ピーターパンとウェンディ, ジェームス・マシュー・バリー

人魚のラグーン(さんごにかこまれた浅瀬)


もしあなたが目を閉じて運がよければ、暗闇に浮かぶおぼろげな色で輪郭のはっきりしない水溜りをときどき見ることができるかもしれません。それからもっとぎゅっと目をつむれば、水溜りの輪郭ははっきりして、色も鮮明になります。もっとぎゅっと目をつむると、水溜りは炎をあげて燃え出すに違いありません。でも燃え出す直前に、あのラグーンが見えるのです。現実の世界ではこれがラグーンへの一番の近道で、天国にいるみたいな心地を味わうひとときです。そのひとときがちょっと長ければ、打ち寄せるさざ波を見て人魚たちが歌っているのが聞こえるかもしれません。

コドモ達は、日の長い夏をしばしばこのラグーンですごしました。泳いだり、ほとんどの時間はただ浮いていたり、水中で人魚ごっこをしたりして遊びました。だからって人魚とコドモ達が仲良しだったなんて考えてはいけません。それどころか、ウェンディにとってはずっと残念だったことに、事実は全くの正反対で、ネバーランドにいる間、人魚のだれからも礼儀正しく声をかけてもらったことはありませんでした。ウェンディがそのラグーンの端までこっそり忍び寄ったら、人魚たちがことにマルーナーの岩で実際のところどんな風だったかを見ることができたかもしれません。特にその場所で人魚たちは好んで日向ぼっこをしていて、ウェンディが本当にいらいらするようなものぐさな様子で髪をとかすのでした。もしくはウェンディはつま先歩きみたいにしてこっそりと、人魚から1ヤード以内まで泳いで行くこともできたかもしれません。でもそうすると人魚たちはウェンディを見つけて、たまたまというよりはたぶんわざとでしょう、尾っぽでウェンディにバシャと水をかけて水中に飛び込むのでした。

ラグーンでの夏の日々
ラグーンでの夏の日々

人魚たちの態度は、男の子達に対しても同じでした。ただもちろんピーターは別格です。ピーターは人魚たちとマルーナーの岩で何時間もおしゃべりをして、人魚たちが生意気なときには尾っぽの上に坐りこんだりしました。ピーターは、ウェンディに人魚のくしを一つくれました。

人魚たちを見るのにもっとも印象的なのは、月の変わり目と言われています。月の変わり目に人魚たちは奇妙な嘆き悲しむ声をあげるのでした。でもそんなとき、ラグーンは人にとっては危険この上ない場所なのです。わたしたちがこれからお話しする夕べまで、ウェンディは月光をあびているラグーンは一度も目にしたことがなかったのでした。それは恐いからというわけではありません、もし月光をあびているラグーンに行くなら、もちろんピーターが一緒に行ってくれたでしょうし。むしろ本当の理由は、みんなに7時には必ずベッドに入ることという厳しいルールが決められていたからでした。でもウェンディは雨上がりの晴れた日には、よくそのラグーンにいました。そんなときにはすごく大勢の人魚が水面にでてきて、自分たちのたてた水の泡とたわむれて遊ぶのでした。虹の水でできたいろいろな色の泡をボールにして、楽しそうに尾っぽで一方から一方へと打ち合い、割れるまで虹の中にあるようにします。ゴールは虹の両端で、キーパーだけが両手を使えるのです。時々、同時に1ダースものゲームがこのラグーンで行われることがあって、それはそれはすてきな眺めです。

ただコドモ達が加わろうとすると、自分たちだけで遊ぶ羽目になるのでした。人魚たちはすぐさま姿を消してしまいます。ただわたしたちは、人魚がひそかに侵入者たちを見ていたことについては自信がありますし、コドモ達のアイデアを全く取り入れないというわけでもありませんでした。なぜならジョンが手のかわりに頭をつかう、泡の新しい打ち方をあみだしたのですが、人魚たちがそれを取り入れたことがありましたから。これこそジョンがネバーランドに残していった、たった一つのしるしなのでした。

お昼ご飯のあとにコドモ達が半時も一つの岩の上で休憩しているのを見るのも、とてもすてきなことに違いありません。ウェンディは、これもルールと厳しかったのです。たとえご飯が「ごっこ」でも、休憩は本当にしなきゃならないのです。コドモ達がお日さまの中で寝そべっていると、体が反射してきらきら光りました。その間ウェンディはコドモ達の横にすわり、偉そうに見えました。

そんなある日のこと、みんなはマルーナーの岩の上にいました。その岩は家の大きなベッドほどは広くなかったのですが、みんな場所を取らないようにするこつを心得ていて、うたたねしたり少なくとも目を閉じて横になっていました。そしてウェンディが見てなさそうな時には、時々つねりあいなんかをしてました。ウェンディは編み物でとても忙しかったのです。

ウェンディが編み物をしていると、ラグーンにヘンカがおきました。よくない予感の身震いがラグーンに走り、太陽が雲にかくれ、水面に影がさし、寒くなりました。もうウェンディは針に糸を通すこともできません。目をあげると、今の今までいつもながらにあんなに楽しい場所だったラグーンは、ぞっとするような悪意に満ちた場所に見えたのでした。

ウェンディにも夜が来たのではないことは分かりました。でも夜が来たのと同じくらい暗くなりました。いいえ、もっと悪いことに、まだ実際来てはいないのですが、今にも行くよといわんばかりに、海の上をあのよくない予感の身震いが送られてきたのでした。いったいなにが起こるというのでしょう?

ウェンディの頭は、マルーナーの岩について聞いたことのあるいろいろな話でいっぱいになりました。なぜマルーナーの岩(島流しの岩)と呼ばれるかというと、悪い船長たちが船員をここに置き去りにして溺れさせたからでした。潮が満ちると岩が水没するので、溺れてしまうといういわれがあったのです。

もちろんウェンディは、すぐさまコドモ達をおこすべきでした。単になにかよく分からないものがやってくるというだけではなく、そもそも寒くなった岩の上で寝てるのは健康にもよくありませんでしたから。でもウェンディは新米のお母さんだったので、こういうことが分かっていなかったのです。ウェンディは昼食後には半時休みというルールは、とにかく守らなきゃと考えていたのでした。だからぞっとして、男の子たちの声が聞きたくなってもおこしませんでした。ウェンディは、音を立てないようにこっそり漕いでいるオールの音を聞きつけ、心臓が口から飛び出そうなほどビックリした時でさえ、男の子たちをおこしませんでした。あくまでちゃんと時間まで寝かせようと見守っていたのです。ウェンディの勇気があることといったら。 

寝ているときでさえ危険をかぎつける子が、コドモ達の中にも一人いたのは良いことでした。ピーターは、犬みたいにすぐに目を覚まし、はじけるようにたちあがると、一言警告してみんなをおこしました。

ピーターは、片耳に手をあててじっと立ってました。

「海賊たちだ!」と叫ぶと、みんなピーターのそばに集まりました。えもいわれぬ微笑がピーターの顔に浮かんでおり、ウェンディはそれを見て身震いしました。その微笑がピーターの顔に浮かんでいるときに、あえて話しかけるものはいません。みんなにできるのは立ちあがって、命令を待つことだけでした。するどくはっきりした命令が発せられました。

「飛びこめ!」

飛びこむ足が光ったかとおもうと、ラグーンはたちまち人っ子一人いなくなりました。マルーナーの岩はまるで岩自体も島流しされたみたいに、不気味な海域でぽつんと一つ浮かんでいるのでした。

ボートが近づいてきました。海賊の小船で3人の人影があり、スメー、スターキーと3人目は捕虜でした。なんと捕虜は他でもないタイガーリリーです。手と足を縛られ、どんな運命が待ち構えているか観念しています。岩に取り残され、非業の死を遂げるのです。ピカニニ族の最後としては火あぶりや拷問よりもひどい死に方です。というのも部族の本を見ても、幸せな死後の楽園に至るためには水を通って行く道なんてないって書かれてませんでしたっけ? でもリリーは平然とした顔をしており、酋長の娘ですから、酋長の娘として恥ずかしくない死に方をしなければなりません。それだけが望みだったのです。

海賊たちはリリーがナイフを口にくわえて、海賊船に乗り込んでくるところを捕まえました。フックが自慢するには、船に見張りはいなかったのですが、自分の名前が風に乗って一マイル四方は守ってくれるぞということでした。リリーの運命もまた船を守るのに一役買うことでしょう。夜風にのってもう一つ、悲しい話が噂されるのでしょう。

自分たちと一緒にやってきた暗闇の中で、2人の海賊は岩が見えずに衝突してしまいました。

「かじを風上だ、このまぬけ」アイルランドなまりの声がして、それはスメーです。「ここは岩だぞ。さてこれからやらなきゃならんのは、このインディアンを岩の上に置き去りにして、溺れさすことだな」

その美しい娘を岩に引き上げるのは、あっというまの無慈悲な仕事でした。ただリリーは無駄な抵抗をしようとするには、プライドが高すぎたのでした。

岩のほんの近くに、視界に入らない所ですが、2つの頭が上下に浮き沈みしていました。ピーターとウェンディの頭です。ウェンディはめそめそしており、それは初めて悲劇を目撃していたからでした。ピーターは悲劇はいやというほど見てきましたが、全部すっかり忘れているしまつです。ピーターはウェンディほどはタイガーリリーに同情しているわけではありません。ただピーターを憤慨させたのは2対1ということで、だからリリーを助けることにしたのです。カンタンなのは、海賊達が行ってしまうまで待ってることだったでしょうが、ピーターがカンタンな方を選ぶような子でないのは先刻ご承知の通りです。

ピーターに出来ないことなんてなにもありませんでしたから、この時はフックの声を真似したのでした。

「おおい、そこの、まぬけども!」ピーターが呼びかけました。すばらしい物まねです。

「船長だ!」海賊たちは驚きのあまりお互いに顔を見合わせて、そう言いました。

「こっちに泳いでくるところに違いないぞ」海賊たちはあたりを捜しましたけど、船長の姿は見あたらなかったので、スターキーはこう言いました。

「インディアンを岩の上に置き去りにしますぜぃ」スメーは大声でさけびました。

「そいつを自由にしてやるんだ」びっくりぎょうてんの返答です。

「自由だって!」

「そうだ、縄をきって行かせてやれ」

「でも、船長」

「すぐにだ、聞こえただろ。さもなくば俺の右腕のフックをおみまいしてもいいんだぞ」ピーターは叫びました。

「おかしいなぁ!」スメーが息をのみこみながらそう言うと、

「船長の言うとおりにした方がいいぜ」とスターキーはびくびくしながら言うのでした。

「アイ、アイ」スメーはそう言うと、タイガーリリーの縄を切りました。すぐさまリリーはうなぎみたいにスターキーの足の間をすりぬけて、水のなかに姿を消しました。

もちろんウェンディはピーターの賢さに得意満面でした。でもウェンディは、ピーターも得意満面で時の声をあげそうなのを見て、そんなことをしたらピーターが真似してたってばれちゃうので、すぐさまピーターの口を覆おうと手を伸ばしましたが、ふと手が止まりました。なぜなら「ボート!」というフックの声がラグーンに響き渡ったからでした。今回は、声をあげたのはピーターではありません。

ピーターは時の声をあげそうだったかもしれません、でもその代わりに顔が驚いたときに口笛をふくような顔になりました。

「ボート!」再び声が聞こえました。

今やウェンディにも分かりました。ホンモノのフックもまた水中にいたのです。

フックはボートめがけて泳いでいました。そしてフックの目印になるように手下どもがライトを照らしたので、フックはすぐに手下どものところまでたどり着きました。ランタンの明かりの中で、ウェンディはフックがボートのへりをつかむのを見ました。またボートに上がりこんだとき、邪悪な浅黒い顔から水がしたたり、身震いしたのも見えました。ウェンディは泳いで逃げだしたくなりましたが、ピーターは身動き一つしません。活気に満ち満ちて、またもやうぬぼれて得意になっていたのです。「すごいよね、僕ってすごいなぁ!」なんてウェンディにささやくのです。ウェンディもそうは思ってはいましたが、ピーターの評判を気にして、私だけしか聞いてなくてホントによかったと思ったのでした。

ピーターは、ウェンディに耳をすますよう合図しました。

2人の海賊は、船長がどうしてこんなところにやってきたのか興味しんしんでしたが、船長は頭を右腕のフックにもたせかけ、ものうげな様子で座っていました。

「船長、大丈夫ですかい?」手下どもはおずおずと声をかけましたが、うつろなうめき声の答えが返ってくるだけでした。

「船長は、ため息だ」とスメー。

「船長は、またため息だ」とスターキー。

「船長は、またまた3回目のため息だ」とスメー。

そしてついに船長はかんしゃくを起こして叫びました。「お遊びは終わりだ、あのコドモ達は母親をみつけたぞ」

ウェンディはびくびくもしたんですが、誇りで胸が一杯になりました。

「なんてついてない日だ!」スターキーは叫びました。

「母親ってなんですかい?」なにも知らないスメーはたずねました。

ウェンディは、あまりにショックを受けたのでおもわず声をあげました。「知らないんですって!」そしてこの後いつも、もし海賊をペットにできるものなら私はスメーがいいわねなんてウェンディは思ったのでした。

フックが立ちあがって「あれはなんだ?」と叫んだので、ピーターはウェンディを水中に引き込みました。

「なんも聞こえませんぜ」スターキーは、水面の上に明かりをかざして言いました。海賊たちが見やったとき、不思議な光景が目に入りました。それは前にもお話ししたことがある鳥の巣で、ラグーンにぷかぷか浮いておりネバーバードが卵を抱いていました。

「見ろ」フックはスメーの質問にこう答えました。「あれが母親だ、見本だ! 巣が水に落ちてしまったに違いない。だけど母親は卵を見捨てたか? いいや」

そこで一息おくと、まるでしばらく無邪気な日々を回想しているようでした。あの無邪気な日々に……と船長は自分の右腕のフックでこんな弱々しいところを振り払いました。

スメーはすっかり感動して、巣が運ばれて目の前を通り過ぎていく間、母親の鳥からじっと目を離しませんでした。でもスターキーはもっと疑り深かったので「母親ならたぶんピーターを助けに、ここらへんにでもいそうなもんだけどな」と言いました。

フックはびくっとして「ああ、それがわしが恐れてることなんだ」とつぶやきましたが、スメーの勢いこんだ声でその憂鬱をふりはらいました。

「おかしら」スメーははりきって言いました。「そのやつらの母親とやらを誘拐しちゃいましょう、それでわしらの母親にできませんかな?」

「そいつはすばらしい計画だ」フックはさけぶと、そのかしこい頭ですぐに現実的な計画を立てるのでした。「コドモ達をひっとらえてボートまで連れて来い。男の子達には板の上を歩かせて、ウェンディがわしらの母親といった具合だ」

またウェンディはわれを忘れて「なるもんですか!」と叫んで頭を水中にしずめました。

「あれはなんだ?」

でも海賊たちの目にはなにも映りません。海賊達は、風に葉っぱが一枚舞ってるにすぎないくらいに思っていました。「わかったか、やろうども?」フックはたずねました。

「手を重ねますぜ」2人とも声をそろえました。

「わしの右腕のフックもだ、誓うぞ」

3人とも誓いました。このときすでに3人は岩の上にいて、突然フックはタイガーリリーのことに思い当たりました。

「インディアンはどこだ?」フックはぶっきらぼうにたずねました。

フックはときどき冗談を言うので、2人はまた始まったなんて思いました。

「万事ぬかりないですぜ、船長」スメーはのんきにこう答えました。「ちゃんと逃がしましたぜ」

「逃がしただって!」フックは叫びました。

「だ、だって、おかしらの命令じゃないですか」甲板長がくちごもると、

「向こうから、やつを逃がしてやれって叫んだじゃないですか」とスターキーも言いました。

「こんちくしょうめ」フックは大声でいいました。「なんだってんだ!」顔は怒りでどす黒くなりました。ただ手下どもが自身の言葉にこれっぽっちも迷いを感じてないようなので驚いて、「おい、わしはそんな命令してないぞ」と少し震えた声で言いました。

「おかしなことだ」スメーはそう言うと、みんな気味が悪そうにそわそわしました。フックは声を張り上げましたが、その声は震えていました。「今晩、この真っ暗なラグーンに出没する亡霊よ、わしの言うことが聞こえるか?」と呼びかけたのです。

ピーターは黙ってるべきでしたが、もちろんそうしません。すぐにフックの声で答えました。

「おい、こりゃ、うるさい、聞こえてるぞ」

こんなときでもフックは青ざめたり、のどの下のたるんだ肉の部分をぴくりともさせませんでした。でもスメーとスターキーときたら恐怖のあまり、お互いに抱きつくありさまです。

「おまえはだれだ? 怪しいやつ、名乗れ!」フックは聞きました。

「わしはジェームズフックで、」その声は答えました。「ジョリーロジャース号の船長だ」

「おまえは違うぞ、おまえは違うんだ」フックはしゃがれた声で叫びました。

「こんちくしょうめ」その声はこう言い返しました。「もう一度言ってみろ、おまえに錨をぶち込むぞ」

フックは機嫌をとるような調子でやってみました。「おまえがフックなら、」ほとんどへりくだるくらいの調子で「頼むから教えてくれよ、わしはいったいだれなんだい?」とたずねました。

「タラだ」その声は答えました。「しがない魚のタラだよ」

「タラだって!」フックはぽかんと口を開けて、繰り返しました。そのときに、まさにそのときになると、フックのプライドは張りさけんばかりでした。フックは、手下どもが自分から距離をおくのが目に入りました。

「わしらは、いままでタラを船長だなんて思ってたのか! なんて恥さらしなんだ」2人はぶつぶつ言いました。

飼い犬に手をかまれるようなものでしたが、フックは悲劇の主人公となっていたので、2人に注意を払うような余裕もありません。こんな恐るべき証言に対抗するためには、手下どもがフックのことを信じるかではなく、まず自分で自分のことを信じられるかが問題でした。フックは自分を信じる気持ちが、するりと自分から逃げ出していくように感じて、「おい、逃げるんじゃない」としゃがれ声で自分を信じる気持ちにささやきかけました。

フックの暗い性質には、ちょっと女性っぽいところがありました。それは名を成した海賊たちにはみんな備わっているもので、それこそが時々ひらめきを与えてくれるのです。フックは突然、推理ゲームをはじめました。

「フック、他の声も使えるのかい?」と本物のフック。

さてピーターはゲームにはどうしても参加しないではいられないので、陽気に自分の声で「もちろんだとも」と答えました。

「じゃあ他の名前は?」

「まあな」

「野菜だな?」フックはたずねました。

「いいや」

「鉱物か?」

「いいや」

「動物だ?」

「そうさ」

「オトナか?」

「いいや、だんじて!」この答えはさげすむように響きました。

「男の子だな?」

「もちろんさ」

「ふつうの男の子かい?」

「いいや!」

「素敵な男の子か?」

ウェンディには残念なことにこの時ひびきわたった答えも

「そうに決まってるさ」でした。

「イングランドに住んでるのかい?」

「いいや」

「ここに住んでるんだな?」

「そうさ」

フックは全く混乱してしまいました。「おまえらもやつに質問するんだ」手下どもにそう言うと、汗でびっしょりの額をぬぐいました。

スメーはじっくり考えましたが「なんも思いつかねぇ」と残念そうに言いました。

「ワカンナイかなぁ、ワカンナーイだろうなぁ!」ピーターは威張って言いました。「降参かい?」

もちろんプライドのせいですが、ピーターはやりすぎでした。悪党どもは、すわチャンスとばかりに「うん、うん」と熱心に答えました。

「よし、じゃあ、僕はピーターパンだよ」と叫びました。

パンですって!

すぐさまフックは再び自分をとりもどし、スメーとスターキーはフックの忠実なるしもべに戻りました。

「さあ、やつをつかまえろ」フックは叫びました。「飛びこめ、スメー、スターキー、ボートに気をつけるんだ。やつを殺しても生きたままでもいいからひっとらえろ!」

フックも叫ぶやいなや飛びこみました。そして同時にピーターの陽気な声がひびきわたりました。

「準備はいいか、みんな?」

「アイ、アイ」ラグーンのあちこちから声がしました。

「じゃあ海賊たちをぶったたくんだ」

戦いは短く激しいもので、最初に相手の血を流したのはジョンでした。果敢にもボートに乗り込んで行くと、スターキーにつかみかかったのです。はげしい挌闘のすえ、短剣を海賊の手からもぎとって、スターキーは体をくねらせ船から水中へ飛びこみ、ジョンが続きました。小船は流されるままでした。

あちこちで、水中から頭がでたり沈んだりして、悲鳴や歓声に続いて剣がぶつかって火花を散らしました。混乱のなかで味方になぐりかかるものまでいる始末です。スメーの「コルク抜き」はトゥートルズの4番目の肋骨にねじ込まれました。でもスメーも同じようにカーリーに切りつけられて、岩から離れたところではスターキーがスライトリーと双子をぎりぎりまで追い詰めていました。

この間、ピーターはどこにいたのでしょうか? ピーターはもっと大きな獲物を捜し求めていたのでした。

ピーター以外もみんな勇敢な男の子達でした。でも海賊たちの船長から後ずさりしたとしても、責められるべきではありません。フックは鉄のカギヅメで、自分のまわりに死に至る水の輪を作って、みんなは恐れをなした魚のように、さっとそこから逃げ出したのでした。

フックを恐れない子が一人だけ、覚悟を決めてその輪に入っていきます。

不思議なことに、フックとピーターが顔をつき合わせたのは水の中ではありませんでした。フックは一息つくために岩によじ登り、同時にピーターは反対側からよじ登っていたのでした。岩はボールのようにつるつる滑りやすく、登るというより、はいつくばってるありさまです。2人ともお互いが登っているだなんて知りません。手探りで相手の腕に突き当たったのでした。驚いて頭をあげると、顔がほとんど触れあわんばかりで、こうして顔をつき合わせたのです。

偉大なる英雄でも戦いをはじめる直前には、弱気になるということを告白している人もいます。もしそのときピーターもそんな気持ちだったとしても、わたしは否定するつもりはありません。結局のところ、フックはシークックが恐れた唯一の男なのですから。でもピーターは弱気なんてどこふく風で、たった一つの思い、喜びであふれんばかりでした。そして喜びのあまり、そのすてきな歯で歯ぎしりをしました。とっさに、ピーターはフックのベルトからナイフを奪い取ると、もう少しでナイフが収まっていたその場所へ突きさせるところでした。その時ピーターは敵がいる岩より、自分が高い場所にいることに気がついて、それではフェアーに戦ったことにならないだろうと、フックを引き上げるために手を貸しました。

フックがピーターに一撃を食らわしたのは、その時でした。

一撃の痛みではなく、そのアンフェアな態度こそがピーターを呆然とさせました。ピーターは全く困惑して、ただ恐ろしさに震えながら見つめるだけでした。コドモはみんな一番最初にアンフェアに扱われたときには、こんな風に感じるものなのです。コドモは親愛の情を示しにあなたのところにやって来て、当然フェアーに扱われるものだと考えているのです。あなたがコドモに対してアンフェアな態度をとったとしても、あなたのことを再び愛してはくれるでしょうが、二度と全く同じコドモのままというわけではないのです。最初にアンフェアに扱われたことは決して忘れないものです。ピーター以外は、ということですけど。ピーターはたびたびそういう目にあうのでしたが、必ず忘れてしまうのです。私が思うには、これこそピーターと他のコドモ達の全く違っているところなのでした。

というわけで、今まさにそういう目にあっても、ピーターはまるでそれが初めてのように感じたのでした。困惑して見つめるだけです。再び鉄のつめがピーターをひっかきました。

それからしばらくして、他の男の子達はフックが水をばたばたさせて、船の方に向かって泳いで行くのを見ました。今や悪そうな顔には喜びのかけらも見られず、ただ恐ろしさで血の気がひいています。というのも、あのワニが根気強くフックを追いかけていたのでした。普通の場合なら男の子たちはその脇で大騒ぎしながら泳いだものでしたが、今はピーターとウェンディが2人ともいない不安でいっぱいでした。小さいボートを見つけて、それに乗り込み「ピーター、ウェンディ」と叫びながら家まで帰りましたが、人魚たちのあざけりわらう声以外はなにも聞こえませんでした。「2人は泳いでか、飛んで帰ったにちがいないよ」男の子たちはそう結論づけました。みんなはすごく心配してるというわけでもなかったのです。なにしろピーターを信じてましたから。みんなは、寝る時間に遅れちゃうので、くっくと男の子っぽく笑いました。それは全部ウェンディお母さんのせいだったからです。

男の子たちの声が聞こえなくなると、ラグーンには寒々しい静寂が訪れました。そしてかすかな声がしました。

「助けて、助けて!」

2人の小さな体が岩に打ち上げられました。女の子は気を失っており、男の子の腕に抱かれていました。男の子も気を失いそうだったのですが、水位があがってきてるのに気づきました。すぐに2人ともおぼれてしまうだろうって分かりましたが、なにもできません。

2人は並んでよこたわり、1匹の人魚がウェンディの足をつかんでゆっくり水中へ引き込もうとしました。ピーターはウェンディが引きずられていくのを感じたので、はっとして目を覚まし、すぐさま引っ張り上げました。ただウェンディに本当のことを言わなければなりません。

「ウェンディ、僕らは岩の上にいるんだ」ピーターはそう言うと「でもだんだん狭くなるんだ、今にも水に覆われる」と続けました。

ウェンディはまだ分かっていません。

「じゃあ行かなきゃ」むしろ明るい調子でそう言うのでした。

「うん」ピーターはかすかな声で答えました。

「泳いでいく、飛んでいく? ねぇピーター」

ピーターはウェンディに言わなければなりません。

「あの島まで泳ぐか飛んで行けるかい? ウェンディ、僕の助けなしで」

ウェンディは正直いって自分がとても疲れていることは、認めなければなりませんでした。

ピーターがうめきました。

「大丈夫?」ウェンディはすぐにピーターを心配して、そうたずねます。

「君を助けてあげられないんだ、ウェンディ。フックにやられたんだよ。飛べないし、泳げない」

「2人ともおぼれちゃうってこと?」

「水がどこまであがってきてるか見てごらん」

2人はその光景から目をそむけるために、両目を手で覆いました。もうだめだと2人とも思いました。ただこうして座っていると、なにかがキスみたいに軽くピーターにふれ、そこでとどまって、おずおずとこう言っているようでした。「なにかお役に立てるかしら?」

それはマイケルが数日前に作った凧のあしでした。マイケルの手から飛んでいって、流されていったのです。

「マイケルの凧だ」ピーターは最初は興味を示さずそういいましたが、次の瞬間にはその足をつかんでいました。そして凧を自分の方へ引き寄せました。

「凧はマイケルを地面から持ち上げた」ピーターは叫びました。「君を運べるよ」

「2人ともよ!」

「2人は無理だったんだ、マイケルとカーリーが試したんだ」

「くじびきにしましょう」ウェンディは勇気をもって言いました。

「君は女の子だよ、くじびきなんて絶対ごめんだ」すでにピーターはウェンディに凧をくくりつけていました。

ウェンディはピーターと離れて一人で行くなんていや! とばかりにピーターに抱きつきました。でも「さようなら、ウェンディ」と言うと、ピーターはウェンディを岩から押しました。数分後には、ウェンディはピーターの見えないところまで飛んで行って、ピーターはラグーンに一人取り残されました。

岩は立つ余地もないほど狭くなっていて、すぐにでも水にもぐってしまいそうでした。青白い光が水をよぎって、つま先立ちで通りすぎました。やがていっせいに世界中でもっとも耳に心地よく、もっとも悲しい声が聞こえてくるでしょう。それは人魚が月に呼びかけている声なのです。

ピーターは、他の男の子達みたいに静かになんてしていません。でも最後には恐怖を感じました。まるで海に波が走るように、体に震えが走ります。ただ海では一つの波にもう一つの波が続き大波になるものですが、ピーターはたった一つ震えを感じただけでした。次の瞬間、岩の上に再び立ちあがると顔には笑みを浮かべて体の中でドラムが打ち鳴らされるのを感じました。まるでこういってるみたいでした。「死ぬのはすっごい大冒険なんだろうな」

死ぬのはすっごい大冒険なんだろうな
死ぬのはすっごい大冒険なんだろうな

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