統治二論 後篇 社会政治の真の起源、限界及び目的に関する論文, ジョン・ロック

第十九章 支配の瓦壊について


二一一 支配の瓦壊について明白に述べようとする者は、先ず社会の瓦壊と支配当局の瓦壊とを区別すべきである。共同社会が構成されて人々がばらばらの自然の状態を脱し、一政治社会に、参加するのは、各人が他の人々と共に合同して一団体として行動し、かくして、他と区別し得る一共同社会を組織することに意見の一致をみる結果である。どのようにしてこの統一が瓦壊するかというに、それは彼等を征服せんとする外国勢力の侵入によるのが通常の、且つほとんど唯一の場合である。即ちその場合には(自分達を完全な独立団体として維持し、支持することが出来なくなって)そこに存在した団体に属する統一はどうしても中絶せざるを得ず、各人は以前の状態に復帰して、自分でなんとか甘く身を処し、適当と思う通りにどこか他の社会に参加して、自分自身の安全に備えるべき行動の自由が認められる。社会が瓦壊すれば、常にその社会の支配当局も必ず存続不能となる。このようにして征服者の剣が支配体制をその根こそぎ截ち切って社会を寸断することがよくあるが、その際、征服者の膝下に屈するかあるいは四散する群衆は、今まで保護を受け、依存して来たところの、そして、本当は彼等を外敵の暴力から保護すべき筈であったところの社会から切り離されてしまう。支配体制のこのような瓦解の仕方については、世人は充分に通じているし、すすんでそれを許容しているから、今更ここで云々する必要もあるまい。また社会が瓦壊すれば、支配当局の存続も不能であることを立証するのに大して議論を戦わす必要もあるまい。その存続不能なことは、家屋の材木が旋風によって四散し、置き換えられたり、地震によって倒壊し、雑然山をなせば、その棟梁が存続していられなくなるのと同じである。

二一二 このように外部から転覆する他に、支配体制には内部から瓦壊する場合もある。第一は立法部が改造される場合である。政治社会とはそれに属する人々の間の平和状態を言うから、自分達の間に生ずべき不和を落着させるために立法部に備えられた仲裁権のおかげで、戦争状態がそこに生ずる余地は与えられない。共同社会の各員が結合して一つの統一ある生きた有機体を形成するのは、彼等の立法部の存在をって初めて実現される。これこそ共同社会に形相、生命、統一を与える魂であり、その社会の幾多の成員相互間の感化、同情、関係もこれより生ずるものである。従って立法部が侵害されたり解消したりすれば、その結果として瓦壊と死滅とが起る。けだし、社会の本質とその結合性とは同一の意志を持つことに存するのだから、立法部は多数党によって一度設立されれば、その意志を宣言し、且つ、言わばその遵守を行うのである。立法部の設立こそ社会の行う第一の根本的な行為であり、それによって、人々の命令と法律の羈絆きはんの下に、彼等の結合を継続すべき備えが出来る。その法律とは国民の同意と任命とによって権限を授けられた人々によって制定されるもので、その同意と任命とがなければ、国民の間でただ一人の人間でも、あるいは幾人かの人々でも、他の連中を拘束すべき法律を作り得る権限は与えられない。もし国民から任命されないのに、誰か一人あるいはそれ以上の人々が敢て法律を定めようとすれば、それは権威を伴わぬ法律を定めることになり、従って国民にはその法律に従うべき義務はない。このようにして、国民は再び隷属状態を脱し、最善と考える立法部を自分達のために新たに設立することが許される。それは、権限も持たずに彼等に何事かを押しつけようとする人々の暴力に関して、彼等には完全なる抵抗の自由が認められるからである。社会より委任されて公共の意志を表明する権限をもった人々が社会から放追され、かかる権限もなく、委任も受けぬ他の人々がその地位を横領すれば、各人は自分自身の意志を自由に行使して構わない。

二一三 このようなことは共同社会内で、自分の持つ権力を濫用する人々によってもたらされるのであるから、いかなる政体の下でそれが起るかを知らなければ、正確に考察して、誰に責任を負わすべきかを知ることは困難である。故に立法権が別々の三者の協力の中に委ねられる場合を想像してみよう。その第一は単独の世襲者で、恒久的な最高行政権を有し、更に他の二者を一定の期間内に召集し、解散する権利をも兼ね備える。第二は世襲貴族の集会である。第三は国民によって随時選ばれる代議員の集会である。このような政体を想像すれば、次のことが明かとなる。――

二一四 第一に、かかる単独者即ち君主が、立法部によって社会の意志として表明された法律の代りに、自分自身の専制意志を主張すれば、立法部は更迭したことになる。その故は、規則と法律を作って実施し、それに服従を要求する者が事実上立法部だからである。社会によって設立された立法部の制定したのとは別の法律が設けられ、別の規則が僭立せんりつされ、強制されれば、立法部の更迭は明白の事実である。社会の基本的な任命による権限も授からずに新しい法律を創設したり、従来の法律を覆す者は誰でも、その旧法律を制定した権力を否認、転覆し、新たに立法部を設立することになる。

二一五 第二に、立法部がその設立の目的に応じて正当の時期に会合し、自由な行動をとることが君主によって妨げられる時、立法部は更迭されたのである。というのは、何が社会の福祉に寄与すべきかを討論する自由と、いささかの手抜かりもなくそれを決定して立法する余暇とが与えられなければ、一定数の立法者が存在しても、また集合を開いても、そこには立法部は存在しないのである。故に、これらの自由及び余暇が奪われ、あるいは改変されて、その結果、社会から立法部の権力の正当な行使を奪ってしまえば、立法部は間違いなく更迭したのである。即ち統治を構成するものは名前ではなくて、それに伴うべく作られた権力の行使と実施とにある。従って立法部の自由を奪ったり、適時に行動するのを阻害したりする者は、事実上立法権を奪い、統治を終らせることになるのだ。

二一六 第三に、君主の専制権力によって、国民の同意を得ずに、彼等の共通の利害に相反して選挙人あるいは選挙方法が改変されれば、そこでも、また、立法部が更迭されたことになる。何故なら、社会によって権限を授けられた者以外の人々が選んだり、社会の定めた以外の選挙法が用いられれば、選ばれた人は国民によって任命された立法部員ではないからである。

二一七 第四に、また国民を外国勢力の支配下に引渡せば、それが君主によるにせよ、立法部によるにせよ、疑もなく立法部の更迭、従って支配体制の瓦壊を意味する。即ち国民が社会に加わるのは何故かというに、その目的は彼等が一個の完全な、自由且つ独立の社会として保存され、それ自身の法律によって統治されるにあるのだから、彼等が他の権力下に引渡されば、常にこの目的は失われてしまうのである。

二一八 何故にかくの如き国家体制下において、上記の種々の場合の支配体制の瓦壊が君主の責任に帰せられるべきかは明かである。なんとなれば、君主は国家の兵力、財力、官職の任命権を行使し得るし、自分が最高の行政官として無拘束であることを自らも確信し、また臣下からもそのように阿諛あゆされるので、彼のみが合法的権威の口実の下に立法部の更迭に向って大きく前進出来、反対者を叛逆的、煽動的であり、支配当局の敵だと言って脅かし、鎮圧すべき力を己の掌中に握っているのである。他方、最高行政官を除いた、爾余じよの立法部あるいは国民のいずれも、自ら立法部の更迭を企てれば、必ず公然且つ明白にすぐ人目につく謀反を伴わざるを得ず、一度それが広がれば、外国の征服とほとんど変らぬ結果を招くのである。その上、君主はかかる政体にあっては、他の二つの立法機関(訳註:上下両院を指す)を解散して彼等を単なる私人とする権力を備えているので、彼等としては君主に反対し、彼の協賛を得ずに、法律によって立法部を更迭することは出来ない。それは、君主の同意をって、初めて、彼等の法令に御裁可が与えられるからである。だが、君主以外の二つの立法機関が、いやしくも現存の統治体制に対するなんらかの変革の企てに内応貢献し、斯様な計画を助長するか、あるいは妨害しない(彼等としてはそうすることが出来るのである)限り、彼等は有罪となり、人が相互に対して犯し得る、疑もなく、最大の罪悪に連坐することになる。

二一九 このような政体を瓦壊せしむるには更に今一つの方法があり、それは次の通りである。即ち最高行政権を有する君主がその責務を疎略にしたり、放棄したりすれば、その結果、既に制定された法律はもはや実施され得なくなる。これは明白にすべてを無政府状態に陥れることであり、実際に現存支配体制を瓦壊することになるのだ。というのは、法律とは法律自体のために作られるものではなく、それが実施されることによって、国家の各員をそれぞれ適当なる地位と機能とに安んぜしめるところの、社会の羈絆きはんとなるべきものだからである。それが全く働きを停止すれば、現政体も明かに終りを告げ、国民は秩序、結合を持たぬ、混乱した大衆と化してしまう。もはや人間の権利確保のための司法行政が行われなくなり、また、武力を統帥し、公共の必要に備えるべき権力が共同社会内に存続しなくなれば、そこには支配統治は確かに残されていないのである。法律の実施が不能の場合には法律が備わっていないのと同じことであり、法律のない支配とは、思うに政治の謎であり、それは人間の知能を以ては思いもよらぬことであり、人間社会とは両立しない。

二二〇 以上の場合、またそれに似た場合に支配当局が瓦壊すれば、国民は顔ぶれあるいは政体の、または、両者同時の変革によって、自分達の安全と福祉のために最も役立つと思うような、以前とは異なった新たな立法部を設立し、それによって自力で自分達の身をよく処する自由の権利をもつことになる。けだし社会は他人の過失によって、自己保存という、社会創設以来の本来の権利を失うわけにはゆかず、その自己保存とは立法部が設立され、それによって作られた法律が公正無私に行使されて、初めて成就し得るからである。だが人類はなんらかの救済策を求めても、もはや手後れとなるまでは、この救済策を用いる能力がない程、みじめな状態にはいないのである。即ち国民が圧迫、計略により、あるいは外国勢力に引渡されるために在来の立法部を失った時、初めて、新しい立法部の設立によってなんとか自力で甘くやってゆくのを許すのは、丁度、もう手後れで、悪弊は治癒の見込なしという時、ようやく救済の期待を許すようなものにすぎない。これでは実際は、彼等に最初は奴隷となることを命じ、次に己の自由を大切にせよと命じたり、彼等が鎖で縛られている時に自由人の如き行動を許すのと大差ない。救済がそんなものに過ぎなければ、それは救済というよりはむしろ愚弄であり、虐政を逃れる方法がその虐政の下に完全に屈伏するまでは与えられぬとすれば、人々は虐政から安全に脱れられない筈だ。国民がそこから脱する権利は勿論、それを予防すべき権利も与えられているのはその故である。

二二一 従って第二に、支配体制の瓦壊の今一つの方法として、立法部あるいは君主のいずれかが己に対する信託に反した行動をとる場合がある。

第一に、立法部が臣民の私有財産を侵害し、自分自身あるいは共同社会の一部を国民の生命、自由、財産の主人公もしくは勝手な処分者とするように努める場合、その行動は彼等に対する信託に反することになる。

二二二 人々が社会に加わるのは何故かというに、それは彼等の私有財産を保存するためだからである。また彼等が立法部を選挙し、権限を授ける際には、全社会の私有財産の番人、防壁として社会の各部各員の権力を制限し、支配を緩和するために、法律が制定され、規則が設立されることをその目的とする。けだし、各人が社会に参加することによって安全にしようと企て、そして国民が自分達自身で選んだ立法者への隷属の目的としたところのもの(訳註:即ち各自の私有財)を破壊し得る権力を立法部が持つべきだというのが社会の意志であるとは考えられない。従って立法者が国民の私有財産を奪い破壊せんとしたり、彼等を専制権力の下に奴隷状態に陥れんと努める時には、必ず国民との間の戦争状態に自らを投ずることになる。その際国民はそれ以上の服従の義務から免れ、神が暴力暴行に備えて全人類に与え給うた共通の避難所(訳註:即ち自然の状態)におかれる。故に立法部が社会のこの根本法則を犯し、野心、恐怖、愚かさ等に駆られるか、あるいは賄賂によって、国民の生命、自由、財産に関する専制権力を自ら握ったり、他人の手中に委ねたりすれば、彼等はこの背信行為によって権力を喪失する。国民はそれとは全く反対の目的のために権力を委ねたのである。そしてこの権力は国民の手に移り、彼等は当然本来の自由を回復し、新たに立法部(彼等にふさわしいと考えられるような)を設立することによって、社会の中に彼等が存在する目的たる自分達の安全と保証に備えるべき権利を認められる。ここで私が立法部一般に関して述べたことは、また最高の行政者にも真理として適用される。彼は立法権と法律の最高執行権の両者に与かるべき二重の信託を受けているのだから、自分自身の専制的な我意を社会法律として貫くことに着手すれば、二重の背信行為を行うことになる。また彼がその共同社会のもつ兵力、財力、官職を代議員への贈賄、己の目的への買収に利用する時、もしくは公然と選挙人を買収して、懇願、脅迫、約束、その他の手段によって抱き込んだ立候補者を彼等が選挙することを命じ、かくして、前もって何に賛成投票をし、どんな法案を制定するかを約束しておいた人々を議会に送り込むのに彼等を利用する時、それもまた背信行為である。このようにして立候補者と選挙人とを拘束し、選挙法を改竄することは、統治政体を根こそぎ截ち切り、公共の安全の他ならぬ源泉を毒することでなくして何であろうか? 即ち国民は彼等の代議員の選択権を自分達の私有財産に対する防壁として保有したのである。従って代議員が常に自由に選挙され、かく選挙された上は、調査と念入りな討論を重ねた上で、国家の必要と社会の福祉にとって必須なりとの判断に従って自由に行動し、助言するためにこそ、国民はこの選択を行い得たのである。それなのに、討論にも耳を傾けず、すべての側の道理の真偽を量ってもみないうちに、投票の予約をすますような代議員にこれが出来る筈がない。即ち、このような国会を準備し、国民の真の代表者、社会の立法者の代りに、己の我意の公然たる応援者を設立すべく努めることは、われわれの経験し得る中で最大の背信行為であり、統治体制転覆計画の最も完全なる宣言に他ならぬ。もしこれに加うるに明かに同一の目的に行使された賞罰、及び、かかる計画の遂行を阻み、自国の自由の裏切りに応じたり同意を与えることをがえんじない者を除去し破壊するために、あらゆる術策を弄してなされたところの、法律の曲解、悪用とに思いを致すならば、いかに大胆不敵な所業がなされつつあるか、疑問の余地がないだろう。かように、立法部もしくは行政部が、彼等の権力の創設に際してそれに同伴したところの信託に全く反して、それを悪用する如き社会において、国民は一体どんな権力をもたねばならぬかは容易に決定される。そして、このようなことを一度企てた支配者には、もはや、信頼をおくことが出来ないと了解せざるを得ない(訳註:ロックはここで一六八八年の名誉革命を正当化している)。

二二三 このことに対して恐らく次のように言う者があるだろう。即ち、国民は無知であり、常に不平を抱いているから、国民の動揺してやまない世論やむら気の中に政府の基礎を設けることは、政府を確実に破滅の危機に曝すに等しい。それに、国民が在来の立法部に腹を立てた時にはいつでも新しい立法部を設立してよいというなら、いかなる政府も永続きすることは不可能だろうと。これに対して私は全くあべこべだとお答えする。国民は、とかく一部の人が考える程たやすく、在来の政体から脱け出ることが出来る筈はない。彼等が住み慣れて来た体制の中で一般に認められる欠点を修正するよう彼等に説服するのは困難である。且つ、創設以来の欠陥や、時日の経過と共に、あるいは議員買収などの結果、新しく生じた欠陥があっても、それを改革することは、全社会が今がその好機だと認める時でさえ、容易なことではない。国民が在来の体制を放棄するのがこのように緩慢であり、それを毛嫌いするあまり、わが国は現代及び過去においてしばしば革命を遂げたにも拘らず、国民は依然として在来の国王、上院及び下院の立法部を固守し、無益な企てのため一時、間隙をおいたこともあったが、また逆戻りしたのである。そして、国民がどんなに立腹して、われわれの君主の幾人かの頭上から王冠を奪ったにせよ、それは決して彼等を駆って、王冠を別の家系に移さしめるまでには至らなかった。

二二四 だが、この仮説こそが度々の謀反を醸成するものだと言う人があるだろう。それに対して私はこう答えよう。

第一に、他のどの仮説も謀反を醸成するものでない如く、これにもそんな心配はない。というのは、国民がみじめにされ、専制権力の虐待に曝されていることに気付けば、われわれが彼等の統治者をジュピターの息子だとめ上げようが、天から降臨したり、天の権威をもった神聖な者だと言おうが、とにかく彼等をどんなものに言い立てても、結果は同じであろう。一般に国民が虐待され、その権利に反する待遇を受ければ、いかなる場合にも、自分達を悩ます重荷を除いて楽になろうとする。彼等はその機会を望み求めるのだが、人間の万事の変化、弱点、不意の出来事につれて、その機会の到来に手間取ることは滅多にない。この実例を自分の生涯中に経験したことのない人は、この世の中に過した人生が短かったに違いない。また世界中のあらゆる種類の政体の中にその実例を示すことの出来ない人は、寡読家だったに違いない。

二二五 第二に、かかる革命が公務上の些細な不手際がある度に一々起るものではないと答えたい。支配者側にどんな大きな失策が発見されても、また、いかに多くの不正且つ不便な法律が制定されても、あるいは人間性の弱点から由来するいかなる過失が犯されても、国民は別に反抗もせず、不平もこぼさずに堪え忍ぼうとするものだ。しかし、毎度の虐政、言い逃れ、策略が皆同一の傾向を帯び、国民にとって支配者の魂胆が見え透いて来ると、国民は自分達がいかなる隷属に服しているかを感じ、どこへ引張って行かれるかを悟らざるを得ない。そこで彼等が決起して、支配が最初に設立された、その本来の目的を獲得してくれそうな者の手に支配権を委ねようと努めるのも不思議なことではない。その本来の目的が達成されなければ、いかに由緒ある王家の名も、見かけだけは立派な政体も、自然の状態や全くの無政府状態に比べて優るどころか、遥かに劣るものである。即ちそれと比較して不便、不都合は同程度であり、同様に身辺に迫っているが、それを救済する道は一層迂遠且つ困難である。

二二六 第三に、こう答えたい。立法者が国民の私有財産を侵害することによって信託に背く行動をとった時、国民は新たに立法部を設けて、その安全に関する備えを更新し得るという私の説は、謀反に対する最上の防壁であり、それを阻止し得る見込の最も大きい手段であると。その故は、謀反は人に対する反抗ではなくて、政治社会の憲法と法律にのみ基礎をおく権威に対する反抗だからである。換言すれば、誰でも暴力によって押進み、暴力によって憲法、法律の侵害を正当化する者こそ、正しく謀反人と呼ぶにふさわしい。人々が結合して政治社会に参加することによって、暴力を排斥し、自分達の間の私有財産の保存、平和、統一のために法律を採用した時、法律に反対して再び武力を用うる者は正に「謀反」“rebellare”(訳註:このラテン語の第一意味は「再び戦う」)を行うことになる――即ち彼等は戦争状態を復帰せしめるのだから謀反人と呼ばれるにふさわしい。そして権力者こそ、ほんとうには持っていない権威を笠に着たり、己の掌中の武力にそそのかされたり、周囲の人々の甘言に乗ぜられたりして、この謀反を行う可能性が最も大きいのだから、その害悪を防止するには、その危険にして不法なる所以を、これに陥る誘惑の一番多い彼等に示すのが最適の方法である。

二二七 前述の二つの場合、即ち立法部が勝手に更迭されるか、あるいは立法者の行動が彼等の組織、目的に相反する時、その罪を負うべき者は反逆罪に値する。というのは、社会によって確立された立法部と、そこに彼等の信託によって制定された法律とを除去する者があれば、彼はそうすることによって各人が自分達の争議を解決し、相互間の戦争状態を阻止するために同意の結果設けた仲裁権を除去することになるからである。即ち立法部を抹殺したり、更迭したりする者は、国民の任命と同意をたなければ誰も持つことの出来ぬこの決定権を除去し、かくて国民が設立したところの、そしてそれ以外の誰も設立できないところの権威を破壊し、そのようにして、国民から委任もされぬ権力を採用するのだから、実際に戦争状態、即ち権限を伴わぬ暴力の状態を招来せしめることになる。かようにして、社会によって創設された立法部の決定には国民が自分自身の意志の決定に対する如くに黙従し、その下に一致協力していたのに、彼等がこれを抹殺してその結合を解けば、国民は戦争状態の危険に曝される。故に暴力によって立法部を除去せしめる者が謀反人であれば、国民の保護、保存のために選任された立法者達が彼等の自由、財産を暴力によって侵害し、それを除去せんと努めるのも同じく謀反人と言えるだろう。以上のことからして、国民によって彼等の平和の保護者、防衛者として定められた立法者が国民との間の戦争状態に身を投ずる時、彼等を“rebellantes”即ち謀反人と呼ぶことは適当であり、しかも最も悪い意味でそうだと言えよう。

二二八 だが、私の言うことは謀反の根拠を与えるものだと主張する人の言い分が次の通りだとしよう。即ち国民の自由もしくは財産に対して不法な攻撃が加えられる時、彼等は服従の義務を免れるとか、支配者達が信託に背いて彼等の私有財産を侵害する時、彼等は為政者の不合法な暴力に反抗することが許されるのだと国民に言ってやれば、それは内面、内輪喧嘩を惹起せしめることになり、従って私の説は世界平和にとって極めて有害なもの故、承認されるべきではないと。しかし、そんなことを言うなら、同じ根拠から、強盗、海賊への反抗は無秩序、流血を招くかも知れぬ故、善良な市民はそんなことをするものではないと言うのと同じである。もしもこんな場合に何か災難が起れば、その責を負わされるのは、自分自身の権利を擁護するものではなくて、隣人の権利を侵害する者である。もし罪のない善良な市民は、平和のためには、己の所有物に暴力の手を伸ばそうとする者におとなしくそれを手放さなければならぬとすれば、世の中は暴行と掠奪ばかりとなり、ただ盗賊と圧制者の利益のためにのみ存在を維持されることとなるが、そんな世界にどんな平和があり得るのか考えてもらいたい。もしも小羊がおとなしく、その喉元を横柄な狼に引裂かれるがままに任せるとすれば、強者と弱者の間には結構な平和が維持されていると誰でも思うことだろう。ポリフェーマスの洞窟(訳註:ホメーロスの『オデッセイ』中で主人公ユリシーズが彼の仲間と共にここに幽閉されたが、相手の一つ目入道の眼をつぶして危うく難を逃れた)がかかる立派な平和と支配との完全な手本を示してくれる。即ち、ユリシーズと彼の仲間が自分達の身が喰い尽されるがままに、おとなしくしているより他に仕方がなかった場合の如き平和と支配の状態である。その際、勿論、ユリシーズは分別ある男だったから、消極的服従を讃美し、また人間にとって平和がいかに重要であるかを言って聞かせ、ポリフェーマスが自分達に対する支配権を握った今となっては、彼に対する抵抗を企てるなら、拙いことが生ずるばかりだと説明して、おとなしく服従すべきことを彼の仲間に勧告したことであろう。

二二九 支配の目的とするところは人類の福祉にある。しからば、虐政を行おうとする際限のない意志の危険に国民が常に曝されるのと、支配者の権力の行使が逸脱し、国民の私有財産の保存ではなくて破壊のためにそれが用いられる時には、国民の反対を招き易いのと、両者いずれが人類にとって最上の証と言えようか?

二三〇 だが、私は誰にも、私の主張を認めると、よけいな事に頭を突っ込む活動家や血の気の多い物騒な連中は面白半分に支配体制の改革を欲し、その都度禍が生じ得るなどとは言わせまい。なるほど、こういう連中は興に乗じて騒ぎ立てるかも知れぬが、その結果はただ彼等自身の破滅と滅亡とを招くのみである。即ち国民は反抗によって仕返しをするよりは苦痛を耐え忍ぶ傾向が大きいから、禍が一般的となり、支配者の邪悪な企図が明るみに出たり、その野心が国民の大半に察知されるに至るまでは、なかなか騒ぎ立てないものである。あちこちでたった一人位の人が、不幸にして特殊な不正もしくは圧迫を蒙ったという実例では、国民が動かされることはない。しかし明白な証拠に基づいて、国民の自由を侵害しようとする企てが続けられているとの確信が国民の間にあまねく得られ、事の一般的な成り行き、傾向を見ても、支配者が悪企みを抱いているに違いないとの疑念が濃厚とならざるを得なくなれば、そうなったのは誰の所為だ? そんな疑惑を起させることを避けたらよいのに、支配者自ら好んで嫌疑のかかるようなことをするならば、誰が怪しまずにいられようか? 国民が理性的動物としての思慮分別を有する時、事物を見たり感じたりするままにしか考えられないからとて、それを責むべきだろうか? それはむしろ、事物をあるがままの姿で考えて貰いたくないような状態に事を導いた支配者の罪ではないか? 民間人の自尊心、野心、暴動癖があちこちの共同社会で大騒動を招いたことがよくあり、党派争いが王国やその他の国家の興亡を決したこともあった。このことを私は認めるが、禍の源が国民の側の放恣ほうし、即ち統治者の合法的権威の支配を脱しようとの欲求か、あるいは支配者側における、国民に対し専制権力を獲得、行使しようとする傲慢な努力の両者の中のいずれにあるか、換言すれば、圧迫と反抗のいずれが混乱の端緒となったか、その決定は偏見のない歴史家の手に委ねるべきだろう。だが次のことだけは私は信じて疑わない。即ち支配者にせよ、臣民にせよ、君主あるいは国民のいずれかの権利を暴力を以て侵害しようとし、正当な支配体制の組織転覆の根拠を与える者は誰でも、人間の犯し得る最大の罪に値する。彼は支配体制の瓦壊の一国に及ぼす流血、掠奪、荒廃等の禍のすべてに対して責を負うべきだからである。また、これを行う者は当然人類の共通の敵、害毒と見做してよいし、それ相応の待遇を受けるべきである。

二三一 一国の臣民にせよ、他国人にせよ、暴力によって国民の私有財産を奪おうと企てる時、それに対して暴力を以て抵抗してよいことについては各方面で意見が一致している。だが支配者が同じことをする時、それに対する抵抗は近来否定されている。それではまるで、法律によって最高の特権、優越を認められた者がそれを利用して、自分達が同胞に対して優位を占め得るのはひとえに法律のお陰であるのに、その法律を破る権力まで獲得するようなものである。しかし事実は、彼等は法律によって人並以上の私有財産に与っているのに、それに報いず、また同胞からその掌中に委ねられた信託にも背くのだから、二重の意味で彼等の罪は一層重いのである。

二三二 正当の権利なくして暴力を行使する者は――例えば社会内で法律によって認められずに暴力を行使する場合、常にそうであるように――誰でもその相手との間の戦争状態に身を投ずることになる。その際、その時以前の羈絆きはんはすべて解消され、他の権利はことごとく消滅して、各人には、自分自身を擁護し、侵略者に抵抗すべき権力のみが認められる。このことは極めて明白な事実であるから、バークレー(訳註:ロバート・バークレー、一六四八―一六九〇)――あの偉大な、国王の権力と神聖不可侵性の主張者でさえ――場合によっては国民が彼等の国王に抵抗することが合法化されると認めざるを得なくなっている。しかも、それを場所もあろうに、国民はいかなる種類の謀反も神の掟によって禁じられていることを明かにしようと望んで書いた一章に述べているのだ。かくて、バークレーの学説に従っても、次のことが明かとなる。即ち、国民の反抗が認められる場合もあるからには、君主への反抗も、そのすべてが必ずしも謀反であるとは限らないのである。彼の言は次の通りである(訳註:原著には先ずバークレーのラテン語文が引用されている)。

それは英文で次の如くである。

二三三 「だが次のような質問が提出されるとする。しからば国民は残酷、狂暴なる虐政に常に身を曝すべきか――彼等は自分達の都市が掠奪されて灰燼に帰し、妻子は暴君の色欲と憤激の餌食となり、自分達自身と家族とは国王によって零落せしめられ、貧窮と圧迫の悲惨な状態に陥れられるのを見て、しかもじっと手をこまぬいていなければならぬのか――暴力に対するに暴力を以てするという万物共有の特権は、他の被造物には危害に対して己の身を保存するために、造化の神によって極めて自由に認められているのに、人間だけはそれを阻まれねばならぬのか? 私はこう答えよう。自己防御とは自然の理法の一部である。それは共同社会に対して、他ならぬ国王に逆らう場合でさえ拒否されることはあり得ない。だが、国王への復讐は決して許されるべきではないのだ。それは自然の理法に一致しないからである。故に、万一国王がただある特定の個人に対して憎悪を示すだけではなく、自分が元首であるところの国家全体に反対し、忍び難い酷使によって、国民全体あるいはその少なからぬ部分に対して残酷な虐政を施すとすれば、その場合には、国民は当然抵抗し、危害に対して自己を擁護すべきである。だがここで、国民はただ自分達の身を護るだけで、彼等の君主を攻撃しないように用心すべきである。彼等は自分達の蒙った損害を償ってもよいが、どんな挑発を受けても、然るべき畏敬と敬意の埒外に出てはならぬ。彼等は当面の攻撃を撃退してもよいが、過去の暴力に復讐すべきではない。けだし、われわれにとって生命と四肢の防御は当然のことだが、劣者が優者を罰するなどとは自然に反することだからである。国民に対して害悪がたくまれる時、彼等は事前にそれを防止してもよいが、一度行われれば、国王が悪事の張本人であっても、復讐すべきではない。従って、以上の民権は全体としての国民の特権であって、私的個人のもつ以上のものである。即ち、われわれの論敵によってさえ(ブキャーナン(訳註:ジョージ・ブキャーナン スコットランドの歴史家にしてラテン詩人、一五〇六―一五八二)一人だけは例外だが)個々の人は救済策としては忍耐しか認められていないが、全体としての国民は忍び難い虐政に対しては畏敬の念を以て抵抗してよいのである。というのは、それが普通の虐政であれば、耐え忍ぶべきだからである」(バークレー『反君主政体反対論』第三巻八章)

二三四 ここまでのところは、あの偉大な君主権擁護者も反抗を認めている。

二三五 なるほど、彼はそれに二つの制限を附しているが、それは全く無駄なことである。

第一に、それは畏敬の念を失してはいけないと言っている。

第二に、復讐とか処罰を伴ってはいけないと。それに対する理由としては、「劣者は優者を罰し得ぬからである」と言っている。

第一に、どのようにして殴り返さないで暴力に抵抗したらよいのか、また、畏敬の念を以て殴るにはどうしたらよいのか、これをよく分らせるには並々ならぬ手腕を要するだろう。打撃を受け止めるべき楯だけしか備えないで、あるいはなんとかもっと恭々うやうやしい恰好をして、手には敵の度胸を失わせ、腕力をにぶらせる定めの剣も持たずに襲撃に手向えば、抵抗は即座に終りを告げ、そんな防御では却って自分の身に一層の虐待を招く位にしか役立たぬことに気付くだろう。これでは、まさに、ユーヴェナール(訳註:ローマの諷刺詩人、六〇―一四〇)が馬鹿げた戦法だと見做したところの、「お前が打つなら、おら、なんぼでも殴られてやるよ」(訳註:『諷刺詩』第三、二八九)という態度に劣らぬ、馬鹿げた抵抗法である。そして、支配者と人民とのバークレー式の取組の勝負は必然的にユーヴェナールがそこに描くのと同じ結果を招くだろう。即ち――

「貧乏人の自由とはこんなもの――
くたくたに殴られ、打ちのめされてしまってから、
もう許して帰して下さいと、大分歯も抜けた
顔をぺこぺこ下げて、相手に懇願する」
(訳註:同書第三、二九九―三〇一)

殴り返してはいけないような、架空的な抵抗の結果は常にこの通りだろう。それ故、抵抗してもよい者には殴ることも許されるべきである。そこで、著者バークレー自身にでも、誰か他の人にでもよいから、他人の頭を殴ったり、顔を斬ったりすることと、適当と思うだけの畏敬と敬意とを支払うこととの両者の抱き合わせの芸当をさせるがよい。殴打と畏敬の念との矛盾なき抱き合わせの出来る人は、やっぱり、その骨折の報いどころか、却って棍棒の打擲を丁重慇懃に頂戴するに値するだろう。

第二に、バークレーの二番目の制限――「劣者は優者を罰することは出来ぬ」――はどうかと言うに、なるほど、そのことは概して相手が自分の優者である間は真理だろう。だが暴力に対して暴力を以て反抗すれば、両当事者を水平にしてしまう戦争状態を招き、その結果、畏敬、敬意、優越などの以前の関係は解消する。そうなれば後に残った優劣の差とは即ち不正な侵略者に反対する者が勝を占めれば、彼は犯罪者に対して、治安の妨害とその結果としてのあらゆる禍との二つの罪を罰し得るという優位を獲得するのである。故に、バークレーは別の箇所であらゆる場合の国王への反抗の合法性を否定しているが、それは彼の主張に一層ぴったりと一致することになる。しかし、そこで彼は国王が自らの位を廃し得る二つの場合を定めているのである。

二三六 彼の言葉は英訳では次の通りである。

二三七 「しからば、国民が自らを助け、武器を取って、絶対専制的に自分達を支配する国王を攻撃することが、当然彼等自身の権限によって認められる場合はないのだろうか? 国王が国王である限り、それは全く許されないのだ。『王を尊べ』(訳註:『ペテロ前書』第二章一七節)『権威に逆らう者は神のさだめにもとるなり』(訳註:『ロマ書』第一三章二節)と神の御告によっても、そのことは許されていない。従って、国王がその位を廃せしめられるようなことを何かしない限り、国民としては彼に対する支配権を獲得することは出来ないのだ。けだし、その時こそ国王はその王冠と威厳とを放棄して一民間人の地位に戻り、国民は自由人、優越者となるからである。即ち、彼に王冠を授けて王とする以前の空位期に国民の手中にあった権力が、再び彼等に復帰するのである。だが、このような事態を招くに足りるだけの失政は僅かしかない。各方面に充分考慮を払っても、それを私は僅か二つしか発見出来ないのである。即ち、それらの二つの場合においてのみ国王は、正にその事実上、国王でなくなり、その国民に対する全権力と王者としての権威とを失うのである。それはウィンツェルスによっても注目されているところである。

その第一は、もし国王が己が支配体制の転覆を計り――即ち王国的共同社会を破壊せんとの目的意図を抱く場合である。例えば記録によれば、ネロはローマの元老院と人民とを斬殺し、兵火を以て市内を荒廃させ、そして他の場所に移ろうと決心したそうである。またカリグラ(訳註:ローマ皇帝、三七―四一)はもはや人民、元老院いずれの元首の地位もやめて、上下の両階級の中の最も立派な人物を斬殺してから、アレクサンドリアに退こうとの考えを抱き、ただ一撃の下に人民全部を片附けてしまうためには彼等の首が一つきりだとよいのにと思ったそうである。こんな企図を国王が心に抱き、真面目にそれを促進させれば彼は即座に己が共同社会への関心も考慮もすべて放棄して、その結果、臣民に対する統治権を喪失することになる。それは主人が見捨てた奴隷に対しては支配権を喪失するのと同じである。

二三八 今一つは、国王が自分自身を他人に隷属させ、そして、先祖や国民が外からなんらの掣肘も受けない国として己が掌中に伝え委ねた王国を他人の支配下に服従させる場合である。それは、恐らく彼には国民を害しようとの意がなくても、こうすることによって王者としての構成の重要な部分――即ち自分の王国内では神にすぐつづいて最上位を占めるという尊厳と威信――失ってしまったからであり、また、国民の自由を注意深く保存すべきだったのに、彼等を外国の権力と支配とに売ったり、強制的に隷属せしめたからである。このように、言わば自分の王国を譲渡する企によって、彼がそれを与えようと欲した相手にいささかの権利をも未だ譲渡しなくとも、それまで握っていた権力を失うことになる。従って国王のこの企によって国民は解放され、自分勝手の行動を許されるのである。その一例はスコットランド年代記に見出されるだろう」(バークレー『反君主政体反対論』第三巻一六章)

二三九 専制君主政治の偉大なる擁護者たるバークレーも、さすがに以上の二つの場合には国王が反抗を受け、国王ではなくなることがあり得ると認めざるを得ない。即ち、個々の例を沢山挙げないで約言すれば、国王は権威を失ういかなる場合でも、もはや国王ではなくなり、人民は反抗し得るというのである。そのわけは、権威が停止する時には常に国王もまた国王でなくなり、権威を持たぬ他の人々と同列になるからである。そして彼が実例として挙げている以上の二つの場合と、私が支配体制を破壊に導くものとして前に述べた場合との相違は、ただ彼がその学説の根拠となる原則を省略した点にすぎない。即ちその原則とは、国民の同意に基づく政体を保存せず、公共の福祉、私有財産の保存という支配自体の目的の遂行を図ろうとしない背信行為である。国王が自ら王位を退き、その国民との戦争状態に身を投じてしまえば、国民が自分達と戦争状態に陥った他の人と同じく、もはや国王ではない彼を告発するのに、何が妨げとなるというのか? バークレーや彼と同意見の人々に答えて貰えるなら有難いのだが。そして更に私はバークレーが言っている次の言葉に読者の注意を惹きたい。即ち、「国民は彼等に企てられる危害を事前に防止してよい」と。この言によれば、バークレーは虐政がただたくらまれている時でさえ反抗を許しているのである。彼曰く、「このような企図を国王が心に抱き、真面目にそれを促進させれば、彼は即座に己が共同社会への関心も考慮もすべて放棄することなる」それ故、彼の説によれば、公共の福祉の怠慢はかような企図の証拠として、言い換れば少なくとも反抗の十分な理由として見做してよいのである。そして、以上一切のことの理由を、彼は「そのわけは、国王は国民の自由を注意深く保存すべきだったのに、国民を売ったり強制的に……」という文句で述べている。しかしその次に出る言葉である「外国の権力と支配とに隷属せしめたからである」はここでは無意味である。国王の過誤と権威の喪失とは彼が保存しなければならなかった国民の自由を失った点に存し、彼等を隷属させる支配者のいかなる相違の点にも存しないからである。国民が自国人の奴隷とされようが、外国人の奴隷とされようが、共に等しく彼等の権利は侵害され、彼等の自由は失われる。この点にこそ国民に加えられた危害が存し、その理由でのみ彼等は自衛の権利をもつのである。そしてまた、国民を傷つけるものは、支配者の顔が国籍を変えたという点ではなく、支配体制の変更という点である。

英国教会監督たるビルソン(訳註:一五三六―一六一六)は、君主の特権及び臣民の服従を要求する権利を擁護して、些細な点にまでやかましく言う人だが、彼はもし私の記憶に誤りがなければ、その『キリスト教徒の隷属』という論文の中で、君主はその臣民に従順の義務を課する権力、資格を喪失することがあり得ると認めている。更にこのように道理明白な場合にも信ずべき権威ある引用文が必要とあらば、私は読者諸氏にブラクトン(訳註:英国の聖職者にして裁判官、?―一二六八)やフォーテスキュー(訳註:英国の裁判官にして法律上の著書あり、一三九四?―一四七六)の著書、あるいは『鏡』(訳註:一六―一七世紀にわたって諸文士によって寄稿され集成続刊された、The mirror for magistrates のことか? 君主のいましめとなる諸国家興亡の悲劇的物語集)など、イギリスの支配体制について何も知らなかったり、その敵であるとは、少しも考えられない著述家たちの著書をひもといて、参考になさるようにすすめることが出来る。しかし、教会政治に関してはフッカーに信頼をおきながら、彼がその著『教会政治』の論拠としている原理をば、妙な因縁から否認する破目に陥った人々を満足させるには、やはり、私は彼一人だけからの引用で充分と思ったのである。彼等の学説が本書において、彼等よりも腕利きの工匠の道具として利用され、それで以て彼等がせっかく組立てた議論が取毀されているかどうか、彼等は眼を大きく見開いて注意したらよいだろう。私は次のことは確言出来る。即ち、彼等の共同社会政策は極めて新奇にして危険極まりないものであり、統治者と国民の双方にとって有害であるので、昔の人々は敢てそれらの公表を許すことが出来なかった。それ故、これからの人々は、これらのエジプトのした労務監督タスクマスター型の者共がイスラエル人に負わせたような負担(訳註:『出エジプト記』第一章一一―一四節)からは救われて、あのような君主の奴隷的な御機嫌取りのことは思い出してもぞっとするようになってほしいのである。彼等は自分達に都合のよい時は、一切の政治支配を専制的な虐政と化してしまい、すべての人は生れながらにして奴隷(それは彼等の卑しい根性から見て、彼等にこそふさわしい状態である)だと主張した程の連中だからである。

二四〇 ここで君主と立法部のいずれが信託に背く行動をするかを、誰が裁くかという問が一般に提出されるようである。君主がただ、その正当な特権を行使しているのに、性質のよくない、煽動的な野心家はこの疑問を国民の間に流布するかも知れない。私はこれに対して、国民こそが裁き人であるべきだと答えよう。というのは、自分の被信託人あるいは代理者の行動が申し分なく、彼によせられた信託に背かぬかどうかは、彼を自分の代理者とし、そうしたことによって自分の期待にそわぬ時には解雇出来る権力を常に持っている筈の当人以外に誰がそれを裁くことが出来ようか? もしこのことが民間の個人的な場合に妥当するならば、一番大切な場合にどうしてそうでない筈があろうか? 即ち何百万人という人々の福祉に関係し、もしも悪弊が阻止されねば一層重大化し、その救済が極めて困難、高価、危険となる場合に、それが妥当しないことがあろうか?

二四一 だが更に、「誰が裁き人となるべきか?」との疑問が提出されても、それは裁き人が全くいないことを意味する筈はない。というのは、地上に人々の間の争議を解決すべき裁判所がない時は、天上の神が裁き人となるからである。なるほど、神のみが正義の裁き人であるが、他人が自分との戦争状態に身を投じたかどうか、また、エフタがしたように(訳註:『士師記』第一一章二七節)、最高の裁き人である神に訴えるべきか否かを決する場合には、他の場合と同様、各人が自ら裁き人となるのである。

二四二 もしも君主と国民の一部との間に、法律は何も物を言っていないか、もしくは曖昧であるが、事極めて重大である事柄において争議が生じたならば、かかる場合の適当な仲裁人は全体としての国民であるべきだと思う。けだし、国王が信託を与えられ、法律の一般的な普通の規則から免れている場合、もし誰かが圧制を蒙っていることに気付き、君主の行動がその信託に背くか、信託の範囲外にわたると思うことがあれば、国王への信託をどの限度まで及ぼすつもりであったかを裁くには全体としての国民(彼等が最初に国王に信用を託したのである)程の適任者が他にあるだろうか? だが君主にせよ、その他いかなる最高行政官にせよ、そのような裁決の方法を拒否すれば、訴え所としては神より他にはないことになる。即ち、地上には自分達より優越する人の存在を認めようとしない両者の間に起る暴力や、または、地上の裁き人への訴えを許さぬような暴力はまさしく戦争状態であるから、訴え所としては神のみしか存しないのである。そしてこの場合、危害を蒙った側は、その訴願権を行使し、それに自分の一身を委ねるにふさわしいと思う時期を自ら裁決しなければならない。

二四三 結論を述べよう。各個人が社会に加入した時に委ねた権力は社会が存続する限り、個人の手には二度と戻って来ないので、常に共同社会の手に保存される。何故なら、これがなければ共同社会――国家は存立し得ぬし、それでは創設当初の同意に反するからである。またそれと同じく、社会が立法権を人々の集会に委ね、それが彼等とその後継者達の手中に引続き存在せしめられ、更にかかる後継者設定の指示と権限が与えられれば、この支配体制の存続中、立法権は国民の手には戻って来ない。何故なら、立法部に恒久的に存続すべき権力を与えた以上、自分達の政治権力を立法部に譲渡したことになり、それを取返すことは出来ないからである。だが国民が立法部継続期間に制限を設け、個人あるいは集会に委ねられるこの最高権をほんの一時的なものとした場合、さもなければ、権限を有する者に失策があって最高権を喪失する場合、その喪失により、あるいは定められた期限の終了によって、それは社会の手に戻る。そして国民は主権者として行動し、立法権を己の手中に持ち続けるか、あるいは新政体を設立するか、あるいは旧体制の下に新しい人々の掌中に立法権を授けるか、自ら適当と思うままに決する権利をもつのである。