ピエールとドーロホフの事件は有耶無耶に揉み消されてしまった。そして決闘に対しては当時皇帝が非常に厳格であったにも拘わらず、双方の当事者も介添人も事なく差し置かれたのである。しかしピエール夫妻の別居に依って裏書きされた決闘のいきさつは、交際社会に隈なく知れ渡ってしまった。ピエールがまだ単なる私生児であった時には、人々は寛大な庇うような態度を取っていたし、また彼がロシア帝国における有数な花婿の候補者であった時には、ちやほやして担ぎ回ったものであるが、彼が結婚してしまって、娘や母親達に取って、期待することが少しも無くなってしまうと、彼は一時に社交界の評判を失墜した。そのうえ彼は交際社会の好感を求める事が下手で、しかもそれを望もうとしなかった。
それ故この事件に関しても、人々は彼一人のみを責めた。彼は訳の分からない焼きもち屋で、亡父と同じ残忍狂暴な発作の虜となったのだ、などと噂し合った。で、エレンがピエールの出発後、ペテルブルクへ帰って来た時、単に好意というくらいでなく、今度の不幸に関連する尊敬の気味合を以て、すべての知人に迎えられたのである。会話が良人の上へ移る毎に、エレンは自分でもその意味をはっきり知らないのだが、生来の社交術に依って修得した、気品の高い表情を浮べるのが常であった。この表情はちょうど、『わたしは愚痴をこぼさないで、この不幸を忍ぼうと決心しました。良人は神様から送られたわたしの十字架です』と言うようであった。
ワシーリイ公爵は一層露骨に自分の意見を口にした。彼は話頭がピエールの事に転ずる度に、肩をすくめて額を指さしながらこう言った。
「Un cerveau félé(半気ちがいです)――平常から言わないこっちゃありませんよ」
「わたし始めからそう申していました」とアンナ・シェーレルはピエールの事をこう言った。「わたし、あの時すぐ、誰よりも真先に(と彼女は自分の優先権を主張した)、そう申したのです、あの人は時代の放縦な思想に毒された向こう見ずな青年ですって。わたし皆があの人に夢中になってる時分から、もうこんな風な事を予言しました。ちょうどあの人が外国から帰って来た当座の事でした。ねぇ、そら、何時か宅の夜会でまるでマラー(ジャン=ポール・マラー(一七四三年-一七九三年)。フランス革命の指導者の一人、医師。)か何ぞのような役回りをしたではありませんか。果たしてこの通りの結果ですわ。わたし、あの当時からこの結婚を望みませんでしたから、これこれの事が起るだろうって、すっかり予言いたしました」
アンナは例に依って暇な時に、以前のような夜会を自宅で催していた。その夜会は彼女の才能を以て始めてなし得る底のものであった。それはこの夜会にいつも女主人の所謂、la crème de la véritable bonne société, la fine fleur de l'essence intellectuelle de la société de Pétersbourg(真に優れた社会のクリーム、ペテルブルクの知識階級のエッセンス)が集まるからであった。こうして巧緻に精選された一座の顔触れの他、今一つアンナの夜会の特色というべきは、いつも夜会の度毎に女主人が誰かしら目新しい、興味ある人物を一座に提供する事と、正統王家派的な、宮廷に近い社会気分を指示する、政治的寒暖計の度合が、他所で見られないほど明瞭正確に現れる事であった。
一八〇六年の末、プロイセン軍がナポレオンのために、イエナ及びアウエルシュテットの二ヶ所で微塵に粉砕され、プロイセンの要塞の大部分が白旗を掲げたと言う詳報が達し、ロシア軍が既にプロイセンへ進出して、ロシア対ナポレオンの第二次戦が開かれた頃である。アンナ・シェーレルは自宅で例の夜会を催した。当夜の『真に優れたる社会のクリーム』は、良人に捨てられた不幸なる美しきエレン、モルテマール子爵、つい近頃ウィーンから帰って来たばかりの愛すべきイッポリート公爵、二人の外交官、伯母様、社交界で単に d'un homme de beaucoup de mérite(非常に才のある人)という通り名を頂戴している一人の青年、新たに任命された女官母子、その他に少し品の下がった人達が幾人かであった。
女主人が新顔として当夜の来客をもてなす材料に使ったのは、最近プロイセンの軍隊から急使としてこの地へ到着した、ボリース・ドルベツコーイであった。彼は或る高官の副官を勤めていた。この夜会に現れた政治寒暖計の度は次のようなものであった。即ちヨーロッパの帝王や元帥達がことごとく心を合わせて、我々ロシア人に不快や悲しみを感じさせるため、ボナパルトの勝手気随を見て見ぬ振りをしても、ボナパルトに関する我々の意見は決して変更する訳に行かない。我々はこの点について、偽らざる思想を絶えず発表するに憚らない。そしてプロイセン王その他の人々に向かっては、そんな事をすれば却ってお前さん方の不利だよ、と言ってやるだけの事だ。Tu l'as voulu, George Dandin(これはお前さんの自ら求めた事なのだ、ねえ、ジョルジュ・ダンダン(モリエール(一六二二年-一六七三年)の戯曲。財産目当てで貴族の娘と結婚した農民の男ジョルジュ・ダンダンが妻の浮気に翻弄される様を描いた喜劇。))とより他に言いようがない――こういう風な気持ちが、アンナの夜会の政治寒暖計に示されていた。この夜、客の膳に薦めらるべきボリースが客間へ入って来た時は、もう来客一同揃っていて、アンナに指導されている会話はロシアとオーストリアとの外交関係、及び両者の同盟に対する希望などについて交換されていた。
ボリースははいからな副官の軍服を着けて、生き生きした紅顔の美丈夫になっていた。余裕綽々たる態度で客間へ入ると、まず規則として伯母様の所へ挨拶に連れて行かれた後、再び人々のグルーブをなしている方へ導かれた。
アンナは自分の干からびた手を接吻させて、彼に取って未知の人々を紹介し、小声でその一人一人に定義を下すのであった。
「公爵イッポリート・クラーギン――愛すべき青年です。クルークさん――コペンハーゲンの代理公使で、実に聡明なお方です。シートフさん――d'un homme de beaucoup de mérite(非常に才能のある方です)」この通り名を頂戴している青年を摑まえて、彼女はこう言った。
ボリースはその後ずっと勤務を続けている間、母アンナ・ドルベツカーヤ夫人の心遣いと、自分自身の趣味と控目な性質のお蔭で、勤務上、最も有利な地位に立つ事が出来た。彼は非常な権勢家の副官となり、甚だ重大な任務を帯びてプロイセンへ赴き、最近、同地から急使として帰京したばかりである。彼はオルミュツにおいて眇たる一少尉補も、堂々たる将官より比較にならぬほど高い位置に立てるという不文律を悟って、それが非常に気に入ったので、それ以来すっかりそのこつを呑み込んでしまった。この不文律によると、成功の必要条件は勤務の勉励でもなければ、努力でも勇敢でも持久力でもない。只々行賞抜擢の権を有している人々に巧く応対すればいいのである。彼はよく自分で自分の急速な成功に驚き、且つ他の人がこの理を悟らないのに呆れる程であった。
この発見の結果、彼の生活状態も、以前の知己に対する態度も、未来の計画もことごとく一変してしまった。彼は金持ちはなかったけれど、他の人より立派な服装をするために、なけなしの金をはたく事を惜まなかった。見すぼらしい馬車を乗り回したり、古い軍服を着てペテルブルクの街を歩いたりするよりも、その他の満足を犠牲にした方がましだと思っていた。彼は自分より上位の人、つまり自分に取って有利な人にのみ接近し知遇を求めた。そしてペテルブルクを愛しモスクワを侮蔑した。ロストフ家の記憶や、ナターシャに対する子供らしい恋の記憶は、彼に取って不愉快なくらいであった。それ故、彼は軍隊に投じてよりこのかた、一度もロストフ家へ足踏みしなかった。彼はアンナ・シェーレルの夜会に出席する事を、異常な勤務上の昇進と心得ていたので、この席における自分の役回りをすぐに了解して、自分というものの中に含まれているすべての興味を、アンナ・シェーレルの利用に委ねた。そして注意深く各個の人々を観察し、それ等の人々に接近する利益と可能を心の衡にかけていた。彼は美しいエレンの傍へ指定された場所に坐って、人々の会話に耳をすましていた。
「オーストリアはロシアの提供した条約の根底を、全然不可能な事だと信じているのです。たとえロシアが実戦上華々しい成果を収めたとしても、そんな事は実現する訳に行かないと思っています。またロシアをしてそう言う華々しい成果を収めしめるような方法が、果たしてあるかどうか疑っています。これはウィーン内閣の言葉そのままなのですよ」とデンマークの代理公使がこう言った。
「C'est le doute qui est flatteur(それは中々有難い疑惑ですね)」と『聡明な』紳士が皮肉な微笑を浮べつつこう言った。
「しかしウィーン内閣とオーストリア皇帝とを、区別する必要がありますよ。オーストリア皇帝は決してそんな事を考えやしないです。それは単に内閣の言に過ぎません」とモルティール子爵がこう言った。
「Eh, mon cher vicomte(けれどもねえ、子爵)」とアンナ・シェーレルが割って入った。「l'Urope(ヨーロッパは)」彼女はフランス人を相手に話す時、フランス語の洒落た特異例として、なぜか l'Uropeと発音するのであった。「l'Urope ne sera jamais notre alliée sincère(ヨーロッパは決して我が国の真からの味方にはなりませんよ)」
こう言って置いてすぐその後から、アンナはプロイセン王の男々しさ剛気さに話頭を転じた。それはボリースをそろそろ役立たせようという心算だった。
ボリースは自分の番を待ち受けながら、一心に人の話を聴いていたが、またそれと同時に隣席の婦人――美しいエレンを幾度か振り返って見るだけの余裕もあった。エレンは微笑を含みつつ、何遍も若く美しい副官の視線を迎えた。
プロイセンの状態を物語っているうちに、アンナは極めて自然な調子でボリースに向かって、そのグロガウ旅行の事やプロイセン軍の状況などを、ありのまま物語るように頼んだ。ボリースは純粋正確なフランス語で急がずあわてず、軍隊や宮廷に関する興味ある多くの事実をこまごまと物語った。その物語の間、何事に関しても、自分の意見を洩らすのを避けるようにした。しばらくの間ボリースは一同の注意を引き寄せる事が出来た。アンナはこの新顔の御馳走が、すべての客人に快く受け取られた事を感じた。誰よりも一番余計ボリースの話に注意を払ったのはエレンで、幾度となく彼の旅行の詳細を訊ねた。彼女はプロイセン軍の状況に異常な興味を抱いているらしかった。ボリースが語り終わるや否や、彼女は持ち前の微笑を浮べつつ、彼に向かって、
「Il faut absolument que vous veniez me voir(あなたは是非、私のところへいらして下さいまし、必ずね)」と言った。エレンの調子は、ちょうど何かボリースに知る事の出来ない訳があって、是非ともそうしなくてはならないかのようであった。
「火曜日の八時と九時の間にね。もしお出でを願えれば、大変嬉しゅうございますわ」
ボリースは彼女の希望を容れる事を約して、何か話をし向けようとしている所へ、アンナ・シェーレルは伯母様が何か聞きたがっているから、という口実の下に彼を呼び出した。
「あなたは多分、あの方のご主人を御存知でしょう」アンナは目を閉じて、愁わしげな手振りでエレンを指しながらこう言った。「ああ、あの方は本当に薄命な美人ですねえ! どうぞあの方の前でご主人の事を言わないで下さい、後生ですから仰しゃらないでね。あの方をこの上に苦しめるようなものですから」