スザンヌが言った。「よく聞いて。頭のおかしい人間にあなたの予定を決めさせるなんておかしい。もしあのデスという子のお見舞いに行きたいならそうするべきだし、もし行きたくないなら行くべきじゃない。だけどフレディの揺さぶりにのせられてやりたくもないことをやるのはやめて。あなたのマンションにはあいつの息がかかった人間がいる可能性があるわ。たぶん病院にも。もしかしたらたんにFlickrから何枚か写真をコピーしてきただけなのかもしれないけど。顔認識ソフトかなんかで新しくアップロードされる写真を監視している可能性がある」
不機嫌な顔のままペリーは画面から顔をあげた。「そんなことするか?」
「ええ……ストーカー御用達のソフトウェアよ! 私は自分自身にそうしている。オンラインに現れる自分の写真を確認するためだけどね。どんな媒体だろうと私の写真らしきものならアップロードされる写真はみんな徹底的に調べるわ。ほとんどはブログに載っけているものや監視カメラの映像や今回みたいなごみくずだけれど。私がロンドンに行った時のことを教えてあげる……たいした苦労もなく一日八百回は写真を撮られるのよ。まあ、だからもし私がフレディであなたをいじって遊ぼうと思ったらネット中の画像を監視してあなたや私やレスターの写真を探し出すわね。やつがそうしていると思っていた方がいい。だけどあいつが書いた記事を見て。あなたたちは外に出てキャッチボールに興じてそれが終わったら抱き合ったって書いてある。百ドル札で巻いたマリファナをふかしながらワニと乱交したところを見られたってわけじゃないわ」
「なんだってあの男は俺たちに敵意を抱くんだ?」
スザンヌはため息をついた。「たぶん最初はあなたたちが私のお気に入りだからってことがきっかけね。それとあなたたちが取り組んでいたことが彼の考えるみんながやらなきゃならないことと一致していたのが気に食わなかったんでしょう。ともかくあいつのお説教をまじめに聞く人がいるとしたらあいつが何を言っているのか理解できないくらい頭の悪い人間だけだわ。だからといってその人たちに責任が無いってわけじゃないけど。
だけど近頃あいつがあなたたちを嫌うのは二つの理由から。一つ目はあなたたちが失敗したこと。つまりあなたたちが倫理的に堕落したと思っているのよ。二つ目は私たちがみんなの前であいつに赤っ恥をかかせ続けているってことね。相当頭にきているわ。人に赤っ恥をかかせるのがあいつの仕事なんですから」
「机上の空論みたいな性格診断かもしれないがフレディには自分自身に対する不満があるように俺には思える。結局のところ不安を抱えずに楽しく生きてる人間はあんなことはしないと思うんだ」
ペリーのしかめっ面がさらに歪む。「あいつの金玉を蹴りあげてやりたいよ」彼は言った。「なんで俺たちを放っといてくれないんだ? やっかいごとはもうたくさんだ」
「俺はまじであの子のとこに見舞いに行きたいんだ」レスターが言って、みんなは最初の話に戻った。
「だが病院にはフレディの息がかかった人間がいる。この記事を読めばそれは明らかだ。もし行けばあいつの勝ちだ」ペリーが言った。
ヒルダとレスターが彼の顔を見つめた。とうとう彼はほほえんで折れた。「OK。フレディには俺の生き方をどうこうさせない。この子のところに見舞いに行くのが正しいことならそうすべきだ。行こう」
「今夜、ライドの店じまいの後で行こう」レスターが言った。「俺たちみんなでだ。フルーツのバスケットを買ってあとはミニを彼に持っていくよ」ミニというのはレスターの最新の機械式コンピューターで、プリンター製の小さな耐衝撃合金部品をいわし缶の中に組み立てて作られていた。側面の手回しクランクを使うと十までの数字の足し算や引き算ができる。計算結果は開閉する極小のシャッター製の小窓に二進数で表示された。彼は前日に最初の一つを作り上げたばかりだった。ブラジルにいる仲間の何人かから手に入れた設計図を元に自分好みの改造を施していた。
普段と変わらない一日でペリーを驚かせるようなことは何もなかった。開店から客は大入りだった。それでも彼は何度か奥に戻って問題に対処する必要があった。乗り物の一台が故障したり、口論をきっかけに露店商の二人が殴り合いを始めたりしたからだ。フロリダの道端で経営しているアトラクションでは日常の風景だ。
一日の終わり頃になってレスターが手伝いに来た。二人は一日の売上を数え終わると露店商たちに挨拶をし、それからみんなでレスターの車に乗り込んで病院を目指したのだった。
「フロリダは気に入った?」レスターがシート越しに尋ねたのはメルボルンへと向かう道で通勤渋滞に巻き込まれながらゆっくりと進んでいる時だった。
「あつくて気に入ったわ」ヒルダが答える。
「あのすばらしい景観についての感想は無いのかい」レスターが言う。
スザンヌが目をぐるりと回した。「安物建材でできた芸術品のことね」彼女が言った。
「俺はここが大好きだ」レスターが言った。「粗野で過剰で安っぽいイケてるショッピングモールと自然のままの熱帯の美しさのコントラストが好きだ。豪華でおまけに俺の笑いのつぼを抑えている」
ヒルダはまるでレスターと同じものを見ようとするようにちらりと窓の外を眺めた。ちょうどモールの露店でランダムな点に埋め尽くされた立体画を見つめて三次元の絵を浮き出させようとしている人のようだ。
「そうかもしれない」彼女は言った。「でも私は人間の住居にはあまり関心がないの。もし家が必要でもできるだけ人目を引かないようにするべきだわ。もともと私たちは醜い箱の中に住んでいて、なんとかその醜さに目がいかないようにその箱に精一杯の飾り付けをしているんだから。全ての住居が可能な限り風景に溶け込むように建てられたらいいのにって思う。そうすればこの世界のすばらしさに注意を向けられるようになる」
「マディソンはそうなのか?」レスターが聞いた。
「まさか」彼女が答える。「私が思い描くようなやり方でデザインされた場所は見たことがない。でもいつか私がやる」
その言葉にペリーは彼女が愛おしくなった。「ええそうね。世界は私を満足させるようにはできていない。でもいつか私が変えてみせる」彼女はそう平然と言ってのけるのだ。
病院の看護師は東ヨーロッパの出身だった。一度に大勢の人間でデスの見舞いに訪れたことにいい顔をしなかったがスザンヌがロシア語でちょっと何か言うと態度をやわらげた。
「いったい何て言ったんだ?」消毒液の匂いがする病棟を歩きながらペリーは彼女にささやいた。
「静かにしますからって……それと彼女のマニキュアを褒めたのよ」
レスターが頭を振った。「こんな場所はひさしぶりだ。ファトキンスが集まる場所とは全く違うな」
ヒルダが鼻を鳴らした。「もっときらびやかだってこと?」レスターとヒルダはファトキンスについてちゃんと話し合ったことはなかった。唐突にペリーは十代でファトキンス処置を受けるよう言いくるめられた子供たちのことを訴えるヒルダの真剣な表情を思い出し、彼女とレスターの仲が険悪になるのではないかと心配になった。
「そういうわけじゃないが……ここはずっと機能性を重視してるな。もっと言えば、なんと言うか趣味的な問題だ。救急病棟じゃ飾りつけには関心は向かないんだろうな」
ヒルダがまた鼻を鳴らしたちょうどその時、デスの病室へとたどり着いた。彼らはデスの同室者の前を通り過ぎていった。歯の抜けた口を開けたまま眠る老婦人、ベッドの足元に置かれた画面をじっと見つめながらテレビゲームのコントローラーで胴のギプスを叩いている男。
そして彼らはデス・ウェイツと向き合った。以前ペリーが彼の姿を見たのは一瞬のことだったしその時もひどい状態だった。しかし今、目の前にいる彼はそれにも増してひどくまるでホラー映画か残虐行為を写した写真から抜けだしてきたかのようなぼろぼろの状態だった。少年のぼろぼろになった痩せた体やギプス、落ち窪んだ目、剃り上げられた頭、崩れた顔や裂けた耳を見てペリーは息を呑んだ。
彼はゴルフ番組が映し出されたテレビをじっと見つめていた。その親指は腕の点滴につながったスイッチの上に乗せられている。
デスがそのどんよりした目を彼らに向けた。しばらくの間、彼らが誰なのかわからないようだった。それから誰なのか気がつくとその目に涙があふれた。涙が顔を、震える唇を、あごを伝い落ちていく。そして彼は口を開くと赤ん坊のように泣き声を上げ始めた。
ペリーは動けなかった……泣き叫ぶぼろぼろの相手に愕然とさせられたのだ。レスターも、そしてスザンヌも同じだった。一分ほどの間、彼らはたじろいだままだったがヒルダが彼らを押しのけてデスの手を取ると髪を撫でながらしー、しーと声をかけて落ち着かせようとした。彼の泣き声はますますひどく、大きなものになっていって二人の彼の同室者が静かにしろと文句を言い始めたのでスザンヌは身を引くとそれぞれのベッドを囲むカーテンを引いた。不思議なことにそれで彼らの文句は止まったのだった。
次第にデスの泣き声はおさまり、彼が鼻をすすり始めたのでヒルダが自分のハンドバッグからティッシュを取り出して彼に手渡した。彼は自分の顔をぬぐって鼻をかむとそのティッシュを丸めて握りしめた。彼は何度も口を開いてしゃべりだそうとしてはその口を閉じた。
それからささやくような声で彼は自分が体験したことを話し始めた。駐車場の男と自分との間に起きたこと、病院での出来事、メッセージボードへ書き込んだ話。
あの弁護士のこと。
「何だと?」大きな声をペリーがあげたのでみんなは飛び上がり、デス・ウェイツはベッドの上で哀れなほどに怯えた。ヒルダがデスの手を強く握りしめる。「すまない、すまなかった」ペリーがもごもごとつぶやいた。「だがその弁護士は君になんて言ったんだ?」
ペリーは話に耳を傾けた。何度も言葉を止めてはほとんどすすり泣くように声を震わせて深呼吸をしながらデス・ウェイツは低い抑揚のない声で話を続けた。
「とんでもないくそ野郎だ」ペリーが言った。「悪魔のようなやつだ。企業の飼い犬め。人の道に外れた不誠実な……」
ヒルダが再びデスの腕を握りしめた。「しー」彼女が言った。「興奮しないで。彼が怖がる」
怒りのあまりペリーは周りが見えなくなって冷静に考えることもできなかった。彼は興奮に体を震わせ、みんなが彼を見つめたがそれでも震えは止まらなかった。デスは身を縮こまらせて固く目をつぶった。
「すぐに戻る」ペリーは言った。まるで息が詰まるようだった。彼はほとんど小走りで病室を出るとエレベーターのボタンを連打した。十秒ほど待ったがそこで待ちきれなくなって十段飛ばしで階段を駆け下りていった。もやのかかった涼しい外に駆け出ると胸いっぱいに湿った空気を吸い込んだ。胸の中では心臓が強い鼓動をたてていた。
携帯電話を取り出すとケトルウェルの番号までスクロールしたがなんとか電話するのは思いとどまった。ケトルウェルと話し合える状態ではなかった。話し合いをおこなうなら自分が何か馬鹿なことをしそうになった時に止めてくれる人間が欲しかった。
彼は建物の中に戻った。警備員がじろじろと見てきたが何とかにこやかな顔を作って穏やかに振る舞うと警備員は彼がエレベーターに乗り込むのを止めようとはしなかった。
「すまない」彼はみんなに言った。「本当にすまかった」彼はデス・ウェイツに言った。「俺の考えをはっきりさせておきたい。君は好きなだけインターネットを使うことができるし、話したいとおもった相手には誰でも自分の話をすることができる。たとえもしその結果、俺の裁判がめちゃくちゃになろうが好きに振る舞うことができるんだ。君はすでに俺のために十分な犠牲を払っている」
涙の浮かんだ目でデスが彼を見た。「本当に?」彼が聞いた。しわがれたささやくような声だ。
ペリーはデスのラップトップを覆っている朝食用トレイをどけるとラップトップを開いてデスの手が届く場所に置いた。「これは君のものだ。そうだろう。言いたいことがあるなら言っちまえ。やりたいようにやるんだ」
デスは涙を流した。今度は声をたてず涙が彼のくぼんだ頬を流れ落ちていく。ペリーがトイレから持ってきたティッシュを取り出すと彼は鼻をかんで顔をぬぐい、彼らに笑顔を向けた。歯の抜けた口、涙のにじんだ瞳、その傷だらけの笑顔を見てペリーの心臓が揺れた。くそったれ、くそったれ、くそったれ。彼が何をしたっていうんだ? この子は……元通りの生活を送れるようになることは二度とないだろう。
「ありがとう。ありがとう。本当にありがとう」デスが言った。
「お願いだから俺に感謝なんてしないでくれ」ペリーは言った。「礼を言わなくちゃならないのは俺たちの方だ。俺たちは君に何もしてやれなかった。俺たちが今ここでこうしていられるのは君のおかげなんだ。
もし俺の代理人だって言う弁護士がまた現れたらそいつがどんなやつでも俺にメールして欲しい」
帰りの車では誰も何も言わなかった。バラック街が見えてきた時にようやくスザンヌが口を開いた。「ケトルウェルはこんなつもりじゃなかったのよ」
「ああ。そうであることを願うよ」ペリーは答えた。「彼は恥を知っている人間だ」