説明の必要はなかろうが、幸いにも、近代都市の寝室という快適なすみかをもつ蛇は、それほど一般的な存在ではない。ハーカー・ブレイトン――三十五歳、独身、学者、遊民、何らかのスポーツをし、資産があり、評判もよく、健康も悪しからず――は、とにかくなじめない片田舎からサンフランシスコにもどっていた。彼の嗜好――何の意味もない贅沢――は長い欠乏生活によってさらに助長されてしまい、キャッスル・ホテルですら彼の嗜好は完全な満足にいたらなかった。そんな折、彼は、友人であり著名な科学者でもあるドルーリング博士の招待を快諾した。市内でも辺鄙な場所に建てられたドルーリング博士の古風な屋敷は、見るからに何かの指定地のようだった。隣近所の変わりようにはつきあわず、孤立から生じた数種の奇癖が発現されていた。たとえばその「翼」は、明らかに建築学的観点とは無関係で、目的に従うものとは言えなかった。なぜなら、それは研究室と管理室と博物館を合わせたものだったからだ。博士はそこで、興味の赴くままに、そうした種類――つまり、言ってしまえば下等種類に向けられた、動物生態学研究における博士生来の科学的な面にふけって、その嗜好を満足させるのだった。博士の繊細な感性に、自らを高等種類形態として機敏にかつ優しく売りこむには、蛇や蛙のように、「原始のドラゴン」に連なる未発達な特徴を少なくとも維持していなければならなかった。博士の科学的共感はきっぱりと爬虫類に向けられていて、この大自然の俗物どもを愛し、自身を動物学のゾラと描写していた。このように、博士は我らが悪役生物どもについて啓蒙された好奇心からくる観点と研究意欲とを持っていたが、しかし、妻と娘たちにはそれを共有しようとする美質がなかったので、博士が蛇園と呼ぶ場所から必要以上の厳しさで締め出され、友情を同一種間に限定されるという運命を背負わされた。しかし、博士はその莫大な資産をもって周囲を豪華さで出しぬくこと、見事な壮麗さで輝かせることを許し、妻子の過酷な運命を和らげようとした。
建築学および「快適な住まい」という点で見ると、蛇園は、居住者の質素な境遇に似つかわしい、地味で簡素なものだった。贅沢を愉しむためには自由が必要だったが、実際のところ、多くの連中はあまり自由な境遇ではなかった。なぜなら、連中は生に付随して、相手を飲みこんでしまう有害で迷惑な特性を持っていたからだ。しかしながら、自分の部屋に入れば、自分の身を守りつつ、それでいてほとんど束縛のない時間を過ごすことができた。そして、ブレイトンが注意深く通告されたように、場合によっては、理由の説明が困難な場所にこの連中が現れることもあるのだった。蛇園とその気味の悪いメンバー――実際のところ、彼はほとんど気にしていなかったが――にもかかわらず、ブレイトンはドルーリング荘が非常に気に入っていた。