戦間期の帝国の行き詰まりはイングランドの全ての者に影響を与えたが、とりわけ直接的な影響を与えたのは中流階級の二つの重要な小区分に対してだった。ひとつは軍事的・帝国主義的な中流階級、一般に「ブリンプスブリンプス:頭の固い保守的な人間を指す俗語。デビット・ローによる風刺漫画の登場人物「ブリンプ大佐」に由来する。」とあだ名されている人々で、もうひとつは左派知識人たちだ。互いに敵対的で、正反対のものを象徴するように思えるこれら二つ類型……恐竜のような太い首に小さな脳を持った予備役の大佐と丸い額に茎のように細い首をした知識人……は精神的に繋がっていて、常に互いに影響を与えあっている。いずれにせよ、彼らはかなりの程度、同じ一家に生まれた者同士なのだ。
三十年前にはブリンプスの階級はすでにその活力を失いつつあった。キップリングが称賛した中流階級家庭、つまり陸軍や海軍に入隊してユーコンからイラワジまで地球上のあらゆる荒れ地を群れ動く息子たちを持つ多産で無教養な家庭は一九一四年になる前に減っていった。彼らを殺したのは電報だ。英国政府の統治が強化されて狭まりつつある世界では個人の裁量は年々奪われていった。現代のイギリス帝国にはクライヴクライヴ:ロバート・クライヴ。18世紀のイギリスの外交官。インドでのイギリス植民地の基礎を築いた。、ネルソンネルソン:ホレーショ・ネルソン。18世紀のイギリスの海軍軍人。トラファルガーの海戦でフランス・スペイン連合艦隊に勝利した。、ニコルソンニコルソン:フランシス・ニコルソン。17世紀のイギリスの軍人。北アメリカ各地の植民地管理官を務めた。やゴードンゴードン:チャールズ・ゴードン。18世紀のイギリスの軍人。太平天国の乱の鎮圧などで大きな役割を果たした。のような人間が居場所を見つけられる余地は無いのだ。一九二〇年までに植民地帝国はほとんど余すところなく英国政府に掌握された。お人好しの過剰に文明的な人間、ダークスーツと黒いフェルト帽を身に着け、几帳面に巻かれた傘を左手に掛けた彼らがマラヤ、ナイジェリア、モンバサ、マンダレーでの生活についてのその凝り固まった考えを押し付けてくるのだ。かつての帝国の建設者は事務員へと身をやつし、書類とお役所仕事の山にますます深く埋もれていった。二十年代初頭には、ゆったりとした時代を知る年長の役人がこの進行しつつある変化の下で力なく書類仕事をしている様子を帝国中で見ることができた。以来、帝国統治に従事しようという気概ある若者が減っていくことはほとんど避けようがなかった。そして役人の世界で起きたことは商業の世界にも当てはまった。巨大な寡占企業が無数の小規模な貿易商を飲み込んだのだ。インド諸島で大胆な貿易を繰り広げる代わりに人々はボンベイやシンガポールの事務椅子を目指すようになってしまった。そしてボンベイやシンガポールでの生活は実際のところロンドンでの生活よりも退屈で安全なものなのだ。伝統的にそうした職に携わってきたために中流階級には帝国主義的な感傷が強く残っているが、帝国統治の職は魅力的なものではなくなった。有能な人間であえてスエズの東へ赴こうという者はほとんどいなくなったのだ。
しかし帝国主義の全体的な弱体化、そしてそれはある意味で一九三〇年代に現れたイギリスの道徳全体の弱体化でもあるのだが、それは部分的には左派知識人の生み出したものであり、それ自体、帝国の行き詰まりから芽生えて成長したものなのである。
現在では何らかの意味で「左派的」でないような知識人は存在しないことは注目に値する。おそらく最後の右派知識人はT・E・ロレンスだろう。一九三〇年頃から「知識人」と評されるような人は全員、既存秩序への慢性的な不満を持った状態で生きてきた。それは避けようのないことだった。所属している社会に自身の居場所が無かったのだ。発展も崩壊もせずにただ行き詰まっている帝国、そして主要な資産はその愚かさである人々に統治されているイングランドでは「聡明」であることには疑いの目が向けられた。もしあなたがT・S・エリオットの詩やカール・マルクスの理論を理解できる頭脳を持っていれば、上司はあなたをあらゆる重要な職から締め出そうとするだろう。知識人が自身の役割を見つけられるのは文芸批評と左派政党の中だけだった。
イギリスの左派知識人の精神構造は半ダースほどの週刊紙、月刊紙から学ぶことができる。こうした新聞の全てですぐ気がつくのはその全体的なネガティブさ、不平的態度であり、いかなる時にも建設的提案がまったく欠けていることだ。彼らのほとんどは無責任にあら探しをする人々で、これまで一度も権力のある立場に立ったことも、立とうと思ったこともない。もうひとつの際立った特徴はそうした人々の感情的な浅薄さである。彼らは観念世界に暮らしていて形而下の現実にわずかしか触れていないのだ。左派知識人の多くは一九三五年までだらしない平和主義者として暮らし、一九三五年から一九三九年の間はドイツに対する戦争に金切り声を上げ、それから戦争が始まるやいなやとたんに冷静になった。また完全な真実とまでは言えないが多くの場合、スペイン内戦中に最も「反ファシスト」的であった人々が現在では最も敗北主義的になっている。そしてその根底には非常に多くのイギリス知識人について当てはまるある重要な事実が横たわっているのである……この国の一般文化と彼らが断絶しているという事実だ。
ともかくも意識の上においてはイギリスの知識人はヨーロッパ化されているのだ。料理に関してはパリから、思想に関してはモスクワから彼らは拝借している。この国に広がる愛国心の中で彼らはそれと意見を異にする孤島を築き上げているのだ。おそらくイングランドはそこに住む知識人が自身の国籍を恥じる唯一の大国なのではないだろうか。左派の内輪ではイギリス人であることへの少しばかりの羞恥心、そして競馬からスエット・プディングまであらゆるイギリス特産品に冷笑を浴びせかける義務が存在することを常に感じさせられる。実に奇妙なことだが、ほとんどのイギリスの知識人にとっては慈善箱から盗みを働くよりも「ゴッド・セーブ・ザ・キング」が演奏されている最中に起立する方がずっと恥ずかしいであろうことは疑いようのない真実である。危機的な期間の間ずっと、左派の人間の多くはイギリス的道徳を少しずつ削り取り、時に生半可な平和主義的考えを、時に乱暴な親ロシア的考えを広げようと試みてきた。いずれにせよ決まって反イギリス的だったのだ。これらにどれほどの影響力があったのかは疑問だがいくらかはあったことは確かだ。もし仮にイギリスの人々が何年も現実的な道徳の衰退に苦しんでいて、ファシスト国家がイギリス人は「退廃」していて戦争を仕掛けても安全だと判断したならば、左派による知的破壊工作にはそのいくらかの責任がある。ニュー・ステーツマン誌とニュース・クロニクル紙の両方がミュンヘン協定に反対する叫びを上げているが、彼らさえもそれを可能にするためのいくらかの役割を担っていた。十年に及ぶ組織的なブリンプスへのからかいはブリンプス自身にさえも影響を与え、知識階層の若者が軍隊へ入隊することを以前よりもずっと難しくした。帝国の行き詰まりを考えればどちらにしろ軍人の中流階級は衰退せざるを得なかったが、浅薄な左派主義の広がりはその進行を加速させたのだ。
過去十年間のイギリス知識人の特殊な立場、つまりただブリンプスに反対する完全にネガティブな人間という立場が支配者階級の愚かさの産物であることは明白だ。社会は彼らを使いこなせず、彼らは「良かれ悪しかれ」自国へ献身するということを承知しなかった。ブリンプスと知識人のどちらもが愛国心と知性の離別を、それがまるで自然法則であるかのように当然のこととして受け止めていた。もし愛国者であればブラックウッド誌を読み、「頭でっかち」でないことを公然と神に感謝する。もし知識人であればイギリス国旗に冷笑を浴びせ、肉体的勇敢さを野蛮と見なす。こうした不合理な慣習を続けていくことができないのは明らかだ。機械的に冷笑するブルームズベリーの知識人は騎兵隊の大佐と同じくらい時代遅れだ。現代的な国家にはどちらの居場所も存在しない。愛国心と知性は再びひとつに合流しなければならないだろう。事実として私たちは戦争、それも非常に奇妙な種類の戦争を戦っていて、この戦争によってそれが実現されることになるだろう。