地下室の手記 第一部 地下室, フョードル・ドストエフスキー

序文


手記の著者も『手記』そのものももちろん架空のものだ。それでも、一般に私たちの社会が形成された状況を考慮すると、私たちの社会においては、このような手記の作者に類する人物の存在はありうるどころか必然なのである。私はごく最近の時代の特徴的人物の一人を、普通より少し際立たせて、大衆の面前に引き出したかったのだ。これはいまだ生きている世代の一つの典型だ。『地下室』と題されたこの断章において、この人物は自分自身と自身の意見を紹介し、そしてどうやら彼が我々の中に現れた、そして現れなければならなかった理由を明らかにしようとしているようである。それに続く断章では彼の人生のいくつかの出来事に関するこの人物の真の『手記』が見られる。従ってこの最初の断章は本全体の導入部、序言に近いものと考えなければならない。

フョードル・ドストエフスキー


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