ブリンプ大佐にホーム・ガードを台無しにさせるな, ジョージ・オーウェル

ブリンプ大佐にホーム・ガードを台無しにさせるな


地域防衛義勇隊へ入隊しようと押し寄せた百二十五万もの人々の存在が半信半疑で語られた頃から長い時間……実際には七ヶ月に過ぎないのだが……が経ったように感じる。そのうちに何人かには小銃が用意されるだろうが、残りの者は散弾銃でしのがなければならないだろう……散弾銃であればいつでも入手できるように思う。

晩秋までにはこの地域防衛義勇隊(今ではホーム・ガードホーム・ガード:第二次世界大戦中のイギリスで政府の主導によって編成された民兵組織。オーウェル自身も参加していた。と呼ばれている)は小銃、機関銃、対戦車爆弾、手榴弾、とりわけその規模から最高の結果を得るために計算された組織形態を備える侮れない兵力へと成長するだろう。

ホーム・ガードが実際にどれほど有用かは、もちろんのことだが、ヒトラーの侵略がどのような形をとるかによって決まる。一地域へ集中した極度に機械化された攻撃に対してはこうした歩兵部隊は比較的効果が薄いだろう。一方で、パラシュート部隊や空輸歩兵、軽戦車を用いたもっと散開した侵略に対しては常備軍そのものと同じくらい重要な役割をホーム・ガードは演じることだろう。

当初、上からの手助けをたいして得られないまま急激に規模を大きくしたためホーム・ガードは組織を独自に発展させなければならず、自然と地域に深く根ざしたものになった。

その基本的な戦術部隊は十人から二十人の集団で、彼らは互いに顔見知りであり、全員が街や地方の特定の小さな一区画によく精通していた……ゲリラ戦や市街戦、第五列第五列:スパイや対敵協力者を指すに対抗するのに実に適した部隊である。


しかし今までのところホーム・ガードの最大の重要性は政治的シンボルとしてのものである。組織され、さらに一致団結することでホーム・ガードはこの島の民衆がナチズムについてどう感じているかを示して見せたのだ。

苦しめられ続けた七ヶ月の間、ホーム・ガードは、年少の義勇兵の徴兵を除けばその数を大きく減らすことはなかった。

事務所や工場ですでに長い時間を働いている人々が一週間あたり最大二十時間を余暇時間から供出し、しかも深夜の任務時に払われる「特別手当」の三シリングの他には支払いを受けなかった。

夜間は歩哨に立ち、土曜日の午後を練兵場や射撃場で過ごし、夕方には隙間風の吹く集会場で機関銃を分解して過ごした……しかも何ら強制されることなくそれを成し遂げたのである。 

ホーム・ガードは純粋に自発的な組織なのだ。そこには罷免を除けば何ら罰則は存在せず、その罷免も従事者全員が知るように実質的には全く必要のないものなのである。


直近の侵略の危険性が薄れたとしてもホーム・ガードは存在し続ける可能性が高い。戦争後も部隊として保持し続けるという話さえ出ている。従ってホーム・ガードの政治的展開は最高度の重要性を持つ。政治と真に無縁な軍隊などというものはこれまであった例がないからだ。

ホーム・ガードの背後にある原動力はイギリスの民主主義は決してまがい物ではないという民衆の認識である。それが反ファシストの力として現れているのだ。

それゆえに実際の組織がその兵卒の精神よりも民主的でないことは極めて残念である。ホーム・ガードの実権のほとんど全てを握るのは裕福な構成員、大抵は主な軍隊経験を機関銃の開発や戦車の登場以前の時代に過ごした退役大佐たちなのだ。

小隊指揮官の階級以上の地位のほとんどは常勤職であり、従って個人所得のある者によってしか賃金無しでは務まらない。このため必然的に退役大佐に照明があたることになる。

恐らく過去数ヶ月の間のブリンプ大佐ブリンプ大佐:頭の固い保守的な人間を指す俗語。デビット・ローによる風刺漫画の登場人物「ブリンプ大佐」に由来する。や昔ながらの上級曹長的な精神は少々行き過ぎていた……彼らも単発式小銃の時代には有用だったのだろうが、ゲリラ戦のために組織された非正規軍にあっては明らかに危険な者たちである。


冬の到来と現実的侵略が遠のくことによって練兵場での教練にはますます熱が入り、踵を鳴らした敬礼や尻を叩くような訓練への圧力がますます高まっている。

小銃の使用方法を科学的に学ぶことに費やせるであろう貴重な夕方の時間が担え銃の訓練に費やされているのである。アルバニアやエジプトでイタリア人と戦う正規軍の演習にお似合いな「銃剣を食らわせてやれ」的な戦争観がかなりの地歩を築き、ハーリンガム・パークやオスタリー・パークハーリンガム・パークやオスタリー・パーク:いずれもロンドンにある公園のホーム・ガード養成所で数少ない見識ある兵士が熱心に広めようとしている自国で行動する義勇兵(ホーム・ガードはまさにこれだ)により適した考えが犠牲にされている。

このことの重要性も、中流・上流階級へ与えられるあらゆる命令に見られる傾向も兵卒たちは見逃してはいない。

彼らが不平を言っているというわけではない……少なくとも軍隊であろうとなかろうと絶えず不平を言い募っている普通のイギリス人と比べて不平が多いわけではない。しかし彼ら、とりわけ年長の兵士は片手間の兵士が正規兵の練兵場での整然とした動きを真似できないことも、真似しようとすべきでないこともわかっている。なにしろもっと重要な技術、つまり射撃や爆弾の投擲、地図の読図、距離の目測、対戦車トラップの発見や設置、築城を習得することで手一杯なのだ。

こうした年長の兵士は規律の必要性について疑問を持っているわけではないし、教練の価値さえ問題にはしていない。彼らは兵士の第一の仕事は服従であることをわかっているし、全体的には練兵場で最も優れている連隊が戦場でも最も優れていることもわかっている。

行進の足並みが揃わず、すばやい身のこなしができず、武器も装備も清潔に保てなければ非正規軍であっても精神的な退廃は進む。しかし、だからと言って胸に二、三つの勲章をつけた労働者が身だしなみや型通りの銃剣装着をして夕方を過ごしたいと思っているわけではないのだ。


程度の差はあれ、どんな軍隊でもブリンプ大佐的な精神とオスタリー・パークの精神が絡み合ってもがいていることは間違いない。ブリンプ大佐を放置すれば最後には彼が労働階級の義勇兵を追い払ってしまう危険性はおおいにある。

ホーム・ガードが挙国一致の反ファシスト的な性格を失って、パブリックスクールのOTCOTC:予備役将校訓練課程(Officers' Training Corps)。イギリス軍が主催してパブリックスクールでおこなわれていた軍事教練。の中高年者版のような保守党民兵組織へと変化すればそれはあらゆる観点から見て大惨事だ。

当初から労働階級は群れをなしてその隊列へと加わり、いまだそこにいる大部分を占めている。彼らは昔ながらの上級曹長に怒鳴られることなくナチスに戦いを挑めるであろう民主的な人民軍の可能性をそこに見ているのだ。

そしてホーム・ガードが他よりもずっとそれに近い存在であることに疑問の余地を残すべきではない。そこに所属する人々は所属していることを誇りに思い、進んで自分たちの仕事をおこない、意識的に多くを学んでいる。

しかし、もし彼らが発言の機会を得られれば指摘するであろう三、四の批判点がある。

もっと戦争のための訓練の時間を増やして、警備の任務のための訓練の時間を減らして欲しい。

演習に使うための弾薬と爆弾をさらに一層増やして欲しい。

昇格では功績のみが考慮され、社会階級は無関係であることをもう少しはっきりさせて欲しい。

いくつかの重要な職に関しては賃金が支払われる常勤職として欲しい。

そして五十歳以下の将校がさらに増えれば彼らはありがたく思うことだろう。

とはいえ現在の状況ではホーム・ガードは人々が自身を自由だと感じる国にしか存在できない。

全体主義国家ではとてつもないことをおこなえるが、彼らには絶対にできないことがひとつある。彼らには工場労働者に小銃を与えてそれを家に持ち帰って寝室で保管させることはできないのだ。労働階級のアパートや作業小屋の壁に掛けられた小銃は民主主義の象徴なのである。

それがそこに留まり続けるよう気をつけるのが私たちの責務だ。

1941年1月8日
Evening Standard

©2020 H. Tsubota. クリエイティブ・コモンズ・ライセンス 表示-非営利-継承 2.1 日本