科学についての思索は、今日では他の人間の行いや思考とは比較できないほど大きく拡大しています。科学が私たちにもたらし、確実に私たちを豊かにしてきた成果はさておき、科学の実験的努力は勢いと裁量を増しており、私たちを向上させ、人類のありようを変えています。私たちは、経験豊富で知識豊かなホメロス風の賢者のような道徳的テーマのほうを好ましく思うのかもしれません。
人々の都市よ
そして風習や風土、会議、国制よ
だがこれは、自然の業にくらべれば
人々の騒がしいやりようは
たかが舞い立つ塵にすぎず
やがてまた輕やかにおさまるもの
と認めて締め括るしかないのです。科学はこの自然の業を確かめようとするのですが、自然は時間でも空間でも限りがなく、科学は自然に近寄ることしかできないのですから。
科学の全く手の届かないものが存在するとはいえ、しかし科学の範囲は実際問題としては限りがありません。だから私たちは時おり、了見の狭い道徳的世界にはなんら類似点のない理論に驚き当惑するのです。というのは、科学の一般概念は、限りのない創造を通じて、絶えず範囲を拡げ、より高みへ昇ろうとして、あたりへと浸透していくからなのです。天文学は望遠鏡を使ってそれまで知られていた星々をこえて範囲を拡げ、生理学は顕微鏡を使って限りなく細かいところまで細分してきたのですが、その一方で、私たちの有史以来の数世紀は私たちが住んでいるこの惑星の歴史の中では不相応な反抗的行為だとみなされると思っているのかもしれません。科学は新たな一般概念の素材を得たので、私たちは自然や自然の中の生息するものの関係についての新しい概念を期待しています。それに私たち以前のすぐれた博物学者の知識のようにきわめて高等な知識で、私たちを新奇であると同時に広汎に及ぶ仮説に直面するかどうかを懸念する理由はないのです。今後この仮説は支持されるかもしれないし、そうでないかもしれません。何か他のものにとってかわるのかもしれず、またより高次の科学がそれまで科学が多大な技能と忍耐をつぎこんで築きあげたものを覆すかもしれません。しかし、私たちがベーコンの相続人でガリレオの解放者という地位を保とうするのなら、その仮説がそれだけの力があることを科学的な検証によってだけ確かめるしかありません。私たちは巻き起こる論争でこの仮説を厳密に、適切な検証によってだけ、それ以外のなにものにもよらず、比較検討しなればならないのです。
私たちが注目している仮説、ダーウィン氏がこの本で予備的概要だけを示している仮説をその言葉通りに言うと「自然淘汰によって、つまり生存闘争で長所に恵れた種族が保存されることを通して、種は生じるのだ。」ということになるでしょう。このテーゼを理解できるものにするには、そのなかの用語を説明することが必要です。まず種とは何でしょうか。この質問は簡単ですが、その正しい答を見つけるのは、種についてよく知っている人に助けを求めたとしても、非常に難しいものです。曰く、種とは一対の両親の子孫であるすべての動植物である。曰く、種とははっきり区別して定義できる生命有機体のグループの最小のものである。曰く、種は永続的で不変な実在である。曰く、種は自然界には存在しない人間の知性の単なる抽象物である。権威ある典拠からいくつか抜き出してみると、この単純な言葉に以上のような意味が与えられているのです。そこで、用語や理論上の細かな区分を傍らに置いておいて、事実に立ち返り、実際に種の名前がつけられているものを研究して、自分で意味を知ろうと努めてみても、あまり役にたちはしません。というのは実地のほうも理論と同じくらい様々なのです。二人の植物学者か二人の動物学者にある地方の産物を調査させ記述してもらうとしましょう。すると全く同じものを分類した種の数や範囲、定義に関して、ほぼ確実にお互い食い違ってることでしょう。イギリス諸島では、人類はひとつの種だと考えるのが普通ですが、蒸気船で2週間行ったところの国では、神学者と学者が、ここぞとばかりに一致して、妥当な証明もなしに、人類は異なる種からなっているのだ、もっと詳しく言うと、黒人種は、十戒が実ところ黒人については何も言っていないのだから、自分たちとは違っているんだと、互いに競いあって大声で断言してます。この罪深い世界では情熱と偏見が心をかき乱さないところなどないようで、昆虫学という冷静な分野でさえ、ある博識な甲虫学者が甲虫の種について述べた10巻もの著作を出すと、仲間の甲虫屋がすぐにそのうちの10分の9は種ではないと断言したりするのです。
本当のところ区別される生物の数はほとんど想像を超えています。こういう種類は昆虫だけでも少くとも十万種が記載されていて、それはコレクションで同定することができるでしょう。生物の分離できる種類の数は50万種というのでは少なすぎる見積もりです。こういったはっきりとした種類のほとんどに偶発的な変種があり、たいていは気づかない程の度合で他の種類へと移り変わっていくとわかれば、何が永続的なもので何が一時的なものか、どれが種でどれが単なる変種かを区別するなんて、どう考えても何ともぞっとするような作業です。
しかし本物の種を単なる変種から区別するのに利用できるようなテストというものはないものでしょうか。大家たちはあると断言しています。同じ種の成員どうしの交尾では繁殖するが、異なる種の間では不妊であるかいわゆる雑種ができるというのが、そういう基準だというのです。これは実験上の事実というだけでなく、これによって種の純粋性がたもたれるのだと明言しています。こういった基準はとても有益です。けれど不幸なことに、その助けが必要なときに多数のものに適用する方法が明確でないだけでなく、一般的な妥当性がはっきりと否定されていのです。もっとも信頼できる権威であるハーバート氏は、自分の観察と実験の結果として、多くの雑種がその親の種と同じくらい繁殖力があるばかりか、Crinumcapenseという特定の植物では、異なった種と交配したほうが、その種固有の花粉で受粉したときより繁殖力があると断言しています。一方有名な園芸家はサクラソウとキバナノクリンザクラの交配にはとても苦労し、数年に一、二度成功するだけなのですが、サクラソウとキバナノクリンザクラは同一種の植物の変種にすぎないことは、立証済みの事実なのです。もう一つ、A種の雌をB種の雄と交配すると繁殖するのに、B種の雌をA種の雄と交配すると不という場合があることも立証されています。こうした事実が仮定した基準を無価値なものにしてしまうのです。
種というものを確定するときの際限のない難しさにうんざりして、研究者が分離できる種類というおおまかで実際的な区別で満足し、種を自然界に現れるままに研究しよう、種とそれを取り巻く条件との関係、構造との相互的な調和と不調和、種の現在の姿と過去の歴史とを結びつける絆を確かめようと努めるなら、一般に認められた概念に照らせば、ひどく混乱しており、せいぜい計画の非常に不鮮明な輪郭しか持ち合わせていないことに気づくことでしょう。もしひとつでもはっきりと確信していることがあるとすると、それは生物のどの器官もその生活でのある特殊な用途に巧妙に適応しているということなのです。かのパーレーは、見たところ無用の器官である脾臓が他の器官の間にうまく収まるよう美しく調整されていると語りかけなかったでしょうか。しかしながら、研究の発端では、植物組織の特性の半分には全く適応上の理由を見出せません。彼はまた、子牛の歯肉や鯨の胎児の歯肉に決して使われることのない退化した歯があることや、噛みつくことのない昆虫に化した顎があることや、飛ぶことのない昆虫に退化した翼があること、生来盲目の生物に退化した眼があること、歩行しない生物に退化した肢があることを発見します。さらにまた、どんな動植物もいきなり完成形になったのではなくて、すべて同じ点から出発しながら、それぞれがたどった経路でこのように多種多様になったのにちがいないことを発見します。人や馬、猫、犬、ウミザリガニ、甲虫、タマキビ貝、カラス貝だけではなしに、海綿や極微動物でさえ、本質的には見分けのつかない形態で存在を開始したのです。それは植物の際限のない多種多様さにも当てはまることです。いやいや、それ以上で、あらゆる生物が、ともに並んで発展の大道を行進し、後に分かれたものほど、今あるようなものになってきたのです。それは教会を出て行く人々が、みんな通路を通って戸口まで来ると、牧師館へ向かう人もあれば、村へ行く人や、隣の教区へと分かれていく人もあるのと同じようなものなのです。人間はその発展の中で、しばらくの間はもっとも下等な蠕虫形の生物と、同じ道を通りはしなかったが、並んで走り、それからしばらく魚類の傍らを旅し、そのあと旅の仲間の鳥類と爬虫類と一緒に旅したあと、最後に、しばらく四足動物の世界の最高等動物の仲間になった後、純粋な人類という高みにまで昇りつめたのです。今日のちゃんとした思索家はだれも、未知で未発見の目的適合性が存在するという考えでこういう明白な事実を説明しようと夢みたりはしない。そして事実を無視して権威に左右される人には、我が高名な解剖者オーエン教授ほど目的論的な学説が生理学や解剖学に応用できないと強く主張した者はいないということを、思い起こさせておきましょう。オーエン教授は、こうした事例について、次のように言っています(「四肢の本質について」pp39,40)-「合目的的な適応という原理が問題の全ての条件を満することができないのは明白だと私は思う」と。
しかし、目的論的学説が生物組織の異形を理解する助けにならないとしても、適応の原理は確かになぜ生物が特定に地域にだけ見られて他の地域にはいないのかという理由を理解させてくれます。ご存知のとおり、ヤシはイギリスの気候では成育しないし、カシはグリーンランドでは成育しません。シロクマはトラが繁殖する地域には生息しないし、その逆もまた然りです。動植物種の本来の習性の調査が進むにつれて、概して、動植物の種はますます特定の地域に限定されていくように見えます。しかし動物や植物の地理的分散の研究によってわかってきた事実を見てみると、生物たちが示す不思議な、見たところ奇妙な関係を理解しようとするのはまるで望みの無いことに思われます。人は、どの国でもそこで生息し繁殖するのにもっとも適した動物が当然住んでいるものだと、先験的に仮定してしまいがちです。しかし、この仮定に基づくなら、南アメリカのパンパには、新世界のこの地域が発見された当時、牛がいなかったことをどう説明すればよいのでしょうか。そこが牛に適してないということはありません。というのも、現在はそこに何百万頭もの牛が放し飼いになっているのです。同じことがオーストラリアやニュージーランドにも当てはまります。北半球の動植物が南半球でも固有種同様にうまく順応して生息しているというだけでなく、確実にもっとうまく適応して土着種を圧倒し根絶するというのは、実際奇妙な状況です。だから、明らかにある国に自然に生息している種が、必ずしもそこの気候やその他の条件にもっとも適応しているというわけではないのです。島の生息種は他の知られている動植物種とは違っていることが多い(最近の事例はエマーソン・テネント卿のセイロン島に関する業績に見られる)のですが、たいていいつも一番近い本土の動植物に似た一般的な科の種類なのです。一方、パナマ地峡の両側で共通する魚、貝、蟹の種はほとんどいないです。私たちが見るところいたるところで、生ける自然はなかなか解けない謎を出してくるものです。見るもの全てが知り得るものと仮定してのことですが。
けれど、生命についての私たちの知識は、現存の世界に限られているわけではありません。多少の違いはあるにしても、我が地球の目に触れる部分を構成しているのは膨大な厚みの堆積地層であり、その地層が不完全だが唯一の手に入る証拠となって示しているのは想像を絶するような莫大な時の経過だということについては、地質学者の言うとおりです。さて、この厚い一連の層状の岩石の大部分には、たくさんの有機的な遺物、つまり岩をつくっている泥がまだ軟らかく生物の遺骸を受け入れて埋蔵できるころに、生きそして死んだ動植物の化石となった残骸が散在し、ときには大量に存在しています。こうした有機的な遺物が断片的な遺物であると考えるのは大きな間違いです。博物館には、できた時代そのままの姿のはかりえないほど大昔の化石化した貝殻や、配列がむちゃくちゃな腕を欠いた全骨格、そればかりか変形した魚、発生途中の胚、太古の有機体の足跡までもが展示されています。こうして博物学者は地球の内奥に、いま地表の空気を呼吸している生物種と同様にきちんと規定され、それよりももっと多くの動物群に分けられている種を発見すます。しかし、とても奇妙なことに、こうした埋蔵された種の多くが現存する種とはまったく異なっているのです。そしてこの違いには規則と秩序があります。はっきりしている事実としては、時間をさかのぼればさかのぼるほど、埋没種は現存種とますます違ったものとなり、また絶滅生物の群が離れれば離れるほど、ますます異なったものとなっていきます。言いかえると、生物の整然とした系列があり、新しいものになるにしたがって、非常に広義で一般的な意味で、現存の生物に多少なりとも似てくるのです。
かつてはこの遷移は、広汎な一連の破局、絶滅、再創造の総体的な結果なのだと考えられてきました。しかしこういう破局というものは、現在では地質学的な、少なくとも古生物学的な考えからはほとんど消え去りました。生物の連鎖の破断と見えるものは、絶対的なものではなくて、私たちの不完全な知識に関連してそう見えているだけだいうこと、種が別の種に置き換わるのは、丸ごと一斉にではなく、一つづつ置き換わっていること、過去の現象全体を目のあたりにすることができれば、地質学者が使っている便宜上の時代区分や累層区分は、なにかしらの個別性をもっているとはいえ、太陽光線のスペクトルの識別され分離可能な色と同じように、境界で互いに溶けあい、漠然としたものになるということ、こうしたことがいたるところで認められるようになってきたのです。
こういうことが、種についてはっきりわかっている主な事実を手短にまとめたものです。こういう事実は究極的でこれ以上分解できない事柄なのでしょうか。それともその複雑さと混乱は高次の法則の単なる表われにすぎないのでしょうか。
大多数の人たちは実際上は前者の立場が正しいものと仮定しています。この人たちは、モーゼの五書の作者は他の真理同様に科学的真理を私たちに教える権限と使命を与えられており、そこに書かれている生物創造の説明はそのまま文字通りに正しいのであり、それに矛盾するように思われることはみな、ことの本質からして誤りであると、信じています。そこに詳しく述べられているあらゆる現象は、この見解によれば、神が創造をお命じになったことの直接の産物であり、その結果、まるごと科学の領域の埒外にあることになるのです。
この見解がつまるところ正しいと証明されようが誤りと証明されようがどっちにしたって、理性的に議論できたにせよ、今のところ一般に論理的証明といわれているものよって、それが立証されることはありません。だから、私たちはそういう見解を打ち捨てて、科学的基盤に基づいていると公言しており、したがってその結論についての論争を許容している見解に依拠すればよいのです。そして実際に問題に事情に通じている(これは明らかに著しい利点です)人はいつも後者の範疇の立場をとるのが適切だと考えるものなので、私たちも躊躇なくそうしようと思います。
こういう判断能力のある人の大多数は、これまで二つの見解を堅持してきました。第一はどの種もある明確な範囲の中で固定しており変化することはできないということ、第二はどの種ももともと別個の創造の御業によって創られたという、二つです。第二の見解は明らかに証明することも反証するともできません。創造主の直接の働きは科学のテーマではありません。だから、第二の見解は第一の見解の直接的な帰結とみなさなくてはなりませんし、第一の見解の真偽がその証拠物件となるのです。ほとんどの人がそのことを支持する議論が圧倒的に優位にたっていると思っています。しかし少数の人々、それもはっきり言ってかなりの能力と理解力をもつ識者にとっては、そういう議論は納得できるものではありませんでした。こうした意見のなかに、有名な博物学者のラマルクの意見も含まれるのです。彼はキュビエを除けばその時代の誰よりもよく下等生物について知っており、その上、優れた植物学者であり、重要な地位にあった人です。
この優れた人物の思考過程には、二つのことがらが強い影響を与えたと思われます。その一つは、類似性という鎖の環が、精妙であれ頑丈であれ、生物を互いに結びつけており、こうしてもっとも高等な生物から最下等の生物まで、なん階層にもわたってしだいに変化していくということです。もう一つは、ある器官を特定のやり方で使うことでその器官が特定の方向へと発達するということであり、いったん引き起された変形は子孫に伝わり遺伝性のものになるということなのです。こういう事実を総合して、ラマルクは最初のことがらを第二のことがらから説明しようと努めたのです。彼が言うには、ある動物を新しい環境においてみると、その必要とするものが変わります。新しい必要は新たな欲求を生みだし、そういう欲求を満足させようとする試みが使われる器官を適切に変形するという結果をもたらすというのです。ある人を鍛冶屋にすると、上腕筋を使う必要から上腕筋が発達しますが、ラマルクによれば、同じようにして、「首の短かい鳥が水に濡れずに魚を捕まえようと、長い時間と忍耐をかけて努力するうち、現在のサギや首の長い渉禽類が生れてきたのだ。」ということになります。
ラマルクの仮説は長い間、当然のことに、だめなものときめつけられ、初学者たちはみなこの死んだ獅子の死骸を蹴りつけるというのが、お定まりの習慣になってきました。しかし真の偉大な人物の誤りとはいえ、ただ嘲笑をもって遇するのでは、あまり賢明でも教育的でもないでしょう。しかもこの場合、学説の論理的形式が依って立つ基盤は、その内容とはまるで異っているのです。
もし種が本当に自然の状況の作用で生じるのなら、今そうした状況が働きかけているところが見つからなくてはなりません。つまり自然の中に、ある種類の動物なり植物をそんなふうに変形して別の種類、しかも博物学者が異る種だと認めるような種類を生じさせるような力が発見できなければならないのです。ラマルクは、ある器官を使うことで変形するという公然と認められた事実にこの「真の原因」を発見し、そしてまた一旦生じた変形は遺伝的に伝わることができると思い込んだのです。彼は、生じうる変形の量にはなにか制限があるかもしれないと考えるだけの理由があるかどうか調べてみようとか、動物はどれほどの間かなわぬ欲求を満そうと努力しそうなものか問うてみようとか、思いつきもしなかったようです。今の例で言えば、鳥はその脚や首に最小限の効果が生じるまでは、魚の御馳走をあきらめるしかなかったのでしょう。
ラマルクの時代以降、いっぱしの博物学者のほとんどが、種の起源についての考察を「痕跡」の著者のような夢想家に任せてしまいました。この著者がよかれと思ってした努力は、まっとうにものを考える人たちみんなに、ラマルク理論はだめだという思いを決定づけてしまったのです。しかしこのように黙殺はしたものの、いわゆる変移論(ラマルクの進化論)は、乾燥した植物標本や外皮標本にただ名前をつけることに全霊をかたむけている真面目な動物学者や植物学者の多くにとっては、「物置の骸骨(知られたくない過去の恥ずべき秘密)」でした。たしかに、こうした人は、自然は広大で首尾一貫した統一体であり、生命の世界に打ち立てられた神の意思による秩序は、それを正しく見ることさえできれば、感覚を持たぬ物質の多様な形態にたいして生物界が優位にたっていることと一致しているのだと考えていました。けれど、天文学、物理学の全分野、化学、それに医学の歴史というものは、それまで無知なために高次の力の直接的介入と見えていた事象に、しばしば痛ましくもその意思に反して、神ならぬ副次的因子の作用を認めてきた進歩の物語でしかないのではないでしょうか。そして生物が無機世界と同じ元素でできており、生物が、自然に対し恭順である多くの紐帯に縛りつけられて、無機世界に作用し反応していることを私たちが知った今、生物が、それも生物だけが、その見かけの無秩序さになんら秩序を孕んでいるわけではなく、またその見かけの多様性のなかになんの均一性も潜めておらず、相互の関連についての主要で壮大な法則の発見によって解明されることなどないのだということなど、ありそうなことなのでしょうか。それどころか、そもそもそんなことは可能なのでしょうか。
こんなふうな疑問は確かにこれまで何度となく出てきたのですが、もしこの記事を書こうという気にさせた著作が出版されてなければ、科学界の注目をひくような形で表されるようにはなかなかならなかったでしょう。その著者のダーウィン氏は高名な家名を継ぎ、今でこそ著名になった学者がまだ若かった頃に科学の分野で業績をあげ、ここ20年間ずっとイギリスの学者たちの第一線に立ち続けてきました。科学を愛するというだけで参画した世界周航の旅のあと、ダーウィン氏は一連の調査研究書を公刊して、たちまち博物学者や地質学者の注意を惹きつけました。その一般的な概念はそれ以来広く確証され、今では普遍的に承認されており、科学の進歩に非常に重要な影響を与えたことは、疑問の余地もありません。最近ダーウィン氏はすばらしい才能を発揮して、動物学および精密解剖学のもっとも難しい問題に関心を寄せていますが、その労作ほどすばらしいモノグラフを公刊した者は存命中の博物学者や解剖学者に誰一人としていないでしょう。ともかく、このような人物が手を洗い浄めることもなく聖域に押し入るようなことはありませんでしたが、その20年にわたる研究と省察の結果が提示されれば、たとえそれで打ちのめされようと、傾聴するしかないでしょう。しかし、その著作を読んでみると、最初のうちは義務感から集中していたのに、すぐに喜んでそうしていることに気がつくはずです。それほどに、著者の考えは明晰で、その信念ははっきり述べられており、その疑念が率直に表明されているのも正直で公明正大なのです。この本を批評しようとするなら、この本を読むべきです。ただここでしようとしているのは、私なりのやりかたで、その論述の仕方や思想上の位置付けを一般読者に分りよいものにしようとしているだけなのです。
ベーカー通りの市はいつものように毎年恒例の賑わいを見せています。想像しうるかぎり原種とは似ても似つかない背中がまっすぐで頭が小さく胴の大きな牡牛が、6品種もの羊や、イノシシとは市会議員とオランウータンほども異なってしまった肥満した信じられないような豚の群と、注目と賞賛を競っています。これまで家畜品評会に続いて家禽品評会が開かれてきましたし、今後もおそらくそうなのでしょうが、その家禽の驚くべき鳴きの才能からすると、本源種のPhasianusgallusはまったく似ていないということだけははっきり断言できます。もし動物の変異種を探して満足いかないのなら、セブン・ダイアルズを一、二度まわれば、鳩の品種は互いにまた親の血統とも全然違っており似ていないことで納得することでしょう。また、園芸協会では自然の型から逸脱した植物品種を多数提供してくれます。そうこうしているうちに、こうした動植物の変異種の所有者や栽培者は確固とした信念をもって、この変異種を区別された種とみなしており、その信念は科学的生物学についての無知さ加減にちょうど比例して強くなり、またこうした「種」を「創り出す」技術を自慢に思うにしたがって著しくなることを、さして驚くこともなく悟るでしょう。
注意深く調べると、動植物のこういった人為的品種、それにその他の人為的品種も一つの方法で創り出されたということがわかるでしょう。品種改良家--熟練した改良家というのはとても賢明で、生れながらにせよ努力して身につけたにしろ洞察力を持った人にちがいないでしょうが--は、どうして生れたのかは分らないものの、自分の飼っているもの個体のなかの、ちょっとした違いを見落しません。もしこの差異を定着させて、問題の特徴でとても目立つ品種を創ろうと思えば、望む特徴を持った雌雄の個体を選び出し、繁殖させるのです。それから、その子孫を注意深く調べ、一番はっきりと特徴を示しているものを繁殖のために選び出します。そしてこの操作を、もともとの品種からの違いが望むほどになるまで、繰り返すのです。そこで選択という手法を繰り返し、はっきりした品種からずっと品種改良し、不純な交配種がじゃましないようにしていけば、品種ができるのかもしれないということに気づきます。自分自身を再生産しようという傾向はき極めて強いのです。それでこうして作りだされる分岐の総量の限界はわかりませんが、一つだけ確かなことがあります。それは、もし犬か鳩か馬のある品種が化石状態でしか知られてなければ、どの博物学者も迷うことなくそれを別個の種とみなしただろうということです。
しかし、この場合はいずれも「人的介入」があるのです。品種改良家がいなければ、選択は行なわれず、選択がなければ品種もないのです。自然種がなにか同様の方法で生じる可能性を認めるまえに、人間に代わって自然のままに選択の働きをする力が自然の中にあるということを証明しなければなりません。ダーウィン氏が主張しているのは、彼が名付けるところのこの自然選択が存在しどう働くかを発見したということなのです。もし彼が正しいなら、この過程はまったく単純でわかりやすいものであり、とてもありふれているが、ほとんどすっかり忘れられている事実から否応なしに導き出されるものなのです。
例えば誰か、生物の間で日々刻々繰り広げられている凄まじい生存闘争のすべての結果を十分に考え抜いた人がいたでしょうか。どの動物も他の動植物を犠牲にして生きているというだけでなく、植物でさえも戦争状態にあるのです。大地は芽を出すことのできない種子で満ち満ちているのです。芽は互いに空気や光、水を奪いあい、もっとも強力に奪ったものが、一日の生存を勝ち取り、競争相手を滅ぼすのです。毎年毎年、人が全く干渉していない野生動物は、平均すると、以前よりも数が増えるか減るかのどちらかです。知ってのとおり、どのつがいも年に一匹からおそらく百万匹の子を生みますが、数学的にはっきりしているのは、平均すると毎年生れるのと同じくらいの数が自然な原因で死に、死んだものよりたまたま破滅に抵抗するのにわずかに適していたものだけが生き延びるということです。種の個体は、沈みゆく船の乗組員のようなもので、泳ぎが得意なものだけが、陸地にたどり着くチャンスがあるのです。
生物が生存している避けがたい状況というのは疑いなくこういったものなのですが、ダーウィン氏はその中に自然淘汰の仕掛を発見したのです。この絶え間のない競争の最中に、A種のいくつかの個体が、加わっている闘争にたまたま仲間よりもちょっとだけ適合している偶発的変異を示しているとしましょう。そうするとこういう個体は他の個体より育つのに有利だというだけでなく、他の点でも仲間を凌駕するのに有利となり、子孫を残す機会も増えますが、その子孫は当然ながら親の特性を再生する傾向があるでしょう。その子孫は、類推すると、同世代の他の個体より優位にたつ傾向にあり、Aのような種はこれ以上存在する余地がない(そう仮定するのですが)ので、問題となる新たな破壊的な作用によって弱い変種はだんだんと滅んでいき、より強いものがとってかわっていくでしょう。とりまく環境が不変のままなら、新しい変種(これをBと呼びましょう)が、議論を進めるうえで、もとの品種から出てきたなかではこの環境に一番適合していると仮定しますと、この型から生じた偶発的な変異は、その地位にはBそのもより適していないので、たちまち消滅することになり、Bは不変のまま残ることになります。Bが存続していく傾向は世代を重ねるごとに強まり、やがては新しい種であるというだけの特性をすべてそなえるようになります。
しかし一方、生物の環境が、たとえわずかとはいえ変化するなら、Bはもはや、その破壊的な、そしてそれに屈っしないことが有利にはたらいていた作用に耐えるのに一番適合した形態ではなくなるでしょう。そういう場合には、もっと適応のよい変種Cが出現し、それがとってかわって新しい種となります。こうして「自然淘汰」により、Aから種Bと種Cが次々と出現することになるのです。
この非常に巧妙な仮説で私たちは時間的にも空間的にも生物の分布に明らかな例外がたくさんあることの理由を納得できるし、この仮説が生命や有機体の主要な現象とは矛盾していないことは、疑問の余地はないでしょう。それに今のところそれ以前のどの仮説よりずっと優れていると認めることができるでしょう。しかし現在の研究段階でダーウィン氏の見解が正しいか間違っているかをはっきりと断言することは、全く問題が違います。ゲーテには、彼が「行動的懐疑」と呼んだ精神状態を定義した優れたアフォリズムがあります。それは真理を愛するがゆえに、あえて懐疑しつづけることもないが、不確かな信念で自らを消し去ることもしない懐疑なのです。そして種についての研究者には、種の起源についてのダーウィン氏やそれ以外の人たちの仮説に関して、この精神状態をお薦めしておきましょう。あと二十年ほど複合的な研究が進めば、博物学者は、ダーウィン氏が自然の中に存在することを満足のいくように示した変化の原因と淘汰の力が、彼がその効果としたもの全てを生じさせうるのかどうか、あるいはまた一方で、ラマルクが訓練による変形という真の原因を過大評価したように、ダーウィン氏もその自然淘汰の原理の価値を過大評価してしまったのかどうかを言うことができるでしょう。
しかし、どちらにしても、最近の著作者にはそれ以前の人たちより有利な点が一つあります。ダーウィン氏は、自然は真空を嫌うというような単なる空論を嫌っています。彼は憲法学者と同じくらい事実や前例を貪欲に求めていますし、また彼が主張している原理は全て観察と実験という検証に付すことができるものです。彼がつき従うよう言っている道は、観念的な蜘蛛の糸ででっちあげられた、ただのとりとめもない道筋ではなく、事実という確固とした幅の広い橋なのです。そうであれば、私たちはその道を通って、私たちの知識にあいた多くのさけ目を越えて、大家が適切にも警告をしている、目的因という魅惑的だが石女の処女の罠からのがれた領域へと導かれるのです。「息子たちや、葡萄畑を掘るのじゃ。」というのが寓話の中で老人の遺言でした。息子たちは宝をみつけられませんでしたが、葡萄で財をなしたのでした。