女性参政権運動の現在の立ち位置, エメリン・パンクハースト

女性参政権運動の現在の立ち位置


いまや女性参政権は現代の実際的な政治課題のひとつとなっている。一八八四年以来、この問題はあまり世論を騒がせてはこなかった。国民代表法国民代表法:イギリスの選挙制度を定めた法律。Representation of the People Act。はこの年に導入されたのだった。この法令は男性だけに適用されたが女性を含めるという修正案が動議されていた。この修正案は全国的に強く支持されたが自由党自由党:かつて存在したイギリスの政党。1920年代までは保守党と二大政党制を形成していたが、その後の労働党の勢力拡大によって衰退し1988年に他党との合併により発展的に解消された。政府が反対した結果、庶民院で否決された。

その後の総選挙で自由党はかろうじて敗北を免れた。女性参政権論者たちが賢明であったなら、つい最近に女性に参政権を与えることを拒否した党が再び権力の座に就くことを防ぐべく、自由党の候補者に激しい反対の声を上げたことだろう。国政選挙権法案に対する女性参政権修正案は保守党指導者たちに支持されていたので、もし女性参政権論者たちが自由党の敗北をもたらしていれば、保守党による政府は女性参政権のための法案を成立させずに済ませることは難しいと気づいたはずだ。

不幸にもこの大きなチャンスは見過ごされ、以降二十年以上にわたって運動には暗雲が立ち込めた。そして今、主に新しい運動の手法――過去のそれよりも劇的であるだけでなく政治的になったもの――の結果によって女性参政権は政治的進歩の直系に位置することとなったのだ。

私たちが勝利に近づいたことによって克服されるべき反対派の強さは以前にも増して明確になっている。私がここで言っているのは自分たちの性への参政権付与に反対を唱える一部の誤導された女性たちの行動ではなく、これまで女性参政権を無視できると考え、あまつさえ支持するふりさえしていた男性の反対者の行動である。今になって彼らは自分たちが想定していたよりもこの問題の解決が近いことに気がついたのである。それゆえ女性参政権に反対する国会議員たちは今やこの改革に抵抗する手間をわざわざ取るようになっているのだ。

彼らの反対は二つの形を取る。ある者は両性の政治的平等に異議を唱えて女性参政権に公然と反対し、もっと不誠実な別の者は完璧な女性参政権が与えられるべきであると信じていると公言してただちに女性参政権を与えることへの反対を説く。首相はこのような態度をとりながら、しかし、公言した原則に従って行動する意思を少しも示していない。

そしてこれが問題の置かれた現在の状況なのだ。閣僚のほとんどは女性参政権に敵対的だし、そうでない者もこの問題に関しては無関心なのである。一部の女性たちは、首相は好意的だという信念に最近まですがりついていたが三月八日の彼の演説はその幻想を打ち砕いた。内閣の後ろだてとなっているのは現代における最大多数派である。それを構成する男性のほとんどは女性参政権のおおやけに支持する者だが、政府がこの問題を扱うよう強いろうとはしない。実のところ、こうしたおおやけな支持者の何人かは、こうした支持の公言は何の意味も持たないと今ではあけすけに述べていて、実際、その一部はディケンソン氏の女性参政権法案へ反対する者たちへ仲間入りしている。

表面的に見たところ状況は劣勢であるが実はこれまでで最も良い。なぜなら他の二つの要因を考慮に入れる必要があるからだ。ひとつは女性の決意と力強さが伸長していること、もうひとつは有権者の共感を得ていることだ。最大多数派はこの国を掌握できなくなった政府に満足することや擁護することを止め、今や政府の人気にとって女性参政権というテーマの扱い以上に危険なものは無いのだ。

女性社会政治同盟女性社会政治同盟:1903年にエメリン・パンクハーストが設立した婦人参政権団体。Women's Social and Political Union(WSPU)。は政治家たちが理解して関心を払うであろう手法のみを採用せざるを得なかった。それはこの国を含むさまざまな国で男性たちに自らの政治的権利を勝ち取らせた手法でもある。ハイド・パークの柵を破壊しさえしたチャーティスト運動は、女性参政権論者が行なう同様の戦術を声高に糾弾する当の自由党員に最大級の敬意をもって言及されている。ロシアで行われている人民の自由への敵対者の暗殺は自由党の政治家にとってはいわゆる庶民院「襲撃」や市民集会でのイギリス閣僚への「やじ」よりもずっと無害なものに思えるらしい。運動で果たした役割によってすでに百五十人の女性が収監の苦しみを味わっているのだ。

政府に圧力をかけるもうひとつの方法は反対運動によって補欠選挙で彼らの候補者の敗北を確実にすることだ。「女性参政権を認めることを拒否すればこの国での人気を失うことになる」と政府に示すことができれば、彼らもこの問題に取り組むと答弁せざるを得なくなる。たとえ最強の政府といえども補欠選挙で示された選挙人の不満を無視するわけにはいかない。彼らの候補者を敗北させるよう働きかける以上に有効な政府を動かす方法は無いのだ。

自由党員はこの補欠選挙方針に激しく怒るが、それ自体がすばらしい兆候である。

自由党は女性社会政治同盟の働きがすでに政府に傷を与えているとわかっていて、この新しい政治勢力がいずれさらに危険なものへ変わるであろうことを認識しているのだ。もちろんのことだが「トーリー党トーリー党:二大政党制で自由党と人気を二分していた保守党を指すの金」だとか「トーリー党との共謀」といったお決まりの自由党の叫びも聞かれる。自由党は自分たちが望むよりもすばやく動こうとする者には常にこうした当てこすりをする。

労働党労働党:イギリスの中道左派政党。当時は結党からまもない新興政党だったが1945年には総選挙に勝利し、その後、自由党に代わって保守党と二大政党制を形成する。がトーリー党から資金援助を受けて操作されていると非難されたのはそう古い話ではない。今では労働党は力強く成長したので自由党は労働党の人間に対するそうした中傷を口にしなくなったが、女性運動に対しては慣れ親しんだやり方で中傷しても許されると考えているのだ。彼らの攻撃にまったく臆することなく、むしろ勇気づけられ、女性社会政治同盟はその補欠選挙方針を堅持している。

独自路線に沿って厳正に選挙は戦われる。当然ながら自由党の候補者の対立候補が一人しかいない場合には、それが労働党の人間だろうと統一党の人間だろうと自由党から離れた票の全ての恩恵を得ることになる。もし三人以上の候補者が出馬した場合には自由党は背を向けられ、同盟は他の候補へと向かう当然の態度を堅持する。

大勢の自由党候補者が女性参政権支持の宣言を準備しているが、それでもなお私たちはそうした候補者に反対する。庶民院には前回の選挙で女性参政権支持を約束した議員がすでに四百二十名いるのだ。そうした紳士たちの何人かは実現するつもりも無かったがこうした公約を掲げたと説明している。本気だと公言している者たちも全く消極的だ。自由党議員は政府を困らせることを拒否しているし、もし彼らがそうしそうな兆候を見せれば後ろ盾になっている自由党の重役によって抑え込まれるだろう。女性参政権を「支持」している自由党の候補者に慈悲を示すよう乞う者は思い起こすべきだ。この改革を本当に信じている者であれば現在まで続いているような政府の政策を後援する自由党の候補者として立候補したりするはずがないのだ。もし自由党候補者や他の者たちが女性からの反対にあいたくなければ、女性に参政権を与えるよう首相とその内閣を説得するしかない。

恐らくは政府と戦うという考えの強烈さに怖気づいてのことだろうが一部の人々は選挙で誰を選ぶかは全体的には個々人による公約の特徴に基づくべきだと語る。ある候補者が女性参政権を支持し他方の候補者が反対していれば、支持を表明している者と協力するよう彼らは提案する。両方の人間が支持していれば、競争に一切関わらないのが賢明であると考える。そうなると両方の候補者が支持を表明することを選べば、参政権論者はその場から追い払われることになる。こうした方針は、支持者を奪うことで政府に圧力をかけることを狙うものと比べれば明らかに極めて弱いものだ。

この反政府的な補欠選挙方針が試みられた数少ない機会は多くの勇気をもたらすものだった。

選挙人は政府と反対の側に投票しようという私たちの訴えを理解してそれに応え始めている。この選挙運動が危険になるに従って、私たちの非難を受けている人々は自分たちは味方なのだと偽ることで私たちの立場を切り崩そうと試みるようになっている。また彼らは自分たちが支持する政府が全ての女性に投票を許すつもりがみじんも無いことをよく知りながら、女性参政権への自分たちの信念を語ることで全力で世論を混乱させようとしている。

補欠選挙における女性社会政治同盟の存在は自由党を支持する女性の選挙関係者の働きを極めて価値の高いものにしている。女性の選挙運動へ効果的に反対できるのは女性だけであるとの結論に自由党が達したことは明らかだ。そのために自由党支持の女性による手助けは以前よりもずっと大きな需要を得るようになっている。

この事実だけでも現在、何が自由党支持の女性の責務であるかが示されている。もし彼女たちが女性にも投票が許されるまでは自由党のために働くのを止めて代わりに反対側のために働くようにすれば政府は譲歩せざるを得ないだろう。

初めのうち、自由党支持の女性にとってそうした行動方針は考えられないものに思えることだろう。彼女たちの考える党への忠誠心はそれを禁じている。道義への忠実さは党への忠実さよりも優先されなければならないと誰かが彼女たちに思い出させるだろう。前回の総選挙での働きによって自由党支持の女性は党指導者たちへの強い発言力を得た。さらに言えば彼女たちは党指導者たちが無視できないだけの勢力を構成しているのだ。そのため、自らの性別の参政権を要求して勝ち取る力を手にした彼女たちはこの国の女性たちの信託者の立場にあり、女性たちの目標の代わりに党の利益を優先すればそれは彼女たちの信託を裏切ることになるのだ。

政府打倒に一役買うという考えに自由党支持の女性は尻込みしている。恐れる必要はない。事態がそのような状況に至るずっと以前に政府は譲歩するだろう。

女性の反対によって半ダースほどの議席を失えば公約した改革を実行するための政府の力を損なうこと無く自由党の指導者たちに参政権を認めさせることができるだろう。女性社会政治同盟による政府への反対は自由党支持の女性たちが私たちに加わるかどうかによらず女性参政権が認められるその時まで続くだろうが、彼女たちの協力はそれが成し遂げられる日を早めるだろう。

自由党支持の女性の一部は参政権のために自由党内部から働きかけているのだと言っているそうだ。もし説得がうまくいかなかった場合にどうやって要求を押し通すつもりなのか、彼女たちは説明しない。傍から見ている限りでは自由党を離れてそれに対抗して戦う以外に道は無いように思える。また別の自由党支持の女性たちは政府に嫌がらせをするのは不見識の極みと知るべきだと主張している。相反する主張に押された政府は最も不都合なものを処理するということを彼女たちは学ばないのだろうか?

自由党支持の女性だけではなく全ての党の女性たちに対して、投票を勝ち取るその時まで政党政治を忘れ、性別による政治的障害を取り除くための独立的な選挙運動によって団結しようと訴える。

1907年
The Case for Women's Suffrage

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