トロイア物語:都市の略奪者ユリシーズ, アンドリュー・ラング

ヘレネーの略取


この幸せな時は長くは続かなかった。テーレマコスがまだ赤ん坊だったとき、前代未聞の大きな、ものすごい、驚くような戦争が起こったのだ。ギリシアの東の海の彼方に、金持ちの王プリアモスが住まっていた。その町はトロイアとかイリオスと呼ばれ、ヨーロッパとアジアの間のヘレスポント海峡の海岸近くの丘に建っていた。それは堅固な城壁に囲まれた大きな都で、その廃虚は今でも建っている。王は海峡を通る商人たちから通行税を取り立て、トロイアの対岸のヨーロッパの地方であるトラーキアと同盟していた。そしてアガメムノーンがギリシアの頭の王だったように、プリアモスは海のトロイア側のすべての諸侯の頭だった。プリアモスはたくさんの美しい品々を持っていた。金の葉と房をつけた金の葡萄を持っていたし、一番速い馬や、たくさんの強く勇敢な息子を持っていた。もっとも強く勇敢な息子はヘクトールという名で、一番若くもっとも美しい息子はパリスという名だった。

プリアモスの妻が燃えさかるたいまつを産むという予言があった。それで、パリスが生まれると、プリアモスは召使に赤ん坊をイーデー山の人の手が入らない森に運ばせ、死ぬか狼や山猫に食われるように置き去りにしたのだ。召使は子供を置き去りにしたが、羊飼いがそれを見つけ、自分の息子として育てた。少年は、少女ではヘレネーが美しいのと同じほど、美しい少年になり、走るのも猟をするのも弓を射るのも、国中で一番になった。彼は、イダの森の洞窟にすむニンフ――つまり一種の妖精――の美しいオイノーネーに愛された。ギリシア人やトロイア人は、この時代、こういう妖精のようなニンフがすべての美しい森の中や山や泉に出没し、人魚のように、海の波の下に水晶の宮殿をもっているって信じてたのだ。この妖精たちはいたずら者ではなく、やさしくて親切だった。ときには死すべき人間と結婚することもあって、オイノーネーはパリスの花嫁になったのだ。そして彼が生涯ずっと自分のもとにいてくれるよう望んでいたのだ。

オイノーネーには、どんなにひどく傷ついていても、傷ついた人間を癒す魔法の力があると信じられていた。パリスとオイノーネーは森の中で一緒にとても幸せに暮らしていた。だが、ある日、プリアモスの召使がパリスの牛の群にいた美しい牛を追い払ってしまったので、パリスはその牛を探しに丘を離れ、トロイアの町へやってきた。母親のヘカベは彼に会い、近くに寄ってよく見ると、生まれてすぐに連れ去られたとき、赤ん坊の首に結わえた指輪を、彼がしているのに気がついた。それから、ヘカベは彼がとても美しいのを見、自分の息子だと気づいて、嬉しさに泣いた。そして誰もみな、彼が燃えさかるたいまつとなるだろうという予言を忘れ、プリアモスはパリスにその兄弟のトロイアの王子と同じような家を与えた。

美しいヘレネーの名声はトロイアにも届き、パリスは不幸なオイノーネーのことをきれいに忘れて、ぜひとも自らヘレネーに会いに行くと言い張った。たぶん彼はヘレネーが結婚するまえに、自分の妻に勝ち取りたいと思ったのだろう。でもこの時代には航海法はよく理解されておらず、また海は広く、航路をはずれてエジプトやアフリカへ、さらに遠く見も知らぬ海へと何年もさまようことがよく起こったことたのだ。そういうところでは、妖精が魔法のかかった島に住んでいたり、人食いが丘の洞窟に住んでいたりしたのだ。

ヘレネーの略取
ヘレネーの略取

パリスはヘレネーと結婚する幸運をつかむには、あまりに遅すぎた。でも、彼はヘレネーに会おうと決めており、タイゲトス山のふもと、清く流れの速いエウロタス川のほとりのヘレネーの宮殿へと向かって行った。車輪と馬の足音を聞きつけ、召使たちが広間からでてきた。何人かは馬を厩につれて行き、戦車を門口に傾けた。その間に他の者たちはパリスを広間に通した。そこは金と銀で太陽のように輝いていた。それからパリスと同行者は浴室に通され、そこで湯浴した。そして新しい着物、白い外套、紫のローブを着込み、次にメネラーオス王の前に連れて行かれた。王は彼らを親切にもてなし、彼らの前には肉が置かれ、金の杯の葡萄酒が注がれた。語らううちに、ヘレネーが芳わしい部屋から女神のように出てきた。その後には小間使いがつき従い、彼女のためにすみれ色の羊毛のついた象牙の糸巻棒を運んだ。ヘレネーは座ってそれを紡ぎ、パリスが遠くの国々でも美しさで有名なヘレネーに会いに、どんなに遠くから旅してきたか語るのを聞いていた。

それから、ヘレネーが座って紡いでいるとき、パリスは彼女ほど愛らしく優美な女性にはこれまで一度も会ったことがなく、二度と会うこともないことを悟った。その間、星という名のルビーから赤い雫が落ちては消えた。またヘレネーも、世界中の諸侯という諸侯のなかに、パリスほど美しい諸侯はいないことに気づいた。さて、ある話では、パリスは魔法の技でメネラーオスの姿になり、ヘレネーに一緒に船出しようと言い、それが自分の夫だと思っているヘレネーは彼について行き、パリスはヘレネーを、その主人と美しく小さな一人娘、子供のヘルミオーネから引き離してトロイアへ広い海を越えて運んだということだ。また別の話では、神々がヘレネー自身をエジプトへ連れ去り、神々は花と夕焼け雲からヘレネーそっくりの幻をつくり、パリスはこの幻をトロイアに連れて行ったのであり、神々がこんなことをしたのはギリシアとトロイアの間に戦争を引き起こすためだったというのだ。もう一つ別の話では、メネラーオスが狩りにいっているとき、ヘレネーと小間使いと宝石を力ずくで奪ったということだ。はっきりしているのは、パリスとヘレネーが一緒に海を渡り、メネラーオスと小さなヘルミオーネがエウロタス川のほとりのもの悲しい宮殿に取り残されたということだけだ。ぼくらが確かに知っているところでは、ペーネロペーは美しいいとこの言い訳はしなかったが、ヘレネーが自分の悲しみや何千もの男たちが戦争で死ぬ原因となったということで、彼女を憎んだ。なぜかって、ギリシア中の諸侯はみんな、誰であれメネラーオスを傷つけその妻を盗んだ者に対してメネラーオスに味方して戦うという誓いに縛られていたからね。でもヘレネーはトロイアではとても不幸だった。ヘレネーは、他の女が皆、とりわけパリスの恋人だったオイノーネーが責めたと同じくらい激しく、我が身を責めた。男たちはヘレネーにとってもやさしく、自分たちの中からヘレネーの美しい姿が見えなくなるくらいなら、戦って死のうと決めていたのだ。

メネラーオスとギリシア中の諸侯が面目を潰されたという知らせは、森に火が燃えひろがるように、国中に広まった。東へ西へ南へ北へ、丘の上や川のほとりや海の断崖の上の城に住む王たちのもとに、知らせは届いた。噂はピュロスの白髭の古老ネストールのもとにも届いた。ネストールは二世代にわたって人々を支配し、高地の野蛮人と戦い、戦いの日の前に歌われる力持ちのヘーラクレースや黒い弓のエウリュトスを憶えていた。

噂は、富んでいたので「黄金のミュケーナイ」と呼ばれた強大な町の黒髭のアガメムノーンにも、野性の鳩が生息するティスベの民にも、アポロの聖なる神殿があり予言するみこのいる岩だらけのピュトにも届いた。サラミスの小さな島の、一番背が高く一番強い男アイアースにも、今も建っている巨大な石作りの黒い城壁のアルゴスとティリュンスを治める大きなときの声でもっとも勇敢な戦士ディオメーデースにも届いた。招集は西の島々にも、イタケーのユリシーズにもかかり、はるか南の何百という都市のある大きなクレータの島にさえかかった。この島はクノッソスのイドメネオスが支配していたが、その廃虚となった宮殿は、王の玉座や壁にかかれた絵、金と銀でできた王自身のチェッカー盤、王室の宝の目録を書いた何百もの粘土板とともに、今でも見ることができるのだ。はるか北の方、ペラスギ人のアルゴスとペーレウス王の民ミュルミドーンが住むヘラスにも、知らせが届いた。でもペーレウスは年をとっていて戦えなかったし、その子のアキレウスは遠く離れたスキューロス島に住んでいて、リュコメーデース王の娘に混じって少女の恰好をしていた。その他の多くの町や何百という島々にも戦争を準備させるつらい知らせが届いた。なぜかって、名誉と誓いのために、槍兵や弓兵、投石兵を野や漁から呼び集め、船を仕立てて、アウリスの港にいるアガメムノーン王のもとに集まり、広い海を渡ってトロイアを包囲しなければならないことが、どの諸侯にもわかっていたからね。

さて、物語によると、ユリシーズはその島と妻のペーネロペーと小さなテーレマコスから離れるのがとっても嫌だった。またペーネロペーだってユリシーズが危険にさらされ、美しい手のヘレネーを見るのを望んではいなかった。そこで二人の王子がユリシーズを呼出しに来たとき、ユリシーズは気違いのふりをして、海岸の砂を牡牛で耕し、砂に塩を種蒔きしたのだ。それで、諸侯のパラメーデースが赤ん坊のテーレマコスを乳母のエウリュクレイアの手から取り上げ、鋤の刃があたって赤ん坊を殺すように、あぜ溝のすじの上に置いた。でもユリシーズは鋤をわきにそらせたので、彼らはユリシーズは気違いでなくて正気だと叫んだ。それで、ユリシーズは誓いを守り、アウリスの艦隊に加わって、荒れ狂う南のマレイア岬をまわって、長い航海に船出しなければならなくなったのだ。

この物語が本当だろうとなかろうと、ユリシーズはへさきとともに赤く塗った長い衝角をつけた十二隻の黒い船を率いていった。船には櫓があり、戦士が櫓についていて、風がないときは櫓を漕いだのだ。船のそれぞれの後部には一段高くなった小さな甲板があり、海上での戦闘のときには、この甲板の上に男たちが立って剣と槍で戦った。どの船にも一本だけ帆柱があり、広いラグスル[訳中:上端より下端が長い四角な縦帆]がついていた。碇には綱をつけた重い石があるだけだった。大抵夜は陸着けし、できるなら、たくさんある島のうちの一つの岸で眠った。だって陸地がみえないところを航海するのはとても恐かったのだ。

艦隊は千隻以上の船でつくられ、一隻には五十人の戦士が乗っていたから、五万人以上の軍隊だったのだ。アガメムノーンは百隻、ディオメーデースは八十隻、ネストールは九十隻、イドメネオスのいるクレータ人は八十隻、メネラーオスは六十隻の船をもっていたが、小さな島に住んでいたアイアースとユリシーズはそれぞれ十二隻しか船をもっていなかった。でもアイアースはとても勇敢で力が強かったし、ユリシーズはとても勇敢で賢かったので、メネラーオス、ディオメーデース、イドメネオス、ネストール、アテネのメネステウス他二、三人と同じく、アガメムノーンの将軍で相談役という扱いだったのだ。こういう将軍は会議に呼ばれ、最高指令官のアガメムノーンに助言をした。アガメムノーンは勇敢な戦士だったけれど、心配性で兵士の命を失うのを恐れてたので、ユリシーズとディオメーデースはよく彼に容赦のない話をしなければならなかった。アガメムノーンはまた横柄で欲張りだった。でも誰かが刃向かうと、気分を害した将軍が従軍を止めて兵を引き払うのが恐くて、すぐ謝ってしまうんだけれど。

ネストールは戦いでとても役に立つというには年をとりすぎていたけれど、まだまだ勇敢だったのでとても尊敬されていた。諸侯たちがアガメムノーンと喧嘩すると、たいていネストールが仲裁しようとした。彼は自分の若いころの偉大な行ないを長々と語って聞かせるのが好きだったし、将軍たちに昔風のやりかたで戦って欲しいのだった。

例えば、ネストールの時代にはギリシア人は氏族ごとの隊で戦ったし、諸侯たるものは戦車から降りずに、戦車隊で戦ったものだが、今では戦車をもっているものも徒歩で一人づつを相手に戦い、その一方で、退却しなくちゃならなくなると戦車で逃げるよう、従者が彼のそばに戦車を用意しているのだ。ネストールは敵の歩兵の軍勢に戦車で立ち向かう古き良きやり方に戻って欲しいのだった。手短に言えば、ネストールは昔風の兵士のみごとな実例だったのだ。

アイアースはとても背が高く、力が強く、勇敢ではあったが、かなり間抜けだった。ほとんどしゃべらず、いつも戦いの用意をしており、退却も殿軍だった。メネラーオスは体が弱かったが、一番といってよいほど勇敢で、いやそれ以上に勇敢だった。なぜかって、名誉の感覚が鋭かったからね。で、やるだけの力がないことに挑んでいたのだ。ディオメーデースとユリシーズは大の仲良しで、できるときにはいつも隣り合って戦ったし、もっとも危険な冒険ではお互いに助け合っていた。

こういうのが、アリウスの港からギリシアの大艦隊を率いていった将軍たちだったのだ。ヘレネーが逃げさった後、大艦隊が集結するまでに長い時間がたったし、海を渡ってトロイアに行こうとするまでにさらに時間がかかった。嵐で船は散り散りになり、修理のためにアリウスに戻ってきたが、もう一度出発するとき、敵対的な島の住民と戦闘となり、その町を包囲したのだ。なによりも彼らが望んだのは、アキレウスが一緒に来てくれることだった。なぜって、アキレウスは五十隻の船と二千五百人の指揮者だったし、武器作りと鍛冶の神ヘパエストスが、人の言うところでは、その父のために、作った魔法の武器をもっていたからたのだ。

ついに艦隊はスキューロスの島にやってきた。そこにアキレウスがかくまわれているって感づいたのだ。リュコメーデース王は将軍たちを丁重に迎え、彼らは王の娘たちがみんな舞踏場で踊り遊ぶのを見たが、アキレウスはまだとても若くきゃしゃで、またとても美しかったので、その中にアキレウスがいるのはわからなかった。アキレウスがいなければトロイアは得られないという予言があったが、まだ彼は見つからなかったのだ。それでユリシーズは計略をたてた。ユリシーズは眉と髭を黒くし、フェニキア商人の衣装を着た。フェニキア人はユダヤ人のそばに住む人々で、同じ人種で同じ言語を話していたが、そのころはパレスチナの農民で土地を耕し、羊や豚を飼っていたユダヤ人とは違って、偉大な商人で航海者で奴隷盗っ人だった。彼らは美しい布や刺繍品、金の宝飾品やこはくの首飾りといった積荷を運び、ギリシアや島々の海岸あたりのいたるところで、こうした品々を売っていたのだ。

ユリシーズはそれからフェニキア商人の恰好をして、背中に荷物を背負い、手には杖を持つだけ、長い髪は巻き上げて赤い船乗り帽に隠した。この姿でユリシーズは前かがみで荷物を背負って、リュコメーデース王の中庭に入って来た。娘たちは商人がやって来たのを聞きつけて、みんな走り出た。アキレウスも他の子と一緒に商人が荷物を下ろすのを見ていた。どの子も一番好きなものを選んだ。一人は金の花輪を、もう一人は金とこはくの首飾りを、別の一人はイヤリングを、四番目の子はひと揃いのブローチを、別の子は刺繍をした紅の布の服を、もう一人はヴェールを、もう一人はひと組みの腕輪を選んだ。けれども荷物の底には、束に金の釘を打った青銅の大剣が入っていた。アキレウスは剣をとり、「これがぼくのだ」と言って、金箔を被せた鞘から剣を抜くと、頭のまわりで風を切って振り回した。

「おまえがペーレウスの息子、アキレウスだ!」とユリシーズは言った。「おまえはアカイア人の最高の戦士になるべきなのだ」そういったのは、そのころギリシア人は自分たちをアカイア人と呼んでたからたのだ。アキレウスはこの言葉を聞いてとても喜んだだけだった。なぜかって、彼は乙女たちと一緒にいるのに飽々していたからたのだ。ユリシーズはアキレウスを将軍たちが葡萄酒を飲みながら座っている広間に導いた。アキレウスは少女のように紅潮していた。

「ここにアマゾーン族の女王がいるぞ」とユリシーズが言った。――アマゾーン族は好戦的な乙女たちの種族なんだ――「いやそうじゃなくて、ここにいるのは剣を手にしたペーレウスの息子、アキレウスだ」こうしてみんなアキレウスの手をとり、歓迎した。アキレウスは男の服を着て、脇に剣を帯びた。そしてみんなはアキレウスを十隻の船で故郷に送り届けた。そこではアキレウスの母、海の女神の銀の足のテティスが息子を嘆いて言った。「我が子よ、おまえは私と一緒にここで長く幸せで平和な生活を送るか、つかの間の戦争に生き、不滅の名声を得るか選ばなければならない。戦争を選べば、アルゴスでは二度とおまえに会えなくなるんだよ」でもアキレウスは若くして死ぬが世界があるかぎり続く名声を得る方を選んだのだ。そこで父親はアキレウスに五十隻の船を与え、年上で友人のパトロクロスと助言をする老人のフォエニクスを供につけた。母親は彼に、神がその父のために作った壮麗な武具とアキレウス以外だれも振り回せない重いとねりこの槍を与えた。そしてアキレウスはアカイア人の軍勢に加わって船出した。アカイア人はみな、自分たちのためにこのような王子を見つけてくれたことで、ユリシーズを称賛し感謝したのだ。なぜって、アキレウスはその中でもっとも獰猛な戦士で、もっとも俊足で、もっとも礼儀正しい王子で、女や子供には一番親切だったからさ。でも彼は誇り高く高邁で、怒るとその怒りは恐ろしかった。

トロイアの町の人間だけで美しい手のヘレネーを守ろうと戦ったなら、トロイア人がギリシア人に対して勝ち目はなかっただろう。でも彼らには同盟者がいた。話す言葉は違っていたけれど、ヨーロッパからもアジアからも一緒に戦おうとやってきた。トロイア側でもギリシア側でもこの人々はペラスギ人と呼ばれ、海の両岸に住んでたらしい。トラーキア人もいたが、彼らはヨーロッパではアキレウスよりずうっと北に住んでたし、川のようにはしる細長い海であるヘレスポント海峡のほとりにも住んでいた。サルペードーンとグラウコスに率いられたリュシアの戦士がいたし、わからない言葉を話すカリア人がおり、ミュシア人や「銀の産地」といわれるアリュベから来た人々、その他たくさんの種族が軍隊を送った。こうして一方は東ヨーロッパ、もう一方は西小アジアの間の戦争となったのだ。エジプトの人々は戦争には加わらなかった。ギリシア人や島の人々は、デーン人がイギリスに侵攻したみたいに、よく船に乗って押し寄せてはエジプト人を攻撃した。角のついた兜をかぶった島からやってきた戦士たちを、古いエジプトの絵に見ることもあるだろう。

トロイア人の、今で言う総指令官にあたるのは、プリアモスの息子、ヘクトールだった。ヘクトールはどのギリシア人に対しても好敵手だと思われており、勇敢で善良だった。彼の兄弟も指導者だったが、パリスは遠くから弓矢で戦う方が好きだった。パリスとイダ山の斜面に住むパンダロスはトロイア軍一の弓の名手だった。諸侯というものは普通、重い槍を投げあったり、剣で戦うもので、弓は青銅の鎧のない一般兵に任されていたのだ。だがテウセルとメーリオネースとユリシーズはアカイア一の弓の名手だった。ダルダニア人とよばれた種族はアエネースが率いていたが、アエネースはもっとも美しい女神の息子といわれていた。こういう人たちとサルペードーンとグラウコスがトロイア側で戦ったもっとも有名な人たちだった。

トロイアは丘の上の強固な町で、背後にイダ山が横たわり、前方には平原が海岸に向かって傾斜していた。この平原を二本の美しい川が流れ、あちこちに険しい小丘と思われるものが散在しているが、実はこれはずっと昔に死んだ戦士たちの灰の上に積み上げられた墳丘たのだ。こういう墳丘の上には、ギリシア艦隊が近寄ってきたら警報をだそうと、よく歩哨が立って海の向こうを見張っていた。だってトロイア人はギリシア艦隊がやって来る途中だって聞いてたからね。とうとう艦隊が現れ、海は船で真っ黒になり、漕ぎ手たちは最初に上陸する名誉を得ようと力のかぎりをつくした。競争はプローテシラーオス公の船が勝ち、プローテシラーオスは誰より真っ先に岸に飛び降りたが、飛び降りたときにはパリスの弓から放たれた矢が心臓に当たった。これはトロイア方には良い前兆、ギリシア方には悪い前兆だったにちがいないけれど、でもノルマンのウィリアムがイギリスに侵攻したとき以上の大勢力で上陸を阻止しようとしたとは聞いてない。

ギリシア人は船をみんな岸に引き上げ、船の前に建てた小屋で野営した。こうして背後の船に接して長い小屋の列ができた。ギリシア人はトロイアの包囲が続いた十年間ずうっとこの小屋に住み続けたのだ。この時代、ギリシア人は包囲のやり方を知らなかったみたいたのだ。ギリシア人が塔をつくったりトロイアを取り囲む塹壕を掘ったりして、郊外から補給物資が持ち込まれないよう塔から見張るといったことを期待したでしょ。こういうのを町を「包囲する」っていうんだけれど、ギリシア人はけっしてトロイアを包囲しなかった。たぶん包囲するだけの人数がいなかったのだろう。とにかく、場所は開放されたままで、戦士や女子供の食糧として、いつでも牛を追い込むことができた。

その上、ギリシア人は長い間、城門を壊そうとか、城壁をよじ登ろうとか、やってみようともしてないようたのだ。この城壁はとても高くて梯子がついてた。一方、トロイア人と同盟者は、危険を冒してまで、ギリシア人を海にたたき込むことはけっしてしなかった。彼らはふつう城壁のなかにいるか、城壁の下で小競り合いをしていた。ヘクトールは常々ギリシア人の野営を攻めたてたがったが、老人たちがこういう戦い方を言い張っていたのだ。どちらの陣営にも、後の時代にローマ人が使ったような、重い石を投げ飛ばす機械はなかった。ギリシア人がやったことは、アキレウスに従って、近所の小さい都市をぶんどり、女たちを奪って奴隷にし、牛を追い払ったくらいのことたのだ。ギリシア人は食糧や葡萄酒をフェニキア人から買ってた。で、フェニキア人は船でやってきて、戦争で大儲けしたのだ。

十年目になるまで、戦争は本気では始まっちゃいなくて、主な指導者はほとんど死んじゃいない。熱病がギリシア人を襲い、野営地はギリシア人が死体を焼く、大きく積み上げた燃えさかる薪の煙で、一日中暗く、またその火で一晩中照らし出された。その骨は土の小山の下に埋められた。この小山は今でもその多くがトロイアの平原に立っているのだ。疫病が十日の間猛威をふるったとき、アキレウスは全軍の会合を招集して、なぜ神々が怒っているのか理由を見つけ出そうとした。軍隊での熱病は普通汚物や悪い水を飲んで起こるものなんだけれど、ギリシア人は美しい神アポロ(彼はトロイア方の味方だった)が自分たちに銀の弓から見えない矢を放ったと考えたのだ。太陽がとても熱かったのも、病気が起こるのを助長した。でもぼくたちは、ギリシア人が自分たちで語ったとおりに物語らなければならない。そこでアキレウスは会合で話し、アポロがなぜ怒っているのか予言者に聞こうと提案した。予言者の長はカルカースだった。彼は立ち上がり、アキレウスが真実で気分を害した諸侯の怒りから自分を守ると約束するなら、真実を告げようといった。

アキレウスはカルカースが誰のことをいっているのか、よくわかっていた。十日前、アポロの神官が野営地を訪れ、アキレウスが小さな町を占領したときに、他の多くの捕虜と一緒に捕らえた美しい少女、その神官の娘クリュセイスを身請けしたいと申し出た。クリュセイスは奴隷としてアガメムノーンに与えられていた。アガメムノーンは頭の王だったから、戦いに加わっていようがいまいが、いつも最上の戦利品を手に入れたのだ。彼は戦いに加わらないのがいつものことだったのだ。アキレウスには、彼がとても気に入ったブリセイスという別の娘が与えられた。さて、アキレウスがカルカースを守ると約束すると、予言者は大声で話し、大胆にも誰もがもう知っていること、つまりアガメムノーンがクリュセイスを返さず、彼女の父親のアポロの神官を侮辱したから、アポロが疫病を起こしたと言った。

これを聞くと、アガメムノーンはとても怒った。彼は、クリュセイスを返そう、だがアキレウスからブリセイスを取り上げようと言った。するとアキレウスはアガメムノーンを殺そうと大剣を鞘から抜いた。でも、怒っていても、彼はそれが間違ったことだとわかっていたので、ただアガメムノーンのことを「犬の面と鹿の心臓をもった」貪欲な腰抜け呼ばわりしただけだった。そして彼と部下はもうこれ以上トロイア人とは戦わないと誓ったのだ。老ネストールは仲裁しようとし、剣は抜かれずにすんだ。でもブリセイスはアキレウスから取り上げられた。そしてユリシーズはクリュセイスを自分の船に乗せ、彼女の父親の町へと船出し、父親に引き渡した。そこで父親はアポロに疫病を鎮めたまえと祈り、ギリシア人が野営地を清潔にし、自らを清め、不浄のものを海に流すと、疫病はおさまった。

ぼくたちはアキレウスがどんなに猛々しく勇敢だったか知っており、なぜ彼がアガメムノーンに決闘を挑まなかったか不思議に思う。でもギリシア人はけっして決闘をしなかったし、アガメムノーンは正しい神意で頭の王となったのだと信じられていた。アキレウスは、自分の愛するブリセイスが連れ去られるとき、一人海岸に行って泣き、母親の銀の足の水の女神に呼びかけた。するとテティスは灰色の海から霧のように現れ、息子の傍らにすわり、その手で息子の髪をなで、アキレウスはその悲しみをすべて母親に語ったのだ。そこでテティスは神々の住いに行き、すべての神の頭ゼウスに祈って、トロイア人に大きな戦闘で勝たせて、アガメムノーンにアキレウスが必要なことを悟らせ、その尊大な態度を改めさせ、アキレウスの面目を施させようと言った。

テティスは約束を守り、ゼウスはトロイア人がギリシア人を打ち破るだろうと保証した。その夜、ゼウスはアガメムノーンに偽りの夢を見せた。夢は老ネストールの姿をとり、ゼウスがその日アガメムノーンに勝利をもたらすと言った。まだ寝ている間は、アガメムノーンはすぐにもトロイアを得るだろうという希望でうきうきしていたが、目が覚めると、それほど確信が持てなくなった。なぜかって、武具を着け、ギリシア軍そのものを率いるかわりに、単にローブと外套をまとい、王しゃくを持っているだけだったからだ。そこでアガメムノーンは将軍たちのところに行き、その夢を語り聞かせた。彼らはさほど勇気づけられた気がしなかったので、アガメムノーンは軍隊の気分を試してみようと言った。アガメムノーンは軍隊を呼び集めて、ギリシアに帰ろうと提案した。だが、もし兵士たちが彼の言うことをそのまま信じたら、将軍たちがとどめることになっていた。これは馬鹿げた計画だった。なぜって兵士たちはうんざりしていて美しいギリシアと自分の家庭や妻子に恋焦がれていたのだからね。だから、アガメムノーンが言った通りにすると、全軍が西風が吹き渡る海のように立ち上がり、叫びながら船に駆けて行った。それでその足もとで埃が雲のように舞い上がった。こうして彼らは船を進水しはじめた。で、諸侯たちは勢いに押し流され、他の者と同じくらい故郷に帰ることをしきりに願っているみたいだった。

だがユリシーズだけは船の傍らに悲しみ怒って立ち、決して船には手を触れなかった。それはユリシーズが逃げ出すことはとっても恥ずかしいことだと感じていたからたのだ。ついには彼は自分の外套を投げ捨てた。それを彼の伝令の猫背で茶色の巻毛の男、イタケーのエウリュバテスが拾い上げた。ユリシーズはアガメムノーンを探しに走り、元帥の指令杖のような金の鋲を打った杖であるその王しゃくをとり、出くわした将軍たちに、恥ずかしいことをしているんだろう、とやさしく告げた。だが一般兵士はしゃくで集合場所に追いたてた。彼らはみな帰り、途方に暮れ、しゃべりあった。しかしテルシテスという名の、一人の足の不自由な、がにまたで、禿げていて、猫背の軽率な奴が、立ち上がって、不遜な演説をして、諸侯たちを侮辱し、軍隊に逃げるよう勧めたのだ。するとユリシーズは彼をつかまえて、血が流れるまでなぐった。そこで彼は座り込み、涙を拭った。その馬鹿な様子に全軍が嘲笑し、ユリシーズとネストールが彼らに武装し戦うよう命じたときには、ユリシーズに喝采した。アガメムノーンはまだ自分の夢をとても信じており、その日こそトロイアを得、ヘクトールを殺すことになるよう祈った。こうして、ユリシーズ一人で軍隊を臆病な退却から救ったのだ。彼がいなければ、船は一時間で発進していたことだろう。けれどもギリシア人は武装し、全軍あげて進軍した。アキレウスとその友パトロクロスと二、三千人の部下を除いては。トロイア人も、アキレウスが戦わないと知って、気をとり直し、両軍はたがいに接近した。パリス自身は、二本の槍と弓を携え、防具をつけずに、軍勢の間に歩み出て誰であれギリシアの諸侯に一騎打ちを挑んだ。パリスに妻を連れ去られたメネラーオスは、牡鹿か山羊を見つけた飢えたライオンのように喜んで、防具をつけて戦車から飛び降りた。でもパリスは、丘の小道で大きな蛇に出食わした人のように、向きを変えて逃げ出した。そのときヘクトールがその臆病さをたしなめた。パリスは恥ずかしくなり、自分がメネラーオスと戦うことで戦争を終らせようと申し出た。もしパリスが倒れれば、トロイア方はヘレネーとその宝石をすべてあきらめなくちゃならない。もしメネラーオスが倒れれば、ギリシア方は美しいヘレネーを残して帰国するというものたのだ。ギリシア側はこの計画を受け入れた。それで双方武装を解いて戦いを見守ることにした。彼らは戦いの勝敗がつき、争いが解決するまで、平和を維持するという一番厳かな誓いをたてるつもりだった。ヘクトールはトロイアに二頭の小羊を用意するよう使いを送った。この小羊は誓いを立てるときに生贄とするのだ。

さてその頃、美しい手のヘレネーは家でギリシアとトロイアの戦いを刺繍した大きな紫のタペストリーを作っていた。それはノルマンの貴婦人がノルマンのイギリス征服の戦いを刺繍したバイユーのタペストリーみたいなものだった。ロック・レーヴェン城に捕囚されていたときのスコットランド女王の哀れなメアリと同じように、ヘレネーも刺繍が大好きだった。たぶん、ヘレネーもメアリも昔の生活と悲しみを思いながら刺繍をしてたのだろうね。

プリアモスにギリシアの主な戦士たちを教えるヘレネー
ヘレネーはプリアモスにギリシアの主な戦士たちを教えた

ヘレネーは自分の夫がパリスと戦うことになったと聞くと、泣いて、輝くヴェールで顔を覆い、二人の部屋付き小間使いをつれて、プリアモス王がトロイアの老将軍と座っている門塔の屋根に行った。彼らはヘレネーを見て、このような美しい婦人のために戦うことにちょっととがめだてをした。プリアモスは彼女を「愛しい子よ」と呼びかけ、「わしはお前をとがめはしない。この戦争をもたらした神々を非難するのだ」と言った。でもヘレネーは小さな娘や夫を置き去りにして故郷を離れる前に死んでしまえばよかったのにと言った。「ああ、恥知らずの私!」そうして彼女はプリアモスに主なギリシアの戦士たちの名前、それにアガメムノーンより頭一つ低いが胸と肩が広いユリシーズの名前を教えた。ヘレネーは自分の二人の兄弟カストールとポリュデウケスに会えないのが不思議だったが、彼女の罪を恥じて遠く離れているのだろうと思った。でも緑の草が彼らの墓を覆っていた。なぜかというと、二人ともはるか遠くの自分たちの国、ラケダイモーンで戦いで死んでいたのだ。

さて、子羊は生贄にされ、誓いが立てられた。パリスは兄弟の防具、兜、胸当て、盾、すね当てを着けた。くじ引きで、パリスとメネラーオスのどちらが先に槍を投げるかを決めたが、パリスが勝ったので、槍を投げた。でもメネラーオスの盾に当たって切先が鈍った。メネラーオスが槍を投げると、パリスの盾をきれいに貫き、胸当ての脇を通ったが、パリスのローブをかすめただけだった。メネラーオスは剣を抜き、突進してパリスの兜の前立てに一撃を加えたが、その青銅の刃は四つに砕けた。メネラーオスはパリスの兜の馬のたてがみの前立てをつかみ、ギリシア軍のほうへひきずったが、顎紐が切れた。メネラーオスは振り向いて、兜をギリシア軍の隊列に投げ込んだ。でもメネラーオスが槍を手に、パリスをもう一度捜すと、どこにも見当たらない! ギリシア人は美しい女神アフロディテ、ローマ人はヴィーナスと呼ぶ女神がパリスを暗闇の厚い雲で隠し、彼の町に運んだと信じた。その町で美しい手のヘレネーはパリスを見つけて、「私の主人である偉大な戦士に打ち破られて、あなたは非業の死を遂げるところだったのに! もう一度行って、顔を突き合わせ戦うよう挑戦してきてください」と言った。でもパリスはもう戦いたいとは思わなかったし、ヘレネーは女神に脅され、無理矢理パリスと一緒にトロイアに留まらなければならなくなり、パリスは自分で臆病者だと証明したのだ。けれど別の日にはパリスはよく戦っていたのだから、彼は心の中で自分を恥じていたので、メネラーオスを恐れたんじゃないだろうか。

その間、メネラーオスはそこら中くまなくパリスを捜していた。トロイア人は、パリスを憎んでいたんで、知っているなら隠れている場所を教えてやりたかっただろう。でもだれもパリスがどこにいるか知らなかった。そこでギリシア勢は勝利を宣言し、パリスは戦いに負けたのだから、ヘレネーを返してもらい、全員故郷へと船出しようと思ったのだ。


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