ライオンと一角獣:社会主義とイギリスの特質 第一部「イングランド、あなたのイングランド」, ジョージ・オーウェル

第一章


私が書き物をしている間にも高度に文明化された人間が頭上を飛び回って私を殺そうとしている。

彼らは私に対して個人的な憎しみを一切感じていないし、それは私も同じことだ。よく言われるように彼らは「自らの義務を果たしているだけ」なのだ。彼らのほとんどが順法精神に富んだ人物で、私生活では人を殺そうなどとは夢にも思わないだろうことはまず間違いない。一方で、彼らのひとりがうまい位置に爆弾を落として私を木っ端微塵に吹き飛ばすのに成功しても、それで彼の寝付きが悪くなることはないだろう。彼は自らの国に仕えているのであり、国は彼の罪悪を免除する力を持っているのだ。

愛国心や国家的忠誠の圧倒的な力を認識しない限り、現代世界の実態を理解することはできない。特定の環境ではそれは弱まることもあるし、ある水準を超えた文明では存在しなくなる。しかしそれに比肩し得るような現実的な力は存在しないのだ。それと比較すればキリスト教や国際的社会主義は藁ほどにもろい。ヒトラーとムソリーニは自身の国で権力の座へと登りつめたが、その大きな要因は彼らがこうした事実を理解できていた一方でその対抗者はそうでなかったためだろう。

また国家の間の境界は物事に対するまったく異なる考え方に基づいて決まっていることは認めなければならない。つい最近まで全ての人類は互いに非常によく似ているのだと装うのが適切だとされてきたが、実際のところ平均的な人間の振る舞いが国ごとに大きく異なることは見識ある者であれば誰もが知っている。ある国では起き得ることが別の国では起きないということもある。例えば、ヒトラーの六月粛清ヒトラーの六月粛清:1934年にナチス党内で起きた大規模な粛清事件である「長いナイフの夜事件」を指すはイングランドであれば起き得ないことだろう。また西側の人々の中でもイギリス人は極めて特異的である。ほとんど全ての外国人が私たちの国の生活様式に対して感じる嫌悪を見ればそれについてうっすらとでも認めることができるだろう。イングランドでの暮らしに耐えられるヨーロッパ人は少ないし、アメリカ人でさえ大抵はヨーロッパの方がくつろげるのである。

どこか外国からイングランドへ戻って来た時にはただちに異なる空気が満ちている感覚を覚える。最初の数分間のうちにささやかな数十のものが協働してそんな気分にさせてくるのだ。ビールはずっと苦く、コインはずっと重く、ガラスはずっと緑がかり、広告はずっとけばけばしい。大きな町々に住む群衆は穏やかな節くれだった顔をしていて、歯並びは悪く、穏やかな立ち居振る舞いで、ヨーロッパの群衆とは異なっている。そうしてイングランドの広大さに飲み込まれ、しばらくの間、国全体がたったひとつの同一の性質を持っているかのような感覚に陥ってしまう。国に本当にそんなものがあるのだろうか? 私たちは四千六百万の個人で、それぞれ異なっているのではないのだろうか? その多様性はまさに混沌カオスである! ランカシャーの工場街の渋滞のざわめき、グレート・ノース・ロードを行き来する大型トラック、職業安定所の外に並ぶ列、ソーホーのパブのピンボールマシンの立てる騒音、秋の朝の霧の中を聖餐式へと歩いていく年取った小間使い……こうしたものは全てたんなる断片というだけでなく、イギリスの風景に特徴的な断片である。どうすればこうした入り乱れたものからひとつのパターンを見出すことができるのだろうか?

しかし外国人に話しかけたり、外国の本や新聞を読むと同じ思いに駆られるだろう。そう、イギリスの文明にははっきりそれとわかる何かがあるのだ。それこそはスペインのものと同じくらい独特な文化である。どうしたわけかそれは陰鬱な日曜日の重たい朝食、煙る街や曲がりくねった道、緑の草原や赤い円柱型郵便ポストと結びついている。固有の趣きがあるのだ。さらに言えばそれは連綿と続いていて未来と過去に向かって伸びている。そこにはちょうど成長していく生き物の中に存在するような根強く存在し続ける何かがあるのだ。いったい一九四〇年のイングランドは一八四〇年のイングランドとどの様な共通点を持つと言えるのだろうか? そして一方であなたは母親がマントルピースの上に飾っている五歳児とどの様な共通点を持っているだろうか? それがたまたま同じ人物であるということの他には何もない。

とりわけ重要なのは、それが自身の属する文明であり、自分であるということだ。いくら憎もうが嘲笑おうがそこからわずかな間でも離れれば決して幸福ではいられないだろう。スエット・プディングや赤い円柱型郵便ポストは魂にまで染み込んでいるのだ。良きにつけ悪しきにつけ、それはあなたのものであり、あなたはそこに属し、この世界においてそれがあなたに与えた印から逃れることは決してできないだろう。

一方でイングランドは世界の他の部分とともに変化していっている。そして他のあらゆるものと同様、予測可能なある時点までは特定の方向にのみ変化していくのだ。これは未来が決まっているということではなく、特定の選択肢だけが実現可能で他のものは実現不可能であるというだけのことだ。種は芽生えることもあるし芽生えないこともあるだろうが、いずれにせよ、カブの種からシロニンジンが生えることはない。従って起きつつある巨大な出来事の中でイングランドがどの様な役割を演じるかを推測する前に、イングランドとは何なのかを究明しようと試みることは極めて重要である。


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オーウェル評論集6: ライオンと一角獣 表紙画像
オーウェル評論集6: ライオンと一角獣
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