トロイア物語:都市の略奪者ユリシーズ, アンドリュー・ラング

パトロクロスの殺害と敵討ち


松明が船のまわりで燃え上がり、すべてが絶望的に思われたちょうどそのとき、パトロクロスはエウリュピュロスの小屋から出て来た。彼はこれまでエウリュピュロスの傷の手当をしていたのだ。そしてギリシア軍が大きな危機に陥っているのを知ると、泣きながら走ってアキレウスのところへ来た。「なぜ泣くんだ。」とアキレウスは言った。「母親のそばにかけより、ガウンをひっぱって、涙いっぱいの目で母親を見ている小さな女の子みたいだぞ。君の父上かあるいは僕の父が亡くなったという悪い知らせが故郷からあったのか。それともギリシア軍が自分たちの愚行の報いをうけたのが悲しいのか。」それでパトロクロスはアキレウスに、ユリシーズをはじめ多くの諸侯が負傷し戦えなくなった顛末を語って聞かせ、自分がアキレウスの武具を着けて、元気で疲れを知らないアキレウスの部下を戦場に率いるのを許可して欲しい、というのも二千人の元気いっぱいも戦士を投入すればその日の運もかえられるだろうから、と頼み込んだ。

それでアキレウスは、ヘクトールが自分の船に火を放とうとするまでは戦わないと誓ったことを後悔した。アキレウスはパトロクロスに武具と馬それに部下を貸し与えることしたが、パトロクロスはトロイア軍を船から追い払うだけで、深追いしてはならなかった。このときアイアースは疲れ果て、武具にはたくさんの槍が打ち込まれ、大盾を持ち上げることがほとんどできなかった。ヘクトールはアイアースの槍の穂先を剣で切り落とし、青銅の槍頭は地面に落ちてカラカラと鳴り響き、アイアースは穂先のない柄だけを振り回していた。それでアイアースはひるみ、彼の船のいたるところで火が燃え上がった。アキレウスはそれを見て、太腿を打ち、パトロクロスを急がせた。パトロクロスはアキレウスの輝く武具で身をつつんだ。トロイア軍の誰もがこの武具を恐れるのだ。それから従者のアウトメドーンがクサントスとバリオスという2頭の馬につけた戦車に跳び乗った。この二頭は西風の子供だと言われていた。それから伴走馬を二頭の傍らにそえ引き綱でつけた。その間にミュルミドーンと呼ばれるアキレウスの2千人の部下は武具をつけて、名家の5人の将軍が指揮する、それぞれ4百人の5つの隊に集結した。彼らは大きな赤鹿を平らげたばかりで丘の井戸の黒ずんだ水で喉の渇きを癒そうと走って行く狼の一団のように、一心不乱に進軍した。

全員が密集方陣を組み、兜と兜が触れ合い、盾と盾が触れ合って、さながら輝く青銅の動く壁となり、アキレウスの部下たちは突撃し、パトロクロスは戦車に乗って先導した。彼らは全速力でトロイア軍の側面に襲いかかった。トロイア軍は指揮者を見て、恐ろしいアキレウスの輝く武具と馬だと知って、アキレウスが戦場に戻って来たと思った。それでどのトロイア兵も逃げ出せる方向はないかあたりを見回し、戦闘にはいるとすぐに選んだ方向に逃げ出した。パトロクロスはプローテシラーオスの船に殺到し、そこのトロイア軍の指揮者を殺し、トロイア軍を追い払って、火を消した。その間にトロイアの連中は船から引き上げ、アイアースやその他の負傷していないギリシアの王侯はトロイア軍の中に飛び込んでいき、剣や槍で打ちかかった。戦いがまた急変したということはヘクトールにはよくわかったが、たとえそうでも、ヘクトールは立ちはだかり、やるべきことをした。だがトロイア軍は算を乱して塹壕を渡って逃げ帰った。この塹壕のところで多くの戦車の棒が折れ、馬は解き放たれて平原を横切って走っていった。

アキレウスの馬は堀を跳び越し、パトロクロスは馬をトロイア軍とトロイア町の城壁の間へと駆りながら、たくさんの男を殺したが、その中でも大物はリュキア人の王サルペードーンだった。サルペードーンの死体のまわりでトロイア軍はヘクトールの下に結集し、戦況は目まぐるしく変わり優劣着きがたく、槍と剣が盾と兜を打つ音は、たくさんの木こりが山の峡谷で木を切り倒すときのようだった。ついにはトロイア軍が敗れ、ギリシア軍は勇敢なサルペードーンの死体から武具を矧ぎ取った。だが人の語るところでは、二枚翼の天使に似た眠りと死とがサルペードーンの死体を自分の国に運び去ったということだ。さてパトロクロスは、平原の向こうまでトロイア軍を追わずに、船からトロイア軍を追い払ったら戻るようにアキレウスが言っていたのを忘れていた。彼は疾駆して、行くところ殺しながら、トロイアの城壁の真下にまで来てしまった。パトロクロスは三度城壁を登ろうとしたが、三度とも落ちてしまった。

ヘクトールは戦車に乗って門口のところにいたが、従者に命じて馬に鞭をいれ戦場に向かった。大物小物を問わず誰にも攻撃をかけず、ただパトロクロスだけをまっすぐ追いかけた。パトロクロスは立ち上がって重い石をヘクトールに投げつけたが、ヘクトールをはずれて、馭者を殺した。そこでパトロクロスは馭者に跳び乗ってその武具を矧ぎ取ろうとしたが、ヘクトールが死体の上に立ち、その頭をしっかりつかんだ。一方ではパトロクロスが足をもって引っ張った。槍や矢が倒れた男のまわりに雨あられと降ってきた。ついに、夕暮れが近づきギリシア軍は死んだ馭者を戦場から引っ張りだした。そしてパトロクロス三度トロイア軍のまっただ中に突撃した。だが戦ううちにアキレウスの兜はゆるんで、パトロクロスの頭から落ちてしまった。パトロクロスは背後から傷を受け、ヘクトールは正面から彼の体を槍で貫き通した。最後の息でパトロクロスは予言した。「ヘクトールよ、汝の傍らにも死が立っている。高貴なアキレウスの手にかかって果てるだろう。」と。そこでアウトメドーンは、アキレウスの最愛の友が殺されたという知らせをもって、駿馬を駆って戻って行った。

この大会戦の初めに、ユリシーズは負傷し、数日間戦うことができなかった。それで、これはユリシーズについての物語なのだから、アキレウスがパトロクロスの仇討ちに戦いに戻り、ヘクトールを殺したことについては、とても簡単に話しておくしかなかろう。パトロクロスが倒れたとき、ヘクトールは、神々がペーレウスに与えペーレウスがその息子アキレウスに与えた武具を奪った。この武具は、トロイア軍をおびえさせるよう、アキレウスがパトロクロスに貸し与えものだったのだ。槍のとどかぬところに退いて、ヘクトールは自分の武具を脱ぎ、アキレウスの武具を着けた。そしてギリシア軍とトロイア軍はパトロクロスの死体をめぐって戦った。そのとき主神ゼウスは下界を見て、ヘクトールは戦場から彼の妻アンドロマケーのもとに戻ることはかなわないと言った。だがヘクトールはパトロクロスの死体をめぐる戦いに戻ったが、ここでは優れた男たちは皆戦っており、パトロクロスの戦車を駆っていたアウトメドーンさえもが戦っていた。さてトロイア軍が優勢に思われた時、ギリシア軍はネストールの息子アンティロコスを送って、アキレウスにその友人が殺されたことを伝えようとした。アンティロコスは走り、アイアースとその兄弟がパトロクロスの死体を船のところに運ばんとするギリシア軍を護った。

アンティロコスはすばやくアキレウスのところへ走って来て、言った。「パトロクロスは倒れ、皆がその裸の遺体をめぐって戦っている。というのもヘクトールが彼の武具を奪ったがゆえ。」と。するとアキレウスは一言もものを言わず、自分の小屋の床に倒れ、黄色い髪に黒い灰を振りかけた。悲しみのあまり、短剣で自分の喉をかっ切るのではないかと恐れて、アンティロコスが彼の手をつかむまで、そうしていた。アキレウスの母テティスが彼を慰めるため海から現れたが、アキレウスは、自分の友達を殺したヘクトールを殺すことができないのなら死んでいまいたいと言った。それでテティスは彼に言った。武具なしには戦えないし、今は彼にはまったく武具はない。だが武具づくりの神のところへ行き、誰も見たこともないような盾と兜と胸当てを持ってこようと。

パトロクロスの死体をめぐって戦いが荒れ狂っている間、パトロクロスは船のそばで血と埃にまみれ、あちらこちらと引きずられ、裂け傷ついた。その光景はアキレウスには耐えられないものだった。けれど母親は、石や矢や槍が雨霰と飛んでくる戦闘に、武具を着けずに加わらないようにと警告していた。それにアキレウスはとても背が高く肩幅も広かったので、他の者の武具ははいらなかった。そこで彼は武具を着けないまま堀に降りたが、堀よりも高かったので、赤い夕陽に照らされて、その金髪から火が吹いているように見えた。それは、島の町が夜襲をうけて、近隣の者達が自分たちを見て他の島から助けにくるように烽火を灯したとき、暗い夜空に燃え上がる烽火の炎のようだった。アキレウスはそこに火の輝きにつつまれて立ち、大声で叫んだ。それは包囲された町の城壁を攻撃しに襲いかかるとき鳴らされる喇叭のように、よく通った。三度アキレウスは大声で叫び、三度トロイアの馬は恐ろしさに震え上がり、猛攻撃から引き返し、三度トロイアの男たちは恐怖で混乱し動揺した。それでギリシア軍はパトロクロスの死体を塵と矢のなかから引っ張りだし、棺によこたえた。アキレウスは泣きながら、その後をついて行った。なぜというに、彼が友達を戦車と馬とともに送り出したのに、再び戻ったときもう二度と友を出迎えることはなかったのだから。こうして日は沈み、夜となった。

さて、一人のトロイア兵がヘクトールにトロイアの城壁に中に退いて欲しいと言った。というのは翌日にはアキレウスがまっ先に戦場に出てくるのは確かだったのだ。だがヘクトールは「お前は城壁の陰で戸締りしておけば充分なのか?アキレウスは戦わせておけ。私は広野で彼と対戦しよう。」と言った。トロイア軍は元気づき、平原で野営した。一方、アキレウスの小屋では女たちがパトロクロスの遺体を洗い、アキレウスはヘクトールを殺そうと誓った。

暁に、テティスはアキレウスに、神が彼のために作った新しいりっぱな武具を持って来た。それでアキレウスは武具を着け、部下を呼び起こした。だがユリシーズは、名誉の定めを知りつくしていたので、犠牲やその他の儀式で、アキレウスとアガメムノーンの間に和睦が整うまでは、そしてアガメムノーンがアキレウスに以前彼が拒否した贈物をすべて与えるまでは、アキレウスに戦わせなかった。アキレウスはそんなものは欲しくはなかった。ただ戦いたいだけだった。しかしユリシーズは彼に従わせ、型どおりのことをした。それから贈物が運ばれ、アガメムノーンは立ち上がって、尊大な振舞いを詫びた。そして皆朝食を摂ったが、アキレウスは食べも飲みもしなかった。アキレウスは戦車に乗ったが、馬のクサントスは長いたてがみが地面につくほど首を曲げた。この馬は神仙の馬で西風の子供であるとこの馬は語っていた(あるいはそう言われていた)が、馬が言ったことは次のことだった。「我らはお前を素早く全速力で運ぼう。だがお前は戦いで殺されるだろう。お前の死ぬ日も間近いぞ。」「よくわかっている。」とアキレウスは言った。「だが、私はトロイア軍に戦争というものをたっぷりと思い知らせてやるまで、戦うのを止めはしない。」

そうして一日中アキレウスはトロイア軍を追いまわしては殺したのだ。彼はトロイア軍を川へと追い込み、川は赤い血に染まって流れたけれど、彼は川を渡り、平原でもトロイア軍を殺した。平原には火がつき、彼のまわりでは潅木や背の高い乾いた草が燃え上がったが、アキレウスは進路を切り開き、トロイア軍を城壁へと追った。城門は開かれ、トロイア軍は驚いた子鹿のように城内になだれ込んだ。それから胸壁付きの屋根に登って、安全に下を見下ろした。一方ではギリシア軍全軍が盾の下で一列で前進していた。

だがヘクトールは門の前に一人じっと立っていたが、年老いたプリアモスは、アキレウスが新しい武具をつけて星のように輝きながら突撃するのを見て、涙ながらにヘクトールに呼びかけた。「門の中にはいれ。この男は我が息子を数多く殺してきた。もしお前が殺されたら、誰がこの老いた私を助けてくれるというのか。」母親も彼に呼びかけたが、ヘクトールはじっと立ちつくし、アキレウスを待っていた。さて物語によれば、ヘクトールは恐くなって、アキレウスに追いかけられながら、完全装備の武具をつけてトロイアのまわりを三度逃げたということだ。だが、こんなことは本当ではありえない。なんとなれば命にかぎりある人間が重い武具をつけて、踝にぶつかる大盾をもって、トロイアの町のまわりを三度も走れるわけがなかろう。ましてヘクトールはもっとも勇敢な男だし、トロイアの女が皆城壁から彼を見下ろしていたのだ。

私たちはヘクトールが逃げたとは信じることができない。物語は続けて、ヘクトールがアキレウスに取り決めをしてくれるよう頼んだと語っている。戦いの勝者は倒れた者の死体を、友人が埋葬するよう返さなければならないが、その武具はとってよいという取り決めだ。だがアキレウスはヘクトールとはどんな取り決めもしないと言って、槍を投げたが、ヘクトールの肩の上を飛んでいった。次にヘクトールが槍を投げたが、神がアキレウスのために作った盾には全く刺さらなかった。ヘクトールにはもう槍がなかったが、アキレウスにはもう1本槍があった。そこでヘクトールは「私を名誉なきまま死なすな!」と叫んで、剣を抜き、アキレウスに突進したが、アキレウスはヘクトールに跳びかかった。だがヘクトールが剣がとどくところまで来るまえに、アキレウスは槍を突き、それはヘクトールの首を貫いた。ヘクトールは塵のなかに倒れ、アキレウスは「犬と鳥が埋葬されぬ汝の肉を引き裂くがいい。」と言った。ヘクトールは今際の息で、どうかプリアモスから金を受け取って、トロイアで埋葬されるよう自分の死体を戻して欲しいと懇願した。だがアキレウスは「犬め!私が汝を切り刻も、その生肉を食ってやりたいくらいだ。だが犬にむさぼり食われるがよい。たとえ汝の父親が汝の目方と同じ金をやると言ったとしてもな。」と言った。最期の言葉とともにヘクトールは予言して言った。「パリスがスカイアイ門でお前を殺す日に、私を思い出すがいい。」こうしてヘクトールの勇敢な魂は死の神の国へと去った。この死の神をギリシア人はハーデースと呼ぶんだ。その国へはユリシーズは生きているままで航海したが、その話はもっと後で話そう。

それからアキレウスは恐ろしいことをした。ヘクトールの足を踵から踝まで細く切り、皮紐を差し込んで、ヘクトールを皮紐で彼の戦車に縛り付け、死体を塵のなかで引きまわした。城壁の上にいるトロイア中の女が悲鳴をあげ、ヘクトールの妻、アンドロマケーはその音を聞きつけた。彼女は家の奥の部屋にいて、紫の織物を織り、それに花を刺繍しており、小間使いを呼んで、戦いから疲れて戻って来るヘクトールのために風呂の準備をさせていたところだった。だが城壁からの叫び声が聞こえたとき、彼女は身ぶるいし、織るのに使っていた梭を取り落とした。「確かに姑の叫び声が聞こえた。」と彼女は言った。そして2人の小間使いに、なぜ人々が嘆いているのか見て来るように命じた。

彼女は急いで走り、胸壁付きの屋根に着いて、そこから愛しい夫の死体が、アキレウスの戦車の後ろに、塵の中を船の方へと疾走してくのを見た。それから目の前が暗くなり、気を失った。でも気がつくと、今では誰も彼女の小さな子供を護ってやらず、他の子供が「あっちへ行け。お前の父さんはこの卓にはいない。」と言いながらその子をご馳走のところから押し退けるようになること、そしてその子の父のヘクトールは船のところに裸で横たわり、衣服もつけず、焼かれもせず、悲しんでくれる者もないことを大声で嘆いた。焼かれず埋葬されないことは、最大の不幸だと考えられていたのだ。なぜなら焼かれていない死者は死の神ハーデースの館に入れず、死者と生者の間の暗い境の地を一人ぼっちで慰めもなく永遠に彷徨わなければならないのだから。


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