閉ざされたドア, イーディス・ウォートン

第二章


グラニスは自分の過去を、簡単なあらすじにまとめた。

手始めに、大人になるまでのあらましをざっと語る――苦しい労働と貧困の歳月であったことを。

グラニスの父は、人好きのする人物だったが、「否」と言うことができないたちで、絶対に拒否しなければならない場面で「否」と言えなかったために、死後、非嫡出子と、抵当に入れられた地所を残したのだった。法律上の家族は、気がつけば巨額の負債に呑み込まれそうになっており、若きグラニスは、母と妹を養っていくために、ハーヴァードを辞めて、十八歳の身を株式仲介人の事務所に埋めなければならなかった。仕事は死ぬほどいやだったが、常に貧しく、心配事は際限もなく降りかかり、体調も崩してしまった。数年後母親が亡くなったが、まだグラニスの下には、治るあてのない神経衰弱を抱えた妹がいた。

自分自身が病に臥せって半年休養しなければならなくなったあと、また仕事に戻ったのだが、これまで以上に懸命に働かなければならなかった。グラニスには、ビジネスのこつがどうしても飲み込めなかった。数字に暗く、商取引の勘所を押さえるということがまったくできないのだ。グラニスは海外へ行きたかったし、執筆がしたかった。このふたつを心底、願っていた。だが、不幸な歳月は続き、中年近くになっても、金を儲けることもできなければ、健康状態を完全に回復することもできず、病的なまでの絶望感に打ちひしがれていた。書こうとはしてみたけれど、仕事場から家に帰るころは、疲れ切って頭も働かない。一年の半分は、自宅のあるアップタウンに暗くなるまで帰れずにいた。帰ってからできることといえば、夕食の席に着くための「身繕い」と、そのあとで妹が単調な声で夕刊を読むのを聞きながら、寝椅子に横たわってパイプをふかすことだけ。夜、劇場に出かけたり、外食したりするのも、ごくごくまれなこと。さらにまれなことではあるが、ひとりかふたりの知人と、「快楽の場」として知られているところへ探索に出かけ、さまよい歩くこともないではなかった。

ある夏のこと、グラニスとケイトは、一ヶ月間海辺で過ごした。疲労困憊していたために、何日もうとうとと過ごしていたのだが、ある日、魅力的な娘に恋をした。だが彼女にいったい何を与えることができるというのか。おそらく娘もグラニスに好意を持っていたのだが、ふたりがともに礼儀正しかったおかげで、駆け落ちすることにもならなかった。どうやらグラニスの代わりになる者は現れなかったらしく、その後娘は結婚もせず、太り、白髪交じりになり、慈善事業に精を出すようになる。だが、彼女に初めてキスしたときの愛らしかったこと。

浪費された人生が、そこにもひとつ、とグラニスは思い起こすのだった……。

グラニスがなにより情熱を傾けたのは、舞台だった。戯曲を書く時間と自由が得られるのなら、魂とて売り渡したことだろう。舞台への情熱は、グラニスとともにあった。思い出せる限り、いかなるときも本能の深いところを占めていた。時が経つうち、その情熱は病的に、常に取り憑いて離れない妄想になりつつあった。だが年を追って、経済状態はますますそれを許さないものとなっていく。

気がつくと中年になっており、妹のやつれた容貌が、その間の推移を物語る。十八歳の妹は美しく、グラニスと同じくらい情熱に満ちていたのだ。それがいまや底意地の悪い、平凡で、取るに足りない女になっている。妹も、人生のチャンスをふいにしてしまった。しかも、可哀想なことに、ほんのささやかな望みを形にするのに必要な資産さえなく、そのチャンスさえ得ることができないでいる。中年となってさえ、もう少し、旅行ができたり、元気だったり、金があったりするだけで、妹もずいぶんちがってくる。若やいで、好ましい女になるのに、と思うと、グラニスは腹が立ってたまらない。経験から学んだ最大のことは、老けたか若いか、というのは、固定的な状態ではない、ということだった。健康か病気か、金持ちか貧乏か、によるのだ。老けたか若いかは、その人が手に入れた分け前の結果でしかない。

ここまで話したグラニスは立ち上がってマントルピースにもたれ、身じろぎもせず、すわったまま一身に耳を傾けていたアスカムを見下ろした。

「それから私たちが、母の従兄弟であるレンマン老人が住むレンフィールドに行った夏が来ました。一族の誰かがかならず老人の世話をするんです。たいていは姪のうちのひとりがやっていましたが。けれどもその年は、みんなよそへ行くことになった。姪のひとりが、もし二ヶ月間、自分の仕事を替わってくれるなら、そのコテージをわたしたちに貸そうと申し出てくれたのです。もちろん、私にしてみれば、街から二時間もかかるレンフィールドは、煩わしいことでした。けれども亡くなった母は、一族のしきたりを、そりゃもう大切にしていましたし、老人にもいつも親切だった。私たちにお呼びがかかったのもあたりまえのことだったのです。それに、家賃も助かりますし、空気が良いところは、ケイトに良かったので。そこで、わたしたちは出かけたのです。

「あなたはジョゼフ・レンマンをご存じありませんでしたね。そうだな、アメーバみたいなある種の原生動物を、巨人が顕微鏡で覗いたような感じ、とでもいったらいいでしょうか。大きくて、境目がはっきりしておらず、動きも鈍い。私が覚えているのは、体温を測るのと『聖職者』という雑誌を読む以外、何もしなかったことですね。そうそう、メロンだ。メロン作りが趣味だったんです。高級種の、野外栽培できない種類のメロンです。レンマンはガラスの温室で育てていた。レンフィールドに何マイルもある温室を持っていました。広い自家農園のまわりを、キラキラ光る温室の大群が取り囲んでいました。全部メロンを育てていたんです。早生種、晩生種、フレンチ種、イギリス種、国産種、小型のものに超大型種、形も色も品種も、あらゆるものが揃っていました。メロンは子どものように、かわいがられ、大事にされていたのです。専門家が面倒を見ていました。メロンの熱を計ってやる医者がいたかどうかまでは定かではありませんが。なんにせよ、そこは温度計だらけでした。おまけにそのメロンは、そんじょそこらのもののように地面にごろごろしてるわけじゃないんです。ガラスの部屋で、ネクタリンみたいに扱われていました。実の重さに耐えられるように、四方から十分に陽も空気も行き渡るように、ひとつずつ網で吊り下げられていたんです。

「レンマン老人はメロンみたいだ、とよく思ったものでした――肉厚で青白いイギリス種、というところでしょうか。じいさんの命は、なんの感動もなければ動くこともなく、黄金の網のなかでぬくぬくと気持ちのいい空気を浴びて、下劣な地上の心配事から煩わされることもないままぶら下がっていたんです。生活の基本ルールは、自分を『煩わせないこと』だったんですよ。私にもそうするようにアドバイスしてきたのを思えています。ケイトの病気のことを話したことがあるんですよ、ケイトには気晴らしが必要だ、とね。『わしは絶対に悩むことのないよう、気をつけておるのだ』とかなんとか、悦に入って言うんです。『肝臓に一番良くない――なんじゃ、おまえにも肝臓があるとでも言うのか。まぁ、わしの言うことを聞いて、気持ちを前向きに持つんじゃな。おまえが幸せな気持ちでおると、ほかの者もそうなってくる』

じいさんがしなきゃならんのは、ただ、かわいそうな娘が休みの日をどこかで過ごせるよう、小切手を書くだけのことだったのに。

「なによりも辛かったのは、その金は、すでに半分、私たちのものだった、ということです。ケチなじいさんは、死ぬまで、私たちやほかの人間のものをただ預かっているだけだったんです。ところがやつの命は、私やケイトの命より、ずいぶん頑丈にできていた。おまけに待たせている私たちを笑いものにしたいのか、ことさらに気をつけていたんです。私たちの飢えた目は、やつにとって強壮剤なんだ、といつも思っていました……。

「ともかく、やつの虚栄心を足がかりに、なんとか取り入ることができないものだろうか、と思いました。おべっかを使って、さもメロンに興味があるかのようなふりをしてみたんです。やつはそれを真に受けて、何時間もメロンの講義をしてくれましたよ。晴れた日には、こまつきの椅子に乗って温室まで行くと、よたよたと中を歩きながら、後宮を行く太ったトルコ人のように、メロンをつついたり、流し目をくれたりしてましたっけ。メロンを育てるのに、どれほど金がかかっているか自慢しだしたのには、老いさらばえた胸が悪くなるような女たらしが、快楽のためにどれほど金を使うか自慢しているところを思い出しました。自分のメロンは、ほんのひとくちたりとて食べられない、もう何年も、食事はもっぱらバターミルクとトーストだけ、というのを聞いて、その連想は完璧だと思いましたね。

『じゃが、どのみちわしのたったひとつの楽しみじゃ。それに溺れていかんという理由など、どこにある?』と、感傷的なことを言っていましたっけ。この私は、自分のやりたいことなんて、これまで一度だって夢中になるほどやれたことがないというのにね。メロンを維持する費用だけで、ケイトとわたしは神のような生活ができたかもしれないのに。

「夏も終わりに近いある日でした。ケイトが、具合が悪くて、母屋まで身体を引きずっていくこともできない、午後からジョゼフじいさんの所へ行って相手をしてくれ、と頼んできたのです。気持ちのいい、穏やかな九月の昼下がりでした。ローマカサマツの下に寝ころんで、空を見上げながら、宇宙のハーモニーが心に浮かんでくるのにまかせたくなるような日だった。おそらくあることを思いついたのも、そのせいだったんでしょうね。

じいさんの趣味の悪い黒グルミ材でできた書斎に入っていこうとすると、庭師のひとり、ハンサムで声の大きなイタリア人が、私をなぎ倒さんばかりの勢いで、部屋から飛び出してきたんです。温室で何度も会っていたのに、会釈もしない、こちらを見ようともしないので、変だと思ったのを覚えています。

「ジョゼフじいさんは暗くした窓を背に、いつもの場所にすわっていました。太った手は、ぶくぶく膨れ上がったチョッキに差しこまれ、『聖職者』の最新号が手元に置いてありました。そのすぐ横には、おおきな皿に、まん丸いメロン――これまで見たこともないほどよく実ったメロンがあったんです。それを見て、じいさんをその気にさせることができるにちがいない、と考えて、有頂天になりそうでした。なにしろ頼み事をするつもりでしたので、運良くいい気分でいてくれて喜んでいたのです。そのとき、じいさんの表情に気がつきました。いつもの卵みたいにつるんとした顔が、歪んですすり泣いていたのです。私が入っていっても泣きやむ様子もなく、度を失ったようにメロンを指さしました。

『見てくれ、これを……こんな美しいものを見たことがあるか? こんなに実の詰まった、こんなにもまるまるとした……こんなにも美味そうな、滑らかな手触りをしたものを』

“これ”という代わりに“この女”とでも言いたげな口調で、老いさらばえた手を伸ばしてメロンを撫で回すのを、むりやりそしらぬ顔をしていなければなりませんでした。

「それからじいさんは何が起こったか教えてくれました。そのイタリア人は、メロン園のために特別に寄越された庭師でした。カトリック教徒を雇うなんて、じいさんの主義には反していたんですが、そのお化けメロンの面倒を見るために、特別に契約したんです。メロンの化け物というのは、ごく早い時期から、ほかのどれよりも肉厚で汁気の多いものになる、品評会では賞をかっさらい、土地の園芸紙に写真と賛辞が載るものになる、ってことが分かるんですね。イタリア人はよくやっていましたよ。責任感があったんでしょうな。とにかくその日の朝、メロンを選ぶよう命じられたんです。翌日の郡の農産物品評会に出品することになっていて、もぎたてのブロンド美人を、じいさんがじっくり愛でることができるように持ってこい、というわけです。ところが採っている最中、このカトリック教徒がなんたることか、落としてしまった。じょうろの尖った注ぎ口の上に落としたもんだから、固くて青くて丸いメロンは深手を負って、台無しになり、文字通り地に落ちたメロンとなったんです。

「じいさんは怒りのあまり、茫然自失していました。ぶるぶる震えているし、しどろもどろだし、息も絶えだえ、という具合でしたね。ちょうとイタリア人を呼びつけて、その場でクビにしたところだったんです。労賃も払わなけりゃ、つぎの雇い主への紹介状もなし。レンフィールドの近所をうろつきでもしたら、警察に捕まえさせてやる、と脅かした。『絶対にそうしてやるからな――ワシントンに手紙を書くぞ――金もないごろつきなど、強制送還させてやる。金があれば何ができるか、やつに目にもの見せてくれるわ』ってね。

十中八九、あくどいことばかりやっている黒手団がらみの仕業にちがいない、あいつがギャングの一味であることなんか、すぐにわかるだろう。ああいうイタリア人連中というのは、たった25セントのために人殺しをするんだ。警察を呼ばなくては……。

そのうちじいさんも自分が興奮しているのが怖くなってきたんです。『落ち着かなきゃならん』なんて言ってました。熱を計り、ベルを鳴らして飴を持ってこさせ、『聖職者』に救いをもとめようとしました。メロンが運ばれてくるまで、ネストリウス派の記事を読んでいたんです。じいさんが続きを読んでくれるように頼んだので、一時間ほど読んでやりました。薄暗い、空気のこもった部屋は、太った蠅が落ちたメロンのまわりでこそこそと羽音をさせているのが聞こえていましたっけ。

「その間ずっと、じいさんの言ったことが、メロンの周りを飛び回る蠅の羽音のように、頭の中でぶんぶんと鳴っていました。

『金があれば何ができるか、やつに目にもの見せてくれるわ』

そうなんです! じいさんにこそ、それが見せてやれたら。化け物のように肥大した自己意識の新たなはけ口として、じいさんが持っている力を使えば、人を幸せにしてやることだってできるんだ、ということを教えてやれるなら。

私は自分とケイトの窮状を訴えようとしました。自分が身体を悪くしていること、苦労している割にうまくいかない仕事のこと、書きたいという気持ち、名をあげたい、という思い……。つっかえつっかえ、借金を依頼しました。

『かならずお返しします。書きかけの戯曲を抵当にして』と言って。

「じいさんの冷たいまなざしはぜったいに忘れないでしょうね。卵みたいに滑らかな表情に戻っていました。膨れ上がった頬の上で、まるで滑りやすい城壁の上に立つ歩哨のようなじいさんの目が、こちらにじっと注がれてたんです。

『書きかけの戯曲か……。おまえの書いた戯曲が抵当とな?』恐ろしいものでも見たような、まるで私から狂気の徴候でも嗅ぎ取ったかのような目つきでしたね。

『ビジネスというものを、わかっておるかね?』と、口調だけは穏やかでした。

私は苦笑しながら、『いいえ、それほどには』と答えました。

「じいさんは後ろにもたれると、目をつぶりました。

『こう興奮させられ通しでは、わしは参ってしまう。失礼して昼寝の用意でもさせてもらうよ』

そうして私もイタリア人のように、よろめきながら部屋をあとにすることになったのでした」

グラニスはマントルピースから離れ、部屋を横切って、デカンターと炭酸水が用意されているトレイのところへ行った。自分用に、丈の高いグラスに炭酸水を注ぎ、それを飲み干すと、アスカムの消えた葉巻に目を留めた。

「火をつけるのは、別の葉巻にしたほうがいいでしょう」

弁護士が首を横に振ったので、グラニスは話に戻った。自分に取り憑いて離れない妄想のことや、レンマンが拒否した瞬間、殺意の衝動がどのように芽生えたか。やがてグラニスはこうつぶやいたのだ。「神様、あなたが手をお下しにならないのでしたら、私が代わりましょう」

グラニスの口調は、先へ進むにつれて、穏やかなものになっていった。まるでなすべきことが決まったとたん、激しい怒りも治まったかのように。こうして老人を「片付ける」にはどうしたらよいかという問題に専念することになった。そんなとき思い出したのは、老人の叫び声だ。

『ああいうイタリア人連中というのは、たった25セントのために人殺しをするんだ』

だが、具体的な計画は浮かばない。インスピレーションがわいてくるのを待つしかなかった。

グラニスと妹のケイトは、メロン事件から数日して街に戻った。けれども休暇から帰ってきた従姉妹たちが、折にふれ、老人の状態を知らせてくれた。三週間後のある日、グラニスが家に帰ってみると、ケイトがレンフィールドからの知らせに興奮している。例のイタリア人がまた現れたらしいのだ。なんでも家に侵入して、書斎にまで入り込み、「脅し文句を吐いた」のだ、という。家政婦が、「何か恐ろしいもの」を見て、白目を剥いて喘いでいるジョゼフ老人を発見したらしい。医者が呼びにやられ、襲撃はひとまずけりがついた。警察はそのイタリア人に近隣一帯から立ち退くよう警告を出した。

ところがジョゼフ老人は、それ以来衰弱が「神経」に来て、トーストとバターミルクの食事を取っても味が分からなくなってしまった。ところが医者が別の医者を呼ぶと、こんどは診察が老人の楽しみとなり、ふたたび重要人物の気分を味わった老人は、興奮するようになった。医師団は家族に、まったく心配はない、と請け合った。元気すぎるほどだ。そうして、患者に対しては、もっと多様な食餌療法をするよう勧めた。つまり、老人に「食べたいと思ったもの」は何でも食べるよう、勧めたのである。そこである日、おそるおそる祈るような気持ちで、メロンの小さな一切れを食べることに決めた。儀式のように育てられたメロンは、家政婦や浮き立っている従姉妹たちの目の前で食された。そうして二十分後、老人は死んだ……。

「当時の状況を覚えておいででしょう」とグラニスは続けた。

「なぜ容疑者は、すぐに例のイタリア人ということになったのですか? 警察が警告を与えたにも拘わらず、『例の件』以来、屋敷の周りをうろつきまわっているのを目撃されている。噂では、台所の下働きと関係があった、ということなんですが、そうなると後のことは、簡単に説明がつきます。けれども警察が事情聴取のためにイタリア人を捜したが、見つからなかった――煙のように消え失せていたのでしたね。確かにレンフィールドから出ていくように『警告』はされていた。そうしてやつもその警告を受けとめたからこそ、だれもふたたびその姿を目にしなかった」

グラニスはことばを切った。アスカムの向かいの椅子に腰を下ろすと、しばらくすわったままで頭を後ろに倒し、慣れ親しんだ部屋の中を逆さまに見た。何もかもが歪んで、見たことがないもののようだ。見慣れない、それぞれに自己主張するものたちが、首を伸ばして自分の話を聞こうとしているように思えた。

「メロンに薬をいれたのは私です」とグラニスは言った。

「私がそのことを後悔している、などと思わないでください。『自責の念』なんかじゃありません。わたしは吝嗇なじいさんが死んで、喜んでいるんです。ほかの人間の手にお金が渡ったのもうれしい。でも、私の遺産は何の役にも立たなかった。妹は悲惨な結婚をして、死んでしまいました。そうして私は、ほしいものをなにひとつ手に入れることができなかった」

アスカムはグラニスから目を離さずにいた。やがて訊ねた。

「なら、あなたの目的は何だったんですか」

「ほしいものを手に入れたかったんです――夢見たものは、手の届くところにあった。気晴らし、休養、人生、私たちふたりのためのね――何よりも、私自身のために、書く機会がほしかった! 旅行はしました。健康も回復した。そうして家に帰って、机にかじりついて仕事をしたのです。十年間身を粉にして書き続けた結果、何の見返りもなく、微かな成功の希望さえ費えた。私の作品を見ようとする者はいないでしょう。いまや私は五十です。私は敗者だ。それもよくわかっている」グラニスはがっくりと肩を落とした。「何もかも終わりにしたいのです」そう言って、ことばを切った。


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