寓意について, フランツ・カフカ

寓意について


多くの者が不平を言う。賢者の言葉は何時でも寓意ばかりで、日常生活では役に立たない、そして我々には日常生活以外ありはしない、と。賢者が「彼方へ進め」と言う時、それは、向こう側へ移動しろということではない。それに値する結果が得られるなら、移動などいくらでも出来よう。そうではなく、それは何か伝説的な「向こう側」の話であり、その「向こう側」とは、我々の知りえぬ何か、彼にもそれ以上詳しくは説明できぬ何かであり、従ってこちら側にいる我々には何の助けにもならない物だ。本当のところこのような寓意が言わんとするのは、理解不能な物は理解不能だ、と言う事に過ぎない。それは我々が既に知っていた事だ。我々が日々苦労しているのは、しかし、もっと別の事なのである。

それに対して或る者が言った。「なぜ抵抗するのだ? 寓意に従えば、君達自身が寓意となり、それによって、もはや日常の労苦から解放されるのに。」

別の者が言った。「それもまた寓意だよ。賭けてもいい。」

最初の者が言った。「賭けは君の勝ちだ。」

二番目の者が言った。「しかし残念ながら、寓意の中での勝利だな。」

最初の者が言った。「いや、現実だ。寓意の中では、君は負けたのだ。」


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