戦争と平和 第十四編, レフ・トルストイ

三


いわゆる遊撃戦は、敵がスモレンスクへ入った時から始まった。

遊撃戦が我が政府に依って公然採用される前、すでに数千人の敵兵――落伍者、掠奪兵、徵発隊など――はコサックや百姓共に掃滅された。ちょうど、犬の群が風来の狂犬を無意識に噛むように、彼らは無意識に敵兵を打ち殺したのである。ジェニース・ダヴイドフはロシア人独特の直覚で、戦術などに頓着なくフランス軍を滅した、かの恐ろしい棍棒の価値を第一番に悟った。そして、この戦法を正則化する第一歩の名誉も彼のものとなったのである。

八月二十四日、ダヴイドフの第一遊撃隊が編成されると、やがて他の隊も次々と編成されるようになった。戦局が進展するにつれて、こう言う部隊の数はますます多くなった。

遊撃隊は巨大な敵軍を端から端から滅して行った。彼らは枯れ果てたフランス軍の樹から、自然に落ちる葉を拾って行った。時とすると、その幹を揺さぶる事もあった。十月になって、フランス軍がスモレンスクさして走っている時など、大きさや性質を異にしたこの種の徒党が、幾百となく出来上がっていた。中には軍隊としての形式をことごとく取り入れて、歩兵や、砲兵や、司令部や、その他、生活の必要品さえ備えたのもあった。中にはただ騎馬のコサックのみから成り立ったのもあった。歩兵と騎兵と混合の小さな集団もあった。誰も知らない百姓や地主の徒党もあった。一ヶ月のうちに数百の捕虜を得た助祭を、指揮者に戴いているのもあった。また数百人のフランス兵を殺したと言う、村長の女房のワシリーサもあった。

十月の下旬は遊撃戦の最も酷な時であった。この戦の第一期、即ち遊撃隊が自分で自分の大胆に驚きながら、絶えずフランス軍のために摑まったり、囲まれたりしはしないかと恐れて、鞍も解かなければ馬からもほとんど下りないで、林の中に潜伏しながら、今か今かと追撃を待っていたような時期は、もう過ぎてしまった。今ではこの戦法はちゃんと固定してしまって、フランス軍に対してなすべき事と否とが、すべての人にはっきりと分かって来た。もう今となっては、色々な仕事を不可能と思っているのは、法則通り司令部と共にフランス軍から遠く離れて進んでいる、大部隊の指揮官だけであった。ずっと前から仕事を始めて、フランス軍を手近に観察していた遊撃兵の小部隊は、大きな隊の指揮官が夢にも考えないような事を、立派に実現出来るものと認めていた。フランス軍の間を徘徊するコサックや百姓達は、今ならもうどんな事でも出来ると思っていた。

十月二十二日、遊撃戦士の一人たるジェニーソフは、徒党と一緒に遊撃隊としての活動に熱中していた。彼は朝から部下を率いて歩き回っていた。彼は朝から晩まで、街道に接した林に沿うて、騎兵の付属品とロシアの俘虜から成る、フランスの大輸送隊をつけ狙っていた。この輸送隊は他の軍隊から離れて、斥候や捕虜の言葉によると、強力な掩護(えんご)を受けながら、スモレンスクへ向かっているのであった。この輸送隊のことはジェニーソフや、ジェニーソフに接近して進んでいるドーロホフ(矢張り小さな徒党を率いた遊撃戦士であった)に分かっていたばかりでなく、司令部を持った大部隊の長官達にも知れていた。皆この輸送隊のことを知っていて、ジェニーソフの言葉を借りると、腕に撚(より)を掛けているのであった。こう言う大部隊の指揮官が二人――一人はポーランド人で一人はドイツ人である――ほとんど同時にジェニーソフに使いを送って、いずれも自分の隊に合して輸送隊を襲わないかと勧誘した。

「駄目だよ、兄弟、俺だって男一匹だ」ジェニーソフは手紙を読んでこう言った。そして早速、ドイツ人に返事を書いた。勇敢な名声高い将軍の指揮下に働くのは、心の底から希望するところであるが、残念ながらこの幸福を断念しなければならない。なぜと言って、自分はもうポーランド人の将軍の麾下(きか)についたから、とこう言う文意であった。ポーランド人の将軍の方へも矢張り同じような書面を送って、自分はもうドイツ人の指揮に従うことになったと述べた。

ジェニーソフがこう言う処置をとったのは、高級指揮官へ断りなしに、ドーロホフと一緒に僅かな手勢で例の輸送隊を襲い、それを鹵獲(ろかく)しようと企てていたからである。輸送隊は十月二十二日、ミクーリノ村からシャムシェヴォ村へ進んだ。ミクーリノからシャムシェヴォへ通ずる街道の左側には、大きな林が続いていた。この林はところどころ街道の傍まで迫って来るかと思うと、また所によっては一露里も、あるいはそれ以上も街道から離れているのであった。ジェニーソフはこの林の中を、奥深く入ったり端近くへ出たりしながら、行進中のフランス軍を見失わないように、隊を率いて終日、馬を進めていた。朝のうちに、ミクーリノから余り遠くない、林が街道近く迫っている所で、ジェニーソフの徒党に属するコサックは、泥濘(ぬかるみ)に没したフランス軍の荷馬車を二台、塔載してある騎兵用の鞍と一緒に鹵獲(ろかく)して、林の中へ引き込んだ。それからずっと晩まで襲撃せずに、フランス兵の行動を監視していた。ジェニーソフはフランス軍を驚かさないで、無事にシャムシェヴォまでやり過ごし、夕方シャムシェヴォから一露里ばかり離れた林の中の見張所へ、打ち合わせに来る筈のドーロホフと一緒になって、夜明けがた両方から不意にフランス軍の寝こみを襲撃し、一挙にして全軍を捕虜にしてしまおうと思ったのである。

ミクーリノから二露里へだてた後方には、林が街道近く迫っているあたりに、六人のコサックが残された。彼らは新しいフランスの縦隊が見えたら、さっそく報告する任務を帯びていた。

ドーロホフも矢張りシャムシェヴォ前面の街道を調査して、ほかのフランス軍がどのくらいの距離にあるか、突きとめなければならなかった。輸送隊は千五百人と言う予想であった。然るにジェニーソフの部下は二百人、ドーロホフの隊も矢張り同じ程度に過ぎなかった。しかしジェニーソフは敵の兵力が優勢なために、その企てを中止するようなことはしなかった。ただ一つ知りたいのは、敵がどう言う隊から成り立っているか、という事であった。この目的のために、ジェニーソフは舌(即ち敵兵の一人)を摑まえなければならなかった。今朝、荷馬車を襲撃した時は余り急いだので、荷馬車に付いていたフランス兵を残らず殺してしまって、生捕ったのはただ落伍した少年鼓手だけであった。そしてこの少年も、縦隊にどんな兵がいるやら、確かなことを知らなかったのである。

もう一度襲撃するのは軍全体を騒がす恐れがあると思ったので、ジェニーソフは徒党中のチーホン・シチェルバートフと言う百姓を、先にまずシャムシェヴォへやって、もし出来る事なら、そこにいる先着のフランス宿営係を、一人でもいいから捕虜にするようにと命じた。