戦争と平和 第八編, レフ・トルストイ

一


ピエールはアンドレイ公爵とナターシャとの婚約後、これという原因も無いのに、以前通りの生活を続ける事が不可能に思われ出した。彼は恩人バズジェーフ氏に示された真理を、深く心に信じていたし、また最初恐ろしい熱心を以て没頭した自己完成の内的努力は、随分悦ばしいものであったけれど、アンドレイ公爵とナターシャとの婚約、及びバズジェーフ氏死去の後(この報知はほとんど同時に彼の手に入った)、以前の生活の美しさは、急に跡方もなく消えてしまって、残ったものは生活の骨組だけであった。彼の家、さる高貴の人の寵愛を忝(かたじけの)うしている艶麗花の如き妻、ペテルブルク全市との交遊、無味乾燥な形式に充たされた官職、こうした以前の生活が思い掛けなく、激しい嫌悪の念をピエールの心に呼び起こした。彼は日記をつける事も止め、組合員に交ることも避けて、再び俱楽部通いを始め、再び大酒を呷(あお)るようになり、再び独身者の仲間に交って、みだらな生活を始めた。そして遂にエレンまで見兼ねて、厳しい意見をする程になった。ピエールは妻のいう事をもっともと思ったので、妻に累を及ぼさぬためモスクワへ去った。

モスクワの大きな持家へ入って、ある者は萎び切ってしまい、ある者は萎びかかっている三人の公爵令嬢と、無数の召使いを見たとき――また市中を馬車で乗り回しながら、金色の袈裟の前に数知れぬ蠟燭の輝くイヴェールの礼拝堂(モスクワの赤の広場の北側、ヴァスクレセンスキー門の近くにある礼拝堂。イヴェルスカヤ礼拝堂とも。)や、橇に傷つけられぬクレムリンの雪の広場や辻待ちの橇、さてはシイフツェフ・ヴラジョークの貧民窟を見たとき――また何物をも望まず、どこへ急ごうともせずに、我が世の終りを待っているモスクワの老人や夫人連や老婆達、モスクワの舞踏会、モスクワのイギリス俱楽部などを見たとき――彼は静かな波止場へ着いたような、楽々とした気持ちになった。モスクワへ来てから、彼はちょうど古い部屋着でもつけたように、落ち着いた、暖かい、馴々しい、そして物臭い心持ちになったのである。

モスクワの交際社会は老婆連から子供達に至るまで、いつも席を別にして待ち設けている客人のようにピエールを迎えた。ピエールもモスクワの交際社会では、実に愛嬌のある、人の好い、怜悧で陽気な、腹の大きい変人であり、かつそわそわした、心底から昔風の純ロシア式紳士であった。彼の財布はあらゆる人のために開放されているので、いつも空であった。

慈善演劇、出来の悪い絵や彫刻、慈善会、ジプシー、学校、宴会、遊興、共済組合、教会、書籍――何一つ誰一人、彼から拒絶を受けた事はない。もし彼から沢山の金を引き出しつつ、彼の後見をしてくれる二人の友人が居なかったら、恐らく彼は有りったけ撒き散らしてしまったかも知れない。倶楽部でも彼の加わらない宴会は一つもなかった。彼がマルゴ酒を二本倒した後、自分の席となっている長椅子にどっかり腰を下ろすと、その周囲をぐるりと人が取り巻いて、世間話や争論や冗談などが始まるのであった。誰か争論をしていても、彼が出掛けて例の人の好い微笑を浮べながら、ばつの合った洒落を言おうものなら、すぐに仲直りが出来てしまう。共済組合の食堂も彼がいなかったら、退屈でだらけ切ってしまうのであった。

独身者が集まって晩餐などした後、浮き立った連中の強請に負けて、それでは一緒に遠征に出掛けようと、人の好い甘ったるい微笑を含みながら立ち上がった時、若い人達の間にはさも嬉しそうな、勝ち誇ったような叫び声が起きるのが常であった。舞踏会で男が足りない時には踊りもした。若い夫人や令嬢達は彼を好んだ。別に誰の機嫌を取るでもなく、誰に対しても一様に愛想がいい(殊に晩餐後がそうであった)からである。「Il est charmant, il n'a pas de sexe(あの人は優しい人だけれど、性をもっていらっしゃらないのね)」と噂し合った。

ピエールはモスクワに腐るほどある種類の人間――呑気に余生を送っている退職侍従官の一人であった。

もし七年前、彼が外から帰ったばかりの当時、人が彼に向かって『お前は何も求めたり工夫したりする事は要らない、お前の歩むべき道はとっくに前人が踏み固めて、永久に決定されている。お前がどんなに踠(もが)いても、お前と同じ境遇にいる人達と、同じ運命を繰り返すまでの事だ』と言ったら、彼はどんなに慄え上がって驚いたであろう! 到底そんな事は信じられなかったに相違ない。ロシアに共和国を建設しようと、心から希望していたのは彼ではないか? 時にはナポレオンたらんと欲し、時には哲学者たらんと望み、時にはナポレオンを打ち破る程の、大戦術家たらんと夢想したのも彼ではないか! 堕落した人生を改造し、自己を最高の完成に導かんと熱望し、かつその可能をまざまざと認めたのも彼ではないか? 学校や病院を建て、農奴を解放しようとしたのも彼ではないか?

所が、今の彼はそれに引きかえて、不貞な女を妻とする富豪である。よく食いよく飲み、上衣のボタンを外して、ちょっと手軽に政府を罵倒する事の好きな退職侍従である。イギリス俱楽部の一員である。誰にでも好かれるモスクワ交際場裡の人である。彼は自分が七年前あれほど軽蔑していた「モスクワに住む退職侍従官」の型(タイプ)に入ったという事を、長い間、承認する事が出来なかった。

時々彼は『なに、これはほんのちょっとの間だ。しばらくこんな生活をして見るだけだ』と思って自ら慰めても見た。しかしもうこれまでに自分と同じような大勢の人々が、歯も髪もすっかり生え揃っている時分に、ほんのちょっとと言ってこの生活へ――この倶楽部へ入ったが、出て行く時には一枚の歯も、一本の毛もなくなってしまったのだ、こう考えると彼はぎょっとするのであった。

自負の念の勝ったとき現在の境遇を考えると、自分は以前から軽蔑していた他の退職侍従連と比べて、まるっきり別な人間だという気がした。他の連中は俗な愚物で、自分の境遇に満足し安心し切っている。『所が、俺は今絶えず不満を感じている、絶えず人類のために何かしたいという気がある』自負の念の勝ったとき彼はこう独り言ちたが、謙抑(けんよく)な心持ちになった瞬間には、『しかし事に依ったら、俺の仲間もみんな俺のようにもがき通して、人生の中に何か新しい、自己独特の道を探し求めたけれど、遂に俺と同じく環境や、社会や、遺伝や、こうした人間の力の及ばない不可抗力に駆られて、俺と同じ位置に追い込まれたのかも知れない』とも思った。モスクワにしばらく住んでいるうちに、彼は運命の道連れとも言うべきこれ等の人々を軽蔑しなくなって、むしろ自分と同じように愛し、尊敬し、且つ憫(あわ)れんだ。

ピエールは以前のように絶望や、憂鬱や、生に対する嫌悪などに襲われなくなった。しかし以前、劇烈な発作に依って表現されていた彼の病気は、今、内部へ追い込まれたまま、寸時も彼の心を去らなかった。『一体どうなるんだろう? 何のためだろう? 今この世ではどういう事が始まってるんだろう?』我ともなく人生現象の意義について考え込みながら、日に幾度となく怪訝の念を抱きつつ自問するのであった。けれどこれ等の疑問に答えの得られない事は、経験によって承知しているので、彼は急いで書物を手に取るとか、あるいは市井の根なし草を喋り合うために倶楽部へ行くとか、アポロン・ニコラエヴィッチを訪れるかして、この疑問から顔を反けるのであった。

『エレーナのような、自分の肉体以外、何物も愛した事の無い、世界中で最も愚かな女の一人が』とピエールは考えた。『知恵と典雅の頂点か何ぞのように、世間の人から見られて崇拝の的になっている。ナポレオン・ボナパルトは、偉大な英雄であった時には、人々から軽侮されながら、憫(あわ)れな一介の喜劇役者となってからは、オーストリア皇帝フランツから娘を妾にしてくれという哀願を受けている。スペインは六月十四日にフランス軍を破った感謝のしるしに、カトリックの教会を通じて神に祈祷を捧げてた。所が、フランスは六月十四日にスペインを破ったと言って、同じカトリックの教会を通じて祈祷を捧げている。我が共済組合員は同胞のためにすべてを犠牲にする覚悟だと、血を以て誓って置きながら、貧民救済の寄付金募集に一ルーブリずつの金さえ出し渋る。そして、アストレイ(ギリシャ神話・ローマ神話に登場する正義を司る女神)を唆(そその)かして、マナ(旧約聖書でイスラエルの民のため神が天から降らせた食物)を求める人々を窘迫(きんぱく)させるような陰謀をめぐらし(「アストレイ」「マナを求める人々」はどちらもロシアのメイソンの支部(ロッジ)の名前。ここではメイソン支部間での内輪揉めを暗示している。)、書いた当人にさえ意味の分からぬ、誰の役にも立たない記録や、スコットランドの毛氈(もうせん)にばかり夢中になっている。我々一同は侮辱を許し同胞を愛せよというキリストの法則を宣伝して、そのために数知れぬ教会をモスクワに建立したのではないか。所が、昨日一人の脱走兵が鞭で打ちのめさられた。そして同じ愛と許容の法則に仕える僧侶が、刑の執行前その兵士に十字架を接吻させた……』とピエールは考えた。すべての人に認容されているこの社会全般の虚偽は、ピエールの目に馴れっこになってしまった今日でも、常に何か新しい物のように彼を驚かすのであった。

『俺はこうして虚偽と混沌に気が付いている』と彼は思った。『しかしその気の付いている事を、どうして人に伝えたらいいのだろう? 俺はいつも試験して見るが、その度にこんな事に気が付く――他の人も心の奥底では俺と同じ事を悟っていながら、ただそれを見まいとしているのだ。して見ると、それが本当かも知れない! けれど俺は、俺は一体どこへ身を置いたらいいのだろう?』

彼は多くの人、殊にロシア人に共通の不幸な傾向をもっていた――それは善と真の可能を見かつ信じながら、その実現に真面目な努力をするには、余り明らかに人生の悪と偽りを見過ぎるという事であった。彼の目から見ると、あらゆる活動の舞台が、悪と偽りに結び付けられているように思われた。何を試みても何に着手しても、悪と偽りは常に彼を突きのけて、あらゆる活動の道を塞ぐのであった。けれどその間にも生きて行かねばならなかった。何かしなければならなかった。こうした解決の出来ない疑惑の重荷に圧(お)しつけられているのは、余りに恐ろしい事であった。彼は只々それを忘れんがために、行き当たりばったりの歓楽に身を委ねた。彼はあらゆる社会に出入りし、大酒に耽り、絵を買ったり普請をしたりしたが、しかし一番の仕事は読書であった。

彼は読んだ、手当たり次第に何でも読んだ。家へ帰って侍僕が外套を脱がす暇もないうちに、もう書物を取って読み出すという風であった――そして読書から睡眠、睡眠から客間や倶楽部における饒舌、饒舌から遊蕩(ゆうとう)と女、遊蕩(ゆうとう)からまた饒舌と読書と酒に移った。

飲酒は次第に肉体的な、同時に精神的な要求となった。医者が彼のような脂肪過多の者に取っては、酒は非常に危険だと説くにも拘わらず、彼は甚だ多量に用いた。自分の大きな口へ杯の酒を流し込んで、体内に快(こころよ)い温かみを感じ、すべての同胞に対して優しい愛情を覚え、あまり深く詮索しないで表面的に、あらゆる思想に共鳴を感じる時にのみ、彼は初めて充分いい心持ちになるのであった。酒を一、二本倒した時にのみ、彼は以前、自分を慄然たらしめた、あの恐ろしくこぐらかった生の縺(もつ)れも、さのみ恐ろしくないように感じられた。昼食か晩食の後、頭の中ががんがんいうほど騒々しく、自分で饒舌(しゃべ)ったり、人の話を聞いたり、もしくは本を読んだりしているうちにも、彼は絶えずこの縺(もつ)れの一面を見ないでいられなかった。しかし一杯機嫌になったとき、彼はこう独り言ちた。『なに、何でもない。俺がすぐに解いて見せる。もうちゃんと説明は出来てるんだが、今はそうしてる暇がない――後でゆっくり考えて見よう!』けれどこの『後で』は決してやって来なかった。

所が、朝酒の気がなくなると、以前の疑惑が依然として不可解な、恐ろしい姿を以て一時に現れて来る。ピエールは急いで本を手に取った。もし誰か訪ねて来る人でもあれば大悦びであった。

時とすると、ピエールはかつて人から聞いた話を思い出した。それは外(ほか)でもない、戦場で掩護(えんご)隊として砲火の下に立たされた兵士が、所在のないままに、少しでも楽に危険な境遇を忍ぶため、一生懸命に仕事を探し出そうとする――と言う事であった。ピエールの目にはすべての人々が一様に、生を避けようとしている兵士のように思われた。ある者は虚栄を以て、ある者は歌留多(カード)を以て、ある者は法案の編成を以て、ある者は女を以て、ある者は玩具を以て、ある者は馬を以て、ある者は政治を以て、ある者は猟を以て、ある者は酒を以て、ある者は国務を以て――人生を回避しているに過ぎない。

『つまらない物もつまる物もありやしない、みんな同じこった。ただ出来るだけ人生を避けたらいいのだ!』とピエールは思った。『ただあれを見ないように、あの恐ろしいやつを見ないようにすればいいんだ』


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