目の前にあるもの, ジョージ・オーウェル

目の前にあるもの


最近多くされている報道によると国内消費や輸出のために必要とされているだけの石炭を採掘することは完全にとは言わないまでもほとんど不可能になっているそうだ。十分な数の炭坑夫を炭鉱に確保することができないためだと言う。先週、私が目にしたある統計は炭坑作業員の年間の「損耗」は六万であるのに対して新しい作業員の年間の採用は一万であると推定していた。一方で……時には同じ新聞の同じコラム記事で……ポーランド人やドイツ人を使うのは望ましくない、そんなことをすれば石炭産業での失業を招くとも言われている。このふたつの発言は必ずしも同じ発言者からされているわけではないが、互いに完全に矛盾するこうした考えを同時に頭の中で持つことのできる人間が大勢いることはまず間違いない。

これは極めて広汎に広がっている、おそらくはこれまでもずっと存在していた思考習慣の一例に過ぎない。バーナード・ショーは「アンドロクレスと獅子」の序文でアブラハムからイエスの父ヨセフへとたどる家系から始まるマタイ福音書の最初の章から別の例を引いている。最初の節でイエスは「アブラハムの子であるダビデの子」と書かれ、そこから十五節にわたって家系がたどられる。しかしその先の節では実のところイエスはアブラハムの子孫ではないと説明される。なにしろ彼はヨセフの子ではないのだ。これは信心深い信徒には何ら困難を呼ばないとショーは語り、同様の例としてティッチボーンの主張者ティッチボーンの主張者:事故で行方不明となっていた貴族家の相続人を騙る肉屋の男が現れた1860年代のティッチボーン事件の犯人を指すの支持者たちによってロンドンのイースト・エンドで起きた暴動を挙げている。この支持者たちはイギリスの労働者は自身の権利から疎外されていると主張していたのだ。

こうした思考方法は医学的に統合失調症と呼ばれるものだと私は考えている。いずれにせよ、それは互いに打ち消し合うふたつの信念を同時に抱く能力である。これと密接な関係を持つのが明白で変えようのない遅かれ早かれ直面する事実について議論を燃え上がらせる能力である。この悪癖がとりわけ蔓延しているのが私たちの政治における意見だ。いくつか事例を挙げさせて欲しい。互いに本質的な関連は持たないものだ。ほとんど無作為に取り上げた例に過ぎず、頭のどこかでは事実に気がついている人々が目を背けている明白で疑いようのない事実についてである。

香港。戦争の前の何年もの間、極東の状況を知る誰もが香港における私たちの立場は擁護不可能で、大規模な戦争が始まればすぐにその地を失うだろうことをわかっていた。しかしながらこうした知識は耐えられないもので、歴代の政府は香港にしがみつき続けてそれを中国に返還しようとはしなかった。日本が攻撃を開始する数週間前には、まず間違いなく無駄に捕虜となるのがわかっていたのに新しい部隊をそこに投入することさえした。戦争が始まると香港は即座に陥落した……そうなることを誰もがずっとわかっていた通りにだ。

徴兵制。戦争の前の何年もの間、見識ある人々のほとんど全員がドイツに立ち向かうことを支持していた。同時にその大多数はそうした対抗措置を効果的におこなうための十分な軍備を持つことに反対していた。こうした姿勢を擁護するために挙げられていた議論を私はよく知っている。一部はもっともなものだったが、大部分は法廷での弁解じみたものに過ぎなかった。一九三九年になるまで労働党は徴兵制に反対票を投じ、そのことは独ソ不可侵条約をもたらすのに一役買っただろうし、また間違いなくフランスの士気に壊滅的な影響を与えた。そして一九四〇年になると、少なくとも三年早く徴兵制を導入していたなら手に入れられたであろう巨大で効率的な軍隊が無いがために私たちは破滅の縁に立たされたのだ。

出生率。二十年から二十五年前には避妊と啓発はほとんど同じ意味で捉えられていた。今日に至るまで、人々の大多数は大家族は経済的な理由で不可能であると……その論拠はさまざまだが煎じ詰めれば決まって多かれ少なかれ同じものである……主張している。だが同時に、広く知られているように出生率は低開発の国家で最も高く、また国内人口について言えば最も賃金の低い集団で最も高いのだ。また人口が少なければ失業も減って全員がより快適になると主張されるが、一方で人口が減少し高齢化していけば破滅に直面して経済問題は解決できなくなるだろうことは確実とされている。統計上は必ずしも確かでないが、わずか七年間のうちに国内人口の合計が一一〇〇万になり国内人口の合計が一一〇〇万になり:1940年代のイギリスの人口は約4800万人、その過半数が老齢の年金生活者となる可能性もおおいにあり得るのだ。複雑な理由からほとんどの人々は大家族を望まないので、この恐るべき事実は人々の意識のどこかに存在しつつも知覚されていると同時に知覚されていない状態となる。

国際連合。なんであれ有効なものとなるためには国際組織は小国に対するのと同様に大国に対しても優越的な力を持たなければならない。査察と軍備制限をおこなう力を持たなければならず、これはつまりその職員は全ての国の一平方インチに至るまで立ち入ることができなければならないことを意味する。また他のどこよりも巨大な軍事力を配備し、自身の組織のみに責任を追わなければならない。真に重要な立場にある二、三の大国はこうした条件に合意するふりさえ決してせずに、自分たち自身の行動は議論の対象にさえできないと国際連合の規約で定めている。言い換えれば世界平和の担い手としての国際連合の有用性は皆無なのだ。このことは国際連合が発足する前でも現在と同じくらい明白だった。しかしほんの数ヶ月前まで広い見識を持つ大勢の人々が国際連合はうまくいくだろうと信じていたのだ。

これ以上の例は無用だろう。重要なのは、私たちは真実でないと知っている物事を信じることが完全に可能であり、さらに最終的に自分たちが間違っていたことが証明されると自分たちが正しかったと証明するために厚顔無恥にも事実をねじ曲げるということなのだ。頭の中でこの過程は不断に続けられる。唯一の関門は遅かれ早かれ誤った信念が堅固な現実に突き当たることで、それはたいていは戦場でのことである。

民主主義社会に蔓延するこうした統合失調症や票を得るために語られる虚言、重要な問題に対する沈黙、報道の歪曲を見ると全体主義国家ではもう少しごまかしが少なく、積極的に事実と向き合っていると信じたくもなる。少なくとも全体主義国家では支配集団は人々からの支持に依存することなく、露骨で冷酷な真実について発言することができるのだ。ゲーリングは「バターの前に銃だ」と言うことができたが、彼の民主的な対抗者たちは同じ発言を多くの偽善的な言葉で塗り固めなければならなかった。

しかし実のところこうした現実の忌避はどこでもたいして変わらず、またその帰結も変わらない。ロシアの人々は長年にわたって自分たちは他所のどの人間よりも好ましい状態にあると教えられていた。プロパガンダのポスターには他所の国のプロレタリアートが側溝で餓死する一方で豊かな食事を囲むロシアの家庭が描かれていた。しかし西側諸国の労働者はソビエト連邦の労働者よりもずっと好ましい状態だったのだ。ソビエト連邦ではソビエト市民と外部とを接触させないことが政策の原則として指導されていた。その後、今回の戦争によって大勢の一般ロシア人がヨーロッパの奥深くまで入り込んだ。彼らが故郷に戻ると元々あった現実の忌避はさまざまな種類のあつれきによって支払いを余儀なくされた。ドイツ人と日本人が今回の戦争で負けた大きな原因はその支配者たちが公平な観点からは明白だった事実を理解できなかったことにある。

目の前にあるものを見るには絶え間ない努力が必要なのだ。そのための助けのひとつとなるのが日記をつけること、あるいは少なくとも重要な出来事に対する意見をなんらかの方法で記録し続けることである。さもなければ新たな出来事によって何か特定の不条理な信念が砕け散った時に人はそうした信念を抱いていたことを忘れてしまうだけなのだ。政治に対する予測は普通は外れる。しかしたとえ正しい予測をできた時でもなぜ正しかったのかを知ることは実に示唆に富むことだろう。一般的に言って予測が正しいものとなるのは願望か恐怖のどちらかが現実と一致した時である。このことを認識できても、もちろん主観的な感覚を取り除くことはできないが、自身の思考からある程度は距離をおいて算術書によって冷徹に予測をおこなうことができるようになる。個人の生活においてはほとんどの人々は十分に現実的である。一週間の生活費を計算する時には二足す二は必ず四になる。一方で政治はある種の亜原子か非ユークリッドの世界であり、そこでは実に容易に部分が全体よりも大きくなったり、ふたつの物体が同時に同じ位置を占めたりする。従って私が先に記録したような矛盾や不条理は全て最終的には政治的意見という隠れた信念に由来しているのだ。一週間の生活費と違って堅固な現実によって試されずにすんでいる政治的意見に。

1946年3月22日
Tribune

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