君主, ニッコロ・マキャヴェリ

自分の軍隊と力量で獲得した新しい君主国について


これから私がしようとする全く新しい君主国についての話で、君主についても国家についても最高の事例をもちだしたからといって、驚いたりしないでください。なぜなら、人間というものは、たいていの場合、他人が踏み固めた道を歩き、その行為をまねることで追従するものですが、他人の通った道を完全に辿ることもできないし、まねしようとする相手の力を手に入れることもできないからです。賢者はいつも偉人の踏み固めた道を辿り、至高の人のまねをするべきです。そうすれば、たとえその能力がそうした偉人に匹敵するものでなくても、少くともその風味を身につけることになるでしょう。あまりにも遠くに思われる的を射ようと思い、しかも自分の弓の力がどこまで届くか知っている賢明な射手は、的よりもっと高みを狙い、そのことで自分の力なり矢をそのような高みに届かせようとするのではなく、目標より高いところを狙うことで、射たい的に当てることを可能にするものですが、それと同じようにふるまうべきなのです。

だから、全く新しい君主国では、そこには新しい君主がいるわけですが、その国家を獲得した者の能力の多寡に応じて、そういう国家を維持する難しさに多寡が生じると言えるでしょう。さて、私人の状態から君主になるといった事態は才能か幸運のどちらかを前提条件にしているのだから、こうした二つのもののいずれも多くの困難をある程度は軽減するだろうことは明かです。それにしても、幸運に頼ることの少い者のほうが強固な地位を確保するのです。さらに言えば、君主が他に国家を持っておらず、本人自らがそこに住みつかざるをえないときのほうが、事態を容易にするのです。

しかし、幸運によってではなく自らの才能で君主に成り上った人たちに関するなら、モーゼ、キュロス、ロムルス、テーセウスといった人たちがその最も優れた実例と言えます。そしモーゼはただ神の御意志の執行者であるとして、誰もモーゼのことは吟味しようとはしませんが、とはいっても、神と語らう価値のあるものとした恩寵だけでも、彼を称賛すべきでしょう。しかし王国を獲得したり創建したキュロス等の人たちのことを考えると、全員が称賛に値することがわかります。彼らの個々の行動や振舞いをよく考えてみると、モーゼはかくも偉大な授戒者を持ったとはいえ、彼らがモーゼの行いに比べ劣ってるとは思えないのです。そして、彼らの行動や人生を検討してみれば、彼らが好機以上に運に頼ったわけではなく、その好機は彼らに最良と思われる形にかたどる素材をもたらしたのだいうことがわかるでしょう。そういう好機がなければ、彼らの精神の力は消え失せたでしょうし、またそういう力がなければ、好機も虚しいものとなったでしょう。

だから、モーゼにとって、エジプトのイスラエルの民が束縛から解放されようと彼に従う気にさせるためには、彼らがエジプト人に奴隷にされ抑圧されていることが必要でした。ロムルスがローマの王となり父祖の地の建国者となるためには、彼はアルバにとどまることなく、また生れ落ちるとすぐに捨てられることが必要でした。キュロスはペルシャ人がメディア人の統治に不満を抱き、メディア人が長い平和の軟弱で女々しくなっているのを知ることが必要でした。テーセウスはアテネ人が四散しているのを知らなければ、自分の才能を発揮できなかったことでしょう。こうした好機は、ですから、こうした人たちに幸運をもたらし、またそのすぐれた才能が彼らに好機を気付かせてくれました。この好機によって彼らの国は高貴なものとなり、有名になったのです。

これらの人と同じように武力によって君主となった者は、君主国を獲得するのに困難を伴うけれど、それを維持するのは容易です。君主国を獲得する上での困難は、一部は、彼らがその政権や保安を確立するために導入せざるをえなかった新しい規則や方法から生じるのです。そして、新しい秩序の導入の先頭にたつこと以上に、着手するのが難しく、行うのが危険で、成功が不確かなものにことを思い起すべきです。なぜなら革新者にとって、古い状況ではうまくやっていた人全員が敵であり、新しい状況でうまくやれそうな人はいいかげんな味方でしかないのですから。この冷淡さは一部は、反対派が自分たちの側に法を握っているので、彼らにたいする恐怖から生じます。また一部は、人間というものは新しい事物を長く経験してからでなければ簡単には信じないので、その猜疑心からも生じているのです。こうして、敵意のある人たちには遊撃隊のように攻撃の機会があり、一方ではその他の人たちは防衛に不熱心であれば、こうして君主は彼らとともに危険に陥ることになるのです。

ですから、この問題を隅から隅まで語りつくそうとしたいなら、こうした革新者が自らを恃むのか他人をあてにしているのか、すなわち、その事業を完遂するために祈るしかないのかそれとも力を行使できるのかを調べることが必要です。第一の場合はいつも上手くやりおおせず何事も達成できません。しかし、自らを恃みしかも力を行使できるなら、危険にさらされることは、ほとんどありません。それで、武装した預言者はみな勝利し、武装なき預言者は身を滅ぼしたのです。こうした理由のほかに、人々の本性は変りやすく、それで、彼らを説得するのは簡単ですが、その説得を受け入れたままにしておくのは難しいのです。こうして、彼らが信じなくなったときは、力ずくで信じさせることが可能となるような手段を講じることが必要なのです。

もしモーゼやキュロス、テーセウス、ロムルスが武装していなければ、自分たちの制度を長きにわたって押しつけることはできなかったことでしょう。それは私たちの時代にジロラモ・サヴォナローラ師の身に起ったのと同じことです。彼は大衆がもはや彼を信じなくなるとすぐに彼の新しい秩序とともに滅びました。そして、彼を信じてきた者をしっかりとつなぎとめ、信じていない者に信じさせる手段を持っていなかったのです。したがって、こうした人たちはその事業を成し遂げるのに大きな困難を抱えています。というのも、その危険はしだいに増大するからですが、それでも彼らは才能でそれらを克服していくのです。しかし、それらが克服され、彼らの成功を妬む人たちが根絶されると、彼らは尊敬されるようになり、その後は強大で安全で名誉ある幸福な状態が続くでしょう。

こうした偉大な事例にやや劣る一事例を加えておきましょう。やや劣るとはいってもそうした偉大な事例に似たところがあり、私は同様の事例すべてを十分代表するよう加えておきたいのです。それはシラクサのヒエロン[7]の事例です。この人は一私人の境遇からシラクサの王に成り上ったのですが、好機以外には運命の恩恵は受けませんでした。というのは、抑圧されていたシラクサ人は彼を自分たちの指揮者としたのであり、その後、その見返りとして自分たちの王としたのですから。彼は一私人としても大層な才能があり、彼について書いた人は、王として欠けていたのは王国だけだったと述べています。この人は古い軍制を廃止して新しい軍制を組織し、旧来の同盟を断って、新しい同盟関係を樹立しました。そして自分の軍隊と同盟者を手に入れると、こうした基盤の上に大建造物を築くことができたのです。このように彼は王国を得るには多くの苦労に耐えましたが、それを維持するにはほとんど苦労知らずでした。

英訳の注

[7] ヒエロン二世、およそ紀元前307年生、紀元前216年没。


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