アーサー・ケストラー, ジョージ・オーウェル

アーサー・ケストラー


今世紀における英文学で目を引くひとつの事実は、それがどれほど外国人……例えばコンラッドコンラッド:ジョゼフ・コンラッド。ウクライナ出身の作家。「闇の奥」で知られる。、ヘンリー・ジェイムズヘンリー・ジェイムズ:アメリカ出身の作家。「ねじの回転」で知られる。、ショーショー:ジョージ・バーナード・ショー。アイルランド出身の作家、評論家、政治家。、ジョイスジョイス:ジェイムズ・ジョイス。アイルランド出身の詩人。「ダブリン市民」、「フィネガンズ・ウェイク」で知られる。、イェイツイェイツ:ウィリアム・バトラー・イェイツ。アイルランド出身の作家、詩人。、パウンドパウンド:エズラ・パウンド。アメリカ出身の詩人、音楽家。、そしてエリオットエリオット:トマス・スターンズ・エリオット。アメリカ出身の詩人、作家。「荒地」で知られる。といった人々……によって占められているかということだ。しかし、これを国家の威信に関わる問題であると考えて手元のさまざまな文学分野における成果を調べてみると、政治に関する文書やパンフレットにおおよそ何が書かれているのかを目にしてイギリスがかなり好ましい状態にあることに気づくだろう。私が何を言いたいかというと、文学におけるこの特別な一派はファシズムの高まりをきっかけとしたヨーロッパの政治紛争から生まれ出たものであるということだ。こう分類すれば先に挙げた小説、自叙伝、「ルポルタージュ」書籍、社会学の論文、そして一般のパンフレットは全てひとつのカテゴリーにまとめられる。それらは全て共通の起源を持ち、かなりの部分で同じ感情的気質を共有しているのだ。

この一派の作家でもとりわけ際立つ存在なのがシローネシローネ:イニャツィオ・シローネ。イタリア出身の作家。、マルローマルロー:アンドレ・マルロー。フランス出身の作家、政治家。、サルベミーニサルベミーニ:ガエターノ・サルベミーニ。イタリア出身の作家。、ボルケナウボルケナウ:フランツ・ボルケナウ。オーストリア出身の作家、ジャーナリスト。、ビクター・サージビクター・サージ:ロシア出身の作家、革命家。、そしてケストラーその人である。彼らの中には想像力豊かな作家もそうでない作家もいるが、現代史を書こうとしている点では皆よく似ている。だがその現代史とは非公式なもの、教科書では無視され、新聞では虚偽の事実が書かれるたぐいのものだ。また大陸ヨーロッパ人であることも彼らの共通点である。この国に姿を現した全体主義について扱った本で出版後六ヶ月を過ぎても読む価値があるように思われるものは一冊残らずどこかしらの外国の言葉から翻訳されたものだ、と言えば誇張しすぎかもしれないが大げさというほどではないだろう。過去十数年に渡ってイギリスの作家は大量の政治文学を生み出し続けたが、美的価値のあるものはほとんど生まなかったし歴史的価値のあるものも非常に少ない。例えばレフトブッククラブレフトブッククラブ:1936年にイギリスで設立された組織。イギリス左派の振興と教育を目的としている。は一九三六年から活動している。彼らが選んだ書籍のうちいったい何冊の名前を思い出すことができるだろうか? ナチス・ドイツ、ソビエト・ロシア、スペイン、アビシニアアビシニア:現在のエチオピア、オーストリア、チェコスロバキア……これら全てとそれに関係する諸問題がイギリスにおいて生み出したのは口先だけのルポルタージュ本や不誠実なパンフレットなのだ。そこに書かれたプロパガンダは全て丸飲みにされ、未消化のまま吐き出される。信頼に足る解説書や教科書はごくわずかだ。例えばフォンタマーラフォンタマーラ:イニャツィオ・シローネの小説真昼の暗黒に類したものは全く無い。全体主義をその内部から観察する経験を持つイギリス人作家がほとんどいないことがその理由だ。ヨーロッパで過去十年以上に渡って中流階級の人々に起きたことは、イギリスにおいては労働者階級に対してさえ起きることはなかった。私が先に言及したヨーロッパの作家のほとんどと、彼らに類した多くの人々は政治に非常に深く関わるためにやむなく法律を破ることを余儀なくされた。彼らのうちのある者は爆弾を投げ、通りでの乱闘を戦い、多くの者は監獄や強制収容所を経験した。あるいは偽名と偽造パスポートを手に国境を渡って逃れた者もいる。そういった活動に没頭するラスキ教授ラスキ教授:ハロルド・ジョセフ・ラスキ。イギリスの政治学者。労働党の幹部を務めた。など誰が想像できるだろうか。それゆえにイギリスには強制収容所文学と呼ばれるようなものが欠如しているのだ。秘密警察、意見表明の制限、拷問とでっちあげの裁判によって作り上げられた特別な世界のことはもちろん知られているし、ある程度は非難されている。しかしそれが心理的な衝撃を引き起こすことはほとんどない。イギリスにソビエト連邦への幻滅について書かれた文学がほとんど無いことはこれによる結果のひとつだ。無知な非難の態度や無批判な賞賛の態度は見られるがその中間はごくまれだ。例えばモスクワ・サボタージュ裁判に対する意見は二分されているが、それは主に被告人が有罪かどうかという点についての分裂なのだ。それを正当化できるかどうかはともかく、その裁判が筆舌に尽くしがたい恐怖的なものであることを理解している人間は少ない。そしてナチによる侵略行為へのイギリスでの非難もまた非現実的なもので、政治的な都合に従ってタップダンスのように非難が起きたり止んだりしている。こういった物事を理解するためには自らをその犠牲者に重ね合わせなければならない。そして奴隷商人がアンクル・トムの小屋を書くことを思いつかないのと同様にイギリス人にとって真昼の暗黒を書くことは思いもつかないことなのだ。

ケストラーの出版作品はモスクワ裁判の核心をついている。彼のメインテーマは権力の腐敗力によってもたらされる革命の退廃である。しかしスターリン独裁の特異な性質が悲観的な保守主義とさほど変わらない立場に彼を追い戻した。全部で何冊の本を彼が書いているのか私は知らない。彼はハンガリー国民で、その初期の作品はドイツ語で書かれている。イギリスで出版されているのは五冊で、スペインの遺書剣闘士たち真昼の暗黒地上の屑そして到着と出発がそれだ。それらの主題はすべてよく似ていて、漂う悪夢のような雰囲気から数ページ足りとも逃れられているものはない。五冊のうち三冊では監獄が登場し、時にはほとんど全ての場面が監獄で展開される。

スペイン内戦の初期の数ヶ月間、ケストラーはニュース・クロニクル紙のスペイン特派員だった。ファシストたちがマラガマラガ:スペイン南部アンダルシア州の県を占領した一九三七年のはじめには捕虜になっている。もう少しで銃殺されそうになった後、彼は数ヶ月間を要塞の監獄で過ごした。毎晩のようにとめどなく続くライフル銃の轟音を耳にしていたという。共和国派を処刑する銃声だ。彼はほとんどの時間を身近に迫った自身の処刑の危機の中で過ごしたのだ。これは「誰の身にも起き得る」危機ではなく、ケストラーの生き方に固有のものだ。当時のスペインでは政治的無関心はあり得なかった。人より用心深く事態を見守っていた者はファシストたちが姿を見せる前にマラガを脱出したし、イギリスやアメリカの新聞記者であればもっと慎重に取り扱われただろう。この出来事について書かれたケストラーの作品であるスペインの遺書には注目に値する内容が存在するが、ルポルタージュ本につきものの論争については別にしても、ところどころに明らかにおかしな部分がある。監獄の場面でケストラーはいわば彼の専売特許であるその悪夢のような雰囲気を見事に描き出しているが、それ以外の部分は当時の人民戦線が唱えていた主張によって過度に脚色されている。一、二ヶ所の文章などはまるでレフトブッククラブの目的に沿うよう書き換えられているかのように見える。当時、そして最近になるまでケストラーは共産党のメンバーだった。内戦の複雑な権力闘争によって共産主義者は誰しも政府側での内部闘争について誠実に書くことができなくなっていたのだ。一九三三年以来続く、ほとんど全ての左派の人間の犯した罪は彼らが反ファシストたろうとする一方で反全体主義者たろうとはしなかったことだ。一九三七年の時点ですでにケストラーはこれを理解していたが、ためらいなくそう語ることはできなかった。彼がそれを口にしかけたのは……確かに口にしたのだが、そうするために彼は仮面をつけた……次の本である剣闘士たちでだった。この本は戦争の一年前に出版されたが、どうしたわけかほとんど注目されなかった。

剣闘士たちはいくつかの点で不出来な作品だ。この本は紀元前六五年ごろのイタリアで奴隷たちの反乱を引き起こしたトラキア人の剣闘士スパルタクスについて書かれたものだ。こういったテーマの作品には何であれサランボーサランボー:ギュスターヴ・フローベールによる古代カルタゴを舞台にした歴史小説との比較が試みられるというハンデがある。現代にあってはたとえ才能がある者であってもサランボーのような作品を書くことはまず不可能だろう。サランボーのすばらしさはその描写の詳細さよりもなお重要な点である徹底した冷酷さにある。フローベールフローベール:ギュスターヴ・フローベール。フランスの作家。「ボヴァリー夫人」で知られる。は古代人の石のように冷たい冷酷さへと自らを没入させることができたのだろう。一九世紀の中頃にはまだ精神の平穏が残っていたからこそ可能だったことだ。人は過去へと旅する余裕を持っていたのだ。今日では現在と未来はそこから逃げ出すにはあまりに恐ろしい物になってしまった。もし過去について思い悩む者がいればそれはそこから現代的な意味を探し出そうとする者だろう。ケストラーはスパルタクスにプロレタリアの独裁者の原型という寓意的な人物像を与えている。一方でフローベールは長きに渡って想像力を駆使することで金銭に卑しい前キリスト教徒的な人物を作り上げ、スパルタクスを着飾った現代的な男として描いた。しかし自らの寓話が何を意味するのかをケストラーが完全に理解していたかどうかは問題ではないだろう。革命は常に堕落する……これこそが主題なのだ。なぜ革命は堕落するのかという疑問について彼は口ごもる。彼の疑念が物語へと侵入し、中心人物を謎めいた非現実的なものにしている。

数年の間は反乱奴隷たちはおおむねうまくことを運んでいた。その数は十万人にも膨れ上がり、彼らは南イタリアの大部分を圧倒した。討伐隊を次々に打ち負かし、当時の地中海の主であった海賊たちと同盟を結び、ついには自らの都市を築く作業に着手した。都市は太陽の街と名付けられた。その都市では人々は自由で平等で、なにより幸福だった。奴隷制も、飢餓も、不正も、鞭打ちも、死刑もなかった。その呼び名は神の国や無階級社会へと変わろうとも、あるいはそれこそこがかつて存在し、私たちが失ってしまった黄金時代なのだと考えられようとも、それはいつの時代にも存在した人間の想像力に取り憑いてはなれないまさに夢の社会だった。奴隷たちがそれを成し遂げるのに失敗したことは言うまでもない。社会を築くや否や、彼らの生活は他のものと同じように不公正で、非効率で、恐怖に支配されたものへと変わった。犯罪者を罰するために奴隷制の象徴であった十字架刑さえ復活させられた。転換点は彼のもっとも古く、もっとも忠実な二十人の支持者を十字架にかけなければならないとスパルタクスが決断した時だった。その後の太陽の街は悪夢だった。奴隷たちは分裂し、完膚なきまでに敗走した。最後に残った一万五千人は捕らえられ、まとめて十字架にかけられた。

この物語のもっとも深刻な弱みはスパルタクス自身の動機が決して明らかにされないということだ。この反乱とその対応に年代記編纂者として参加したローマ帝国の法律家フルビウスは結果と手段に関するお馴染みのジレンマを説明している。力と奸計を使わずには何事も成し遂げることはできないが、それらを使えばそもそもの目的に背くことになる、というものだ。しかしスパルタクスは権力への飢餓や、あるいはその反対の理想のために行動を起こしたわけではなかった。彼は何か自分が理解していない不明瞭な力に突き動かされて進み、しばしば全ての企てを投げ出すのはまずいという考えと、事態が悪くならないうちにアレクサンドリアへと逃げ出すという考えの間でゆれ動いている。いずれにしろ、この奴隷たちの共和国は権力闘争よりもむしろ快楽主義によって破壊されたのだ。奴隷たちは手に入れた自由に満足しなかった。いまだ働き続けなければならなかったからだ。そして最後の破局が訪れた。原因は文明的な奴隷より粗暴な奴隷の方が多かったことで、とりわけガリア人とゲルマン人は共和国が樹立された後も山賊のように振る舞い続けた。これこそがおそらくは起きた出来事に対する真の説明だろう……もちろんこの古代の奴隷反乱について私たちは限られた知識しか持っていない……しかし太陽の街の破滅を許したのはクリクススとガリア人が略奪と強姦をやめることができなかったためなのだ。ケストラーは寓話と歴史のはざまで口ごもった。スパルタクスが近代の革命の原型……そう意図して彼が描かれていることは明らかだ……であるなら、彼は権力と公正さを結びつけるという不可能な試みのために道を踏み外さざるを得ない。しかし実際はほとんど受け身と言っていい人物で、行動するというよりむしろ行動させられ、ときおり説得力に欠けた人物になっている。この物語の一部の失敗は革命の抱える中心的な問題を避けていること、少なくともそれを未解決のままにしていることだ。

この問題は次に刊行されたケストラーの最高傑作である真昼の暗黒でも巧妙に避けられている。しかしそこでは物語は損なわれてはいない。それはこの作品が個人をテーマにし、主眼が精神的なものに置かれているためだ。物語の取り出される背景にはなんら疑問の余地はない。真昼の暗黒は年老いたボリシェヴィキであるルバショフの幽閉と死を描いている。彼は自分が犯していないことをよくわかっている犯罪をはじめは否認し、それから完全に認める。物語の語り口に見られる老成、驚きや非難の欠如、哀れみと風刺は、この種のテーマを扱う場合にはヨーロッパ人であることが有利に働くことを示している。この作品は悲劇の名に値し、それに比べればイギリスやアメリカの作家ができるのはこの作品を論争の場に引き込むことぐらいだろう。ケストラーは自らの題材を消化し、美的とも言えるレベルでそれを扱うことができている。同時に彼の手つきには政治的な含みがある。この作品ではそれはたいした問題にはなっていないが、これより後の作品ではそれが時に仇となっている。

必然的なことだがこの作品全体がひとつの問いの周りを巡っている。なぜルバショフは自白したのか? 彼は罪を犯してはいない……無罪なのだ。スターリン体制を嫌うという根本的な犯罪を除けばだが。彼が関与したと考えられている具体的な反逆行為は全て想像上のものだ。彼は拷問にすらかけられていない。少なくともひどく激しいものはない。孤独と歯の痛み、たばこの欠乏、目の前に突きつけられた強い光、そして間断なく続く尋問に彼は疲弊していくが、それら自体はどれも鍛え上げられた革命家を打ち倒すには不十分なものだろう。過去にナチスは彼にもっとひどいことをおこなったが彼の心が折れることはなかった。ロシアの政治犯裁判で得られた自白には三つの解釈が可能だ。

一、被告人は罪を犯していた。

二、彼らは拷問を受けたか、おそらくは親類や友人に危害を加えると脅された。

三、彼らは絶望や精神的な破綻、そして党への忠誠という習性に突き動かされている。

真昼の暗黒でのケストラーの目的に従えば、ひとつ目は除外される。またここでロシアでの粛清について論じるのは場違いではあるが、私はどうしてもボリシェヴィキの裁判がでっちあげによるものであったことを示すちょっとした検証可能な証拠について付け加えておかなければならない。被告人が無実……少なくとも自白した特定の事柄に関しては無実……である時には、ふたつ目は常識的な説明となる。しかしケストラーが選んだのは三つ目だ。この選択肢はソビエト連邦の悪夢というパンフレットでボリス・スヴァーリンボリス・スヴァーリン:ロシア出身のジャーナリスト。フランス共産党員だったが後にトロツキー派として追放。その後、トロツキーとも袂を分かつ。によって選択されたものと同じだ。ルバショフが完全な自白をおこなったのは、そうしない理由を彼の頭脳が見つけ出せなかったためなのだ。正義と客観的真実はとうの昔に彼にとって何の意味も持たなくなっていた。数十年もの間、彼は完全に党の支配下にあった人間であり、今、党が要求しているのは彼が存在しない罪を自白することなのだ。はじめに虐待され疲弊させられていたとはいえ、最後には彼は自白するという自らの決断にどこか誇りさえ感じている。隣の独房に入れられ、壁を叩いてルバショフと会話する哀れな帝政ロシアの将校に彼は優越感を抱いているのだ。ルバショフが黙って従うつもりだと知って帝政ロシアの将校は衝撃を受ける。彼の「ブルジョア」的視点から見ると、どんな人間でも自らの権利に固執して当然なのだ。相手がルバショフだろうとそれは変わらない。高潔さとは自らが正しいと信じることをおこなうことだと彼は言う。「高潔さとは騒ぎたてず有用であることだ」ルバショフは壁を叩いてそう返事をする。そして自分が鼻掛け眼鏡で壁を叩いている一方で相手が過去の遺物である片眼鏡で壁を叩いていることにある種の満足感を覚えるのだ。ブハーリンブハーリン:ニコライ・ブハーリン。ロシアの革命家、ソビエト連邦の政治家。後にスターリンによる粛清で処刑された。と同じようにルバショフは「漆黒の闇を見つめて」いた。何がそこあるのか、どのような規範が、どのような忠誠が、どのような善と悪の観念が、党に立ち向かい、来たる責め苦に耐える理由となるのだろうか? 彼は孤独なだけでなく空虚だった。今、彼に対しておこなわれている犯罪よりもなおひどい犯罪に彼は自ら手を染めていた。例えば党の秘密工作員としてナチス・ドイツに入り込み、ゲシュタポに密告して反抗的な支持者を取り除いていたのだ。奇妙なことに彼の精神力に源があるとすれば、それは彼が地主の息子だった少年時代の記憶である。背後から撃ち殺される時、最後に彼が思い出すのは父親の土地に生えていたポプラの木々の葉のことなのだ。ルバショフは粛清によって大部分が一掃されたボリシェヴィキの古い世代に属している。彼は芸術と文学、そしてロシアの外の世界を知っていた。彼の取り調べを指揮する若いGPUGPU:ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国内務人民委員部附属国家政治局。チェーカーから改編された組織。OGPUの前身。の男であるグレトキンと彼ははっきりと対比させられる。グレトキンは典型的な「良き党員」で、ためらいや好奇心を一切持たない思考する蓄音機だ。ルバショフはグレトキンとは異なり、生まれた時から革命の後の世界を生きているわけではない。党が彼の頭脳を支配下に置いた時、それは白紙ではなかったのだ。相手に対する彼の優位性は最終的にはそのブルジョア的な出自にさかのぼることができる。

真昼の暗黒を指して架空の人物に起きた珍しい出来事を取り上げたたんなる物語であると主張することはできないと私は思う。明らかにこれは政治書であり、歴史に基づいたものであり、真偽が問われている出来事への説明を提供するものなのだ。ルバショフはおそらくトロツキー、ブハーリン、ラコヴスキーラコヴスキー:クリスチアン・ラコヴスキー。ロシアの革命家、ソビエト連邦の外交官。後にスターリンによる粛清で処刑された。、あるいは他の古参のボリシェヴィキの中の比較的教養ある誰かなのだろう。モスクワ裁判について書こうとすれば「なぜ被告人は自白したのか?」という質問は避けて通れない。そしてそれに対する答えはひとつの政治的な決断なのだ。ケストラーはこう答えたも同然だ。「彼らは自らが従事していた革命によって腐敗していたからだ」。そしてそう答えることによって彼は、革命とはその本性からして忌むべきものなのだと危うく主張しそうになっている。モスクワ裁判の被告人はなんらかのテロ行為によって自白させられたのだと考えれば、それはたんに特定の革命指導者の一団が道を踏み外したのだというだけの話である。責められるのは状況ではなく各個人ということになる。しかしケストラーの作品が暗示するのは権力の中にいればルバショフもグレトキンとなんら変わらないだろうということだ。もしましな点があるとすればそれは彼の物の見方にまだ革命前のものが部分的に残っているということくらいだ。革命とは堕落の過程なのだ、とケストラーは言っているかのようだ。現実にあの革命に参加すれば最後にはルバショフかグレトキンのどちらかにならずにはすまない。それはたんに「権力の腐敗」であるだけでなく、権力を獲得する方法なのだ。従って暴力的手段によって社会を再構築する全ての試みはOGPUOGPU:ソビエト連邦人民委員会議附属統合国家政治局の監獄をもたらし、レーニンはスターリンをもたらし、もし図らずもスターリンが生き残れば社会は彼によく似たものになるだろう。

もちろんケストラーははっきりとそうは言わないし、完全にそのことを自覚しているわけでもないのだろう。彼は暗黒について書いているが、それは真昼に存在する暗黒だ。事態は別の終わり方をするのではないかと彼はときおり感じている。誰それが裏切ったのだ、事態が悪化するのはひとえに個人の邪悪さのためである、という考えは左派的思考につきまとって離れない。後に書かれた到着と出発でケストラーはさらに革命に反対する立場へと向かうが、二冊の作品の間には地上の屑というもう一冊の作品がある。これは純粋な自伝であり、真昼の暗黒で提起された問題には間接的にしか触れていない。彼の生き方に従ってケストラーはフランスで捕虜となった。戦争の勃発と、彼が外国人であり反ファシストとして知られていたことによってダラディエダラディエ:エドゥアール・ダラディエ。フランスの政治家。政権の手で彼はすみやかに逮捕、拘禁された。戦争の最初の九ヶ月のほとんどを彼は捕虜収容所で過ごし、その後のフランス敗北にまぎれて脱出、紆余曲折を経てイギリスへとたどり着いた。そこで彼は敵性外国人として再び拘置所に放り込まれた。しかし今度はすぐに釈放された。この作品は貴重なルポルタージュであり、あの敗北débâcle当時に生み出された誠実に書かれた他のいくつかの文書の断片と組み合わせることでブルジョア民主主義がどれほど下等なものになり得るのかを思い出させるものになっている。現在のところ、解放された新フランスと敵国協力者に対して本格化している魔女狩りによって、一九四〇年当時には現地のさまざまな評者がフランスの人口の約四〇パーセントが積極的なドイツ支持者か、完璧な無関心層のどちらかであると考えていた事実を私たちは忘れがちだ。誠実に書かれた戦争作品が戦闘に加わっていない者たちに受け入れられることは決して無いし、ケストラーの作品も非常に高い評価を受けているとは言えない。正気の人間は誰もいなかった……反ファシスト戦争を遂行するためには手の届く範囲の全ての左派主義者を収監すべきだと考えていたブルジョア政治家も、実質的にナチを支持し全力でフランスの戦争遂行努力を妨害していたフランスの共産主義者も、ドリオドリオ:ジャック・ドリオ。フランスの政治家。元は共産党の活動家だが後に転向してファシズム政党であるフランス人民党を結成した。のような詐欺師を信頼できる指導者として支持しがちであった一般大衆も、皆、正気を失っていた。強制収容所で犠牲となった仲間とのすばらしい会話をケストラーは記録している。付け加えておくと、ほとんどの中産階級の社会主義者や共産主主義者と同様、その時まで彼は現実のプロレタリアと接したことがなかった。ごく少数の教育ある者とだけしか交流がなかったのだ。彼は「大衆への教育なしには社会の進歩はない。社会の進歩なしには大衆への教育はない」という悲観的な結論を下している。地上の屑でケストラーは一般大衆を理想化することをやめている。彼はスターリン主義を放棄したが、トロツキストになったわけでもない。これこそこの作品と到着と出発とが真に関係している部分なのだ。そこでは通常は革命的態度と呼ばれるものが脱ぎ捨てられている。それもおそらくは永遠にだ。

到着と出発は満足のいく作品ではない。小説のように見せかけているがとても浅薄だ。実質的には、革命の教義とは脳神経を走る電流を合理化することであると主張する小論文だ。内容は巧みな対称性で描かれていて、物語は同じ行動で始まり、終わっている……外国への跳躍だ。若いかつての共産主義者はハンガリーを逃れてポルトガルへと上陸し、そこでイギリス軍に参加しようとする。イギリス軍は当時ドイツに対抗していた唯一の勢力である。イギリス領事館が彼に興味を持たず、数ヶ月に渡ってほとんど無視し続けたという事実によって彼の熱意はいくらか冷める。その間に彼の手持ちの金は尽き、他の抜け目ない難民たちはアメリカへと脱出していく。彼はナチの宣伝活動家の形をとった世界、フランス人少女の形をとった肉欲、そして……神経衰弱の後は……精神科医の形をとった悪魔に繰り返し誘惑される。革命に対する彼の情熱はなんら歴史的必然性ある実体的信念に基づいたものではなく、幼少期に赤ん坊だった弟を失明させかけたことに対する病的な罪責コンプレックスに由来するのだという事実を精神科医は彼から引きずり出す。その時には彼は連合国のために働くチャンスを手に入れていたが、それを実行に移すための全ての動機を失い、再び不可解な衝動に捕らえられて彼はアメリカへ向けて出発しかける。実際には彼はこの苦闘を放棄することができない。物語の最後、彼は祖国の暗い地平の上をパラシュートで漂っている。おそらく彼はイギリスの秘密諜報員として雇われたのだろう。

政治的声明(この作品はそれ以上のものではない)として、これは不十分なものだ。もちろん多くの場合、あるいは全ての場合かもしれないが、革命活動が個人的な不適応の結果であることは真実だ。社会に対して闘争を挑む者は概してその社会を嫌う理由を持つ者であり、普通の健康的な人々は戦争に惹きつけられるほどには暴力や違法行為には惹きつけられない。到着と出発に登場する若いナチ党員は、左派運動の何が間違っているかはそれに参加する女性の醜さを見れば明らかだ、という辛辣な発言をする。だが結局のところこれは社会主義者には通用しない。動機がどうあれ行為は結果をもたらす。マルクスの究極の動機には嫉妬と悪意があったかもしれないが、だからと言って彼が下した結論が間違っているということにはならない。到着と出発の主人公が全くの衝動に従って行動と危険から逃避しないという最後の決断をおこなう時、ケストラーは唐突に彼から知性を奪って苦悶させている。彼の背後にある歴史によって、何をなすべきかを彼は理解したのだろう。それをおこなうことが私たちにとって「良いこと」か「悪いこと」かは関係ないのだ。歴史は特定の方向に動いていく。神経症患者たちによって後押しされようとそれは変わらない。到着と出発でピーターの崇拝対象は次々に打ち倒されていく。ロシア革命は堕落し、指の関節がふくらんだ年寄りの領事に象徴されるイギリスもたいした違いはなく、国際的な階級意識を持ったプロレタリアは神話に過ぎない。しかし(結局はケストラーと彼の主人公は戦争を「支援」することからして)導かれる結論は、それでもヒトラーを取り除くことには価値があるということなのだ……客観的に見た時、必要とされるちょっとした汚れ仕事においてその動機はほとんど意味を持たない。

理性的な政治上の決断を下すためには未来像を持たなければならない。現在のケストラーにはそれが無いように、いや、むしろ互いに打ち消し合う二つの未来像を手にしているように思われる。究極の目標としての地上の楽園を彼は信じている。剣闘士たちが試み、数百年もの間、社会主義者、無政府主義者、宗教的異端者の心につきまとい続けている太陽の国を信じているのだ。しかし彼の知性が告げるのは地上の楽園ははるか向こうに遠ざかり、私たちが本当に向かっている先は流血と冷酷と欠乏だということなのだ。最近では彼は自分のことを「短期的な悲観主義者」と称している。地平線の向こうからあらゆる種類の恐ろしいものが吹き上がっているが、方法はどうあれ最後には全てが解決する。この見解は思慮ある人々には広く受け入れられるものだろう。これはかつて放棄した伝統的な宗教信念であるところの、地上での生を本質的に惨めなものとして受け入れる、ということが極端に難しいためであり、また、生を生きがいあるものに変えることが思っていたよりもずっと大きな問題であることが理解されたためである。一九三〇年ごろから世界には何ら楽観的な材料が無くなっていた。入り乱れる嘘と憎悪と残虐行為と無知の他には何も視界に映らず、現在の私たちが抱える問題の先にはヨーロッパ人の意識へと今ようやく入り込みはじめたばかりのさらに大きな問題がその巨大な姿を現している。人類の抱える大きな問題は決して解決しないという可能性は十分ある。だが同時にそれはあってはならないことなのだ! 誰が大胆にも現在の世界を眺めて「ずっとこのままだろう。百万年経とうと少しだって良くなるはずはない」とつぶやくだろうか? 今のところ治療法はなく、どんな政治的行動も役にたたないがいつかどこかで人類の生は今のように惨めで野蛮なものであることを終えるだろうというある種の神秘的とも言える信念があるのだ。

ただひとつ簡単な抜け道があるとすれば、それは今の人生を次の人生のためのたんなる準備と見なす宗教信者のやり方だ。しかし現在、思慮ある人で死後の生を信じる者は少ないし、おそらくその数は減り続けている。もし経済的基盤が失われれば教会が真の実力だけで生き残ることはできないだろう。

本当の問題はいかにして最終的な死を受け入れながらも宗教的な態度を取り戻すかなのだ。人間が幸福になれるのは人生の目的は幸福ではないと考える時だけだ。しかしケストラーがこれを受け入れるというのはもっとも考えにくいことだ。彼の著作にははっきりそれとわかる快楽主義的な文体があり、スターリン主義を捨てた後で彼が政治的立ち位置を見失っているのはその結果なのだ。

ケストラーの人生の中心的出来事であるロシア革命は大きな希望を持って始まった。今では私たちはそのことを忘れてしまっているが、四半世紀前にはロシア革命がユートピアへの道に先鞭をつけるだろうと強く期待されていたのだ。それが起きなかったことは誰の目にも明らかだ。ケストラーはそれを理解せずに済ますには鋭敏過ぎ、また最初にあった目標を忘れるには感受性が強すぎた。加えて言えば、ヨーロッパ人としての視点を持っていたことで彼は粛清や大規模な国外追放といったものの実態をよく理解していた。ショーやラスキのように望遠鏡を逆さまにしてそれらを見ることを彼はしなかった。それゆえに彼はこれこそが革命の帰結であるという結論に達したのだ。「短期的な悲観主義者」となるより仕方なかったのだ。それは言い換えれば政治から身を遠ざけて自分と友人たちがその中で正気を保っていられる一種のオアシスを作りあげ、百年のうちに事態がどうにか好転することを願うということだ。この根底には彼の快楽主義が横たわっている。それが地上の楽園こそ進むべき道だと彼に考えさせるのだ。しかしそれが進むべき道であろうとなかろうと、おそらく実現することはないだろう。おそらくある程度の苦しみは人間の生にとって避けられないもので、人間の前に置かれた選択肢はいつであろうと邪悪で、社会主義の目標とするところさえ世界を完璧にはせず改善するだけなのだ。全ての革命は失敗だが、その失敗の仕方はそれぞれ異なる。彼は認めようとはしないだろうがこれこそが目下、ケストラーの精神を袋小路に追いやり、到着と出発を以前の作品と比べて浅薄なものに見せているものなのだ。

1946年2月14日
Critical Essays

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オーウェル評論集1: ナショナリズムについて 表紙画像
オーウェル評論集1: ナショナリズムについて
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