戦争と平和 第十一編, レフ・トルストイ

一


運動の絶対的連続は人知の理解し得ないところである。どんな運動であろうと、その法則が人間に理解されるのは、任意にその運動の単位を取って観察する時だけである。しかしそれと同時に、人間の迷妄の大部分は、不断の運動を自分勝手に、断片的な単位に分割することから生ずるのである。

古人の所謂(いわゆる)詭弁で有名なものがある。外(ほか)でもない、アキレスは亀より十倍の速力で歩くにも拘わらず、前に進む亀をどうしても追い越すことが出来ない、とこう言うのである。即ちアキレスが自分と亀を距てている空間を過ぎる間に、亀はこの空間の十分の一だけ先へ出る。アキレスがその十分の一を歩いたとき、亀は百分の一を進んでいると言う具合に、際限なく続く訳である。この問題は古人に取って不可解なものと思われた。しかし、アキレスがどうしても亀を追い越せないと言うこの無意義な解答は、アキレスと亀の運動が不断のものであるにも拘わらず、運動の断片的単位を任意に許容したために生じたものである。

運動の単位を段々小さくして行くと、我々はただ問題の解決に近づくだけで、決して解決そのものを得ることは出来ない。ただ無限に小なる一つの数と、それから生ずる級数を十分の一まで許容し、この幾何級数の総和を探ることによって、はじめて問題の解決に到達し得るのである。数学の新しい分野は無限小なる数の取り扱い方を発見したので、今では他のより以上複雑な運動の問題中、不可解に思われていた難問にさえ解答を与えている。

古人の知らなかったこの新しい数学の分野は、運動問題研究の際、無限小の数、すなわち運動の主要件たる絶対連続を許容することによって、在来、連続的運動を見ずして、運動の個々の単位を見ていた人々に免かれ難い誤謬を正している。

歴史的運動の法則を研究する場合も、矢張り同じことである。

人類の運動も無数の人間の自由意志から流れ出ながら、連続的に行われるものである。

この運動の法則を究めるのが歴史の目的である。しかし人間の自由意志の総和の連続的運動の法則を発見するために、人間の知力は勝手に断片的単位を許容する。歴史の第一の研究法は、連続せる事件を幾つか勝手に選み取って、それを他の事件から引き離して観察する事である。然るに、如何なる事件でも決して始まりと言うものはない。またあり得べきでない。常に一つの事件は他の事件から絶えず流れ出るものである。第二の研究法は或る一個人、即ち帝王とか将軍とかの行動を、人々の自由意志の総和として観察することである。然るに人間の自由意志の総和は、決して一個の歴史的人物の行動に表現されるものでない。

史学は進むに従って、研究材料としてますます小さい単位を求め、かくして真理に近づこうと努力している。しかし歴史の採用する単位がどんなに小さくても、他から分離された単位、即ち或る現象の根元を容認して、万人の自由意志は或る一個の歴史的人物の行動に表現される、などと仮定するのがそれ自身誤りである事を、我々は痛感せずにいられないのである。

あらゆる歴史上の断案は、批評家がその観察の対象として、大小に拘わらず断片的単位を選び取っただけで、そのうえ格別の努力を払うまでもなく、塵の如く消滅して痕跡をも留めないであろう。歴史家の採った単位は常に任意なものであるが故に、批評家は常にそうする権利を有している。

ただ観察の対象として無限小の単位――歴史の微分、即ち同じ種類に属する人類の衝動――を容認し、積分法(即ちこれら無限小の総和を計る事)に成功したとき、初めて我々は歴史的法則の理解を期待し得るのである。


十九世紀の最初の十五ヶ年は、ヨーロッパにおける数百万の人々が、未曽有の大移動を行った時代である。人々は慣れた仕事を棄て、ヨーロッパの一端から一端へ赴き、掠奪したり、互いに殺し合ったり、得意になったり、絶望したりした。生活の歩みは数年の間すっかり一変して、一つの盛んな活動となった。その活動は初め次第に拡大し、やがて段々衰微に赴いた。一体この活動の原因は何であって、どう言う法則に基づいて行われたのか?――こう人間の理性は質問を発する。

歴史家はこの問題に対する答えとして、パリ市の或る建物の中に行われた、数十の人々の行動や演説(これを一口に革命と呼んでいる)を述べ、次にナポレオン、及び彼に共鳴(もしくは反対)した数名の人物の伝記を詳細に記し、これらの人物中の或る者が、他の者に与えた影響を物語った挙句こう言う訳でこの運動は起こったので、これがその法則である、と言っている。

しかし人間の理性はこの説明を拒否するばかりでなく、却ってその説明法を不確実だと断言する。何故なればこの説明によると、最も弱い現象が最も強い現象の原因とされるからである。ただ人間の自由意志の総和のみが、革命とナポレオンを生み出し、彼らのために苦しんで、そうして彼らを亡ぼしたのである。

「しかし征服のある所には必ず征服者がある。国家に変動が生じる時には必ず偉人が現れる」と歴史は言う。実際、征服者が現れたときには必ず戦争があった、とこう人間の理性は答える。しかし、それは征服者が戦争の原因であるとか、または或る一個人の行動に戦争の法則を見出し得る、などと言うことを説明する訳でない。いつも私が自分の時計を眺めて、短針が十時に近づいたのを見る時には、必ず隣の教会で式の開始を知らせる鐘が鳴り出す。けれど教会の鐘が鳴り出す時、短針が必ず十時を指すと言うことからして、短針の位置は鐘の運動の原因だと論結する権利を、私は持っていないのである。

機関車の運動を観察していると、必ず汽笛の響きが聞こえ、安全弁が開き、車輪が回転するのが見える。しかし私はこの事実からして、汽笛と車輪の回転が機関車の運動の原因である、などと言う権利を持っていない。

百姓達は、晩春になると寒い風が吹くが、それはつまり樫が芽を出すからだ、とこんな事を言う。全く毎年春になって樫が芽を出す頃、きっと寒い風が吹く。どうして樫が芽を出す頃に寒い風が吹くか、その訳は私にも分からないけれど、寒い風の原因を樫の芽出しに帰する百姓の説には、到底同意することが出来ない。なぜと言って、風の力は芽の影響外に在るからである。私はただあらゆる生活現象に見受けられる、数個の事情の暗合を見るだけである。時計の針や、機関車の安全弁や車輪を、どんなに詳しく観察しても、鐘や機関車の運動も、春の風の原因も知り得ない、という事を悟るだけである。これを知るためには全く視角を変えて、蒸汽や鐘や風の運動法則を研究する必要がある。歴史も矢張り同様でなければならぬ。しかもこの試みは既になされている。

歴史の法則を研究するには、全然観察の対象を変えなければならぬ。すなわち皇帝や大臣や将軍は打ち棄て置いて、大衆を指導している無限に小さい、同種の要素を研究すべきである。この方法で人間がどれだけ史的法則の理解に到達し得るか、それは誰一人、明言し得るものはない。しかしただただこの方法によってのみ、史的法則を捕え得ることは明らかである。また過去において、歴史家が様々な皇帝や将軍や大臣の活動を記述し、かつこれらの活動に関して、自己の考察を述べるために費やした努力の百万分の一をも、人知がこの方面に注いでいないと言うことも、極めて明瞭な事実である。


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