ブルーノ哲学――『ジョルダーノ・ブルーノ』(ルイス・マッキンタイア著、1903)への書評, ジェイムズ・ジョイス

ブルーノ哲学――『ジョルダーノ・ブルーノ』(ルイス・マッキンタイア著、1903)への書評


かのノーラの異端の殉教者について、その生涯や哲学を物語る重要な書物は、英国及海外哲学叢書の主として伝記的な関心から書かれた一冊[*註1]を例外として、英国ではこれまで出なかった。

ブルーノが16世紀半ばの生まれであることを考えれば、いま彼の真価が認められたのは――英国で初めて認められたのは――少し遅かったと思わざるをえない。本書ではブルーノの生涯の紹介は紙幅の三分の一以下にとどまり、残りはみな彼の体系の解説と比較思想的検討にあてられている。その生涯は、億万長者の珍しくない現代においては英雄的な物語として読める。ドミニコ会の修道士、放浪する教授、古い哲学の註釈者であり新しい哲学の考案者、劇作家、論争家、自らの弁護人、そして最後に、カンポ・ディ・フィオーリ広場で火刑にされた殉教者――ブルーノはこれら全ての存在の様態と偶有性(彼ならそう呼ぶであろう)を通して、一貫した精神的統一であり続けている。

初期人文主義の勇気をもって伝統を打ち捨てたブルーノが、自身の哲学的探求に逍遥学派の哲学的方法を取り入れることはほとんどなかった。活動的な脳が絶えず仮説を立て、激しい気性が絶えず彼を論争に向かわせた。その仮説はこの哲学者の思弁において有効に利用されるかもしれないし、好戦的な論争も時には許されるかもしれないが、ブルーノの書物には仮説や反駁があまりに多いため、知への偉大なる愛を持つ彼に対し、不適切で不当な印象を持ってしまうのはとても容易いことだ。彼の哲学は――多方面にわたるので――ある部分については脇に置いても良いだろう。記憶についての彼の論考、ライムンドゥス・ルルスの術についての註釈や、皮肉なアリストテレスでさえ信用を傷つけずには戻ってこられなかったあの危険な領域――道徳の研究――へと足を延ばした仕事、これらが興味深いのは、それらがとても幻想的で中世的だからにすぎない。

しかしブルーノは、独自の観察者として、大いなる栄誉に値する。ベーコンやデカルト以上に、彼こそいわゆる近代哲学の父とみなされなければならない。彼の体系は、合理主義的であったり神秘主義的であったり、一神論的であったり汎神論的であったりするが、そのどこを取っても彼の高貴な精神と批判的な知性が刻印されていて、ルネサンスの息吹である あるがままの自然――所産的自然《ナトゥーラ・ナトゥラータ》――への熱烈な共感に満ちている。スコラ哲学者たちの言う質料と形相を調和させようというブルーノの試みにおいて――質料と形相とは恐るべき名称だが彼の体系ではそれは肉体と精神とみなされ形而上学的な性格はほとんど残っていない――、彼が大胆にも提示した仮説は、興味深い形でスピノザを先取りするものだった。だとすれば、コールリッジがブルーノを二元論者、遅れて来たヘラクレイトスとみなし、実際次のように表現したのも、不思議ではないだろう。「自然や精神における全ての力は、その発現のための唯一の条件および手段として、それと対立する力を展開させなければならない。したがって、全ての対立は、再統一に向かう」[*註2]。

そしてまた、ブルーノのような体系がいつでも求めることは、主として、複雑なものを単純化しようとする努力であるに違いない。ブルーノにおける究極原理は、精神的で、中立的で、普遍的で、ちょうどアクィナスの第一質料が全ての物質的なものに関係しているのと同様に、あらゆる魂とあらゆる物質的なものに関係している。そうした考えは、批判哲学の見地からは正当化されないように見えるかもしれない。しかし、宗教的脱我の歴史をたどる者にとっては明白な価値を持っている。スピノザではなくブルーノこそが、神に酔える男なのである。物質界から内面へと、彼は移り進む。彼はしかし物質界を、新プラトン主義者のように魂の病の王国と見なしたり、キリスト教徒のように試練の地と見なしたりはせず、むしろ精神的な活動の好機とした。英雄的熱狂から、自身と神との合一に向かう熱狂へと、彼は移り進む。彼の神秘主義は、モリノスや十字架の聖ヨハネの神秘主義とはほとんど関係がない。そこには静寂主義も、暗い修道院生活もない。ブルーノのそれには、力強さがあり、突然の熱狂があり、闘志がある。肉体の死は彼にとって存在の一様態の停止であり、その信仰によって、そしてその信仰の証拠である「釈明はするが、ぐらつかない」力強い性格によって、彼は死をも恐れない高潔な人々の一員となった。我々にとって、彼が直観の自由を擁護したことは不朽の記念碑とされねばならない。そして、名誉ある戦いに身を捧げた人々の中でも、彼の伝説は最も名誉あるものであり、アヴェロエスやスコトゥス・エリウゲナのそれと比べてもより神聖な、より気高いものとされねばならない。

[*註1]I・フリス『ジョルダーノ・ブルーノの生涯』1887年。

[*註2]コールリッジ『友』の「エッセイ13」脚注を元にした記述。


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