1965年1月20日
わが同胞たちよ、この時をむかえた。あなたがたと神の目前で行った誓いは私だけのものではなく、われわれのものである。われわれは一つの国であり、一人の国民である。われわれの一つの国としての運命や、一人の国民としての将来は、一人の市民ではなく、全ての市民にかかっているのです。
これこそが権威であり、このときの持つ意味なのです。
全ての世代には、運命があります。世代によっては、歴史がそれを決めました。この世代においては、選択はわれわれ自身が行わねばなりません。
今でさえ、ロケットが火星に向かっています。世界はわれわれが子供の頃とは、もしくはほんの短い年月のあいだでさえ、同じではないことを心に刻みましょう。ここに次に立つ人は、われわれとは異なる景色を見渡すことでしょう。なぜならわれわれのときは変化のときだからです。自然の神秘に匹敵するような急速で大幅な変化であり、国を統合させ、支配と破壊のために新たな武器にきまぐれに手がかかり、古い価値観がゆさぶられ、古いやり方が根絶するような変化なのです。
変化の真っ只中のわれわれの運命は、われわれの変わらない国民性、そしてそれを信じる心にかかっています。
アメリカの誓約
国から追放され、来訪者として、勇敢ではあるけれど恐れを抱きながら、自分が自分であることが可能なところを見つけるために、ここにやってきました。そしてこの土地に誓ったのです。正義を示し、自由が書きこまれ、一致団結し、それは全ての人々の希望をかきたてるものでした。そしてその誓いはまだわれわれを団結させています。もしその約束を守るなら、繁栄が待っていることでしょう。
正義と変化
第一に、正義は、旅をする全ての人が土地からの実りをわけるという約束です。
とても豊かな土地では、家族は希望なき貧困にあえいで生活するべきではない。豊かに実りがある土地では、子供たちは飢えるべきではない。奇跡の回復を行う土地では、隣人はほったらかされ、苦しんで死ぬべきではない。学問と学者の土地では、若い人々は読み書きを教わるべきである。
私が国に仕えてきた30年以上ものあいだ、われわれへの不正、資源の無駄使いがわれわれの本当の敵であると私は信じてきました。30年以上も、私の持てる限りの力全てでです。私は絶えずそれと戦ってきました。私は、それが簡単には降伏しないだろうということを学んできて、知っています。
しかし変化は、われわれに新たな武器を差しだしてくれました。アメリカのこの世代が終る前に、この敵を退却させるだけではなく、根絶しなければなりません。
正義は、われわれにどんな市民であれ同胞を、「彼と私の人種は違う」とか「彼の信仰は、奇妙で違っている」などいう言葉で否定したときは、その瞬間に祖先が作り上げてきたアメリカを裏切っているということを忘れないようにしてくれる。
自由と変化
自由はわれわれの制約の二つ目の項目でした。それは自治を意味しています。それはわれわれの権利章典であり、それ以上のものでもあります。アメリカは、全ての人が自分自身に誇りを持つことができるような場所でなければならない。その才能をのばし、仕事を楽しみ、その隣人の人生や自分の国を尊重する場所でなければならない。
これは、変化と成長が管理や人の判断をこえてまで伸びていくように思われる世界ではより難しくなってきている。われわれは、すべての人々の可能性を拡大できるような知識と環境を提供するべく、働かなければならない。
アメリカの誓約は、われわれに人間の解放の方法を示す助けをするように要請した。そしてそれが今日のわれわれのゴールです。もし国として管理外の部分が大きければ、国民として希望の外に追い出される人がいないようにしよう。
変化は、この古いミッションにも新たな意味付けをしてきた。われわれは二度と再び、孤高を鼻にかけ、傍観することはない。われわれがかつて「外の」と呼んでいた恐ろしい危険とトラブルが、今やわれわれの中に常にある。もしわれわれがほとんど知らないような国々でアメリカ人の生命をなげだし、アメリカの富をばらまかなければならないなら、それは変化が信念や、誓約を長続きさせるために求める代償なのです。
火星に向かっているロケットから、われわれの世界を見ていると考えてみよう。それは子供の地球のようであり、宇宙に漂い、色のついた地図のように大陸がその表面に張り付いている。われわれはみな地球上のほんの点の上で一緒に旅行している仲間なのです。そして一人一人が、仲間と本当に一緒にいる時間はほんの短い時間です。
このようなもろい存在でありながら、お互いに憎みあったり破滅させあうなんて、本当に信じられないことです。他人を支配することをやめようとする人ならみな、自然を支配することができる十分な可能性をもっている。世界はそれぞれの方法で自身の幸福を追求するには、全員に十分なほどである。
われわれの国のたどるコースは非常に明らかです。われわれは他人のものを望んだりしない。われわれは同朋を支配したりしない。しかし暴政や悲惨さについては抑制しなければならない。
しかしそれ以上のことが望まれている。人は公共の事業、自分自身より大きな大義の一部であることを望んでいる。われわれの一人一人は国の目的を前進させるための道、そしてわれわれ自身の新しい目的を見つけなければならない。これなしでは、われわれはよそ者たちの国家になってしまうだろう。
団結と変化
三つ目の項目は団結です。未開の自然に対して、小さく非力だった人々にとって、そこから解放される自由には、団結の力が必要だったのです。2世紀の変化が、再びこれを現実のものとしてきました。
もはや資本家も労働者も、農場労働者も事務員も、街も田舎も、われわれの寛大さを分断しようとするようなものは、もはや必要ない。肩を並べて協力して働くことで、われわれはともに全てに対する寛大さを増すことができる。われわれは全ての学ぶべき子供、全ての仕事を探す大人、一本のろうそくが祭壇に追加されるように病気の人がいて、それら全てが全ての信心深い人の希望を照らすことを知っている。
古い傷口を再び開いたり、古い憎悪を再びかきたてたりするものは、われわれのあいだでは拒絶しよう。かれらは国を探し求める邪魔をしているのだ。
今や理性と信じる心、行動と経験をあわせていこうではないか。そうして、同じ関心をもつ一団から、同じ目的をもつ一団へとかわっていくのだ。衝突なしに進歩をなしとげ、憎悪なし、つまり意見の相違なしに変化をなしとげ、世代間の団結に傷をつける深くつづく溝をつくることなしに、ここでこの時間、この日、この時になしとげるのだ。
アメリカの信仰
この正義、自由そして団結の誓約のもとで、われわれは一つの国を築き上げ、繁栄した、偉大な、そしてすばらしい国を築き上げてきた。そしてわれわれは自由を守ってきた。しかし神とわれわれの偉大さが永遠につづく約束をしてはいない。われわれは神によって、自身の手で汗をかき、精神の力で、偉大さを探し求めることを許されてきたのです。
私は偉大な社会が、秩序だった、変化のない、不毛なありの大群のようなものだとは信じない。それはエキサイトさせる変化である、常に変化していて、試みられていて、調べられ、倒れ、休み、再び試みられて、しかしいつも試みられて、いつも勝ち取っている。
全ての世代で、苦労と涙で、われわれは再びわれわれの権利を得なければならない。
もしわれわれは今失敗すれば、われわれは苦難の時に得たものの多くを失ってしまうことになるだろう。民主主義とは信頼によっていて、自由はそれが与えてくれる以上のものを求めるものであり、神の審判はもっとも気に入られているものほど厳しいものとなるのである。
もしわれわれが成功すれば、それはわれわれがもっているものゆえではなく、われわれが現在こうあるゆえかもしれない。われわれが所有しているものゆえではなく、どちらかといえばわれわれが信じているものゆえ成功するのだろう。
われわれは信じるものの国なのです。抗議の声がつみかさなり日々の仕事に追われるなかで、われわれは正義と自由と団結を信じており、われわれ自身の国を信じている。われわれは全ての人がいつの日か自由になるべきであることを信じている。そしてわれわれは自身を信じている。
われわれの敵はいつも同じミスを犯している。私の人生で、不況のときも戦争のときも、彼らはわれわれが失敗するのを待ち構えている。いつもアメリカの中心の秘密の場所から、信仰がうまれてくる。彼らはそれを見ることが出来ないどころか、想像することさえできないだろう。それがわれわれに勝利をもたらし、それは再び起こるだろう。
それこそが、アメリカがどういうものかということでもあります。横断されたことのない砂漠であり、未登頂の山なのです。手の届かない星であり、耕されていない土地に眠る収穫物なのです。われわれの世界は去ったのでしょうか? われわれは「さようなら」といいましょう。新しい世界が来るのでしょうか? われわれはそれを歓迎しましょう。そしてわれわれは、それを人類が希望するようにしましょう。
公僕を信じる人たち、私に長く曲がりくねった道をついてきてくれた家族や親しい友達、この国そして世界の全ての人たちへ、私は今日1963年の11月の悲しい日に言ったことを繰り返したい。「私は先導する、そしてできる限りのことをするつもりだ」
しかしあなたがたは、自分の心のなかに古い約束とふるい夢を見出さなければならない。それからがとりわけあなたがたを先導してくれるだろう。
私については、私はただ、過去のリーダーの言葉で、こう問うこととしたい。「今、私に知恵と知識をください、私はこの国民の前で政権を下り、また政権を握ります。なぜなら全てを判断できるのは、あなたがた国民だからです、素晴らしいことではないでしょうか?」