私はここまでずっと、あたかも四千五百万の人間をひとつの単位として扱えるかの様に「この国」「イングランド」「イギリス」と話してきた。しかしイングランドは悪名高くも二つの国民、富裕者と貧困者からなるのではないだろうか? いったいどうして年収十万ポンドの人々と週給一ポンドの人々の間に何かが共通しているなどと装うことができるのだろう? さらにウェールズやスコットランドの読者であれば、私が「ブリテン」という言葉よりも「イングランド」という言葉を頻繁に使い、まるで全ての人々がロンドンやその近郊に住んでいて独自の文化を持つ北部や西部には誰も住んでいないかのように話すことに気分を害されてもいるかと思う。
まず些細な点について考えるとこの疑問をもっとよく理解できる。いわゆるブリテン民族が自分たちは互いに大きく異なると感じていることは確かに真実だ。例えばスコットランド人はイングランド人と呼ばれればそれを嫌がる。この点について私たちが感じている割り切れなさは、私たちが自らの諸島を少なくとも六つの異なる名前、つまりイングランド、ブリテン、グレート・ブリテン、イギリス諸島、連合王国、そして極めて高揚した瞬間にはアルビオンと呼んでいることからもわかる。イングランドの北部と南部の違いさえ私たち自身の目には大きなものと映る。しかしどうしたわけかこうした違いは任意の二種のブリテン人がヨーロッパ人と対峙した時には消えてしまうのだ。イングランド人とスコットランド人、あるいはイングランド人とアイルランド人でさえ、それを見分けられる外国人(アメリカ人は除く)に出会うことは極めて稀だ。フランス人にとってはブルターニュ人とオーベルニュ人はまったく違って見えるだろうし、マルセイユ訛りはパリではお決まりのジョークだ。しかし私たちが「フランス」や「フランス人」について話す時、フランスはひとつの存在、ひとつの文明として認識され、事実その通りなのだ。私たち自身についても同じことが言える。外側から見ればロンドン育ちとヨークシャー育ちでさえ強い親縁的類似があるのだ。
そして富裕者と貧困者の間の区別さえもその国を外から見る時には縮んで見える。イングランドにおける富の不公平には疑問の余地は無い。それはヨーロッパのどの国よりもグロテスクなもので、一番近くの通りを見下ろすだけでそれを見て取ることができる。三つ、四つとは言わないまでも経済的にはイングランドは間違いなく二つに別れた国なのだ。しかし同時に人々の圧倒的大多数は自分たちをひとつの国だと感じ、外国人よりも互いがよく似ていると考えている。通常は愛国心は階級憎悪よりも強いし、どの様な種類の国際主義よりも常に強い。一九二〇年のつかの間(「ロシアへの不干渉」運動)を除けば、イギリスの労働者階級はこれまで一度も国際的な思考や行動を起こしはしなかった。二年半の間、彼らはスペインの同志がゆっくりと絞め殺されていくのを見守るだけで、援助のためのストライキさえ一度たりとも起こそうとはしなかったのだ[下記注記2]。しかし自らの国(ナフィールド卿やモンタギュー・ノーマン氏の国)が危機に瀕した時にはその態度は大きく変化した。イングランドが侵略されかねないと見るやアンソニー・イーデンはラジオで地域防衛義勇軍への参加を募った。最初の二十四時間で二十五万人の応募があり、その後の一ヶ月でさらに百万人の応募がなされたのだ。こうした数字を、例えば良心的兵役拒否者の数と比べるだけで伝統的な忠誠心の強さが新たなものと比べてどれほど広汎かを見て取ることができる。
[注記2:確かにある程度の額の金銭的支援はおこなった。しかしさまざまなスペイン支援基金に集まった額を足し合わせても同時期のフットボール賭博の売上の五パーセントにも満たないだろう。(原著者脚注)]
イングランドでは愛国心はそれぞれの階級でそれぞれ異なった形を取るが、つながった小道のようにほとんど全ての者の内を通って走っている。本当にその影響を受けないのはヨーロッパかぶれの知識人階層だけだ。ポジティブな感情と同様、愛国心は上流階級よりも中流階級での方が強い……例えば、学費の高いパブリックスクールよりも学費の安いパブリックスクールの方が愛国心の示威がよくおこなわれる……とはいえラヴァルラヴァル:ピエール・ラヴァル。フランスの政治家で、積極的に対独協力政策を推し進めた。やクヴィスリングクヴィスリング:ヴィドクン・クヴィスリング。ノルウェーの政治家で、積極的に対独協力政策を推し進めた。の様な、まったくの裏切り行為に手を染める富裕者はおそらくごくわずかだろう。労働者階級では愛国心は根底にあるもので意識には上らない。イギリス国旗を目にしても労働者階級の人間の心臓は高鳴りはしない。一方で有名なイギリスの「島国根性」と「外国人嫌い」はブルジョア階級よりも労働者階級での方がはるかにひどい。どんな国でも富裕者より貧困者の方が国家主義的なものだが、イギリス労働者階級の外国の習慣への嫌悪は群を抜いている。やむを得ず海外で数年間暮らすことになった時でさえ、外国の食べ物に親しむことも外国語を学ぶことも拒絶するのだ。労働者階級出身のイングランド人男性のほとんど全員が外国の言葉を正しく発音することを女々しいと考えている。一九一四年から一九一八年の戦争の間、めったに無いことだがイギリスの労働者階級はいくらか外国人との接触を持った。その結果はと言えば全てのヨーロッパ人に対する嫌悪を持ち帰っただけだった。ただしドイツ人だけは例外で、その勇敢さは彼らを驚嘆させた。四年の間、フランスの地に居たというのに彼らはワインを好むようにさえならなかったのだ。イギリスの島国根性、つまり外国人をしっかりと受け入れようとしないことは時折手ひどい損害をもたらす愚行である。しかしそれはイギリスの神秘性に一役担っていて、それを打ち壊そうとしている知識人階層は全般的に見て益よりも害をなしていることの方が多い。イギリスの観光客を遠ざける特徴と侵略者を締め出す特徴は根底では同じ性質のものなのだ。
ここで前の章の始めで私が指摘した二つのイギリスの特徴に立ち戻ろう。この指摘は極めて恣意的なものに思えたことだろう。ひとつ目は芸術的能力の欠如だ。これは言い換えればイギリスがヨーロッパ文化の外にあるということだろう。ひとつだけイギリス人が豊かな才能を発揮してみせる芸術がある。すなわち文学である。しかし同時にこれは国境を越えることのできない唯一の芸術でもある。文学、とりわけ詩、中でも叙情詩は一種の内輪のジョークでそれ自身の言語集団の外ではわずかな価値しか持たないか、あるいはまったく価値を持たない。シェイクスピアを除けば、最高のイギリス人詩人でもヨーロッパではその名前さえほとんど知られていない。広く読まれている詩人と言えば間違った理由で評価されているバイロン、そしてイギリスの偽善性の犠牲者として同情されているオスカー・ワイルドだけだ。そしてそれほど明白なことではないが、これに関係しているのが哲学的能力の欠如であり、ほとんど全てのイギリス人は秩序だった思想体系や、あるいは論理の使用さえも必要としていないという事実である。
ある程度のところまでは国家的結束という感覚は「世界観」の代わりを務める。なぜなら愛国心はほとんど万人に共通していて、富裕者でさえその影響を受けずにはいられず、狼に出会った家畜の群れのように国全体が突然一斉に揺れ動いて同じ行動をとる瞬間が存在するからだ。フランスでのあの大惨事の時にも間違いなくそうした瞬間があった。八ヶ月の間、戦争を巡って漫然と右往左往した後で人々は突然自分たちが何をすべきかを理解した。第一にダンケルクから軍を脱出させること、第二に侵略を防ぐことだ。それはまるで巨人が目覚めたかのようだった。急げ! 危険だ! ペリシテ人が迫っている、サムソンよ!ペリシテ人が迫っている、サムソンよ:士師記16章20節の引用 次の瞬間にはすばやい全員一致の行動が起こされ……そして悲しむべきことに次の瞬間にはその刺激もおさまって再び眠りについたのだ。分断された国において、それはまさに大規模な秩序だった運動が巻き起こった瞬間だったと言えるだろう。しかしこれはイギリスの本能が常に正しいことをなすよう告げることを意味するのだろうか? 決してそうではない。ただ同じ振る舞いをするよう告げるだけなのだ。例えば一九三一年の総選挙で私たちは完璧な一致団結のもと全員で間違った振る舞いをした。私たちはガダラの豚ガダラの豚:マタイの福音書8章32節の引用のようにひとつの方向に走ったのだ。しかし坂道を駆け下りさせられたのが自分たちの意思に反してのことだったかどうか正直に言って私は疑問に思う。
こうして見てくるとイギリスの民主主義はときおり疑われるよりも詐欺的なところが少ないことがわかる。巨大な富の不平等、不公平な選挙制度、報道機関やラジオや教育に対する統治者階級の統制を見て外国の観察者は民主主義とは専制を体裁よく呼び変えたものに過ぎないと結論している。しかしこれは残念ながら指導者と被指導者の間に存在する重要な合意を無視している。認めたがらない者が多くいようとも一九三一年から一九四〇年の間の中央政府が大多数の人々の意思を代表していたことはまず間違いない。政府はスラム街や失業、卑劣な外交政策を容認していた。それはその通りだ。しかしそれは世論も同じだったのだ。停滞した時期であり、指導者が凡庸な者ばかりとなるのも自然な成り行きだった。
数千人の左派の組織的運動にも関わらず、イギリスの人々の大半がチェンバレンの外交政策を支持していたことはまず間違いない。さらに言えばチェンバレンの頭の中で一般の人々の頭の中と同じ戦いが進行していたであろうことも間違いないだろう。彼の敵対者は彼のことを、イングランドをヒトラーに売り渡そうと目論む邪悪で狡猾な謀略家だと公言しているが、彼はたんなる愚かな老人でそのひどく貧弱な知識に従って自らの最善を尽くしているだけである可能性の方がずっと高い。そうでなければ彼の政策の矛盾、取り得る選択肢をまったく把握できないでいることを説明できない。人々の大半と同じように彼は平和にも戦争にもその代価を支払いたくはなかったのだ。互いにまったく両立し得ない政策を取る彼を世論は常に支持してきた。彼がミュンヘンにおもむいた時、ロシアを理解しようと試みていた時、ポーランドに保証を与えた時、その結果を引き受けた時、中途半端に戦争を推し進めた時、世論は彼を支持した。彼の政策の結果が明らかになった時に初めて世論は彼に背を向けた。つまり過去七年間の自らの無気力に背を向けたのだ。そして人々は自分たちの意向に近い指導者、つまりチャーチルを選んだ。少なくとも彼は戦わずして戦争に勝つことはできないと理解していた。おそらくは後になれば彼らは、効果的に戦うことができるのは社会主義国家だけであると理解している別の指導者を選ぶことだろう。
以上で私が言いたいのはイングランドが真の民主主義体制であるということなのだろうか? 違う。デイリー・テレグラフ紙の読者でさえそんなことは信じないだろう。
イングランドは世界で最も階級に支えられた国である。俗物根性と特権の地であり、老人と愚者にその大部分を支配されている。しかしそれについて考察をおこなうのであれば、その感情的結束、つまりその住民のほとんど全てがよく似た感性を持っていて極端な危機の瞬間には一斉に行動するという傾向を考慮しなければならない。この国は何十万もの自国民を国外や強制収容所に追いやらずに済んでいるヨーロッパ唯一の大国なのだ。戦争が始まって一年が経った現在でも政府を罵って敵国を称賛し、降伏をやかましく要求する新聞やパンフレットがほとんど何の干渉も受けずに通りで売られている。そしてそれは言論の自由を尊重してというよりは、たんにそうしたものは大して影響を持たないと考えられているためなのだ。ピース・ニュース紙のような新聞が売られるままにしていても安全なのは、まず間違いなく人口の九十五パーセントはそれを読もうとはしないからだ。この国は目に見えない鎖によってひとまとめに結び付けられているのである。平時は常に支配者階級が収奪、不正な経営、妨害工作をおこなって私たちを泥の中へと連れて行く。しかし世論に対して真に自身の声に耳を傾けさせれば、無視できない下からのひと押しを加えれば、世論はそれに応えずにはいられない。支配者階級全体を「親ファシスト」と非難する左派の作家はひどく過剰な単純化をおこなっている。現在の窮状をもたらしている政治家の内輪にさえ、自覚的な裏切り者がいるかは疑問だ。イングランドで起きる政治的腐敗にその種のものはめったに無い。ほとんど全ての場合、もっと自己欺瞞的な性質のもの、左手が何をしているか右手は知らないといったような種類のものなのだ。そして無自覚であるからこそ、そこには限界がある。それが最も明白に観察されるのがイギリスの報道機関だ。イギリスの報道機関は誠実なのだろうか、不誠実なのだろうか? 平時においてはまったく不誠実である。考慮に値する全ての新聞は広告で生計を立てており、広告主はニュースに対して間接的な検閲を実行している。しかしそれでも、あけすけに現金で賄賂を受け取っている新聞が一紙でもイングランドにあるかと言えば私はそうは思わない。第三共和政フランスではわずかな例外を除く全ての新聞がまるで大量のチーズのように敵国に買収されていたことは悪名高い。イングランドの公人があけすけに恥ずべき行為をおこなったことはこれまで一度も無い。詐欺行為が見過ごされるほどの崩壊状態には達してはいないのだ。
イングランドはシェイクスピアのよく引用される文章にある「宝石がちりばめられた島」でも、ゲッベルス博士によって描き出されるような地獄でもない。そうしたものよりもむしろひとつの家族に似ている。ひどく息苦しいヴィクトリア朝風の家族だ。内部に面汚しはそう多くはいないが、その食器棚は隠された骸骨で今にもはちきれそうになっている。媚びへつらわなければいけない裕福な親類とひどく虐げられている貧乏な親類がいて、一家の収入源に関する深い沈黙の共謀が存在する。この家族では若者はたいていは行動を制限され、権力のほとんどは無責任なおじと寝たきりのおばの手中にある。しかしそれでも家族は家族だ。家族だけの言語と共通の思い出があり、敵が近づいてきた時には団結する。間違った者が権力の座にいる一家……おそらくはこれこそがイングランドを一言で表現した時に最も近いものだろう。