シャムロック・ジョーンズの冒険, オー・ヘンリー

シャムロック・ジョーンズの冒険


私にはいろいろな友人がいるが、その中でもニューヨークの探偵・シャムロック・ジョーンズと知己であるのは幸運としか言いようがない。ジョーンズはこの街の探偵界のいわゆる「一味」である。タイプライターの扱いに習熟しており、その仕事は、未解決の「猟奇殺人」があるかぎり、本社の卓上電話の前に座って「法螺吹き」たちが電話してくる犯行声明をタイプすることだ。

けれども「オフ」の日――つまり、声明が一向にやってこず、各紙がそれぞれ異なる真犯人を追って世界中を駆けずり回っているときは、ジョーンズも私と一緒に街をうろつき、私にとって喜びでありまた学ぶべきところも多い、その驚くべき観察力と推理力を披露してくれるのである。

ある日私が本社によってみたところ、かの偉大な探偵は自分の小指にきつく結ばれた紐をじっと見つめながら考えこんでいた。

「おはよう、ワツァップ」と彼は振りかえることなく言った。「どうやら、ついに君は家に電灯をとりつけたようだね」

私は驚いてたずねた。

「教えて欲しいな、どうして知ってるんだ? まだ誰にも言ったことがないんだぜ。配線工事もオーダーがたてこんでてやっと今朝になって完了したばかりだってのに」

「このうえなく簡単なことだ」とジョーンズは穏やかに言った。「君が入ってきたとたんにね、君が吸ってる葉巻の匂いがしたんだよ。ある、きわめて高価な葉巻だ。そして、あの葉巻を吸いながらガス料金を払える人間はニューヨークに四人といないだろう。簡単に分かったよ。だけど僕はね、今は自分の問題で手一杯なんだ」

「その指に結んでる紐は?」

「これがその問題なんだよ。うちのやつが今朝結んでくれたもので、何かうちに持って帰ってこなきゃいけないものを忘れないようにという目的があったはずなんだ。座れよ、ワツァップ。それでほんのしばらく静かにしていてくれ」

この傑出した探偵は壁掛け電話のところにゆき、受話器を耳に当てて十分ほど立ち尽くしていた。

「声明を聞いてたのかい?」彼が椅子にもどったところで私はたずねた。

「ひょっとしたら」とほほえんだ。「そう呼んでもさしつかえないものかもしれないな。率直に言うとね、ワツァップ、薬を切らしてるんだよ。ちっとも睡眠薬が効かないものだから、だんだん量が増えててさ。僕には何かもっと強力なやつが必要だ。さっきの電話はウォルドフの部屋に繋いでたんだよ。あそこにはとある作家の書きかけの作品があるからね。さ、この紐の問題を解くことにしよう」

五分の沈黙の後、ジョーンズは私に目を向けて微笑むと、うなずいてみせた。

「さすがだな! もう、か?」

「きわめて簡単なことだよ」そう言ってジョーンズは指を立てた。「この結び目をごらん? 僕がうっかり忘れてしまったりしないようにするための結び目だ。つまり、forget-me-knot だ。forget-me-not と言えば勿忘草、つまりflowerだ。答えは、家に帰る前に小麦粉flourを一袋買ってこい、ということだよ!」

「見事だ!」私は賞賛の念を禁じえなかった。

「さて、すこし外をぶらぶらしてみないか?」とジョーンズが言った。「重要そうな事件はたった一件しかない。当年とって一〇四歳だったマッカーティー老人がバナナの食い過ぎで死んだ。マフィアの仕業という確かな証拠があったものだから、警察がいま七番街のカッツェンジャマー・カンブリナス・クラブ二号店を包囲している。犯人逮捕までもう何時間もかからんだろう。探偵界に援助要請はきたらず、でね」

ジョーンズと私は通りの曲がり角を回ったところで電車に乗るつもりだった。が、半ブロックほど進んだところでレインジェルダーに出くわした。この男は我々にとって昔からの知り合いであり、市役所に務めていた。

「おはよう、レインジェルダー」とジョーンズが立ち止まって言った。「今朝はいい食事ができたようだね」

常々この探偵の推理の妙技を見てきたもので、私には、ジョーンズがレインジェルダーのシャツの胸の部分にはねていた細長くて黄色い染みと、あごについたやや目立たない同じ種類の染みを一瞬のうちに見て取ったのが分かった――両方ともに間違いなく卵黄によるものだ。

「おやおや、相変わらずの探偵ぶりですな」とレインジェルダーが顔をくしゃくしゃにして笑った。「でも具体的に何を食べたかは分からんでしょう。手持ちの酒と煙草を全部賭けたっていいですよ」

「分かるとも」とジョーンズ。「ソーセージ、ライ麦パン、それからコーヒー」

レインジェルダーはその推測の正確さを認めると、ベットを支払った。彼と別れたところで私はジョーンズに言った。

「たぶん、あのあごとシャツの胸の部分についていたしみを見たんだね」

「見た」とジョーンズ。「そこから推理をはじめたんだよ。レインジェルダーはきわめて経済感覚の鋭敏な節約家だ。昨日の市場では、卵は一ダースで二十八セントだった。今日は四十二セント。昨日のレインジェルダーは卵を食べ、今日はふだんどおりの食生活にもどったというわけだ。つまらないことだよ、ワツァップ。初歩的な算数の問題だ」

路面電車に乗ったが、シートはすべて埋まっていた――主に女性たちで。私とジョーンズは後部の乗降口に立った。車両の中ほどに、初老の男性が座っていた。短い半白のあごひげをはやしており、見たところ典型的な着飾ったニューヨーカーである。両隣のシートには女性たちが座っていた。そしてすぐに、三、四人の女性たちがその初老の男の前に立ち、ストラップを掴んだまま席を譲ろうとしない男を不快そうににらみつけた。けれども男はけっして席を譲ろうとしない。

「われわれニューヨーカーは」と、私はジョーンズに向かって言った。「マナーを失ってしまったらしいね。公共のマナーという意味で」

「もしかしたらね」ジョーンズはあっさりと言った。「でも、君はあの紳士のことを言いたいようだけど、あの人はヴァージニア州からきた礼儀正しい古風な紳士だよ。ここ何日かを妻と娘二人と一緒に過ごし、今夜南部にもどろうとしているんだ」

「って、知り合いなのか?」と私はびっくりして言った。

「いやいや、今はじめて会った人だ」と、探偵はにっこりした。

「とんでもないやつだな、君は! ぱっと見ただけでそれだけのことが分かるなんて、魔法使い以外の何者でもないぜ」

「観察の習慣だよ――それだけのことだ」とジョーンズ。「あの老紳士がぼくらよりも先に降りるようだったら、たぶん、ぼくの推理の正確さをお目にかけられると思うよ」

三ブロック先で老紳士は席を立って電車から降りようとした。ジョーンズはドアのところで彼に挨拶した。「失礼にあたるかもしれませんが、ハンター大佐ではありませんか、ヴァージニア州ノーフォークの?」

「いいえ、違いますが」と礼儀正しい返事が返ってきた。「私はウィンフィールド・R・エリソンと申します。一家の兄です。州は確かにヴァージニアですが、フェアファクス郡からきました。これでもノーフォークにお住まいの方はかなり広く――たとえばグッドリッチ家、トリバー家、クラブツリー家と存じあげているのですが、あなたのお知り合いのハンター大佐とはおつきあいいただく機会に恵まれておりません。幸い、私は今夜ヴァージニアにもどることになっております。この一週間、妻と三人の娘たちとこちらで一緒に過ごしたんですよ。それで、これから十日ほどノーフォークで過ごすつもりですから、もしお名前をお教えいただければ、ハンター大佐をお探ししてあなたが探しておられたとお伝えしたいと思いますが」

「恐縮です。お言葉に甘えて、どうかレイノルドがよろしく言っていたとお伝えください」

私はこの偉大なニューヨークの探偵が心の底から悔しがっているのをその端正な容貌から見て取った。失敗は、それがどんなに些細な点であっても、常にシャムロック・ジョーンズにとって歯がゆいものなのだ。

「三人の娘さん、とおっしゃいましたね?」と、ジョーンズがヴァージニア紳士に訪ねる。

「ええ、娘が三人おります。フェアファクス郡にいるかぎりは立派な娘たちですよ」

そこで電車は止まり、老紳士はステップを降りはじめた。

シャムロック・ジョーンズはその腕をつかんだ。「手間をとらせてすみませんが、あとひとつだけ」彼は都会風の如才なさで頼み込んだ。何か気になることがあるのだな、とその声から察することができたのは私だけだっただろう。「娘さんたちのうちおひとりは、ご養女ではありませんか?」

「ええそうです」と老紳士は地面に立って答えた。「にしてもいったいどうやって知ったのですか? 私にはわけがわからんですな」

「私にもわけがわからんですな」と電車が動き出したところで私は言った。

ジョーンズは、明らかな失敗から違う種類の勝利をもぎとったことで落ちつきをとりもどしていた。電車を降りると、ジョーンズは先ほどの妙技の解説をしてくれるという約束で私を喫茶店に誘った。

「まず第一に」と我々が席に落ちついたところでジョーンズは話しはじめた。「あの紳士がニューヨークの人間でないのを知った。だって、女性を立たせたままでいることを恥じているようだったから。たしかに席を譲ろうとはしなかったけど。さらに、外見から西部生まれというより南部生まれだと判断した。

「次に、席を譲るべきだと感じている――まあ、是が非でもというわけではないにせよ、強くそう感じているのに、なぜ席を譲ろうとしないのか、その理由を探り当ててみようとした。判断はあっという間についた。よく見ると、彼は片方の目を真っ赤にしている。どこかの街角で強烈な一撃を食らったんだろう。しかも、削ってない鉛筆くらいの大きさの丸いあざが顔中にできている。

「それから、珍しい靴をはいていたけど、右も左も卵形の平べったいものを押しつけられた痕がいくつも残されていた。さて、ニューヨーク市で男性がそういう怪我をする地区といえば一ヶ所しかない――二十三番街とその南にある三番通りの一画だ。先ほどの観察を研究してみると、靴の傷はフランス製のヒールで踏みつけられたせいであり、顔につけられた無数のあざは、ショッピング街をうろつく女性たちの傘で突かれたせいだ。それで、ぼくは彼があのアマゾネス部隊と戦ってきたのだと知った。彼は知的な様子がうかがえたから、そのような危険な場所に行こうなんて無茶をする男ではないだろう。身内の女性陣に引っ張っていかれないかぎりね。というわけで、電車に乗りこんだ時の彼は自分が受けた仕打ちにたいそう腹を立てていたから、南部人として習慣づいている騎士道精神に反して、席を譲ろうとしなかったんだ」

「それはよくわかったけど、娘がいるってのはいったいどこから? しかも二人の娘なんて。妻だけと一緒にショッピングにいったというわけにはいかないのかい?」

「そこに娘がいなくてはならなかったんだよ」とジョーンズは穏やかに言った。「もし年の近い妻がいたとすれば、おそらく独りで行けとそそのかせたはずだ。あるいは年の若い妻がいたとしたら、ついてこさせてもらえなかっただろう。そういうわけだよ」

「なるほど、認めよう。でもなんで、二人の娘、なんだ? それに、いったいぜんたいどうやって三人のうち一人は養女だなんて言い当てたんだ?」

「当たりだ外れだなんて言って欲しくないね」と、ジョーンズはそのプライドをかすかにのぞかせた。「推理の用語にそんな言葉はないんだよ。あの老紳士のボタン穴にはカーネーションの花とバラのつぼみにゼラニウムの葉がそえてあった。ボタン穴の飾りとしてカーネーションとバラを組み合わせようとする女なんてどこにもいないよ。目を閉じてごらん、ワツァップ、想像力を論理的に働かせてみるんだ。愛らしい長女アデルが、華やいだ街にパパがとけこめるよう、カーネーションをボタンに留めてやる。それを見たおてんばな次女エディスが、妹らしい嫉妬心からバラのつぼみをそこに加える――そんな風景が浮かびあがってこないかな?」

「それじゃあ」と私は熱に浮かされたように感じ始めながら叫んだ。「娘が三人いると聞かされたときは――」

「つまり花をあげなかった娘が一人いる、ということだ。となるとその娘はまちがいなく――」

「養女だ!」と私が割って入った。「まったくそのとおりだよ。でも、今夜南部に帰ろうとしているというのはどこから?」

「彼の胸ポケットがね、大きな楕円形のもので膨らんでいたんだよ。列車の中でよい酒にありつけることはめったにないし、ニューヨークからフェアファクス郡までは長い旅行になるからね」

「いやいや、まったく君には負けたよ。ああ、最後にひとつだけ疑問があるんだけど。ヴァージニアからきたという判断はどういう理由で?」

「率直に言って、かなり微妙なところだった」とシャムロック・ジョーンズは答えた。「だが訓練を積んだ観察者ならば、車内のあのミントの香りに気づかないことなどありえまい」


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