男客に占められた卓の一方の端では次第に話がはずんで来た。大佐はもう宣戦の詔勅がペテルブルクで発表された、そしてその一部は今日急使を以てモスクワ総督の許へ送られて、自分も親しくそれを読んでみた、という事などを語った。
「何だって忌々しい、我々はボナパルトなんかと戦争するんでしょう?」とシンシンが言った。「Il a déjá rabattu le caquet à l'Autriche(彼はもうオーストリアの高慢の鼻を折ってしまいましたよ)今度はロシアの番が来なければいいですがねえ」
大佐はでっぷりした、背の高い、肝の強そうなドイツ人であったが、永く軍隊に務めて来た愛国主義者だという事は、ありありと見えていた。彼はシンシンの言葉にむっとした。
「何故ちうて、それはあなた」と彼は訛りの多い発音で言い出した。「それは皇帝がよく御存じです。陛下は詔勅にもそう言うておられます。朕は目下ロシアに迫れる危難を拱手して見るに忍びず。皇国の安全とその威厳、同盟軍の神聖……」と彼は何故か「同盟軍」という言葉に特別力を入れて言った。ちょうどこの中に事件の要点が含まれてでもいるかのように。
で、彼は軍人式に精厳犯すべからざる記憶を辿って、詔勅の冒頭の数句を繰り返した。「而して堅実なる基礎の上にヨーロッパの平和を築かんとする、朕の唯一にして必然なる目的希望は、玆に朕をして皇軍の一部を辺境の外に動かし、この希望の貫徹に必要なる、新しき条件を制定するに決せしめたり」
「まあこういう訳ですよ。あなた、」彼は鹿爪らしい恰好をして洋杯の葡萄酒を飲み干した。そして同意を求めるように、伯爵の方を振り向きながら言葉を結んだ。
「Connaissez vous le proverbe(あなたこういう諺を御承知ですか)エレーマよ、エレーマよ、お前は家にじっとして、紡錘でも磨いたら好かろうに」シンシンは顔に皺を寄せてほほ笑みながらこう言った。「これは今のロシアにお誂え向きです。こんな時にスヴォーロフ(アレクサンドル・スヴォーロフ(一七二九年-一八〇〇年)。ロシアの軍人。ロシア帝国史上、三人しかいない大元帥であり、最後の大元帥。不敗であったことで知られる。)でもいるというのですが、それさえめちゃめちゃにやられてしまったんですからね、á plate couture(全くですよ)、所で今ロシアのどこにスヴォーロフがいますか? Je vous demande un peu(ちょっと伺いたいものですね)」ひっきりなしにロシア語からフランス語に飛び移りながら、彼はこう言った。
「我々は血の最後の一滴まで戦わねばなりません」と大佐は卓を打って叫んだ。「皇帝陛下のために死ぬるのです、それで万事結構なんです。そして理屈は出えッ来るだけ(と彼は『出来る』という言葉をうんと引き伸ばした)減らすんです」またしても伯爵の方へ向きながら彼はちょっと言葉を切った。「まあこんな風に老いぼれの軽騎兵は考えていますよ。所で君、若い人は――若い軽騎兵はどんな風に考えておられますか?」と彼はニコライの方へ向いて言い足した。こちらはもう戦争の話が始まっているのに気が付くとすぐ、ジューリイとの話はそっち除けにして目を見張りながら大佐を眺め、耳をそばだててその話を聞いていた。
「僕は全然あなたと同意です」ニコライは一時にばっと顔を赤くして、まるでこの一刹那恐ろしい危険が身に迫ったかの如く、自暴な一生懸命な様子をして、皿を捻ったりコップを置き換えたりしながらこう言った。「ロシア人は死ぬか勝つか、どちらかでなくてはならない、と僕は思います」こう言ってしまった後で、彼は他の人と同様に、今の言葉がこの場合、余り仰々しく気障なように思われて、何だかきまりが悪くなった。
「C'est bien beau ce que vous venez de dire(あなたの仰しゃった事は大変立派でございます)」傍にいたジューリイが言った。
ソーニャはニコライの話している間、始終全身を慄わしながら、耳から――耳の後ろから首まで、首から肩まで真赤になった。
ピエールは大佐の説に傾聴しながら、賛成するように頷いた。
「いや中々立派だ」と彼は言った。
「正真正銘の騎兵だ、偉い!」と大佐はまた卓を叩きながら叫んだ。
「何をそこであんた方は騒いでるんです?」と不意にマリヤ・ドミートリエヴナの太い声が卓越しに聞こえた。「何だってあんた、そんなに卓を叩くんです!」と彼女は大佐に向かって言った。「誰相手にあんたはそう熱くなるんです? 大方すぐ目の前にフランス人でもいるような気がするんでしょう?」
「わたし本当の事を言ってるのです」と軽騎兵は微笑しながら言った。
「いや何時も何時も戦争の話ばかりです」と伯爵は卓のこちらの端から叫んだ。「御承知ですか、うちの息子も出掛けると言っています。マリヤ・ドミートリエヴナ、息子が出征するんですよ」
「所がわたしの息子は四人とも隊にいますよ、しかしわたしはくよくよしません。何事も神様の御意ですからね。どうせ煖炉の上に寝てても死ぬんですよ。戦争で死ねば神様がお恵みを垂れて下さいます」マリヤ・ドミートリエヴナの太い声は卓のあちらの端から、何の苦もなしにこちらへ届いた。
「それはそうです」
それから婦人側は婦人側、男子側は男子側と、会話は再び分かれ分かれになった。
「ほら訊けないだろう」と小さな弟のペーチャがナターシャに言った。「ほら訊けないだろう!」「訊くわよ」ナターシャは答えた。
彼女の顔は自棄半分の楽しげな決心の色を現して燃えた。彼女は向こう側に坐っているピエールに、目顔で以て聞いていろという心を知らせながら、立ち上がって母の方へ向いた。
「お母さま!」という彼女の子供らしい、胸から出るような声が、食卓全体に響き渡った。
「何です?」と伯爵夫人はびっくりして問い返したが、娘の顔付きで悪戯だなと見て取ると、脅かすような打ち消すような素振りを頭でして見せて、厳つい顔付きで片手を振った。
話ははたと止んだ。
「お母さま! お菓子は何が出るの?」ナターシャの声が今度は前より大胆になって、途切れる事なしに響いた。
伯爵夫人は眉を顰めようとしたが出来なかった。マリヤ・ドミートリエヴナは太い指を突き出して脅かした。
「コサック!」と彼女は声に威嚇の調子を持たして言った。
客の多数はこの突然な出来事をどういう風に採ったらいいのかと、年長者の方を眺めていた。
「お前、本当に酷いですよ!」と伯爵夫人が言った。
「お母さま! お菓子は何が出るの?」もう自分の行為は好意に解されるに相違ないと確信したナターシャは、すっかり大胆になって気紛れな愉快らしい声で叫んだ。
ソーニャと肥えたペーチャとは人の陰に隠れて笑いこけた。
「ほら訊いたじゃないの」とナターシャは弟とピエールに囁いた。そして今一度ピエールをちらりと眺めた。
「アイスクリーム、但しお前さんにゃ上げない」とマリーヤ・ドミートリエヴナが言った。
ナターシャは何もびくびくする事はないと見て取ったので、マリヤ・ドミートリエヴナさえ少しも恐れなかった。
「マリヤ・ドミートリエヴナ! 何のアイスクリーム? わたし李のいやよ」
「人参の」
「いやよ、どんなの? マリヤ・ドミートリエヴナ、どんなのよう?」と、彼女はほとんど喚くように言った。「わたし知っておきたいの!」
マリヤと伯爵夫人は笑い出した。一同の客人達もそれに続いた。皆が笑ったのはマリヤ・ドミートリエヴナの答えが可笑しかったからでなく、大胆にもマリヤ・ドミートリエヴナに向かって、ああいう態度を取り得た少女の、勇気と巧者さ加減を興がったのである。
ナターシャはパイナップルのだと教えて貰うまで後へ退かなかった。アイスクリームの前にシャンパンが出た。やかて再び音楽隊の演奏が響き始まる頃、伯爵夫妻は接吻した。客達は立ち上がって伯爵夫人に祝辞を述べ、卓越しに伯爵、その子供達、次にお互い同士乾杯をした。再び侍僕らが馳せちがい始め、椅子ががたがた鳴って、客人達は以前と同じ順序で(但し以前よりずっと赤い顔をして)客間と伯爵の書斎へ帰った。