カルタゴの薔薇, ケン・リュウ

カルタゴの薔薇


私のアップルパイの秘訣は、リンゴに紅玉だけを使うことだ。紅玉は熟しきったその最後まで、酸っぱさが衰えることがない。

「んん、美味しい」カイロに発つまえ、リズは私に言った。「そのパイ、ボストンまで持ってきなよ。マーサ・スチュワートばりに売れるよ」

リズが旅行に持っていけるように、私はパイを二つ焼いて、最新のスマート・タッパに入れていた。容器にはコンピュータ・チップが付いていて、湿度が制御できる。「飛行機の中で食べてね。ほら、お腹が空いたとき」

彼女は勢いよく、あけっぴろげに笑った。その笑みは子供っぽかった。ウェルズリーの女子大で過ごした四年間も、彼女の活きのいい笑いをニューイングランドの上流階級にふさわしい、しとやかなそれに変えることはできなかったのだ。

「エイミー、食べ物くらい自分で工面するよ。まさか私のためにエジプトまでパイを送りつけるつもり?」

その考えはすでに一度、私の脳裏をよぎっていた。私からすれば、リズの生き方はいつも間に合わせのように見えた。幼年期を通じて、彼女は料理も裁縫も習わず、五分も運転すればどこかで事故を起こしそうな破天荒だった。食事のことをすっかり忘れていて、友達に哀れっぽく余りのお菓子をねだったり、冬服の入った箱をほかの季節のと置き間違えては、十二月の教室に毛布をかぶって向かう羽目になったり。私にはそんなふうに生きるのは想像できない。けれどそれでいて彼女はよく笑い、快活だった。そしてこれだけは間違いないけれど、リズは賢かった。ただ、生きていくためのささいなことに拘わなかっただけなのだ。

結局私たちはそのパイを空港に持っていって、その場にいた知らない人たちに配ることになった。怪しむ人や、不思議なことに馬鹿にするような目を向けてくる人もいたけれど、多くは感謝してくれた。リズはその場の皆に向けて、私が近々ベーカリーを開く予定で、パイはその試作品だと言って回った。私が誤りを正す前に、彼女はすでにいくつか注文を取ってしまっていた。

「お客さんから注文書が来るから、パイを送り返す。いい話じゃない! こんなに料理上手いんだから、なにかに活かさなきゃ」

その場では、私は突然生きていく力のない妹の役に成り下がって、一方リズのほうはというと世界の道理を知っている姉の役だった。驚いたし、すこし気に入らないとも思った。リズと五分もいると、大抵そういうことになるのだった。

いまでも週に三、四回は注文が来る。こちらから宣伝はしていないから、みな口づてで知った人ばかりだ。二週間ごとにパイを買いに来る婦人たちが、まるで家宝のように私のことを姪と娘たちに伝えていく。注文が来るたび、私はニューヨークに、ツーソンに、トロントに、ある時は香港にまでパイを送るような気持ちになる――リズのいる場所に向けて。

もちろん本当のところ、リズは私がパイを送れるようなところより、はるか遠くへと旅立ってしまったのだけれど。


歳をとると人間は爬虫類に似てくる。動き出せるようになるまで、朝のうちに陽の光を浴びておかなくてはならない。次にベスが来るときには、冬の朝に暖まるための太陽灯を頼んだほうがいいだろう。

心地の良い朝だ。窓を開けて、リビングに陽の光を招き入れる。こんなに暖かければ、楓の葉にとっても絶好の日だ。糖分がつくられて、涼しい夜のうちに閉じ込められる。やがて木々は燃えるように紅く染まって、南からの観光客が田舎道を埋め尽くすのだ。

光をよく浴びきると、絵葉書のコレクションに目を向ける。葉書はその撮られた場所に応じて家のあちこちに置かれている。アジアはキッチン。冷蔵庫の上にそびえる桂林の奇岩が、部屋の反対側、レンジのとなりに鎮座する明治神宮を見下ろしている。ヨーロッパの大聖堂と、きらびやかな遺跡たちはお手洗いの主だ。私の寝室はアフリカで、化粧台の鏡の上にはピラミッドが構えて、キリンたちは寝台で草を食んでいる。オーストラリアと南米はどちらもリビング、ただしコーヒーテーブルは南太平洋の飛び地だ。アメリカ五十州はかつてリズの寝室だった部屋でまぜこぜになって、カリフォルニアとフロリダは窓からの陽光を浴びている。毎週木曜の午後、芝刈りにやってくる中学二年生は、私がかつて世界を股にかける旅人だったと思うだろう。

実際は、カムライルの町から一番遠出したのは、遺灰を拾いにボストンに行ったときだった。私は自動運転車なんて絶対に乗らないから、ベスが代わりに運転してくれた。州境を越えてマサチューセッツに入ったとき、ここと同じように木々の葉がよく茂っていると思ったのを憶えている。

リズの最後の絵葉書はアルジェリアからで、ドジェミラのローマ劇場跡を写したものだった。彼女は葉書の裏に、優美で流れるような手跡でこう記していた。

或いは眼下に一輪の花、
私に捧ぐ贈り物?
されど香らず分かるものかは、
カルタゴに咲く薔薇の花を。

リズは私に向けて詩の断片を引用するのを好んだ。このフレーズは私も知っていたやつで、彼女のお気に入りの詩人のひとり、エドナ・ミレイの作だ。若いころのリズはよくこれを暗誦して、旅することを夢見るばかりだった。


高校を出たとき、リズはサンフランシスコまでヒッチハイクをしたいと言った。

「絶対にだめだ」父は許さなかった。「リズみたいな若い女の子が国中をヒッチハイクだなんて、聞いたこともないぞ」

あいにくつい先週、リズはたったふたつ隣のランドンの町で開かれたプロムの帰りに、道に迷ったばかりだった。そのときのリズは結局コネティカットのどこかに辿り着いて、午前三時に父に電話で道を尋ねる羽目になったのだ。もちろん、彼女自身はそれを楽しい冒険かなにかだと思っていた。

父の制止が当然予想できるものだったとすれば、リズの反応もそうだった。その晩、リュックにボトル二本の湧き水と、靴下二足を詰めて、リズは家を出た。

「生きていくためにいちばん大事な装備はね、靴下」荷造りの最中、彼女は私に言った。「ヒッチハイクは歩きが長いから、靴の中は柔らかくしないと。それに靴下は使いみちがたくさんあるし。たとえば、飲み水を濾過するとか」

いますぐ母さんと父さんに言いつけてやる、と私は脅した。そんなことをさせたのは、もはやこちらが慣れて受けいれつつあったリズの反抗心なんかではなく、彼女の世間知らずな楽観のせいだった。靴下二足でバーモントからカリフォルニアまで、連続殺人犯や性犯罪者、詐欺師どもに出くわさずにどうにか行き着けるだろうという、彼女のその子供っぽい見込みだ。

「言いつけやしないよ」リズは反論した。「あたしが自分でどうにかできるの、知ってるでしょ」

「ランドンからも帰ってこれなかったのに! 道中で一人になるのがどんなに危ないかわかってるの? キャンプ道具もない、服もない、薬もない、お金も――」

「だからぜんぜん危なくないってこと。エイミー、あたしなんにも持ってないから、誰も襲ってきたりしないよ」

その単純な、ばかみたいな論理に私はあきれ返った。もしリズに常識みたいなものを叩き込むつもりがなかったら、私は嘲笑ってさえいたかもしれない。けれど私は同時に、リズのばかげた考えが彼女自信の助けになっているのも知っていた。彼女が何度も何度も、普段のおっちょこちょいと見えたものをうまく使いこなして困難を乗り切ったのを、私は見届けてきていた。コネティカットで迷子になったときは、近くのセブンイレブンで店員に恋愛のアドバイスをしてやって、その代わりにもらったソーダを啜りながら迎えを待っていたし、そのシロップが借り物のプロム・ドレスの表一面にこぼれてしまっても、リズから冒険の話を聞いた貸し衣装屋は一セントたりとも取りやしなかった。リズはまるでブランチ・デュボアみたいに、他人の親切心だけを頼りにしていた。彼女は生まれつき人に好かれた。要するにカリスマだったのだ。

私は羨ましかった。彼女の大胆さと、目の前にないものを求めることに自信を持っているその姿が。小さいころ、私たちはどちらも成績優秀で、特に理科が得意だった。けれど実際のところまったく正反対の気質だった。私は地元の公立大を二年で終えて、それっきりだった。頭こそ悪くはなかったけれど、人見知りをしたし、このまま家にいて、家族の幸せに気を配りながら過ぎ去っていく世界を眺めるのに甘んじることを、どこか諦めの境地で確信していた。それに、誰かが父の果樹園を継がなくてはいけないのだから。

その日、リズはボトル二本の水と靴下だけで飛び出していって、翌日から次の週まで、父に怒鳴られても私は知らないふりをした。父は警察を呼ぼうとしたけど、ちょうどそのころボストンのリズから絵葉書が届いて、無事でやっていると教えてくれた。州間ハイウェー95号線で、最高のジャズ・バンドに出会ったらしい。

リズは絵葉書を送ってよこすようになった。フェンウェイやマンハッタン、ワシントンのナショナル・モールから。ミシシッピの河岸や、グレート・プレーンズの果てしない眺めのなかから。あるいはモルモン教徒が約束の地と呼んだ、乾いた、埃っぽい砂漠だとか、中国人移民たちが発破をかけて線路を敷いた西部の山々から。そしてついに、リズはサンフランシスコのフィッシャーマンズ・ワーフに辿り着いた。

絵葉書のうらに、彼女はアメリカ人の国民性についての掌編を書いた。そこにはこの国の奇抜さと優しさが、二五〇語の寸描で語られていた。学費を払うため、ガソリンスタンドで働いていた法学生のことや、ヒッチハイク中のリズを捕まえた警察官の兄弟と一緒に、旅路を進んだ日のこと。唐突にシャワーを浴びたくなって、転がり込んだケンタッキーの主婦の家で、シャワーばかりか本物の南部の朝食までご馳走になったこと。彼女はありふれた旅行記を生き返らせた。父と母、そして私は三人で何時間も葉書を回し合い、彼女の出会いの度に毎度のように言い争っては、中身を調べ、自分なりの観察を述べながらそれを味わった。ミシシッピあたりに達したところで、たしか父もリズの旅を許したと思う。

三ヶ月が経って、リズは飛行機で帰ってきた。サンフランシスコの空港の出発ゲートのあたりをぶらついていたら、出発間際でフライトをキャンセルする羽目になったビジネスマンが搭乗券をくれたらしい。リュックと靴下はもう持っていなかった。

その晩、リズは早く床についた。翌朝には父さんがリズをウェルズリー大まで連れて行くことになっていたからだ。宵闇のなか、彼女は私の寝室にそっと潜り込んだ。

「一緒に来てほしかったな」リズはささやき声で言った。隣に寝転んだ身体は暖かくて、思わず抱きしめたくなった。

リズの声はすこし悲しげだったけれど、私は眠気に抗えなかった。「私も行けたらよかった」

「知ってる? 靴下なんか大事じゃなかったよ。いちばん大事なのは、身体」

やっとこの子もまともなことを学んだのかな、と私は思った。


家の裏には丘が広がって、その頂上は果樹園だ。

果樹園はもう私の持ち物ではない。十年前に売り払った。ジョンが死んでから、ベスとふたりきりでやっていくには重荷になっていたのだ。

とはいえ、散歩するのにいい場所であることには依然変わりない。私はいつも、端っこに生えた紅玉の木を目指して歩いていく。この果樹園の端までやってきてリンゴを拾う観光客はそう多くない。道中を半分来るころには、大抵どの籠もいっぱいになっているからだ。それに紅玉は、食用に適いたリンゴとは言いがたい。味が酸っぱすぎる。

けれど紅玉が私のお気に入りだ。旭だとか、ほかの「美味しい」リンゴは、喉まで溶ける綿のような甘さを口で味わうものだ。一方で、紅玉を食べるには全身を使う。硬い実を噛みちぎるのは顎を痛めるし、バリバリと噛み砕く音は頭蓋に響き渡って、しまいには舌の端から足の爪先まで、酸味が染みわたる。それでも紅玉を味わうときこそ、ほんとうに生きていると思える。身体じゅうの細胞が目覚めて、もっともっと、と欲しがるのだ。

身体は賢いと思う。心なんかよりもずっとうまく、生きているのがどんなふうなのか、きちんと知らせてくれるのだから。


「たくさん旅がしたいな」専攻を選ぶ時期がやってきたときも、リズは言った。

リズが大学にいた当時は、ふたたび人工知能が大きく注目を集めていたころだった。ネクステンション社の新しい三次元チップが、ようやく共時的なデータ処理をこなすのに足りる計算能力を獲得し、最初の微細ニューラル・ネットワークもまた、大量生産が始まったばかりだった。何もかもが一緒くたになってやってきていた。夏になると毎年リズはスタンフォード大の研究室に通い、実用に耐える初の量子統計コンピュータを作り上げていた。彼女の興奮にあてられて、私は人工知能についてネットで見つけうることはなにもかも読み漁った。

リズは私と何時間も電話して、息を継ぐひまもなく、今研究していることについて喋り倒した。私は家に残された教科書を読んで、どうにかそれについていこうとした。LispとPrologのプログラムまで勉強したくらいだ。うまくいったときは嬉しかったし、同時にもう少し自分が外向的だったらな、とも思った。プログラムを作り上げるのには、有機的な種類の美しさがあった。それこそ、まるでパイを焼くみたいに。

リズは卒業すると、ロゴリズム社、北米最大の人工知能コンサルティング会社に就職した。彼女は大興奮だった。「これでいっぱい旅行できるよ」

ロゴリズムが特化しているのは、予測できない事柄が多い分野での意思決定を扱う、人工知能システムの構築だとリズは教えてくれた。深海での資源探査や市街地での交通量の調整、公教育の運営とか、そういうやつだ。昔ながらのエキスパート・システムは脆弱で、規則と先例に縛られすぎていて、慣れないことや予想外のことにはうまく対応できなかった。ロゴリズムはそんな状況下でも人間と同じように、どうにか切り抜けられるシステムを作ろうとしていた。

それで彼女はカイロに、北京に、ホノルルに旅して、並列されたナノ演算器で走らせるための、数ディスクぶんにも及ぶ並列パターン認識機構と、再帰的なコルーチンを書いた。プログラムは遺伝選別を経て、待ち受ける任務に十分適合するとみなされるまで、数千世代にわたって進化していった。

「旅はね、」リズはあるとき語った。「自分の心を新しくしていくのと同じ。仕事では、あたしは新しい心をつくってる。わかるでしょ、だからあたしの人生って結局、誰かに会いにいくってことなんだよ」


私は主流の家電製品は一切持たない。古典的な人工知能を使った製品すらも、だ。ラダイトではないけれど、リズがあんなことをしたあとですべて捨て去ってしまった。

だいいち、気持ち悪いと思う。目覚まし時計は使い手が「ほんとうに」目覚めたいかどうかを探り当てられるし、テレビは視聴者の気分を踏まえてなにを見たいか当ててみせる。自動空調は暖房費と、部屋の主の健康状態を複雑に検討してふさわしい温度を決めてくる。もしそんなものがみな本当に小さな知性だというなら、こんな報われない仕事をさせるのは酷というものだし、逆にそうでないなら、自分が寒いときにセーターを着ろなんて、機械ごときに言われないほうがはるかにましだ。

だから私はなにもかも自分の手でやるし、それでなんとかやりおおせている。

孝行な娘のベスは、ニューヨークに来て一緒に住むよういつも私を説得しようとする。私はこう言っておいた。老婦人が道を渡っているときに、車があと何分待たされるか、信号機が知っているようなところに住んだら頭がおかしくなる、と。

「そっちのほうが気がどうかしてるよ」ベスは私に文句を言った。「もしつまずいて、階段から転げ落ちたらどうするの? スマホがないと、誰かに知らせて救急車を呼ぶこともできないのに」

たしかに、気はどうかしているのかもしれない。ひょっとしたら正気なんか、どこかに置き忘れてきてしまったのかも。でもリズみたいに、身体までなおざりにしたわけじゃない。

心、身体、そして魂。自分とはそういうものでできていると思う。魂が抜け出すって、いったいどういう感じなんだろうか。


父の葬儀のためにリズは帰省した。予想はしていたけれど、ちゃんとした礼服は持ってきていなかった。

他の参列者が帰ったあと、私たちはリビングで姉妹らしいひとときを過ごした。

「無駄ばっかり」リズはそう言って、家中を満たしていた静寂をやぶった。それから気をもんだのか、指輪の、伊達眼鏡の、靴の、しまいには時計のスイッチまでもを落としていった。小さなコンピュータたちは抗議するように弱々しい音を立てて、やがて静寂に沈んだ。

黄昏の薄暗がりのなかで、リズはすっぴんだったと思う。それまではジュエリーに組み込まれたスマート・ミラーが彼女の顔や両手を絶え間なく、それでいて控えめな光で照らしていた。それに覆われていたリズは十九歳くらいに見えた。いまや魔術は解けて、見たところ三五といったところだ。そういうふうに素顔でいてくれたほうが綺麗だと私は思った。

リズは部屋を見渡した。どれもほこりっぽい敷物、額縁、椅子。母はリズが贈った自動掃除機をついぞ好まなかった。「無駄ばっかり。"このあまりにも穢れた身体"(『ハムレット』第一幕第二場より)」

しだいに深くなっていく夕闇のなかで、私たちは何時間も手をつないだままじっとしていた。リズの冷たい指を手のひらで包んで、少しずつ温めながら、その手を巡っていく血の流れと、彼女の心臓の強い鼓動を感じるのは心地よかった。

リズは次の日にはシドニーへ飛んで帰ることになっていた。私は少しくらい休んでいってほしかった。

「エイミーは怖くないの?」子供のころ使っていた寝室に入りかけたところで、リズは訊いた。

「怖いって、なにが?」

「身体がどんなに脆いかだよ。小さいとき、お父さんがあんなに強そうだったの、覚えてるでしょ。胸に飛び込んでいったら、壁にぶつかったみたいだった。あたしが欲しいリンゴをもごうとしたとき、おんぶしてくれたのも覚えてる。卒業して証書をもらったときだって、手をブンブン揺すってきて――万力みたいに強くて痛かった。でも全部嘘なんだよ、エイミー。身体なんか嘘っぱち。血の塊ひとつのせいで、ほんの一瞬それと知らせただけで、ばらばらになっちゃう」

リズが泣いているのはほとんど見たことがなかったけれど、このときは違った。

ほかになにを言えばいいかわからなくて、私は言った。「だから、生きていくには身体がいちばん大事だって」

「そっか」リズは笑った。「あたし言ってなかったんだよね。シスコまでヒッチハイクしたとき、ニュージャージーでなにがあったか」

ハイウェーの休憩所で待っていたリズに、ポロシャツを小綺麗に着こなした、感じの良い男が声をかけた。ペンシルベニアの州境まで、ピックアップトラックで連れていってくれるという。道中、ふたりは穏やかに話し合った。学校のこと、スキーのこと、文学のこと――そして親切な他人のことを。

やがてトラックはハイウェーを降りた。舗装されていない下道を進んでいって、廃倉庫の前まで来て止まると、男はリズを座席から降ろした。それから彼女を犯した。草地の上、温かい陽光の下では鳥のさえずりが響き、蜂はクローバーのあいだを飛び回っていた。そのとき、リズはまだ靴下を履いていた。

だからニュージャージーの絵葉書はなかった。

「あいつが逃げていってから、あたしはやっと落ち着いた。草の上に座って、こう思った。地球の果てまでの旅行にもきっと行ける、でもどこに行っても、ずっとこれがついてまわるんだ、って。あいつがシャツを裂いて、無理やりキスしてきて……どこまで行っても心は身体に閉じ込められたまま。何度も何度も反芻して、どこにも逃げられないんだ、って」

私はリズを強く抱きしめた。腕はぶらんと垂れ下がったままだったけど、体は私に預けてくれた。小さいころはよくこうしていた。私にもっと力があったらよかったのに、と思った。彼女を持ち上げて抱きかかえて、失くしたものを埋め合わせてあげられるのに。自分が恨めしかった。リズがどう感じたのか、直感的に、身体でもって感じてあげられないことがわかっていたから。

「エイミーの言うとおり、身体はいちばん大事だと思う。でも、そんなのは脆くて不完全。身体はいつも、心を裏切ってくるから」


年をとってから旅を始めようとする人の気持ちが、私にはわからない。旅とは若い人のためにあるものだ。一定の年齢になるまでにどこにも行かずに過ごしたら、私のように生まれ育った場所で一生を終えることになる。

カムライルが世界一の場所だなんて思ってはいない。ただ、人生のすべてをここで過ごしたあとでは、他のどこかに行くことなんて考えもできないというだけの話だ。寝室を横切る影の動き、階段を昇るたび響く軋みの音、どれも水入らずの友達のようなもので、心地がいい。リンゴの樹々が、墓石のように家の裏の丘に並んでいる風景もいい。あるいはただ、何もかもに慣れきって、心地よさのあまり変えられなくなってしまったのかもしれない。あんまり多くの脳細胞が死んでしまったあとでは、これまでのつながりを簡単に捨て去ることなどできやしないのだ。

この家も、丘も、その影も、そしてリンゴの味もいまや私の身体の一部だ。その積み重ねは脳細胞の樹状突起と軸索のつながりを変えて、肌に、脳に、身体に、長年をかけて微細加工のように刻みつけられて、やがてカムライルの町の立体地図が、まるで手足の先のごとく私のもとから離れなくなるまでになった。

ときどき、もしリズのように世界中を旅していたら、私の心の輪郭はどんなふうになっていただろうと思う。

「ずいぶん違うハードで動いてたんじゃない」リズならきっと言っただろう。「そろそろ更新しなきゃ。あたしがいまから行くのはね、コートジボワール」


最後にリズが帰ってきたときは日曜だった。教会から帰ったら、家の前の古いナラの木にもたれている彼女の姿が目に入った。

私たちは二人して家に入っていった。いつものように、リズは荷物を持っていなかった。あったとして、どうせすぐに忘れてしまうだろう。無駄にできるだけ儲けているんだから結構なことだ。行く先々で新しい衣装タンスを買う羽目になって、出ていくときにはまた置き忘れていく。

夕食をとってから、デザートにアップルパイを食べた。

「ん、美味しい」リズは唸った。「まだマーサ・スチュワート、やってみる気ある?」

私たちは一緒になって笑った。リズの笑いはあんまり威勢がよかったから、食卓の皿が震えるほどだった。私はもう一度リズにこの家に住んでほしいと思った。彼女は若く、身体は輝いて見える。それは着ていたダイヤモンドの微細なネットのおかげだけではなかった。

「エイミー」ふいにリズの表情が真剣に変わった。「あたしたちがいま、何をしようとしてるか知ってる?」

リズは自身がロゴリズム社で取り組んでいるプロジェクトについて説明した。DESTINY。「これが世界を変えてくれる」、彼女はそう言った。

「エイミー、周りを見てみて。あたしが大学にいたときと比べて、技術はもうこんなところまで来てる。五十年かけて、あたしたちはいろんなものを作り上げた。文字通り自動で走る車とか、勝手に綺麗になるお皿とか、一日中使い手の様子を見て、怪我をしたり、突然気絶したりしたら助けを呼んでくれる携帯とか、時計だとか。もう、人工知能の時代になったんだよ。

でも、いまはここで行き止まり。あたしたちはかつて夢だった計算能力も、超濃密なニューラル・ネットワークに必要な記憶容量も手に入れた。でもまだ足りない――精神をどうやって作り出せばいいか、それがわからないの。確かに最新のコンピュータはチューリング・テストで正体がばれるまで半時間も持ちこたえた。でもそろそろ限界まで来たとあたしは思う。少なくとも、いまのまま手探りで進むには。

必要なのは地図。地図っていっても、あたしたちの知っている中で唯一まともに動く精神、つまり私たち人間の脳の設計図が要る。ここまで来ても結局、人間は脳の仕組みをろくに分かってない。核磁気共鳴、超音波、赤外線、死んで凍結された脳の解剖、できる限りのことは全部試した。それでも表層をすくった程度でしかない。分解して再構築して、思うように動かせる精神をつくるには、リバース・エンジニアリングしなきゃいけない」

彼女の言葉には科学的な興奮があった。けれどどこか変だと、私の身体は気づいていた。ひどく緊迫していて、張り詰めたような感覚。

「えーと、だから、DESTINYっていうのはその、十分な解像度で脳をスキャンできるようにしてくれる、そういう技術をつくるってこと?」

「違うよ、エイミー。もうそんなことはとっくにできてる」そのときリズが浮かべた笑みを、私は一生忘れないだろう。彼女はこう言った――エイミー、もうわかってるでしょ

「脳を裂いていって、一度に一層ごとのニューロンを取り出す。うちの社にはそれができる。何年も前からね」

「じゃあ、DESTINYっていったい何の略語なの」私はおそるおそる訊ねた。

神経機能解明のための、侵襲的電磁走査Destructive Electromagnetic Scan To Increase Neural Yield

侵襲的。私は声も表情もなく、リズを見つめた。なにを言えばいいのかわからなかったし、どう思っていたかも記憶にない。リズは、自分の脳がその内部の接続を保ったままニューロン一層ごとにスライスされて、接続が記録され、そのすべてが地図にされていくのがどんなふうなのか説明してくれた。これが全部、脳が生きているあいだに行われるのだ。

「死んだ脳じゃだめなの?」

「もう試したよ。でも劣化するのが早すぎる。それにスキャンに使えるような脳にはたいてい外傷とか病状があって、そのせいで見つけたいパターンが霞んじゃう。心の抜け殻になった死んだ脳から心を作り出すなんて無理だよ。生きた心臓を解剖しないと、循環系の仕組みがわからないのと同じ。

さっき言った方法を使えば、脳の細部の何もかもが記録される。ニューロン同士のどうでもいいような接続まで含めて、ね。それから脳のコピーを半導体でつくって、あたしはそこで生き返る。何億倍も早く頭が回るようになるし、身体がないから歳を取ったり死ぬこともないけど、それ以外は一緒。もし人類全員がこうなったら、もう誰も死ななくていいんだよ。こんなか弱い身体の牢獄に閉じ込められずに済む。やっと私たちは、すべきことを全うできるようになる」

「でも、失敗したら?」

「やってみなくちゃわからないでしょ。人事を尽くして天命を待つ、ってやつ。もし失敗しても、ちょっとした旅行みたいなものだし」

かくして私は、リズがまた旅に出る覚悟を決めたことを知った。今度ばかりは、彼女に持たせるものは何もなく、助けてあげることもできない。私にできるのは身体の面倒を見ることだけで、彼女はついにそれすらも捨てていこうとしている。リズにはついに、ほんとうに旅立ってしまうときが来たのだ。


真っ白な病室の中、精密切断器の刃が頭の上、視界の輪郭近くでぐるぐると回っている。私は落ち着こうとするけれど、ろくに静まらない。スキャン結果が狂うから、麻酔はなしだ。私は担架の上に縛り付けられたままで、最初の一撃の痛みはもう信じられない。あまりに強烈で、視界が閃光で吹き飛ばされる。そして心のなかで思うのだ、ああ、これを一度に一層ずつ、これから何百万回も繰り返すんだ、と――

たいてい、このあたりで目が覚める。もちろんこんな悪夢が現実に根ざしていないことは分かっていた。実際に使われた器具は、私の中世めいた想像が及ぶ限界よりもずっと高度なものだったはずだ。ただその場に居合わせなかったから、実際に社の人間がどうやったのか私は知らない。手術のために、彼らは秘密裏にアルジェリアまで行かなくてはならなかった。どこの国の法律でも、それは殺人としてしか扱われなかっただろうからだ。

ボストンまで遺灰を拾いに行ったとき、スキャン結果のコピーも受け取った。それはマッチ箱程度の大きさの、二十個のシリコンウェハーだった。私の妹が、命を捧げた欠片たち。

私は無人の役所窓口でそれを受け取るなり、コンクリートの床でそれらを一つずつ、一つずつ踏みつけて壊した。

彼女の最期の瞬間はロゴリズム社のスーパーコンピュータの電子記録の中に永遠に保存されている。あれをもって最期と呼ぶかどうかは言葉の定義によるだろう。ただ少なくとも私にとって、その瞬間は最期だとか、そんな話でさえなかった。それは妹の旅先、私にとって月面以上に親しみのない場所で起きたことだ。電子化されたリズの思考は、スキャンに基づいてつくられた神経網のうえで五秒未満のあいだだけ持続した。コンピュータにとっては、それでさえ永遠にひとしい。リズの思考はその、毎秒あたり数十億回のサイクルのあいだに散逸して、消失したのだ。

何が起きたか、ロゴリズム社が解き明かすには数年がかかるだろう。調査チームのひとりの神経科学者は、神経網のなかで過ごしたリズに、身体感覚的フィードバックが完全に欠如していたことが失敗と関連しているかもしれない、と推測した。想像してみてほしい。闇の中、動くこともできず、指先も、爪先の感覚もない。肺は空気を求めてあがき、けれどそれでさえ知覚の外で、何年ものあいだ思考のほかに頼るものはない。壺の中に閉じ込められた脳はついに狂ってしまうだろう。結局、身体がいちばん大事だったのだ。

リズは身体を捨てて、刹那、心まで一緒に捨ててしまった。


リズは六歳のころ、魂がどんな形をしているのか、父さんに訊ねたことがある。

「たぶん、ちょうちょみたいな形だろうな」父はそう言った。それはいい返事だった。中世に描かれたたくさんの絵画が、それを裏付けていたからだ。

精一杯考えて、リズは言った。「じゃあ、魂はとっても軽いんだね」

父は頭の上までリズを持ち上げて、母の植えた観葉植物のあいだを飛び回らせ、ちょうちょのふりをさせてやった。彼女の笑い声はきっと、はるか丘の上の果樹園からでも聞こえただろう。


長年の訴訟も、ロゴリズム社が保有するリズのコピーを破棄させることはできなかった。彼らはそのコピーが破棄できないほど重要な科学的データで、これから待ち受ける人工知能研究にも欠かせないと主張した。けれど直後に湧き上がった騒動は、非侵襲的検査法の制定につながり、いまやロゴリズム社は北米で操業していない。それが私にとって唯一の救いだった。

私は未だ、リズをきちんと弔うことさえできていない。彼女は死にきってはいなくて、どこか別の大陸にある記憶の格子の隙間で、氷漬けになったままだからだ。社の人間がさらに精巧な神経網を用意して、秘密裡にリズを蘇生させようとしたことは間違いない。私には、その度に彼女が身体も心もない、天涯の孤独の苦しみを味わったこともわかる。たくさんのコピー、たくさんのリズ。そのうちどれが私の妹で、どのリズを悼めばいいのか、私にはわからない。

だから今の間は、私は朝の陽の光と、コーヒーの香りで身体を潤す。絵葉書のコレクションに目をやり、パイを焼き、自分の番を待つ。そのときが来れば、私のことはベスがきちんと弔ってくれるだろう。

私は紅玉をかじる。その心地よい酸味を、身体じゅうに染みわたらせながら。


©2021 Ken Liu, haxibami. クリエイティブ・コモンズ・ライセンス 表示-非営利-継承 4.0 国際