戦争と平和 エピローグ 第二編, レフ・トルストイ

九


歴史学にとって自由と必然に関する問題の解決は、他の知識の部門に対するこの問題の関係に較べると、次のような特点をもっている。即ち歴史学にとっては、この問題は人間の意志の本質に直接関係しないで、過去の一定した条件内における意志の発現、という観念に関するものである。

この問題の解決について、歴史学はほかの科学に比較すると、理論科学に対する実験科学の位置に立つこととなる。

歴史はその対象として人間の意志そのものでなく、この意志に関するわれわれの観念を取り扱っている。

それゆえ歴史学においては、神学や倫理学や哲学におけると同様に、自由と必然の矛盾結合に関する、解決の出来ない神秘は存在しないのである。この二個の矛盾の結合が既に成就した、人間の生活に関する観念の考察――それが歴史の仕事である。

実際生活において、すべての歴史的事件、ならびにすべての人間の行為は、部分的には自由なものと感じられ、部分的には必然の所産と感じられるにも拘わらず、極めて明瞭的確に、何らの矛盾感も伴わないで理解せられる。

自由と必然がいかに結合せられるか、この二個の観念の本質は果たして何であるか、こういう疑問を解決するために、歴史哲学は他の諸科学が進んだ道とは、全然正反対の道を進むことが出来る。否、必ずそうしなければならない。即ち、自由と必然の観念をそれ自身において定義した後、人生の現象をこの出来上がった定義へ当て嵌める代わりに――常に自由と必然に支配されているように見える、人生の数限りない現象の中から、自由と必然の観念そのものの定義を帰納しなければならない。

多数または一個の人物の行為に関して、いかなる観念を検討してみても、部分的には人間の自由意志、部分的には必然の法則の所産とよりほかに、解釈することが出来ない。

種族の移動、蛮人の侵入、あるいはナポレオン三世の命令、あるいは更に転じて、幾つかの散歩の道筋から一つだけ選みだした普通人の行為、つい一時間前に行われた行為などについて論じる場合――われわれは何らの矛盾をも感じない。これらの人々の行為を支配した自由と必然の度合が、われわれにとって明瞭に決定されているからである。

われわれがある現象を観察する見地の相違に応じて、自由の度合に関する観念は、しばしば異なるものである。しかし、すべての人間の行為が、自由と必然の一定の結合として映ずるという点は、いかなる場合でも同様である。いかなる行為を検覈(けんかく)してみても、われわれはその中に一定量の自由と、一定量の必然を発見する。その際、すべての行為について、次のように言うことが出来る。即ち自由の量が多ければ多いだけ、必然の量は少なくなり、必然の量が増すに従って、自由の量は減ずるものである。

自由の必然に対する関係は、行為を検覈(けんかく)する見地の相違によって増減する。しかしこの関係は常に反比例をなしている。

みずから溺れかっているために他人にしがみついてその人を溺らす人間、あるいは授乳のために憔悴して食べ物を盗む飢えたる母親、あるいは規律を教えこまれたために抵抗力のない人を号令によって殺す人間、これらの人々は事情を知っている者の目には、比較的罪が浅い、即ち比較的自由が少なくて、より以上、必然の法則に支配されているようにも見える。ところが、第一の男が自分で溺れかかっていることや、母親が飢えていることや、兵士が隊列にあることなどを知らない人にとっては、比較的自由が多いように思われるであろう。それと同様、二十年前に殺人を犯して、それ以来穏やかにおとなしく社会生活をしている人間は、二十年経過した後にその行為を検覈(けんかく)する人にとって、比較的罪が浅いように感じられ、その行為はより多く必然の法則に支配されているように見えるが、犯罪の翌日同じ行為を検覈(けんかく)する人の目には、比較的自由なものとして映る道理である。また同じように狂人や酔漢や、極度に興奮した人間のあらゆる行為は、その行為を行った人の心的状態を知っている者にとって、比較的非自由な必然的なものに感じられるであろうが、それを知らない人にとっては、比較的自由で非必然的なものに見えるであろう。これらすべての場合、行為を検覈(けんかく)する見地の相違によって、自由の観念は増大しまたは減少する。それに準じて、必然の観念も減少しまたは増大する。それ故、必然が大きく感じられれば感じられるほど、自由が小さく感じられ、あるいはその反対となる。

宗教、人類の常識、法理学、及び歴史自身は、必然と自由の間に存するこの関係を、同じように理解している。

自由と必然に関するわれわれの観念が増大し、または減少するすべての場合は、一切の例外なしに、ただ次の三点のみを根拠としている。

(一)ある行為を行った人間の外界に対する関係。

(二)同じく時に対する関係。

(三)同じく行為を醸成した原因に対する関係。

(一)第一の根拠はとりも直さず、人間と外界との目に見得る関係(その程度に多少の差異は存する)であり、人間が自己と同時に存在する一切のもの対にして、如何なる位置を占めているかと言う明瞭な(程度に多少の差異は存する)観念である。これが即ち、溺れかかった人間は陸に立っている人間よりも、より多く不自由であり、より多く必然に左右されていることを、明瞭にするところの根拠である。それが即ち、人口稠密な土地に他人と密接な関係を保ち、かつ家族や勤務や事業に結びつけられている人間の行為が、孤独な隠者の行為に比べて、より多く非自由で、より多く必然に左右されることを、明らかにするところの根拠である。

周囲の一切に対して無関係な孤独の人間を観察すると、その行為はすべて自由なもののように思われる。しかし、もしわれわれが周囲のものに対するその人間の関係を、ただの一つだけでも認めるとすれば――たとえば共に語る人間、繙読する書物、従事する労働は言うまでもなく、彼を包む空気、彼を囲繞(いじょう)する物体に落ちる光線に至るまで、何らかのものにこの人間との関係を認めるならば――それらの条件が一つ一つ彼に影響を与えて、その行為の一面でも支配するに相違ない。この事実を認めないわけには行かぬ。こういう影響を認めることが多ければ多いだけ、彼の自由に関する観念は減少して、彼を左右している必然の観念が増大するのである。

(二)第二の根拠は、人間と外界との目に見得る一時的関係(その程度に多少の差異は存する)であり、人間の行為が時の中に如何なる位置を占めているかという明瞭な(程度に多少の差異は存する)観念である。この根拠によってみると、人類の発生という結果を生じた原人アダムの堕落は、現代人の結婚よりも明らかに不自由なものとして映ずる。この根拠によってみると、幾世紀も前に暮らしていた人々の生活や活動は――時(タイム)の中でわれわれと結び合わされている生活や活動は、まだ結果の分明しない現代人の生活と同様に、自由なものとは考えられないのである。

この点において、自由と必然の程度に関する観念の相違は、行為の完成とその判断の間に横たわる、時間の長短に支配されるものである。

もしわたしが現在とほぼ同様の条件で、一分間前に行った行為を検覈(けんかく)するならば、その行為は疑いもなく自由なものと思われるであろう。しかし一ヶ月前に、違った条件で行った行為を批判する時、わたしはおのずから次のような事を認めないわけにゆかない。つまり、もしこの行為が成就されなかったならば、この行為から生じた有益な、気持ちのよい、いやそれどころかむしろ必要な結果が、この世に現れなかったわけである。もしわたしがなお一層遠い過去、十年乃至(ないし)それ以上も昔の行為を回想するならば、わたしの行為の結果はなお一層明瞭に浮んでくる。そして、もしこの行為がなかったらどうだろう、というようなことを想像するのに、極めて困難を覚えるであろう。回想の糸を逆に手繰れば手繰るほど、あるいは遠く未来を想像すればするほど(それはどちらも結局同じことである)、行為の自由に関する考察はますます疑わしくなるのである。

一般人類の事件における自由意志の関与を確かめる同様の級数関係を、われわれは歴史の中にも見出すことが出来る。最近に起こった現代の事件は、われわれの目に疑いもなく、すべて既知の人々の所産として映ずる。しかし比較的時を隔てた事件となると、もうわれわれはその否定すべからざる結果を認めて、それをよそにしては、他の何物をも想像することが出来ない。こうして事件考察の目を過去へ向ければ向けるほど、それらの事件はいよいよ自由の少ないものに感じられるのである。

墺普戦争はわれわれの目から見ると、疑いもなくビスマルクの奸計その他の結果と思われる。ナポレオンの諸戦役は、もう多少疑わしくなってくるが、それでもまださまざまな英雄の意志の産物と感じられる。けれど十字軍あたりまで溯ると、われわれはもう時(タイム)の中に一定の位置を占めた出来事と認めて、それを度外してはヨーロッパの近代史を想像することも出来ない。然るに十字軍の年代記者にとっては、この事件は単にある人々の意志の産物に過ぎなかったのである。種族の大移動に関しては、現代人は誰一人として、ヨーロッパという世界の更新がアッティラ汗(アッティラ汗(四〇六年-四五三年)。フン族の王。現在のロシア南部・東欧・ドイツにわたる帝国を築き、「大王」を自称した。)の気紛れから起こったものとは、到底想像し得ないのである。観察の対象を歴史の奥深く移せば移すほど、事件を惹起した人々の自由はいよいよ疑わしくなり、必然の法則はいよいよ明白となってくる。

(三)第三の根拠はほかでもない、限りなき原因の連続のうちで、われわれに理解し得る程度の大小を指す。これは理性の止み難き要求であって、理解し得る各々の現象、従って人間の各々の行為は、前に立つものにとっては結果として、続いて来るものにとっては原因として、この無限の連続の中に一定の場所を占めるべきである。

この根拠によると、一面においては、人間を支配する生理的、心理的、歴史的法則が観察から帰納されて、明瞭になればなるほど、また行為の生理的、心理的、歴史的原因が正確に見定められれば見定められるほど、更に他の一面においては、観察の対象たる行為と被研究体たる人間の性格頭脳が単純であればあるほど、われわれ及び他人の行為は、観察者の目にますます自由なものと映じ、必然の法則に支配されることが少なく[*訳者註]感じられるのである。

[訳者註:本巻六二四頁六行目より十行目に亘(わた)る一節は、トルストイ自身がその前後に述べている論旨に対し、明らかに矛盾撞着を含んでいるように感じられる。全体の論理の流れに従って行けば、本訳書中*印を付した『自由』と『必然』の関係は全然正反対に置かれねばならぬ筈である。あるいは誤植ではあるまいかとの懸念を抱いて、版を異にする数種の原書を比較参照して見たが、別に魯魚(ろぎょ)の誤りと見なすべき点がない。依ってガーネットの英訳を点検したところ、この英訳者も同様の矛盾を感じたらしく、かなり原文を離れて自由訳の態度をとり、トルストイの論定を遂に書き換えている。しかし念のため更に独訳をも調べて貰ったところ、独訳者は原文のままを忠実に伝えているとのことであった。で、わたしは後者の例に倣って、原作者の表現を尊重し、翻訳中に私見をさし挿まないことにした。しかし読者の抱き得る疑惑を避けるため、ここに余白を利用して、一言翻訳者としての態度を明らかにして置く、なおこの問題の解釈に関し、種々の助力と忠言を与えられた岡田哲蔵氏、並びに岩波茂雄氏に衷心から感謝の意を表する]

ある行為の原因が全然不明な場合、それが悪行であるにもせよ、善行であるにもせよ、また善悪無差別であるにもせよ、われわれはその行為の中に最大量の自由を認める。もしそれが悪行である場合には――われわれはそれに対して何よりも刑罰を要求するし、善行である場合には――何よりもその行為を徳とする。無差別の場合には――最大の個性と、独創と、自由を認める。しかし無数の原因のうち、どれか一つだけでも明白になった場合には、われわれはもうある程度の必然を認めて、犯罪に対する報復の要求を弱め、善行の徳を割引し、独創的に感じられた行為の自由性を減少する。犯罪者が悪人の仲間に育てられたという事実は、もうその罪を軽減する。父母の自己犠牲、褒賞の可能を伴う自己犠牲は、いわれのない自己犠牲よりも了解しやすく、従って比較的自由性が少なく、同情に価(あたい)する点も減じるわけである。一宗派一党派の創始者、乃至(ないし)発明家も、その活動の準備された所以(ゆえん)を知れば、さほど驚くにも当たらなくなる。もしわれわれが、無数の経験を持っているか、あるいは人間の行為における原因結果の相互関係の探究に、絶えず観察の眼を向けたならば、われわれが原因と結果を正確に結びつければ結びつけるほど、人間の行為はいよいよ必然的な、非自由なものに見えるであろう。もし研究の対象たる行為が単純なものであって、しかもわれわれがそういう行為を無数に持っていれば持っているほど、その必然性に関する観念はますます完全になってくる。破廉恥漢を父とする人間の破廉恥な行為、ある社会に落ちた女のよからぬ身持ち、禁酒した酒飲みの破戒など、すべてこれらの行為は原因が理解しやすければしやすいほど、いよいよ非自由に感じられるのである。もし研究の対象たる行為者が、理性発育の最下層に立っているならば――たとえば小児、瘋癲、白痴などであるならば、われわれはその行為の原因と、性格理知の単純さを知り尽しているために、やがて間もなくかかる行為を引き起こす原因が明白となって、あらかじめそれを予言することが出来るほど、多量の必然性と少量の自由性を認めるのである。

ただこの三つの根拠のみによって、あらゆる立法府に現存する犯罪の不起訴理由と、情状酌量の条件が成立するのである。不起訴の理由は、審理の対象たる行為者を囲んでいた外的条件に関する知識の多少、犯罪遂行から審理までに経過した時間の長短、行為を惹起した原因の理解の深浅などに応じて、大とも小ともなるのである。