後でわかったことだが彼が留置所の診療室にいた時間はそんなに長くなかったらしい。ケトルウェルは暴動の現場からいち早く姿を消すとゲストハウスへととって返し、電話で弁護士を捕まえていた。彼はペリーが携帯電話でおこなった放送を弁護士に見せ、弁護士はペリーが牢屋に放り込まれる前に裁判所に掛けあってくれたというわけだ。
腕を吊った姿でペリーは診療室の外へ案内された。顔はまだ痛々しく腫れ上がり、足首の調子も良くない。しかし少なくとも耳の調子は元に戻っていた。
ケトルウェルは折れていない方のペリーの手を握り、熱のこもった抱擁で出迎えてペリーをまごつかせた。ケトルウェルに先導されて外へ出てみるとそこには大型タクシーが待っていた。中にはケトルウェル一家、レスター、それにスザンヌが乗っていた。レスターの顔にはいくつか絆創膏が貼られ、スザンヌがほほえんだ時、彼女の唇が赤く腫れあがって前歯の一本が抜けているのが見えた。
彼はなんとか気丈に笑ってみせた。「どうやらあんたたちも手厚いもてなしを受けたみたいだな?」
スザンヌがぎゅっと彼の手をにぎる。「元通りに直らないものなんてないわ」エイダとパスカルは目をまん丸くして彼らを見ていた。エイダは蓮の実とくるみが入った韓国風のケーキを油のしみた紙袋から取り出して口へと運んでいたが黙ってそれをペリーへ勧めた。彼は儀礼的に一つ受け取ったが一口食べてみると自分がひどい空腹であることに気がついた。
ケトルウェルとペリーは次に何をすべきかを言い争ったが結局勝ったのはケトルウェルだった。彼はみんなを会員制の医者に連れていき、医者は写真を撮ったり検査をしたりX線写真を撮ったりしてその全てをカルテに書き込んでいった。その間ずっとエイダは携帯電話のカメラでその様子を盗み撮りしてカメラマンごっこに興じていた。
「警察を訴えてもしょうがないと思うんだ。ランドン」ペリーは言った。スザンヌがはっきりとそれに頷く。三人の被害者は紙製の検査着を着ていたがケトルウェルは変わらず普段の姿のままでそのことが彼らの発言に説得力を与えていた。
「巨額の支払いが必要になったときに役に立つ……ディズニーの商標権侵害申し立てから身を守るためには金が必要だ。知財を扱う弁護士を一時間雇うのにどれだけの金がかかることか。差し止め命令はとりやめさせたが出廷しなきゃならないことに変わりはないんだ。裁判はそう安くはすまない」
その言葉は針のようにペリーを責めた……そもそも司法システムに巻き込まれるという考えが気に入らなかった。警察からの賠償金を使って法廷での防御を固めることがうまい手であることはしぶしぶ認めるにしても、やはりそういった状況の全てが彼を落ち着かない気分にさせた。
エヴァが彼の隣に腰掛けた。「あなたにとってそれがどれだけ最低なことか私にもわかるわ、ペリー」エイダがサイテーとささやいてくすくすと笑い、それを見たエヴァは呆れて目をぐるりと回した。「だけどまだあそこには五十人もの人たちが閉じ込められている。私たちにはとても全員分の保釈金を用意することはできないわ。彼らはみんな司法システムの中で自分で解決策を見つけなきゃならない。そこに居合わせただけで殴りつけられて監禁されるリスクをお客さんが負わなきゃならないとしたらあなたの仕事も続きっこない」
仕事を続けたいわけじゃないんだ彼は思ったが自分が自棄を起こしているだけだということはわかっていた。彼はパンツに札束を隠し持つような男なのだ。「まだ五十人も閉じ込められてるって?」
ケトルウェルが頷いた。スザンヌはカメラを取り出して撮影をしていた。ずいぶん長い間、ペリーはカメラのレンズが自分に向けられていることに気をむけていなかった。その瞬間までは友達の一人が思い出づくりに記録しているように思っていたのだ。しかし今はスザンヌのカメラがまるで後世の人々の視線のように思えた。それに応えなければならないことを彼は理解していた。
「彼らを助け出そう。全員だ」
ケトルウェルが眉を持ち上げた。「どうするつもりだ?」
「経費から出す」ペリーは答えた。レスターがくすくすと笑いながら彼の背中を叩いた。「適法な経費だ……彼らは間違いなく俺たちの客だからな」
ケトルウェルはみんなに頭を振ってみせてから診察室を出ていった。既に携帯電話を耳にあて、まだみんなに声が届く距離だというのに弁護士と話しを始めていた。
ペリー、レスター、それにスザンヌとエヴァは思いがけない出来事にほほえみながらいたずらっ子のような目配せを交わした。エヴァの膝に座っていたパスカルが目を覚ましてぐずり始め、エヴァは彼をレスターに預けておむつかばんを取りに行った。
「まただよ」レスターは言って鼻に皺を寄せながら手を伸ばして、ぐずるパスカルからできるだけ体を離そうとしていた。
スザンヌはその様子を携帯電話で撮影していたが携帯電話を閉じてしまうとレスターの頬に派手にキスした。
「あなた、いいお父さんになるわ」彼女が言った。
レスターは顔を真赤にして答えた。「妙なこと言うなよ」スザンヌは笑うと軽い足取りで去っていった。まるで全てお見通しだとでも言うようだった。
ペリーはプレッシャーを感じた。いくらか余分過ぎるプレッシャーだ。再び冒険がその幕を開けたのだ。今度は彼が家族のように愛しているこの最高の人々と一緒だ。自分にはやるべきことがあり、この人たちがいる。それ以外に何が必要だというのだ。
その気持ちはライドに戻る間も消えることなくずっとくすぶり続けた。
だが調べ始めてみるとライドは完膚なきまでに破壊されていた。彼が引きずり出された時とは比べものにならない。全ての展示物が叩き壊されてそこらじゅうに散乱していた。
とても信じられなかった。後片付けのために照明をつけ、あたりが明るくなると彼は最初に見逃していたものを見つけた。破壊された展示物はただの破壊された展示物ではなかったのだ……それは破壊された展示物の複製だった。全国に散らばる全てのライドで警察は破壊をおこなっていてた。そして全てのライドがその被害を正確に再現していったのだ。勤勉なプリンターは残骸を複製して吐き出し、勤勉なロボットたちがマイクロメートル単位の精度でそれを配置していっていた。
笑いが止まらなかった。レスターは入ってきてすぐに何が起きているかに気がつき、彼と一緒になって笑いだした。十二分に笑った後でなんとか笑いをおさめると二人はこのことをスザンヌとケトルウェルに説明した。彼らは二人ほどはそれを面白い出来事だと思わなかったようだったがスザンヌは写真を撮った。
全て終わると彼は仕事に取りかかった。変更ログを開いて、破壊されていない状態の「リビジョン」までライドを巻き戻す。ロボットたちが全てを元通りにするまでには長い時間がかかるだろうが少なくともずっとそれを監視している必要はない。
その間に彼はバラック街に住むできるだけ大勢の露店商の様子を見にいって問題が起きていないかを確認した……大きな問題はなかったが商品のいくらかを彼らは失っていた。彼は数カ月分の賃料を無料にすることとこんなことが二度と起こらないようにするということを彼らに約束した。道端やオンラインでの商売でも今までと同じくらい稼ぐことはできるだろう。彼らには幸せに暮らし続けて欲しかった。ともかく彼らに落ち度はないのだ。
疲れきって腕がひどく痛み始めていた。気がつくと彼は数歩ごとに通りに立ち止まって目をこすっては気力を振り絞っているような状態だった。フランシスが現れたのはそんな状態の彼が背の高いねじれたような形の掘っ建て小屋のできあいのコンクリート壁に寄りかかっている時だった。フランシスはペリーから車のキーを奪うと彼を家まで送っていった。家につく頃にはペリーは自分のことで精一杯でフランシスがどうやって戻るつもりなのかも考えることができなくなっていた……あの足の不自由な老人は自分の家まで十マイルも歩かなければならないのだ。しかしそのことが頭に浮かぶ前にもうペリーはベッドに倒れこんでいた。
彼が一度目覚めたのはその夜遅くのことだった。彼を起こしたのはレスターの部屋から聞こえてくる情事の物音とスザンヌのものらしい声だった。しばらくして彼は再び目を覚ました。レスターとスザンヌの口論が終わろうとしているところで直後にスザンヌがものすごい勢いで建物から出て行った。おやおや、結構なことだ彼は思った。再び仰向けに横たわって彼は眠ろうとした……時計は午前三時を指している……そこで不意にヒルダのことが彼の頭に浮かんだ。
馬鹿げている……二人は一晩を一緒に過ごした。セックスとそれと同じくらいすばらしいものがあったことは認めざるをえない。サウスビーチで捕まえられる筋肉マニアのファトキンスよりずっとよかった。だが彼女は彼には若すぎた。そのうえ彼女はウィスコンシンに住んでいるのだ。だがライドを介した交流はあった。それはまさに具現化した彼女自身だった……ときおり彼はそのログに目を通していた……そして気がつくと感傷的なほほえみを浮かべながらそれを見つめている自分に気がつくのだ。
彼は再び眠りに落ち、ときおり怪我した腕の方に寝返りをうって自分の悲鳴に目を覚ます他には目を覚ますことなく眠り続けた。気がついた時にはワッフルとベーコン、卵の匂いが建物に広がっていた。ギプスをつけたままシャワーを浴びたものかどうか考えるのが面倒だったので彼はズボンを履くとそのままリビングへと入っていった。
レスターがコンロの前に立って豚肉のかたまりを調理しながらワッフルの金型にメイプルバターを注いでいるところだった。彼がフライ返しでペリーにテラスの方を指し示してみせる。ペリーがテラスに出てみるとそこにはスザンヌとティジャン、それにティジャンの小さな子供たちがいた……名前はなんと言っただろうか? レニチカと少年の方は? とにかく一家全員がそこにいた。
「腕を折ったのね」レニチカが彼を指さして言った。
真面目な顔でペリーは頷いた。「そうだよ。ギプスにサインしたい?」ギプスの表面が油性鉛筆の落書きで埋まることは間違いないだろう。汚れやインクやその他、彼がくっつけそうなものは何でもこのギプスははじくと病院は請け負っていたのだが。
彼女は元気に頷いた。ティジャンが彼の方に振り向いて小さく手を振ってみせた。それからペリーはリビングへと戻り、自分のコンピューターで油性鉛筆がどこにあるかを検索した。
「ボストンでの仕事が忙しいのかと思ってたよ」彼は言った。かたわらではレニチカがギプスに丹念に自分の名前を書き込み、文字が濃く浮き出るように何度もなぞっていた……ギプスの表面は本当にどんな染料でもはじくようになっていたのだ。
「ボストンはなんとかなりそうです。いつでも動ける状態の弁護士がいて雰囲気も悪くありません。あっちは法人化してあるからあなたたちのところより楽な状況ですよ。しかしかなり状況の悪いところもあります。サンフランシスコだとかマディソンだとか」
「マディソンだって?」驚きが声に表れないように注意ながら彼は言った。
「逮捕者が大量にでています。あそこの警官たちはかなり荒っぽい。手持ちの対人兵器はバイオ系の暴徒を鎮圧した時の使い残しばかりだ」
ペリーは思わず身を起こしてレニチカの落書きの邪魔をしてしまった。軽く彼女の頭を叩くと腕を彼女の手の届く場所に戻した後で彼はうめいた。
「大部分の者がまだ拘留中です。保釈するよう掛け合ったのですが罪状認否を担当している判事が保釈金をつり上げてしまって」
「俺が払うよ」ペリーは言った。「貯金やなんかを取り崩せば……」
ティジャンが居心地悪そうにした。「ペリー、ウィスコンシンでは二五〇人もの人間が捕まっているんです。誰かを見捨てなければならない。これは否応ないことです。もし全員の保釈金を払えばあなたは破産してしまう。あなたに会えて嬉しいし、あなたが怪我をしたことやなんかは非常に残念だと思います。だけど馬鹿な真似はしちゃいけません」
自分が攻撃的になっているのがペリーにもわかった。拳は握りしめられ折れた腕が抗議の叫びをあげていた。それが彼を現実に引き戻した。何とか彼は笑顔を作った。
「マディソンに知り合いの女の子がいるんだ。彼女が無事かどうかだけでも知りたい」
ティジャンとスザンヌはしばらく彼を見つめた。次の瞬間、レスターが背後から彼の背中を叩いて彼に驚きの悲鳴をあげさせた。「やるな!」彼は嬉しそうな声で叫んだ。「俺にも教えておけよ」
ペリーは彼を形だけにらんでみせた。「こいつに関しちゃおまえには何も言う権利はないぜ」スザンヌの方をちらりと見ると彼女は顔を真赤にしていた。ティジャンはこの様子を見ながら頷いていた。あたかも自分の推測が確認できたとでも言うようだった。
「けっこう」ティジャンが言った。「その若い女性について問い合わせすることにしよう。彼女の名前は?」
「ヒルダ・ハンマーセン」
ティジャンの眉が持ち上がった。「ヒルダ・ハンマーセン? あのメーリングリストの?あのヒルダ?」
ヒルダはメーリングリストの女王だった……辛辣でせっかちで議論好きだったが炎上を起こすようなタイプの人間ではなかった。ヒルダの議論は激しく、矢継ぎばやで常に彼女の勝利に終わっていた。ペリーは横で感嘆しながら彼女を観察してときどき値踏みしているだけだったがそういえば彼女が以前、プロトコルの決議方法についての議論でティジャンを打ち負かしていたことを彼は思い出した。
「そうだ」ペリーは言った。
「俺はてっきり彼女は五十歳くらいの口にマチェーテをくわえているような人間だと思ってたよ」レスターが言った。「いや悪気はないよ」
「レニチカ。ベッドの脇の机から俺の携帯電話を取ってきてくれないか?」少女の肩を叩いてペリーが言った。彼女が戻ってくると彼はヒルダの写真をみんなに見せた。
レスターが口笛を吹くとスザンヌが彼の肩を叩いて携帯電話をとりあげた。
「彼女とても魅力的ね」咎めるようにスザンヌが言った。「それにとても若い」
「ああそうだな。若いやつとのデートはどうも安っぽくなっちまう」にやにや笑いながらレスターが言った。スザンヌが身をよじらせ、ペリーも今度は吹き出さずにはいられなかった。
「まあこういうわけだ。ヒルダを釈放させる必要がある。それに今日、牢屋に放り込まれた客や支持者やなんかのみんなにも何かしてやる必要がある。全ての差し止め命令……全てだ……と戦ってこんなことが二度と繰り返されないようにする必要があるんだ」
「それから朝飯を食う必要があるな。用意はできているぜ」レスターが背後のテーブルを指しながら言った。テーブルの上にはワッフルとソーセージ、卵、トーストがうず高く積まれ、ジュースのピッチャーとコーヒーポットが並べられている。
レニチカとサーシャは顔を見合わせるとテーブルに駆けていき、隣り合った席に腰をおろした。大人たちもその後に続き、すぐに食事が始まった。ペリーはワッフルとソーセージを一つずつ口にしただけで部屋に戻った。ヒルダは今、マディソンの留置所にいる。そしてマディソンの警官の使った対人兵器が彼女にどんな影響を与えたかわかったものではないのだ。彼はすぐさまあのくそったれな飛行機に飛び乗ってむこうに行きたかった。
シャワーを浴びてる途中で自分がそれを実行に移そうとしていることに彼は気がついた。彼はショルダーバッグに荷物を詰め込み、鎮痛剤を何錠か余計に飲むとリビングルームへと歩いていった。
「みんな。俺はマディソンへ行く。二、三日で戻る。用事は全部、電話で頼む。OK?」
レスターとスザンヌが彼のそばに立つ。「大丈夫なのか? 相棒」レスターが言った。
「問題ない」彼は答えた。
「ここからでも彼女を釈放させることはできます」ティジャンが言った。「インターネットがあるんですから」
「わかっている」ペリーは答えた。「あんたはそっちをやってくれ。いいな? それから俺ができるだけ早くそっちに行くと彼女に伝えてくれ」
空港のセキュリティは狂ったように彼を取り調べた。彼は最悪の状況だったのだ。釈放されたばかりの被疑者で、しかもチケットを現金で買っている。おかげでシカゴへ向かう最初の二便には間に合わなかったが昼過ぎには彼はオヘア空港へと降り立ちマディソンへ向かう飛行機に搭乗する前の一時的な審査へと進んでいた。審査の途中で携帯電話が鳴り、しわだらけの年取ったTSA職員のまぬけ女が取り澄ました口調で電話に出てもいいがその場合、審査は一からやり直しだと告げた。
「なんだ。ティジャン」彼は言った。
「今日中に彼女を釈放するのは無理です。明日になりそうです」
彼はまぶたを閉じてTSA職員のまぬけ面を視界から追い出した。彼女は赤銅色の髪を大きくふくらませ、アイシャドウと口紅はいかにも中西部らしいセンスのものだった。人のことを「ハニー」と呼ぶようなタイプの女性でそう呼ばれるとまるで「イスラムファシストのおかま野郎」と呼ばれているような気分になった。
「なぜ無理なんだ。ティジャン?」
しばしの沈黙があった。「彼女は診察室にいて、警察は明日になるまで彼女を釈放する気がありません」
「診察室」
「深刻な問題じゃありません……彼女は頭を殴打されていて警察は保護観察のために彼女を留め置きたがっているんです」
銅製の電気警棒が輝くブロンドヘアに振り下ろされる図が頭に浮かび、彼は吐き気を催した。
「ペリー、聞こえていますか? 彼女は大丈夫です。本当ですよ。弁護士を留置所の診察室に行かせました。彼女は自分でまったく問題ないと言っているんです。弁護士の名前はキャンディスと言います……タクシーを拾ったら空港から彼女のオフィスに向かってください。いいですね?」
「なぜ彼女は留置所の診察室にいるんだ。ティジャン? なぜちゃんとした病院に移送されない?」
「たんに責任上の問題です。警察は彼女が病院と警察の間で面倒なことになった場合の訴訟リスクを負いたくないんですよ」
「なんてこった」
「本当に彼女は元気です。現場には私たちが雇った腕の良い弁護士もいます」
だがペリーは嫌な予感がした。TSAのまぬけ面が彼の会話を聞き取って少しばかり彼に注意を向け始めていた。空港で興奮したしぐさを見せたり声を荒げれば体中の穴という穴を覗かれる検査に一直線だ。
だが彼は離陸してマディソンへと向かうことができた。一時間のフライトはまるで時間の流れが遅くなったように感じられたが、ともかく一時間の辛抱だった。航空保安官のきまぐれな手荷物検査ですぐに起こされたが彼はつかの間、居眠りさえした。乗り合わせた他の乗客……趣味の悪い服を着た中西部の人間たちと数人の流行に敏感そうな学生……は着陸の間に窮屈な客室でかばんを取り出し、また自分の席へと戻った。
ペリーはオヘア空港でレンタカーの電話予約をするつもりだったのだが検査が延びてその時間が無くなり、着いてみると全てのレンタル予約は埋まっていた。しかたなく彼はタクシーに乗り込むと運転手にティジャンが雇ったという弁護士のオフィスに向かうよう頼んだ。
運転手は頭を剃りあげた若いアフリカ系の少年だった。片側のこめかみに一つ、片方の手首に複数の傷跡があって彼が自動車のハンドルに長い手を持たれかけさせるとそれがよく見えた。
「その場所ならわかりますよ」ペリーが住所を告げると彼が答えた。「あの弁護士先生はとてもいい人だ。国土安全保障局から俺を助けてくれたんです」
少年は若かった。二十一、二歳といったところだろう。古い傷跡にも関わらずどこか学者のような雰囲気があった。彼はペリーにバラック街の住人を思い起こさせた。慢性病の治療を受けられず、歯が一、二本抜けているような種類の人々だ。彼らは歪んだ骨格が原因の不思議な体つきをしていたり、傷跡があったり、彼自身のようにおかしな形の眉をしているのだ。飛行機に乗っていた中西部の人々はまるでアクションフィギュアのように整った体つきをしていたがペリーの友達やこのアフリカ系の少年のような人間はまるで石炭か石灰岩から掘り出したような姿をしていた。
旅行とコーヒーと腕の痛みを止める薬のせいでペリーはひどい緊張状態だったがタクシーが畑やショッピングモール、工場やオフィス街を通りぬけていく間に気がつくと彼は会話に引き込まれていた。
「私はウガンダのグルの出身なんです。あそこでは三十五年も内戦が続いている。アフリカンバーチャル大学のウィキプログラムで化学工学を勉強してチャベス奨学金の審査に受かったんでこのマディソンに来ました」彼のアクセントは聞き取りやすかったがどこか異国的だった。アフリカ的な強い共鳴音はまるで英語が母音推移したようだ。「だけど去年、国土安全保障局は私のビザを更新しようとしませんでした。財務上の不正行為をしたと言うんです。私はPayPalでカンパラにいる友人に送金していました。彼はそれをシリングに両替して引き出して郵便為替で私の家族に送ってくれていたんです。国土安全保障局は私がマネーロンダリングをしていると言いました。私は国外退去か刑務所に入れられると思いました。ですがキャンディスさんが彼らに手紙を出すと彼らはいなくなりました」強調するように彼は長い骨ばった指を鳴らした。
「それはすごい。その話を聞けてよかったよ。彼女は俺がガールフレンドを留置所から出すのを助けてくれそうだ」言ってから自分がヒルダのことをガールフレンドと呼んだことにペリーは気がついた。こいつは彼女の興味を惹くことだろう。まあいい。
「心配する必要はありません。きっと彼女はあなたの友達を自由の身にしてくれます」
ペリーは頷くと瞳を閉じて肩の力を抜こうとしたができなかった。いったい世界に何が起きたのだろう。彼の父親がCAD/CAM装置で削りだした新しい成型品を家に持ち帰って来た時には世界は心躍るものに見えたものだ。設計した物の売り買いをペリーがはじめた時には彼と一緒に働きたいという人たちがネット上で簡単に見つかったし、逆に彼が一緒に働きたいと思う人を見つけるのも簡単だった。
フリー、フリー、フリー。政府にお伺いをたてたり、管理者にひれ伏したり、代理人や上司に耐える必要はないのだ。彼はずっとそういうたかり屋や意地の悪い人間、中間業者はみんないずれ風に吹き流されて消えて最後にはそういう人々がいない世界で暮らすことができるようになるだろうと思っていた。
だがやつらはみな、この新しい世界で仕事を見つけだした。もはや必要とされなくなったからといってやつらがどこかに消え去るというわけではないのだ。空港で彼の体をまさぐり、商標権侵害で彼を訴え、彼のガールフレンドを殴りつけ、彼の腕をへし折り、おまけになんとウィキでエンジニアとしての知識を得たというこの哀れなアフリカ人の少年に厄介事を押し付けているのだ。
彼は水なしで鎮痛剤をもう一錠飲み込んでからこの薬を飲むとしばらく飲み物を飲めなくなることを思い出した。まあそんなのはたわ言だろうと彼は思った。
「俺はペリーっていうんだ」彼は言った。
「リチャードです」運転手も言った。「もうすぐ着きますよ。ペリーさん。最高にうまくいくことを祈っています」
「君もな」彼は答えた。トランクから彼の荷物を取り出すと運転手は温かく彼の手を握った。アメリカ北部の流儀であるあまり力を込めない握手だったがそれでも相手の気遣いと親身さが伝わった。その動きで半分つながった骨が動き怪我した手首がおかしな具合に曲がった。
弁護士事務所はペリーが予想していたものとは違っていた。まるで誰かの家のリビングルームのようでそこに張りぐるみのソファーがいくつかとまどろんでいる猫が一匹、それに例の弁護士、キャンディスがいた。彼女はずいぶん若く見えた。二十代半ばと言っても通じるだろう。ジーンズにワシントン大学の文字がはいった大きめのスウェットシャツという格好で片方の膝の上にラップトップを乗せている。愛想がよく表情がころころ変わる女性だった。ブラウンの巻き髪が大きく顔の周りに広がっている。
「あなたがペリーね」ラップトップをかたわらに置いて彼に思いがけない抱擁をしながら彼女が言った。「ヒルダから聞いてるわ。二、三時間前に彼女と面会した。ぜひともあなたに抱きついておいてくれと言って聞かないのよ」
「お会いできて嬉しいです」ボール紙製のサイドボードの上に置かれていた魔法瓶から注がれた紅茶のカップを受け取りながら彼は答えた。「ヒルダは大丈夫ですか?」
「まあ座って」弁護士は言った。
ペリーの胃がひっくり返ったようになる。「ヒルダは無事なんですか?」
「座って」
ペリーは座った。
「彼女は神経性のガスを浴びせられてそれが原因で一時的な、けれど深刻なパーキンソン病に似た症状を起こしています。通常であればガスは人を動けなくするだけなんですが百万人に一人の割合でそういう症状がでる者がいます。運の悪いことにヒルダはその一人でした」
「ガスだって?」
「みんな浴びました。とんでもない乱闘状態だったと聞いています。警官の対応に問題があったようです。誰かが彼らにライドにプリントアウトされた銃があると通報して、そのせいで警察が非常に過度な実力行使をおこなったんです」
「なるほど」ペリーは言った。耳の中で血流の音が聞こえた。プリントアウトされた銃だと? そんなことあるはずがない。確かに展示のいくつかには光線銃が使われていた。だが何かを撃ちだすようなものは何もない。気がつくと涙が彼の顔を伝っていた。弁護士が彼の座っているソファーの隣に腰掛けると彼の肩に腕を回した。
「彼女は治るわ」キャンディスが言った。「パーキンソン病のようになる人はとても珍しいけれど、それが起きた場合でも百パーセントのケースで症状は消えています。今回のことは今後の防御を固めるために地元警察に噛み付く貴重なチャンスを手に入れたっていう意味もある。ティジャンは私にこれは戦略なんだと言ったけれど私もそれは正しいと思います。もっといえば私たちが今、より強く警察に抗議すれば、次に誰かがでたらめな商標権主張をでっちあげた時には彼らもよく調べもしないで猪突猛進しなくなるでしょう。もっと悪い状況になる可能性だってあったのよ、ペリー。ゴム弾が当たって片目を失った子だっている」
ペリーは拳で涙をぬぐった。「彼女を迎えにいこう」彼は言った。
「彼女を動かすべきではないと警察は言っている」キャンディスが答えた。
「医者はなんて言っているんだ?」
「昼に何人か医者に電話しました。それぞれ言うことが違うわね。だけど動かすより安静にしている方が安全だってことでは全員の意見が一致している。彼女を動かすのがどれくらい危ないかってことについては意見が分かれているけれどね」
「それじゃあ彼女に会いに行こう」
「それならいいわ」
ペリーは留置所の医務室に入る前の身体検査でずいぶん手こずらされた。身につけたギプスと警察のスキャナーの相性が悪く、さらに警察は手探りでの身体検査の結果に満足しなかったのだ。最初のうちは閉め出されそうな雰囲気だったがそこでキャンディス……オフィスを出る前に肩パッドのはいった威圧的なスーツに着替えていた……が断固とした声で責任者と話をさせるよう要求し、担当者の上司のところへ向かった。十分後には二人は病室にいた。金属フレームでできたベッドには手錠をかけられた拘留者たちが横たわっていた。
「ヒルダ?」具合の悪そうな落ち窪んだ目を彼女が向ける。顔の筋肉が弛緩し、顎がかみ合っていない。見開かれた目がぎょろりと回転し、その焦点が彼に合った。彼女の体が二度痙攣して震え、それからようやく彼女は握手を求めて点滴の管がまとわりつく腕を持ち上げることができた。彼女は彼の名前を言おうとしたが言葉にならず、ただ吐息が続いただけだった。
だが彼女の手をとってそのぬくもりを感じ、ずいぶん昔に感じられるが実のところはほんの数ヶ月前に感じた手の感触を思い出すと彼は少しだけ気持ちが晴れた。本当に気持ちが晴れたのだ。ずいぶんひさしぶりに感じる心の平穏だった。
「やあ。ヒルダ」彼は言うと顔が痛くなるほどおおげさに笑顔を作った。涙が頬を伝い、鼻先から落ちて口へと流れた。彼女も涙ぐみ、その頭がまるで首ふり人形のように震えた。彼女の上にかがみ込むと彼は彼女の頭を手で包み、その豊かなブロンドの髪に手を埋め、彼女の唇に口づけした。彼の体の下で彼女が震えたが、彼女も口づけを返し、彼の唇の上で彼女の唇が動くのがわかった。
二人は長い間、キスをした。キャンディスが二人のプライバシーに配慮して席を外すのを意識の片隅で彼は感じた。キスが終わると彼は彼女に愛していると告げたいという抗いがたい欲求に駆られた。二人はまだそのための手順を踏んでいなかったし、留置所の医務室のベッドは愛の告白にふさわしい場所ではないというのにだ。
「愛している」彼は耳たぶにキスしながら彼女の耳元でささやいた。「愛しているよ。ヒルダ」
彼女の泣き声が大きくなって嗚咽に変わった。彼女を気遣いながらも彼はできるだけ強く抱きしめた。キャンディスが戻ってきて二人のかたわらに立った。
「明日の朝にはずっと良くなるだろうと警察は言っているわ。何時間か前と比べてもずっと良くなっている。睡眠が一番の薬ね。彼らも慎重に彼女を扱うよう注意している」
彼の記憶にある笑顔で彼女がほほえみ、彼女の髪からはシャンプーと化学薬品の混ざった匂いがした。それが彼に二人が一緒に過ごした夜を思い起こさせて彼は彼女の頬をなでた。
「俺はここに泊まるよ」彼は言った。
「警察が許すとは思えないけど。ペリー。ここは留置所であって病院じゃないわ」
「俺はここに泊まる」彼は繰り返した。「そう言っているだろう。いいか? 俺たちはやつらを訴えて目にものを見せてやる。そうだろう? この件でやつらは俺たちに借りを作ったんだ。俺はここに泊まる」
彼女はため息をついてずっと彼を見つめていたが彼はヒルダから目を離そうとはしなかった。折れた腕がうずき始めていたが鎮痛剤は全て使いきっていた。鎮痛剤ならここの警察が持っているだろう。
キャンディスがどこかへ消え、しばらくして戻ってきた。「ここに泊まりなさい」彼女が言った。「明日の朝、迎えに来るわ」
「ありがとう」彼は答えた。それからもっと何か言うべきだと思って振り向いたが、弁護士はもういなくなっていた。
彼は折れていない方の手でヒルダの手を握って眠りに落ち、折れた腕の信じがたい痛みで目を覚ましたが看護師を見つけることはできなかった。痛みで気落ちしながらも彼はずっとヒルダを見つめてその長い夜を過ごした。彼にとって彼女は何なのか、一緒に過ごした時間がひどく短いのにこんなにも彼女が大切なのはなぜなのか。彼は考え続けた。警察は携帯電話を持ち込むことを彼に許していなかったがもし手元にあれば彼は安らかな彼女の顔を千枚でも撮っていただろう。そう考えながら再び彼はまどろんだ。
彼女が起き上がる気配を感じて彼は目を覚ました。彼女の動きはまだ弱々しかったが昨夜のようなぎこちない震えは消えていた。彼はキスするために彼女に体を近づけた。自分のすっぱい息の匂いも彼女の息の匂いも気にはならなかった。
「おはよう」彼は言った。
「おはよう、男前さん」彼女は言うと彼を優しく気だるげに抱き寄せた。
キャンディスは二人を迎えに来ると町を通り抜けて知り合いの医者の所に連れて行った。医者は若い男で注意を払ってヒルダの診察をした。診察の間も医者は手にした液体や検討事項、検査の内容について根気よく説明を続けた。ペリーは中西部の人間は大きく二つに分類できることに気がついた。一方は大柄なスカンジナビア系アーリアで幅の広い肩を持ち、穏やかな笑みを浮かべる人々で、もう一方はさまざまな濃さの茶色い肌をした留学生と移民だった。彼らは地元育ちの者と比べるとどこか体に不具合を持ち、うらぶれて見えた……彼の地元の人間と同じだ。成長期に医療や良好な栄養状態の恩恵にあずかれなかった人々だ。
医者はベトナム系だったが言葉のアクセントから判断すると移民してから数世代を経ているようだ。中西部の人間独特の笑顔を浮かべ、ペリーが知っているフロリダのベトナム系の人間に比べるとずっと大柄だった。ヒルダの頭に電極をいくつか取り付けて熱心に画面をのぞき込むその男を見つめながら彼は自分がまるで古代スカンジナビアの巨人が住む土地を訪れたような気分になった。
最後に医者はヒルダに家に戻って安静にするように伝え、彼女はそうすると約束した。ペリーと彼女はキャンディスの車の後部座席に乗り込むと互いに寄り添ってうつらうつらとした。彼女と一緒に彼女のアパート……全ての家具が巧みに組み立てられたボール紙製だった……にたどり着いた後になってようやくペリーはポケットの中の携帯電話の電源切ったままにしていたことを思い出した。
彼はボクサーパンツ一枚になり、彼女はセクシーなカウガールの模様がプリントされた綿のパジャマに着替えていた。彼が電源を入れると携帯電話は狂ったようになり、まるでクリスマスツリーのように光りながら震えてうるさく鳴き喚いた。
「くそっ」彼は言うと背中と首の筋肉がつりそうになりながらも着信を調べ始めた。ベッドの縁に腰掛け、ぎこちなく左手で支えた電話をギプスをつけたままの右手で操作しようと彼は奮闘した。そこでヒルダが電話を取り上げて彼に向かって差し出したのでようやくもっと簡単に操作ができるようになった。二人は何が起きたのかを読んでいった。
二回目の提訴が昨晩おこなわれ、差し止め命令は元通りになっていた。ライドがプリントアウトされた武器弾薬の出どころになっているという話はさらに広がっていてサンフランシスコでは国土安全保障局の爆弾処理ロボットによってライドの解体がおこなわれていた。ロボットはいくつかの重要な装置を爆破していた。サンフランシスコのライドを運営していた三つの集団は過剰反応した警官隊との衝突の後、最終的に病院送りになった。
ヒルダは頷くと彼から携帯電話を取り上げて脇に置いた。
「それで。こちらの作戦は?」
「どうして俺に聞くんだ?」ペリーは答えた。自分の声が泣き出しそうなものになっていることに彼は気がついた。「俺はただあれを作っただけなんだ。ティジャンとキャンディスは警察を加虐行為で訴えたり、金を使って法的な防御を固めることを検討していると言っていた。だけどディズニーがやっているのは法廷でのDOS攻撃なんだ。しかも俺たちに対する破壊活動は全て警察を使ってやっている」
「あなたは象を食べる方法を知っている? 一口ずつ食べていくのよ。問題を小さく分けて一つずつ解決策を考えましょう。それからみんなを呼び出して何をやるのか知らせるのよ。話し合っている間に会議の設定をしておくわ」
彼女の動作はまだ緩慢で弱々しく、彼はラップトップを置いて休むよう言い聞かせたが彼女は聞こうとしなかった。
そういうわけで二人は作業を開始した。問題を取り扱える大きさに切り分けていったのだ。非営利の協同組合の法人格を取得する。規約条項を書き上げる。マスコミを通じて声明を発表する。ライドを再開する。今回の暴虐行為の状況をまとめあげて記録する。
一度、構成要素に分けてみるとどれも実現可能なことに見えた。ペリーはそれを全てオンラインに上げてからティジャンとケトルウェルと会議をすることにした。
「ペリー。どうやって対抗するつもりかを私たちの敵に知らせるとはどういうつもりなんだ?」
彼がケトルウェルに答える前にヒルダが頭を振ってペリーの折れていない方の腕をなだめるように握った。「これが俺たちのやり方なんだ。やつらは全てを秘密にしている。情報をオープンにすることがどれだけの強みになるか見せてやつらを驚かせれば優位に立てる。見ててくれ……今夜にも規約条項の原稿、プレスリリース、文書類全部書き上がる。よく見ててくれ」
画面の上に突然、レスターの顔が割ってはいった。レンズに近すぎて魚眼レンズのように歪んでいる。ヒルダが思わず吹き出してから慌てて元の表情を繕う。
「それがヨーコか?」レスターがにやにやしながら言った。「かわいい子だ! 聞いてくれ。この訴訟のために今やっていることをやめようなんてしないでくれ。こいつは正しい行いだ。俺はメッセージボードなんかを全部見ているが、みんな何か自分にできることがないかと真剣にやきもきしている」
「ヨーコですって?」ヒルダが言った。愛らしい眉を持ち上げている。
「たんなる言葉のあやだよ」レスターが答えた。「俺はレスター。君がヒルダだね。君についてはペリーからはほとんど何も聞いてないんだ。たぶんそれが何かのサインなんだろうがね」
わざと冷たい目つきでヒルダがペリーを見つめる。「あら本当に?」
「レスター」ペリーが言った。「おまえのことは本当に愛してるぜ。兄弟みたいにな。だからそのおしゃべりな口はもう閉じていろ」
レスターが小さく動いた。唐突に彼が画面から消え、彼の頭を押しのけるスザンヌが見えた。ヒルダが鼻を鳴らし、「彼女、好きよ」と言った。スザンヌが二人に手を振り、それからティジャンとケトルウェルが画面に戻ってきた。
別れの挨拶をして会議は終わった。今、ヒルダとペリーは二人きりだった。場所はベッドルーム。パソコンはシャットダウンされ、その日の仕事は終わっていた……まだ正午にもなっていなかった。あたりは静まり返っていた。
「来てくれてありがとう。ペリー」彼女が言った。
「俺は……」そこで言葉が途切れた。何を言うべきか彼にはわからなかった。二人が過ごしたのは一日だけ。ほんの一晩だけの関係だったのだ。きっと彼女は彼のことをなんと気持ち悪いやつだろうと思っているだろう。「心配だったんだ」彼は言った。「そうだな。君はたぶんもう少し休んだほうがいいんじゃないかな?」
彼は立ち上がってドアへと向かった。
「どこへ行こうっていうの?」彼女が尋ねる。
「君を休ませたいんだ」彼は片方の肩をすくめながら言った。
「じゃあすぐにベッドに入って。お兄さん」ベッドの彼女のかたわらを叩きながら彼女は言った。「その前にその汚れた服を脱いでね……旅行で汚れた服のままのあなたをシーツでくるみたくはないから」
自分の顔に馬鹿みたいな笑顔が浮かぶのを彼は感じ、それからギプスをつけた状態としては最高の速度で彼は服を脱ぎ始めた。