山城の国宇治町に、六百年許り前に、その祖先は平家の、伊藤帯刀則助という若い侍が住まって居た。伊藤は美男子で気だてがやさしく、中々、学問があって武芸に長けていた。が、一家は貧しく、高貴な武人間に、彼に眷顧を与えるものが一人も無かったから、その前途の望みは乏しかった。文学の研究に身を委ね、(日本の物語作者の言う)「ただ風月を友と」して、極く質素な生活をして居った。
ある秋の夕暮、琴引山という小山の近所をただ一人散歩して居ると、たまたま同じ道を辿って居る少女に追い付いた。その子は立派な服装をしていて、年の頃は十二か十三ぐらいに思われた。伊藤はそれに会釈して、「日が直ぐ暮れますよ、お嬢さん、それに此処は少し淋しい処です。道に迷ったのですか」と言った。その子は晴れやかな笑顔をして見上げて、そんな事はと云った様子をして、「いいえ。私はこの近所に御奉公を致して居りますミヤヅカイで御座います。もう少し行けばよう御座います」と返事した。
その子がミヤヅカイという言葉を使ったので、伊藤はその女の子は高位な方に奉公して居るに相違ないと知ったが、どんな名家もその付近に住まって居ることを聞いたことが無いから、その子の云うことを怪しんだ。だが、ただこう云った。「私は私の家のある宇治へ今帰るところです。此処は大変淋しい処ですから、途中、一緒に行って上げましょう」
その子はその申し出を喜んだらしく、しとやかに御礼を述べた。で、話しながら二人は一緒に歩んで行った。その子は天気の事、花の事、蝶々の事、鳥の事、一度、宇治へ見物に行った事、自分が生れた都の名所の事を話した。伊藤には、その子の爽やかなお喋舌を聴いて居ると、時間が愉快に経って行った。やがて、その道のある曲り目で、二人は若木の森で大変に暗い小村へ入った。
〔此処で、自分は、此の話を中絶して、諸君に話さなければならぬ事がある。日本には、晴れ切った非常に暑い天気の折にも、いつまでも暗くて居る田舎村があって、その暗さは実地にそれを見なければ読者には想像が出来ぬという事である。東京の近所にさえ、そんな村は沢山ある。そんな村から少し離れると家は一軒も無い。常磐木の茂った森のほか、何んにも見えぬ。その森は、普通若い杉と竹とから成って居るが、暴風の害を蒙らぬようその村を被い、且つまた種々な目的に材木を供給する用を為して居る。木は密植してあるから、幹と幹との間を通って行く余地が無い。帆柱のように真直ぐに立って居て、日を遮る屋根をつくるほどに、その頂部を交じえて居る。草葺きの田舎家は何れも皆、植林中の空いた地を占めて居て、その樹木がそのまわりに家の高さの倍の垣を造って居る。その樹木の下は、真っ昼間でもいつも薄暗がりで、家は朝か夕方かは半ば蔭になって居る。殆んど不安の念を起こさせるこんな村の第一印象は、それ独特の一種の薄気味悪い妙味を有って居る、その透明な暗がりでは無くて、静けさである。家数は五十も百もあることがあろう。しかし何も見えず何んの音も聞えず、ただ、眼には見えぬ小鳥の囀り、時たまの鶏の啼き声、蝉の叫びがあるだけである。だが、蟬さえその森を余りに暗いと思うのか、微かに啼く。日を愛する虫だから、村の外の樹木を好むのである。自分は云い忘れたが、時に眼に見えぬ梭の――チャカトン、チャカトンという――音を耳にすることがあろう。――が、その聞き慣れた音が、この大なる緑の無言のうちに在っては、仙郷のもののように思われる。その静寂の理由は人が家に居ないというただそれだけである。大人は、弱い老人少しを除いて、凡て、女は赤ん坊を背に負うて、近所の野畠へ行って居り、子供の大部分は、多分一哩より少からぬ遠くの一番近い学校に行って居る。実際、こんな薄暗いひっそりした村に居ると、誰れしも「世の養いを享けたる太古の人は、何物も求むるところ無く、また物沢に、――人は無為にして万物化育し、――その静かなること深淵の如く、国人すべて皆心安らかなりき。」という管子の文に書いてある情態の不思議な永存を眼前に視て居るような気がする〕
……伊藤がその村へ着いた時は余程暗かった。日は早、沈んでしまって、夕焼けはその樹木の蔭では薄明りも与えて居なかったからである。その子はその大道に通じて居る狭い小路を指さして「あの、御親切な御旦那様、私はこちらへ参らなければなりません」と云った。「それでは家まで送って行って上げよう」と伊藤は答えて、行く手を見ながら、というより探りながら、その子と一緒にその小路へ曲った。ところが、その女の子はやがて、その暗がりにぼんやり見える小さな門の前で――その先に在る住家の光が見える格子作りの門の前で停った。「私が御奉公致して居ります御邸は此処で御座います。ここまで遠く寄り道をして下すったことで御座いますから、入って少し御休みになって下さいませんか」と云った。伊藤はそれを諾した。この手軽な招きを嬉しく感じ、どんな立派な身分の人がこんな淋しい村にわざわざ住まうことにしたものか知りたいと思った。高位の一家が、政府に不満を抱くとか、政治上の紛紜があるとかで、時にこんな風に引退することがあると知って居たから、自分の眼の前のこの邸に住まって居る人達の身の上も、そうであろうと想像した。その年若い道伴れが、開けてくれた門を潜ると、四角な大きな庭があった。うねうね小川が横ぎって居る、山水の景を小さく模した、その造りが微かに見分けられた。「ほんの一寸の間、御待ちになって下さいまし。御出でのことを申しに参りますから」とその子は云って、家の方へ急いで行った。広々した家ではあったが、余程古そうで、それに今とは異なった時代の建て方であった。引き戸は閉めて無かったが、光のして居る家の中は、縁の正面に亘って美しい簾がかかって居るので見えなかった。その簾のうしろに影がいくつか――女の影がいくつか――動いて居た。――すると、不意に琴の音が夜に波打って響いて来た。その弾き方が如何にも軽くまた旨いので、伊藤は自分の耳を信ずることが殆んど出来なかった。耳をそばだてて居るうちに、うっとりするようないい気持ちが――妙に哀れの籠もったいい気持ちがして来た。どんな女でも、どうしてあんなに弾くことが覚えられたろうと怪しんだ――弾き手は女なのか知らと怪しんだ――自分は、この世の音楽を聴いて居るのか知らとさえ怪しんだ。魔力がその音と共に、自分の血の中へ入ったように思われたからである。
そのやさしい音楽はやんだ。すると、それと殆んど同時にあの小さな宮仕がその横に来て居ることを知った。「おはいり下さるようにとのことで御座います」と云うのであった。入口へ案内されて行って、其処で草履を脱ぐと、ロウジョ即ち其一家の召使頭だと伊藤が思った年長けた女が、敷居際まで迎えに出た。その老女はそれから部屋を幾つか通って、家の裏側の大きな明るい部屋へ連れて行って、何度も恭しく辞儀して、高位の人が坐る上席に就いてくれと乞うのであった。部屋が物々しげなのと、その装飾の珍らしい、美しさとに驚いた。やがて、女中が幾人か出て茶菓を供えてくれたが、前へ置かれた茶碗も他の器物も稀れな高価な細工のもので、且つ、その持主が高位な人だと知れる模様で飾りがしてあることに気付いた。どんな気高い人がこんな淋しい隠退処を選んだものだろう、どんな事がこんな孤独を望ませるようにしたものだろう、と段々怪しんで来た。ところが、老女は
「あなたは宇治の伊藤様だと――あの伊藤帯刀則助様だと思いますが、違いますか」と訊ねて突然その回想を妨げた。
伊藤は如何にもと頭を下げた。自分の名をあの小宮仕に云いはしなかったのであるし、それにその訊ね方にまたびっくりした。
老女は言葉を続けて云った。「どうか、私の御尋ねを失礼だとは思って下さいますな。私のような老人はいろんな事を御尋ねしてもいいので御座いましょう、不都合な珍らしがりで無くて。あなたが此の家に御出になった時、あなたのお顔に見覚えがあると思いました。だから、他の事をお話しする前に、疑いを晴らすだけにお名前を御伺い致したので御座います。御話し致したい大切な事が御座います。あなたはよくこの村をお通りになるので、私共の若い姫君様がある朝あなたのお通りになるのをふと、御覧になりまして、その時からというもの、昼も夜もあなたの事を考えておいでになります。本当に、余りお思いになって病気におなりで、私共は大変に心配して居ります。その為めに、あなたのお名前とお住居を見つけるよう取り計らいまして、手紙を差し上げようとして居る処へ――どうで、御座いましょう、思いがけも無い!――あなたがあの召使と一緒に私共の門へ御出で下さいました。まあ、あなたに御会いしてどんなに嬉しいか到底も口には申し上げられません。あまりに仕合せで本当だとは思えないくらいで御座います。実際、こうして御会い出来たのはエンムスビノカミの――仕合せな縁組みの糸の結びを繋いで下さる、あの出雲の神様の――恵みの御計らいに違いないと私は思います。そんな仕合せな運が、あなたをこちらへ御連れ申したことで御座いますから、否とは仰せになりは致しますまい――そんな縁組みの――姫君様のお心をお喜ばせ申す――邪魔が何も無いのなら」
その当座、伊藤には、どう返答していいか分らなかった。その老女が若し本当のことを云ったのなら、異常な機会が、その身に捧げられて居るのであった。非常な熱情あればこそ、高家の息女が、自分と求めて、富も無ければ、何んの前途の望みも無い、主人無しの名も無い侍の愛を求めなされるのである。だが一方また、女の弱味に付け込んで、己が利を増そうとするのは男の面目とすべきことでは無い。それにまた、事情が気掛りな程不思議である。だが、こう思いがけない申し出をどう断わっていいか少からず心を悩ました。暫く無言で居てから返事した。
「私には妻はありませんし、許嫁はありませんし、どんな女とも何んの関係もありませんから、邪魔は少しも無い訳であります。今まで私は両親と暮して来て居りますが、縁談の事は両親は一度も話したことはありません。知って置いて頂かねばなりませんが、私は貧乏侍で、高位の方々の間に私を庇護して下さる方がありませんし、身の境遇のよくなる機会が見つかるまでは、妻を娶ろうとは思って居ませんでした。御申し出の事は、私に取って光栄至極ではありますが、私はまだ高貴な姫君に思っていただくに足らぬ身だと思うて居ります、とこう申し上げるほかはありません」
老女はその言葉を聞いて満足に思ったらしく微笑して、こう返事した。
「姫君様に御会いになるまで、御決めにならぬがおよろしいで御座いましょう。御会いになったなら多分、御躊躇にはなりますまい。どうか、私と一緒にお出でになって下さいませんか、姫君様へ御引き合せ致しますから」
前のよりも大きな別な客間へ案内されたが、行って見ると御馳走の支度が出来ていて、上座へ就かせられてから一寸の間、独り其処へ待たされた。老女は姫君様を連れて帰って来た。その若い女主人を始めて一目見た時、伊藤は庭に居て琴の音を聴いた時覚えた、あの不思議な驚きと悦びとの身震いを再び感じた。こんな美しい人は一度も夢にも見たことが無かったのである。綿雲を透して見る月の光りの如く、光りがその身から出て、その衣裳を通して輝いて居るようであり、その解けて、垂れて居る髪の毛は身動きにつれて揺れて、春のそよ風に動く枝垂れ柳の枝のようであり、その唇は朝露を帯びた桃の花のようであった。伊藤はその姿を眺め見て恍惚とした。正のアマノカワラノオリヒメの姿を――輝く天の川の傍に住む織女の姿を見て居るのでは無いかと思った。
にこにこしてその老女は、その美しい姫の方へ向いたが、姫は眼を伏せ、頬を赤くして黙ったままで居るので、姫に向ってこう云うのであった。
「どうで御座いましょう、あなた! こんな事があろうとは少しも望みも出来ない折に、あなたが会いたいと仰しゃるその当のお方が、自分から、お越しになったので御座いますよ。こんな運のいいことは全く、神様の御心からでなければ、出来る筈は御座いません。それを思うと嬉しくて、泣きたくなります」老女は声に出して咽び泣いた。そして、袖で涙を拭いながら、言葉を続けて、
「それで、これからあなた方お二人のなさることはただ――どちらもおいやだ、ということはありますまいが、おいやで無いのなら――互いに約束をして、そして、一緒に婚礼のお祝いをなさることで御座います」と言った。
伊藤は無言で答えた。自分の前に坐って居る、その比類無しの眼に見える物が、その意志を痺らせ、その舌を縛ってしまったのである。召使の女達が器物や酒を携えて入って来た。婚礼の膳部が二人の前に並べられ、固めの盃が取り交わされた。それでも伊藤は元のように失神したようになっていた。此の珍事の不思議さと、新婦の麗しさの驚きとがまだ、その頭を混乱させていた。未だ嘗て覚えたことの無い一種の嬉しさが――大なる静寂の如くに――その胸に一杯になった。が、段々と、そのいつもの落ち着きを回復して、それからは困らずに話をすることが出来るようになった。酒を遠慮無くお相伴して、今までその心を抑えて居た疑惑と恐怖を、卑下してではあったが陽気に、思い切って話した。その間その新婦はもとの如く月の光りのように静かにしていて、眼は決して上げず、物を言いかけられると赤面か、微笑かして、それに応えるだけであった。
伊藤は老女に向ってこう言った。
「幾度も独りで散歩をして、この村を通ったことがありますが、この御屋敷の在ることは知りませんでした。それでこちらへ入ってからというもの、御宅様がどうしてこんな淋しい住居場をお選びになったのだろうかと、不思議に思って居りました。……あなたの姫君様と、私と互いに約束を取り交わしたのに、私が御一家のお名を、まだ知らぬとは可笑しな事に思われます」
こう云うと、一抹の影が老女の情け深い顔を横ぎった。そして新婦は、それまで殆んど口をきかなかったが、真青になって非常に心を傷めて居る様子であった。暫く無言の後に老女はこう答えた。
「私共の秘密を長く隠して置くことはむつかしいことで御座いましょうし、それにあなたは、私共の家の一人におなりになって居ることで御座いますから、どんなことがあろうと、本当のことをお知らせ致さなければならないと思います。では、伊藤様、申し上げます。あなたの花嫁は、あの不仕合せな三位中将重衡卿の娘なので御座います」
此の言葉を――「三位中将重衡卿」という言葉を――聞いて此の若侍は、身体中の血管に氷の寒気を感じた。平家の将軍であり、政治家であった重衡卿は、死んで塵土に帰してから三世紀を経て居る。そこで伊藤は突然、身の廻りの物凡ては――部屋も灯火も饗宴も――過去の一場の夢である、己が前の姿は人間で無くて、死んだ人間の影である事を知った。
が、つぎの瞬間にその氷の如き寒気は去ってしまった。蠱惑が帰って来て、身の廻りに深くなって行くようであった。少しも恐れを感じなかった。その新婦はヨミから――死の黄泉の場所から――彼へ遣って来たのであったのに、彼の心は全く奪われてしまって居たのであった。幽霊と結婚するものは、幽霊にならなければならぬ。――しかし、己が前のその美しい幻の額に、心痛の影でも齎らすような考えを、言葉なり顔色なりで、洩らすよりか死ぬる方が、一度で無く、幾度でも死ぬる方が、優しだという気になって居ることを知った。その捧ぐる愛情には、少しの疑いも有たなかった。優しからぬ目的があっての事ならば、騙して為した方がよかったろうにと考えると、その愛情が真実なことがうなづかれるのであった。が、そんな考えや思いは瞬時に消えてしまって、今、身の前に現れ来たって居る、その不思議な地位をそのまま受け入れて、寿永の昔、重衡の息女が自分を婿と選んだなら、自分が為したであろう通りに振舞おうと決心した。
「噫、あれは本当に残念なことで御座いました。重衡卿様の無残な御最期の事は聞いて居ります」と叫んだ。
老女は啜り泣きしながら、答えて言った。
「ええ、本当に無残な御最期で御座いました。御承知のとおり、乗っておいでになった馬が矢に当たって死んで、御主人の上へ倒れました。声を上げて助けをお求めになりましたが、それまで御恩に暮して居た者共は、危急の際であるのに見棄てて逃げてしまいました。それから俘囚になって、鎌倉へ送られになりましたが、鎌倉では誠に人を侮った取扱いをして、そして到頭、世に亡い人にしてしまいました【原註一】。奥方と御子――此処に居られます此の娘子――とはその時、身を隠して居られました。到る処、平家の者を探して殺したからで御座います。重衡様のお没れの音信が着きますと、母人には心の痛みに堪えかね、その為めこの御子さんが、――血縁の方々はいずれもお没れになるか、姿をお隠しになるかしまして、――私のほか誰一人御世話申し上げる人も無く、御残りになったので御座います。その時はやっと五歳になられていました。来る年も来る年も、此処から其処へと、巡礼姿で旅してさまよいました。……が、そんな悲しい話は今は折を得ませぬ」と涙を押し拭いながら、その乳母は叫んだ。
「昔が忘れられない年寄り女の愚かな心を御許し下さいませ。御覧なさいませ、私がお育て申した、その小さな娘子が本当に、今は姫君様におなりになりました。――高倉天皇の結構な御世に暮して居ますれば、この方にどんな身の運命が除けて置いてあることで御座いましょう! では御座いますが、自分の好きな夫をお持ちになりました。それが一番のお仕合せで御座います。……が、時刻が更けました。合卺のお床の用意は出来て居ります。朝までは身のお世話を御二人御互いに御任せ申し上げなければなりません」
老女は立ち上って、客間と次の部屋とを分かつ襖を押し開け、二人をその寝間へ案内した。それから幾度も喜びと祝いの言葉を述べてさがったので、伊藤は新婦と二人きりになった。
一緒に臥せりながら、伊藤はこう云った。
「あなたが私を夫に有とうと始めてお思いになったのは、何時のことで御座いますか」
(万事が如何にも、真実らしく見えるので、自分の身の廻りに編まれて居る、この幻のことを殆んど、考えなくなったからである)
女は鳩の啼くような声で答えた。
「我が君様、私が始めてあなた様に、御目にかかりましたのは、私の乳母と一緒に参りました、石山寺で御座いました。あなた様に御目にかかったばっかりに、その時その折からこの世が、私には全く変ってしまいました。が、あなたは御覚えになって居りません。二人が出会ったのはこの世、あなた様の今の世ではなかったので御座いますから。ずっとずっと昔のことで御座いました。その時からあなた様は、幾度も死んだり、生れたりなされて、幾度も美しい身をお有ちになりました。が、私はいつも、今、私を御覧のままで居りました。あなた様を夫にとの強い願いを掛けたばっかりに、別な身体に生れることも、別な境涯の者に生れ変わることも出来なかったので御座います。我が君様、私は人間の世の幾代を、あなた様をお待ち致して居たので御座います」
ところが、この花婿はこんな不思議な言葉を聞いても、少しも恐ろしくは思わずに、一生涯、来たらん幾生涯凡てに、その女の腕を自分の身の廻りに感じ、その女の愛撫の声を耳にすることより他の事は何も欲しなかった。
しかし、寺の鐘の響きが夜の明けたことを報じた。鳥が囀り始め、朝の微風が木々を囁かせた。突然、かの年寄りの乳母が、寝間の襖を明け放って大声で、
「お別れになる時刻で御座います。日の目に合うて一緒に御出でになってはなりません、一刻も。お身の破滅で御座います! 互いに暇乞いをなさらなければなりません」
一言も云わずに伊藤は、すぐにも帰ろうとした。今、聴いた警戒の意味を朧気ながら悟って、身を全く運命に任せた。自分の意志はもはや、自分のものでは無かった。ただ、その影の如き新婦の心を悦ばせようと望むばかりであった。
新婦は珍らしい彫刻のある、小さな硯を則助の手に置いてこう云った。
「あなた様は学者であらせられますから、この小さな贈り物も、お蔑みはなさるまいと思います。これは高倉天皇の御意によって、私の父が拝領致しましたお品で、古う御座いますから、妙な恰好を致して居ります。父が拝領したものというだけの理由で、私は大切に致して居りました」
伊藤はその返しに、自分の刀の笄を記念として受け取るように乞うた。その笄は、梅に鶯の模様を、金銀の象眼で飾ってあった。
それから例の小さな宮仕が、庭の外へ案内にやって来て、新婦とその乳母とは、家の入口まで一緒に来た。
階段の下で振り返って別れの辞儀をしようとすると、その老女はこう言った。
「このつぎの亥の年に、あなたが此処へおいでになったと、同じ月の同じ日の同じ時刻にまた、お会い致しましょう。今年は寅の年でありますから、あなたは十年、お待ちにならなければなりません。が、申し上げられない色々の理由がありまして、此処では又、御目にかかることは出来ません。私共は京都の近所の、高倉天皇様や私共の祖先や、私共に仕えているものが、多勢住まって居る処へ行こうと思って居ります。平家の者は皆、あなたがお越しになると悦びましょう。御約束致しましたその日に、籠をお迎いに差し上げます」
伊藤が門を出た時には、村の上に星が輝いて居た。が、往還へ達すると、森閑とした幾哩の野の向うに、黎明の空が明るくなりつつあるのが見えた。懐に新婦の贈り物を納れて居た。その声の魅惑が、耳に残って居た――そしてそれにも拘らず、不審の手指で触わって見て居る、その形見の品が無かったなら、夜前の思い出は眠りの思い出である、自分の生命はまだ自分のものである、と信ずることが出来たであろう。
だが、自分の身を確かに運命づけたのだという確信は、少しも遺憾の念を起こさなかった。ただ、別れの苦しみと、その幻が、自分に再び繰り返さるるまでに過ごさなければならぬ春秋の思いとに心を悩ますだけであった。十年!――その十年の毎日毎日が、どんなに長く思えることであろう! その手間取りの神秘は、これを解くことを望み得なかった。死者の秘密な慣習はただ、神だけが知っておいでになるのである。
幾度も幾度も、その独りの散歩の折、伊藤は、過去を今一目見たいものと、朧気の希望を抱いて、琴引山のその村を訪ねた。だが、二度と、夜も昼も、その暗い小路にあった田舎風な門を見つけることは出来なかった。また、夕焼けに独り歩いて居る、あの小さな宮仕の姿を二度と見ることは出来なかった。
村の人達は、在りもせぬ家のことを、丁寧に訊ねるものだから、誑かされて居るのだと思った。高位の方で、この村に今まで住まって居られた方は一人も無い、と言うのであった。その近所に彼が話すような、そんな庭は一つもそれまであったことは無いと言う。が、その云う場所の近くに、大きな寺が一宇あったことがある。その墓地の石碑で、今でも見ることの出来るのが少し残って居ると言う。伊藤は茂った藪の中に、村人のいう墓碑を発見した。古風な支那型のもので、苔や地衣に蔽われて居た。それに刻んである文字は、もはや判読することが出来なかった。
自分が遭遇したかの不思議な事件に就いては、伊藤は何人にも語らなかった。が、その友人や近親は、その容貌も様子も非常に変ったことをすぐに認めた。医者は身体には何の病気も無いと明言したけれども、日一日と青くなり、また痩せて来るようで、顔付は幽霊のよう、起ち居振舞いは影のようであった。もともと、いつも物を考え込んで、独りで居たのであるが、この頃は以前に彼が面白がった事のどれにも――それで名を成そうと希望することの出来た、あの文学の研究にも冷淡になったように思われた。その母に――結婚させたなら、その前の野心を鼓舞するかも知れぬ。その人生の興味を復活するかも知れぬ、と母は考えたから――自分は生きて居る女とは結婚しないという約束をしたと話した。かくして歳月は足を引きずるように経って行った。
到頭、亥の年が来、秋の季節が来た。が、伊藤にはその好きな独りでの散歩が最早出来なかった。床から起きることさえ出来なかった。誰もその原因を推測することは出来なかったけれども、その生命の潮は次第に引いて行って、その眠りをしばしば死と間違えるほど、それ程深く、また長く眠った。
そんな眠りから、ある晴れやかな夕暮れ、子供の声に目覚まされた。すると今は消えて無いあの庭の門へ、十年前に案内してくれた、あの小さな宮仕が床の横に居るのが見えた。その子は辞儀をして、にこりと笑って、そしてこう言った。「京都近くの大原へ、其処に今度のお家がありますが、それへ今夜あなた様を御迎い致しますということ、御籠がお迎いに来て居りますということ、それをあなた様に申し上げるようにと云い付かりました」そして、その子は姿を消した。
伊藤は、自分が日の光りの見えぬ処へ招かれるのであることを知った。しかし、その伝言が余りに嬉しかったので、起き上ってその母を傍へ呼ぶほどの元気が出た。母へその時始めて自分の新婦の話を聞かせて、貰った硯を見せた。自分の棺の中へ納めて下さいと頼んで――そして、やがて死んだ。
その硯は彼と共に埋められた。が、葬式前にこの道の人が調べて見て、それは承安年間(紀元一一七一-一一七五)に造られたもので、それには高倉天皇の時代に居た、ある工人の刻印があると言った。
原註一 重衡は当時タイラ(即ちヘイケ)方がしていた――都の防御に勇しく戦った後、ミナモトの軍勢の、義経に襲われて敗れた。家長という、弓に熟練な侍が重衡の馬を射倒して重衡は、悶えもがくその馬の下敷きになった。ある供の者に換え馬を連れ来るよう叫んだが、その男は逃げて行った。それから重衝は家長に捕えられ、しまいに頼朝のところへ送られた。頼朝というのは源家の首長で、重衡を籠で鎌倉へ送らせたのである。鎌倉では色々屈辱を受けてから、――詩を詠んで残酷な頼朝の心すら感動せしめ得て――一時は斟酌した待遇を蒙った。しかしその翌年、嘗て清盛の命によって、南都の僧と戦ったことがあるので、その南都の僧の乞いによって処刑された。