちょで腕の短いチャーチル、長く狡猾そうな鼻と大きなコウモリのような耳のガンジー、全て金冠をかぶせた三十二本の歯をむき出しにした東條が含まれるだろう。そしてそれぞれの向かいには、対照をなすようにその同じ国の一般の人間の写真を置くのだ。ヒトラーの向かい側にはドイツ潜水艦に乗る若い水兵を、東條の向かい側には昔ながらの日本の小作農民を、という具合に。しかし叙勲者リストに話を戻そう。世界の他の国のほとんど全てでそれが廃れていることを考えると、この無意味な媚びへつらいがイングランドでいまだに続いていることは実に奇妙に思える。イングランドは貴族というはっきりとした概念が数百年も前に滅んだ国のひとつなのだ。通常、貴族支配の基礎となっている人種の違いは中世の終盤にはイングランドから消え去り、金銭的価値とは独立して、それ自体で何か価値があるとされる「高貴な血筋」という発想はエリザベス朝時代に消えていった。以来、私たちに存在するのは富裕階級だけであることは明白である。しかし私たちは中世の封建主義的な色合いを自らにまとおうといまだに必死の努力をしている。
紋章院のことを考えてみて欲しい。山高帽をかぶり、縦じまのズボンを履いた企業重役のために厳粛な様子で家系図を捏造し、後ろを向いたりなんだりの人魚と一角獣がうずくまる紋章をでっちあげているのだ! 私が最も好きなのはその注意深い格付けだ。この格付けでは爵位は決まって与えた損害の規模に正比例するように分配される――大企業家には男爵、流行りの外科医連中には准男爵、手懐けられた教授連中には騎士号といった具合だ。しかしこうした人々は自分たちを卿だの騎士だのと呼ぶことで、どういうわけか中世の貴族と何かを共有できると想像しているのだろうか? 例えばウォルター・シトリン卿は自分を童子ローランド(童子シトリン、暗黒の塔に至る!)と全く同じ種類の人間であると感じ、ナフィールド卿は私たちが彼を鎖帷子を着た十字軍と取り違えると思っているのだろうか?
しかしながら、この叙勲者リスト事業にはひとつの大きな実際的側面がある。それは爵位は一流であることの別名ということだ。X氏は自らの姿をY卿へ変えることで実質的に自分の過去を帳消しにできるのだ。今回の戦争の間になされた大臣の任命の一部はこうした偽装行為無しには実現が難しかったことだろう。トマス・ペインの言う通り「こうした人々は泥棒であることが知れ渡らないように頻繁に名前を変える」のだ。
電気ドリルの音の中でこれを書いている。彼らは地上防空壕の壁に穴を開け、一定の間隔でレンガを取り除いているところである。なぜそんなことをしているのか? 防空壕が崩れ落ちる危険があってセメントを塗る必要があるためだ。
ああした地上防空壕がいくらかでも使用されるのかは疑問に思える。炸裂と爆風への守りにはなるだろうが、ごく普通の家屋の壁と比べて特に優れているわけではない。一度など近くに落ちた爆弾がまるでナイフのようにそいつを切り刻んで崩れ落ちさせたところを私は見た。しかしながら重要なのは、建設された時点でこうした防空壕が一、二年のうちに崩れ落ちるであろうと知れ渡っていたことだ。多くの人がそれを指摘していた。しかし何も起こらず、いい加減な建設が続いてどこかの誰かがその契約を勝ち取った。思ったとおり一、二年後に予言は的中した。壁からモルタルがはがれ落ち、防空壕をセメントの箱で囲む必要が出てきたのだ。再びどこかの誰か――おそらく同じ人物だろう――が契約を勝ち取った。
この国のどこかで空襲の際にこうした防空壕が本当に使われているのかどうか私にはわからない。しかしロンドンの私の住んでいるあたりではこうしたものが使えるか試そうと思う者は一人もいない。実のところ「誤った目的」で使用されないようにずっと鍵が掛けられたままなのだ。しかしことによるとひとつだけ使い道があるかもしれない。市街地戦での小要塞としてだ。全体的に見てこうした防空壕は比較的貧しい通りに建てられている。その時が来たとき、考え無しに数千の機関銃用の要塞を前もって相手に提供していたためにお偉方が民衆を倒せなくなったら実に愉快だろう。
本号の十八ページ目にトリビューン短編小説コンテストの広告があるはずだ。多くの応募を望んでいるし、直接的・間接的にこのコンテストがこの国における短編小説の復興へ向けた助けになればと思っている。
短編小説は過去二十年にわたってイングランドで成功してきた芸術形態であると主張する者は少ないだろう。アメリカとアイルランドの小説はおそらくいくらかましだが、たいした違いは無い。中には短編小説の衰退を社会学的観点から説明できる者もいるだろうが、そうした説明もあまり満足のいくものではない。なぜなら仮に正しくとも、それらは類似の文学形態についても同じように当てはまるからだ。例えば現代小説は平均的に見れば現代短編小説ほどにはひどい状況にない。また技術的な原因も間違いなく存在していて、そのうちの二つについては示すことができると思う。
最初のものはトリビューン紙では改善不可能なもの――つまり長さの問題だ。まず間違いなく短編小説は現代の雑誌の紙面減少に苦しんでいる。過去の、傑作と呼ばれる英語短編小説のほとんど全てが――そして同じことは多くのフランスの小説についても当てはまるが、ロシアのものに関しては少し事情が違うだろう――通常の現代的定期刊行物で出版するには長過ぎるものだ。しかしまた短編小説がヴィクトリア朝的「筋書き」の消滅に不必要に苦しんでいることも間違いのないことのように私には思われる。今世紀の始め頃には「驚きの最終章」というお約束事は流行遅れとなっていたが、何も起こらない、何ら劇的でない物語は短編より長編の場合により効果的であるということは十分に理解されていなかった。短編小説は物語でなければならない。小説と同じようには「雰囲気」や登場人物の利害に頼ることはできないのだ。なぜならそれらを構築するだけの長さがないからだ。何の小話も、劇的な変化も語らない短編小説が弱々しい焦点の定まらない調子で終わるのはほとんど避けがたいことだ。これまで私が読んだうちどれだけの数の物語で最後の一行まで思案を続けさせられたことか――「この導入はどこへ続いていくのだろうか? いったい何が起きようとしているのだろうか?」――そうしているうちに何も起きないまま尻すぼみになっていくのだ。時には作家は三点リーダーを並べてそれに深みを与えようと試みたりする。「筋書き」は救いようの無いほど古臭い、使ってはならないものであるという考えに短編小説作家の多くは抑えつけられているのではないかと感じざるを得ない。
ここに述べたことだけが現代の短編小説の問題点であると言っているわけではない。しかし、これがたくさんの短編小説を読んだ後に私の頭に残った印象であり、応募希望者の助けとなるかもしれないヒントとしてここに書いた。