私は一八XX年に豊かな家に生まれ、その上、才能豊かで、生まれながらにして勤勉で、仲間の中でも賢明で善良な人々と交わることを好んだ。そして容易に想像できるだろうが、名誉ある傑出した将来を保証されていた。ただ私の欠点のうちの最も悪いものは、楽しいことを我慢できない性向であった。多くの人にとっては幸福なことになったのだろうが、私にとって高慢にふるまい、大衆の前では尊大な物腰をとりたいという傲慢な望みとは、とうてい調和しないものだった。従って私は楽しみを封印することとなった。そして反省できるような年頃になり、周囲の状況をみて、世間での自分の出世と地位をよく考えるようになると、完全な二重生活を送るようになってしまったのだ。多くの人が私が罪だと思っていたような不法行為を誇りにさえ思うだろうことはわかっていたが、自分に定めた高い見地からは、私はほとんど病的なほどの恥を感じ、それを隠蔽した。そうなったのは、欠点である退廃ゆえというよりは、むしろ大志をいだいたせいだった。そして私には大衆よりも深い溝があり、善と悪の領域がはっきりわかれていた。私は二つの面から成り立っていたのだ。この場合も、私はこれほど過酷な人生の法則についてより深く、深刻に考えなければならなかった。その法則は、宗教の根本であり、どんどん苦悩が湧き出る源泉の一つでもある。私は心底からの二重人格者だったが、決して偽善者ではなかった。善悪両面で私は真剣だったのだ。私は昼間で人の目があるときに、知識を追求して、悲しんでいるものや苦しんでいるものを救うことに一生懸命なときと同じくらい、自制心を横に置いておいて恥さらしなことに浸っているときも、いずれも自分自身だった。たまたま私の科学上の探求が魔術的な異常なことへと向かっていたことが、私の絶え間ない善悪の争いの意識に再び強い光をあてたのだった。毎日、知性におけるモラルと知能の両面から、ただ真実へと着実に向かっていたのだ。その真理の中途半端な解明によって、私はあのような恐ろしい身の破滅を招いてしまったのだ。つまり人間とは実際は一つではなく、二つであるということである。私は二つといいたい。というのは、私の知識ではそこまでしか解明できないのだ。後に続くものがいるだろう、同じ道を歩み私を凌駕していくものがあるだろう。私はあえて推測したい。人類とはつまるところ、多種多様で、不調和で、独立した生き物の集合体であるのだと。私は、自分の人生においては、一つの方向をわき目もふらず進んでいた。一つの方向へだけである。モラルの面や自分自身としては、人間には完全に根源的に二面性があるということを学びつつあった。そして私の意識の領域で二つの性質が争っていて、たとえ私がどちらであるかとはっきり言えたとしても、それはもともと二つの性質があるというだけのことなのである。そして若い頃から、科学上の発見をする前から、次のような奇跡を実現する可能性の原型をもちはじめたのだ。私は楽しみながら、白昼夢を愛するように、その二つの要素の分離という考えにひたるようになった。私は自問自答した。それぞれの要素が分けられれば、人生からは耐えがたいものが取り除かれることになるだろう。大志から自由になった悪はやりたい放題で、良心に悩まされることもないだろう。善は着実に、まっすぐ向上する道を歩めるだろう。善をなし、それに喜びを感じ、もはや外からの悪の手によって屈辱や悔恨にさらされることもない。不調和な二つが一つの束にならざるをえないこと、悩める意識のなかでこの正反対の二つがいつも争いあっていることはまさしく人類にかけられた呪いである。どうやったらその二つを分離することができるのだろう?
ここまでは、語ってきたように、頭の中だけで考えてきたことだったが、研究室のテーブルからこの問題に一筋の光明が見出されたのだ。私は今までに言明されていた以上に、以下の事実を深く悟り始めた。つまり非現実性について、私たちがまとっているこの確固たるように見える肉体のかすみのようなはかなさについて。まるで風がテントの屋根幕をふきとばすかのように、あるものには肉体という外衣をゆさぶり、はぐ力があることが分かったのである。二つの理由で、この告白では科学的な枝葉に深く入っていかないようにしようと思う。一つは、人生の運命や重荷は永遠に人の肩に背負わされたものであり、この試みがその運命や重荷を人類の肩から下ろしたとしても、より見慣れない恐ろしい重圧がその肩にかかってくるに違いないということを学んできたからである。もう一つには、私の告白が明らかにするだろうが、あぁ! 明らかに、私の発見は不完全なものだったのだ。私は、自分の肉体が、魂を作り上げているある種の力のオーラや光であることを分かっていただけではなく、ある種の薬を混ぜあわせることで、それらの力による支配をしりぞけ、それに替わる第二の姿形、つまり私の魂の劣る部分をよせあつめ、烙印が押されていて、私であることは疑いのない姿形をつくりあげることができたのだ。
私はその理論を実践するまでは、長いこと躊躇した。私には死の危険があることもよく分かっていた。アイデンティティの堅固な殻に効き目があり、それをゆさぶるような薬は、少なくとも飲みすぎる危険や効果が出るわずかな時間のずれでも、私が変化させようとしている霊魂がやどる肉体を完全に破壊してしまうかもしれないのだ。しかし発見の誘惑が並外れており、心からのものだったので、とうとう数々の警告を乗り越えてしまった。私はチンキ剤はずっと前に用意していたので、実験で最後に必要な成分と分かっていたある種の塩を大量に、薬の卸しからすぐさま購入した。そしてあの呪わしい夜に、それらを混ぜて、沸騰させ、容器の中で煙となるのを見守って、沸騰がおさまったときに勇気をふりしぼり、その薬を飲みほした。
激痛が体をはしり、骨はきしみ、吐き気がして、生まれたり死んだりするときにも劣らない精神の恐怖が訪れた。それからそういう苦痛はだんだんやわらいでいき、まるで大病が治ったときのようだった。気持ちの中では、なにか奇妙な、上手くいえない新しい、今まで味わったことのないとても甘美な感じがした。肉体的に若返ったような、体が軽くなったような、幸福感を味わったが、体の中ではどこか向こう見ずな、想像のなかでみだらなイメージが次から次へと水路を流れるように無秩序に流れていき、義務の束縛から解き放たれた感じ、今まで味わったことのないただ純白とはいえない魂の自由を感じた。私はこの新しい人生の最初の一呼吸から、より邪悪な、十倍も邪悪になり、悪へとわが身を売り渡してしまったのだ。そのときの思いは、ワインのように私を奮い立たせ、喜ばせたのである。私は両手を広げ、その新たな感覚に小おどりするばかりだった。そしてその場で、突然私は背丈が低くなっていることに気づいたのだ。
そのときには、私の部屋には、私がこれを書いているときは私の横にある鏡はなかった。それは後になって、その変化を見る目的で運び込まれたのだ。しかしながら、もうほとんど朝になっていて、暗いことには暗いが、ほとんど夜明け間近だった。家の召使たちは、すっかり眠り込んでいる時間帯だったので、私は希望と勝利で浮かれていて、新しい姿で寝室まで行ってみようと思い立ったのである。私は庭を横切り、星座も私を見おろしながら、寝ずの番をしていて初めてお目にかかるような生き物を驚いて見守っていることだろうと思わずにはいられなかった。私はこっそり通廊を歩き、自分の家にいながらにしてまるっきりの他人だった。自分の部屋まで来て、初めてエドワード・ハイドの姿を目にしたのだった。
ここでは理論面についてのみ話したい。それは私が知っているわけではないが、たぶんまさしくそうだろうと思っていることである。私の中の薬によって得た悪とは、私の中からなくなってしまった善よりは弱かったし、発達もしていなかった。また、私の人生では、結局十分の九は努力と美徳と節制だったのだから、悪は鍛えられておらず、消耗も少なかったわけだ。従って、私が思うに、それがエドワード・ハイドがヘンリー・ジキルより小さく、やせていて、若かった理由だろう。ジキルの態度には善が輝いているのに対して、ハイドの顔には悪がありありと大きく書かれていた。その上、悪は(私はいまだにこれが人間を滅ぼすものだと信じているが)その肉体においても奇形と衰弱がはっきりみてとれた。ただその醜悪な姿を鏡で眺めていても、嫌悪を感じるどころか、大歓迎で小おどりしたいくらいのものだったのだ。これも私自身なのだ。それは自然であって、人間味が感じられた。私の目には、精神の躍動する姿が感じられ、いままで自分だと思っていた不完全で分裂した態度よりも、ずっとはっきりしていてひたむきに思われた。そしてここまでは、私は確かに正しかった。私がエドワード・ハイドの外見をかりていると、はじめて知り合いになる人はみな、明らかにその肉体に不安を感じるようであることを気づいたのだ。私が思うに、その理由は、私たちが出会うような全ての人間というものは、善と悪が混合したものなのに、エドワード・ハイドが、人類でただ一人だけ、純粋な悪であるからだと思われた。
私はほんの少し鏡の前にいただけだった。まだ、第二の最終的な実験をしなければならなかったのだ。私は自分を失ってどうすることもできなく、もはや自分のものではないこの家から、昼になる前に逃げ出さなければならないのかを確認しなければならなかった。そして急いで書斎にもどって、もう一度準備をして薬を飲んだ。すると、また体がばらばらになるような激痛がはしり、ヘンリー・ジキルの性格と背丈と顔にもどったのだ。
その夜に私は決定的な十字路にさしかかったのだ。もし私が自分の発見をより崇高な精神のもとに取り扱っていたなら、もし私がその実験を、心の広い純粋な大志のもとに行っていたら、全ては異なった様相をみせていただろう。そしてこのような死か生まれてくるときのような苦しみから、私は悪魔ではなく、天使として姿を現すことができただろう。薬にはなんら識別する効果があるわけではなかった。つまりそれは、悪魔でもなければ天使でもなかったのだ。その薬は私のある性格を閉じ込めている部屋のドアを揺さぶるだけのもので、ピリピの囚人(使徒パウロとシラスは、マケドニアのピリピで捕らえられ、獄に入れられた。その夜、大地震が起こり、獄は崩れ、囚人の鎖は切れたとの新訳聖書の記述から)のように、閉じ込められていたものが走りだしたのである。そこで、私の善が眠りにおち、野望のために目をさましていた私の悪は、めざとく迅速に機会をつかんだというわけだ。そしてその結果生まれたのが、エドワード・ハイドだった。したがって、私は二つの外見と二つの性格をもっていたのだが、一つは完全なる悪で、もう一つはいままでのヘンリー・ジキル、つまり私がすでに絶望してしまった矯正と改善の不調和な混合体だった。そして事態は、悪化の一途をたどったのである。
当時でさえ、私は学究生活の無味乾燥なことに嫌悪をいだくことをやめられなかった。ときどき楽しくやりたいという気分になるのだった。そして私の楽しみとは(ひかえめに言っても)顔にどろをぬるようなもので、私は著名であったばかりでなく、評判がよかったために、いい年だというのに、このように生活が支離滅裂であることが日々うとましくなっていった。私の新しい力が私を誘惑し、私が隷属してしまったのもこのためである。私は薬を飲むだけで、すぐに著名な教授の肉体を脱ぎ捨て、外套でも羽織るように、エドワード・ハイドの体をかりることができた。私はこの考えにほくそえんだ。当時の私はこっけいなことくらいに思っていたのである。そして私は用意周到に準備を整えた。ハイドが警官に跡をつけられたあのソーホーの家を手に入れて、家具を買い揃え、家政婦には無口で遠慮をしらないことがよくわかっているものを雇い入れた。召使たちには、ハイド氏が(どんな人物かを説明して)私の家では好き勝手にふるまっていいことを申し渡した。そして事故をさけるために、私はハイドの姿で家をたずね、その姿形に慣れさせることまでしたのである。そして次には君があれほど異議を唱えた遺書をつくりあげた。そうすることで、私はジキル博士となっているときに何が起こっても、エドワード・ハイドとして何事もなかったように生活をつづけていけるようになった。私はできうるかぎりあらゆる方面に気を配り、自分の立場がもたらす奇妙な自由さを利用しはじめた。
暴漢をやとって犯罪を犯し、自分自身は影にかくれて身の安全と名誉をまもったものはたくさんいた。ただ、自分の楽しみのためだけにそうしたのは私が始めてだっただろう。私は公衆の面前では温かい尊敬の念の重荷を背負いゆっくり歩みながら、あるときには、子供のように、それらの借り物をすっかり脱ぎ捨て、一目散に自由の大海に飛び込むのだった。しかも私は、外からは見通すことのできない外套をはおり、絶対に安全なのだ。考えてもみたまえ、私は存在さえしないのだ! 研究室の中に逃げ込みさえすれば、そして一秒や二秒の時間の猶予があって、常に用意してあった薬をまぜて飲みほせば、何をしでかしても、エドワード・ハイドは鏡に息をふきかけてできる曇りのように、消え去ってしまうのだ。そして家でゆっくりくつろぎ、書斎でランプをみがきながら、かけられた嫌疑を笑い飛ばす余裕のあるヘンリー・ジキルとなるのだった。
私が姿を変えてまで性急に追い求めた喜びは、前にも言ったとおり、面汚しのものだった。私としてはこれ以上の言葉は使いたくないが、エドワード・ハイドの手にかかると、その喜びはすぐにぞっとするようなものへと向かってしまうのだった。その快楽から帰ってくると、私はハイドの犯した堕落を思って、驚きのあまり立ちすくんでしまうこともたびたびだった。私の魂からよびだされ、自己の快楽のみを追求しようと遣わしたやつは、はじめから悪意に満ちていて、極悪非道だった。やることなすこと、考えることまで自己中心だった。他人へあらゆる苦しみを与えることで、獣のように貪欲に快楽をむさぼり、石でできた男のように冷酷だった。ヘンリー・ジキルは、エドワード・ハイドの行為の前ではあっけにとられ立ちすくむこともしばしばだったが、普通の法律ではどうにできるものでもなく、知らず知らずのうちに良心の手綱をゆるめることとなるのだった。結局悪いのはハイドであり、ハイドだけだった。ジキルは悪くなったわけではなく、朝起きるときはちっとも悪くなっていないような善良な性質を取り戻しているのだった。可能なときには、ハイドが犯した罪を急いで償いさえした。ただこうしてジキルの良心は眠りつづけたのだ。
私が見て見ぬふりをしてきた恥ずべき行為の詳細については(今でさえ私はそれを私がやったことだと認めたくはないが)踏み入るつもりはない。ただ罰せられるときが近づいているという警告と、それにひきつづくことについて触れておくにとどめておこう。大したことにはならなかったが、ある事件に遭遇したことがあり、それについても簡単に述べておこう。子供に対する残虐なふるまいが、通りすがりの人を憤慨させたことがあった。私は別の機会にそれが君の親戚だと知ったのだが、医者や子供の家族も加勢して、命の危険さえ感じるほどだった。そして最後には、あまりに正当な憤慨をなだめるために、エドワード・ハイドはあのドアのところまでみんなをつれていき、ヘンリー・ジキルの名で振り出した小切手で償うことにしたのである。しかしその後は、別の銀行にエドワード・ハイド自身の名前で口座を開設したため、その危険には難なく終止符をうつことができた。そして自分の筆跡を傾けてそれをハイドのサインとし、自分は全く安全なところにいると思っていたのだ。
ダンバース卿殺人事件の二ヶ月ほど前に、私はいつもの冒険の一つにでかけ、夜もふけてから帰ってきた。次の日はなんだか奇妙な胸騒ぎのうちに目をさまし、あたりをみまわしたがなんということはなかった。高級な家具や自分の家の広い部屋が目に入ったが、なんということはなかった。ベッドのカーテンの柄やマホガニーのベッド枠の作りも見回したが、なんということはなかった。なにか自分のいる場所にいないような違和感がつきまとったのだ。自分がいると思っているところで目をさましていない、エドワード・ハイドの体で寝ているソーホーの小さい部屋にいるんだという感じがしたのである。私は微笑み、心をおちつけるようにゆったりとこの錯覚をもたらす一つ一つを検討しはじめた。そうしながらも、朝のまどろみのなかに沈みがちだったが。そうこうしているうちに、視界がはっきりしてきて、ふと自分の手をみた。ヘンリー・ジキルの手は(君もつねづねよく知っているように)形も大きさも職業柄、おおきくて、がっしりして、白く美しい手だった。しかし私がベッドに半分くるまりながら、ロンドンの中心街での朝の光のなかでみた手は、明らかに、貧弱な筋ばった、ごつごつとした肌の色が黒い、毛むくじゃらの手で、それはエドワード・ハイドの手だった。
私は、三十秒あまりもその手を見つめていたに違いない。私はただ呆然としてしまったが、シンバルでも叩かれたように急におどろいて恐怖が胸にこみあげてきた。そしてベッドからはねおきると、鏡の前へと突進した。そこで自分の目で見たときに、全身の血がさっと引き凍りついた。そう、私はヘンリー・ジキルとしてベッドに入ったのに、エドワード・ハイドとして目覚めたのだ。これはどう説明がつくというのだろうか? 私は自問自答した。それから、新たな恐怖がこみあげてきた。どうやって元の姿に戻ったらいいのだろうか? もうすっかり朝になっていて、召使たちも起きていた。薬はすべて書斎にある。この恐怖で立ちすくんでいる場所からは遠いところだ。二つ階段をおりて、裏の通路を通って、中庭をぬけ、階段教室を通っていかなければならない。確かに、顔は隠せるかもしれない。でも背丈の変化はどうやっても隠すことはできそうにない。ただそのとき、召使たちはすでにハイドの姿で出入りするのに慣れていることを思い起こして、ほっと胸をなでおろした。できるかぎり早くジキルの背丈にあう服に着替えると、家をぬけていったが、ブラッドショーがこんな時間にそんな場所でそんな奇妙な服装のハイドをみて驚いて隠れてしまった。そして十分後には、ジキル博士の元の姿にもどって、眉をひそめ、朝食をたべるふりをしながら椅子にこしかけていた。
じっさい食欲はほとんどなかった。この説明のつかないできごとは、今までの経験をうらぎるもので、バビロンの人が壁に指で書いたように、私の審判をつづっているようにも思われた。そして私はこの二つの姿がもたらす問題と可能性について、以前よりずっと真剣に検討しはじめた。自分が作り出したこの姿は、最近とみに鍛えられ、よく育つようになった。最近私はこう感じるようになった。まるでエドワード・ハイドの背丈がのび、血の流れも豊かになっているのを(ハイドの姿をかりているときに)自分で意識しているように思われたのだ。そして私は、もしこのようなことを続けていれば、二人のバランスは永遠にくずれてしまって、自由に姿を変える力もなくなり、エドワード・ハイドがすっかり私になってしまうのではないかという危険をうすうすと感じ始めていた。薬の効き目もいつも同じと言うわけでもなかった。つかいはじめてすぐの頃でさえ、一回姿が替わらないこともあった。それからというもの、私は一回ならずと薬を二倍飲まなければならなかった。あるときは、死の危険を冒してまでも、三倍の量を飲んだこともあった。従って、こうした薬の効き目がはっきりしないことだけが、私の満足感に一つの影を投げかけていた。しかしながら今や、この朝の光のなかでのできごとから、私は初めのうちはジキルの姿を捨て去るのが難しかったにも関わらず、最近はだんだんハイドの姿を捨てるのが難しくなってきたという結論に達した。ということは、全てはこの点に帰着しているように思われた。つまり私は徐々にだが、私自身を、つまり善の部分を失いつつあり、だんだんもう一人の悪の姿になっていっているということを。
この二つの姿のはざまで、私は選択しなければならなかった。私の二つの姿において、記憶は共有されていた。しかし他のすべての能力はまったくばらばらに分かたれていた。ジキル(善と悪の混合体だが)は、心配しすぎるほど心配するかと思えば、貪欲に楽しみを求め、ハイドの楽しみや冒険を計画したり、分かち合うのだった。しかしハイドはジキルには無関心だった。というか、山賊が自分を隠してくれる洞窟を思うくらいにしか、ジキルのことを思っていなかった。ジキルは父親以上に関心をはらっていたが、ハイドは息子以上に無関心だった。ジキルと運命をともにすることは、私が長いあいだひそやかに楽しんで、最近は十分に満足していた欲望をあきらめることだった。ハイドと運命をともにするのは、多くの利益や大志をあきらめ、一挙に、そして永遠に見下され、友達を失うということだった。この取引は一見不つりあいに思えるかもしれないが、ここにはさらに考えなければならないことがあったのである。ジキルがひどく禁欲の炎にあぶられているというのに、ハイドはといえば自分が失ったものに気づきさえしないのである。私の置かれた状況は奇妙なものだったが、この論争の題材は人類にとっては古く、どこにでもあるような問題だった。これと同じ誘惑と警告が、誘惑に負けて罪におののく罪人の運命を決めるのである。そして私の場合も、たまたまその他多くの人と同じことになってしまった。つまり善を選び、それを守り通していく力が不足していたのだ。
たしかに、私は友達に囲まれ、正しい希望を胸にいだいて、年老いて不満をもっている医者になることを選んだ。つまりハイドの姿をかりて享受した自由に、私より若くなることに、軽やかな足取りに、そして高鳴る胸の鼓動に、秘密の喜びに決別したのだ。こうした選択をしながら、無意識のうちに留保していたのかもしれない。私はソーホーの家を引き払ったり、エドワード・ハイドの服を捨てたりはしなかった。服は書斎にしまいこんでいたのである。しかしながら二ヶ月のあいだ、私は決断に忠実だった。二ヶ月のあいだ、私は以前にもまして厳格な生活を送り、良心が満足するという報酬を得たのだ。しかし時がたつにつれ、警戒心もうすれてきた。良心の賛辞も当たり前のものとなりはじめていた。私は、まるでハイドが自由を求めているように、苦痛と渇望に苦しむようになっていた。そしてとうとう、モラルが弱くなったときに、私は再び姿をかえる薬を調合して飲みほしたのだ。
酔っ払いが自分の飲酒を正当化するときに、獣のように肉体がまひしてしまい、自分の犯す危険を五百回に一回も気にするとは思わない。自分の置かれている立場を十分に考慮したとはいえ、私も完全にモラルがまひして、悪へ即座にはしってしまうことを十分に考慮したとは思わない。それこそが、エドワード・ハイドの性格の主たるものだったにもかかわらずだ。しかしながら、そのために私は罰せられたのだった。私の悪魔はあまりに長く檻に閉じ込められていたので、叫び声をあげながらでてきた。薬を飲んだときでさえ、私は束縛からのがれたいという、怒りにみちた悪へ悪へと走る性向を感じていた。私が思うに、不幸な被害者の丁寧な言葉を聞いているときに、私の魂の中でいよいよ我慢できなかったのもこのために違いない。私は少なくとも、神を前にして断言できるが、モラルがある正常な人間ならほんの少し腹をたてたくらいで、あれほどの犯罪を犯せるはずがないということである。つまり私は、病気の子供がおもちゃを壊したのと同じくらいの何でもないことで、殴ったのだということだ。しかし私は、どんな悪党でも持っている誘惑のあいだをしっかりと歩きつづけるバランスをとる本能を、すべて自らなくしてしまった。だから私はどんなにささやかな誘惑でも、それに負けてしまったのである。
すぐに悪魔の魂が目をさまし、怒り狂った。喜びにわれを忘れて、私は無抵抗の体を打ちつけ、一発なぐるたびに喜びを感じた。そして疲れを感じるようになってはじめて、歓喜の発作の頂点で、私の胸に恐怖の戦慄が走った。霧がはれ、私は命を失うことがわかった。そして暴行の場面から逃げ出し、勝ち誇ると同時に打ち震えながら、悪の欲望が満足させられ刺激されることで、生を愛する気持ちが最高潮に高まった。私はソーホーの家へと急いだ、そして(二重の保証をかけて)書類を破棄した。それから街灯に照らされた街へと出て行った。心は分裂しながらも興奮し、自分の犯罪をほくそえみながら、考えなしに次におこす犯罪をもくろんだりする一方で、追っ手がかからないかと足をはやめ、どきどきもしていた。ハイドは薬を調合するときも鼻歌まじりで、飲むときには、死者に乾杯までした。姿を変えるさいの煩悶にまだ苦しんでいるときから、ヘンリー・ジキルは悔恨と良心がとがめ涙にくれていて、ひざまずき、神に祈って組んだ両手をさしのべた。私を包んでいた気ままなベールが、頭からつま先まで引き裂かれ、私は自分の人生全てを振り返った。父親と散歩をした子供のころから、仕事をしているときのこつこつとした働きぶりを、そして何回も何回も、まるで現実のことではないように、あの夜ののろわれた惨事へと行き着くのだった。できることなら泣き叫びたかった。私は、記憶が私にあびせかけてくる膨大なイメージと音に圧倒され、涙にくれ、神に祈った。そしてまだ嘆願しているあいだにも、私のなかの悪の醜い顔がじっと私の魂をみつめるのだった。この激しい悔恨の情が消えてなくなると、続いて喜びの感情が湧いてきた。私の行動における問題は、解決されたのだ。つまりハイドは二度と現れることはない。私が望もうと望むまいと、私は今や私の中の善に閉じ込められたのだ。あぁ、そう考えるのはどれほどうれしかったことだろう! どれほど自らの謙虚な気持ちで、私は再び人生に課された制約を甘受したことだろう! どれほど心から断念して、あれほど出入りしていたドアを閉め、かかとで鍵を踏みにじったことだろう!
次の日には、殺人者が目撃されたというニュースが耳に入った。ハイドの犯罪は世間に知れわたり、被害者の公的な地位は高かった。犯罪というだけではなく、痛ましい愚行であるということだった。私は、それを知りうれしく思った。自分の中の善への衝動が、絞首刑の恐怖によって支えられ、守られるのをうれしく思ったのだ。ジキルはいまや隠れ場所だった。ハイドが少しでも顔を覗かせるようなことがあれば、あらゆる人がよってたかって手をふりあげ、殺してしまうだろう。
私は、これからの行動をもって過去を償おうとした。そして正直に、私の償いがいくぶんはいい結果をもたらしたということを言い切れる。君も、昨年の数ヶ月は私がどんなに熱心だったかを知っているだろう。私は苦しみを和らげるために骨折った。私が人のために多くを為したことを君も知っているだろう。そして日々は平穏にすぎ、私自身も幸せだった。確かに私は、この善をほどこす汚れなき生活にうんざりすることはなかった。それどころか、心の底からその生活を楽しんだくらいである。ただ私はまだ意思が二つに分かれていることに苦しんでいた。最初の悔恨のするどい痛みが薄れてくると、私の中の下劣な部分が、あまりに長く野放しにしておいて、最近束縛したものが、自由をもとめて唸り声を発しはじめたのである。私は、ハイドの復活は夢にも思わなかった。そんなことを考えただけで、驚いて頭に血がのぼってしまっただろう。私の中で、良心をかるがるしく扱うように再び誘惑されたのだ。普通の隠れた犯罪者のように、私はついに誘惑に屈してしまったのだ。
全てのことには終わりがある。大きなはかりもついには一杯になる。そして悪へと少し気を許したために、とうとう魂のバランスが崩れてしまったのだ。しかも私はそれに気づきもしなかった。堕落も、発見をする前の当時にもどっただけで、自然のようなことに思われたのだ。快晴の、一月のある日のことで、足元は霜がとけてぬれていた。しかし頭上には雲ひとつなく、リージェント公園はあたり一面、冬の鳥がさえずり、春の甘い香りがした。私は日光がさんさんと注ぐベンチに座り、私のなかの獣は思い出に舌なめずりをしていた。精神的な面では、その後には後悔する事がわかっていながら、まだまどろみ動きだしていなかった。結局、私は他の人と同じなんだと思った。それから、自分のことを他の人たちと、善意をもって活動している自分と、無関心で怠けて残酷な人をくらべて微笑んだ。こんなおごりたかぶった考えにひたっていたちょうどその時、胸がむかつきだし、へどがでるほどの嫌悪感とたえられないほどの震えにおそわれた。それが終ると、私は気をうしなった。それから正気に帰ると、考え方に変化がみられ、より大胆になり危険を軽視し、義務を無視しはじめたことに気づいた。私は目を下ろした。すると手足では服がだらんとぶらさがり、手は膝の上だったが、筋ばって毛むくじゃらだった。私は再びエドワード・ハイドになっていたのだ。少し前までは私は問題なく世間の尊敬をうけ、豊かで、敬愛をうけていて、家の食堂では私用にテーブルクロスが用意されていたのだ。それなのに今や、私はみんなに狙われ、追跡され、家もなく、お尋ね者の殺人者で、絞首台にしばりつけられているのだ。
私の理性は揺れ動いたが、かといって全くなくなってしまったわけではない。私は一度ならず、ハイドの姿になっているときは、私の能力がとぎすまされ、精神はより張りつめながらも柔軟さを保つのであった。したがってたぶんジキルが屈服するようなときでも、ハイドはその重大なときに臨機応変に対処できるのだった。薬は書斎の棚の一つにあった。どうやってそれを手に入れればいいのだろうか? それこそ私自身で解決しなければならない(頭がわれんばかりにこめかみに両手をあてた)問題だった。もし私がこっそり家にしのびこもうとしても、私の家の召使たちが私を絞首刑にするだろう。他の手段を講じなければならないのは明らかだった。そしてラニョンのことを思いついた。どうやってラニョンのところまで行けばいいのだろうか? どうやって説得すればいいだろう? 仮に街なかで捕まることは避けえたとしても、どうやって彼と会ったらいいのだろうか? そしてどうやって私が、面識のない不快な訪問者が、著名な医者にその同僚であるジキル博士の書斎を探ることを説き伏せることができるだろうか? それから自分本来の人格が、一つだけ、私に残されているかを思い出した。私には筆跡があったのだ。そしてぱっとひらめいて、次にとるべき道が何から何まで明らかになった。
そこで、できるだけ服装をきちんとすると、馬車をよんで、ポートランド街のホテルまでやってもらった。そのホテルの名前をたまたま覚えていたのだ。私の姿をみると(それは十分こっけいなものだったが、その下にはどれほど悲劇的な運命が隠されていたことだろう)御者は笑いを隠そうともしなかった。私は悪魔のような怒りにとっさにおそわれ、歯ぎしりしたが、微笑が御者の顔から消え、それは御者にとって幸運だったのと同時に、私にとってはさらに幸運なことだった。私はもう少しのところで、確実にその男を御者台からひきずりおろしただろうから。ホテルに入って行き、従業員がふるえあがるようなすごい形相であたりを見回したので、彼らは私とは視線を交わそうとはしなかった。しかし私の注文をこびへつらうように聞くと、部屋へと案内し、書き物に必要なものを持ってきてくれた。ハイドは生命の危機がせまっていると、人がかわったようになった。これまでにないような怒りにうちふるえ、はりつめて人殺しも辞さないようで、苦痛を与えることを切望していた。しかしながら抜け目もなかった。強い意志の力で怒りをおさえ、二通の手紙を、一通はラニョンに、一通はプールへと書き上げた。そしてきちんと配達されたことがわかるように、書留でだすようにしたのである。
それ以降は、一日中部屋の暖炉のそばに腰をおろし、つめをかんでいた。夕食も一人きりで、恐怖にうちふるえながら部屋でとり、給仕も見るからにハイドの前ではおじけづいていた。それからすっかり夜になると、宿をでて、閉めきった馬車の片隅に身をよせ、街をあちらへこちらへと流した。彼は、と私はいいたい、私は、とはとてもいえない。悪魔の申し子は人間ではなかった。その男にあるのは、恐れと憎悪だけだった。そしてついに、御者があやしみはじめたと考えると、馬車をおりて歩くことにした。寸法のあわない服をきて、目立つこともおそれずに雑踏の中にまぎれこんでいったが、彼の中では二つの感情が嵐のように吹き荒れていた。足早に歩いたが、恐れに駆り立てられ、ぶつぶつ何事かをつぶやき、より人通りの少ない通りをこそこそと、真夜中までの時間を確認しながら歩いた。
一度一人の女が彼にはなしかけてきた。私が思うには、マッチ箱でも売りつけようとしたのだろうが、彼は女の顔を殴りつけ、女はすぐに逃げていった。
ラニョンのところで自分をとりもどしたときに、たぶん友人の恐怖を思ってなにかを感じたはずだが、私は覚えていない。しかしその恐怖は、その前の時間を振り返るときの私の嫌悪とくらべれば、少なくとも大海に一滴をたらすようなものであった。私の心は一変した。私をかりたてるのは、もはや絞首台の恐怖ではなく、ハイドになることの恐怖だった。ラニョンの非難も夢心地だったし、自分の家にかえってベッドに入るのも夢心地だった。その日は疲れはて、ぐっすりと深く眠り込んで、私を苦しめる悪夢でさえその眠りをさますことはできなかった。朝でもつかれはて、力がぬけた状態で目をさましたが、気分はさわやかだった。私は自分のなかにある獣のことを考えると憎しみや恐れをいだいたが、もちろん前日のぞっとするような危険のことは、忘れようとしても忘れられなかった。しかし再び自分の家の部屋にもどり、薬も近くにあった。無事に逃げて帰れたことで、心は希望の光にてらされるのと同じくらい強く輝くのだった。
朝食後に私はリラックスして庭を歩いていた。ひんやりした空気を楽しんでいると、ふたたびあの変化のさきがけの何とも言いようがない感覚におそわれた。そして書斎まで逃げて帰ってくるだけの時間しかなく、私は再びハイドの激情にかられ、怒りにおそわれ同時にぞっとする思いだった。自分にもどるには、二倍の量の薬をのまなければならなかった。そしてなんてことだろうか! 六時間後には、暖炉の側にさびしげに座っていると、激痛がもどってきて、薬をまた飲まなければならなかった。つまり、その日から体の鍛錬をしているような非常な努力をしているときか、薬の効き目があるときだけ、ジキルの姿でいることができるのだった。昼も夜も、私は変化の前ぶれのぞっとするような気分に襲われた。結局、眠るか、椅子でちょっとうたたねをしただけでも、目覚めるといつもハイドになっていた。このような絶えずおしよせてくる不幸な運命と、自分自身に宣告された不眠によって、私は人間にはできる限界を越えていたと思うが、ジキルの姿をしていても、消耗しつくし熱にうなされ、体も心も気力がなくなり弱ってしまった。そして一つの考えだけが頭を離れなかった。もう一人の自分に対する恐怖である。寝ているときや、薬の効き目がなくなると、私は変化の過程なしに(というのは、変化の痛みは日々和らいでいったので)恐怖があふれている幻想をもち、理由なき憎悪ににえくりかえる、しかしそのような怒り狂うエネルギーを抱え込むには弱すぎるように思われる肉体を持つに至るのである。ハイドの力は、ジキルが弱るにつれてだんだん強くなっていくように思われた。そして確かに二人を分かつお互いへの嫌悪は、双方にあった。ジキルの嫌悪は、生命の本能からのものだった。ジキルは自分と意識をいろいろ共有するハイドが完全に奇形であることをわかっていた。そして彼とは死ぬまで一緒なのだ。このもっとも苦悩の中心であるつながりは別としても、ジキルが思うにはハイドは、その旺盛な生命力にもかかわらず、どこか不快なだけでなく人間らしくないところがあった。これはショッキングなことがらだった。地獄からの粘土が叫び声をあげ、話すのだ。形のないチリが集まって身振り手振りをし、罪をおかすのだ。死んで、形がないものが、命がなすことを侵害しているのだ。そしてこれがまた、このおしよせる恐怖が妻よりも、自分の目よりも分かちがたく自分にむすびつけられている。肉体にとじこめられ、つぶやく声がききとれ、生まれ出ずる苦しみを感じるのだ。弱くなるのをいつもみはり、眠っているすきに乗じて、ジキルを圧倒し、命を奪おうとする。ハイドのジキルへの反感は、これとは違ったものだった。ハイドは絞首刑の恐怖につねにかりたてられ、発作的に自殺しようとして、一人の人間ではなく、従属的な立場にいることに立ち返るのだ。しかしそうしなければならないことを嫌い、またジキルとのあいだの従属関係を嫌い、またジキルが自分を憎んでいることに腹をたてた。よってサルのようなトリックを私にしかけ、私の筆跡で本のページに冒涜するようなことを走り書きしたり、手紙をやいたり、父親の肖像画を破棄したりした。そして実際に死の恐怖がなかったなら、ずっと前に私を破滅にまきこむために自殺していただろう。しかしハイドは生きることを驚くほど愛しており、もっと言えば、ハイドのことを考えるだけでむかむかして寒気がする私だが、その卑劣さと生への執着の情熱を振りかえり、自殺でハイドとの関係を断ち切ろうとする私の力をどれほど恐れているかを知ったときは、心の底から彼に対する哀れみの念を禁じえなかった。
この説明をこれ以上つづけても意味がない、というか私には時間の余裕も残されていない。こんな苦しみを味わったものはいまだかつていないということで、十分だろう。しかしながらこのようなことに対しても習慣は、いや、決して苦しみを和らげはしなかったが、魂の感覚をある意味まひさせ、絶望に慣れ親しむようにした。そして私の罰は、最後の災難がなければ、何年ものあいだ続いたかもしれない。その災難が最終的に、私と自分自身の顔と性質の関係を断ったのである。私は塩を、最初の実験のときから補充しなかったので、その蓄えが少なくなってきたのだ。私は新たに材料を手に入れ、薬を調合した。沸騰がおこり最初の色の変化が起こったが、二回目の色の変化はおこらなかった。私はその薬を飲んだが、効き目はなかった。どれだけ私がロンドン中をくまなく探したか、プールから聞き及んでいることだろう。しかし全ては無駄だった。今にして思えば、最初の材料には不純物が入っていたのだ。薬に効き目をもたらしていたのは、その不明な不純物だったのだ。
終わり